実り多き月一度の「TV AGE講座」から、はや一週間。
先の10月22日の講座は <シリーズ映画音楽の巨匠>ミッシェル・ルグランで、そろそろいろいろ、こちらで得たものすこしづつでも、自分の何かにつなげ、さらに広げていきたいなぁ、なんて考えて。

この日の映画、音楽、喫茶活動については、こちらとは別にしたためている、お散歩おでかけ的ブログの方で一度、すこし行動まとめしているのですけれど、中心は高田馬場散歩的なものだったので
名画座とジャズ喫茶、高田馬場

再び音楽面でのふり返りをいたしたいと思います。

ほんとは、何かひとつしぼって書きはじめようなどと思っていたのですけど

今夜は、そろそろ音楽面、あらためて、さらにつめようと、いろいろと情報バックアップをしたり、さらにそこを調べたりなどということをしはじめ…

なんだか、この日の一日の行動は、図らずともすべてある意味つなげることができるなぁなどと気づきはじめてしまい、ちょっとしゅうしゅうつかない状態になってしまい :D

これから、気づかぬうちにつながっていたいろいろ、あたまと耳をつかってすこしづつ丁寧にわかりながらそのつながりをたぐっていこうという作業、しばらく取りくんでみることにし、そのためにも、まず、これからの指標になりそうなことをメモみたいですけれど φ(..。

講座参加準備にあたり:

講座参加準備にあたり、まずはどこから、すこし自分のルグラン体験をふり返り。
やはりこれ、はじめてミッシェル・ルグランの作品を意識して聴いたのは、なのが『シェルブールの雨傘』でした。
高校生のとき、なんとなく映画音楽などにはしりはじめたとき、自分ではじめて購入したのが、この『シェルブールの雨傘 Les Parapluies de Cherbourg』。

この映画のことはすこしだけ2年前にも書いているのですけれどいまみるとこのころの投稿はあっさりとしていますね(むしろその方が読みやすかったりするかもw)。
カトリーヌ・ドヌーヴ出演 シェルブールの雨傘
(この日は、カトリーヌ・ドヌーヴさんのお誕生日にちなんで書いており、2年前の投稿、10月22日でありました:D )

アルバムはアナログでの所有。レコードもデザイン含めさまざまな盤があると思うのですけれど、わたしがもっているのは、1964年のUSA盤(monaural pcc 216)、モノラルです。


このアルバム、歌詞というか台詞が綴じ込みブックレットのようになっていて、またその装丁も心からのお気に入りなのです。



映画のシーンの写真も貼りつけてある仕様。サイドのフレームのようなラインのピンクが、また濃いめの紺色の台紙にはえてとてもすてきなのです。
(古いものなのに、はがれたりせずいまだきれいになっているなぁ、などとも。自分の保存状態ということでなく、丁寧なつくりだなぁとか)


ジャック・ドゥミ監督、音楽はミシェル・ルグランが手がけたこの映画、台詞もすべて、徹底し、歌にのせたものであるという点で、とても斬新なものなのですが、その奇抜さを感じさせないところが、また映画、音楽ともすばらしいからこそなのかなぁと思います。

しっかりとりくんで音楽聴くときは、かなりまじめに入りこんで聴く方なので、ひさしぶりに聴いたら、映画思い出して、しくしく。。。と。。涙がでてきてしまいました。

なぜそんなになのか、とかいろいろ考えると、また構成、展開、音楽いろいろと語ることも多いので、あらためて、そんな機会があるときに(また音楽面をさらに意識して、映画観てみようかなぁとも思っており、そのときにでも。ミュージカルというか、もしかしてオペラに近いんじゃないか、などいろいろ…)

ストーリーとしては、単純にひとつ言うとしたら、登場人物だれもがみな「善い人」、ということもかなり大きな要素。だれもわるくできない、ながら、もし、ここでこうならなければと、あまりにも多い「もし」。

この方は、ある意味、その徹底的な「もし…」でありながらも、やっぱり善い人なのですよね。そして、曲も印象的、なのが…このシーン。
映画のテーマでもある『シェルブールの雨傘 Les Parapluies de Cherbourg』はもちろん好きなのですけれど、この曲も大好きなもの。



ストーリーの中では、ジュヌヴィエーヴを見初めた宝石商ローラン・カサールが、本人にではなくおばさんにジュヌヴィエーヴを思う気持ちを打ち明けるとこ。そして、カサールは、でも、けっして、ジュヌヴィエーヴに無理強いしないでほしい、決めるのは彼女本人だから…という。

楽曲としては新たな歌詞がつけられ、『Watch What Happenes』としておなじみ。
ストーリーと切りはなして聴くと、また、別に聴こえるすてきな曲なのですよね。

CONNIE FRANCIS AND ANDY WILLIAMS: WATCH WHAT HAPPENS (1966)



Michel Legrand:Watch What Happens



ボーカル、インストゥルメンタルと、アレンジもさまざま。ジャズ・ヴァージョンにすてきなものも多く、これから、いろんなヴァージョン、集めてみたいと思います(これも課題)。

この映画に関しては、すこしはなれた後日にたぶん再々訪ぐらいまであるということで。

と気づいてみたら、講座準備に関してですでに、長くなってしまい、
ルグランとうか、アルバムのデザインのことなどのことが多くなってしまいました。

きょうは、気づきや書こうと思ってたことの5分の1ぐらいで、ほんとは、講座当日活動での気づきがいろいろとあり、せっかくなので、よい感じで、これからの道しるべにしたく、つづきは、明日にします。

つづく。。


(投稿:日本 2011年10月30日、ハワイ 10月29日)

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本日は、番外的に最近のミュージシャン、SKA オーケストラ、PASO (Pannonia Allstars Ska Orchestra)について。とても気になりな方々なので、すこし調べながらでメモ的に。

PASO (Pannonia Allstars Ska Orchestra)、パンノニア・オールスター・スカ・オーケストラを知ったのは、いつものごとく、ふらふらとな、動画検索からの関連でした。

すこし前に、フランツ・リストの「Liebesträume(愛の夢)」関連ものを聴いていた際に、偶然出会い。
(さがしていたのは、このあたりのときでOh My What a Guy/ Liebestraume No.3/ Today, Tomorrow and Forever

わっ、なに、ちょとまって☆ シンプルなストレートさ、すてき☆
そのカヴァーのシンプルなすてきさに心うたれてしまったのでした。

PASO - Liszt: Liebestraum (Szerelmi álmok)
パナマ・ハットにダブルのスーツというスタイルもクラシックにSKAらしく、きまってます、かっこいい!



この方たちは誰? ということで、調べてみたところ、ハンガリー、ブダペストのスカ・オーケストラで。

なるほど、これは、ハンガリー出身のフランツ・リスト(ドイツ語:Franz Liszt, ハンガリー語:Liszt Ferenc)へのリスペクト、トリビュートでもあるわけなのね、と。

ちなみに、"Pannonia"は、パンノニア。
Wikipedia:パンノニア
「パンノニア(Pannonia)は古代に存在した地方名。ローマ帝国の時代には皇帝属州であった。北と東はドナウ川に接し、西はノリクムと上イタリア、南はダルマティアと上モエシアに接した。パンノニアの領域は現在のオーストリア、クロアチア、ハンガリー、セルビア、スロベニア、スロバキア、およびボスニア・ヘルツェゴビナの各国にまたがる。
今日では、パンノニアという地名は、ハンガリーのトランスダニュービア地方(Transdanubia、ハンガリー語:Dunántúl)およびセルビア等に広がるパンノニア平原を指して使われる」だそう。

ハンガリーのみならず、ヨーロッパ(特に東欧)、では、かなりアクティブにライブをおこなったりしているようですね。

PASO:Do the Rocka Style



PASO Soundsystem (ska DJ set)、 PASO's Roots Rockers (dub and reggae DJ set)などという別プロジェクトも展開し、 Hungarian Tilos ラジオ局では、毎週SKAの番組ももっているのだとか。
また、海外からスカ・グループをよび、ライブをおこなうというイベント・エージェンシー的なこともおこなってるとか。

また、ボーカリストであるKRSAは、ハンガリー国内の別グループとセッション参加をしたり、ブラス・メンバーは、イギリスのミュージシャンなどともプレイ。かなりアクティブに活動してるのですね。

民族的、民俗的にもいろいろと、歴史的、政治的にもさまざまな背景がある地、やっぱり、そういったことによるパワーも感じるような気がします。

ほかの曲も聴いてみたところ、スタンダードのカヴァーあり、ハンガリーらしさを感じるオリジナルや東欧近隣に関するような曲などもあり、なかなかにかっこよいのです。

Pannonia Allstars Ska Orchestra:Budapest



PASO:Moses And The Red Sea
旧約聖書にちなんででしょうか。



PASO:Hungarian Dish



Pannonia Allstars Ska Orchestra:Balkan Fever



Pannonia Allstars Ska Orchestra:Hello Gagarin



Pannonia Allstar Ska Orchestra:Summertime
しっとりしたスタートから、展開かわっての。



日ごろ、古めのものばかり聴いていますが、そんな中でも、いくつか、最近のアーティストで気になりもあるのですよね。
以前にも書いた、ピンク・マティーニとか。
PINK MARTINI (ピンク・マティーニ) 日本語カヴァー曲など

PASO(Pannonia Allstars Ska Orchestra)そんな感じで、日本にも来てくれたらよいなぁ、とか、思ってるグループのひとつです。

myspace:PASO(Pannonia Allstars Ska Orchestra

(投稿:日本 2011年10月27日、ハワイ 10月26日)

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ちょっと間があいてしまいましたけれど、コロムビア創立100周年記念企画のコンピレーション『昭和ジャズ大全~幻の名盤・秘蔵盤~』からで、いっそう気になりが広がってしまったいろいろ。

以前にもまったく同じことを書いているのですけれど…

この『昭和ジャズ大全~幻の名盤・秘蔵盤~』もうどうしようかと思うくらい、すばらしく

4曲づつ選ばれている15枚の名盤、秘蔵盤アルバム作品は、すべて、おさえておきたくなってしまうという、とてもとても、な、ものなのですよね。



そんな中で、最も気になるアルバムのひとつが、秋吉敏子さん(穐吉敏子)の『トシコの子守歌(Lullaby For You)』(1965年)でした。



秋吉敏子さんは、すばらしいジャズ・ミュージシャンとして、ずっとずっと気になっている方で、その演奏作品はこれまでも、時折聴いてきてはいるのですけれど、アルバムとして所有しているものはなかったのですが

あまりにも、この『トシコの子守歌(Lullaby For You)』からの4曲
鞠と殿様/スリー・ブラインド・マイス/ロシアの子供の行進/トシコの子守歌

すばらしかったので、まずは、このアルバムを秋吉さんもの初めの1枚として、求めることにしました。
(アルバム、CD化されたもの、プレミアがつきはじめているようですが、まだ通常価格で求めることができるところがあります)

ロシアの子供の行進:
序盤のピアノから、展開かわっての流れ。演奏もちろん、たゆまぬノリ、演奏にあわせてかすかにスキャットのような感じの歌声が入り、すべてにおいてすばらしいですね。リズムにはアフロ・キューバンを取り入れて。



このアルバムは、秋吉敏子さんが、1965年にニューヨークから東京に戻られた際、帰国2週間前に録音されたものなのでうね。参加メンバーは、荒川康男さん(ベース)、原田寛治さん(ドラムス)で、アルバムは、トシコ・マリアーノ&ハー・トリオ名義となっています。(1965年に最初の夫チャーリー・マリアーノ氏と別の人生を歩まれるご決断を。11967年より、ルー・タバキン氏とご一緒)

『トシコの子守歌』、収録されているのは、おなじみのわらべ歌や童謡。
動画の『ロシアの子供の行進』をはじめ、先のコンピで聴いた、『鞠と殿様』、『スリー・ブラインド・マイス』、かっこよすぎて、かなりまいりました。
秋吉敏子さんの演奏家としての才能はもちろん、アレンジャーとしてのすばらしさも彷彿と。
そんな中、『トシコの子守歌』はオリジナルの作品。

毬と殿様/かんちょろりん節/スリー・ブラインド・マイス/エストレマドゥーラの歌/一根扁担/ロシアの子供の行進/天使の子守歌/フレール・ジャック/蝶々/ロンドン橋/スエーデンのわらべうた/トシコの子守歌


こちらのサイトには、オリジナルのレコードで所有されている方のコメントやお写真があり、その写真での解説がまたとても心あたたまる感じですてきでした。

ジャズと8匹の猫:レコードと猫の好きな方:生きる為に生まれた動物たち トシコの子守歌

「…ジャズ・ママ、いやモダン・ママの秋吉さんには全く気に入らなかったのです。こんな音楽ばかりきかされていたら音痴にならないまでも…やがて満一歳になると秋吉さんはマンデイちゃんを引取り、お母さんを故郷から呼んでアパートで一緒の生活がはじまりました。そして、マンデイちゃんのためにすばらしい子守歌を作曲し、マンデイちゃんがおねむになると静かに弾くことにしました。間もなくマンデイちゃんはこの美しいララバイをきくと不思議にすやすやとねむりにつく習慣になってしまったということです…」とさらにつづく。

そう、ピアノの上にかわいらしくちょこんとのっているのは、あのMonday満ちる(マンディ満ちる)さんなんですよね。かわいらしいですね、と同時に、感動。たぶん、この頃、2歳ぐらいですね(1歳半だそうです、後日調べ)。撮影は、阿部克自さん。

秋吉敏子さんとマンディ満ちるさんが親子だということは、ほんのつい最近、PIRATE RADIOの8月30日放送のときに知ったのでした。Mondayさんの曲がかかっていたとき。

昨日の放送も佐々木潤さん選曲でしたが、この日もでしたね(このあたりはかなりしっかりインプットされていて)。
この日のテーマは、"rare groove" でありました。
アラッポ・カーロの備忘録:InterFM「桑原茂一のPIRATE RADIO」 #ckpirate #85 佐々木潤(JUN SASAKI)編「やっぱり "rare groove" なオトコ...どこへいく?」

それで、また、きょう、この一連とは別に、、そういえば、ジャズ、ライブ演奏とかも聴きたいなぁなどと思って、そう頻繁にはいけないけど、どんなひとの予定があるんだろう、ブルーノート東京(Blue Note Tokyo)のサイトをながめていたら…

なんと、来週、11月1日から4日までの予定で4日間のライブが…
行きたし!という思いで、ひじょうに、葛藤。お導きかとか思いつつ:D

ブルーノート東京:
秋吉敏子クインテット featuring ルー・タバキン with Monday満ちる
ライブ・スケジュール:
秋吉敏子(p) クインテット featuring ルー・タバキン(sax,fl) with Monday満ちる(vo,fl)

どのぐらいの頻度で、日本での演奏スケジュールがあるのかわからないのですけど、次回、とか思ってると、そのままになってしまうかなぁとか。
一晩眠って考えたいと。

[秋吉敏子さん、世界の秋吉]
秋吉敏子さんに、はじめに惹かれたのは、この映像でした。
お着物姿もあでやかに。演奏は、おどろきのすばらしさ。

The Subject is Jazz, 1958:Toshiko Akiyoshi Piano Trio
Toshiko Akiyoshi(p)、Eddie Safranski(b)、Ed Thigpen(ds)



ピアノを弾き始めたのは、小学1年生のとき、『トルコ行進曲』に魅せられて。
1948年夏に上京して、1952年コージー・カルテットを結成。1953年に来日したオスカー・ピーターソンの勧めでレコード『トシコ』を録音。
1954年7月、伊勢佐木町のクラブ「モカンボ」で、守安祥太郎を中心に行われた伝説的なジャム・セッションに参加。
1956年、26歳で単身渡米して、日本人としては初めてバークリー音楽院(Berklee College of Music、現バークリー音楽大学)で奨学生として学ぶ。1962年、チャールズ・ミンガスのバンドに参加。

あと細かい経歴は、こちらで。
Wikipedia:穐吉敏子
秋吉敏子公式サイト

数多くの賞を受賞されているミュージシャンであり

1986年には、「ニューヨークの文化に貢献したアーティスト」として、日本人として唯一の「リバティ賞」も受賞(そのうえ、紫綬褒章もいけているのですから。両国の、ですよね)

オスカー・ピーターソンに見出され、急遽録音となった初めてのアルバム『TOSHIKO』(1953年)も、米国レコード会社から発売された日本人として最初のジャズ作品であったり。

バークリー音楽院奨学生のこともですが、いろんな「初の」ひと。

日本人として、海外で活躍するミュージシャンの先駆者であるのは、もちろん、いまだジャズで「Her Trio」などという感じで、バンドリーダーをつとめる女性は、まれなのではないでしょうか。

81歳でいまだ現役、いまだ、世界に知られアクティブに活躍ということもすばらしいですね。

(投稿:日本 2011年10月26日、ハワイ 10月25日)

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一昨日は、高校生のころに、映画、フェデリコ・フェリーニ監督、ニーノ・ロータ音楽の『甘い生活 La Dolce Vita』(1960年)をきっかけに、『Patricia』、家にあったペレス・プラードを聴いてみた、という思い出を記したので、もうひとつ、この映画からで、当時、はじめて観たときに「そうだったのかぁ」と気づいた音楽のお話。

前回もそのことにはふれたのですけれど、『甘い生活』は、映像シーンとニーノ・ロータの音楽がともに、頭の中にやきついている作品。
『Patricia』の他に、もうひとつ、「わぁ~、この曲!!かっこいい、と思っていたけど、ここからだったの☆」というものが。

それだけ感動したのに、ずっと、ずっと、数十年の間、そのままで…(サントラでも聴けばよいのに…ですよね)。その後、映画も、もう一度観ているのですけれどね(たしか、テレビでの夜中の放送か何かでやや集中を欠いて観賞だったので)。

長い間気になりで、ときに探してはきていたのですけれど。
先日も、『Patricia』のことを書いたので、また、その曲のことを思い出し、動画で必死にサントラから各曲試聴。
ありました。以前みつけたものはどこかにきえてしまったのですけれど、ふたたびみつかったので、そんな記念もかねて。

この曲大好きなのです ♫
(メドレーっぽくなってるのですけど、初めから1:53あたりまで)

いまだ曲名、いまひとつ自信がないのですけれど『Cadillac』ということでよいのでしょうか。

Nino Rota - La Dolce Vita - Cadillac



次なるは、本題的、シーン探し。
挿入曲がよいタイミングで映画のシーンとあってるものさがすのって、テーマ曲や有名な曲でないとけっこう苦労するのですが、今回は、タイトル画像がわかりやすいものがあり、これにちがいない、と観てみたものがそのもので、なんとかみつかりました。

マダレーナ(アヌーク・エーメ)とマルチェロ(マルチェロ・マストロヤンニ)のキャデラック、パパラッツィのシーンという記憶は、たしかだったのもうれしく。
『Cadillac』がかかるのは、2:20あたりから(音がもうすこし大きいとよいのですけれど…)



ほんとかっこいい曲だなぁ、とあらためて。
(「81/2(Otto e Mezzo)」ニーノ・ロータのサントラで、アレンジちがいもあるのですけれど、この「甘い生活」のものがやっぱり好きなのですよね)

以前は、ほぼ毎晩聴くことができたのですけれどね。
フジテレビの「プロ野球ニュース」で使われていて。
(1976年~1986年?らしいです。 Wikipedia:プロ野球ニュース:番組テーマ曲(地上波時代))
ということで、この曲は、聴くたびに、佐々木信也さんのイメージも。

この曲、そもそもの出会いは、「プロ野球ニュース」の方が先だったのです。

野球好きという訳でもないのですけれど、放送時間も、夜の11時台ということで、お風呂からあがってテレビをつけると、というような番組で。ぬれ髪のまま、視聴していたという状況などもともにな、思い出番組(現在も放送されてますけれどね)。

番組で聴きながらも、かっこいい曲だなぁ、といつもいつも思っていたので、『甘い生活』を観たときに、「わぁ、あの曲だ!」と感動したという。
この曲を番組BGMに選ばれた方、センスいいなぁ、とか思いながら
だらだらメモでした _φ(..*)

(「プロ野球ニュース」でのこの曲BGM映像がないのが、ちょとざんねんです)

(投稿:日本 2011年10月17日、ハワイ 10月16日)

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先日、何か寝る前に聴くのによいものはないかなぁと探していて、曲のはじまりの感じがとてもドリーミーですてきよい夢みれそうだなぁと、Xavier Cugat の『Estrellita』(邦題も「小さな星」)を。

Xavier Cugat:Estrellita(1938年)
Victor 25747



そういえば、この曲も、自分にとっては、なんだか懐かしい曲。出会ったのは、あのアルバムだったなぁと。むしょうに聴きたくなり。
ペレス・プラード楽団(The Perez Prado Orchestra)のアルバム「MAMBO JAMBO ペレス・プラードで踊ろう」をふたたび気軽に聴けるように、という作業にいたったのでした。一番のお気に入りは、昨日ふれた『Patricia』なのですが、『Estrellita』も大好きで。

The Perez Prado Orchestra:Eatrellita



とても楽しい感じの曲ながら美しいメロディー。最後は、楽団的なとてもグランドなエンディング :D
(曲として、ポピュラーな作品ですが、意外なことに、ペレス・プラードもので現在収録されてるアルバムがあまりないようです)

『Estrellita』、ポピュラー・ナンバーとしておなじみ曲ですが、メキシコのクラシック歌曲(カンシオン)で、作曲は、マヌエル・ポンセ。1923年に書かれたものなのですね。
陽気なアレンジ、または、やさしく明るいアレンジも多いこの曲、本来は、せつなめのものらしく。

よく聴いていた当時、こちらは、アルバム裏の解説、ライナーノーツもたしかちゃんと読んでいたと思うのですけれどね…復習。

「エストレリータ」と片仮名では書かれることが多いのですが、原語的には「エストレジータ」という発音に近いと。
「Estrellita」の意味は「星」ですけれど、邦題『小さな星』とされたセンスがすてき☆

歌のほか、ピアノやヴァイオリンで演奏されることが多かったそうなのですが、その後、ポピュラー音楽として、さまざまなアレンジがされるようになっていったようですね。

インストゥルメンタルとしては、こちらのヤッシャ・ハイフェッツの編曲のものから有名になったそうです。

Jascha Heifetz:ESTRELLITA



ハリー・ジェームスのものは、スウィンギーなジャズ・アレンジ。このあたりから、いろんな解釈のアレンジがふえてくるのでしょうか。

Harry James:ESTRELLITA



ボーカル作品もたくさんですが、いくつかをこちらに。

こちらは、1924年ということで、まさにこの曲が作られたころのもの。たしかに歌曲ですね。

Amelita Galli-Curci:Estrellita (Little Star)



ロシータ・花田さんという方のものがありました。演奏は、「楽団南十字星」。とっても気になる楽団名。そして、ロシータ・花田とは、どなた?日系人?ととても気になり。

ロシータ・花田さんとは、住江みちるさんという宝塚劇団にいらした方なのですね(1939年に29期生)。日系人という訳でなく、1946年から歌手として「花田みどり」「ロシータ・花田」「羽田隼子」の名で活動されていらしたようです。

ロシータ・花田:エストレリータ(1962年)
発売「日本エンゼルレコード」も気になり。



トリオ・ロス・パンチョス、やっぱり、よいです~♫

Trio Los Panchos:Estrellita



いろんな解釈のものがありそうなので、これからみつけたら、いろいろなヴァージョンを聴いてみたいなぁと思い、まだ多くはないのですけれど、インスト中心の再生リストをつくってみました。



(投稿:日本 2011年10月18日、ハワイ 10月17日)

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家レコ。先週おわりに、手軽に聴けるように、変換などした、ペレス・プラードのこと。

マンボの王様、ペレス・プラードの曲は、動画でもみつかるものが多かったりするので、ついついそのままに。
長年のお気に入りだったアルバムなのに、オーディオ環境かわってしまってから、なかなか通しで聴くことできず、やっとです。

「MAMBO JAMBO ペレス・プラードで踊ろう」、ペレス・プラード楽団(The Perez Prado Orchestra)。
お気に入りとなったきっかけも、はっきりと覚えてるという、思い出アルバムのひとつ。

このアルバム、こどものころから、家にずっとあったものではあるのですけれど、自ら手にとって、聴くようになったのは、高校生のころ。

(ジャケット、実際のものの一部はかくしてます、な…トップレスもの。このジャケット、日本ビクター盤のみで、海外でもこの手のジャケット収集家の方には、それなりに話題になったりしているようで)


収録曲は以下のとおり
A面:
セレソ・ローサ(Cherry Pink)/ マンボ第5番(Mambo #5)/ ラ・パロマ(La Paloma)/ エストレリータ(Estrellita)/ ラ・クカラチャ(La Cucaracha)
B面:
マンボ・ジャンボ(エル・マンボ)(Mambo Jambo)/ パトリシア(Patricia)/ ある恋の物語(Historia De Un Amor)/ ラ・ゴロンドリーナ(La Golodrina)/ チャンパネカス(Chanpanecas)

収録曲をたどり、これとまったく同じものあるのかなぁと探してみたのですけれど、どうやら日本マーケット用のベスト盤みたいですね。そのもの、というものは、海外盤でもないみたいですね。

ここまで、ずばりにベストなものもなかなかないのでは?というぐらい、すばらしく(スタンダードな定番曲なのに、ほかのベストにはあまり入ってない曲なんかもあったり)、聴きこんでいるということも、もちろんあるのでしょうけれど、やっぱり、このアルバム、よいなぁとか思いながら。

このアルバムが大好きになったきっかけ、そのことは、よく思い出すのに、そういえば、まだ書いてなかったなぁと。
きょうは、あらためて、そんなことや曲、その他もろもろをここにのこしておこうと思います。

きっかけは、高校生のころ観た、映画、フェデリコ・フェリーニの『甘い生活 La Dolce Vita』(1960年)。

この映画、ストーリーそのものというより、シーン、映像そのものが音楽とともに、頭の中にやきついていて。いくつかのシーンとそこで流れていた曲というのが、わたしの中で、とてもゆるぎないものとなっているという作品なのです。

そのシーンのひとつがこちら。記者、パパラッツィであるマルチェロの知人邸宅でひらかれたパーティのシーン。



この映画のテーマとなる、描かれたひとびとの生活でもあり、そんな意味でも印象深いシーンなのですけれど、『甘い生活』をはじめて観たとき、この曲にかなりの反応だったのです。

「わぁ、この曲、すてき~☆ …でも、なんだか、聴いたことある…もしかして、うちにある?かな…」と。
フェリーニだから、ニーノ・ロータのはずだけど、いや、家にあるはず、と。
帰って、このレコードだったかなぁ、と聴いてみたのが、ペレス・プラードのアルバムでした。

いまでも、やっぱり、ペレス・プラードで、一番大好きな曲『パトリシア(Patricia)』かなぁ、と、何度聴いてみても、思うのです。
自分のハマンド・オルガン好きも、このあたりからきていたりもするのではないかと。



こちらは、映画の中で使われていたそのものとも、すこしちがうのですけれど、『甘い生活 La Dolce Vita』のニーノ・ロータ、サントラとして、アレンジされているもののよう。ちょっとメドレー仕立てになっています。

Nino Rota - La Dolce Vita - Patricia



ペレス・プラードに、またもどり、こちらは、演奏シーンの映像。

DAMASO PEREZ PRADO Patricia/El Ruletero

『Patricia』では、オルガンを、そして、つづく『El Ruletero』の踊りながらの指揮。お決まりの「ウッー!」がすばらしいです:D
ホーンの「ブォー」という音もなんとも、なのですよね。



『Patricia』は、1958年に発表され、まずは、瞬く間に世界中で大ヒットとなった、ペレス・プラード代表曲のひとつ。
ペレス・プラードは、活動の中でいくつかの演奏スタイルを確立、提案したひとですけれど、こちらは「ロカンボ」。
ロックとマンボを組み合わせたものですね。
ロカンボでは、こちらの『Patricia』のほか、『Rockambo Baby』や『Rockambo #4』などもあり、『Rockambo』というアルバムも(アルバムは、いまUSEDでしかないみたいですね…)。

ロカンボものも、もうすこし聴いてみたいなぁと思いつつ、このたび、このアルバムをやっと変換するきっかけとなった曲などについても、これは、また「パトリシア」とは別なので、記してみたいと思ってます。つづきで。

(投稿:日本 2011年10月17日、ハワイ 10月16日)

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きょうは、『Maltese Falcon マルタの鷹』を聴きました。

加藤和彦さんのソロとしての、安井かずみさんとのワーク、さいごから、2枚目のアルバム。1987年の作品、加藤和彦さんが、40歳のときの作品。

この、『Maltese Falcon マルタの鷹』加藤和彦さんのもので、所有しているアルバムの中で、あまり聴きこんでいない作品でした。

「フェイク・ジャズ」ということで取り組まれ、モダンジャズ的なサウンドをほぼ打ち込みで作ったというもので、この発想も、加藤和彦さんらしい、こだわりゆえ。

2008年のインタビューなども参考にしながら。

「やらないよね!普通はね(笑)。まあ本当の生のジャズの人を呼んで録音したら違うモノになっちゃうという気がしてたし、それはイヤだったんだようね…」

これは、「ジャズのひとが…」というわけではなく、きっと、自分の作品であるということへのこだわり、だったのかなぁ、と。ひとの音ではない、とか、打ち込み(フェアライト CMI)でできること、というものをきわめてみたい、とか、そんなことだったのかもしれませんね。

パリ録音で、カルロ・サビーナのアレンジで、パリ録音でオーケストラ演奏でおこなった曲に関しては、どちらも、アルバムのそれぞれの面(アナログ時)の最初の曲なので、導入として、生音の感じを使いたかったのかなぁ、とも。

カルロ・サビーナ氏は、ニノ・ロータの影武者という方で、譜面おこしやオーケストレーションなどでっても重要な役割をされてた方なのですね。

このアルバムでも、安井かずみさんの詞は、
映画の中にいるような、小説の中にさまよいこんだような、日常とは別な世界をみせてくれるのですが
いわゆる憧れの夢の世界ともちがう、というところが、なんとなくほかの世界とちがっていて

"ハードボイルド"的な世界というのは、いつかは、何とかしたいな、と思っていた中で、ずっとご自身の中であったものだと。

「聴くひとのことはあまり考えてないよね」と、ご本人は。

やっと自分がすこし、追いついてきたのでしょうか。
きょうは、また、ちがって聴こえてきました。


(↑アルバム、バックサイド)

「追いついた」という表現を使いましたけれど、これは、いろんな意味で、です。

加藤和彦さんに関しては、「早すぎた」という表現なども使われたりしますけれど、サウンドの技術では、あたらしいものをどんどんとりいれたり、という部分では、そうなのでしょうけれど、また、そういう部分とちがう面での表現では、「早すぎた」というのとも、ちょっとちがうと思うのですよね。
いつも、そんなこと、考えたりします。でも、よい言葉がみつからないので、ひきつづき、考えます。

収録曲:
作詞、作曲は、ZUZUさん、加藤さんなので、略しますが、編曲、加藤さん以外のものは記載。

Artichoke & Frescobaldi/ Cozy Corner(編曲:カルロ・サビーナ)/ Fancy Girl(編曲:清水靖晃)/ China Town/December Song/ Joker(編曲:カルロ・サビーナ/ Baccarat Room(編曲:清水靖晃)/ Turtle Club/ Just a Sympathy / Midnight Blue(編曲:清水靖晃)


ご自身お気に入りは「FANCY GIRL」。
イントロ、たしかにすばらしく、あぁ、打ち込みでここまでできるのだなぁと感じさせてくれますね。間奏は、清水さんとさぐりながら、だそうです。

わたしは、「COZY CORNER」が、あらためて、すごく好きになりました。
サウンドも、そして、コージーな場所の居心地が好きだったりするので…。
歌詞の「小さな宇宙」も。
この曲は、チェット・ベイカーっぽさを意識したナンバーとのこと。


COZY CORNER:




FANCY GIRL:



DECEMBER SONG:



TURTLE CLUB:



明日は、ご命日ですね。
きょうは、NHK BS プレミアム(再放送)2011年10月16日(日):午後4:30~午後6:00特集「早過ぎたひと 世紀の伊達(だて)男 加藤和彦」(優雅な生活こそ最高の復讐である もうひとりのフィッツジェラルド 加藤和彦)をみました。
いろんなこと、思いました。

番組案内引用:
「あの素晴しい愛をもう一度」など数々の名曲を生み出した加藤和彦は2009年10月、自らの命を絶った。音楽だけでなく、生き方そのものに強烈な美学が貫かれていた。加藤がいなければ、日本の音楽シーンは10年遅れていたともいわれる…

みなさんの思いもさまざまですよね。
視聴しながらのそれぞれのコメント、アラッポ・カーロさんが、トゥゲッターにまとめてくださっているものをリンクさせていただきます。
http://togetter.com/li/200967

(投稿:日本 2011年10月15日、ハワイ 10月14日)

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「傷だらけの天使」10月7日から毎週金曜日の18:00~で、再放送がはじまりましたね。
BS日テレ - 「傷だらけの天使」番組サイト

先週は、その日の夜から旅にでたりして、ばたばたしていたので、その時間には視ることができず、録画。

あぁ、明日は、もう金曜日…そういえば、第2話の前にみなくては、ということで、きょう、第一話を視聴。
(と思ってたら、明日は、特別番組放送で、次回、第2話は10月21日なのですね)

「傷だらけの天使」、ストーリーももちろん、なんといってもショーケン(萩原健一さん)が、すてきですけれど、このドラマ、出演のかたすべて、個性きわだつかたばかり、なんともいえず、すばらしいですよね。

放送は、1974年10月5日から1975年3月29日、でも、この頃は、まだこどもだったので、おませであっても、夜遅い番組はさすがにみることはできず、思い出にのこっているのは、だぶん、そのあとわりとすぐに放送されていたと思うのですけれど、夕方の再放送。

テーマソング、あのオープンニング、ほんと大好きで(多くの方、おなじ思いでしょうね)。
現在放送中ということもあるのでしょうか、そのものの映像は、ないですね。

「傷だらけの天使」の思い出の音楽では、もうひとつ、こども心に深く刻まれている曲があるのでした。

それは、岸田今日子さん演ずる綾部情報社の社長、綾部貴子といえば、な、こちら。
蓄音機から流れる、妖しく美しい調べ。

Pola Negri:Ich spür in mir



こどもながらに、綾部貴子のイメージ(そして、岸田今日子さんそのもののイメージ)にぴったりだなぁ、と思っていたのでした。歌声もちょっと、そんな感じですよね。

劇中で使われていたのは、Pola Negriのものですが
こちらは、ドラマ画像編集でのフランス語ヴァージョン。
歌っているのはGermaine Sablon。

Germaine Sablon:Je sens en moi/ Ich spür in mir




このドラマ、「傷だらけの天使」、萩原健一さんの演技やオープニングもそうですけれど、個性的な出演の方々の意見がかなりいかされて制作されていたのだそうですね。脚本を担当した市川森一氏は「13人の脚本家と監督による壮大な実験劇」とも語ってらっしゃるような作品。

この曲もそんな演出が反映されたものでもあるのですね。


「Ich spür in mir」(邦題は「マヅルカ」?)、1935年の映画「マヅルカ」(ヴィリ・フォルスト監督)で、主演女優のポーラ・ネグリが歌う中のひとつ。作詞・ハンス・モラー、作曲・ペーター・クロイダー。

当初、用意されていた脚本では、マレーネ・ディートリッヒの曲を、ということだったのだそうですが、岸田今日子さんの意見で、こちらの曲に。
(このドラマより前に、「岸田今日子が寺山修司作のNHKドラマに出演した際にBGMとして使用され、気に入ったものだった」のだそうです。)

現在は、こちら、、入手することができますけれど(ドイツもののコンピレーションでAmazon mp3、Deutsche Kultschlager, Vol. 2
など)、当時は、さがすのがとてもたいへんで、岸田今日子さんが知人のテレビ局員からレコードを借りてきて撮影に使ったのだとか。

以上、Wikipedia:傷だらけの天使の情報を引用

この曲を歌い、映画「マズルカ」に出演されていたポーラ・ネグリは、妖艶なヴァンプ(悪女)役で、出演映画の本数も多く、話題も多い、大スターだったのですよね。ドイツからハリウッドへ。チャップリンとの婚約やルドルフ・ヴァレンティノとのロマンスも話題に。ヴァレンティノのお葬式でのエピソードなど、いろいろあるようで(Wikipedia:ポーラ・ネグリ)…
「マズルカ」は、そんなスキャンダルのあと、ヨーロッパに戻り、復帰した作品の中のひとつ。

曲、『Ich spür in mir』は、調べてみたところ、同時期にいろんな方がカヴァーがあり、当時、映画とともにヒットしたものなのですね。
たしかに、なんとなく退廃的で妖艶なメロディー、心惹かれます。


Greta Keller:Ich spür in mir



インストゥルメンタルも

Marcel Palotti: Ich spür in mir



ドイツ語やインストゥルメンタルのものは、このほかにもいくつかあえい、そのほかには、他国語のものも。

さきほどはまた別のフランス語のものや
Damia:Je sens en moi/ Ich spür in mir(1935年)



スウェーデンものも

Karin Juel:Du ser på mig/ Ich spür in mir (1936年)



Zarah Leander:



同国では、Ulla Billquistという有名な方も歌ってらっしゃり(ベストのリストみてみたところ、「Samoa」や「P Tahiti」など、南太平洋テーマな歌があって、ちょっとそちらにも興味だったりします)
Den Kompletta Ulla Billquist 1936-1938


おまけ:
傷だらけの天使サウンドファイル(綾部と辰巳の陰謀)/井上堯之バンド

「綾部社長」と「辰巳さん」(岸田今日子と岸田森)は、実際の従姉弟でもありますよね。



「傷だらけの天使」はちゃんとしたサントラがあるのですね。ほしいかも。



そういえば、先日、ここ気になるなぁとすいこまれた建物があって。となりの駐車場からながめてみたりしていたのですけれど、そこは、あのペントハウスがあるビルだったのでした。こちらは、建物写真ではありませんが、その観測地点から代々木駅の線路うらがわをみたところ。


ビルは、当時も古い感じでしたけど、かなり、古さを増し、手入れも特にされていないので、たぶん、そのうちになくなってしまうのでしょうね。1階のある一杯呑み屋さんのようなところは、いまでも営業しているようでしたけれど。

(投稿:日本 2011年10月13日、ハワイ 10月12日)

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きょうの月、今年で一番、遠い満月なのですね。
その距離は、地球から約40万6427kmなのだそう。
AstroArts:2011年10月の天文現象

うちからみえる月はちょっとおぼろ月(ほんらいならば、春の季語ですけれど秋も、そんな宵がありますね)。
月が一番遠い距離ということは、とっても高いところにあるというのかなぁ、などと思いながら、『How High The Moon』、について。
今夜も、スタンダードのナンバー、なじんでいながら、あらためてがたくさんある曲。

たくさんのミュージシャンが演奏、歌っている曲なので、再生リストなどもいつかつくりたいとは思っているのですけれど、こちらにはいくつかを。

『How High the Moon』、とても印象的な詞とチューンが、ちょっと切なく、美しく。
作詞は、ナンシー・ハミルトン(Nancy Hamilton)、作曲は、モーガン・ルイス(Morgan Lewis)、1940年の作品。
ブロードウェイ・ミュージカルの『Two for the Show』にて、歌われたもの(このミュージカル、この曲が歌われるシーンは別として、全体としてはヒューモアあふれる作品なのですね)。

レコーディングとしては、1940年2月に、ベニー・グッドマン・オーケストラのものが最初の作品だそう(こちらは、のちの演奏はありましたが、ファースト・レコーディングものは、動画ではみつからず…)。

こちらには、すべてというわけではないと思うのですけれど、カヴァー・アーティスト情報が(ここだけでも60以上)。
Wikipedia:How Hight The Moon:Other Versions

とってもすてきだなぁと思ったスタン・ケントン・オーケストラとジューン・クリスティのものは、1948年のレコーディング。ビルボードのベスト・セラー・チャートで27位に。

Stan Kenton & His Orchestra with June Christy: How High The Moon(1948年)



1951年のレス・ポールとメリー・フォードの、よく知られるヴァージョンは、25週連続チャートイン、9週連続1位を記録しているのですね。

Les Paul Mary Ford:How High the Moon
やっぱりよです、このヴァージョン☆



そのほか、レコーディング回数として、多いものとしては、エラ・フィッツジェラルドのもの。1947年9月にカーネギー・ホールでのライブで歌い、同年の12月にレコーディング。もっともすばらしいといわれているものは、1960年のベルリンでのレコーディングのものとか。

Ella Fitzgerald(ELLA IN BERLIN): How High The Moon(1960年)
たしかに、あらためて、このヴァージョンよいですね



レコーディングものではないのですけれど、テレビ・シリーズ探偵ドラマ「ピーターガン」シーズン1、エピソード5での、ローラ・オルブライトのもの、お気に入りのひとつでもあります。

Lola Albright:How High the Moon



とってもすてきなスローでエキゾチカ・テイストの、気になりの日系二世シンガー、パット・スズキ(Pat Suzuki)のヴァージョンは、1953年の録音。映画、『Biloxi Blues』(1988年)や『Eat a Bowl of Tea』(1989年)でも使われているのですね。



とすでに、長くなってきているのですけれど..
「あらためて」な部分は、この曲をベースにした作品があるのですね!
という気づきなのでした。

(こちらも引き続きwikipedia情報なのですが、英語、ジャズものやスタンダードものの曲情報、Wikipedia、くわしいものも多いですね…)

チャーリー・パーカーの『Ornithology』はコード展開にてこちらを基にしているそうで、よくジャズ・ミュージシャンやシンガー(たとえばElla Fitzgerald、 Lionel Hampton)の方々はライブ演奏で、『How High The Moon』に『Ornithology』を流れで組み込ませたりするそうです。

CHARLIE "BIRD" PARKER:ORNITHOLOGY
たしかに、です!



マイルス・デイヴィスの『Solar』やジョン・コルトレーンの『Satellite』も、なのだそう。
(タイトルが宇宙アイテム的なことも、ちょと気になり)

Miles Davis Quintet:Solar(1954年)



John Coltrane:Satellite(1960年)



そして、「トリビア」としてあげられていたのが、
ザ・ビートルズのキャヴァーン・クラブで、最初に演奏した曲は『How High The Moon』だった。(レス・ポール記録もの映像『Les Paul: Chasing Sound』にて、ポール・マッカートニー語る)

やはり、こちらも、いつもながら、毎回おなじパターンで、あらためて調べてみると、なのでした。

(今度、気長に再生リストつくりたい☆)

(投稿:日本 2011年10月12日、ハワイ 10月11日)

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きょうも、先日にひきつづき、クラシック曲がベースとなっているポピュラー・ソングについて、あらためて。

「英雄ポロネーズ」として親しまれているショパンののアダプテーションである『Till The End Of Time 時の終わりまで』。

『I'll Close My Eyes』の作詞なども手がけるBuddy Kayeによる作詞と、Ted Mossmanによる作曲(というか編曲でしょうか…でも、アレンジャーではなくてコンポーザーなのですね…)で、1945年に、『Till The End Of Time』として生まれかわりった、ゆったりとしたメロディーと、オールド・タイミーな曲ならではのロマンチックな歌詞がすてきな、ラブソング。
あらためて意識をおいてみると、韻がやはりシンプルで美しく。

Till the end of time, long as stars are in the blue
Long as there's a Spring of birds to sing I'll go on loving you
Till the end of time, long as roses bloom in May
My love for you will grow deeper with every passing day

Till the wells run dry and each mountain disappears
I'll be there for you to care for you through laughter and through tears
So take my heart in sweet surrender and tenderly say that I'm
The one you love and live for till the end of time


ポピュラーソングとしては、おそらくペリー・コモのヴァージョンが一番のおなじみで、ほかにもたくさんのヴァージョンが。

調べてみたところ、当時、1945年、同じ年に4つのヴァージョンがリリースされているのですね。
レコーディングやチャートに関する情報も
Wikipeida:Till the End of Time (Buddy Kaye and Ted Mossman song)にて
みつかったので、きょうは、この競作や、そのほか、数年にしぼってのことをこちらに φ(..*)

ほとんど同時期で、正確なリリース日はわかならいのですけれど、レコーディング日順に。

まずは、1945年5月17日録音、コロンビア・レコードより、レス・ブラウン・オーケストラとドリス・デイによるもの。
ビルボードのポップ・チャート最高3位

Les Brown with Doris Day:Till The End of Time
(『Till The End of Time』から『You've Got To Cross The Atlantic To The Pacific』へとつづきます)



1945年7月2日には、デッカ・レコード(Decca)、ディック・ヘイムズがレコーディング。
9月13日から8週連続ビルボートでチャート・イン、最高3位

Dick Haymes:'til the end of time



一日ちがいで、1945年7月3日に、ペリー・コモ、RCAビクター録音
こちらは、17週連続チャートイン、10週連続1位という大ヒットとなり、ペリー・コモ初のナンバーワン・ヒット・ソングに。

Perry Como:Till The End of Time



チャートインとはならなかったようですが、同年7月15日、コロンビア・レコードでは、ジニー・シムズのレコーディングものも。

Ginny Simms:Till the End of Time



ペリー・コモは、自身が歌ってきた数あるナンバーの中で、この初のナンバーワン・ヒットである『Till The End Of Time』をお気に入りとしてもあげているようですね。


引用:先のYouTubeの転載の"The Incomparable Como" Readers Digest UK compilation 1975年の記述より:
"Ask Perry Como which of all the songs he's recorded is his personal favourite,
and he'll answer: "Till the End of Time".

この曲と同タイトルの『Till the End of Time 』という映画も、翌1946年に公開されているのですね。
Till the End of Time (film)

文字情報ではまださがせていないのですけれど、ラジオ・ドラマにもなっていたようですね。
1947年1月6日放送というものがみつかりました。



という感じで、知ってるかなぁ、と思う曲でも、まだまだ知らないことがあるのですね…。
あらためて、気にしてみて、よかったです。

一連の競作とはことなりますけれど、レノン・シスターズがザ・ローレンス・ウェルク・ショー、番組内で歌うこちらのヴァージョンは、かなりのお気に入り :)

Lennon Sisters:Til The End Of Time(1958)



最後になりましたが、ショパンの「英雄ポロネーズ」。
演奏は、アルトゥール・ルービンシュタインによるもの。ホールなどでも演奏とちがい、この映像、雰囲気もすてきな。

Chopin - Heroic Polonaise Op. 53 - Arthur Rubinstein



(このようなアダプテーションもふくめ、クラシック関連の投稿もいつのまにかそれなりな数になってきたので、クラシックもカテゴリーでわけてみました)

(投稿:日本 2011年10月11日、ハワイ 10月10日)

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またもや、導きになりそうな、とってもすてきなコンピにであってしまい、昨日から、頭の中、ぐるぐる、状態です。
昭和ジャズ大全~幻の名盤・秘蔵盤~』、コロムビア創立100周年記念企画として、昨年発売されたもの。昭和の日本ジャズ・シーンを代表するミュージシャンの方々の作品を集めたコンピレーションなのですが、その名のとおり、収録されているのは、「幻の名盤・秘蔵盤」という、CD化されていないアルバムや現在、再販されず入手困難となっている15枚のアルバムから4曲づつ(若干例外も)抜粋され、3枚組CDになってます。

この『昭和ジャズ大全~幻の名盤・秘蔵盤~』もうどうしようかと思うくらい、すばらしいです。
ライナーノートも、よいです、シンプルながらも、アルバムやアーティストの紹介、またつながりなど、ほどよくくわしく、わかりやすい解説があり。

また、収録曲ですが、4曲というのが、びみょうな数で、1曲というものより、さらにアルバム傾向もわかり、オリジナルがほしくてたまらなくなり…

さらには、聴きながら、解説読み、さらに、所有本、瀬川昌久氏と大谷能生氏共著の『日本ジャズの誕生』をひもとき、さらなる導きも、なので、さらに、くるくると…

このコンピからうけた感銘は、ちょっといちどにまとめては書くことができないので、気づきやさらなる関連など、アーティストくくりでなのか、オリジナル・アルバムについてなのかは、まだわかりませんが、いくつかにわけ、すこしづつ記していきたいと。

きょうは、まず、コンピの最初にとりあげられていた、レイモンド・コンデ氏について。

こちらで紹介されているのは、『ナイトクラブで踊りましょう(NIGHT CLUB IN SOUND)』というオムニバス盤(アルバムは、大橋節夫とハニー・アイランダース、八城一夫トリオとのカップリング)から。

レイモンド・コンデとゲイセプテット:(1959年)
レイモンド・コンデ(クラリネット、ボーカル)、蓮見芳男(ギター)、内田晃一(ヴィブラフォン)、松本優(ピアノ)、大野嵩(ドラムス)

アルバムのジャケットはこちら。ナイトクラブ、すてきです☆


(接写でちょっとぼけてしまいました)

収録曲は、4曲「ローズ・ルーム」、「ネイチュア・ボーイ」、「レディー・ビー・グッド」、「別れても」に加え、未収録の1曲「ユー・ビロング・トゥ・ミー」。
(「あの頃の人たち レイモンド・コンデとゲイ・セプテット」にも、さらなるナンバーとともに収録されてるかもしれない気がしてます)

レイモンド・コンデさんのクラリネットの音色は、とってもあたたかいですね :)
そして、「ネイチュア・ボーイ」、「ユー・ビロング・トゥ・ミー」歌声も。

レイモンド・コンデ氏については、いままでも、先にふれた本、『日本ジャズの誕生』ほか、日本のジャズ関連の書籍などで、お名前には、すこしなじみがあったのですけれど、思っていた以上にとても影響力のあった方なのですね。

ということで、すこし、そんなことをまとめてみたいと(人名多いので敬称略させていただきます)。

コンデ3兄弟(ヴィディ、ゴリオ、レイモンド)のは、フィリピン出身ですが、日本に来る前には、ハワイのジャズシーンでも演奏したりしていたのですね。

長男であるヴィディは、ボブ・ヒール・バンドにも所属していたことがあり、日本で初めてジャズのライブ演奏をした外国人のひとり、1922年に上野で開かれた平和記念大博覧会でのことだそうです。大正時代。
その後、日本でも、ジャズ歌謡作品にレコーディング参加。

末っ子、レイモンドが、日本にやってきたのは、1934年、当時、18歳。早稲田大学の留学生として。在学中には、上海租界などで、兄たちとともに演奏。
数年後には、南里文雄やフィリピン出身のフランシスコ・キーコとともに松竹軽音楽団を結成。戦時中は、対米謀略放送でも。
終戦後、1947年は、キーコと角田孝とゲイ・セプテットを結成。その後、。ジョージ川口、与田輝雄、キーコと一度は、新しくゲイ・クインテットを立ち上げ、ナンシー梅木、角田が合流し、7人になったので、ふたたび「セプテット」に。
「ゲイセプ」とよぶらしいです。
ゲイ・セプテットは、その後有名になるさまざまなミュージシャンも所属していたバンドですね。
小野満、平岡精二、白木秀雄も、のちに参加。ともに活動していたシンガーは、マーサ三宅、松尾和子など。
ゲイセプは1960年代に解散となりましたが、レイモンド・コンデは、その後も、日本のジャズ界をみまもりながら活躍。他界されたのは、2003年。

収録曲、レコーディングそのものの動画はみつかりませんでしたが、レイモンド・コンデ氏のもので。「レディー・ビー・グッド」もちょうど入ってます。

日本のトップジャズメンたち レイモンド・コンデ
(約30分と、長い動画です)



レコーディングものとしては、こちらがありました。
やさしくあたたかい歌声♫

78rpm 蓄音機で Gay Sextet ''MONA LISA'' Vo; Raymonde Conde



「日本ジャズの誕生」で参考にしたい章:
ダンスホールとナイトクラブ
(レイモンド・コンデ、ほかにもでてきてますけれど)

こちらの「ナイトクラブで踊りましょう」は、タイトルからで、もちろんなのですけれど、日本のジャズ、独特のスイング感というのは、どことなく懐かしいダンスホールやナイトクラブを思わせるのですよね(生まれてないのですけれど…)。
ナイトクラブ、いきたくなります☆

(週末は、ちょとおやすみで来週にまたほかのアルバムやアーティストについてのつづきを)

3枚中、1枚目CDでの収録アーティストおよびアルバム:
レイモンド・コンディとゲイセプテット「ナイトクラブで踊りましょう」/中村八大モダン・トリオ「中村八大 "日本の旅"」/小野満トリオ「ファンキー・ジャム・セッション」/平岡精二クインテット「あいつ/ 平岡精二作品集」/フランキー堺とシティ・スリッカーズ「スパイク・ジョーンズ・スタイル」

2枚目、3枚目はの収録アルバムの詳細はおって…


(投稿:日本 2011年10月6日、ハワイ 10月5日)

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昨日につづき、クラシック関連、きょうは、ポップスで、最近、偶然聴いて、もしかするとこちらもインスピレーションものなのかなぁというもの。

Little Peggy March:Oh My What a Guy



ペギー・マーチ、リトル・ペギー・マーチ時代のもの。アルバム『I Will Follow Him』に収録の『Oh My What a Guy』。
ドリーミーな詞がすてきな曲。

調べた範囲では、とくにそういう情報はないので、勝手にメモという感じですね。
さびのあたり

It's so wonderful to be so in love
And know that he loves me ♫

のところ、展開が、『愛の夢 Liebestraume No.3』、すこし入ってるなぁと思ったのでした。

『愛の夢 Liebestraume No.3』はこちら、すこし展開がかわる、もりあがりの部分ににてるかなぁと。

Liszt / Eugen d'Albert, 1913: Liebestraume (Liszt / d'Albert)



先のペギー・リーの件は、私的推測なのでさだかではありませんけれど
こちらはカヴァー、リスト『愛の夢』ものとして、有名ですね。映画、『Viva Las Vegas ラスベガス万才』(1964年)での『Today, Tomorrow And Forever 恋の賛歌』(これも観てないので、観ないとなのですけれどね)

Today, Tomorrow And Forever




φ(..*)

ポップスのクラシック関連、いままでも『ラバーズ・コンチェルト』などについても書いているのですけれど
ラバーズ・コンチェルト ザ・トイズ/ 布施明&ザ・ピーナッツ/ 金井克子
ほかにもいろいろで。気づいてるのまとめてないものとかたくさんあったような気がします。
クラシックは根底、ポップスつめていきたいものなので、これからは、気づいたときに書いていこう…と、思っております。
すこしづつ。

(投稿:日本 2011年10月5日、ハワイ 10月4日)

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きょうは、スタンダード的なのに、じつは、いままで知らなかったという曲『The Lamp Is Low』について。

この曲のこと、もっと知りたくなったきっかけは、昨日、ちょっと気になりのTak Shindo さんの曲をいくつか聴いていて。
あれ?これって…と。

Tak Shindo:The Lamp Is Low(1959)



このメロディー、なんかちょっと陽気でグランドな感じですけれど、ラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』…

ということで、調べてみることにしました。
『The Lamp Is Low』は、1930年代に、ミッチェル・パリッシュ作詞、ピーター・デ・ローズとバート・シェフター作曲によって作られたもの。

当時のレコーディングとしては、1939年のミルドレッド・ベイリー(Mildred Bailey)が知られ。
こちは、原曲であるラヴェルの静かな感じにちかいですね。

Mildred Bailey:The Lamp Is Low(1939年)



その後、さまざまなミュージシャンにカヴァーされているのですね。
(はい、ここからほとんど、Wikipedia情報です。Wikipeida:The Lamp Is Low
トミー・ドーシーやハリー・ジェイムス・オーケストラ演奏による若きフランク・シナトラのボーカルものなど。
1939年のヒット・パレード、ポピュラーソングランキングでは、9週連続でチャートイン、という人気だったとか。
(ここで、問題になってくるのが、作曲について、ですけれど、やはりかなりにているので、ラヴェルの遺族からのクレームなどもあったようで)

歌詞は、すてきな夢をみながら眠りにつけそうな(もともと、この曲、メロディー自体もそうですね)。
シンプルだけれど、韻のふみ方がとてもやさしくて、すてきです。
空高い月と低いランプという灯りの対比やゆれる影も美しく。

Dream beside me in the midnight glow,
The lamp is low.
Dream and watch the shadows come and go,
The lamp is low.
While you linger in my arms,
My lips will sigh I love you so
Dream the sweetest dream we'll ever know,
Tonight the moon is high,
The lamp is low.

夜の長い季節にふさわしい、やさしいメロディー
月の高い、きれいな秋の夜にもよいかも。

Doris Day:The Lamp Is Low(1959年)



おだやかに眠れそうなコーラス。

THE NORMAN LUBOFF CHOIR:THE LAMP IS LOW



ジャズでも、ボーカル作品でないものには、軽やかなアレンジなどのものも多いようです。

George Shearing:The Lamp Is Low



Booker Ervin:The Lamp Is Low



動画にももちろん、これ以上にヴァージョンがあるのですけれど、作曲などの件もあるせいか思ったよりはすくないような。
もっともっと。かなりのカヴァーがありそうです。Amazon みただけでもたくさんでした。
"The Lamp Is Low"
アレンジもさまざまなようで、これからレコード探しなどの道しるべともなりそうな、気にしたい一曲です。

(投稿:日本 2011年10月4日、ハワイ 10月3日)

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レコードを整理するたびに、また聴いてみなくちゃと、みつめるアルバム。
手にした当時、愛聴だったからというより、あまり聴きこまなかったから、というものが、なんだか気になるものです。

EP - 4の『リンガ・フランカ 1 昭和大赦』は、まさにそんな一枚。
「聴きこまなかった」というのは、ある意味ちがうのかもしれないのですけれど、このアルバムは、何度聴いてみても、文字やビジュアル、情報ではいってくる、このユニットのメッセージというものと、そのサウンドが、それぞれに気になる部分、ひかれる部分があったのですけれど、自分の中でどうもくいちがうという印象をもった一枚でした。
(たぶん「気になり」は、そこにもあったのだと思うのです)

答えさがしのように、きょうは、この『リンガ・フランカ 1 昭和大赦』に、30年弱ぶりに針をおとしてみました。

きっかけは、バス停でみかけた、このステッカー


早稲田の馬場下町、大学ちかくです

バスを待っていたわけでもなく、そこを通りすぎただけなのですが、目に飛び込んできた小さくも、時がさかのぼったような光景に、思わず、「えっ?」まさか。見まちがえ?
(まさに目をこすってみる、という感じで)再度、確認。
まちがいなく、あのステッカーです、「EP-4 5・21」
「あ、ほんとだ。みまちがえじゃない…」と写真におさめ…

まさか、1983年のあのときから…などしばし考え。
そういえば、再販のニュース、目にしたような…

そう、『リ・ン・ガ・フ・ラ・ン・カ DELUXE (Lingua Franca - An Edition Deluxe -)』という
「「リンガ・フランカ-1/昭和大赦」(1983年/日本コロムビア)と「リンガ・フランカ-X/昭和崩御」(同年/ペヨトル工房)+ボーナス・トラックのデラックス・エディション」リマスタリングが、EP-4、佐藤薫責任監修により、「28年目の正式発売」ということで発売されたのでしたね。

う~ん、それにしてもあるのステッカー、付録か何かでついていたのかなぁ、と調べてみたりしたところ、数は限られていたようですが、どうやらそうらしく。
という訳で、1983年の置き土産、では、なかったのですけれど、
1983年5月21日アルバム発売の一連の、、あのときとおなじように、まさにな場所に貼ってあったことに、当時の感覚的な記憶がよみがえりました(あのときも、電話ボックスとか、バス停とか、電柱とか、そんなような場所に貼ってあり)。

わたしは、この再販のときにちょっとした動きがあったことに気づかなかったのですけれど、「EP-4 5・21」ステッカー発見の旅 写真集、として、今年の5・21にむけ、公共の場所に貼られた写真をトゥギャッターにまとめたというものもみつけました。
トゥギャッター(by grn_spdr さん):EP-4 5・21:「EP-4 5・21」ステッカー発見の旅 写真集 + α

すこし長くなってしまいましたけれど、1983年当時、「昭和崩御」のタイトルがレコ倫に触れ、発売中止となり、「昭和大赦」というタイトルで発売されるなど、いろいろあったこと、くわしくは把握しきれないままだったということをとてもよく覚えているのです(高校1年生になったばかりのころ)。
個人的には、「崩御」はたしかにふれるのもわからなくもないですけれど、むしろ、正式に発売された(所有の)「昭和大赦」のジャケットは、かなりショッキングだったのでした。ともに写真は、藤原新也さんで、同氏は、アルバムによせた文章もお書きになっています。

このジャケット話やタイトル、カセットブックへという流れなどは、ブログなどでも書いてる方も多く、自分が思うところにちかいかなぁというこちら2つのサイトをリンクさせていただきます。

SDC(セイカ・デザイン・クラブ):グレ~トレコジャケ・ダイアリー:EP-4 "Lingua Franca ~昭和大赦~"(日本コロムビア,AF-7205,'83)

POP ACADEMY:EP-4


あらためて聴いてみた感想は、やっと、ここから、です。

EP-4、そしてこのアルバム、やっぱりすごいですね。いま、ようやく、メッセージとサウンドが一致して聴こえてきました。

自分が当時よりはすこし物を考え、世の中というものを感じたりするようになったからというのもあるのでしょうが、もしかしたら、こういう風になった、いまの時代だから、あのときのメッセージはこんなだったのか、というのもあるかもしれません。

藤原新也氏がよせた文章は、一巡聴いてから読んだのですけれど、あああ!という感じで。たとえとして、ピンク・フロイドをあげていたこと。

わたし自身、このアルバムをあらためて聴いたときに、サウンドはファンクなのですけれど、ピンク・フロイドの叫びやノイズと同質のような、またちがったような、でも比較してしまう、というものを感じたのでした。

ということで、氏のコメントを一部抜粋

「…一見サンバ風のフットワークを踏んでいるようにみえるThe Fump Jump(曲名)にしたところで、それは、南米の光の下で…うまれたものではなく、45分毎に三錠のヴィタミンEの化学反応によって得られる質のリズムと持続であるように思える。その奇妙なフットワークの中で、多分EP-4独自のものだと思われる、いくつかの曖昧な肉声を聞いた。彼らの一度だけ使う犬の声は、例えばピンクフロイドの犬の声が、都市からその外部の彼方の開かれたものに向う遠吠えであるのとは異なって、目の前の資金距離の都市のエッヂに食らいつく… 80年代の赤子固有に持つ宿命だろう…」

オリジナルのタイトルだった「崩御」が象徴するものは、昭和50代になり一気におとずれた、時代が生み、抱え込んだ、「やまい」のようなものだったりするのではなかったのかなぁ、などとも思い、いまの時代につづく一連の、何か、も感じます。

ひじょうに1980年代的なエッセンスをもちつつ、サウンドとしては、あの当時の一連ともまったくことなりますね。
個人的には、当時受けた印象より、さらに新鮮に感じました。
たしかに、カッコいいです。これは、ほんと、いまでも、まちがえなく。
ファンクであり、プログレであり、インダストリアルな中に響く、先にあるような一種独特の生命感。
(海外の方のジャンル解釈でもJapanese Progressiveとなってるものが)

ノイズ音やリズムの要素もさまざま。ぶくぶくの水の泡、お囃子、相撲太鼓などのようなパーカッション。お題目のようなチャントのようなボイス。

熱心なファンの方は、そのあたりの意味や示唆するものに関しても語られているのでしょうけれど、この度の再販にあたり、評価、コメントなど、サウンドとあのときの現象などを語るにとどまっているものが多いみたいですね。

例えば、こんな感じだったりします(これは、DELUXの前に再販された『昭和大赦』の…内容紹介)
「ZAZOUに続く渋谷ジャズ維新「NO SHIBUYA」シリーズ第2弾!覚醒!!ヘヴィーでインダストリアルなエレクトロ・ファンク! 東京NO WAVEの最重要ユニット EP-4唯一のアルバムが遂に復刻!JAZZANOVAも注目のエレクトロ・ブレイクビーツの中でも最も人気が高いEP-4唯一のアルバムが遂にCD化! 全編を貫くヘヴィーでクールなファンクネスと毒を孕んだポップ・エッセンスとエレクトロ・ビート。重たいビートと鳴り響く鐘の音で始まる「ロボフッド・プロセス」。ジャコ・パストリアスのフレーズを思わせるイントロがファンキーな「ザ・フランプ・ジャンプ」。ギターのカッティングに重たいビートが絡みつく「シミラー」。コミカルな“ココ、ココ、ココ”というヴォイスがマッドな世界を形成する「ココナッツ」などどれもが身震いするほどのカッコよさ!」


アルバムとして聴いたのは、『リンガ・フランカ 1 昭和大赦』ですけれど、『リンガフランカ X 昭和崩御』も動画(こちらがまた映像もすごいです)ありましたので。

リンガ・フランカ 1 昭和大赦
1. ロボットフッド・プロセス



2. ザ・フランプ・ジャンプ
3. シミラー



4. ココナッツ
5. E・パワー
6. トーキン・トラッシュ
7. ブロークン・バイサクル
8. タイド・ゲージ


リンガフランカ X 昭和崩御
1. ココ



2. ディービー



3. ゾーイ



4. ストレンジネス

カセットブック、ペヨトル工房、当時の京都のミュージックシーンなど、いろいろほかにも当時ならでは関連へともつながるっていきますが、もうすでに相当に長くなってしまいました。あいかわらず

EP-4といえばの佐藤薫さんは、とてもパワーを感じる方で。
最近は、また、佐藤薫+BANANA-UG(EP-4 Unit3)としての活動もされているようですね。

先月には、9月1日から日、江戸糸あやつり人形座 創立7周年記念特別公演「アルトー24時」の音楽も。
佐藤薫(EP-4 Unit3)特別インタヴュー | アルトー24時 | 芥正彦

(投稿:日本 2011年10月3日、ハワイ 10月2日)

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昭和のレビュー史を語るになくてはならない存在である、ムーランルージュ新宿座。
昨日、歴史を語るドキュメンタリー映画『ムーランルージュの青春』を新宿、K'sシネマ観てきました。

これから全国各地で上映も予定されているようです。
「ムーランルージュの青春」オフィシャルサイト

ムーランルージュ新宿座は、1931年(昭和6年)の開館から、1951年(昭和26年)5月の閉館まで、多くの俳優、劇作家、歌手を輩出し、歌と踊りとバラエティの文化を築いてきた殿堂。

このドキュメンタリー、もともとは、ムーラン出身の方々のコメントや画像をもとに当時のムーランの様子をたどるというもの。



多くの方々がすでに他界されてはいるのですが、まだご存命の方々からの貴重なコメントは、いまだからこそ、というときですね。

トップスターだった明日待子さん(現在は、北海道で日舞の名取となり五條珠淑さんとして、活躍)や同じくトップスターだった小柳ナナ子さんのお嬢様、奈良典子さん(後期子役として舞台に出演)をはじめとし、さまざまな方のインタビューなどから、当時のムーラン文化を伺い知ることができました。

レビューの内容は、歌とダンスはもちろんのこと、浅草とはまたことなる流れと特徴をもち、文芸部が中心となった軽演劇や、世相を反映した日替わりの哲学講座というショートプログラムもあったそうです。

あった場所は、東京市淀橋区角筈、いまの新宿3丁目「新宿国際会館ビル新宿国際劇場ビル」のあたり。
(旧町名:余談:角筈の町名はいまはありませんが、区の行政区分というか図書館の名前などに残っています)


ほんとに数多くの方々が関わってらしたので、語るべきことは多いのですけれど、それぞれのご活躍をちょっとここで一度に全部まとめることはむずかしく。

プログラムの内容とあわせて、また折に触れてすこしづつ、たどっていきたいと思います。

プログラム、表紙は、宇野亜喜良さんが描いた明日待子さん
掲載の当時の写真や年表もあり。

From ミュージック・映画・文学関連

From ミュージック・映画・文学関連

ということで、きょうは、まずはで、当時在籍されていたおもな方々のお名前をこちらに。
人気がでてくると引き抜きもあり、在籍年数はまちまちですが、その後、映画の世界などに移った方も、みなここを足がかりに次のステップへと。劇場自体も、またそんな活躍をよろこんで見守っていたそうです。

俳優・歌手:
高輪芳子、有馬是馬、森野鍛冶哉、轟美津子、春日芳子、水町庸子、望月美恵子、明日待子、小柳ナナ子、水島道太郎、武智豊子

左卜全、有島一郎、宮城けんじ、由利徹、三崎千恵子、春日八郎、沢村いき雄、市村俊幸、水谷八重子 (初代)、千石規子(ジャバというニックネームがあったのですね…)、郷宏之 (青木湯之助)、若水ヤエ子 、楠トシエ 、森繁久彌、谷幹一、ハナ肇

と後期の方々は、テレビ時代黎明期の活動にもかかわり、ご活躍された方も多いですね。
大好きな方も多いです。

楠トシエ:りんごの唄 La pomme est un fruit
レビュー的なイメージ




心に残ったエピソード:

明日待子さんは、雑誌モデルやキッコーマン、カゴメ、加美乃素、カルピスの初恋の味の初代モデルとしても活躍というアイドルのはしり。戦時中、出兵前の学生たちの「明日待子、万歳!」という声援をうけ…というエピソードはなんともいえない思い出とのこと。

ムーランには、新宿拠点の方を中心に(新宿近辺は作家の都でもあります)当時の作家や映画監督なども多くおとずれていたそうで、その支持にもさらに関心をいだくこととなりました。

また、かなりの関心事となりつつあるのが、中村公彦さんの足跡。
1950年代、1960年代の松竹、日活での自分の中でとても気になる映画美術をてがけていたことを知り、いま、中村公彦さんのワークについて、もうすこし知りたいなぁと思っているところです。
中村公彦さんが美術を手がけた映画。実にたくさん
中村公彦 (ナカムラキミヒコ):美術
この本も、読んでみたい。



この映画に触れ、以前よりさらにムーランへの興味が深くなり、またまたお題は増えていくのでありました。

(投稿:日本 2011年10月1日、ハワイ 9月30日)

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