YouTubeがきっかけで、またすてきな曲たち、そしてアルバムに出会ってしまいました。

レス・バクスターの『MOOG ROCK - Greatest Classical Hits』、1968年に発売されたアルバム。その名のとおり、「MOOG(モーグ)シンセサイザー」をふんだんに使ったサウンドが特徴なのですが、このアルバムの魅力は、楽曲のチョイス。おなじみのクラシックの名曲をモーグのサウンドで、レス・バクスター流に。当時、革命的だった「MOOG」、新しい時代の音とクラシックとの融合。レス・バクスターも試しながら、楽しみながらつくったのではないかなというような雰囲気を感じます。

J.S.バッハ平均律第1巻プレリュード1 の「平均律クラヴィーア曲集」第1巻より前奏曲4声のフーガハ長調。はじまりのベース音やドラムがすごくかっいい!動画の雰囲気もあいまってということもあるのですが、とってもおしゃれな感じのサウンドです。

Prelude # 1 in C (J. S. Bach)



そして、こちらは『モスクワの鐘』としてもしられているラフマニノフの『前奏曲 嬰ハ短調』からショパンの『前奏曲集 4番ホ短調』へ。

Les Baxter - Prelude in C# minor (Rachmaninoff)~ and Prelude in E minor(Chopin)




ショパンの『前奏曲集 4番ホ短調』、悲しい響きなのですが、クラシックの原曲も大好きな一曲。
(アントニオ・カルロス・ジョビンのボサノバの「How insensitive(Insensatez)」もこの曲をモチーフに書かれたとか)この『プレリュードEマイナー』のレス・バクスター流サウンドにかなりまいってしまいました。

LES BAXTER CHOPIN Prelude in E Minor、『前奏曲集 4番ホ短調』(先と同じ曲です。動画がなかなか)



『MOOG ROCK - Greatest Classical Hits』、数曲聴いて、あまりにもすばらしかったので、どうしたら入手できるのだろうと調べたところ1995年にマーティン・デニーの『EXOTIC MOOG』(こちらもすてきなアルバム)と二枚組で限定1000枚のCDが発売されていたのですね。ただし、1000枚ですから、CDの入手は困難。

曲目リストをみたら、ますます..
どうしても全曲聴きたくなってしまい。mp3とかだったら簡単に購入できるのですね。

『MOOG ROCK - Greatest Classical Hits』
 1.Borodin-Nocturne (Alexander Borodin)
 2.Prelude C# Minor (Sergei Vasilyevich Rachmaninoff)
 3.Fantasie Impromptu (Frédéric Chopin)
 4. 2nd Piano Concerto (Sergei Vasilyevich Rachmaninoff)
 5.Piano Concerto (Edvard Grieg)
 6.Polevitzian Dance (Alexander Borodin)
 7. Prelude In E Minor (Frédéric Chopin)
 8. Claire De Lune (Claude Debussy)
 9. Prelude In C (Johann Sebastian Bach)
 10.Prelude In E (Frédéric Chopin)

(投稿:日本 2010年3月29日、ハワイ 3月28日)


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本日のニュースで、しばたはつみさんが、3月27日に急性心筋梗塞でお亡くなりになられたということを知りました。小さなころから米軍キャンプなどで歌い始め、11歳でスマイリー小原とスカイライナーズの専属歌手に。その後、CMソングなどでも活躍。

わたしが、しばたはつみさんの歌を聴いていたのは、SEIKO提供の音楽番組『サウンド・イン "S"』。視ていたころは、小学生・中学生ぐらい、だいぶ長いことたってしまっていたので、すぐには番組名を思い出せなかったのですが、大人な雰囲気で、かつ幅広い世代が楽しめるすてきな番組でした。

わたしの記憶に強く残っているのは、伊東ゆかりさん司会時代。しばたはつみさんは、番組開始から終了までレギュラーで出演されてました。世良譲さんのピアノも印象的、音楽監修もなさってたんですね。

渡辺真知子・伊東ゆかり・しばたはつみの歌唱による「アイ・ラブ・パリス (I Love Paris)」 (1979.02)



しばたはつみさんといえば、『ラグジュアリー・ナイト』(作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお)。『第28回NHK紅白歌合戦』に出場したときのもの。ピアノは世良譲さん。



そして、きょうは大野雄二さん参加のアルバム『シンガーレディ』(1975年、11曲中8曲大野雄二さん)の中から数曲聴いてみました。このアルバム、しばたはつみさんらしさと大野さんテイストがたっぷりの曲ばかりですね。

なかでも、『もう一度聞かせて』、すてきです。アルバム・タイトルともなっている『シンガーレディ』は、ソウルフルなサウンドとしばたさんのパワフルなスタイルがかっこいい一曲。

『もう一度聞かせて』



『シンガーレディ』



『ショウガール』



『帰らざる日々』



フランク・シナトラやサミー・ディビスJr.の来日公演でオープニングアクトを務められたんですね。
しばたはつみさん、とってもおとなで、とっても明るくて、かっこよく、すてきなボーカリストでらっしゃいました。

まだ、57歳とお若かったので、とても残念です。
Rest in peace..

(投稿:日本 2010年3月29日、ハワイ 3月28日)


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NHKオンラインの期間限定特設サイト「NHK青春ラジカセ」で聴くことができるラジオ音楽番組『サウンドストリート』も、ついに3月31日で終了ですね。

この特設サイト『サウンドストリート』の放送開始30周年とNHK-FMの40周年を記念して特別に企画されたもの。

NHK青春ラジカセ:
http://www.nhk.or.jp/my-fm-days/

番組を聴くことができるほか、「サンスト年表」では放送関連の動き、サンスト関連アーティストの動き、音楽、文化、流行の動きなどもみることができて、FM雑誌、ウォークマン、レンタルレコード店なども、まさに「青春ラジカセ」。



『サウンドストリート』(Sound Street)、略して「サンスト」は、1978年11月23日から1987年3月20日まで、月曜日 - 金曜日の22時台にNHK-FMで放送されていました。その名のとおり、音楽関連のトピック中心で、松任谷正隆さん、甲斐よしひろさん、渋谷陽一さん、佐野元春さん、坂本龍一さん、山下達郎さん、大沢誉志幸さん、など、日替わりでDJをされていました。烏丸せつこさん、川村恭子さん、森永博志さん、松浦雅也さんも。

わたしもよく聴いていた番組だったので、この企画を知ったときは、とってもうれしくて、やっと聴ける!と。まだまだ聴けると思って油断していたら、もう何日かしかない!ここ数日、いやもっと前から、「まだ全部聴いてない」と気になっていたのですが、外出やら、ほかにチェックするものやら多くて、気になるものを今夜からあわてて聴きだしました :D

さきほど聴いた、坂本龍一さんの第一回めの放送(1981年4月7日分)では、当時、よく一緒に活動をしていたJAPANの話のほかにも、Mやペンギンカフェ(名前の由来とか)、XTCなどの話もあり。ほかにもいろいろ。

NHK「青春ラジカセ」サイトでは、放送日を選んで聴くこともできるし、連続プレイのようにしてつづけてきくことも(全部の放送が残されているのではないです)。いまも「ながら」連続プレイで聴いてます。年代順というわけではないのですが、アップされた順で(曲がカットされていたりするのはちょっと残念ですが)。

いまこのあたり。
佐野元春さん→坂本龍一さん→渋谷陽一さん(クイーン特集)
1978年ですから、まさにクイーンが盛り上がっているころ。メンバーのバックグラウンドなどについて語られています。わたしが、しっかり聴き始めたのもこのころだったかな。

まだ、アップされてる放送の1/7ぐらいしか聴けてません。烏丸せつこさん分で松田優作さん出演なんていうのもあります。
きょうは、寝ながらきいちゃおうかなと。

最近、「ながら族」ってあまり言わないですね。「ながら」があたり前の時代、とりたてていう必要もなくなったということもあるのかな。
こちら「日本俗語辞書」っていうサイトいは1958年の俗語と書いてあります。
「ながら族」http://zokugo-dict.com/21na/nagarazoku.htm
「ながら族」、70年代、80年代はよく使われてましたよね。ラジオ文化のひとつでもあるような。

(投稿:日本 2010年3月27日、ハワイ 3月26日)


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YouTube情報をきっかけに関心をもった昭和戦前ジャズ歌謡シーンでの日系二世歌手の活躍、チェリー・ミヤノさんとヘレン隅田さんは、川畑文子さんやベティ稲田さんにくらべて情報が少ないのですが、「花形流行歌手名鑑」に掲載されていた4名のうち2名と思われ、まずは簡単ながら軌跡をたどってみることができたかと思います。

[チェリー・ミヤノ]
まずは、チェリー・ミヤノさん。チェリーさんは、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ、1935年(昭和10年)にテイチクから『おゝ櫻』でデビュー。

『おゝ櫻』(That's My Baby) 日本語詞:島田磬也、作曲:ウォルター・ドナルドソン(Walter Donaldson)、作詞:ガス・カーン (Gus Kahn)



あの川畑文子さんのお弟子さんだそうです(川畑文子さん自体、活動していたのは若いころですから、そんなに年齢はちがわないのでしょうけれど、そのことからも川畑文子さんのすごさ、そして人気がうかがい知ることができますね)。デビュー曲『おゝ櫻』では、間奏では川畑文子さんがタップでお祝いしたそうです。

『街からの手紙』1937年(Should I)



この曲のオリジナル『Should I』は、ミュージカル映画『Lord Byron of Broadway』のために、Nacio Herb Brownが作曲、Arthur Freedが作詞。日本ではベティ稲田さんも『愛の信号』という題名で歌っているみたいです。

わたしもハワイ日系二世の知り合いはいて、ボキャブラリーのスイッチなどはみられるものの日本語の発音はきわめて母語といってもいいような感じだったですが、チェリー・ミヤノさん、二世にしては片言度が高いような気が。特にナ行の音とかツがスのような...でも、そこがまたなんともかわいい♪お若かったようだし(まだ10代だったのかなぁ)、声もういういしい感じ。師弟関係にあったとはいえ、川畑文子さんとはまた全くちがう雰囲気をもってますね。大好きになってしまいました。CD「昭和ジャズ浪漫」にはチェリー・ミヤノさんの曲が5曲も入っているそうなので、買っちゃおうかなと思ってます。

[ヘレン隅田]
さて、もうひとりの日系二世歌手、ヘレン隅田さん、ソロはもちろんデュエット曲などものこしているのですが、本人画像も含めかなり情報が少なめなのです。

『可愛い眼』(That's My Baby) 日本語詞:佐伯孝夫、作曲:ウォルター・ドナルドソン(Walter Donaldson)、作詞:ガス・カーン (Gus Kahn)



動画画像にある「花形流行歌手名鑑」では、ヘレン隅田さんは17歳(掲載時)とのことで、最年少。チェリー・ミヤノさんは『おゝ櫻』として歌っている『That's My Baby』、『可愛い眼』というタイトルでうたっています。日本語詞は、佐伯孝夫さんという方で、詞の内容もちがいます。

ヘレン隅田さん、個性的ですね。当時、日系二世で趣味のひとつが乗馬というのは、優雅。『可愛い眼』をリリースしたのは16歳のときのはずですが、ずいぶんとおとなっぽい感じ。俳優学校での経験もあるのでしょうね。

デュエット曲ではハワイ日系二世の灰田勝彦さんとのものと、藤山一郎さんとのものをみつけることができました。

灰田勝彦&ヘレン隅田『素敵なロマンス』1937年。
(画像は、映画「續・不良少女」より楽曲とは直接関係なく灰田勝彦さんということで、こちらのものを使ったようですね)



『素敵なロマンス』のオリジナル『A Fine Romance』は、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャース主演の映画「有頂天時代」(Swing Time)のもの。作曲はジェローム・カーン(Jerome Kern)。

藤山一郎&ヘレン隅田『おおドンナ・クララ』1934年(Oh Donna Clara)日本語詞:佐伯孝夫、作曲:イェルシ・ペテルスブルスキー(J.Petersburski)
(こちらも画像はヘレン隅田さんではなく映画「東京ラプソディ」から)



藤山一郎さんのデュエット『おおドンナ・クララ』は、1934年とういうことで、来日して間もないころ。だいぶ感じがちがいます。ミュージカル調の歌い方、演技をしながら、なりきりながら歌うというようなスタイルは、ヘレン隅田の個性として、この後ぐらいからつくりあげられていったものなのかもしれません。

[これから調査]
ロージー・ミヤノ『ピッコリーノ』(The Piccolino - Rosey Miyano)


ロージー・ミヤノさん、チェリーさんとおなじ「ミヤノ」なのですが、姉妹なのでしょうか。動画をアップされている方もご存知ないようです。オリジナル、『The Piccolino』は、フレッド・アステア & ジンジャー・ロジャース主演の映画『トップ・ハット(Top Hat)』の中の歌だそうです。

昭和戦前ジャズ歌謡再生リスト

(投稿:日本 2010年3月25日、ハワイ 3月24日)


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きょうは、昭和ジャズ歌謡、日系二世女性歌手であるベティ稲田さんについて調べてみました。ベティ稲田さんは、アメリカ合衆国、カリフォルニア州生まれの日系二世。フロリダにも住んでいたことがあったようです。昭和8年、20歳のときに、日本へ。日本を拠点に活動を始めたきっかけは、昨日も触れた川畑文子さんへの憧れ。

動画の画像、1935年の「花形流行歌手名鑑」よると、幼いころから、ナイトクラブなどにも出演とのことですので、来日したときはすでに、歌手、エンターテナーとしてのキャリアは長く積んでいたようですね。

来日間もない、1934年の作品、『君なき日』(Hummin to Myself)奥山靉日本語詞、サミー・ファイン作曲、C・ラプハム編曲



こちらも奥山靉さん日本語詞、ミルトン・エイガー作曲で『ハッピー・デイズ』(Happy Days Are Here Again)



『闇夜に口笛吹いて』(Whistling in the Dark)。D・スッセ作曲、日本語詞は、サトウ・ハチローさんなんですね。



ベティさん、ジャズもさることながら、ハワイアン、そしてフラの才能も。ディック・ミネさんの満州慰問公演にも同行。どのぐらいの間かわからないのですが、ディック・ミネさんと結婚されてたのだとか。そして、日系二世であるバッキー白片さん、そしてアロハ・ハワイアンズと活動。日本のハワイアン黎明期を語るには欠かせないひとなのですね。

警察に睨まれながらも、舞台でフラダンスを踊り、「フラはハワイの伝統舞踊よ。英米のダンスじゃないわ」と憲兵を説得したという話も残っているそうです。

『島の唄』(野川香文作詩・キング作曲・紙恭輔編曲) 



わたしも大好きなチャールズ・キング作曲のハワイアンの名曲、『Na Lei O Hawaii』、『島の唄』という日本語タイトルで歌ってらっしゃいました。映画「踊り子日記」の主題歌となったそう。

『夢の島よ』(Hawaiian) 。こちらもハワイアン。



こちらのオリジナルは、ちょっとすぐピンと来ないのですが、ハリウッド系のハワイアンなんでしょうか。(歌詞に「アレコキ」と頻繁にでてきますが、曲の『Alekoki』とはちょっと違うようです。それとも、ハワイアンにたまにありがちな、メロディーが違うバージョンなのでしょうか...)

戦中、そして戦後も、日本で芸能活動を続けたそうです。こちらは1950年の作品。
『チュー・チュー・チュー』(Sioux City Sue)



ベティ稲田さん、もっとたくさんの曲を聴いてみたい。そして、いろいろおもしろいお話もあるようなので、これからもう少し調べていきないなぁと思ってます。

昭和戦前ジャズ歌謡再生リスト

参考にさせていただいたブログ:
Royal Hawaii:戦前のハワイアンアイドル、ベティ稲田
NJAHSのカレンダーから:ベティー・イナダ

(投稿:日本 2010年3月24日、ハワイ 3月23日)


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日本のジャズ歌謡について検索し、調べていくうちに、川畑文子さんの活躍と歩んだ軌跡はすばらしいものだったのだということを知りました。

きっかけは、Twitterでもいろいろな情報をいただいているArappoCaroさんのブログでの戦前歌謡とハワイ出身ミュージシャンの関係や昭和ジャズ歌手であり日本人(東洋人)としてはじめてのアカデミー女優、ナンシー梅木(ミヨシ・ウメキ)さんなど。ナンシー梅木さんなどが活躍される以前、戦前の日本でジャズ歌謡で活躍していたのは、川畑文子さんをはじめとする日系二世の歌手の方たちだったのですね。

『三日月娘』 (Fumiko Kawahata - Shine on Harvest Moon)



この曲および映像は、ジャズ歌謡で「三日月」ものはないかと検索していて出会った曲、『三日月娘』(1933年)。川畑文子さんについて知ることとなったものです。原曲は"Shine on Harvest Moon"で満月ですが、「三日月」。「三日月」も大好きなので、とっても気に入ってしまいました。

そこで、画像はをよくみたところ、1935年「花形流行歌手名鑑」に掲載された情報がとっても惹かれるものでありました。名鑑に掲載されている42人のうち、外国生れの 女性歌手は4人いらっしゃるそうで、川畑文子さんは、そのおひとり。ホノルル生まれ、ロサンゼルス育ちの日系二世!その他の資料もたどり、12歳でダンススクールに入り、すぐに才能を発揮、フレッド・アステアやジンジャー・ロジャースも契約をむすんでいたRKOの専属ダンサーとなり、「琥珀色のジョセフィン・ベイカー」とよばれていたそうです。

その活躍の噂は日本にも伝わっており、1932年にプライベートで日本を訪れた際に各レコード会社や興業会社からオファーを受け、コロンビアからレコードをリリースし(のちテイチクに移籍)、ダンス公演なども。ハイキックなども取り入れていたとのことなので、見ごたえのあるステージだったでしょうね。

そんな画像がある『スイート・ジェニー・リー』(Sweet Jennie Lee)。楽しい曲とちょっと気だるくアンニュイな、歌い方がなんともいえませんね。



その歌声と脚線美はマレーネ・ディートリヒにたとえられいたとか。
『嘆きの天使』(Fall in Love Again)



バートン・クレーンやディック・ミネとのデュエットなどもあります。当時、デュエットソングが日本でも流行だしたのだそうです。

バートン・クレーンと歌う『貴方とならば』(Side By Side)



ディック・ミネとのデュエット『恋は荷物と同じよ』(Love is the Same as Luggage)
古賀政男さんの作曲、日活映画『うら街の交響楽』(1935年)の主題歌。こちらの歌詞にも「三日月」が。



『いろあかり』(In A Shanty In Old Shanty Town)は、来日まもない1933年に『三日月娘』とともに、レコーディングされたデビュー盤



『思い出のハヴァナ』(Siboney)。とっても好きな感じ。



『恋人と呼ばせて』(Let Me Call You Sweetheart)。表情がとてもすてきです。



講談社より、『アリス―ブロードウェイを魅了した天才ダンサー 川畑文子物語』という本が10年ほど前に出版されていたのですね。その際、JAPAN TIMESにはほんの紹介も兼ねた川畑文子さんの記事が掲載されたようで、記事内で古い写真などもみることができます。http://www.bea.hi-ho.ne.jp/norikoshi/alice.htm

すてきな曲がありすぎるのですが、こちらで紹介しきれないので、再生リストをつくってみました。

YouTubeではちょっとみつからなかったのですが、この他にも、ユカレレ・ベビー(Ukelele Baby)やハワイの唄(Song of Hawaii)など、ハワイにちなんだ曲もうたっていたようですね。

情報収集に際していくつかのブログを参考とさせていただきました。
ブルブル ブルース (Blues):女性ボーカル(その22) 川畑文子、または二世達の歌
Royal Hawaii:ブロードウェイのアイドル・・・川畑文子

川畑文子さんは、23歳で結婚とほぼ同時に芸能活動を引退。日本での活動期間、長くはないものたくさんの曲も残し、戦前の日系二世歌手の代表ともいうべき方。2007年に91歳で他界されています。

日系二世歌手としては、ベティ稲田さん、ヘレン隅田さん、チェリー・ミヤノさん、ローズ・ミヤノさんなども活躍されていたようです。宿題として、調べたいと思ってます。

追:川畑文子さん、近日中にCD購入も検討♪

(投稿:日本 2010年3月23日、ハワイ 3月22日)


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日本帰国後、ちょっと予定より長くなってしまった居候生活もそろそろ終了。4月から新しい町での生活を始めることに。もともと東京出身ではあるのですが、山の手線の内側にちゃんと住むのは初めて。あらためて地図を眺めると、いろんな場所、そして皇居や国会議事堂、東京駅、「東京の中枢」はすぐそこなんだなぁということに気づかされます。東京の中枢は丸の内~♪、東京名所を唄った『東京節/パイノパイノパイ』を聴いてみました。



ちょうど高校生ぐらいのとき、CMに使われたこともあり、エノケンがちょっとしたブームに。一番なじみがあるのは、やはり榎本健一さんの『東京節/パイノパイノパイ』。東京の名所が風刺を含めおもしろおかしくうたわれています。

 東京の中枢は丸の内、日比谷公園、両議院
 粋な構えの帝劇に、いかめし館は警視庁
 諸官省ズラリ馬場先門、海上ビルディング 東京駅
 ポッポと出る汽車どこへ行く
 ラメチャンタラ ギッチョンチョンで
 パイノパイノパイ
 パリコとパナナで
 フライ フライ フライ
 
 東京で繁華な浅草は雷門、仲見世、浅草寺
 鳩ポッポに豆売るお婆さん、活動、十二階、花屋敷
 寿司、おこし、牛、天麩羅
 なんだとコンチキショウでお巡りさん
 スリに乞食にカッパライ

『東京節』ともよばれる『パイノパイノパイ』は、演歌師の添田知道(添田さつき)さんによって作詞され、レコードとしては大正時代(1919年)にリリースされ、大流行となった曲。楽譜は明治時代にすでにあったそうなので、添田知道さんによって作詞される前から(神長瞭月さん、作詞ともいわれているようです)、一部ではすでに親しまれていたようですね。

原曲は、ヘンリ・クレイ・ワークによって作られた『ジョージア・マーチ』(Marching Through Georgia)。アメリカ南北戦争時のシャーマン将軍の海への進軍の様子をうたったもの。



この『パイノパイノパイ』、いろいろな方がカヴァーされておるのですが、大正期の日本語でのオリジナル?ヴァージョンのほかに、さまざまな歌詞が存在するのもおもしろいところ。

森山加代子さんの『パイのパイのパイ』。


山から東京にでてきた猿の冒険を描いた内容。田舎から東京にでてきたひとの例えでしょうけれど。2番でカボチャと話しをする不思議さがかわいいですね。

 お山で育った山猿が
 東京の空にあこがれて
 出て来たまでは良いけれど
 電車に自動車オートバイ
 ラッシュアワーの人の波
 これじゃ本当に目が廻る

 ラメチャンタラ ギッチョンチョンデ
 パイノパイノパイ パリコト バナナデ
 フライ フライ フライ

 かぼちゃが八百屋の店先で
 テレビを見ながらいいました
 もしもメロンに生まれたら
 あたしもスターになれたのに
 それを思うと悲しくて
 知らず知らずに泣けるのよ
 (↑ここでも「メロン」。『メロンの気持ち』などもありますが、「メロンにうまれたらあたしもスターになれたのに」とは、当時やはりメロンは特別だったのだなぁということがうかがえます)

 ラーメン、餃子に、肉饅頭
 おしるとあんみつ、ところてん
 クリームソーダにレモネード
 コーヒー、紅茶にアップルパイ
 みんな貰ってよろこんで
 食べるところで目がさめた

最後のくだりは、夢だったということなのですが、なんかおいしそうな『パイのパイのパイ』です。

そして、こどものころのおなじみのバージョンといえばやはりザ・ドリフターズの『ドリフのバイのバイのバイ』。「パ」ではなく「バ」です。



歌われていることはあまりわからず、口ずさんだりしていたのですが、母に叱られてたようね記憶...。
久しぶりに、あらためて聴いてみたのですが、「Do the hustle~♪」。ヴァン・マッコイの『The Hustle』が織り込まれているのですね。

『The Hustle』



そのほかにもたくさんの方がカヴァー、CMでも使われたりしています。
情報はWikipedia:パイノパイノパイを参考にしました。にはカヴァー・リストなどもあり。

(日本:3月22日、ハワイ:3月21日)


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きょうは、先日YouTubeでみつけた映像から知ることとなった、伝説の音楽番組『セブンスターショー』について調べてみました。

きっかけとなったのはこちらの映像から。ユーミン(荒井由実/ 松任谷由実)とムッシュ(かまやつひろし)がティンパン・アレイ(Tin Pan Alley)をバックに歌う『フリフリ』~『バンバンバン』。



すぐには、この映像が『セブンスターショー』からのものだということはわからなかったのですが、番組のオープニング映像にたどりつき、この番組を知ったのでした。

『セブンスターショー』は、番組タイトルにあるように、「セブンスター」の日本専売公社(現・JT 日本たばこ産業)提供で放送された特別音楽番組。いまから34年前、1976年2月15日から3月28日まで7回にわたり、日曜日の夜1時間半、TBSで放送されたそうです。

番組の内容を調べるにあたり、ブログ「だからPA屋なんですってば:伝説の音楽番組 「セブンスターショー」 を知ってるか?」を参考にさせていただきました。

この番組、7回それぞれに出演された方がびっくりしてしまうぐらいとっても豪華だったんですね!しかも演出は、久世光彦 さん!

映像は、ユーミン、ムッシュ&ティンパン・アレイの回からなのですが、オープニングには、各回出演者の紹介あり。

セブンスターショー・オープニング~ユーミン、ムッシュ&ティンパン・アレイ『サマーガール』。



『セブンスターショー』については、「テレビ探偵団」第23回(1987年04月26日)、かまやつひろしさんがゲスト出演されたときにもとりあげられていたようですね。ムッシュと朝井泉さん(泉麻人)とのお話で、先の『サマーガール』、ティンパン・アレイがメジャー番組でなんだかイメージとちがうことをしたということで横須賀のファンクラブが解散してしまったというようなエピソードも聞けました。

映像、ここには全部のせることができなそうなので、ユーミン、ムッシュ&ティンパン・アレイの回から数シーン、そしてその他のシンガー、ミュージシャンの方のものを。

『ルージュの伝言』。ティンパン・アレイのメンバー紹介なども。この曲だけではないのですが、番組とおし、コーラスの方もなかなか雰囲気を盛り上げてくれています。



ムッシュによる『中央フリーウェイ』。



この映像、わたし、以前にも紹介してました。どうやら、そのときすでに、この番組名をあげていたようなのですが、まさかこんなすごい番組だとは思わなかったのでしょうね。「この曲はユーミンがムッシュのために書いたものです。心がこもっているかしら・・・。」とあるとおり、『中央フリーウェイ』ってもともとはかまやつひろしさが歌うはずだったそうですね。全くしりませんでした。前に書いたときは、このテロップには気づいていたのですが、ジョークなのかなぁと思ってたのですよね。

そしてこちらが、ムッシュからユーミンへお返しの『楽しいバス旅行』。アレンジもすてきです。「乗り換えなしのバスなんですって」



ムッシュによるメドレー。『仁義なき斗い』、『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』、『ロンドン急行』。



ほかにも楽しい映像がたくさんあったので再生リストにしてみました「セブンスターショー

そして、その他の出演者の方。
まずは第一回目に登場だったジュリー!沢田研二さん(多分『セブンスターショー』からだと思います)。ジュリー主演の同局ドラマ『悪魔のようなあいつ』(以前に書いた記事)の可門良として歌う『時の過ぎゆくままに』。このドラマも久世光彦さんプロデュースだったんですよね。



『いくつかの場面』作詞、作曲:河島英五さん、編曲:大野克夫さん



いいですね。第一回放送の最後の曲です。『時の過ぎゆくままに』が収録されているアルバム『いくつかの場面』でも、こちらがラストソング。番組の話からちょっとそれますが、このアルバム、井上堯之バンド以外に、細野晴臣さん、鈴木茂さん、林立夫さん(3/4ティンパン・アレイ)、山下達郎さんも参加しているそうです。

最終回登場は、吉田拓郎さんでした。『ガラスの言葉』



出演者は以下のとおりです。
 第1回 1976年2月15日  沢田研二
 第2回 1976年2月22日  森進一
 第3回 1976年2月29日  西城秀樹
 第4回 1976年3月7日  布施明
 第5回 1976年3月14日  かまやつひろし&荒井由実
 第6回 1976年3月21日  五木ひろし
 第7回 1976年3月28日  吉田拓郎

布施明さんのもすごく視たいのですが、映像がちょっとみつかりませんでした。

(投稿:日本 2010年3月18日、ハワイ 3月17日)


ジュリーもの中心、再生リスト(ユーミンのはなくなっちゃったみたいですね、残念)



(投稿:日本 2011年2月28日、ハワイ 2月27日)


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きょう、3月17日は安井かずみさんの命日だったんですね。先ほど、Twitterでしりました。このブログでも安井かずみさんの作品は何曲もとりあげているのですが、安井さんが残した作品の数は4000曲近く、まだほんの一部でしかありません。

安井かずみさん(1939年1月12日 - 1994年3月17日、初期は 「みナみカズみ」という名前でも)日本を代表作詞家ですよね。公私にわたるパートナーであった加藤和彦さんとの17年間の結婚生活、共同制作では、エッセイなどもたくさん。

わたしのような者からはもちろん、お仕事仲間からも憧れの存在であったすてきな女性。いろいろなストーリーが語られています(書ききれないとおもうので、こちら)。お友だちのみなさんからは、「ZUZU(ズズ)」と呼ばれていた安井かずみさん。

安井かずみさんの『ZUZU』(1970年10月発表)から2曲。

ZUZUさんの画像とともに。
『Pour Quoi(Pourquoi/プール・コワ)』作詞:安井かずみ、曲:かまやつひろし、編曲:井上孝之



ボッサでメローな『わるいくせ』作詞:安井かずみ、村井邦彦
(動画追加 6/3 加藤和彦さんとのすてきな写真)



アルバム『ZUZU』は、ご12人のご友人、ミュージシャンとZUZUさん共に作った曲をご本人が歌った唯一のアルバムです。

曲目リスト:
1. わるいくせ(村井邦彦)
2. 過ぎゆく日々(加瀬邦彦)
3. その時では遅すぎる(マモル・マヌー)
4. 見知らぬ人(西郷輝彦)
5. 愛の時(鈴木邦彦)
6. プール・コワ(かまやつひろし)
7. あたしには何もない(平尾昌晃)
8. ビアフラの戦い(沢田研二)
9. 今日までのこと(なかにし礼)
10. 追憶のスペイン(布施明)
11. 九月の終わり(石坂浩二)
12. 風の方向(日野晧正)

1999年にCDとなって再販されているのですが、(現在は入手困難)、残念ながら、このときは日本に居なかったので。こちらもどうしても手元において置きたい一枚。とっても欲しいのです。

先日、ラジオ「爆笑の問題、日曜サンデー」で安井かずみさんの特集で、ムッシュ(かまやつひろしさん)が安井かずみさんの詞に関しておっしゃていた「自分のつくる詞は、自分の子」という言葉が忘れられません。

安井かずみさん出演のテレビ映像:
おしゃれ:加藤和彦さんともに出演
安井かずみさん、ジュリーを語る

(投稿:日本 2010年3月17日、ハワイ 3月16日)


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今日も『東京人 2007年 12月号~特集:昭和30年代テレビCMが見せた夢』を読んで、初めて知ったことを。こどものころからおなじみのロングランなCM、何気なく視ていたものの制作ばなしを知るのは、とてもおもしろいことですね。

泉麻人さんがお書きになっているトピックで、番組とセットになって記憶に残っているCMというものがありました。CMと番組はまさにセットとなって覚えているのですよね!

昭和30年代から40年代、企業の社屋を空撮というジングルがよくみられたものですが、その中で代表的なのがロート製薬。ロート製薬のコマーシャルって、そうまさに「アップダウンクイズ」とともに刻みこまれています。

ロート製薬 歴代オープニングキャッチ



「アップダウンクイズ」のオープニング時に放送されていたロート製薬のCM
作曲:津野陽二

 ロート、ロート、ロート
 ロート、ロート、ロート
 ロート製薬~ ♪

という正しい感じの女性コーラスでおなじみですが、昭和37年からモノクロで放送(モノクロ版は映像にはありませんが)、昭和40年からカラー、現在も放送。現在は実写ではないのですよね。いつからかわったんでしょうか、いまでも昔の実写のイメージがかなり強いのですが。

こどものころ、このロートのコマーシャル、歌も映像も大好きでした。こどもが好むようなアニメなどという訳ではないのですけれど、鳩が飛び立ち、旋回する映像、心惹かれるものがありました。建物前の大きな池もポイントでしょうか。

大阪の本社屋上に鳩舎をかまえ、たくさんの鳩を飼って女子社員さんが毎日エサをあげて飼育していたそうです。そして、澄んだ青空を待ち、半年がかりで撮影。
そのような話を知り、こうしてみてみると、またさらなる思いがわいています。

こどものころ、このCMだけでなく鳩を使ったもの、多かったような気がします。鳩のイメージってこどものころの記憶へと。

そして、こちらは、ロートの看板商品でもあるVロートのCM。

ロート製薬「Vロート」CM 昭和39~41年



 V、VさそうVロート
 疲れた目にはVロート
 右の目、左の目
 V、Vロート、Vロート
 目~を若くいきい~きと
 明る~くさわやかに♪

このCMに出演されているのは、高見リサさん。高見リサさんは、鳩山邦夫夫人である高見エミリーさんのお姉さまでらっしゃいます。1960年代、ハーフモデルとして活躍されてました。といっても実際は、わたくしは、このCMみていなのですが、鳩山邦夫夫人ということで、かなり以前から。リサさんはブリジストン、石橋ファミリーの石橋寛さん夫人。鳩山家と石橋家は親戚関係にありますから、結婚したあとも同じファミリー(広い意味で)なんですよね。

夏の海岸編、遊園地編、湖編、ハイキング編、スキー編といろいろありますが、高見リサさん健康的な感じで、とってもかわいいモデルさんです。

(投稿:日本 2010年3月16日、ハワイ 3月15日)


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先日、バックナンバーで入手した『東京人 2007年 12月号~特集:昭和30年代テレビCMが見せた夢』、先日読みおえましたので、覚えているうちにちょっとまとめておこうかなと。今週は、こちらの特集で取り上げられていたCMなどをふり返ってみようと思っています。生まれる前のものだったりするのでリアルタイムではみてないのですが、こどものころ、アンクルトリスの広告はよく目にした記憶がありです。その後、CMの特集で雑誌やテレビでみてました。

まずは、表紙にもなっていた「アンクルトリス」。「アンクルトリス」はサントリー(旧:寿屋)のウィスキー「トリス」のおなじみのCMキャラクター。柳原良平さんが描くイラストをアニメーションにしたこのシリーズは昭和を代表するテレビコマーシャルですね。この特集の中で、柳原さんもおっしゃっているとおり、いまのCMより長く、みておもしろいストーリー仕立て。

こちらはかなり初期のもの。短めの作品ですが、街灯のある夜の雰囲気と音楽がなんともいえなくかっこいいです!



「トリスでハワイ~トリスを飲んでハワイに行こう」、1961年(昭和36年)



海外渡航自由化前夜のCMです。当選すると積立預金証書があたり自由化後にハワイ旅行にいけるというもの(「トリスをのんでハワイに行こう」以前にも書いてます)。アンクルトリスのバケーション・シーンが大好きです。

そして、この時代らしく、西部舞台にしたウェスタン調のものも多いですね。



このあたりになると背景も柳原さんが描いていたそうで、CMも長めで、初期のものより凝った感じになっています。誌面で紹介されていたものとはことなるのですが。「悪は滅び、善は栄えるのたとえ、いい人だけが飲む、いいウィスキー『トリス』」。「よっ、大統領!」という掛け声がいい感じです。こちらも1965年(昭和40年)ぐらいのものでしょうか。

インディアン戦争編



アンクルトリスがトリスをおごって、米軍騎兵隊とインディアンの仲をとりもつというお話。「トリスは平和の印、男のサケ」。チャンバラ風の音楽と最後の手締めがとっても粋。

チンドン編、1967年(昭和42年)



こちらは2003年にリバイバルとなったCM。



そのほかにもたくさんの名作があると思いますが、尾道にある「アンクル船長の館」では、アンクルトリスのCM全作品と原画、サントリーの広報誌「洋酒天国」など、「トリスバー」でトリスを飲みながら鑑賞できるそうです。今度行ってみたいなぁと思ってます。

今回、トリスについて調べてみて初めて知ったこと。
トリス・ウィスキーは、1919年(大正8年)にデビュー。
トリスってウィスキーだけじゃなかったんですね。サントリーのトリス年表で知ったのですが、大正末期、昭和初期にはトリスソースや、トリスカレー、胡椒、紅茶なんかもあったそうです。

トリス年表より:
「莫大な費用をつぎ込んで始めたウイスキーづくりだが、仕込んだ原酒が熟成し、世に出て認められるまでには長い時間がかかる。そこでウイスキーが軌道に乗るまでの間の資金調達のため、さまざまな分野の新商品が次々に登場した。このとき誕生したトリスブランド商品は、『トリスソース』『トリスカレー』『トリス胡椒』『トリス紅茶』などがある。」

1958年(昭和33年)、アンクルトリスが誕生。このころには、トリスバーがサラリーマンのとまり木として繁華街、盛り場に続々オープン、だそうです。

サントリーのサイト、トリスと広告では雑誌広告などもみることができます。

柳原良平さんは、イラストレーター、アニメーション作家でありますが、広告などの仕事のスタートはサントリー宣伝部から。ほかにもそんな例があったりすのでが、当時の企業は、社の宣伝部にすばらしい才能のある方をもち、そして輩出してますね。

(投稿:日本 2010年3月15日、ハワイ 3月14日)


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きょう、午後のひとときに聴きたいなぁと思って何となくチョイスしたザ・ピーナッツの『スクスク』、歌詞の一節が気になりだしてしまったことをきっかけに、「スクスク」って何だろうなどいろいろ気になりだしてしまいました。よい機会だからちょっと調べてみることに。(基本的な情報はWikipedia:スク・スクより)



日本語詞:音羽たかし 原曲:Taratenos Rojas-F.Bonitay.A.Ferreri(ボリビア)
編曲:宮川 泰 演奏:キング・シンフォネット
台詞:スマイリー小原

 「Come on doin' SUCU SUCU~」

 ヤーイ、ヤイ、ヤイ
 みんな好き
 スクスクのリズム
 ア、ヤイヤイヤイ
 スクスクのおどり

 どこからきたやらスクスクのリズム
 世界中どこでもスクスクばやり

 一度おぼえたらもうやめられぬ (←※この一節が気になりだしたきっかけ)
 麻薬によく似た、スクスクの味

 「エクスキューズ・ミー」(ザ・ピーナッツ:P)
 「Ye~s, Peanuts」(スマイリー小原)
 「スクスクって一体なんなの」(P)
 「It's very simple. You must feel yourself」
 「ふーん、体で感じなきゃダメなのね」 
 「You're right. Come on doin' sucu sucu」

 やっとわかってきたわ
 なんとまぁふしぎ
 雲をふむようなスクスクの気持ち


「一度おぼえたらもうやめられぬ」、「麻薬によく似た」という表現がいまではちょっとありえない感じですよね。まったくもって気にせずに使った表現なのでしょうが(そこがまた時代です)、そうして気にすると他の表現もつなげて気になってしまったり :D その後、あたらしめのヴァージョンでは「なんともいえないスクスクの味」となっているようです。

ザ・ピーナッツとスマイリー小原(Smily Ohara)さんのかけ合いもいいですよね。スマイリー小原さん、あらためてかっこいいなぁと。

当時、日本の音楽業界、とくにナベプロは「スクスク」(リズム)をドドンパやパチャンガともに三大リズムとして打ち出していくという意向があり、ザ・ピーナッツのシングル『スクスク』にも「スマイリー流スクスクの基本ステップ図解」というものがのっていたり、音楽雑誌とともにブームの仕掛けを図ってとか。こちらでステップをみることができます。

『スクスク』、楽しくてすてきな曲ですよね。調べているうちにもっと好きになってきました。「やっとわかってきたわ...スクスクの気持ち」という感じです。

ヨーロッパ中心にヒットしたようですが、さまざまな国でカヴァーされた『スクスク』、ほかのヴァージョンも聴いてみました。数がとっても多いので、その中からいくつか。

Nina & Frederik - Sucu Sucu(1961年)
ニナ&フレデリックはデンマークのデュオ。「スクスクって何?」のかけ合いもあり。このヴァージョンをベースにしているカヴァーが多いようです。



潘迪華(レベッカ・パン) - Sucu Sucu 甜甜蜜蜜 (196x年)
香港の女優・歌手のレベッカ・パンさんもカヴァーしていました。この方はほかにもさまざまなポップスや外国曲をカヴァー。(潘迪華(レベッカ・パン)



Alberto Cortez- Sucu Sucu (1963年)
アルゼンチンのシンガーです。オルガンとハンドクラップがいいですね。



Tono Quirazco - Sucu Sucu
トーニョ・キラスコにによるスカ・ヴァージョン。スカといってもちょっとサーフっぽい感じのエレキギターありで、とってもユニークなアレンジ。



日本では、西田佐知子さん、カテリーナ・ヴァレンティのものもあるのだそうですが。こちらはみつかりませんでした。


(投稿:日本 2010年3月14日、ハワイ 3月13日)


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細野晴臣さん作詞、作曲の『北京DUCK(北京DUCK)』、初めて聴いたのは多分中学1年生か2年生のとき。大好きな曲のひとつです。

この曲、一番初めに聴いたのはこのヴァージョンは、ティンパン・アレイのアルバム『Yellow Magic Carnival』に収録されてたものだったんだ!細野晴臣さんのソロアルバム、『トロピカルダンディー』で聴いたのが最初だとばっかり思っていたのですが、先日、この小林克哉さんDJ入りのものを聴いて、「あっ、これだった!」と。そんなこといろいろと思い出していたら、どうしても、このアルバム『Yellow Magic Carnival』が欲しくなってきてしまいました。(1995年にCDとして再販となったようなのですが、残念ながら現在は...それでも購入は検討)。

ティンパン・アレイ(メンバー:細野晴臣さん、松任谷正隆さん、鈴木茂さん、林立夫さん)、いま考えると、このアルバムはエキゾティカの道への道しるべともいえるようなものだったのかもしれません。細野さんの70年代のソロもこのすぐあとに聴き始め。

このアルバム、そしてティンパン・アレイのサウンドを聴いたきっかけは、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の『OMIYAGE』から(小学館GORO別冊でした)。写真やディスコグラフィー、交流関係いろんな情報がつまっていて、それをもとにいろんなレコードをたどってました。

『Yellow Magic Carnival』、なんといっても小林克哉さんのDJがいいんですよね。参加ミュージシャンの方々もすごい!この時代が参加ミュージシャンの関係、かなりミックスしているので、サウンドにもでてますよね。そんなところも、この頃のサウンドが好きな所以かもれません。

曲目リスト:
1. YELLOW MAGIC CARNIVAL/ 2. 北京DUCK/ 3. 絹街道/ 4. 蝶々- San/5. 香港Blues/ 6.“Sayonara”The Japanese Farewell Song/ 7. CHATTANOOGA CHOO CHOO/ 8. 砂の女/ 9. ソバカスのある少女/ 10. 100ワットの恋人/ 11. JACKSON/ 12. Hong Kong Night Sight

以前、映画『スージー・ウォンの世界~The World Of Suzie Wong』との関係も書いてみた松任谷正隆さんの『ホンコン・ナイト・サイト(Hong King Night Sight)』も収録されています。

編集盤が発売されたのは1980年ですが、『北京DUCK』自体はもっと以前。この映像はティンパン・アレイの横浜中華街でのライブ。



横浜、光る街、雨が降る
まるで古い映画さ
"Singin' in the Rain"
雨男唄う

赤い靴、履いた君は
異人さんにでも連れられて
迷いこむよ、このチャイナタウン
辺りは火の海

慌てて逃げるアヒル
火事は ボゥボゥボゥ、カンカンカンウゥゥ
赤く燃える街逃げる
あれはきっと北京ダック

横浜、光る街、火が昇る
まるで夢の中、このチャイナタウン
辺りは 火の海

(略)

雨と燃える炎、背中に受けて、逃げる
君の胸にはしっかり
それはあの北京ダック

[チャイナタウン:中華街の火事]
きょう、電車の中で読んでいた東京人のバックナンバー(2007年12月号)に熊田千佳慕さんのお話があり、横浜のについてのことが多かったので、なにか横浜にちなんだ曲をと、『北京DUCK』を聴きたくなり何気なくiPhoneで。
そして、あらためて感じたのですが、あらためて歌詞にじっくり耳をかたむけると少しちがって聴こえました。曲の背景についてはよくわからないのですけれど。
横浜も関東大震災や昭和25年5月29日に大空襲にあっているのですよね。中華街も一面、火の海と化してしまったそうです。

横浜中華街ホームページ:中華街小故事:中華街 今昔(前編、後編)
http://www.chinatown.or.jp/fact/column/1269
http://www.chinatown.or.jp/fact/column/1268

(投稿:日本 2010年3月12日、ハワイ 3月11日)


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きょうは、DictionaryとURBAN RESEARCHのコラボ企画「URBAN RESEARCH LOUNGE」のART SHOOLというライブイベントをUStreamで視聴。ゲストは中西俊夫さんとヒロ杉山さんでした。実際の参加はできなかったのでUST参加。イベント中に作品を描くという企画ですが、トークもあり、中西俊夫さんプラスチックス時代のTシャツ制作の話なども聞くことができました。

そんな中、会場にきていた方に(みなさん若いんでしょうね)、「プラスチックス知ってる方~?」と聞いたところ、知らないという方もいたようでした。わたしからするとそのことがちょっとびっくりでした。

Plastics - Top Secret Man



プラスチックス(PLASTICS)は、中西俊夫さん、佐藤チカさん、立花ハジメさん、佐久間正英さん、島武実さんというメンバーだった1970年代末(結成、1976年、メジャーデビュー、1978年)を中心に活動していたテクノポップバンドです。この度、再々結成ということですので、現在は活動中ということでよいのでしょうか。

「トットットットッ..トップシークレット」
このあたり特徴的です。
「コピコピコピコピコ」

プラスティックの音は「ピコピコ」などとも呼ばれてましたね。

PLASTICS - COPY



プラスチックスは、ミュージシャンでありながらも、それぞれの職業をもっていて、そこから生まれる発想の新しさやかっこよさが「プラスティックスらしさ」だったのだと思います。中西俊夫さんはイラストレーター、佐藤チカさんはスタイリスト、立花ハジメさんはグラフィックデザイナー、この3人に佐久間さんや島さんが加わったという。いままで知らなかったのですが、作詞家である島さん、リズムボックスとしての加入の理由は、インベーダー(スペースインベーダー)がうまいから=ボタンを押すのがうまい、だったそうです。(Wikipedia:プラスチックス

海外ツアーなどもおこなったりしていましたが、1981年に解散し、中西さんとチカさんはメロン (MELON) 、立花ハジメさんはソロで活動、佐久間さんはプロデュース、島さんは作詞と別々の道に。

1988年に一度ライブで再結成。現在はライブなどもやってるようですね。そして、このところ中西俊夫さん、立花ハジメさん、佐久間正英さんのほか屋敷 豪太さんも参加で、また活動。


[コンピューターの時代]
プラスチックスってコンピューターがまさにイメージでした。
今回のイベント、イラストとコンピューターでのデザイン、コンピューターでの「描く」の表現できない面などの話にもなったりしましたが、そこから少しいろいろなことを考えてみました。
英語という普遍語がどんどん主流になっていき、その国の言語の大切さを見つめなおさなくてはいけなくなってしまったこと、文化のこと、など。
それでも日本の流行や現代文化は「不思議」とか「特殊」といわれているのはもしかしてみんなが英語できるようになったら変わっちゃうのかな、とか。
そして、ちょっとずれてしまうのかもしれませんが、コンピューター→ネットという発想で...
以前のように、そこにいかないと同じ感覚をもったひとがいないというような特別な社交場というか集まりの場がなくなってしまったのもある種インターネットなどのせいもあるのかななどと思うのですが、
いまや行けぬ身、ネット上で自分が探しているものを探せたり、共有できることはわたしにとってはかなり大きな意味があること。
少々の予定をずらせば、参加できますし。いくつになっても。
ただ、誰でもそれができるということでセレクトされてる感や特別感はうすれてはいるというのも事実だとは思います。
始めからそれが当たり前という世代はどういう風になっていくのか、また新しい変化をみていくことができるわけではありますが。(自分では過程がある世代でよかったとは思うけど、だからいまの方法で受身でなく自分のものを探せるという。だからこそ、自分にあった使い方も考えていけるとか)

(投稿:日本 2010年3月11日、ハワイ 3月10日)


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先日から気にしている、ハリー・ウォーレンとモート・ディクソン『NAGASAKI (ナガサキ)」: "モート・ディクソン"この曲が使われているアニメをみつけることができました。

ワーナー系(ワーナー・ブラザーズ)の『Tin Alley Cats』というもので、黒人をモデルとした猫たち登場するアフリカン・アメリカン文化やジャズやゴスペルなどのミュージックが満載アニメ。



『By the Light of the Silvery Moon』で始まり、クラブでのシーンで演奏されているのが『NAGASAKI』。このアニメで登場しているキャッツのキャラクター、ジャズ・ミュージシャンたちがモデルとなっていて、ピアノを弾いているのはファッツ・ウォーラー(Fats Waller)、トランペットはルイ・アームストロング(Louis Armstrong)。

メリー・メロディーズの[クリーン・パスチャーズ」(Merrie Melodies: Clean Pastures)。ディズニーの「シリー・シンフォニー」にギャグを加えたようなもののようです。こちらにも『NAGASAKI』が。Paradice (パラダイス)ならぬPairODice(Pair Of Dice=2ペアのサイコロ)というのがいわゆるクラブでのギャンブルがらみの背景があるのでしょうね。このあたりは、まだまだ要修行。



その後、また『NAGASAKI』、のこともう少し調べてみたのですが、まだまだ勉強不足。歌詞などをみて、わかってきたかなぁと思うことは、『FUJIYAMA MAMA』は間違いなく『NAGASAKI』から派生したものだろうということと、そして、1920年代、上海、ホノルルとならび、日本人であるわたしたちが思う以上に、長崎はとってもエキゾチックなイメージのある港町だったということ。そして、長崎の海外でのイメージを最初に与えたのは、時代はさらに前になるもののプッチーニのオペラ『蝶々夫人(Madama Butterfly)』のようですね。

こちらは「Tin Pan Alley Cats」のモデルにもなっているファッツ・ウォーラーの『ハニー・サックル・ローズ』

Fats Waller - Honeysuckle Rose (Soundie)




[ティンパン・アレイ]
ティン・パン・アレー(Tin Pan Alley)とは、もともとはアメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタンの28丁目のブロードウェイと6番街に挟まれたあたり、1800年代後半にブロードウェイのミュージカルの音楽に関係する会社、楽譜出版社、演奏者のエージェントなどが集まっていた場所です。
「それぞれの会社で、楽曲の試演を行っていたため、まるで鍋釜でも叩いているような賑やかな状態だった。このことから、この名前(Tin Pan Alley, 錫鍋小路とでも訳すべきか?)がついた。」そうです。(Wikipedia:ティンパン・アレイ

日本のティンパン・アレイ(細野晴臣さん、鈴木茂さん、林立夫さん、松任谷正隆さん)の由来はこのティンパン・アレイからなのですが、細野さんは漫画もお描きになってようですし、ティンパン・アレイ系のミュージックはもちろん、ワーナーあたりのアニメなどもお好きだったのかもしれませんね。

(ティンパンアレイ・キャッツ、アフリカン・アメリカン文化へのステレオタイプ的イメージが強いということで、ワーナーのシリーズでも、市民権運動以後、多くは公開されていないようです。)

(投稿:日本 2010年3月10日、ハワイ 3月9日)


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3月9日はバービー(Babie)の誕生日なんですね。1959年(昭和34年)、51年前のきょう、ニューヨークで開催された国際おもちゃフェアでデビュー。バービーの本名はバーバラ・ミリセント・ロバーツ(Barbara Millicent Roberts)、年齢17歳のファッションモデル。

まず最初の映像は、アメリカで放送されて最初のバービーCM。このたび初めて知ったのですが、バービーはアメリカ、マテル社のファッションドールですが、初期の生産は日本でおこなわれていたそうです。日本でも着せ替え人形でおなじみのリカちゃんが生まれる前の1962年に発売され、その後、なくなったり、リバイバルしたり、いまは日本のマテル社から販売されてます。

誕生から現在まで10億体近く販売されたそうですが、時代によるファッションやそのルックスの変化をみるのも楽しいです。ボーイフレンドやともだち、家や小物いろいろとラインアップが増えていく経過も。

バービーのボーイフレンドはケン(Ken)、バービー発売から2年後の1961年にデビュー。こちらはケンの最初のCMです。



こちらは、バービーの友だちフランシーとケイシー(1967年)



1973年、バービーとケンのヘアスタイルもの。



70年代にはちょっとおもしろいヴァージョンもでてきたようです。バービーのヘアスタイルをかえて遊べるというものですが、モッズルックのケン、ひげやもみあげもつけて遊べるっていうのが時代を感じます。というか、アメリカの幼きガールズはこういうルックも好きだったんでしょうか。ケンがバービーをかかえあげているのもかなり文化のちがいを感じます。

時代は戻り、60年代ですが、お家セットとかだけではなく、シアターセットなどもあったのですね。舞台裏って大好きだったので、このシアターセットはこどものころにあったらかなり欲しかったかと。



最後になりますが、バービーを生んだマテル社の創業者、エリオット&ルース・ハンドラーさんのインタビュー。



バービーはおふたりが娘のバーバラさんに買ってあげたお人形をモデルにし、さまざまなイメージはお嬢さんをみていて浮かんだものなのだそうです。初めと2:50あたりにあるマテル社の短いCMもかわいい:)その後、マテルのほかのおもちゃや歴史とインタビューがつづきます。

日本では、リカちゃんの誕生後しばらくして一度撤退していますが、「ビートルズ旋風で売れ行きをのばした」とあります。スペシャルなバービーがあったんでしょうか、気になります。わが家にはリカちゃんがいましたが、バービーもちゃんといました(もともとは姉のもの)。ただ、ちょっと大柄なバービーはリカちゃんとお洋服の共有はできませんでした。わたしは、こどものころ、けっこうファッションに興味があったのですが、人形関連に関して凝っていたのは家と家具、食器など、どちらかといえば小物派でした。

情報はWikipedia:バービーを参考にさせていただきました。

(投稿:日本 2010年3月9日、ハワイ 3月8日)


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『Nagasaki(ナガサキ)』は、1928年にハリー・ウォーレン(Harry Warren)とモート・ディクソン(Mort Dixon)によって書かれたヒット曲。ウォーレンのメロディー、そして、ディクソンの詞が楽しいナンバー。

いままで、細かい背景など気にしていなかったのですが、「あっ、歌詞に「フジヤマ」そして「ママ」、「ダイナマイト」、「ナガサキ」、「ハリー・ア・ハリケーン」も」。とっても気になり、もっと知りたくなったので、調べてみることに。

1920年代から40年代にかけて、たくさんのアーティストがカヴァーしています。こちらの映像は、1937年、ミルズ・ブラザーズ(Mills Brothers with Norman Brown and John Sr.)のもの。



アメリカでの1920年代エキゾチック・ブームにのりかかれたノベルティっぽいものだったんですね。

Hot gingerbread and dynamite,
Boy, I drink nothing but that each night,
Back in Nagasaki where the fellows chew tobaccky
And the women wicky-wacky-woo!

Aw, man, how they entertain,
I mean, they hurry a hurricane.
Back in Nagasaki where the fellows chew tobaccky
And the women wicky-wacky-woo!

Fujiama, got a mama,
Then your troubles increase, boy!
It's a bottle in a, bottle in a, bottle in a, bottle in a, bottle in a
Nagasaki!

They hug and kiss each night,
By jingo, boys, worth that price!
Back in Nagasaki where the fellows chew tobaccky
And the women wicky-wacky-woo!

Back in Nagasaki where the fellows chew tobaccky
And the women wicky-wacky-woo!

とっても楽しいレッド&ストラッグスの『Nagasaki』。



ジプシーの伝統音楽とスウィング・ジャズを融合させたジプシー・スウィング(マヌーシュ・スウィング)の創始者として知られるジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt)ヴァージョン。また、印象がちがった感じ。



FUJIYAMA MAMA(フジヤマ・ママ)は、きっとこのあたりからのアイデアなのですね。「hurry a hurricane♪」ってハリー細野さん(細野晴臣)も連想。

Wikipedia(英語)などの情報をつなげて調べてみたのですが、たくさんのアニメや映画でも使われているようなので、これからさらに気にしていきたいと思っています。まずはちょっとメモ的。

『Nagasaki』が挿入曲となっている作品:
Friz Freleng's 1937 Merrie Melodies Clean Pastures (ワーナー、アニメ)
Friz Freleng's "products come to life" short, September in the Rain (ワーナー、アニメ)
Bob Clampett's 1943 Warner Brothers cartoon, Tin Pan Alley Cats(ワーナー、アニメ)
My Dream Is Yours (1949) by Doris Day(映画)
Jeeves and Wooster by Hugh Laurie(英コメディー)
ほか

(投稿:日本 2010年3月6日、ハワイ 3月5日)


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きょうは日曜日、70年代の半ば、日曜日の歌といえば田中星児さんの『ビューティフル・サンデー』(オリジナルはダニエル・ブーン)でした。田中星児さんといえばNHK「おかあさんといっしょ」のうたのおにいさん、ステージ『101』、『ビューティフル・サンデー』がテーマともなった「おはよう720(のち、おはよう700)」「キャラバンII」のイメージ。洋楽カヴァーは『カントリー・ロード』ぐらいしか知らなかったのですが、けっこう幅広いジャンルで歌っているのですね。そして自分が歌っているカヴァーはご本人がアレンジというものも多いよう。

ロバータ・フラック(Roberta Flack)の『やさしく歌って(Killing Me Softly)』も歌っているんだということを先日知り、田中星児さんのカヴァーを数曲聴いてみました。

まずは、きっかけとなった『やさしく歌って(Killing Me Softly)』(1973年)作詞:Norman Gimbel、作曲:Charles Fox。 オリジナルの歌詞とは異なる日本語詞、アレンジがどなたなのか現在調査中。アレンジは田中星児さんご自身かもしれませんね。『ビューティフル・サンデー』より前。




『ザッツ・ザ・ウェイ(That's the way)』作詞/作曲:Harry Wayne Casey、Richard Fin。KC & the Sunshine Bandの大ヒット、おなじみのディスコ・サウンド。田中星児さん、カヴァーする選曲にはかなりこだわりがあるようなので、ディスコものもけっこう好きだったのかな。



そして、田中星児さんといえば、やはり、ダニエル・ブーンのカヴァー、『ビューティフル・サンデー』(1976年)作詞:Daniel Boone、作曲:Rod MacQueen、日本語詞:田中星児(参考:トランザムのものは日本語詞、松本隆さん)。販売枚数、80万枚だったんですね。NHKはおなじみでも、この番組は初出場、『第27回NHK紅白歌合戦』より。



ほかのカヴァーは、日本語詞は別の方がされていることが多いようですが、『ビューティフル・サンデー』は田中星児さんが日本語詞を書いたんですね。そして、いろいろ調べてみてあらたにしったこと(Wikipedia:田中星児より)。「もともと「ビューティフルサンデー」は「オー・マリヤーナ」のB面で、田中はオー・マリヤーナの方に歌手生命をかけており、B面をビューティフルサンデーにした理由もスタッフの勧めで、田中も「これでいいか」程度だったが、皮肉にもビューティフルサンデーの方がヒット、本人もこの曲が好きではなかったと語る。だがビューティフルサンデーを歌うと聞いてるお客さんが笑顔になり、元気付けていると考える様になってからは、この曲が大好きになったと語っている。」

A面だった『オー・マリヤーナ(O Marijana)作詞/作曲:V. Paljetak-Sisic-D. Jusic、編曲:田中星児)。たしかにこちら、いろんな方が歌ってるトラディショナルな名曲です。



そのほかシングルでの洋楽カヴァーいろいろ、わりとイメージどおり。番組で使われていたものもありますね。

シングル(全部ではないと思いますけど):
愛の願い Love Me, Please Love Me
(日本語詞:柴野未知、作曲:ミッシェル・ポルナレフ、編曲:東海林修)
パロマ・ブランカ(幸せの白い鳩)
(作詞/作曲:H.ボウエンス、日本語詞:岡田冨美子、編曲:いしだかつのり)
カントリー・ロード ~故郷へ帰りたい(作詞/作曲:J. Denver-B. Danoff-T. Nivert、日本語詞:岡田冨美子、編曲:いしだかつのり)
オリーブの首飾り(TBS系「おはよう700」)(作詞/作曲:C. Morgan、日本語詞:武田全弘訳詩、編曲:いしだかつのり)

(投稿:日本 2010年3月6日、ハワイ 3月5日)


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大空はるみさんの『はるみのムーンライトセレナーデ』、加藤和彦さんプロデュースの1982年のアルバム、聴いてみました。大空はるみさんのジャズ、フュージョン的な要素やボーカルと当時の新しい音の雰囲気がマッチしたすてきな一枚です。

楽曲提供は加藤和彦さん、安井かずみさん、大貫妙子さん、今井裕さん、大村憲司さん、そしてご自身も作詞、加藤和彦さんのソロ・アルバムからのカヴァーもあり。編曲は、清水信之を中心に、大村さんや今井さんの作品は作曲と編曲をそれぞれ。

どの曲もすてきなのですが、中でも、このアルバムのコンセプトにぴったりで、とってもいいなぁと思ったのが大貫妙子さん作詞、作曲もの、『ウィークエンド』と『ロマンサー』。全曲紹介しきれないので、きょうはこの2曲。

『ロマンサー』、作詞/ 作曲:大貫妙子、編曲:清水信之



オールドタイムな雰囲気でありうきうきするようなメロディとアレンジ。大空はるみさんの声にあった(TIME FIVE(タイム・ファイブ)のコーラスもいい)、ちょっとかわいさのあるとってもすてきな曲

とっても聴きやすい感じなのに、何度も聴きたくなるような。この感じは、大貫妙子さんらしさのある音の展開にあるのかもという気がしてきました。
特にこのあたりの音のはこびとか。

退屈だったあたしを
もう一度ときめかせてくれるひとかしら♪

月の光ぬれるま~なざし~に
ふるえている心はいつになく ♪

だれにもささやいてない言葉で
わたしの心をつかまえて ♪

特に3番めの「だれにもささやいてない言葉で」の部分は、詞のメロディー&リズムへののせ方がなんともいえなくよい!これをさらっと、かつちょっと印象残す感じに歌いこなせるのはやはりTAN TANさんだからでしょうね。


『ウィークエンド』作詞/ 作曲:大貫妙子、編曲:清水信之



この曲は、『ロマンサー』より、流れ重視かもしれないのですが、ところどころ。

「あつい~コーヒー」
「かんた~んなさよならを」
「みなみ~かぜまねきいれ」

「毛布にくるまり昼下がりまで」
「ぜい~たく~にときが散歩すれば」

このあたりの流れる感じが、とてもTAN TANさんにあってるし、TAN TANさんだからこそさらにすてきになるという気がしてます。

きょうは土曜日、まさにウィークエンド、今夜はあいにく曇り空、月の明かりはみえませんね。「街灯りでグッドナイ♪」です。CD販売してくれないかなぁ。

アルバムのタイトルにもなっている『MOONLIGHT SERENADE』、『はるみのムーンライトセレナーデ』。作詞:Michell Parish、作曲:Glen Miller、編曲:清水信之



アルバム『はるみのムーンライトセレナーデ』
楽曲提供&参加ミュージシャン:
加藤和彦、安井かずみ、大貫妙子、今井裕、大村憲司、清水信之、鈴木茂、村上秀一、クリス・モスデル、タイム・ファイブ

Side A
1.TED TAXEDO NO THEME
2.はるみのムーンライトセレナーデ   作詞:Michell Parish、作曲:Glen Miller、編曲:清水信之
3.FROM THE MOON BACK TO THE SUN  作詞:大空はるみ、作曲/ 編曲:今井裕
4.レイジーガール   作詞:安井かずみ、作曲:加藤和彦、編曲:清水信之
5.ウィークエンド 作詞/ 作曲:大貫妙子、編曲:清水信之
6.TED TAXEDO NO THEME
Side B
1.壊れたハートの直し方 作詞:安井かずみ、作曲:加藤和彦、編曲:清水信之
2.TODAY   作詞:安井かずみ、作曲:加藤和彦、編曲:清水信之
3.ロマンサー   作詞/ 作曲:大貫妙子、編曲:清水信之
4.雨       作詞:大空はるみ、作曲/ 編曲:大村憲司
5.MELANCHOLY_BLUES  作詞:大空はるみ、作曲/ 編曲:大村憲司

過去の関連もの:
大空はるみ Sho-Jo-Ji (アルバム VIVA)
http://cm-song-movie.blogspot.com/2010/02/sho-jo-ji-viva.html

曲目リストおよび楽曲提供、参加ミュージシャンなどの情報はこちらのサイトを参考にさせていただきました。
MOONLIGHT SERENADE*大空はるみ(TAN TAN)*
http://homepage1.nifty.com/wreckingcrew/artist/ao/oozoraharumi/moonlightserenade.htm

(投稿:日本 2010年3月6日、ハワイ 3月5日)


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NHKドラマ『阿修羅のごとく』のオープニング、わたしにとっての3月の思い出の曲のひとつ。

『阿修羅のごとく』は、1979年に放送(パート2は1980年)された、向田邦子さん脚本、和田勉さん監督の3話ドラマ作品です。ひとつの家庭を舞台とし、向田邦子さんならではの人間ドラマを描いたもの。四姉妹を演じたのは、加藤治子さん、八千草薫さん、いしだあゆみさん、風吹ジュンさん、父親役は佐分利信さん、母役は大路三千緒さん、他に、深水三章さん、宇崎竜童さんも出演されていました。(現在、NHKオンデマンドで視聴できるようですね。
https://www.nhk-ondemand.jp/program/P200900043700000/index.htm

このドラマ、再放送されたのが中学2年の3月、ちょうど入院していたときだったので、とっても記憶にありなのです。そして、このテーマソングがずっと頭の中に。

入院したのは、神田にある古い病院(病院の話、最後にあり。松田優作さんファン聖地です)。一人部屋だったので消灯後もテレビ鑑賞。ちょうど、消灯時間を過ぎるころ、『阿修羅のごとく』が放送。

ただでさえ、この病院、夜はかなり特有の雰囲気。オープニングテーマを暗闇の中、ひとり聴くとなんだか怖さ倍増。特に怖い曲という訳ではないのでしょうが、中学生でしたから。

そういいつつ、当時もかなりこの曲お気に入りでした。

曲のタイトルは、『メフテル(またはメヘテルハーネ=軍楽)「ジェッディン・デデン」 'Ceddin Deden'(祖父も父も)』、トルコの軍楽です。



トルコの軍楽、独特のメロディラインですよね。主に使われる楽器は、ズルナ(チャルメラのような管楽器)とダウル(左手で持ち、右手の撥で叩く太鼓)。その他、管楽器にボル(ラッパ)、打楽器にナッカーレ、キョス(太鼓の類)、体鳴楽器(鳴り物)にズィル(シンバルの原型。仏教の法会(ほうえ)で使う鐃鈸(にょうはち)のようなもの)、チェヴギャーン(いわゆるターキッシュ・クレッセント。音の鳴る杖で、日本では山伏が持つような錫杖に似る)などを用いた。(Wikipedia:メフテル

向田邦子さんは、とても旅がお好きだった方なので、トルコなどにも行かれていたようですね。

[同和病院:いまは無き近代名建築物]
中学2年もあとわずかという三学期、体育の時間後に膝がはずれてしまい、膝蓋骨脱臼。体操は得意だったので、お手本演技など。授業終了マットの後片付け中のことでした。先生もびっくりの大騒ぎ、すぐ帰れるのかと思いきや入院。

わたしの入院していた病院、神田にあった「同和病院」という病院なのですが、近所に「やぶそば」なども。

この病院、松田優作さんのドラマ『探偵物語』の撮影に使われた建物だそうです。いま知りました!なんで気づかなかったのでしょう。そんな聖地に入院していたのですね。
とっても歴史ある建物だということは聞いていたのですが。
その後ずっと気になり、また訪れてみたいと思っていた建物。
平成10年に取り壊されてしまったそうです。いまは別の場所に移転し、名前も変わったそうです。
夜は怖い、怖いと思っていたのですが、当時から古い建物にとても興味があったので、歩けるよういなってから院内探検を楽しんでました。
もともと医師会の倶楽部として建てられたもので、細部の装飾にこだわりがあり、窓のディテールやステンドグラスがとってもすてきだったのです。廊下には彫刻なんかもあったりして、ベッドは漆ぬりの木製。
でも、もう無くなってしまったのですね。とっても残念です。
こちらのサイトで写真などご覧いただけます。

消え た近代建築:同和病院 http://www007.upp.so-net.ne.jp/haikeiroku/douwa.html
近代建築ホームページ:同和病院 http://homepage1.nifty.com/tanboh/15150.htm

(投稿:日本 2010年3月5日、ハワイ 3月4日)

2011年1月14日、この名ドラマ『阿修羅のごとく』の監督をされた和田勉さんがお亡くなりになりました。すばらしい昭和のテレビ人でしたね。
ご冥福をお祈りいたします。(2011年1月)


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2日ほど前から金魚を飼いはじめました。なまえをつけてあげなくちゃ、と思いついたのは「スイミー」。レオ・レオニの絵本の小さなおさかなの「スイミー」もこどもと読んだりしていたのですけれど、鯉ではありますが、吉田飼料の「スイミー」がはじめに浮かんだイメージでした。

スイミースイミーかわいいスイミー
よく食べるスイミー ♪

「金魚にはワンタッチでとっても便利なエンゼル缶、ねっ」。

80年代前半ぐらいのものだったのでしょうか?いつというのはあまり覚えていないのですが、なんだかとっても心に残っていたのです。なぜだろうと思ってちょっと調べたところ「テレビ朝日の藤子アニメの枠内で頻繁に放送されていた(Wikipedia:スイミー 餌料)」とのこと。だからなのですね。

こちらは、鯉のみ。もう少し前のもの(吉田飼料 錦鯉用フードスイミーCM(1979年))



最初のCMに出演しているのは和泉友子さんのようです。

和泉友子 TOMOKO-きみに声かけたくて- A面 青い水平線(1981年6月21日デビュー曲:作詞 片桐和子 作曲・編曲 穂口雄右 )



わたしの金魚スイミーはこんな子(2010年3月2日飼い始め→3月4日現在)。
iPhoneアプリのiQuariumFREEというもの。エサ(エンゼル缶?)もちゃんと。

起動するとポイントがたまって、新しい草やオブジェなど増やしていくことができます。遊んで欲しそうに指の動きにも反応(遊びすぎるとストレスを与えてしまうのでほどほど、なのでしょうか)。

[金魚の思い出]
小さいときに、金魚は何匹か飼っていたことがあるのですが、ちょっと悲しい思い出。
幼稚園の頃、縁日の金魚すくいでとった金魚かわいがってました。けっこう育って、ちょっと大きくなってきたのですが、皮膚の病気にかかってしまったみたいだったのです。かわいそうだなぁと思ったわたしは、「ケガしてる。赤チン(=マーキュロクロム液)つけてあげよう」と水槽に赤チンを投与。どのくらい入れたのでしょうね。しばらくして天に召されてしまいました。

(投稿:日本 2010年3月4日、ハワイ 3月3日)


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