先日にひきつづき、YAMASUKI(YAMASUKI SINGERS)関連のことで。
アルバム『Le Monde Fabuleux Des』収録曲を聴いてたときに、はじめてのはずなのに、なんだかどこかで聴いたような曲が…で。
YAMASUKI:Le Monde Fabuleux Des 収録曲再生リスト

Yamasuki:Aieaoa



この曲、『Aieaoa』、はじめて聴いた気がしない、と思ったら…

バナナラマ(Bananarama)が、『Aie A Mwana アイ・ア・ムアナ』というタイトルで歌ってたのですね。1981年ということで、これ、デビュー曲だったということで。

Bananarama:Aie A Mwana



意外なところでと、さらに気になり深まり、いろいろと調べを。
このバナナラマの『Aie A Mwana』ですが、そもそもはデモとしてレコーディングされたものがそのままデビュー・シングルとなり。

もともとは、1975年にベルギーのコンゴ系移民のグループ、ブラック・ブラッド(Black Blood)が歌っていたもののカヴァーなのだそうですね。アフロビートなディスコものとして、当時もヒットしたようで。Michel Jasparというプロデューサーが、Daniel VangardeとJean Kluger作のYAMASUKIの『Aieaoa』の曲をそのまま生かし(歌詞はもともと意味があるわけではないので^^"the pseudo-Japanese"ですから。でも、SAYONARAとかいってたりします)、ブラック・ブラッドにスワヒリ語で歌わせたのだそう。

Black Blood:A.I.E (Mwana) (1975年)



もともとJean KlugerとDaniel Vangardeは、ダンス・ミュージック的なものがベースにあり、ファンクっぽいものもいろいろとプロデュースされていたり、なかなかに定評のあるしごともされてたみたいなので、こちらのヒットもそうして考えるとなるほどなのですけど、当時、この感じの原アフロ感、あえて「らしさ」をのこしてるという面で、斬新ですよね。
日本でのヒットはどうなのかわからないのですけど、シングルとしての発売もあったようです。

YAMASUKIヴァージョンの『Aieaoa』をオリジナルとするなら、いくつかの再生過程をへているわけですが、ほぼ40年をすぎた、2010年にも再び、だったのですね。曲の、その息の長さに、ちょっとびっくり。
FIFAワールドカップ2010・南アフリカ大会の公式ソングとして、ドイツのテレビ局とスイスのテレビ局で使っていたのだとか。もちろん新しいヴァージョンとなっており、タイトルは『Helele』となっているようで。歌っているのは、Safri Duo & Velileというユニット。ボーカルのVelileは南アフリカ出身、Safri Duoはデンマーク出身のパーカッション・デュオなのだそうです(なので3人組)。

Safri Duo & Velile:Helele
この映像、きっと放送されてたときの感じなのでしょうね。



こちら、曲とインタビュー、映像は、PVのメイキング・オブ…みたいな感じでしょうか



ところで、先日、書きわすれましたが、Daniel Vangardeは、ダフト・パンクのThomas Bangalterのお父さんなのですね。(Daniel Vangardeの姓も、もともと生まれたときは"Bangalter"だったそうです)。ユニークなアイデアは、親子して、系譜ですね。

(投稿:日本 2012年6月22日、ハワイ 6月21日)

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先日、ふと、みつけた、こちらのサウンド☆ ちょっと、というか、かなり、まいってしまっています。
YAMASUKI(YAMASUKI SINGERS)のアルバム『Le Monde Fabuleux Des』。

はじめに聴いたのは、この曲。『Yama Yama』。
何度聴いても、いいのですよねぇ…
コーラス・サウンドとかなりオーヴァー気味のドラム、チャカポコなギター、そして、シャウト。

Yamasuki: Yama Yama (1971年)



日本語らしいのだけど、何を言ってるのかわからぬ不思議感…

1970年代初頭という時代の雰囲気もたっぷり。ロックミュージカルなどにあるような独特の躍動感と魂のさけび的なメッセージを感じるサウンド。

Yamasuki:Kashi Kofima
「タベルコトナイ、ダレカ、ナニモ…」、「トテモ、トテモ、テキトーバカリ…」でしょうか…



Yamasuki:Yamasuki
「ここに七つの形。イヤー!!七つの叫びをしますから形をとってください。嬉しいー!」この部分はどうやら日本語らしいです。「きらい」って聞こえるのは、きっと「気合!」ですかね。
(この動画主、センスありますね。こどもコーラスとこの映像の雰囲気)



ほかにも気になり曲たくさん。

"Yamasuki"、何者?と…調べてみました。

日本語の情報、まったくないという訳ではなかったのですが、どうもこちがかなり詳しそうということで、こちらのサイトを拝見(英語)。
rainbowcurve:Yamasuki: Le Monde Fabuleux Des Yamasuki (1971)

Yamasuki(ヤマスキ)のアルバム、『Le Monde Fabuleux Des Yamasuki』(『Yamasukiの素晴らしい世界』っていう意味ですね)は、1971年に、二人のファンク・プロデューサー、Jean KlugerとDaniel Vangardeによってつくられたのもの。レコーディングは、ブリュッセルのようですが、"BIRAM"レーベルでリリース。ボイスは、こどもコーラス、叫び参加の男性は、黒帯の柔道マスター、クレジットされてないものの、Claude Lombardも参加。

"the pseudo-Japanese"なということで、基本的には、「なんちゃって日本・なんちゃって日本語」なのですけど、ときに意味をなしている部分もあったり、意図されていないものをあえて解釈してみるのもよい感じで。YAMASUKI どこかただのおふざけではサウンドのかっこよさはすばらしいです!
ちょっと調べてみたら、日本の方で歌詞を聴き取りされてる方もいらっして:)
Soul No.9:レコード通信 10 Yamasuki

収録曲、動画にある程度あったので、再生リストつくっちゃいました。
(でも、これ、アルバムでほしいですね。少々プレミアがついてしまったるので、いつか出会えることを祈り。いくつかはmp3ダウンロードもあり)

YAMASUKI 再生リスト:



Jean KlugerとDaniel Vangarde、このふたり、日本ではあまり知られるまでいたらなかったのかもしれませんが、ダンス・ミュージック中心に、いろいろとおもしろいことしたり、ヒットなどもあるみたいですね(いろいろと興味でてきたので、たぶんつづき書きます)。

この中での『YAMASUKI』には、振り付けもあるようで、ダンス、つくっちゃったようです。1971年3月には詳細わからないのですが、おそらくYAMASUKI企画でのダンスイベントみたいなものもあったようですね。こちらのサイトには振りつけ入りのレコード裏ジャケ(うち袋かな?)が。
GIBLETS:Let's Get Physical

Jean KlugerとDaniel Vangarde、つづく。たぶん。

(投稿:日本 2012年6月20日、ハワイ 6月19日)

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安田南さんのエッセイ集『みなみの三十歳宣言』読後のこと、先日のつづきです。

本もずっと気になりつつやっと読んだという感じですが、歌、ずっと、よいなぁ、好きだなぁ、と思いながら、じぶんでは、きちんと安田南さんとしてのアルバムを持っていなく。

安田南の文章を読んで、やっぱり、アルバム、ぜんぶ聴きたいなぁという気分につくづくなりました。先日も書いたのですけど、彼女の文章と歌にはおなじ空気が流れているからなのだと。

『みなみの三十歳宣言』にある、いくつかのエッセイで語っている、歌とご自身のこと。幾度かおなじように書かれてるいつか歌うことをやめてしまうかもという。この本のいちばんはじめにある『わたしの教室はジャズ喫茶だった』(オリジナル掲載:大和書房<風をつれて地球を歩け> 76.2.25:『みなみの三十歳宣言』p.15)の中でも。

「わたし-職業欄に書きこむ必要があるときは、やっぱり「歌手」だろうなぁ。…唄うことは商売以前に好きでるというのが唯一の最大の理由ではあるが、明日声がまったく出なくなったとしても構わない。一回一回が勝負で、性格から言っても気を抜いたり手を抜いたりはできないし、そのつどわたしなりに懸命にやっている。だからこそかえって逆に唄えなくなることに未練がないし、或る日唄うのを自らやめようとするかもしれない自分を予感するのに何の抵抗もない。」

これは、1976年ですけど、もっと前、1973年の文章『NEXT FIRE! 』(オリジナル掲載:<ワンダーランド> 73.9:『みなみの三十歳宣言』p.33)でも。

「わたしがうた唄いであることを思い出していただきたい。唄うことが好きだったし、依然すきだからそうしている。しかし唄えなくなる日がいつかきっと来ることを、わたしは容易に信じられる。それはたぶん、わたしがこれから唄い手として、わたしにとっての黄金時代、わたしにとっての全盛期を迎えるに違いないという予感をもっているからだ。傲慢ではまく、わたしにはその手応えがある。そしてだからこそ、わたしには唄えない日が来ることを思わずにはいられない。
…わたしは、ヒロインとしての神話も伝説もいらない。エゴイスティックに言ってしまえば、それはわたしだけに感じられる、唄い手としてのわたしの最も輝ける季節であると言ってもいかもしれない。そしてそれはどんなに輝こうと、ひとの長い一生の中では、ほんの短いものでしかないことも知っている。輝きのあとに何が来るかを知っている。
…わたしの方から見切りをつけるしかない…」

「或る日唄うのを自らやめようとするかもしれない」という自分の予感っていつからあったのでしょう。1973年といえば、まだレコードも出していないころ(たしか文中のどこかでもそんなこと言ってたかな)。

もっとも、安田南さんは、レコード出す前からずっと歌っていたし、ライブでもその歌声を聴くためにひとが集まるようなひとだったのだそうだし。高校生のころからも、歌う場所をさがしてはクラブでも歌っていたそうなので、シンガーとしては、もうその時点で10年近く(以上、たぶん)歌ってきているので、あれなのです。

なので、「或る日」いなくなってしまったのは、その「自らやめようと」したときなのかなぁ、などと、考えてみたり。

安田南の歌の魅力はなんだろう、ということをあらためて考えたり。
よく、圧倒的であり、男からみた女としても、魅力もこめてかなわないなぁというイメージということが話されていたりしますけど。そこにあるのは、不安定さのようなオーラなどもあるのでしょけど、歌っているときとのギャップみたいなものもありますよね。
あと、彼女の歌声のどこかに、大人でありながらも、どこか置いてきてしまったあどけなさやいろんな意味でのかわいさのようなものを回顧しているような、というものも感じ。
(それは、ひととしてもだと思うのですけどね。これは、本人も『書きたがり屋の多いこと』という文章でいってることと、たまに話すこども時代の話やお母様とのやりとりでみえる、本人思うところの自分みたいなものや。『MINAMI BLUE』という文章にもあるように、ぜんぶがなのでしょう、「わたしにはわたしのジャズがある。そしてわたしの歌を唄うことができる。これは真実である…何かに渇えていなければわたしはジャズなどやらなかったろう…」という)

それぞれのアルバム収録曲は、ぜんぶじゃないけど聴いたことありつつも、やっぱりじぶんでちゃんと入手して、アルバム、ぜんぶ聴きたくなりました。

4枚のアルバム、1974年『South(“Yasuda Minami Live at The ROB-ROY”)』、1975年『Sunny』、1977年『Some Feeling』、1977年『Moritat(お定のモリタート)』のうち、どれから聴くのがよいかなぁと(いちどに全部入手できないお財布事情がせつないです…)。安田南さんのこと気になったきっかけでもあるのは、中平卓馬氏撮影のジャケットもとても印象的な『Some Feeling』なのですけど、あらためて聴きには、『South』から、順番にと、思っています。(『モリタート』のことは、すでに『South』の解説時点で書かれてるのに、最後になってしまったのも…です。黒テントでの、女優として、歌手として演ってたものからの。レコーディング歌手であるまえに、すでに歌わなくなるときのこと語ってたり、ある意味では、レコードは、彼女を追う、あと、あとですね。)。

現在も、CDは販売されてますけど、7月には、すこしお手ごろな盤での『South』、発売されますね。


『South』、ライブでの歌唱での空気と青山ロブロイという意味でもよいですよね(青山ロブロイに関しては、ちかく、こちらもやっとで、本でも読んでみようと)。
演奏は、山本剛トリオで(山本剛(p)、福井五十雄(b)、小原哲次郎(dr)、大友義雄(as))。

安田南:イエス・サー・ザッツ・マイ・ベイビー
この動画、解説も掲載されてて、よいですね。安田南さんが有名という有名ではなく(当時)ともどれだけライブで人気であったかとか、中村誠一さんがなんでここに参加してないかとかちょっとしたエピソードとか。瀬川先生(瀬川昌久氏)が、どんな風に評してたか、など:)(「お行儀のわるい」というちょっと愛情もこもったような評、表現にあたたかさ感じます。やはり瀬川先生も、安田南さんのどこかにひそんだあどけなさをみていたのではないかなぁとか)
もちろん、歌と演奏はいうまでもなく。



安田南:バイ・バイ・ブラックバード
これ、とても、ライブの雰囲気を感じますね☆
途中で、ドヴォルザーク『ユーモレスク』がとびこんでくるピアノのアレンジが大好きです。そして、そこでのスキャットも。安田南さんのあどけなさとでもいうような独特の雰囲気にぴったりだなぁと。



以上、当時をまったく知らないわたしが、歌声や文章からの印象や推測なども含み、です。
安田南さんがどういうひとだったかということは、かなりくわしいブログがあり。
トントン雑記貼:安田南がいた時代(1)(~(4)までありますね)

(投稿:日本 2012年6月15日、ハワイ 6月14日)

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安田南さんのエッセイ集『みなみの三十歳宣言』読みました(すこし前に読了)。



この本、ずっと長いこと気になり読んでみたいと思いつつも、現在は絶版となってしまっているものなので、いつか古書ででもみつけられればと、なかばあきらめていたのですが、「もしかして」、と調べてみたところ、図書館にあり。

いままでも、安田南さんについて語っているいろいろで、ジャズ・シンガーおよび歌手としてだけではなく、その文才に関して触れているものを目にはしつつも、実際に彼女の文章を読んだのは、これがはじめてで。

1972年(昭和47年)から1977年(昭和52年)までに、雑誌などに掲載されていたものがあつめられたもの。なんともいえずいいですね。文章ももちろん、そこにながれる空気というか。ひきこまれるというのとはまた異なる感覚なのですけど。じつに、さらりと。飄々としているというのとも、またどこかちがう。どういった感じというと、彼女の唄と同じ空気。わたしの思うところの「安田南」であるといったところでしょうか。
それぞれ別に書かれているエッセイだったり、ある時期の連載だったりですけど、一冊の本としての『みなみの三十歳宣言』、編集もすばらしいですね。ひとつの流れのようなものを感じます。ひとつの流れといっても、けっして一直線というわけではなく。

安田南さんは、ある意味、伝説のひととなっているということもあり、いろいろに語られていたりしますけれど、わたしは、リアルタイムで知らないだけに、記憶として語られているさまざまなこと(実際のいろいろや推測も、かなり事実にはもとずいているもの多いのですけど、その捉え方かなぁ)を見聞きしても、じぶんの感覚でその歌声から感じられるものをうけとめます。彼女の文章には、歌声と同じ、それがある。

まずは掲載されていた文章のタイトルだけこちらに。

『みなみの三十歳宣言』
- わたしの教室はジャズ喫茶だった 大和書房<風をつれて地球を歩け> 76.2.25
- かつてわたしも高校生だった <ワンダーランド> 73.8
- NEXT FIRE!  <ワンダーランド> 73.9
- みなみの三十歳宣言 <宝島>  73.12
- 瀬戸内晴美さんのことなど <宝島> 74.2
- 生きるための酸素が足りない! <宝島> 74.2
- 金鳥の夜のジャズ <話の特集>75.6
- MINAMI BLUE <JAZZ> 73.8
- ハロー・グッバイ <朝日ジャーナル> 72.2.11
- かぼちゃ畑に月も出る <JAZZ> 72.1~2
- ミナミの人生相談 <宝島> 75.12~76.6
- 男と暮らしてみると…… <婦人公論> 73.10
- 「彼女」たち <野性時代> 76.6
- 男と女<思想の科学> 75.10
- 書きたがり屋の多いこと <思想の科学> 75.11
- たとえば靴のことなど…… <思想の科学> 75.12
- 「茶ぶ台うさぎ」のこと <思想の科学> 76.1
- 「家庭科」の時間には家庭のことなんて考えはしなかったけれど <思想の科学> 76.2
- わたし、現在三十一歳、独身 <宝島> 75.8
- 旅を捨てよ、家に居よう…… <朝日ジャーナル> 72.1
- 気まぐれ飛行船 <新評> 76.11~77.1
- 気になる男 山下洋輔 <婦人画報> 76.10
- ブリューゲルとマグリット<アート・トップ> 76.10
- わたし自身が知らないわたし自身の二、三の事柄 <JAZZ> 71.10
- わたしはわたしです <話の特集> 72.4

安田南さんがある日ふとどこかへ姿をけしてしまったというのが1978年?1979年?(1978年としてあるものが多いのですけど、どうも1979年のはじめにも担当ラジオ番組にでてたみたいなので、1979年なのでは…ということです)のことなので、その1年前まで、ということで。いまでも、安田南はきえたまま、ということも語られてはいますけど、2009年に他界されてたのですよね。
清流出版:高崎俊夫の映画アットランダム:安田南 いま、いずこ

エッセイに書かれてること、もちろんの歌手としてはアルバムのこととか、黒テントなど女優としてのこと、また交流のあった方々、関わった物事、こちらにも記しておきたいこともいろいろですけど(じぶんでは雑メモとってあるのですけどね)、いちどには書ききれないので、すこしづつ。つづきとしてだったり、そんな気分なとき、また、ちょっと関係あることが気になったときなどに。
(こちら、くわしいですよね。トントン雑記貼:安田南がいた時代

いま、その歌声とは別に聴くことができるのは、感謝感謝である、片岡義男さんとのDJでのラジオ番組『気まぐれ飛行船』の音源。番組の最後の「眠れわるい子たち」というひと言が、なんともいえずよいですよね。この番組については、前にもいちど、FM25時 きまぐれ飛行船 片岡義男/ 安田南ということで書いてるのですけど。

すこし前に、この「眠れわるい子たち」というメッセージについて、ご本人が語ってる『気まぐれ飛行船』放送分の録音みつけたので。
(ちょっともどりますが、この方の説明に1979年の初春の放送分があると)

安田南 in 気まぐれ飛行船 with 片岡義男[6/6]:
なんともいえず、よい角度での角川な世界ですね。この放送分の来週にあたる回の歌謡曲ってどんなのかかったのでしょう。



そして、眠りのつながりで、この曲もこのエンディングとおなじような雰囲気もあるような。
コーヒーメーカーのCMソングで。これ好きなんです。

ナショナル コーヒーメーカー:眠り続けた男は
歌:安田南
作詞:伊藤アキラ、作曲:桜井順



安田南さんのこと、つづく。

(投稿:日本 2012年6月12日、ハワイ 6月11日)

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先日、じぶんのもっているヴァージョンで聴いて、つくづくかっこいい曲だなぁと思った『OLEO』、何気なく聴いていつつ、あまりくわしいことを知らなかったのでちょっと調べたことのメモ φ(.. )

『OLEO』は、ソニー・ロリンズ作曲のナンバー。マイルス・デイヴィス(Miles Davis)の『Bags' Groove』に最初に収録。
このアルバム、ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)のほか、ミルト・ジャクソン(Milt Jackson)、セロニアス・モンク(Thelonious Monk)、ホレス・シルヴァー(Horace Silver)、パーシー・ヒース(Percy Heath)ケニー・クラーク(Kenny Clarke)、も参加していて、あらためて、すごいメンバーですよね。

Miles Davis Quintet:Oleo(1954年)



その後は、多くのアーティストがカヴァー、さまざまなヴァージョンが存在しますが、共通の「かっこよさ」は、ここかぁと…この曲のもつ絶対的な特徴って、リズム・チェンジとなんともいえぬ絶妙なズレのような。ビバップな感じ特有の。

Bill Evans:Oleo



Pat Martino:Oleo(2001年)
こちら、パット・マルティーノの比較的最近のもので、とってもよいなぁと。アルバム 『Live At Yoshi's』



秋吉敏子さんのトシコ・マリアーノ時代のものもとてもとてもよいです。

Toshiko Mariano Quartet:OLEO(1963年)
このひとの、演奏しながらのスキャットは、ほんとかっこいいです。アルバム『トシコ=マリアーノ・クァルテット』収録。



ソニー・ロリンズとしてのものもいくつかですけど(もちろんライブではたくさんでしょうね)、こちらはかなり高速のヴァージョン。

Sonny Rollins:Oleo(1959年)
Trio in Stockholm




で、曲名の『OLEO』ですが、カタカナでみてたので、あ、「オレオ(OREO)」とかって思ったのですが…そちらではなく。でも、やっぱり食べ物系なのですね。

「OLEO」は、oleomargarineに由来しているそうで、これ、いわゆるマーガリンのことで。

「名称としてのマーガリンは、1813年にフランスの化学者であるミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールが、動物性脂肪の研究からマルガリン酸を発見したことに遡る。マルガリン(またはマーガリン)という言葉はギリシャ語の margarite (真珠の意)に由来しており、真珠のように美しく輝くという性質を表現したものである。
製品としてのマーガリンは、19世紀末に発明された。1869年にナポレオン3世が軍用と民生用のためにバターの安価な代用品を募集したところ、フランス人のイポリット・メージュ=ムーリエが牛脂に牛乳などを加え硬化したものを考案。これは、オレオマーガリン (oleomargarine) という名前がつけられ、後に省略してマーガリンと呼ばれるようになった」(Wikipedia:マーガリン
なのですね。

英語では一般的には、margarine(発音はマージェリンというような感じ)っていいますけど、話言葉で、地域的にだったり、あとは年代的に、けっこうお年寄りなどで「oleo」っていうひともいるみたいですね。英語検索したとき、うちのおばあちゃんはマーガリンのことオレオと言いますが…みたいなのもあって。なぁるほど、でした。

(そこからの、あぁそういえばで、アメリカだと、近年の傾向では、マーガリンはトランス脂肪酸、健康のこといろいろでちょっともんだいしというか気にされていて、「trans fat」はある種のキーワードというかで。そんなこんなで、大手も材料かえて市販のお菓子も多少味がかわったり、「トランス脂肪酸はいってません」とかそんな感じで…日本では多少話題にはなってるのかもしれないですけどそこまでは…ですね、などと思い出したように)

(投稿:日本 2012年6月5日、ハワイ 6月4日)

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