ここしばらく毎週月曜日になるといつも、あっ、これ、と思ってはなんだかチャンスを逃していた『月曜日のユカ』。きょうは、こちらの作品をRevisit。映画を観たのはだいぶ前、当時は、加賀まりこさんの可愛さとおしゃれに惹かれていたので、「キャンティ物語」からのキャンティ関連含め、いろいろな意味で再度、観賞したいなぁと思っている映画作品のひとつです。

1964年の日活、中平康さん監督作品。
Body OK ! Kiss NO!なユカ。この当時ならではのストーリー背景ではあったりしますが、中平康さん作品、すべてレビューが必要かな、とも思っています。ヌーベル・ヴァーグの作家陣たちにも評価への評価の高さ、そして1950年代の作品などを振り返るとカメラワーク、セッティングなど、たしかに後の仏作品などにも影響してますね。

加賀まりこさんのおしゃれと可愛さはもちろんですが、。黛敏郎さんのダンス・ジャズ的ナンバー、音楽もいいですよね(黛敏郎さんもキャンティな方)。



こちらはオープニングでも使われているものの別アレンジ。撮影時の画像がすてきです。



パトロン(加藤武)、ボーイフレンド(中尾彬)、マジシャン(波多野憲)との関係、「日曜は家と…いいわ日曜画ダメならわたしは月曜!」、一緒に喜んでといわれる中尾さん、横浜デート、若いですね。印象的な花びらのシーン。



[加賀まりこさんとキャンティ、川添夫妻、『純情ババァ』]
加賀まりこさんも、「キャンティ」の川添梶子さんに憧れていた女性。小学生で、すでにオードリー・へぷバーンの髪型にしてと美容院に注文をつけるほどの加賀さんですが、Tシャツとパンツルックに毛皮を羽織ってしまうような「ドレスダウン」は、梶子さんから学んだものだとか(「キャンティ物語 (幻冬舎文庫)」から)。10代で女優になってもマネージャーをもたず、発言も思いのまま。「ハゲとデブと股引穿いたおじさんは嫌い」と言いメディアからは、生意気な女優ということで関心を引き、わがまま女優なイメージにだった加賀まりこさん。キャンティ常連、六本木族として知られていますが、「18歳、19歳の女の子で「デブでハゲが好きでたまらない」という方がよほど変わっているのではないか」と加賀まりこさんを語る著者、野地秩嘉にも納得です(ありのままを書きつつ、内輪目線なところが、この本のおもしろいところ)。「キャンティ物語」、読み終えた後も付箋だらけで、再読箇所も多く。川添夫妻、その周りの方々、共感できることや偶然など、いろんなことを感ずるので、これからも少しづつ自己メモ的に、キャンティ関連は続きそう。

勝気な加賀さんも『月曜日のユカ』のちょっと前は悩みの時期だったようですね。女優として打ち込む転機となるフランス行き、軽い、少し逃げの気持ちで行ったフランスで、しっかり修行となったのも川添浩史さん、梶子さんのいろいろな意味での支援のおかげのよう。フランスでは、イヴ・サン=ローラン、フランソワ・トリュフォー、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワーズ・サガンらとも交流があったとか(川添さん関係ですね。

加賀まりこさんは、ご近所である神楽坂のひとという親近感もあり、です。怖いもの知らず、というようなイメージなのは、純情だからなのですよね。『月曜日のユカ』再観賞もですが、「少女時代から、つんのめるように生きてきた鮮烈なデビューから今に至るまで「媚びない」生き方を貫いてきた女優」とある『純情ババァになりました。』読んでみたいとなぁと。

(投稿:日本 2010年5月31日、ハワイ 5月30日)


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先の週末は、日本で初めてのこどもの運動会でした。徒競走では一等賞、組み分けでは赤組優勝、とうれしい結果に大喜び。団体演技では、ちょっと前にとりあげた『大江戸ダンス』を。お天気はいま一つでしたが、楽しい運動会に。

小さな学校なので、2学年合わせての競技なども多いのですが、ダンスなどの、団体演技、やっぱり低学年はかわいいですね:)低学年のダンスは、そのとき旬なこどもの流行を映し出したものが多いですね。わたしも、運動会のダンスで、いまでもしっかり記憶にあるものは、低学年のときのものだったりします。

そんな中、小学生の頃の演目で、いまでもしっかり覚えているのは『ロボコン音頭』。『がんばれ!!ロボコン』のエンディングで使われていたものです。

『ロボコン音頭』
作詞:八手三郎/作・編曲:菊池俊輔/歌:水木一郎、山上万智子、コロムビアゆりかご会



「ふんぎゃらとっとぽかぱっぱ(?)♪x2、ふんぎゃらっとっと、ふんぎゃらとっとぽかぱっぱ♪」
これを踊ったのは、たしか小学2年生のときだったと思いますが、映像をみていまでも踊れること、確認いたしました!
いまのアニメやこども番組のテーマソング、おどれるタイプのものはダンスミュージックっぽいものが多いですが、昔のアニメやこども番組は、音頭もの多かったですね(エンディングが多いのかな)。

音頭ということで、夏限定のエンディングだったんですね。「ロボコン」のエンディングを他にもみてみました。季節でちがっていたんだなぁ、などと思い、こうしてみると全部覚えているのですが、こんなにあったとは。

『走れ!!ロボコン運動会』
作詞:石ノ森章太郎/作・編曲:菊池俊輔/歌:水木一郎、山上万智子、コロムビアゆりかご会
運動会をテーマにした秋のエンディング・ソング。こちらは、原作者である石ノ森章太郎(石森章太郎)さん作詞です。



『ロボコン・ロボット世界一』
作詞:八手三郎/作・編曲:菊池俊輔/歌:水木一郎、コロムビアゆりかご会
「なせばなる~、なさねばならぬ、な~にごとも~♪」というところと「プンプン」、よく覚えています。



『ロボコン・ガッツラコン』
作詞:八手三郎/作・編曲:菊池俊輔/歌:水木一郎、山上万智子
こちらは2番目のEDソング。得意の「ウララ~」もそうですが、「ガッツラコン」とか、響きのいい言葉(?)もロボコンの特徴でしょうか。



当時、ベイシティー・ローラーズなど、外タレ・アイドルに目覚め始めた頃だったのですが、この辺りはしっかりこどもらしく視ていたのですが、改めて振り返って気づきましたが、「ロボコン」って思ってた以上にすごい番組だったんですね。

「最高視聴率は29.2%(第66話、ビデオリサーチ・関東地区調べ)であり、これはテレビ朝日で放送された特撮番組としては『仮面ライダー』に次いで歴代2位の記録である。」
「水木一郎が歌った主題歌、『がんばれ!! ロボコン』のシングルレコードは、12万枚を売り上げた」(これは持っていないのですが、けっこうな枚数かと)

そして、この度知ったのですが、『走れ!!ロボコン運動会』以外のエンディングの作詞をつとめる八手三郎(やつで さぶろう)さんは、実在する人物ではないのですね。
「1970年代から現在に至るまで数多くの作品の制作クレジットで(日本版スパイダーマン含め)”原作”としてほぼ最初に表示されるが、実在の人物ではなく実際は東映映像本部テレビプロデューサーの共同ペンネーム。正式な読み方は前記の通りだが、「はって さぶろう」など他の読み方をされることもある。
京都撮影所助監督の、何物からも自由なクリエイターとしての気概を持ちつつも、一方で会社という組織に従属する立場であることも認識せざるを得ない微妙な立場を「やって候(さふらふ = そうろう)」という言葉に反映させた」とか。

八手三郎さん、覚えておくことにします。

(投稿:日本 2010年5月31日、ハワイ 5月30日)


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ひと月に使うおこづかい、趣味ものは、きっちり決めてはいないものの何となくここまでかなというラインあり(衝動買いもありますがw)。そろそろ5月も終わるので、来月6月の買い物予定、もうすでにいくつか候補があるのですが、絶対と思っている一枚は以前にもレーサー福澤幸雄さんの話とともにとりあげた『So Long Sachio』が収録されている『かまやつひろしの世界』ムッシュの1970年リリース、ベスト・アルバムのCD盤。安井かずみの名盤「ZUZU」と姉妹関係にある作品であり、ムッシュの魅力が凝縮されたアルバムとしてこちらにも紹介されているものです。
アラッポ・カーロの備忘録:ムッシュー / かまやつひろしの世界


そして、きょう、というか、ほんのちょっと前なのですが、ムッシュのすてきなアルバムにまた出会ってしまいました。『Je m'appelle MONSEIUR ~我が名はムッシュ』こちらも、購入決定です:D 2000年以降のアルバムですが、あまりにもすばらしく、そしてムッシュの過去、昭和、20世紀をニューアレンジでつづった作品なので、購入前からこちらでも紹介。

小西康陽プロデュースによるムッシュかまやつの{自己ベスト}。新アレンジによる名曲が綴られ、ムッシュの軽妙洒脱な歌が甦る。ナレーションをはさんだ番組風の構成もうれしい。ゲストに堺正章が登場(「CDジャーナル」データベースより)とある作品なのですが、このところ、妙にまた再びめぐり合わせのある小西康陽さんプロデュースというのも何かの縁、お導きなのでしょうか。

20才のころ:アルバム『Je m'appelle MONSEIUR ~我が名はムッシュ』



こちらのアレンジがすてき過ぎる『20才のころ』(市川実和子さん、ゲスト・ボーカル)にすっかりまいってしまいました。こちらからたどり気になるものが続々と。

ムッシュがいろいろな思いを語るナレーションも魅力的。キャンティな世界も織り込まれ。

ザ・スパイダース時代の曲『なればいい』
なればいい:ムッシュ、60年代のプレイスポットを回想する。そしてZUZUの話
安井かずみさん、加賀まりこさん、コシノジュンコさんとの交友関係についてのナレーションは4:05あたりから。



安井かずみさんと初めてあったときの話があり、パリジェンヌみたいだったと。もともとの才能はもちろん「キャンティ」で磨かれたひとたちすてきな世界です。まだまとめるにいたってない「キャンティ物語」にあった、こんな一節も思い出しましたが。ムッシュにあったときは、すでにパリジェンヌっぽかったんですね。

 「作詞家・安井かずみは、「私を形作る五十パーセント以上はタンタンからいただいたもの」…アルバイトで訳詞の仕事をしていた彼女は、加賀まりこに連れられて…梶子の「一番の崇拝者」になったシェットランドセーターにボックスプリーツのスカート、白いソックスにサドルシューズといった典型的学生ファッションをしていた安井かずみは梶子の影響で、おずおずとサンローランやシャネルのオートクチュールを着るようになった」(「キャンティ物語」第11章)。

ソー・ロング20世紀:ムッシュ、音楽に目覚めた頃を振り返る
ベスト中のベスト!!曲が福澤幸雄さんに捧げた『So Long Sachio』であり、好きなものを上げているスタイルが、安井かずみさんの朗読『空にいちばん近い悲しみ』にある『たとえば好きたとえば嫌い』そのもので、ムッシュ版。とっても明るく軽快なところが、なんだか、泣けてしまいます。



そのほかにもすてきなニュー・アレンジのムッシュのナンバーと興味深いお話がたくさんのようです。
オリジナル曲ではない中には、こどもの頃からのわたしの課題曲的思い出ナンバーも(こちらも収集していかないと)。かなりうれしかったりします、単純に:)

キャラバン:ムッシュ、スパイダースを回想する。



Tea For Two:



『かまやつひろしの世界』が、70年のムッシュ自己ベスト、そして2002年リリースの『Je m'appelle MONSEIUR』は、21世紀になってのムッシュの魅力いっぱいの自己ベストですね。20才のころのように何でも買っちゃうという感じではないのですが、こちらはやはり(それでも、おとなな母にしては、いろいろ買ってる方かなぁと…つねに反省)。

最後はこの曲で。
やつらの足音のバラード:ゲスト・ボーカル、市川実和子



Je m'appelle MONSEIUR ~我が名はムッシュ:収録リスト
 1. イントロダクション
 2. ボブ・ディランはいま何を考えているか
 3. ソー・ロング20世紀~ムッシュ,音楽に目覚めた頃を振り返る
 4. キャラバン~ムッシュ,スパイダースを回想する
 5. バンバンバン(READYMADE SPYDUCTION mix)~堺正章氏がムッシュとの出会いを語る
 6. ヘイボーイ(ゲスト:堺正章)
 7. なればいい(GROOVE ROOM mix)~ムッシュ,60年代のプレイスポットを回想する。そしてZUZUの話
 8. 二十才のころ(ゲスト:市川実和子) 試聴する
 9. ノーノーボーイ~ムッシュ,カントリー・ミュージックへの愛を語る
 10. どうにかなるさ~ムッシュ,父ティーブ釜萢氏を語る
 11. Tea for two 試聴する
 12. ゴロワーズを吸ったことがあるかい~ふたたび堺正章氏がムッシュを語る
 13. やつらの足音のバラード(ゲスト:市川実和子)

(投稿:日本 2010年5月30日、ハワイ 5月29日)


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一昨日、探していた曲タイトルが3ヶ月半ぶりにBip.fmでの質問によって判明いたしました。
ブレッド&バターの『哀しみのソーニャ』。こちらです(サウンドのみ)→ 『哀しみのソーニャ』(お答えしてくれたのは、@k_marie さん。
思い出そうと意識したのは、「カリタ」とコーヒー関連のTweetからだったのですが、それ以前から、ずっとずっと歌は覚えていて、「カリタ」とか「ボラボラ島」と聞くといつも頭の中では流れていたのです。

残念ながら、『哀しみのソーニャ』の動画はみつからなかったので、きょうは、ブレッド&バター、もうひとつの思い出曲、『トゥナイト愛して』を解明記念に。

『トゥナイト愛して』は、全民法テレビの長寿ニュース番組である日本テレビ「NNNきょうの出来事」のエンディング・テーマソングとして流れていた曲です。エンディングで使われていたのは1980年から1988年と、長く、この曲を聴くと一日終わったなぁ、と感じる方は少なくないのではないでしょうか。

ブレッド&バター - トゥナイト 愛して(作詞:大津あきら、作曲:三枝成章、編曲:野呂一生、松任谷正隆)



他のキャスターの方も出演なさってはいましたが、この時期のメインキャスターは小林完吾さんと櫻井良子さん。ほぼ毎日に近く視ていたのもこの時期だけに、このブレッド&バターの『トゥナイト愛して』と小林完吾さん、桜井良子さんはセットになって、『きょうの出来事』の思い出として残っています。

1982.10.6 ニュース・オープニング:
小松左京さんの「日本沈没」と日本列島の隆起、アメリカの大学と東大の研究結果を絡めてのお話からのスタートです(同時期映像探すの、思ってたより困難でしたw)



1981.6.24 ニュース・オープニング:「アメリカで日本のプロ野球は初めて放送される」のニュースから



オープニング映像など探す際、Wikipedia:NNNきょうの出来事をたよりに探させていただきましたが、「オープニングCG・使用音楽・タイトルデザイン」が非常に細かく、びっくりしてしまいました。タイトルデザインの配色ににいたるまで記載。
Wikipedia:NNNきょうの出来事:オープニングCG・使用音楽・タイトルデザイン


[ブレッド&バター「哀しみのソーニャ」]
なかなか思い出せず、情報にも乏しかった『哀しみのソーニャ』ですが、タイトルわかってとってもうれしいです。なんのアルバムで聴いたかも思い出せなかったので(当時、レンタルでしたし)。その後、CDなどで、ベスト盤も所有しているのですが、この曲は収録されてなく。ざっとではありますが、調べたところCDでは『ブレバタ・パーティー』に収録されているのみ(?)。わたしがレコードで聴いたのも『ブレバタ・パーティー』でした!思い出し。アレンジは、
「カリタで淹~れたあなたの好みのコーヒー、ふ~たり~分、おいし~い、恋し~い、会~いたい♪」、歌詞の一部「好み」を「好きな」と覚えていたものの、「カリタ」も「ボラボラ島」もこの曲から意識。かなり思い出に残っていた曲だったのですけれど…。アレンジは井上鑑さん。

ブレッド&バター、あらためて調べたことがなかったのでいまさら知ったのでけれど、マナさん、岩沢幸矢さん夫人なのですね。岩沢幸矢さんの娘さん、Asiaさんと岩沢二弓さんの娘さん、Seemaさんでブレッド&バターの『地下鉄』をカヴァーとか、最近のことなども知りました。

(投稿:日本 2010年5月28日、ハワイ 5月27日)


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アナログを聴ける環境が少し整い、このところ昔のアルバムを少しづつ聴いてみたりしています。好きな作品たくさんですが、まずは、CDなどの音源がなく、いままであまり聴くことができなかったものなどから聴いてます。

ずっと聴きたいなぁと思っていたWORLD STANDARD、頭の中にあったのは、ファースト・アルバム『音楽列車』だったのですが、いまの季節から夏にかけては『ALLO!』かなと思い。『ALLO!』は、1986年リリース、WORLD STANDARDの2枚目のアルバム。ファーストとの間に12インチものが出ているので、レコードとしては3枚目というもの。久しぶりに聴き、すごくいいなぁと、また、思ってます。

アルバムの帯には「歌う熱射病!太陽と海のもの私達を冒険に誘う9つの詞。最新のテクノロジーと熱いハーモニーが音楽のロマンチズムをかきたてる」と。

愛のミラクル:作詞:大内貴美子 作曲:鈴木惣一郎 編曲:鈴木惣一郎
電話の音と「ALLO!…」で始まる『愛のミラクル』は、アルバムの一曲め。



デスァ・フィナード No.6:作曲:鈴木惣一郎 編曲:鈴木惣一郎
アルバム全体にちょっとラテンっぽいテイストも感じさせるサウンドになっているのですが、こちらB面1曲めの『デスァ・フィナード No.6』は、まさに帯のコピーどおり、「歌う熱射病!」的サウンド。



太陽は教えてくれない:作詞:小西康陽 作曲:三上昌晴 編曲:三上昌晴
この曲、『ALLO!』の中で、かなり好きな曲です。
ファースト・アルバムからゲストミュージシャンとして参加している小西康陽さんによる詞。『ALLO!』で、小西さんの詞提供はこの曲のみ。



WORLD STANDARDというユニット名が物語るように、ウクレレ、マンドリンなども取り入れた手作り的な音も特徴な「無国籍」なサウンドを送りだしているのですが、このアルバム『ALLO!』、はポップス色が強く、周囲の評価も「っぽくない」というものが多かったような。
わたしも、初めて針を落としたときは、「んっ?」と思ったのですが、聴いていくうちに、なんかすごく好きになり。

ファースト・アルバム、『音楽列車』(1985年)はこんな感じの音、そしてメンバーも3人でした。

『太陽とダァリア』。


アルバム『ALLO!』、「ほのぼの」とした音が特徴のWORLD STANDARDとしては、爽やかさ(?どんな表現がよいのでしょう)が冒険だったかもしれないのかな、とも。ある意味、実験作だったのかもというようなアルバムかもしれません。歌なしから始まったユニットでありつつ、このアルバムでは歌をしっかり、そして日本語です。
でも、その後の渋谷系をも予期させるような音でもあると思ったり。いま聴くと、また新鮮です。
(その後は、また元のイメージに近い感じに戻りましたけど。)

そういえば、Pizzicato Fiveで『World Standard』という曲もありました。
WORLD STANDARDとか聴いて、楽曲提供の他、ゲストとして関わりのあった小西さんのこと考えてたら、タイムリーに、ちょうどレコ部でも(@HIBIKITOKIWA)さんのUstreamでも小西さんの話が出てきたりして、小西康陽さんと常盤響さん共著の『いつもレコードのことばかり考えている人のために。』にも興味がわいてきてしまっているところです。

いまも活動しているグループですが、初期のものは再販されたものもありながら、現在は入手困難なようですね。『ALLO!』は多分そのまま。再販されなかったみたい。
WORLD STANDARD: 鈴木惣一郎さんサイト
http://www.quietone.net/

『ALLO!』
牧村憲一&鈴木惣一郎プロデュース 
細野晴臣ノン・スタンダード・レーベル

収録曲目リスト:
SIDE A
1. 愛のミラクル
2. 太陽は教えてくれない
3. オアシスのなかで-Sha La La
4. ニューヨーカーの子守歌
5. ミラージュ

SIDE B
1. デスァ・フィナードNo.6
2. サーカスの魚達
3. 青いレファ
4. ピアニストの憂鬱


(投稿:日本 2010年5月26日、ハワイ 5月25日)


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きょうは、新宿副都心へ。先日も都庁に行ったり散策してきましたが、あの辺りもずい分と変わりましたね。特にここ15年ぐらいでしょうか。こどもの頃は、西新宿の高層ビルって何にもないところにそびえ立っているイメージでした。

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あの辺りを歩くと思い出すのが、ヴァージン VSの『恋のダイヤモンドリング』なので、きょうはそんな関連で。

『恋のダイヤモンドリング』 作詞:あがた森魚 作曲:Bob Brass、Al Kooper、Irwin Levine 編曲:鈴木慶一、ヴァージン VS



この曲、ヴァージン VSのアルバム『羊ヶ丘デパートメントストア』に収録されているのですが、幻のアニメとも言われるらしい「RADIO CITY FANTASY 街角のメルヘン」に使われている曲でもあるのです。前出のアルバムも所有しているのですが、わたしの中では、このアニメのサントラ・アルバムである『RADIO CITY FANTASY』(全曲ヴァージン VS)。のイメージが強いのです。このアニメ、一度しかみたことがなく、ストーリーを全部覚えてはいないので、もう一度みたいなぁとつねづね思っていたら、みることができました。ちょっとびっくりです(全部で54分なので、まだ途中)。

西新宿を舞台にした、このアニメ、サントラ曲は全部好きな中、特に『恋のダイヤモンドリング』がイメージ。

『恋のダイヤモンドリング』が流れるのは、3:45からのシーン



「わたしゆうこ、優れているの「ゆう」じゃなくて余裕の「裕」」って、ゆうこさんだったんですね(どちらの字でもありませんが、わたしもだったりしますw)。よくある名前ってアニメなどでは、意外と使われないのですよね。そういう理由でこのシーンを覚えていた訳ではないのですがさっき気づいたので。

「Radio City Fantasy 街角のメルヘン」を視聴できる再生リストも作ってみました。
RADIO CITY DANTASY
この頃の、キティー・レコードとアニメの関係っておもしろいですよね。小林泉美さん『うる星やつら』、ヴァージン VSもだったり。

『恋のダイヤモンドリング』が好きなのは、カヴァーものというのも理由のひとつかも知れません。オリジナル『This Diamond Ring』は、歌詞の内容も違いますね。『恋のダイヤモンドリング』からたどって知りました。
たどった順も、Gary Lewis and The Playboysが先、そしてオリジナルのSAM AMBROSE。
ヒットとなったこともあり、Gary Lewis & The Playboysのヴァージョンの方が知られてますね。

Gary Lewis and The Playboys - This Diamond Ring



SAM AMBROSE - THIS DIAMOND RING



まだ、全部みていない「Radio City Fantasy 街角のメルヘン」のつづき、これからみます♪

アニメ「Radio City Fantasy 街角のメルヘン」:
Wikipedia:街角のメルヘン、そのままですが
『Radio City Fantasy 街角のメルヘン』(ラジオ・シティ・ファンタジー まちかどのメルヘン)は、ファイブ・エース(キティ・フィルムの子会社)から1984年にリリースされたOVAである。西久保瑞穂監督。

世界初のOVAシリーズ「ダロス」(1~2巻)に続く、世界で3本目に発売されたOVAである。 商業的に成功せず、VHSおよびLDで発売されたのみ(DVD化などはされていない)であるために知名度は低いが、首藤剛志が18歳の時に初めて書いた脚本が映像化されたものであり、自らの原点としている。

原案・脚本:首藤剛志
総監督:西久保瑞穂
キャラクターデザイン:天野嘉孝
音楽:ヴァージンVS
声優:永瀬正敏、大塚千恵子


(投稿:日本 2010年5月25日、ハワイ 5月24日)


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自分の気になる曲や音楽家の方たちの調べもの過程で、このところ、作曲家、橋本国彦氏の名前をみかけることが多いので、所有の『日本歌曲全集5:橋本国彦作品集』を聴いてみました。

橋本国彦さん、ポピュラーなCM曲や歌謡曲、童謡、唱歌なども手がけていますが、わたしが橋本国彦さんを作曲家として意識しだしたのは、クラシック、歌曲『斑猫(はんみょう)』がきっかけでした。高校生のころだったのですが、そのころは日本の作曲家でまとめたレコードは、まだ少なく六本木WAVEでやっとみつけたこと、今でもよく覚えています。



『斑猫』は、1928年(昭和3年)の作品。詩人、深尾須磨子さんの自由詩に曲をつけたもの。この時代、自由詩に曲をつけるということは、日本ではまだ試みのないとても斬新なことであったうえ、クラシックの分野はドイツ主流であった中、近代フランス音楽の手法をとりながら独自の境地を。

曲が終わったかのようにみえ、最後の「うまくつかまえて襟飾りにでもしてください~♪」というところが、とても好きなのですが、こんな感じが、橋本作品の新しさだったのではないでしょうか。

45歳という若さでお亡くなりになってしまわれましたが、幅広く、数多くの作品を遺されていますね。ポピュラーなサイドでも、クラシックなサイドでも、それぞれ影響を受けている方も多いのではないかと思います(近年(?)では、上野耕路さんなど、なんとなくそんな気が)。

はじめはクラシックの楽曲から興味をもった、橋本国彦さんですが、気にするようになってから、実はその前にも聴いていた好きな曲もたくさんあることに気づいたり。興味を持ち始めたころには、Wikipediaのようなものはおろかネットで情報収集などできなかったということもありますが、意識しだしてから25年近くたっているいまも、まだまだ発見多し、です。

以下、いくつかおなじみの曲を。

『斑猫」とはちがったサイドでわたしが好きなのはこの曲♪歌詞ともに、フランス歌曲的要素を感じる作品。(そのうち書こうかとも思うサティにもこんな感じのものが)
『お菓子と娘』(唄:唐澤まゆ子)


有名な『城ヶ島の雨』は代表曲のひとつ。転調の感じが好きな作品。橋本作品だと知る前から、この転調に魅力を感じていましたが、あとから思えば、そこが「橋本国彦らしい」部分かと。
城ヶ島の雨(唄:藤山一郎)


こちらもおなじみ。『朝はどこから』(唄:安西愛子・岡本敦郎)


チェリオ! (唄:藤山一郎 小林千代子)


大大阪地下鉄行進曲(唄:德山璉・小林千代子)


[橋本国彦]
1904年9月14日 - 1949年5月6日没
東京都本郷生まれ。
東京音楽学校(現・東京芸術大学)卒
文部省の命により1934年(昭和9年)から1937年(昭和12年)の間、ウィーンに留学
帰国後は日本洋楽界きってのモダニストとして、作曲家・編曲家として活躍。
1933年(昭和8年)母校の教授に就任。門下に矢代秋雄を筆頭に、芥川也寸志、團伊玖磨、黛敏郎らがいる。1940年代前半には、軍国歌謡や、皇紀2600年奉祝曲の「交響曲第1番ニ調」を作曲。また十二音技法による創作を試みたりした。
戦後は戦時下の行動の責任を取って母校を辞し、『朝はどこから』などの歌謡曲や、戦火に倒れた人々を追悼するために独唱と管弦楽のための『三つの和讃』、日本国憲法の公布を祝う「交響曲第2番」などを発表。1949年、胃癌のため44歳で鎌倉にて逝去。

東京音楽学校(現・東京芸術大学)で音楽を学ばれた方ですが、ヴァイオリンと指揮法を学び、作曲はほとんど独学だったそう(当時は東京音楽学校には作曲科がなかったためもあり)。研究科であらためて作曲を。
当時、音楽学校で音楽を学ばれていた方は少なかったため、交流が密であったということもあるかとは思いますが、藤山一郎さんもしたっていたように、橋本国彦さんのまわりには一種のサロン的なものがあり、人望も厚かったようですね。その中にいたのが、『斑猫』の詩人、パリでも学んだ深尾須磨子さん、歌手の荻野綾子(大田綾子)さんや四家文子さん、徳山璉さんなど。橋本国彦さん、そして、四家文子さんや徳山璉は、昨日書いた藤山一郎さんのビクター入社の理由ともなった方であったり。

クラシックでは。日本の歌曲、滝廉太郎氏の『荒城の月』を起点として、山田耕作氏、信時潔氏(うちの子の学校の校歌はこの方作曲)の第1期とすると、第2期となったのが橋本国彦さん。
第2期を形成したということには、いろいろあると思うのですが、山田耕作氏などが音のもつ昨日の中での処理法として用いた長7、属9の和音を、橋本国彦さんは一個の独立した和音として提示、そして多くとりいれていくなど、ならではのスタイルを作っていったことがあげられると思います。

(投稿:日本 2010年5月23日、ハワイ 5月22日)


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きょうは、小児眼科の診察のため新宿へ。新宿三丁目付近なので、散策がてら、家から歩いて行ってみました。引越してから約1ヶ月半。ずっと行ってみようと思っていた花園神社へも。そして、念願の「圭子の夢は夜ひらく」の碑をみてまいりました。

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という訳で、あらためて『夢は夜ひらく』を聴いてみました。
『夢は夜ひらく』とってもたくさんの方のヴァージョンがありますよね。
アラッポ・カーロの備忘録:InterFM「桑原茂一のPIRATE RADIO」#PIRATE13 黒い歌謡曲#2


この歌に描かれている世界は、けっしてこどもになじみがあるような世界ではないのですが、『夢はよるひらく]、特に藤圭子さんの『圭子の夢は夜ひらく』は、小さなころからの思い出の曲のひとつでもあります(母が「圭子」なこととは関係なく)。いろいろな方の20作は超えるヴァージョンがあるといわれるこの曲、初リリースは1968年ですが、やっぱり藤圭子さんのイメージ。

大信田礼子さんの魅力あふれ、歌謡映画要素がたっぷりの『ズベ公番町』シリーズの第一作も、この曲がテーマとなった『ズベ公番町・夢は夜ひらく』当初はあくまでもというす、藤圭子のヒット曲にちなんだ歌謡映画として企画されたものだったのではというという話もあり。

ずべ公番長 夢は夜ひらく 予告



この映画の中での藤圭子さん、すてきです。『命預けます』、いい曲だなぁとは思ってましたが、映画の中でのシーンでみるとさらに。埋め込みできないのが残念ですが。映画『ずべ公番長 夢は夜ひらく』のシーンより。
ずべ公番長 夢は夜ひらく 挿入歌(YouTubeで)

命、あ~ずけます~♪
流れ、流れて東京は夜の新宿花園で
やっと開いた花ひとつ
こんな女でよかったら
命~、あずけま~す ♪

命預けます 藤圭子(こちらはサウンド・オンリー)



[芸能浅間神社]
「圭子の夢は夜ひらく」碑があるは、花園神社境内にある芸能浅間神社。本殿からは少し離れているので、見逃してしまう方も多いかもしれません。
花園神社境内案内図(図中②)
こちらの神社には、たくさんの芸能人の方々が奉納されているのですね。こちらのブログにもあるように、いろいろな方のお名前がありました。
歌舞伎町おまけブログ ~ self-introduction ~:芸能浅間神社
きょうは、こどもが歩きつかれをうったえていたため、ゆっくりみることができなかったのですが、来週、5月29日、30日は例大祭、また行くと思うので、こんどはみなさんのお名前をしっかりみてきたいと思います。


(投稿:日本 2010年5月22日、ハワイ 5月21日)


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近頃、うちの小学4年生、「花咲き、花散る宵も~♪」、「楽し都、恋の都~♪」などと、かなり気になる口ずさみ。

どうやら、来週末の運動会(最近は春の運動会も多いですね)で踊る「大江戸ダンス」という曲からの学びのよう。
「大江戸ダンス」とは東京にゆかりのある懐かしの流行歌や唱歌をアレンジした曲にあわせて踊るダンス。毎年9月に行われる「大江戸舞祭」というコンテストがあり、アレンジに使われる課題曲は年によってことなるようですが、ベースとなるのはいつも『東京ラプソディ』。(参考動画:「大江戸舞祭」)。

おなじみの懐メロ、『東京ラプソディ』(作詞:門田ゆたか、作曲:古賀政雄)は、藤山一郎さんが歌う東京をテーマにした1936年(昭和11年)の大ヒット曲。あらためて聴いてみるといろいろ知らないこともあり、いつものことながら歌の世界は深いですね。

映画があることは知っていたのですが、歌をベースにあとからつくられたものなのですね。歌のリリースと同年に映画が作られるとは。当時のヒットのすごさと共に、フットワークの軽さにも感心です。まだ観たことがないので、ぜひ今度観てみたい!です。

P・C・L映画「東京ラプソディ」(1936年)OP ED
監督:伏水修、原作:佐伯孝夫、脚色:永見隆二
主な出演者:藤山一郎/椿澄枝/伊達里子/星玲子(日活)/井染四郎(日活)/宮野照子/御橋公



古き良き「モダン都市」東京を舞台にしたミュージカル。「有名なカフェ美松の内部が出てくる」「女性ジャーナリストが打ち合わせをする場所は、今話題の銀座の「不二アイス」」のも大変貴重な映像とのこと(指田文夫の「さすらい日乗」:『東京ラプソディ』参考にさせていただきました。ベティ稲田さんの映画『舗道の囁き』のことにもちょっと触れてたり)。

先の動画を観賞してみたところ、映画には、レコードにはない、5番があるのも発見です(1番から番までの歌詞)。
花咲く都に住んで~♪
かわらぬ誓いをかわす
ある東京の屋根の下
咲く花も紅い薔薇
楽し都、恋の都
夢の楽園(パラダイス)よ花の東京~♪

多くの方がカヴァーし、藤山一郎さんのものでも別のヴァージョンが存在しますが、オリジナルのテイチク盤にもテイク違いが。

「昭和11年7月発売。1、2両方が赤盤なのですがテイクが違います。分かりやすいのは1分32秒から1分34秒です。テイクがいくつかあるようですね」とのこと。

東京ラプソディ 赤盤 テイク違い1



東京ラプソディ 赤盤 テイク違い2



テイチク盤の口笛が好きですが、こちらは、昭和27・8年に録音されたコロンビア盤。アップテンポで、ちょっとマーチ的な感じも受けるアレンジ。間奏が楽しげ♪

昭和モダン歌曲集:東京ラプソディー/青い背広で/僕の東京



『東京ラプソディー』に登場する東京の街、銀座は母の青春時代のお気に入り、神田は祖母が十代を過ごした場所、浅草は祖父のホームグラウンド、新宿はいまの住まいの近いということもあり(東京で過ごした方はどこもなじみの場所だとは思いますが)、改めて聴くとさらに愛着がわいてきます。
こどもに聴かせてみたら「わかる!わかるぅ!!」とよろこんでおりました:)
これを機会に懐かしのメロディーに目覚めてくれるとよいのですが…。

[藤山一郎さん]
以前にも『若き血』や『スジャータCM』などでも触れているのですが、本日、簡単ではあるのですが、その生涯を追ってみて、つくづくすごい方だなぁと。
気になったことや主要年表、Wikipedia:藤山一郎を参考にメモ。

1911年4月8日、東京府東京市日本橋区日本橋蛎殻町に、日本橋長谷川町のモスリン問屋・近江屋の三男(5人兄弟の末っ子)として生まれた。父の信三郎は近江屋の番頭で、母のゆうは店主の養女。幼少期の藤山は、家業が順調であった上、母のゆうが株式投資の収益で日本橋区一帯に借家を建て多額の家賃収入を得ており、経済的に大変恵まれた環境にあった。

1918年春、慶應義塾幼稚舎に入学。この時期の藤山は楽譜を読みこなせるようになっており、学内外で童謡の公演に出演。
 ※すでに二足のわらじ的。

1929年4月、慶應義塾普通部を卒業後、当時日本で唯一の官立の音楽専門学校であった東京音楽学校予科声楽部(現・東京藝術大学音楽部)に入学。当時は「歌舞音曲は婦女子のもの」という風潮が強く、声楽部に入学した学生の中で男は藤山一人であった。入学試験の口頭試問で音楽をやる理由を問われた藤山は「オペラ歌手を目指します」と答えた。

家業の借金などの事情もあり、在学時代からレコード歌手として活動を始める。校外演奏を禁止した学則58条に違反する行為であったため、「藤山一郎」の変名を用いることに。名前の由来は、上野のパン屋・「永藤」の息子で親友・永藤秀雄(慶応商工)の名を使って藤永にし、一郎と続け、「藤永一郎」としたが、本名である増永の「永」が入ることで正体がばれることを恐れ、「富士山」なら日本一でいこうと「永」を「山」にして、芸名を藤山一郎に。
この変名はわずか5分のうちに生まれた。
 ※永藤は、わたくしのこどもの頃の思い出のパン屋さん。いつも食べていた「永藤のパン」。甘食、たまごパン、懐かしく。上野・永藤、今はもうないようですね。残念、シクッ(夢織人の街TOKYO散歩&思い出の場所:今はなき永藤パン)。

『丘を越えて』のヒットによって藤山と古賀はスターダムに。
歌のヒットと同時に藤山一郎という歌手への注目が巷間で高まり、藤山は学校関係者に歌を聴かれて正体が発覚することを恐れ、アルバイト料が売上に関係なく1曲あたり15円ときめられていたことからレコードが売れないよう願ってさえいた。
そんな中、東京音楽学校宛に「藤山一郎とは御校の増永丈夫である」という内容の投書が届き、学校当局は藤山を問い質した。めあわや退学処分ということになったがハイバリトンの声楽家として藤山を評価していたクラウス・プリングスハイムが退学に反対。学業成績の優秀さやアルバイトで得た収入をすべて母親に渡していることを理由に慶應義塾普通部時代から藤山をよく知る弘田龍太郎・大塚淳・梁田貞も擁護に回った結果、今後のレコード吹込み禁止と停学1か月の処分となる。その一ヶ月は冬休みだったため、実質的な処分は科されなかった。

1933年3月、藤山は東京音楽学校を首席で卒業。
オペラ歌手として将来を期待されていたが、実家の借金を返済したいという思いが強く、卒業直後にビクターに専属歌手として入社。すでにヒット曲もあったコロンビアではなくビクターに入社した経緯については安藤兵部が獲得に動いたこと、当時ビクターには、橋本国彦、徳山璉、四家文子ら東京音楽学校の先輩らが専属にいて、クラシックと大衆音楽の両立がしやすい雰囲気があった。

ビクターとの契約期間は3年で満了。ビクターは藤山との再契約を望んだが、コロムビアから移籍していた古賀のいるテイチクに。契約金は1万円(内閣総理大臣の月給は800円)。

1936年、『東京ラプソディー』が販売枚数35万枚のヒット。B面の『東京娘』とあわせて2万1000円の歌唱印税を手にし、学生時代から抱えていた生家の借金の返済を完了。PCLによって『東京ラプソディー』を主題歌にした同じタイトルの映画も制作され、藤山が主演。

1939年にテイチクとの契約期間が満了。古賀とともにコロムビアへ移籍。コロンビア移籍後藤山は『上海夜曲』や服部良一との初のコンビによる『懐かしのボレロ』を吹込みヒット。

1943年2月-7月、南方への慰問団に参加。
同年11月-1945年8月、再び南方への慰問団に参加。
1945年8月-1946年7月、インドネシアで捕虜生活を送る。
 ※捕虜生活も経験なさっているのですね。
1946年7月25日、帰国。
1952年、日本赤十字社特別有功章を受賞。
1954年、コロムビア専属をやめ、NHKの嘱託になる。
慶應義塾在籍中に福沢諭吉が説いた奉仕の精神の影響から、1950年代半ばから様々な社会活動を行うようになった
1958年、NHK放送文化賞を受賞。
1959年、社会教育功労章を受章。
1973年、紫綬褒章を受章。
1974年、日本レコード大賞特別賞を受賞。
1982年、春の叙勲で勲三等瑞宝章を受章。
1992年5月28日、国民栄誉賞を受賞。存命中の受賞はスポーツ選手以外では初めて
1993年8月21日、死去。

(投稿:日本 2010年5月22日、ハワイ 5月21日)


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いまは降り止んできているよですが、きょうは、一日雨でした ☂
最近、といういうか、ここの数ヶ月、雨の日のお気に入りは、ソニア・ローザ(Sonia Rosa)さんがタイムファイブ(Time five)とともに歌う『Chuva Ven』。アレンジは大野雄二さん。



Chuva ven, chuva ven
彼にあうときはいつも雨が降ってたけど
切ない日に雨をよんでる
Chuva ven, chuva ven
空が泣いて
あの日に帰ってよければと思えば心に
雨が

Chuva ven, chuva ven
雨が彼をよんでくれるそんな気がしたの
窓をたたく雨は知らん顔
Chuva ven, chuva ven
雨に濡れた
あの日は涙が唇をぬらしていたけど
雨が

とってもメローな感じですてきな一曲。

zenzokasaiさんチャンネルで出会ったもの。多分、タイムファイブのアルバムに入っているのではないかなと思うのですが、アルバム名がわからないのですよね。同時期に大野雄二さんアレンジのタイムファイブもあり。
タイムファイブのオフィシャルサイト(アルバム資料は現在販売されているもののみのよう)やWikipediaなど調べてみたりはしているのですけれど、アルバム名がみつかりません。
こちらもCD再販希望なのですが、まずはアルバム名究明です :D

(投稿:日本 2010年5月20日、ハワイ 5月19日)


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越路吹雪さんのアルバム『一寸おたずねします』、CD再販希望の1枚です。

アルバム『一寸おたずねします』は、1977年に旧・東芝EMIから発売されたセルフ・カヴァー集でアレンジは羽田健太郎さん。参加ミュージシャンは、羽田健太郎さん、後藤次利さん、斉藤ノブさん、高水健司さん、 水谷公生さん、式部秀明さん、松木恒秀さん、コーラスにタイム・ファイブ。それまでのイメージともまたちょっと違う越路吹雪さんの魅力を感じるサウンド。

このアルバムから聴いてみた曲を2曲。

イカルスの星 - 越路吹雪 ('77 ver):作詞:岩谷時子 作曲:内藤法美
「コーチャンの歌謡プログレッシヴ・フュージョン」というコメントもありで、とってもすてきなアレンジ。



誰もいない海 ('77 ver.) - 越路吹雪:作詞:山口洋子 作曲:内藤法美
メローな感じでありながらライトなサウンド。



『誰もいない海』、トワ・エ・モアでおなじみのヒット曲、越路吹雪さんヴァージョンもリサイタルやアルバムでおなじみですが、このアレンジいいです!『誰もいない海』の作詞、山口洋子さんは、あの山口洋子さんかと思っていたのですが、同姓同名であって別の方なのですね。
作曲は、越路吹雪さんのご主人である内藤法美さんです(『イカルスの星』も)。

このほかには、アルバムのタイトルともなっている『一寸おたずねします』、そして『嘘』、『ボラ・ボラ・アイランド』なども収録。

越路吹雪さんは、祖母が大好きだったのですが、アルバムはベストのレコードとCDを1枚づつもっているだけのです。『ボラ・ボラ・アイランド』って多分、聴いたことがないのですよね。
それも、このアルバム、どうしても全曲聴いてみたいという気持ちをさらに。

『一寸おたずねします』は、祖母にコーちゃん風で歌ってみせていたりした一曲でもありますが、77年ヴァージョンはどんな感じなのでしょう。アルバム『一寸おたずねします』、ネットで1枚みつけたのですが‥。



ブログ1周年から、さっそく2日もお休みしてしまいました。このところ仕事でかなりタイトなスケジュールでしたので‥。アルバム『一寸おたずねします』は、そんなお疲れモードなときによさそうな感じ。


(投稿:日本 2010年5月20日、ハワイ 5月19日)


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もしかして、もうそろそろかなぁと思って調べてみたら、きょうは、ブログを始めてちょうど1年という日でした。わたしの古いもの好きは、比較的小さなころから始まっていたのですが、音楽に関しての古いもの好きが明確になってきたのは、中学生ぐらいのころからでしょうか(それとは相反して、かなり新しいといわれるものも大好きだったのですが)。初めは、父母のレコードや祖父母の愛する歌などを中心に聴いていたのですが、昭和30年代、40年代のものを聴くようになったのは、「廃盤アワー」がきっかけといってもよいのではないかと。

「廃盤アワー」コーナーがなかったらいまごろこのようなブログも書いていなかったかもしれません。というわけで、同コーナーでとりあげられた名曲はいろいろあれど、きょうは、「タモリ倶楽部」の構成を手がけ、あのコーナーに出演もなさっていた佐々木勝俊さんの“廃盤”レコードを取りあげてみることにいたしました。

ササキ・カツトシ & エミー・ジャクソン - CRY ヨコハマ



まずは、ササキ・カツトシさんとエミージャクソンさんのデュエット曲『CRY ヨコハマ』。
エミー・ジャクソンさんがすばらしく、「ヨコハマ」がなんとも昭和歌謡的な一曲です。
発売時にすでに「廃盤」と書かれ、¥700が特価¥500「※このレコードはもうプレスされません」というコメント入りの演出もなんとも、という感じのシングル・レコード。でも、このレコードくり返し聴いてもいいんですよねぇ♪ 佐々木勝俊さんの昭和歌謡への思い、そして廃盤愛が伝わってくる一枚。

A、B面ともに秋山道男が作詞、ササキ・カツトシさん作曲、 編曲は東京評判ぼおいずとクニ河内さんという1984年の作品。

ササキ・カツトシ - 真夏の出来心



こちらのB面『真夏の出来心』はササキ・カツトシさんのソロ。「廃盤アワー」ファンにはおなじみの(そうでなくともですが)平山三紀さんの名曲『真夏の出来事』(作詞:橋本淳、作曲:筒美京平)ともつながる一曲。(『真夏の出来事』歌詞

佐々木勝俊さんは、その経歴も含め、とてもユニークな方ですね(Wikipedia:佐々木勝俊)。そして、すばらしいセンスの持ち主なのですよね。
「タモリ倶楽部」といえば、コレッというオープニング曲、ロイヤル・ティーンズ(Roayal Teens)ショート・ショーツ(Short Shorts)』を選曲されたのも佐々木さん。



いまも続く「空耳アワー」は、もちろん大好き。ですが、このころの『タモリ倶楽部』、時折思い出したりします。

[ブログ一周年]
続けられるかなぁと、自ら問い、というようにスタートしたこのブログ、たまにサボったり、ときには集中更新ありながらも、ほぼ毎日、お休みしても約3日まで、というようなペースで1年間続けてくることができました。当初は「そんなに書くことあるなぁ」と思ったりもしていたのですが、音楽関連への興味つきることなく、頭の中ペースに追いつけない状態ですw。
閲覧後の感想をいただけたり、そこからまたヒントをいただいたりで、楽しく続けてこれたと思うのです。金謹謝。
そして、ブログをはじめてよかったなぁと思うことは、いろんなことにつねに関心をもつことができ、何より、やってみたことがない新しいことも、いろいろ調べると案外できるということに気づいたことでしょうか。
本日は、こどものためのレスキューで、削除されてしまったあるコードおよびデータ復帰にチャレンジ。一緒にプレイするぐらいで、あまり深くは足を踏み入れていないゲーム関連、やむを得ず‥。やっていればできるものですね。いまの時代、ちょっと調べればいろいろできるのですね(とは言っても現在はいろいろ消化で精一杯‥)。
いつもいつも、日々バタバタなのですが、このブログは、ほぼ毎日で楽しく続けていきたいと思っております。

(投稿:日本 2010年5月17日、ハワイ 5月16日)


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こどもの頃から気になっていた「サンちゃん」(三和銀行、初期いぬキャラ)貯金箱(陶器製)、ただいま、譲りうけたいと打診中。引越しから約1ヵ月半たち、荷物整理もようやく落ち着いてきたということもあり、今週末実家に帰ったときに、譲渡の交渉したのですが、成立せず。思えば、この「サンちゃん」物心ついたときからずっとわが家にはいたのですが、ステレオの上、ピアノの上など、「おこさまの手に触れない場所」のような特等席にいつも鎮座していたのです。よほど思い入れがあるのでしょう(わたしとしては、代替わりをしていただき、いくいくはこどもに託したいというような気持ちもあるので、今後も交渉)。

三和銀行、いくつかの合併を経て現在は、三菱東京UFJ銀行となっていますが、サンちゃん時代から始まり、スヌーピーなども含め、キャラクターにずっと犬。

その中で、わたしでのイメージNo.1はやはり、手塚治虫さんによるデザイン、そして漫画、アニメもあった「ワンサくん」。「ワンサ」は「三和」の逆読み。
アニメの「ワンサくん」はいつも視ていたものでした。わたしの中ではかなり印象に残っているアニメなのですが、今回、改めて調べてみたところ、全放送回数が思っていたより少なく、1973年4月2日から9月24日まで、と意外と短かったのですね。

短い放送期間ながらも心に残っているのは、ミュージカル仕立てでひじょうに多くの歌が盛り込まれていたり、かなりこったつくりの作品だったからではないかなぁと。

オープニング、エンディングおよび劇中で使われたうたを集めてみました。作曲は、すべて宮川泰さんが手がけてらっしゃるようですね。

オープニング:「ワンサカワンサくん」作詞:山本暎一、作曲:宮川泰、歌:ロイヤルナイツ、シンガーズ・スリー
絵、歌ともにミュージカルを感じさせる楽しい曲。



エンディング:「ピンコラ音頭」作詞:藤川桂介、作曲:宮川泰、歌:ロイヤルナイツ、シンガーズ・スリー
ある時代まで、アニメやこども番組には、音頭はつきものでした。こちらは、歌詞の一部が削除されてしまったなどというようなこともあったのですよね。



7話劇中歌(14話総集編にも):「捨て犬のテーマ」: 作詞:日高仁、作曲:宮川泰、歌:天地総子
「ワンサくん」劇中歌の中で、とっても覚えている歌のひとつ。こどもながらに心にきました。



7話エンディング(14話総集編にも):「ミドリちゃん」作詞:山口あかり、作曲:宮川泰、歌:ホーン・ユキ
ワンサくんのガールフレンド、ミドリちゃんの歌



1話(14話総集編にも):「犬の飼い方おしえます」浪曲:玉川良一、コーラス:シンガーズ・スリー



21話劇中歌:「うらみますまいねらいうち」「明治一代女」作詞:藤田まさと、作曲:大村能章歌:天地総子(オリジナルは豆千代)と「狙いうち」作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一、歌:千々松幸子(オリジナルはご存知山本リンダさん)。



「忠犬ハチ公の唄」歌:ミュージカル・アカデミー
作詞がどなたかは、わからなかったのですが、任侠風のアレンジが犬の道を語る一曲。



6話「花咲かメガネの唄」歌も宮川泰のようですね。ちがうのかな



「ワンサくんのママ」作詞:藤川桂介/作曲:宮川泰/編曲:宮川泰/ 歌:堀江美都子
ボッサな感じもあるすてきなアレンジ。ちょっと切ない名曲です。




「ワンサくん」は、旧虫プロ最後の作品だったんですね。手塚治虫先生にとっては、なかなかきびしい時代だったとか。こどもだったので、そういったことはあまり知らず、でしたが。漫画も「てづかまがじんレオ」が廃刊になったため未完結のまま終了と。漫画版って読んだことがないのですが、ストーリーもアニメとは少し異なり、ワンサと仲間達が税務署を襲撃するような展開もあるそうです。今度読んでみようかなと思います。

(投稿:日本 2010年5月16日、ハワイ 5月15日)


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このところいろいろと原信夫さん関連を調べていて、いままで「演奏者」を気にかけずに聴いていた好きな曲の数多くが原信夫とシャープスアンドフラッツ(#&♭)演奏のものだということにあらためて気づいたのですが、きょうは、作曲家としての原信夫さん。

最近お気に入りとなった曲、美空ひばりさんの『むらさきの夜明け』の作曲もそうだったのだということを知りました。

ビート歌謡なすてきな一曲、『むらさきの夜明け』(1968年):作詞:吉岡治 作曲:原信夫



こちらはテレビ出演映像。ダンサーもとってもイカシてます♪ ひばりさんのステップ、そして、この曲に限らずいつも思うのですが、手の動きがすてき。



いまさらなのですが、ひばりさんの代表曲のひとつもあげられる大ヒット曲、『真っ赤な太陽』もそうだったんですね。あまりにも、なじみすぎていて、だれの作なのか、調べることなくきていたのでした。

美空ひばりとジャッキー吉川とブルー・コメッツ『真赤な太陽』:作詞:吉岡治 作曲:原信夫
冒頭、この曲がひばりさんの新境地だったことを物語る中村メイコさんと局アナウンサーによるコメントあり



原信夫さん、1988年に紫綬褒章、1998年には勲四等旭日小綬章も受け手らっしゃるんですね。まだまだつづきそうです。

(投稿:日本 2010年5月13日、ハワイ 5月12日)


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本日、5月13日はスティービー・ワンダーの誕生日、今年で60才なんですね。HAPPY BIRTHDAY!!
きょうは、1ヶ月ほど前に、ラジオで、はじめて聴いたスティービー・ワンダー(Stevie Wonder)の曲、『I Call It Pretty Music But The Old People Call It The Blues』をまた聴いてみることにしました。

『I Call It Pretty Music』は、1962年のデビュー曲、まだリトル・スティーヴィー・ワンダーという名義だったときの12才のときに収録されたシングル。Part 1とPart 2があり、それぞれ、まったくことなったイメージとなっています。

I Call It Pretty Music But The Old People Call It The Blues (Part 1)



アップトーンなPart 1はスティービーの父親がわりともいわれるクレランス・ポール、Part 2はブルース職が強く、モータウンの社長、ベリー・ゴーディーによってプロデュースされたそうです。

Part 2は、こちらのリンクから。先のいった説明とともに(YouTube)で。
I Call It Pretty Music But The Old People Call It The Blues (Part 2)

1962年に発売されたライブ・アルバムのタイトルは『12歳の天才(The 12 Year Old Genius)』

ラジオでのこの曲の紹介で、その後のスティービーのアルバムには収録されてないと聞きました。
Box Set、モータウン40周年のモータウン・レビューには入ってるようですね。その他、mp3sなどでも。

I Call It Pretty Music But the Old People Call It the Blues Pt. 1 I Call It Pretty Music But the Old People Call It the Blues Pt. 2

[はじめてのスティービー・ワンダー]
わたしが、はじめてスティービー・ワンダーを聴いたのは小学3年生ぐらいのころ。スティービーは、まだ20代でした。とても長い音楽生活、すばらしい曲がたくさん。

はじめて聴いたのは、当時ヒットしていた『愛するデューク/ Sir Duke』。こちらもラジオからでした。イントロの感じがお気に入り、聴いた瞬間に大好きに。



(投稿:日本 2010年5月13日、ハワイ 5月12日)


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昨日聴いた、ビッグバンド・スタイルの『One Rainy Night in Tokyo』があまりにもすてきだったので、原信夫さんのもの少し聴いてみました。その中でとても気になり、気に入ってしまった曲を。邦楽にとらわれない活動で有名な山本邦山さんとのアルバム『日本のニュー・ジャズ(New Jazz in Japan)~Nobuo Hara meets Hozan Yamamoto』から。

原信夫 meets 山本邦山 - さくらさくら



いまでは珍しくなくなった邦楽とジャズの組み合わせですが、このアルバムが収録されたのは、1968年。当時はとても新しい試みだったのではないかと思います。「ニュー・ジャズ」というだけあり、新しい世界なのですが、実験的という感じではなく、時代を感じつつ心地よい、そしてスタイリッシュなサウンド。

原信夫 meets 山本邦山 - 茶切節(ちゃっきり節)



アルバムに収録されているのは、すべて古謡であったり、民謡であったり、日本の曲。
かっこいい!全曲聴いてみたいです。またもや誘惑に

曲目リスト
 1. 茶切節
 2. さくらさくら
 3. 黒田節
 4. ドンパン節
 5. 六段くずし
 6. 三階節
 7. 五ツ木の子守歌
 8. 官軍マーチ
 9. 田原坂
 10. 木やりくずし


(投稿:日本 2010年5月12日、ハワイ 5月11日)


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先日に引き続き、昨日も、キングレコードの童謡レーベル、レオンちゃんレコードというシリーズから、こどものころに大好きだった曲を聴いてみました。

おしょうさん小僧さん:
うた:武下亜登子 作詞:松坂直美 作曲:長谷川賢二 演奏:キングオーケストラ



ちんねんさん』同様、「小僧さんもの」。昔話などでもそうなのですが、こどものころ、小僧さんものが妙に気になっていたようですね。こうして童謡の題材となるというあたりからして、きっと多くのこどもたちがそうだったのではないかと。「小僧さん」はこどもになんとなく愛着心や共感を覚えさせる存在だったのかもしれません。「ポクポクポクポク、なーむなむなむなんまいだぁ~♪」というあたりが大好きで。

のんきなブーちゃん:
うた:宇都宮慶子 作詞:田中一郎 作曲:長谷川賢二 演奏:キングオーケストラ



『のんきなブーちゃん』、ぶたのの親子の休日をうたった曲。この歌の主役は、こどもではなく、お父さん。「ア~リャアリャリャ」後のお父さんの「どうしたら」が、なんともいえずほのぼのと。

大好きな2曲、無意識に選んだのですが、作曲がともに長谷川賢二さんという方だということに気づきました。わたしのもっているレコードの中では他にも数曲、編曲を手がけているものもあり、長谷川賢二さんについて調べてみようと思ったのですが、ネット上では情報があまりないのです。
これは、『のんきなブーちゃん』、作詞の田中一郎さんに関しても同じく。音楽関係では、別の田中一郎さんのものは多いのですけれど。Wikipediaにいたっては「田中も一郎も日本人の名前としてはよくあるものなので、この名前を持つ人物は他にも数多く存在する」という説明が。
『おしょうさん小僧さん』作詞の松下直美さんは、橋本国彦さんとの作品も(橋本国彦さんはまたそのうちにまとめたいと)。

童謡系の方に関する著述は、本が中心なのでしょうね。それも、あまり多くはないかもしれません。一般に知られている作詞家、作曲家以外では、レコード会社専属だったりする方もいらっしゃるような感じもします。

歌手では、武下亜登子さんの情報が。
童謡系でありながら、ちょっとちがった味もある武下亜登子さん、浅丘ルリ子らと雑誌モデルとしても活躍していたんですね。8才頃からキングレコード所属童謡歌手として歌い始め、テレビ開局に伴いNHK専属となり「リズムは踊る」にレギュラー出演していたそうですね。いまではシャンソンなどを。今度、童謡以外のものも聴いてみたいと思います。

それにしても、長谷川賢二さん気になります…。

(投稿:日本 2010年5月12日、ハワイ 5月11日)


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きょうは、雨。夕方近くに小降りになりましたが、夜更けになったいまも降り続き。
『ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー』を聴いてみることにしました。

小雨降る夜はなぜか淋しくて、しんみりあなたとお話したいの
なんにもいわずに別れたあの夜
つれない方とうらんでますのよ
ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー
やるせない雨よ

小窓うつ音は雨のささやきか、しみじみあなたを想い出してるの
あなたがいるならなんにもいらない
せめてもう一度いわせてアイ・ラブ・ユー
ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー
やるせない雨よ

鈴木道明さん、作詞・作曲のこの曲、昭和38年(1963)に発表され、その後「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー事件」なるものもあったようですが、多くのミュージシャンの方によるものがあり、アレンジもすてきなものが多いですね。
(それぞれの編曲者調べは、今後の課題としたいと思います)

越路吹雪(昭和40年(1965年)):
1965年度、第7回日本レコード大賞歌唱賞受賞作品。「つれない方とうらんでますのよ」という言葉、「~ますのよ」越路吹雪さん的イメージですね。



和田弘とマヒナスターズ(昭和40年(1965年)):
イントロ、その他で聴くことができるオルガンがすてきです。ムードラテンな感じで、男性が歌う、女言葉もいいですね。とても日本的でありながら、「Rainy」の発音はきちんと、というあたり好きです。



西田佐知子(昭和40年(1965年)):
同じく1965年の作品。この曲、西田佐知子さんの雰囲気に合ってますね。東京の雨を感じるアレンジ。



日野てる子(昭和40年(1965年)):
歌ありで、同年作品の中で、もっとも気に入ってしまったヴァージョンは、ハワイアン歌手として知られる日野てる子さんのもの。前田憲男さんのアレンジはもちろんなのですが(エコーが少し強いかも)、歌詞が他のものとは異なるのですね。こちらの詞も鈴木道明さんのようです、多分。ワンレイニー・ナイト・イン・トーキョー、「別れ」や「悲しみ」を歌っているのですが、このヴァージョンは「二人の幸せ」、どちらの歌詞もよいです。

ワンレイニー・ナイト・イン・トーキョー、濡れた舗道にはゆれる灯火がなぜかせつなくて、なんにもいらない二人だけの夜、かわす瞳がささやくアイ・ラヴ・ユー Mmm Oh Yeah
ワンレイニー・ナイト・イン・トーキョー、かわいた瞳に心はときめく、この幸せこそ二人だけのもの、愛のしるしを誓うアイ・ラヴ・ユー Mmm Oh Yeah



原信夫とシャープス・アンド・フラッツ (昭和47年(1972年):
歌はないのですが、原信夫とシャープス・アンド・フラッツ、ビッグバンドとボッサの融合。
ボッサでスウィング、ジャズしてる感じがすてきで、かっこいい!『昭和キャバレーグルーヴ』というコンピレーションCDにも入ってるようですね。とっても気に入ってしまいました。



ブレンダ・リー(Brenda Lee)
こちらは以前にも触れたことがあるブレンダ・リーのヴァージョン。正確な発売年月日はわからないのですが、来日記念盤だそう。「ミス・ダイナマイト」な感じとはまたちがった一面。
こちらも、日野てる子さんのものと同じ「幸せ編」です。



マンボの王様である我らがプレス・プラード(Perez Prado)も来日記念として録音されているようなのですが(歌謡代行:ポップス(洋楽・邦楽、5)より)、今回は聴くことができなかったので、今後気にしていきたいと思います武田義明さんのも同じくありませんでしたが、レコードジャケットの感じがいいですね。
(投稿:日本 2010年5月11日、ハワイ 5月10日)


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きょうは、懐かしい曲ではなく、ちょっと懐かしくもあるミュージシャンの方々によるすてきな最近のアルバム『塊魂サウンドトラック 「塊フォルテッシモ魂」』を。『塊フォルテッシモ魂』は、ナムコ(現バンダイナムコゲームス)のプレイステーション2向けのゲーム『塊魂』(カタマリダマシイ、Katamari Damacy)のサウンドトラック。

実は、このサウンドトラックを知ったきっかけはゲームではなく、昨日も書いた、亜土ちゃんサウンドから。水森亜土さんが歌う『真っ赤なバラとジントニック』を聴き、あまりにもすばらしく、この曲の魅力にすっかり参ってしまったのでした:)英語のタイトルは『A Crimson Rose and a Gin Tonic』、「真っ赤な」が「Crimson」となっているところも好きです。



「この曲はいったいどのアルバムに入ってるの?」と思い調べてたどりついたのが、『塊フォルテッシモ魂』 (“Katamari Fortissimo Damacy”)だったのでした。

ゲーム「塊魂」のサイトやアルバムの曲目リストをみたところ、参加ミュージシャンがまた豪華!そして、冒頭でも触れましたが、ちょっと懐かしい感じも。ゲーム音楽ってすばらしいものが多いですけど、この「塊魂」のサウンドは、いわゆるゲーム・ミュージックともまたちがう魅力をもっていますね。

大好きなチャーリー・コーセイさんも参加してました。『ケ・セラ・セラ』 (“Que Sera Sera”)、とってもすてき。みつけてから、何度もくり返し聴いてます。



メインテーマの『塊オンザロック』はもとクリスタルキングの 田中雅之さん。



エンディングは松崎しげるさんの『愛のカタマリー』。



そのほかにも、浅香唯さん、椛田早紀さん、新沼謙治さん、松原のぶえさん&坂本ちゃん、などなど。

このサウンドが素晴らしいなぁと思うところはいろいろあるのですが、それぞれの方々の個性を活かしながら、また違う一面もみせてくれつつ、いかにもな企画もの的サウンドともちがうという点ではないでしょうか。ジャンルはサンバ、マンボ、クラシック、ジャズ、ラップなど多岐にわたって。

NAMCOとしての曲もすばらしいですね。 『フーガ#7777』 (“Fugue #7777”)



ゲーム自体も人気で海外でも根強いファンがたくさん。Katamari Princeの編みぐるみのつくり方なんていう動画もありました。
Nerdigurumi - Katamari Damacy - Katamari Prince Amigurumi Crochet



その後、ゲームの続編とともにサウンドトラックの続編も出ているようですし、サウンド、ゲームともに気にかけていきたいと思います(ゲームはこどもからの情報が中心なので、まったく知らずでしたが、キャラクターデザインも好みですし、楽しめそう♪ またもや検討ものがw)

(投稿:日本 2010年5月10日、ハワイ 5月9日)


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一作日の就寝前から、そして昨日と、引き続き、人生何度まかの亜土ちゃんブームです(わたしの中で)。水森亜土さんは、こどものころからの憧れのひと(ノッポさんと同じく高レベルに憧れ)。NHK「楽しい教室」でみせてくれていた透明なボードに、両手で描きだすかわいい絵、すいすいすい~、というタッチをまるでマジックみたいだなぁと心うばわれていたのでした。

そんな亜土ちゃんは、イラスト以外にも歌はアニメソングからジャズ、演劇となんでもできちゃう方なのですが、経歴などはくわしく知らなかったのですが、「そうだったんだ!」ということを知りました。

「桜蔭中学校・高等学校を経てハワイのモロカイハイスクールに留学し、英語とジャズに触れる」
Wikipedia(水森亜土)で知りました!
ハワイで過ごした日々があったんですね!しかも、モロカイ島。そして、桜蔭だったんですね、すごい。
いまでも、日本人でモロカイ島に住んでいるのは荒川れん子さんおひとり(荒川れん子さんブログ:モロカイ通信)、観光でもディープにハワイ好きな方が訪れる処です。当時は、さぞ珍しかったのではないかと思います(外からのひと自体珍しかったはず)。

そんな亜土ちゃんだから、このうただったのですね。
『南の島のハメハメハ大王』(1976年):作詞:伊藤アキラさん、作曲:森田公一さん。



当時、8歳だったわたし、「ハワイ」、「アグネス・ラム」さんなど、南の島好き、この2年ほど前に初めてハワイに行ったというということもあり、NHK「みんなのうた」で流れてきた『南の島のハメハメハ大王』は、聴いたそのときから大好きになりました。

それより前に、大好きだったのはやはりこの曲、再放送ではありますが、夢中でみていた思い出のアニメ「ひみつのアッコちゃん」のエンディングソング、『すきすきソング』。



作詞、山本護久さんと井上ひさしさん、作詞、小林亜星さんの名曲です。みんなが大好きな『すきすきソング』、グルーブなサウンドで忘れない詞、それを完成させてのはやはり亜土ちゃんの歌唱であることは間違いありませんよね。

この歌をこどもの心を惹きつけ、かつカッコよく歌いあげることができるのは、やはりジャズ歌手である部分は大きいのではないかと思います、と再確認のきっかけは、Blip.fmでの亜土ちゃん最近の曲のポストでした。

"A Crimson Rose and a Gin Tonic" :PS2『塊魂』(カタマリダマシイ、Katamari Damacy)サウンドトラック



(この曲を聴いてからKatamari Damacy、ゲーム、サウンドともにかなり気になってますので、こちらはまた別にまとめたいと。)

いろんなことができて、すてきな歌手でもある亜土ちゃん。その魅力は、いままでに過ごしてきた日々のいろんなことがいきてからなのでしょうね。Bluesな夜のひとりの時間も。

NHK総合「ゆるナビ:いつもの1日」から。



(投稿:日本 2010年5月9日、ハワイ 5月8日)


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