12月も半ば過ぎ、冬本番、寒さも一段と増してきました。ブーツ大好きなので、いつもシーズン早めにロングブーツ履きはじめるのですが、今年は、ようやく今から。

所有の2足とも修理にだしていて(予想以上にかかり、2ヶ月近く…)、今までショートブーツで対応だったので、修理完了はかなりうれしい出来事です♪

という訳でブーツの歌、『These Boots Are Made for Walkin'』を。

『These Boots Are Made for Walkin'』は、ナンシー・シナトラ(Nancy Sinatra)の代表作のひとつでもあり、アメリカ、イギリスのポップ・チャートで1位となった1966年のヒット曲。キュートなティーン・アイドルからセクシーな雰囲気へのきっかけともなった作品ですね。

リー・ヘーゼルウッド(Lee Hazlewood)作によるこの曲は、本家のナンシー・シナトラのヴァージョンだけでなく、たくさんのカヴァー・ヴァージョンも生まれ、ヨーロッパでも大ヒット。
他の言語でのカヴァーもあるので、そのあたりのことを曲とともにこちらに。

当時のポップス国際的ヒットの戦略でもある別の国の言葉で競作ものとして、ドイツの Vogue label からドイツ語ヴァージョンをリリースしたいという提案が。

そこでドイツ語でのカヴァー・シンガーとして吹き込みを行ったのがアイリーン(Eileen/ Eileen Goldsen)。

Eileen - Die Stiefel sind zum Wandern(1966)
『These Boots Are Made for Walkin'』独語ヴァージョン

このアイリーンという方、もともとアメリカ生まれで、大学でフランス語を専攻しフランス語教師をしていたそうなのですが、1963年にフランスへ。フランスでは、英語からフランス語への歌詞の翻訳などのしごとを得たのち、どうせならば訳詞だけではなくじぶんで歌いたいということで、AZ labelから歌手としてもデビューしたという方なのですね。

先のドイツ語ヴァージョンの訳詞はお父様のMicky Goldsenさん。はじめにドイツ語ヴァージョンの話がきたのは訳詞ができるというお父様へだったそう。多言語得意ファミリーだったのかもしれません。

Vogue label のドイツ語の後は、AZ labelからフランス語ヴァージョンがリリース。

Eileen - Ces bottes sont faites pour marcher(1966)
『These Boots Are Made for Walkin'』仏語ヴァージョン

その後は、イタリア語ヴァージョンをも。

Eileen - Questi Stivali Sono Fatti Per Camminare (1966)
『These Boots Are Made for Walkin'』伊語ヴァージョン

まさに「歌う通訳」的存在へと。「歌う通訳」という異名は、カテリーナ・ヴァレンテに使われたりしてますけど、アイリーンの場合、かなりその要素が強くなったのが事実のようで、じぶんの持ち歌を歌うというより、カヴァー歌手、特にナンシー・シナトラのカヴァーを歌うというワークが定着していったのだとか…。(Mickey Bakerと組んでの活動もあったようです。Mickey Baker & Eileen - Hard Times for Melvin Van Peebles - La permission (OST)

以上、アイリーンさん情報のことは、Ready Steady Girls: Eileenから。Ready Steady Girls、このサイトは1960年代のヨーロピアン・ポップス女性シンガーの情報がくわしいです。

でも、アイリーンのヴァージョンのマルチ・リンガルなヒットの功績は大きく、カナダでのフランス語ヴァージョンも何人かのシンガーたちに歌われ、さらにはポルトガル・ヴァージョンなどもあったりします。

Dominique Michel - Ces Bottes Sont Faites Pour Marcher
フランス語圏カナダのドミニク・ミシェル(コメディアン、女優、歌手)。キュートでゴキゲンなヴァージョンですね。

Sonny Delane - Nossas Botas Foram Feitas Para Andar
『These Boots Are Made for Walkin'』ポルトガル語ヴァージョン

日本語での桜田淳子さんのライブ・ヴァージョン、西郷輝彦さんヴァージョンなども。邦題『にくい貴方』。

桜田淳子:にくい貴方
「あいつと2度目のデート、原宿教会まえ…あいつと初めてあった新宿ジーンズショップ…」:アルバム「16才のリサイタル」

西郷輝彦:にくい貴方
「きーみは浮気な娘…ほんとに嘘が上手…泥んこブーツでふみつかちゃうよ…」、訳詞:室生恵、編曲:小杉仁三

この他にも数えきれないくらいある『These Boots Are Made for Walkin'』カヴァー。カナディアン・フレンチ他にもあり。インストゥルメンタルもいろいろと(スタンリー ブラックのヴァージョン、好きです)。ロカビリー・ヴァージョンからの流れで、1970年代、1980年代にはガレージ系、パンク的な感じもあり。そのほかディスコなものも。近年では、 ジェシカ・シンプソン(Jessica Simpson)なんかがカヴァーしてましたね。

『These Boots Are Made for Walkin'』カヴァーいろいろ、動画での再生リスト(20曲以上ありますので、全再生はちょっと時間かかります。気長に、またはスキップで、お楽しみください):

(投稿:日本 2012年12月18日、ハワイ 12月17日)


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「平凡パンチ 大橋歩表紙集」の購入きっかけともなった、この秋入手の「モダン・パンチ・フォー・ユー」、かなり気に入っているアルバム作品です。
(「平凡パンチ 大橋歩表紙集」のこと)

こちらも、「キング・ヴィンテージ・ジャズ・コレクターズ・エディション 第1期」シリーズとして、再販されたCDの一枚であり、もとは1965年に発売されたもので、タイトルにある「パンチ」とは「平凡パンチ」で、このアルバム、キングレコードと当時若者文化のリーダーであった「平凡パンチ」による企画アルバムです(米国ではPLAYBOY誌のジャズの流れもありますが、通ずるものもあるのかも)。

その企画かというと、さすがは「平凡パンチ」、読者の声も反映したというもの。ジャケット裏の編集部コメントには、企画の内容、経緯があり、これもまた資料としても貴重ですね。

(コメントの文体もまさに当時の雰囲気)「ポピュラー・ミュージック・ファンのあなたにレコーディング・プロデューサーになっていただいて大いにアイディアをふるっていただこうという企画から生まれた、すばらしいジャズ・アルバムです…"キミのセンスでモダン・ジャズLPを作ろう!"をキャッチフレーズに平凡パンチ読者を対象として吹き込み曲の投票を行いました…」とあるように、1965年上半期人気だった曲のジャズ・カヴァー。ベンチャーズがベスト3を飾ったそう。

収録曲は全10曲。演奏バンドは、猪俣猛ウエストライナーズ(1、4、9)、八城一夫トリオ(5、8)、松本英彦カルテット(3、10)、白木秀雄クインテット(2、6、7)。

1. 10番街の殺人/2. キャラヴァン/3. イパネマの娘 /4. 涙の乗車券 /5. 枯葉 /6. ダイアモンド・ヘッド/7. パイプライン/8. 朝日のあたる家/9. ヘルプ・ミー・ロンダ/10. かわいい小鳥

アレンジ、演奏、じつに、じつに、かっこいいです。

10番街の殺人:
猪俣猛とウエストライナーズ (1965年)

イアモンド・ヘッ:
白木秀雄クインテット(1965年)

メンバー変動も多かった時代なので、メモしておきます。

猪俣猛ウエストライナーズ:
猪俣猛(ds)、滝本達郎(b)、前田憲男(pf)、仲野彰(tp)、鈴木重男(as)、原田忠幸(bs)

八城一夫トリオ:
八城一夫(pf)、チコ菊池(ds)、原田政長(b)

松本英彦カルテット:
松本英彦(ts)、ジョージ大塚(ds)、鈴木勲(b)、菅野邦彦(pf)

白木秀雄クインテット:
白木秀雄(ds)、栗田八郎(b)、世良譲(pf)、日野皓正(tp)、村岡健(ts,fl)

(投稿:日本 2012年12月14日、ハワイ 12月13日)


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昨日のJUNの1970年代CMのまとめにもあったアーティストの関連で(JUNのCM いろいろ (アダモ "Jun et Rope" & 1970年代:映像アート的な))、セルジュ・ルタンス(Serge Lutens)の映像をみて、思い出しの資生堂へと。

セルジュ・ルタンスといえば、アーティスティックな雰囲気たっぷりな、1980年代には、資生堂インウイ(INOUI)のCMがあったなぁ、またみたいなぁと。

1986年春夏のインウイ、"ミュージック・カラー"。
この音楽テーマでのイメージ、好きだったのですよね。楽器モチーフのヘアとメイクアップ。
Gene Kurupa のドラムが冴える、Benny Goodman の"Sing, Sing, Sing"に合わせて。この演奏も相当にかっこいいですね。

写真家であり、映像作家、ヘア&メイクアップスタイリストであり、パフュームなどに手がけ、「美」のアーティストともいえるセルジュ・ルタンスがイメージクリエイターをされていた、資生堂のインウイ。その妖しく美しい魅惑の世界がとても印象的で。

これも、はっとする映像ですよね。「美術館からブラウンが盗まれました」、「どうしても欲しかったブラウンです」。クラシックとアートがちょっとしたブームでもあった「時の空気」にもぴったりで。

なので、みつけた動画を再生リストにしてみました。
86年春夏ミュージック・カラー(2本)〜秋冬サスペンス・カラー〜ゆらゆらと夢見心地〜微妙の発見、森は微妙な色使いの見本帳です〜遊び心を刺激する配色遊戯〜美術館からブラウンが盗まれました

音楽は、ベラ・バルトーク(Béla Bartók )の『Music for Strings, Percussion and Celesta, III』からですね。

一環した美意識。現実世界からはなれた不思議な美の迷宮、といった感じ。
セルジュ・ルタンスの詳しい来歴は英語のものがあるのですが、こちらのブログ、日本語で詳しく紹介なさっています。
February 30th:セルジュ・ルタンス 〜無機質なユートピア〜

最近の活躍としては、2000年からはオリジナルのパフュームのシリーズ、"Parfums-Beaute Serge Lutens"も展開してますね。

【セルジュ ルタンス】バドゥソワ EDP・SP 50ml (並行輸入品)

(投稿:日本 2012年12月10日、ハワイ 12月9日)


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先日の一連、ザ・ハプニングス・フォー『クラシカル・エレガンス バロック&ロール』(1969年)からの流れで、同アルバムのタイアップ的な存在でもあったアパレル事業など展開されてる企業のJUN のこと、CMなどを中心に。

JUNは、この後も、「クラシカル・エレガンス Classical Elegance」というフレーズをブランド・コンセプトとして、1970年代後半まで、長く使うことに。

テレビCMをはじめたのがいつなのか、正確にはわからないのですが、1970年代の「クラシカル・エレガンス Classical Elegance」テーマでのコマーシャルは、コンセプチュアルな表現型の企画で、まさに作品、と呼ぶにふさわしいものがたくさんです。

10月にいった、アド・ミュージアム東京での「日本のCMのぜんぶ 1953-2012」展でも目にし、またみたいということもちろん、曲のことがとても気になっていたのです、というのがこちら。オリジナル・ソングをアダモが歌うというもの。

ROPE' JUN CM / TAD WAKAMATSU・Salvatore Adamo (1972) 60 seconds Japanese
「1972年に制作されたJUN ROPE'のCM。映像はTAD若松。バックに流れる唄はサルヴァトール・アダモ。」(映像、解説ともに:JUN.TV:junofficialtv さんより)

(1972年とのことですが、シングル発売が1971年という情報もあります)

この曲はシングル・リリースもされ、ヒットとなったそう。ジャケットにはこの古城階段のシーンとふたりの男女の写真も使われ…ということで探してみたところ、フルコーラスでのもの、ありました!

Salvatore Adamo - Jun et Rope
邦題:ジュンとロペ

ベルギー、フランス、そして日本をはじめ世界中で人気だったアダモがオリジナルCMソングを歌うとはなんと豪華な企画でしょう。

JUNのCMは、これ以前からも、音楽には、プロコルハルムの"Repent Walpurgis"を使っていたり、時代をリードな感性での仕上げ。そして、音楽はもちろん、映像がとてもすばらしいのですよね。

先のアダモが歌う『ジュンとロペ(Jun et Rope)』の映像は写真家であるタッド若松さん。1970年から数年にわたりシリーズが。JUN/ ROPE(それぞれのものも)、J&Rと古城や牧歌的風景など、まさに「クラシカル・エレガンス」なロケーションでの彷徨いの旅情香る映像がつづきます。タッド若松氏の手がけたものをまとめてみました。

JUN グループ CM:タッド若松

その後も、第一線で活躍するフォトグラファーや映像表現作家がたずさわる作品が、シリーズでつづき、ほんとに豪華、豪華ですね(70年代ものも後の方は記憶あるような、です)。という訳で、アーティストごとの再生リストをつくってみたのでした。映像:JUN.TV:junofficialtv さんのものです

JUN グループ CM:リチャード・アヴェドン
1973年

JUN グループ CM:デヴィッド・ベイリー
1976年

JUN グループ CM:セルジュ・ルタンス
1978年

JUN ROPE' CM:ヘルムート・ニュートン
1980年代

JUNは、ファッションそのもの以外にも、はやくからライフスタイル提案型の企業として、フード&ダイニング(原宿「カフェ ド ロペ」とか)、ゴルフ場、ワイナリーなど幅広く事業展開をされてきてますが、不動産・ハウジング部門のようなものもあったのですね。

ジュン不動産(1972年)
"Make Your Life"

そのほか、JUN.TVにたくさんのCM映像アップしてくださってますね。もちろん、1980年代のこれなどは覚えております。

JUN CM / Makoto Saito・Bryan Ferry (1982) 30 second
サイトウマコト氏制作、出演、ブライアン・フェリー

あ、そういえば。この秋冬にオンエアされてる多部未華子さん出演のCM、JUNグループでの13年ぶりのCMだそうです。

<JUNのことからいろいろと>
演劇では「天井桟敷」の公演協賛もされてたのですよね(状況劇場は西武だったり、このあたりのいろいろもおもしろいですね)。先日の伊東きよ子さんのことでも触れましたが、「天井桟敷」もすこしづつ、何かの形で記しておきたいと思います。

(投稿:日本 2012年12月9日、ハワイ 12月8日)


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ザ・ハプニングス・フォーといえば、ということで伊東きよ子さんのこと。
伊東きよ子さん、いままでいくつかの作品は聴いてきて、中にはとてもとても好きな曲もあったりする方のおひとり。ただ、いままで、その全貌というか、活動全体を把握しきっていなかったのですが、このところそんないろいろも知り、つくづくと、時代を映し出すような活動をされた方でもあるなぁと思っているのです。

幾人かの方のカヴァーもあったりする浜口庫之助さん作の『花と小父さん』は、デビュー曲であり、ひろく知られている作品ですよね。

花と小父さん(1967年)
作詞・作曲:浜口庫之助

ナベプロ、渡辺プロダクション所属ということで、ザ・ハプニングス・フォーとは事務所が同じということもあるからでしょうが、活動をともにしている作品が多いですね。

8トラックカートリッジとカセットテープのみでの発売だったという『花のマドンナ』(1968年)も伊東きよ子とザ・ハプニングス・フォーとして。 こちらのアルバムからレア・グルーヴ的なコンピに収録されてる曲もありますが、Girl with GSシリーズ (1)としてCD化もされ、いまでもiTunesとかでも入手できますね。オリジナル作品のほかに、洋楽カヴァーもあり、『男と女』などもなかなかよく。ボッサなアレンジがたのしめたり。

伊東きよ子&ザ・ハプニングスフォー:オー・ガンソ(O ganso)
「東京ボサノヴァ・ラウンジ」にも収録。

『きよ子と愛とメルヘンと』(1969年)、これが伊東きよ子さんにそもそもは興味をもつきっかけとなった作品なのですが、クラシック曲であるバッハの『G線上のアリア』をカヴァー。このあたりから、また一種独特な世界と雰囲気をかもしだし。時代の空気、当時の若者文化を感ずるものが。ザ・ハプニングス・フォー『クラシカル・エレガンス バロック&ロール』とも同時期ですね。

伊東きよ子:悲しみの中で (G線上のアリア)

このちょっと前のシングル『見知らぬ世界』のB面ですが、シタールが効いたこちらもよいですよね。『星からの便り』

星からの便り(1968年)

伊東きよ子さん、宝塚音楽学校であったり、東宝のインターナショナル・ダンシング・チームのオーディションにもともともとステージ指向だったということもあると思うのですが(ケガのためダンスは断念されたそうですが)、この歌唱などは、歌うというより、演じているような要素もつよく、ロック・ミュージカルとか、そういったものがもっと日本で盛んであったら、まさにだなぁという感じがするのです。

作品というだけでなく、当時、どのように日々をすごされていたのだろうということもとても気になりなのは、アルバム『23時の女』の背景などからなのですよね。

このアルバム(レコ部などでも、ですが)、クニ河内さんアレンジで、ザ・ハプニングス・フォーもかかわっているのですが、ひじょうに興味深いのは、若者文化のある流れの先端であるような中でつくられていて、プロデュースが天井桟敷の萩原朔美さんだということだったり。構成もまさにそういった感じで。やはり、歌手であると同時に演者の要素がつよい方ですよね、伊東きよ子さんって、と思ったりするのでした。
(天井桟敷の関連としては、ザ・ハプニングス・フォーも『書を捨てよ!町へ出よう』のサントラにも。萩原朔美さんジャニーズ系コンサートのしごとなも当時手がけたり(お互いに斬新なような)してますけれど、やはりこの時代のすごさって、線引きがありそうでないところもなのでしょうね)

伊東きよ子:いつもと同じ朝(1970年)

23時の女:再生リスト:一部タイトルがいれちがってるものもあるかもしれません。

<おまけ:デビュー前>
ちょっともどりまして、デビュー前の活動のことですが、アメリカのフォーク・コーラス・グループ、ニュー・クリスティー・ミンストレルズ (The New Christy Minstrels)にも在籍されてたのですよね。1966年5月、グループが来日した際にオーディションがあり、そこで合格し、渡米となったそうですが、形に残っているもので参加している作品あるのかなと思っていつつ、そのままでしたが…滞米中のことに関する資料、なんでもよいからないかと。そうか、英語でと、探してみたらあったのでした。コネチカット州の新聞記事が。

米国・The Morning Record誌- Aug 30, 1966:"The New Christy Minstrels Go International"

海外からのメンバー、しかも日本人を迎えるとは、向こうサイドとしても新しい試みだったようですね。お着物姿でギターを抱えた写真での紹介記事。

NCMのサイトには在籍していたメンバーとして名前もリストされてます。 Master List of The New Christy Minstrels

(投稿:日本 2012年12月5日、ハワイ 12月4日)


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