数日間、苗場周辺、ずっとお天気は吹雪のような感じだったそうですが、2日目、夜の粉雪でのふかふかスノーはそのままに、晴れ。さわやかな朝をむかえました。



こんな朝の気分は

スノー・ドルフィン・サンバ(1967年)
作詞:中村小太郎、作編曲: 渡辺貞夫 
聴いていたのは、アストラッド・ジルベルトのヴァージョン「恋のスノー・ドルフィン」でしたが、ユキとヒデのヴァージョンで、シングル「恋のスノー・ドルフィン」B面のこの曲を。
題字: 岡本太郎(いいですね)
このギター、すごくいいですね。ギターも出門ヒデさんでしょうか。



こんな感じもいいですね~♪これ、よく聴いてました。
高中正義:PARALLEL TURN
作詞:すずきしゅう 作曲:高中正義



いよいよ、小4わが子、ゲレンデ・デビューということで、スクールでレッスンを。
ほんとは、一般ジュニアみたいなのに入れようかと思ったのですが、なんだか、ちょっとためらいもあったので、思い切って(?)ちびっ子と一緒に室内から練習するクラスに入れてみました。

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このクラスはこのクラスで、小さい子と一緒なのに抵抗がありそうだったので、初めてというのは、いくつでも一緒だから気にしないでやりなさいとさとし。
これが意外と功を奏して、あきらかにちびっ子よりはできるので、ややマンツーマン的にみてもらうことができたのでした。2時間でかなり上達。
で、わたしの方は、ちょっとだけできるスノーボードは今回まったくやるつもりはなく(ちょっとこだわり思考があり)、ほんとは、この時間にレッスンでも受けようかとも思っていたのですが、レッスンずっとみてました。

とりあえずは、キッズ・ゲレンデでならし滑りをさせ、この年齢になって、いまさらですが、わたしはわたしで、レッスンを受けてみることに。なんとか、リフトにのって初級者コース、超初心者な感じでおりてこれる程度には…。

こども、さらに上達、暗くなっても、やめないとききません。すでにリフトのってさっさとという感じに。
そして、「ぼく、スキー馬鹿になる」宣言が!
(「○○○馬鹿」という表現は、いまどきちょっと使わないですよね。先日、何かのきっかけで意味を教えていたのを覚えていたようでw)

連れていくまでは、楽しんでくれるかどうかと思っていたので、結果、思っていた以上に満喫してくれたのでよかったです。
野球、空手、とやったりしたものの、テニス、フェンシングなどはすすめてもあまり乗り気でなく、今までここまで夢中になったスポーツはありません。これは、ちょっとバックアップしてあげたいですね。いろいろやりくりしないとです。なんとか今シーズン中にあと2、3回ぐらいは連れて行ってあげたいなぁと。

Twilog:
1月29日1月30日

[こども、スキー馬鹿になる]
「スキー馬鹿になる」宣言もでた、今回のスキー経験は、こどもにとても有意義なものとなったようです。

そもそもは、わたしが経験させたいというものだったのですけど。
(自己のウィンター・スポーツ逃し経歴もあり。自己のウィンター・スポーツ逃し経歴:中学生の頃にひざの故障を経験し、ある時期ドクター・ストップがかっていたため、スキー、アイススケートと、滑りものウィンター・スポーツにはなく、なんとなく機会を逃し。20代に友人の影響でちょっとやってたスノーボードはやったりしていたのですけれど、極めて上達にいたらず、という)
こどもには、成長過程で、どんなとこへ行ってもある程度は遊びをたしなむスポーツ系リゾートライフをある程度体験させたいなぁというものがあり。これには、ある年齢に達する前にということもあり(多分、これも自分があまり経験してないことが理由で。父は仕事が忙しく、旅行もちがったスタイル。小中学生のころに、その年齢でそういう遊びを楽しむ周りのひとに対して、ハイソやっぱりちがうなぁ、みたいな憧れがw いまどき、そんなことはないでしょうけど)。
なぜ、スノーボードではなく、スキーなのかということも、ここに起因。ダークダックス的、そして何より若大将的、皇族系だったり、いろいろイメージがありまして。
「たしなむ」といえる程度には上達して欲しいと願うのでした。
こちらを参考に映画なども、みさせるのもよいかもしれないですね。
アラッポ・カーロの備忘録:スキー映画特集
スキー映画 スキーの映画年表の部屋

(投稿:日本 2011年1月31日、ハワイ 2011年1月30日)


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今週末は、苗場、スキーに行ってまいりました。ひさしぶりのウィンター・リゾート、雪の世界、やっぱりよいですね。
写真と関連曲など、ちょっとばらばらポストではありますが、旅まとめ。

ハワイ南国育ちで、去年まで雪をみたことがなかった、こどもには、絶対、スキーを楽しんでもらいたいという思いがあり。
(ウィンター・スポーツに関しては、スキーその他、いろいろ自己の思いもあり)
昨シーズンもスキーデビューさせたかったのですが、たくさんの雪をみせようと、春に軽井沢に連れていったときは日帰りで時間なく、今シーズンこそは、と思っていたのです。
そんな折、幸運なことに知人から苗場プリンスの宿泊券1泊分をいただいたので、もう1泊分を追加して、2泊3日。今回の苗場旅行となったのでした。

ますは、2週間ほど前に苗場プリンスに電話で予約。
「お~、さすが。ここはいまでも"スキー天国"ね」と、電話保留ミュージックもこちらでした。

松任谷由実:サーフ天国、スキー天国~アルバム「SURF&SNOW」(1980年)
スキー場、そして、苗場といえば、ユーミン、松任谷由実さん。期間限定苗場プリンスホテル名誉総支配人です。
毎年行われている「松任谷由実 SURF&SNOW in Naeba」も今年でもう31周年ですね。
松任谷由実オフィシャルサイト:松任谷由実 SURF&SNOW in Naeba Vol.31



「SURF&SNOW」、このあたりのユーミンは、まさにゲレンデで出会いがあった、姉の青春のイメージ。
ちょうど姉の運命の出会いの1年後、ユーミンの『サーフ天国、スキー天国』が主題歌となったホイチョイ・プロダクションズの映画「私をスキーに連れて行って」があり、一大スキー・ブームもやってきたのでしたに(ユーミン「SURF&SNOW」、アルバムとしては、もう少し前ですが)。
この映画、および当時の雰囲気は、こちらのアラッポ・カーロさんのブログにある感じですね。挿入歌もまとめが。
アラッポ・カーロの備忘録:スキーいきた~い 「私をスキーに連れてって」再び

この時期、10代だったわたしは、ドクター・ストップがあり、スキーをはじめることは、できなく。でも、この雰囲気はしっかり覚えてます。映画の舞台は万座ですが、苗場に行ったのも、姉の何度目かのスキー旅行、いま義兄となった当時のボーイフレンドたちのグループなどに、「みるだけスキー旅行」で連れていってもらって以来(姉的には、妹と旅行するの、家族に名目ともなり。一応、公認になりだしてから)。

と、なんだかこちらが長くなってしまいましたが、2011年1月28日、念願のこどもゲレンデ・デビュー旅行へ出発です。

金曜日は、半休をとり、旅行の仕度。こども帰宅とほぼ同時に、まずは東京駅へ。
いままで、電車でスノーリゾートに行ったことは、あまりないのですけど、以前と比べるとずいぶん便利になりましたね。
えきねっと」で予約しておいたチケットを受け取り、「MAXとき」、スノー・エキスプレスですね!
(こういうのネットで予約して、自動販売機で受け取れるのも会得してきました。いまだこの辺りの動きになると、日本のシステム再学習中。十数年前とでは、かなり変化が。2階建て列車にも大喜び)

鈴木茂:スノー・エキスプレス
こちらは、ハックルバック~、鈴木茂さん、佐藤博さん、田中章弘さん、林敏明さんでの演奏です。かっくいい。
ハックルバックの映像、感謝です。



上越新幹線、あっという間ですね。ちょっと眠ってしまって気づいたら、もう越後湯沢駅。
去年の冬は関東地方もけっこう雪が降りましたが、ここまでの雪はみたこともなく、こども感激ひとしきり。
「うわーっ、おーホッホ、うぉー ☃」と雪に感激でした

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その後、バスに乗って苗場到着。ライトアップされたスキー場、ってはなれたところからみるときれいですね:)

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ナイター終わって、だれも散歩などもしていないようで、貸切状態。ちょっと雪遊びなど。

������������誰������1�� on Twitpic

と長くなってしまったので、とりあえず1日めで区切ることにいたします。
細かくはTwilogにも
2011年01月28日(金)

山、そしてスキーが大好きなあひるさんたちの曲で、眠りの世界へ。

ダークダックス:白い羊たち(1970年)
歌:ダークダックス、作詞:保富康午、作曲:山下毅雄、編曲:山下毅雄、広瀬雅一 



(投稿:日本 2011年1月31日、ハワイ 2011年1月30日)


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きょう、なぜだか急にと景山民夫さんのことを思い、そういえば、お亡くなりになって何年経つのだろうと調べてみたら、他界されたのは1998年1月27日。きょうは、ご命日だったのですね。
思い出した(いつも忘れている訳ではないのですが)のは特に、きっかけがあってのことではないのでなんだか不思議です。

お亡くなりになる前の10年ぐらいは作家としての活動が中心、「料理の鉄人」などではテレビにも出演なさってましたけれど。その間もいろんなことがありましたね。なんだか、別のひとみたいな感じだったり。

放送作家としての景山民夫さんが手がける番組、好きなものばかりでした。
このブログでもとりあげさせてもらいましたけど。

「タモリ倶楽部」とか「11PM」…
ミッシェル・ポルナレフ 哀しみの終わるとき (タモリ倶楽部:愛のさざなみのテーマ)

映像ないですが高橋幸宏さんも出演されてた「極楽TV」とか。
景山民夫さんのお名前をちゃんと意識しだしたのは中学生のころでしょうか、『GORO別冊:OMIYAGE』でユキヒロさんが語られてたお兄様、高橋信之さんとの交流とかあたりで。
景山民夫さんは、「高橋幸宏のオールナイト・ニッポン」でも一緒にお仕事されてましたね。

(YMO)高橋幸宏のオールナイトニッポン ON AIR 風景 x264:
偶然みつけたのですが、加藤和彦さん出演の回なのですね、この映像。涙出そうです。
景山民夫さんもキュー出しで映ってたりします。お若いですね。三宅裕司の神父、それ風です。



高橋幸宏さんがサディスティックス時代に出演したこの番組も景山民夫さんたずさわってたのですよね。
ノックノック(NOK)・ニューおもしろ倶楽部 サディスティックス出演 
ここにも引きのシーンで映ってます。


今野雄二さん、タンタン(TANTAN=大空はるみさん=森野多恵子さん)、加藤和彦さん、景山民夫さん、なんだかみなさん遠くにいってしまってさみしいです。

手がけている番組も多いのであげきれず、自分での思い出中心なので、なんだか自己リンクが多くなってしまいましたが…。

武蔵野美術短期大学デザイン科でも学ばれていた(これも幸宏さん同じですけれど)、景山さんのアートワークを知りました。
Flied Egg(成毛滋さん、つのだひろさん、高中正義さん)の『Dr. Siegel's Fried Egg Shooting Machine(Dr.シーゲルのフライド・エッグ・マシーン)』のジャケットのイラスト、景山民夫さんなのですね。
慶應つながりとかいろいろ。
Flied Egg - Guide Me to Quietness (1971):アルバム「Dr.シーゲルのフライド・エッグ・マシーン」



『エンゼル体操』って景山民夫さん作詞だったんですね。編曲、小坂忠さんですし。
エンゼル体操 ムキムキマン:



景山民夫さん、キャンティ関連でもある方です。

よく一緒にお仕事されていた、学生時代からのお仲間、高平哲郎さんの
あなたの思い出:第5回:景山民夫
1998年のきょうのことなどが。「夢で逢いましょう」。

同じタイプともいえるこの番組から、1968年(昭和43年)に放送作家としてスタートされたのですね。
シャボン玉ホリデー

景山民夫さん、あらためて昭和の大切なテレビ人であったと思います。

(投稿:日本 2011年1月27日、ハワイ 2011年1月26日)

景山民夫さん、ご命日にあたり、思い出を書いてみたのですが、いろいろな方が同じ思いでいらしたようですね。Twitterでもretweetしてくださった方がいらっしゃいました。

大事な思い出をひとつ書き残してたことに気づきました。
1984年から1985年にかけて放送されていたラジオ番組「スーパーギャング・ピテカントロプスの逆襲」は、景山民夫さんと桑原茂一さんの共同プロデュースだったんですよね!
藤原ヒロシさんが選曲。いとうせいこうさん、竹中直人さん、シティボーイズさん、中村ゆうじさんも出演。

そして、お若いころの自主ムービー『ちんから峠』、貴重な作品もみつけることができました。
1970年代初頭。
景山民夫さんが、TBS「ヤング720」をやってたころのもの。小坂忠さんや、声優で有名な井上謡さん、カーグラTVの構成作­家のBUBUさんなど出演。
音楽では、ムッシュ(かまやつひろしさん)の「So Long Sachio」の一部分も使われていたりするのがとてもうれしかったりするのですけれど、全体の雰囲気、音楽全般、エッセンスなんとなく、この作風は後にもずっとつながっているのですね。

ちんから峠:



(投稿:日本 2011年1月31日、ハワイ 2011年1月30日)


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先日、1960年代後半かと思われる、とってもすてきな日本のガールズバンドの映像をみつけました。
勝ち抜きエレキ合戦の­10組目挑戦者チーム、ファイブ・ガールズ!
とはいっても、ドラマの中のシーンで、実在のガールズバンドではないのですけれど、この感じいいですね。
YouTubeのコメントにもありますが、当時、こんなバンドがいたら、と思うと(でも、ドラマのシーンとしてもすばらしいアイデア、演出)。

日本テレビ「青春とはなんだ」第32話「エレキで助けろ」より(1965年)
この映像、貴重ですね。このシーンを選んだ動画者のセンスを称えたいと思います。



ギターの音がいいですね~。ガールズバンドというコンセプトも気に入っているのですが、こちらをきっかけに、テスコ・ギター、とっても気になってます。

テスコ:情報Wikipediaより
「テスコ (TEISCO) は、日本に1948年から1985年頃まで存在した楽器ブランド。テスコの主力製品はギターで、その他、シンセサイザー、アンプなどがつくった」
略史は…
「テスコ・ブランドを創設した「アヲイ音波研究所」は1946年の創業後、二度の社名変更を経て1964年「テスコ株式会社」(TEISCO CO.,LTD)となり、1966年末経営危機に伴い当時の主要取引先だった河合楽器製作所の系列会社となった。以降テスコ・ブランドの開発・製造・販売は、関連会社が協力して継続されたが、1960年代末~70年代前半に関連会社が倒産・解散し、70年代後半~80年代半ばにテスコ・ブランドは消滅した。
その後テスコ株式会社は、河合楽器の連結子会社だった株式会社カワイウッド(1990年設立、2004年吸収合併)に吸収合併された」

テスコは、「勝ち抜きエレキ合戦」をも提供。当時、初めて手にしたエレキギターはテスコという方も多かったという、日本のエレキブームにはなくてはならない存在だったのですね。
「1960年代には世界的なエレキギター・ブームの波に乗って輸出や国内販売を伸ばし、1961年子会社テスコ弦楽器を設立、1964年「テスコ」に社名変更して、当時の日本の代表的エレキギターブランドへと成長した。全盛期の1965年には、テレビでバンドオーディション番組の草分け「勝ち抜きエレキ合戦」を提供して国内エレキブームの牽引役となり、また市場では、「ヤマハが選んだベストブランド」と題したテスコ専用カタログをヤマハが製作して、エレキ内製直前から自社販売網でテスコ製品を販売する程の勢いだった」

映画「エレキの若大将」(1965年)で使われているギターは、すべてテスコだったのですね。

エレキの若大将:当時の予告編



エレキの若大将:加山雄三、寺内タケシ:



「当時大量に輸出された日本製エレキギターは、デヴィッド・リンドレーをはじめとするコレクターに再評価され、90年代ビザールギター・ブームへとつながった」ということで

テスコ・ギターの細部:
趣ありますね。



テスコ、まだ気にしはじめたばかりなので、この程度しか、まだ知識もないく(というかほとんどそのまま、そうなのかぁ、と)、まずは手始めメモ。
これから、誰が使っていたのか、また、このような映画、番組タイアップを気にしていきたいなぁと思ってます。

そういった意味では、「グヤトーン」も気になりです。

チャー、グヤトーン、ギター弾き始めのころの思い出を語る:



[青春とはなんだ、深夜再放送]
おさない頃、夕方4時代ぐらいの青春ドラマ再放送はよくみていたのですが、「青春とはなんだ」は、高校生の頃に深夜再放送されていたのが思い出です(いま調べたら、最後の再放送は1985年とありました)。
このあたり、DVDとか出ていないのですね。また、みたいなぁと思うのですが。
番組主題歌で布施明さんのよさに気づいた第2期でもありです。

(投稿:日本 2011年1月25日、ハワイ 2011年1月24日)


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映画「世界残酷物語(MONDO CANE)」のテーマとして知られる『モア(MORE)』、こどもの頃から親しみのある、大好きな映画音楽のひとつ。きょうは、この曲をきっかけとして、あらためて知ったことなども。

Ti guardero nel cuore(MORE):



『MORE(モア)』の思い出:

この曲との出会いは、父の車にあった、映画音楽集というような感じの8トラ・カセットの。多分、車を買った際のカーディーラーからおまけのようなもので。いま、そのものがないので、くわしい情報がわかりませんが、多分、当時ポピュラーだった海外の○○○・オーケストラとかの演奏のものだったかと(←伏せてる訳ではなく不明)。
美しいメロディでとても好きだったのですよね。
そして、さらにこの曲への思い入れが強まったのは、ピアノの先生にプレゼントでもらった、「映画ポピュラー音楽集」というような楽譜集の中で、わりと早い時期に自分で弾けるようになったということもあって(小学校2年生ぐらい?)。

グァルティエロ・ヤコペッティ監督の『世界残酷物語』は、なぜかこども達の間でも話題になるような映画で(ちょうど時期的に『続・世界残酷物語』が公開されたからでしょうか。多分、同級生のみんなもちゃんとみたことなかったとは思うのですよね、こどもですから)、映画のタイトルは知っていたのですが、この『MORE』が「世界残酷物語」のテーマだと知ったのは、もう少しあとのことだったと思います。

テーマ曲、『MORE』はいろいろなかたがカヴァーしていて、すてきなヴァージョンも多くいつもいろいろなヴァージョンを聴いてみたりしているのですが、
やっと大事なことに気がつきました。この「世界残酷物語」、エンディングの曲などは知っているのですが、サントラをきちんと聴いたことがありません。
ということで、先日、ようやく、「世界残酷物語」のサントラをちゃんと聴いてみることにしました。いいですね~。

音楽はすべて、ニーノ・オリヴィエロ(NINO OLIVIERO)、リズ・オルトラーニ(RIZ ORTOLANI)作、オーケストラ演奏・指揮はリズ・オルトラーニ。
タイトルは、映画のシーンにあわせたものになっています。
収録曲リストと『MORE』バリエーション以外で特に気に入った2曲を。

1. LIFE SAVERS GIRL ライフ・セーバー・ガール
2. L'ISOLA MALEDETTA 呪われた島
3. RAGAZZE E MARINAI 少女と水兵

4. HONG KONG CHA CHA CHA~COLAZIONE AL COLONY 香港チャ・チャ・チャ~コロニーで朝食を

5. L'ULTIMO VOLO 最後の旅「モア」
6. DOG MEAT ドッグ・ミート
7. CHINA TARANTELLA 中国人のお葬式
8. I PRESCATORI DI RAGJPUT GLI SQUALI ラジプトの漁師のサメ漁
9. TI GUARDERO'NEL CUORE ブルーのモデル「モア」(インストゥルメンタル)
10. FREE WAY フリー・ウェイ
11. CASA DELLA MORTE 死の家
12. IL PURGATORIO 苦悩
13. REPABHAN STRASSE レーパーバーン通り
14. LA FORCADA フォルカーダ
15. CARGO CULTO (Finale del film) カーゴ・カルト


そして、この「世界残酷物語」、実は、テレビで放送されたとき、水曜ロードショーだったのでしょうか、視てはいるのですが、ながら視聴だったので、いろんなシーンを全部覚えているという訳ではないのです。今度、みてみようと思ってます。

内容の解説は、シーンもとても多いのでこちらを。
ヤコペッティの世界残酷物語

「復活祭用に染色されるヒヨコ」の映像(かわいそうです):
なんだか、かわいそうですね。でも、昔、カラーひよこっていたような。



「オーストラリアの女ライフセーバー訓練!美女が人工呼吸」、「ビキニ環礁の環境破壊、原爆実験の影響で方向感覚を失ったウミガメ」(ウミガメ映像は演出が、とのこと):



まだみたことのない世界、海外への興味、憧れが高かった時代、音楽も映画も海外を舞台にしたものは、それ以前から多かったのですが、公開された1962年はまだテレビは普及段階ながら、だんだんとドキュメンタリー映画がさかんになってきたころです(実際には演出も多かったようですが)。
こちらの「世界残酷物語」は、ドキュメンタリー・ジャンルで、その映像の真偽はいろいろありますが大ヒットとなった作品ですね。

モンド映画、モンド・ミュージック、いわゆる「モンド」、「MONDO」というジャンルを確立させたというものでもあります。美しい旋律の曲に過激な映像と言うパターンはなども。
この関連は、自分としては大事な部分なのですが、ひじょうに大きなトピックなので本日はリンクで。
モンド映画とオリエンタリズム
モンド映画の音楽
代表的なモンド映画

「世界残酷物語」の原題は「MONDO CANE」、意味は「犬の世界」ですが(イタリア語でのスラングとしてだったりするようです)、邦題のネーミングもこの後、いろいろと使われていますよね。
もともとは、大島渚監督の『青春残酷物語』(1960年)を意識して配給会社が考案したものなのだそうです。

今回、初めて知ったこと:
CDでの宮元啓さんの解説で知りました。
この映画で有名になり、だれもがしっているポピュラーな映画音楽のひとつである『MORE(モア)』、映画が完成してからタイトルがつけられたそうで、オリジナルのサントラには、『MORE』という曲タイトル表記はないそうです。
アメリカで公開されるにあたり、音楽面からも展開しようということで、その際に曲名は後付けされたのかもしれないということ。
独立曲として最初にレコーディングされたのは、イギリスの歌手、ダニー・ウィリアムスのヴォーカル曲だそうです。

DANNY WILLIAMS:MORE (1964)



(投稿:日本 2011年1月24日、ハワイ 2011年1月23日)


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以前にも何度か小林泉美さんについては書いているのですが、中でも特別な思いがあるのは、1982年のアルバム『夏・NUTS・夏』。とてもとても大好きだったアルバム。
当時、レンタルレコード屋さんで借りて、テープではくり返し、くり返し、聴いていたのに、レコードとして購入しなかったことをいまでも悔いてます。

そして、このアルバムの中でももっとも好きだった曲が『コーヒー・ルンバ(Coffee Rumba/ Moliendo Café)』で、そのことは以前のものにも書いているのですが

小林泉美 Feeling Free/ Rolling Stone (アルバム 夏・NUTS・夏)

先ほど、ふと小林泉美さんボイスがどうしても聴きたくなり(これ、定期的におこる症状です)、手元にないのでYouTubeへ。
するとなんと!半ばあきらめていたあの曲が!
たまらなくうれしく、大感激でした。頭の中に残っていたそのものです。やっと聴くことができました。

小林泉美:Coffee Rumba
埋め込みができなくなってしまったようなので
http://youtu.be/tiN9ZT3TD9s



はじめから終わりまで、すばらしいです!
物語調で進むこの歌にぴったりな「Listen, listen, listen to me~♪」からのスタート。
「ルンバ、ルンバ、ルンバ」というところも大好きでしたし、全体的にオリエンタルな雰囲気も漂わせた当時らしいシンセサイザー主導なサウンド。

『コーヒー・ルンバ/ Coffee Rumba/ Moliendo Café』、いろいろな方のヴァージョンを聴き始めたのも、そもそも、この曲が大好きになったのも、すべてここからだったのです。

当時は、アレンジャーや参加ミュージシャンなどあまり気にしていなかったので、あらためて調べてみました(前回のポストのときも収録曲リストしか調べてなかったので)。

アルバム:夏・NUTS・夏
全曲、作曲:小林泉美
『Coffee Rumba』のみカヴァー(オリジナル作詞・作曲:ホセ・マンソ・ペローニ(Jose Manzo Perroni))
編曲:小林泉美
『Coffee Rumba』、『Quiet Explosion』は編曲:渡辺モリオ
シンセサイザー・プログラミング:小林泉美、渡辺モリオ

参加ミュージシャン:
小林泉美:ボーカル、キーボード、シンセサイザー
井上茂:ドラムス
木村誠、田中倫明、高杉登:パーカッション
布袋寅泰 (BOΦWY) :ギター
稲葉国光、高橋ゲタ夫:ベース
橋本俊一:ボーカル
EVE(コーラス)
Hiroshi Kakizaki、Kazuaki Nakagoshi、Mariko Oki
大野グループ strings
Kiyoshi Kobayashi
こどもたち (日本テレビ音楽学院)
(情報参考にさせていただきました:The Listener of Music Media

*収録曲リスト*
A面:
1.Evening Shower   作曲・編曲:小林 泉美
2.After The Rain   作曲・編曲:小林 泉美
3.Feeling Free    作詞:地恵子・シュナイダー 作曲・編曲:小林 泉美
4.Love Game      作詞:地恵子・シュナイダー 作曲・編曲:小林 泉美
5.夏         作曲・編曲:小林 泉美
B面
1.Coffee Rumba    作詞:中沢 清二 作曲:J.MANZO 編曲:渡辺 モリオ
2.Dance F       作曲・編曲:小林 泉美
3.Rolling Stone    作詞:地恵子・シュナイダー 作曲・編曲:小林 泉美
4. QUIET EXPLOSION   作詞:地恵子・シュナイダー 作曲・編曲:小林 泉美    

このアルバム、小林泉美さんの声、サウンド、このときならではのサウンド、甘さとクールさ、ワイルドさみたいなものが全部感じられる傑作だったと思います。ファンクで、トロピカルで、テクノな。

『夏・NUTS・夏』、熱烈CD化希望。そう思ってらっしゃる方は少なくないのではと思うのですが、発売元がキティだったことも含め、いろいろな背景があるのでしょうね。でも、どうにかならないでしょうか。

本日は、あえて他のヴァージョンは、なし。思い入れありすぎるこのヴァージョンで

高速道路でもいつもPAでこの自動販売機でコーヒー買っちゃいます、「コーヒー・ルンバ」聴きたくて。
音、ちょっと小さいですね(先日、ちょうど録ってみたのですよね、好きすぎてw)。今度、録り直します。



[キティ関連]
ちょうど、アニメ『うる星やつら』のBGMや主題歌などもこの前後だったのですよね。ヴァージンVS含め、この頃のキティ、そのものの感じが好きでした。この発言、何度もくり返してますが:D

ヴァージン VS 恋のダイヤモンド (アニメ 街角のメルヘン RADIO CITY FANTASY)
ヴァージンVS (あがた森魚) 探偵同盟 オープニング/ うる星やつら エンディング/ 翔んだカップル エンディング
HORIZON DREAM~キティ・レコード・オムニバス カリオカ/ 深町純 サイド
HORIZON DREAM~キティ・レコード・オムニバス 高中正義 サイド

(投稿:日本 2011年1月22日、ハワイ 2011年1月21日)


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いろいろとハプニング続いておりますが、清涼飲料水系CMブログ記事紛失分(削除してしまった orz)、引き続き復旧作業にとりくんでおります。先日、紛失に気づいた際、Twitterでは、いろいろな方にヘルプ、アドバイス、励ましをいただき、本当に感謝しております。

本日分は、ちょうど1年ほど前に書いたコカ・コーラとイデオロギー的なことをちょっと考えたときのもの。再投稿の今回は、日本カヴァー、さらに少しみつけることができました。編曲者情報なども追加。

========================

70年代 米国コカ・コーラCMソング 邦題:愛するハーモニー

1970年代の本家アメリカのコカコーラCM、『I'd Like To Teach The World To Sing』、ピースなムードに溢れ、大好きなCMなのですが、よくよく考えると時代背景からしても、いろんな意味で強烈なメッセージをもっていそうだと。内容は「この世界を愛で溢れるものにしたい」、「コカコーラで世界はパーフェクト・ハーモニー」というようなもの。
「Love」、「apple」、「doves」とピースフルな要素たっぷりですね。
「TEACH」っていうところが、かなりアメリカ的ですけれど。この曲が使われ始めたのは1970年代の初頭。まさに冷戦真っ只中、そして、ベトナム戦争も..。

70's "I'd Like to Buy the World a Coke" Commercial:



そういう背景で考えるとクリスマスというのもある意味宗教的にどうなのかなとも思ってしまうのですが…でも、感動的な。

Coca-Cola 70's Christmas Hilltop Commercial:



歌っているのは、ニュー・シーカーズ(New Seekers)、日本でもオリコン1位を記録したそうです。
作詞・作曲: B.Backer・R.Cook・B.Davis・R.Greenaway



これだけのヒット曲ということで、カヴァーものを調べてみたら、やはり日本でも歌ってる方がいらっしゃいました。

麻丘めぐみ:愛するハーモニー&ママに捧げる詩(1972年8月)
日本語詞: 長恭子、編曲: 高田弘
「このLPの中で2曲ほど外国の曲を2曲歌ってみたの。聞いてね。あなたも知ってる曲よ」
LPで外国曲をカヴァーするということが多かった時代ですね。



スクールメイツ:愛するハーモニー(1972年4月)
編曲:森岡賢一郎 編曲
キャンディーズのスクールメイツ時代、コーラスにランちゃん、スーちゃん、ミキちゃんが参加。



あらたに、ステージ101、南沙織さんのものもみつけることができました。

ステージ101:愛するハーモニー~愛の限界~恋の億万長者(1973年)
編曲:葵まさひこ
シングルとしてもリリースされてたそうです。B面は「この広い地球のどこまでも、愛のあるところにコカ・コーラ」と、「I'D LIKE TO BUY THE WORLD A COKE」だったそうで。このヴァージョンも聴いてみたいのですが、なかなか難しいでしょうね。
つづきの藤島新さんリードの『愛の限界』もあらためていいです。



南沙織:愛するハーモニー(1972年6月)
シンシアは、英語で。
編曲: 葵まさひこ



このときは、ちょうどDictionary130号でのコーラに関するコメントが気になっていたこともあったのでした。

[コカ・コーラとイデオロギー]
Dictionary130号の対談「Up On The Roof」の中で、世界中どこに行ってもコーラはある、という話がありました(コカ・コーラって意味ではないのかもしれません)。他国の人間が渡航できるところは、辺境であってもそうですね。わたしもネパールに行ったとき軽いトレッキングしましたけど、登山中、上の方でも売ってました。ただ、コカ・コーラといえばアメリカの象徴、資本主義の象徴ですから、政治的なことがからむとちょっと異なるときもあるのでしょうね。一時期はコカ・コーラ排斥運動などもあったりしたようですし(いまは大分事情が変わっていると思います)。(コーラ白書:特集・コーラ歴史の研究「偶像としてのコーラ」)
現在(2010年1月)、水村美苗さんの『日本語が亡びるとき~英語の世紀の中で』という本を読んでます。この本の中で、ニューヨークを拠点に中国本土で発表できない文芸作品などを集めて編集し、世界にいる中国人に向けて出版している方の話があるのですが、その方、作品で、中国からアメリカに渡った登場人物がアメリカの資本主義になれず、コカ・コーラを輸血したら万事うまくようになったというようなストーリーのファンタジー小説があるそうです。

(オリジナル投稿:日本 2010年2月1日、ハワイ 1月31日)
(再投稿:日本 2011年1月22日、ハワイ 2011年1月21日)


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本日、ちょっと、いや、かなりショックなことに気づいてしまいました。
清涼飲料水CM関連で以前に書いたものがみつからない…なぜなぜ、と考えてみてすぐに、もしかして、と。
どうやら、夏に一度、カテゴリーの整理をしたときに過って削除してしまったみたいなのです。お気に入りのCMも商品も多く、まさにガビーンだったのですが…

なんとか復旧する方法はないか、調べてみたりしたものの、そういう方法、あんまり詳しい方ではないので、名案思いつかず。ただただ、検索などを…。
そんなとき、ふと、そうだ、もしかして、自分のTwitterのユーザーネームととり上げた商品の名前で検索してみたらよいのでは?と

これが、有効でした!ブログ投稿が自動でTwitterに反映するようにと使っているサービスで「FeedTweet」というものがあり、そちらにテキストが残っていたのです!!(こんなときにも役立つなんて、ちょっと予想外の方法でした(こちらのサービス使う以前のものはまだ復旧未解決))

という訳で、本日は、ほんのちょっと変更しながら、以前のものの再投稿です。ちょうど、1年前ぐらいのもの。

==============================

本家アメリカ版歴代のCMソング:

ここのところあらためてコカ・コーラのMソングが気になっています。
気になっているのは、本家アメリカ版歴代のCMソング、『Things Go Better With Coca Cola』シリーズ。

大好きなフィフス・ディメンション(The Fifth Dimension)のものを聴いてから、いろんなミュージシャンのバージョンを聴いてみたりしています(日本のものも制覇できていないのですが...)。どれもかなりかっこいいものが多く、歌っているミュージシャンは数え切れないほどなので、こちらには数曲で。

フィフス・ディメンション(The Fifth Dimension)が歌うコカ・コーラCMソング。



この方たちも当然歌ってらっしゃいます。ザ・シュープリームス(The Supremes)この方が歌うコカ・コーラCMソング。



マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)はコンサートの後はコカ・コーラ。



ロイ・オービソン(Roy Orbison)が歌う、仕事の後、夜のコカ・コーラ。



ナンシー・シナトラ(Nancy Sinatra)もありますよ。



ヴァニラ・ファッジ(Vanilla Fudge)は、ステージにはかかせないコカ・コーラ。ロックしてます。



イギリス勢ではありますが、ザ・フー(The Who)も。かっこいいですね~。



どのバージョンもそのアーティストらしさたっぷりの仕上げになっているところが、かなり魅力的。
もっともっと掲載したいところのなのですが、そのほかのアーティストに関してはアメリカのブロガーの方で詳しくリストも掲載している方がいらっしゃいますので、ご参照ください。
Psychotic Leisure Music:Things Go Better with Coke: Sixties Coca-Cola Commercials (1965-1969)
アメリカでもコカ・コーラCMソングCDは時折企画されているようですが、現在は入手不可能なものが多いようです(日本のものもアメリカのAmazonで輸入版になってました)。

ちょっと欲しいなぁと思っているので、引き続き、よい条件のものを探してみようと思ってます。
(↑1年過ぎたいまでも、まだ入手しておりません。もう少し真剣に探します。まずは、近いうちに再生リストでも作ってみようかとも(2011年1月))

(投稿:日本 2010年1月31日、ハワイ 1月30日)

ということで、再投稿でした。
記事紛失という(まちがって削除しちゃったんですけどね)、このトラブルに際し、いろいろな方からのアドバイス、ヘルプ、励ましをいただきました。
心より感謝いたします(*≧∇≦)

(再投稿:日本 2011年1月20日、ハワイ 2011年1月19日)


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ドイツのらしい↓

寒い日が続いています。東京地方は、本日で20日間連続乾燥注意報が出されているそうです。今朝のワイドショーでは、簡単にできる肌や唇の乾燥対策というものをやっていたのですが、唇の乾燥を防ぐリップクリームの正しい塗り方というのがあるんですね。
横にすべらすのではなく、まずは中央の部分を縦にゆっくり上下させ、口角から中央に向ってぬるのがよいそうです(上唇も同様)。これ、知りませんでした。

リップクリームで思い出し。現在は、男性用のリップクリームなども販売されていたりしますけれど、リップクリームを語るうえで、ティーンエイジャーのコスメジャンルを確立したキスミーをはずすことはできません。リップクリームでありながら、ツヤ出し効果・色づきもあるキスミー・シャインリップは、こどもの頃、昭和40年代、ティーン雑誌系で必ず広告をみかけるちょっと憧れの商品でした。

そんなキスミー・シャインリップクリームのイメージは、やはりキャンディーズ。
キャンディーズは、その活動の中で、メンバーのイメージカラーのようなものが決まってましたが、こちらのコマーシャル・雑誌広告でも、リップの色づきによって、ミキちゃん、ランちゃん、スーちゃんとなってました。
キャンディーズ出演:キスミー シャインリップCM(1976年)



ミキちゃんがシャインオレンジ、ランちゃんシャインリップ、スーちゃんがシャインピンクで。

キスミーシャインリップのデビューは、1970年(昭和45年)、は日本初のつや出し専用口紅として発売され、ヤングOL、中高生の間でヒット。口紅よりは手軽、ちょっと背伸びな感覚のキスミーシャインリップ、このキャンディーズの使ったCMは、まさに感じです。

この後、1977年9月リリースの讃岐裕子さんによる『シャインの秋』がCMソングとして起用(以前に書いた小泉まさみさん関連『ハロー・グッバイ』につづき讃岐裕子さん再び登場)。

讃岐裕子:シャインの秋(静止画音声のみ)
作詞:伊藤アキラ、作曲:平尾昌晃、編曲:馬飼野康二



さらにカラーバリエーションは増え、おとなも使えそうなカラー、シャインレッド、シャインモカ、シャインワインなども登場。なかでも、1978年(昭和53年)発売のシャインワインは大ヒットとなり、15000本を販売したそうです。この販売数は、リップクリームという商品でシリーズの販売数としては類をみないものだそう。

当時の広告、歴代の「キスミー」ブランドのヒット商品や伊勢半の歴史など、株式会社伊勢半のサイトでみることができます。
http://www.isehan.info/history.html
http://www.isehan.co.jp/g-products/J07/index.html

伊勢半の歴史は長いのですね。
「文政8年(1825年)、澤田半右衛門が江戸の町では初めての、紅の製造と卸しを一手に引き受ける紅問屋「伊勢屋半右衛門」(通称:伊勢半)を小舟町に創業しました。澤田半右衛門は、寛政2年、現在の埼玉県川越市藤間に生まれ、若くして江戸日本橋の紅白粉問屋(炭屋)に奉公しました。その後、独立し紅づくりに寝食を忘れて没頭し、研鑽を経て独自の工夫と試行をこらした玉虫色に輝く小町紅を開発し江戸一の紅商となりました」

「侵食をわすれて紅づくりに没頭」、「玉虫色に輝く小町紅を開発」とは、紅商の心意気を感じます。「キスミー」というネーミング、すばらしいなぁと思っていたのですが、伊勢半の口紅にこだわりあってからこそなのかもしれません。

昭和初期には、中国や満州に向けての輸出もしていたのですね。頬紅やマユズミ、白粉などの販売も開始。

「キスミー」という名前が使われはじめたのは、昭和20年(1945年)なのでしょうか。

「戦後の物不足の時代にも関わらず、当時としては画期的な植物性油脂や医薬品にも使われたラノリンを配合した「キスミー特殊口紅」を発売。口紅本来の役割である美しい発色に加え、唇の荒れや乾燥を防ぐという新たな効果を加え「唇に栄養を与える口紅」のキャッチフレーズで大ヒット」

スーパーマーケットや薬局などで買える手軽なコスメとしておなじみのキスミー、商品バラエティはかなり多く、いつも使うひとのニーズをきちんと考えてくれてそうです。きっと開発部門とか日々の研究すごいのでしょうね。

現在は、シャインリップというラインはなくなってしまったようですが、シャイングロススティックとなっているようです。シャイングロススティック



[西高東低、冬型気圧配置]
乾燥注意の冬型天気、まだまだこの感じで続きそうですね。「西高東低」、「冬型気圧配置」というフレーズ、お天気のお姉さんになりたいかもと思っていたこどもの頃、なんだか気に入ってました。
このところ、急にインフルエンザも増えてきているそうです。くれぐれも体調には気をつけることとしましょう。乾燥には手洗い後のハンドクリーム、こちらもぬり方にコツがあるそうで、ささっとぬるのではなく、ツメののつけ根や関節は重点的に。一番乾燥しやすいのにぬれていないことが多いそうです。

あらためてチェックして、きょう、気がついたのですがtenki.jpには、素肌乾燥指数、風邪ひき指数、掛け布団指数、鍋物指数などあるのですね。なんかちょっとかわいいです。
素肌乾燥指数
風邪ひき指数
掛け布団指数
鍋物指数

(投稿:日本 2011年1月19日、ハワイ 2011年1月18日)


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本日は、ちょっと気になっていたけれど、まだ書いてなかった『Bamboo Rock and Roll』いついて。数ヶ月前に動画関係をうろうろしていていつけたものなのですが、いわゆる戦後のなんちゃってオリエンタルといか、不思議でちょっとデタラメな感じがなんともいえずよいナンバーですね。歌っているのは、デトロイトのグループ、ナイトキャップス(Nitecaps)。正式なリリース年はわからないのですが、活動時期、他の曲のデータからみると1950年代、中後期ぐらいのものですね。

The Nightcaps (or Nitecaps) - Bamboo Rock and Roll



オリエンタル、アジアなどがエキゾチックという志向は1920年代、1930年代ごろからあり、地名やサウンドなどで雰囲気を出していたりするのですが、このあたりのミッドセンチュリー、オリエンタルな作品、JAPAN、NIPPONが歌われているものの特徴は共通な日本語のフレーズがつかわれてることですね。日本語と言ってもカタカナか英字で表したい雰囲気ですが:D(収集されてる方もいて、アジアならまとめてミックスされちゃっているようなことからもCHOP SUEY ROCK(チャプスイ英語での中華風野菜炒めから)などといった感じである意味独立小ジャンルでもあり)。

「サヨナラ」、「オハヨウゴザイマス」、「コンニチワ」などの挨拶系はもちろん、「ゴメンナサイ」、「チョットマッテクダサイ(実際の発音はチョトマテクダサイ)」とか「ドコイクノ」、「モシモシ」、「アノネ」なんかもよくありますね。あとは「フジヤマ」とか。
でも、この日本語、まったくもってデタラメという訳ではなく進駐軍的雰囲気を感じさせつつも、日系人のよく使っている日本語フレーズがしっかり反映されてますよね。

いままでもいくつかとり上げてみたりしているのですけれど、『Bamboo Rock and Roll』は、そんな意味でも。日系人ニホン語フレーズ好きなわたしにとってちょっとほっておけない存在です。

「Rikisha Rikisha」、「Geisha girl」などはいかにもジャパンなイメージなのですが、ニホン語な感じの「モシモシアノネ(moshimoshi anone)」にとどまらず、「バカタレ(Bakatare.発音はBakatari)」が!

Bakatare, hi hi~♪ Bakatare, hi hi~♪ 

この言葉、「バカタレ(Bakatare)」っ日系人よく使いますね。ハワイでは、一種ピジン化しているので、むしろ日本にいたときより耳にする言葉だったりします。日本にいたときには、もちろん、意味はわかってましたし、テレビなどの台詞などではあったりなんですけれど、とっさにこの言葉がでるほど身近な言葉ではないのになぁと、ハワイに旅行で行ってたころから不思議に思っていたものです(その他、日系人の方が使うニホン語って独特なものが多いのです)。

アメリカで日系人といえば、沖縄系の方、または広島、山口、岡山など中国地方が多いので、これは、絶対に地域的な影響があるにちがいないと思っていたのですが、やはりどうもそうみたいですね。以前にも聞いたことはあるのですが。
(特に日系人とは関係ないものの)言葉の地方・地域差などについて質問されているOK Waveにもそんなものをみつけました。

OK Wave:言葉について
広島=バカタレ(バカモン・アンゴウ・ホーケ・タラン・コケ)
山口=バカタレ(クソバカ・アホウ・タワケ・ボケタレ)
って感じなのだそうです。個人差もあるでしょうけれど。

「バカタレ」から戻りまして、『Bamboo Rock and Roll』。The A-Bonesというガレージなバンドもカヴァーしているのですね。

The A-Bones: Bamboo Rock N' Roll



[いままで書いたCHOP SUEY的なもの]
ミッドセンチュリー:
The J's With Jamie YOSHIKO (そして久我美子さん)
CLUB NISEI ORCHESTRA (続き): ジャパニーズ・ルンバ いろいろ
GOMEN NASAI (FORGIVE ME) 作曲:服部レイモンド
それ以前:
FUJIYAMA MAMA フジヤマ・ママ
ハリー・ウォーレン/ モート・ディクソン NAGASAKI (ナガサキ)
ある意味CHOP SUEYなもの:
サラ&メロディー Fujiyama Yeiyei (フジヤマ・イェイイェイ/ ノーエ節)

ザ・ピーナッツ フジヤマ・ムーン/ ハッピー・ヨコハマ  (ドイツ語)

(投稿:日本 2011年1月17日、ハワイ 2011年1月16日)


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前編、後編というだけではおさまりきらず3日目となってしまいました、Ruby & The Romanticsオリジナル、ボブ・ヒリアード(Bob Hilliard)&モート・ガーソン(Mort Garson)作の『Our Day Will Come(燃ゆる初恋)』。インストゥルメンタル・ヴァージョンもよいものが多いですね。本日は、続編としてインストゥルメンタルのものをちょっとまとめてみました。動画などでサーチし、気に入ったものや好きなアーティストのものを。
(一昨日分、昨日分はこちら→OUR DAY WILL COME (前編:1960年代ヴァージョンいろいろ)OUR DAY WILL COME (後編:1970年代ヴァージョンいろいろ)

まずは、ハーブ・アルパート(Herb Alpert)のヴァージョン、かなり気に入ってしまいました。

Herb Alpert & The Tijuana:Our Day Will Come(1966年)
アルバム『S・R・O』収録。シングル『Mame』のB面でも。



パーシー・フェイス(Percy Faith)は、それより前、オリジナルがヒットした1963年にレコーディングしてました。こちらもいいですね。

Percy Faith:Our Day Will Come(1963)
アルバム『Themes for Young Lovers』に収録。CDでは、2枚分入ってるCD『More Themes for Young Lovers / Latin Themes for』に。



ウィリー・ボボらしく、パーカッションのきいたラテンなインストゥルメンタル。

Willie Bobo:Spanish Grease/Hurt So Bad/Our Day Will Come (1965)
3曲目が『Our Day Will Come』。『Uno Dos Tres & Spanish Grease』に収録。



トミー・テデスコのもの、収録アルバムがCDでみつからなかったのが残念、すばらしいジャズ・ギターのヴァージョン。数多くのポピュラーなミュージシャンとの仕事に関わったトミー・テデスですが、米Guitar Player magazin誌での情報では、レコーディング参加最多ギタリストだそうです。「スタジオ・ログ」という仕事記録を自らつけていたそうで、興味ありますね(余談ではありますが)。
一緒に仕事された方々:
The Beach Boys、The Mamas & the Papas、the Everly Brothers、The Association、Barbra Streisand、Elvis Presley、Ella Fitzgerald、Frank Zappa、Sam Cooke、Cher、Nancy and Frank Sinatraなどなど。

Tommy Tedesco:Our Day Will Come



そして、なんだか新鮮で好きになってしまったのが、こちらのフュージョン・ジャズ感あるアレンジのマルタ(MALTA)のヴァージョン。こいいうのもいいですね!

MALTA:Our Day Will Come(1989年)
アルバム『マイ・フェイバリット』というアルバムに入ってるようです。そのタイトルどおり、お気に入りのスタンダードをカヴァーしたものだそうですが、スタンダードをこのような形でアルバムにした初の作品だったそうです。




[OUR DAY WILL COMEの旅]
インストゥルメンタル・ヴァージョン、、ボーカル作品も、おそらく数知れないほどあるのだと思いますので、今後、意識してまたさらなるヴァージョンもさがしてみたいと思います。
本日、アラッポ・カーロさんから早速、アンディ・ラッセル(Andy Russel)ヴァージョンがあることを教えていただいました。
SONOTAサイトで試聴してみましたがよいですね!
manual of errors SONOTA:Andy Russel
スペイン語ヴァージョン、1960年代後半のものですね。
アルバム『More Amor!』の収録されたもので、アレンジも作曲者であるモート・ガーソン(Mort Garson)だそうです。

で、そうだ、他言語ヴァージョンということで、スペイン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語など、もしかしたらあるのかも、と。こちらは、今後の課題で調べてみたいと思います。どうなんでしょうね。あるのかな。
そういえば、日本語ヴァージョン、そのままカヴァーにしても、和モノがあまりないのですよね、邦題でもサーチしてみたのですが。
まったくないということもないのでしょうけれど…ここまで作品数多いのに、なぜなのでしょうか。

そして、年代でみてみると不思議と1980年代は意外と少ないですね。1990年代以降は、以下の方のヴァージョンがあるようです。
Pete Anderson (1994)、The Slackers with Doreen Schaefer (1996)、Glenn Walters (1997)、Bruce Williams (1997)、Linda Purl (1998)、Hinda Hoffman (2000)、James Darren (2001)、Jamie Cullum (2005)、Waldeck (2007)

この3日で掲載したものでプレイリストつくってみました。



(投稿:日本 2011年1月16日、ハワイ 2011年1月15日)


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昨日からつづき、Ruby & The Romanticsオリジナル、ボブ・ヒリアード(Bob Hilliard)&モート・ガーソン(Mort Garson)作の『Our Day Will Come(燃ゆる初恋)』、本日は、一部1960年代、および1970年代以降のものもありますが、1970年代のカヴァー作品を中心にまとめ。
(昨日分はこちら→OUR DAY WILL COME (前編:1960年代ヴァージョンいろいろ)

1970年代に入ると、さらにアレンジもバラエティ豊かなヴァージョンが増えますね。レゲエ、ソウル、ディスコなどのヴァージョンも登場。
という訳で、本日は、1970年代の中でもクロノジカルな順番ではなく、ジャンルや雰囲気などでたどってみます。

まずは、ポピュラーなヴァージョンから。

Carpenters:Our Day Will Come(1973年)
名アルバム『Now & Then』収録。
こちらカーペンターズのヴァージョンは、オリジナル・ヴァージョンを1970年代にしたらという感じのアレンジですね。ボッサな雰囲気は残し、ハモンド・オルガンがピアノに。コーラスがいいです~。



そして、1970年代らしいポピュラーなヴァージョンといえば、こちらフランキー・ヴァリ(Frankie Valli)のものでしょうか。

Frankie Valli:Our Day Will Come(1975年)
シングル、そしてアルバム『Our Day Will Come』収録(CD『Our Day Will Come / Lady Put the Light Out
』という2枚分のものが出てますね)。



いいですね。フランキー・ヴァリ、フォーシーズンズ時代はもちろんいいのですけれど、この辺りのディスコ・サウンドいいですよね。
そして、こちらに限らず、1970年代はやはり時代、エスター・フィリップス(Esther Philips)など、ディスコ系アレンジの『Our Day Will Come』、すてきなものが多いです。

Esther Philips:Our day will come(1979年)
「カ~ム~♪」というアガル感じがいいですね。そして、間奏部分はこちらのヴァージョンは、ホーン。これがまた効いてます。
アルバム『Here's Esther... Are You Ready』収録(CDは『Here's Esther... Are You Ready/Good Black Is Hard to Crack』)



同じく広がる感じのヴァージョン。こちらは、テレビ番組「Tonight Show」(1974年7月)でのジョニー・マティス(Johnny Mathis )のもの。ラスベガス的な雰囲気がいいです。アルバムなどに収録されているかはちょっと調べ切れなかったのですが、すごくいいですね!



1960年代には、オリジナルのRuby & RomanticsとSupremes、以外はあまりないようだったのですが、ブラック系の方のヴァージョンが多いのも1970年代ですね。とその前に、1960年代で見逃してたものがありました。

Jimmy Castor:Our Day Will Come(1967年)
ジャジーな感じがすばらしい、アルバム『Hey Leroy』収録のヴァージョン。シンガー兼サックス奏者であるジミー・キャスターらしく、サックスが聴かせてくれます。



ハモンド・オルガンという共通点はあるもののこちらのヴァージョンも印象的です。シングルとしてリリースのザ・ヘプトーンズ(The Heptones)のレゲエなヴァージョン。スウィートですね♪
ある意味、Waldeckヴァージョンの源なのかもしれません。

The Heptones:Our Day Will Come(1971年?1972年?)



オリジナリティを感じさせるヴァージョンという意味では、ソウルな聴かせるヴァージョンであるアイザック・ヘイズ(Isaac Hayes)のものもありました。

Isaac Hayes:Our Day Will Come(1970年)

アルバム『To Be Continued』収録



みつからなかったもので、タミコ(Tamiko Jones)も1970年にレコーディングしてるのですね。みつからなかったのですが、すごく聴いてみたいです。アーシャ・プスリ(Asha Puthli)ものも、興味あり。1975年、チャリティ・ブラウン(Charity Brown)のものもあるそうです。

そして、ハーブ・アルパート(Herb Alpert)など、インストゥルメンタル系もすてきな作品がたくさんです。今日も、ちょっと多くなりすぎてしまったので、そちらは別にまとめてみることにしました。ので、更につづく…

情報は、Wikipedia:Our Day Will Comeやみつけた動画を参考にさせていただいていますが、いくつのヴァージョンが存在するのでしょうね。

(投稿:日本 2011年1月14日、ハワイ 2011年1月13日)


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Our Day Will Come♪

ルビー&ロマンティクス(Ruby & The Romantics)による『OUR DAY WILL COME アワ・デイ・ウィル・カム(燃ゆる恋)』、定期的に聴きたくなる大好きな曲のひとつです。1963年の全米NO.1ヒット曲であるこの曲、昨日、ヴァルデック(Waldeck)によるカヴァーを聴いたのですが、とってもよかったのですよね。いろんな方がカヴァーしていて、良ヴァージョンも多いこの曲、大好きな曲なのに、意外と背景も知らないので、ちょっと調べながら、数あるカヴァー・ヴァージョンを聴きくらべ、収録アルバム情報も調べてみることにしました(2編にわたって)。

まずは、オリジナルであるRuby & The Romanticsと昨日出会ったWaldeckヴァージョン。

Ruby & The Romantics:Our Day Will Come (1962年):
詞、メロディーはもちろんのこと、ボサ・ノヴァ的アレンジとハモンド・オルガンがたっぷり効いた、なんともいえず、すてきなアレンジですよね。速すぎないこのテンポがまたよいのです。名曲、名アレンジなオリジナル。



Waldeck: Our Day Will Come (2007年)
ヴァルデック(Waldeck)の2007年アルバム『Ballroom Stories
』収録。こちらもレゲエ、スカ、ダブ的要素たっぷりで、すっかり気に入ってしまいました。Waldeckって、いままで知らなかったのですが、オーストリアのプロデューサー クラウス・ヴァルデック(Klaus Waldeck)のユニット。オリジナルの他、いろんなオールドタイム・ナンバーをカヴァーしてますが、他の曲もものすごくよさそうですね。その選びに、センスを感じます(というか好きな曲が多い)。



『Our Day Will Come』は、ボブ・ヒリアード(Bob Hilliard)作詞、モート・ガーソン(Mort Garson)作曲のヒット曲。Ruby & The Romanticsのナンバーとして、1962年12月にリリースされ、1963年3月にビルボード1位に。邦題は、「燃ゆる初恋」、「え」じゃなくて「ゆ」なところとかいいですね。オールシーズン好きな曲ですが、なんかいつもこの季節に聴きたくなるというのは、不思議にリリースからヒットまでの時期と一致。なんか、寒い冬、春を待ちたい感じがするからでしょうか。

この曲、制作・録音当時、作者たちの一種の思い入れがあったのですね。イージーリスニングというジャンルを確立すべく、自分たちの思う、Ruby & The Romantics にのみが歌うという契約をKaapレコードのアル・スタントン(Al Atanton)に提案。アルは、もし、Ruby & The Romanticのシングルが成功しなかった場合は、ジャック・ジョーンズ(Jack Jones)で売り出すということを条件にこの契約を結んだそうです(Wikipedia:Our Day Will Come情報より)。

翌年、1963年、イメージにあうジュリー・ロンドン(Julie London)によるレコーディングに合意し、続けてパティ・ペイジ(Patti Page)、ブロッサム・ディアリー(Blossom Dearie)もレコーディング。

Julie London:Our Day Will Come(1965年)(1963年)
アルバム『The End Of The World』より。



Blossom Dearie:Our Day Will Come(1963年)
アルバム『Blossom Dearie Sings Rootin' Songs』収録。



Pattie Pageのものは、アルバム『Say Wonderful Things: Love After Midnightに収録されてますが(もともと『Say Wonderful Things』、CDはアルバム2枚分)』、動画、音源はみつかりませんでした。

1965年にはドリス・デイ(Doris Day)がアルバム収録。マージービーツ(The Merseybeats)、シュープリームス(Supremes)も同年カヴァー(リリースは後)。

Doris Day:Our Day Will Come(1965年)

このヴァージョンは作曲者であるモート・ガーソンがアレンジを手がけてるそうです。アルバム『Latin for Lovers / Love Him』(もともと『Latin for Lovers』、CDはアルバム2枚分)収録。



Supremes:Our Day Will Come(1965年)
アルバム『There's a Place for Us』より。リードボーカルは、メアリー・ウィルソン(Mary Wilson)。レコーディングは1965年だそうですが、2004年に初めて発表されたもの。



The Merseybeats:Our Day Will Come(1965年)
こちらもいいですね。でも、アルバム探してみたのですが、ちょっとわかりません。マージービート系のコンピレーションに入ってるような記述もみかけました。もしかして、アルバムに収録されなかったものなのかもしれません。



このあたりから、雰囲気もまた少し変わってきますね。ソロ、いわゆるシンガーのものからグループ、バンドなどの作品も増えてきます。アレンジは、それぞれらしさをもちながら、やはり『Our Day Will Come』サウンドをしっかり感じさせてくれます。
カヴァーするという動機は、この曲からインスピレーションを得たりすることも多かったという思い入れ作品のひとつだったりしたのでは、と勝手に想像。そういった意味では、この曲を送り出したボブ・ヒリアードとモート・ガーソンと意図は伝わっていて、まさにメッセージが届いていたのかもしれませんね。

The Honeycombs:Our Day Will Come
フルートがすてきです。CDではベスト『Have I the Right: the Very Best of the Honeycombs』に入ってますね。



Spiral Starecase:Our Day Will Come
スパイラル・ステアケースもカヴァー。『More Today Than Yesterday: The Complete Columbia Recordings』もともと収録されていたアルバムはどれかわからないのですが、コロンビアでの全集に。



Roger Nichols & the Small Circle of Friends:Our Day Will Come(1968年)
アルバム『Small Circle of Friends』収録。



1960年代の同作品カヴァー、はアルバム曲となっているものがほとんどですが、シングル(おもにB面)というパターンもいくつかあったようですね。
ジュリー・ロジャース(Julie Rogers)は1965年にヒット曲『Like a Child』のB面に、1967年には、シャロン・タンディーがA面リリース。

シェール(Cher)は、1966年にアルバム『The Sonny Side of Ché』(現在CDになっているものは2枚分『All I Really Want To Do / Sonny Side Of Cher』)、シングル『"Bang Bang (My Baby Shot Me Down)』のB面に。その後、1972年には、A面曲として再び『Our Day Will Come』をリリース。



なんだか、すごいことになってきてしまいました。かなりありますね。ブレンダ・リー(Brenda Lee)、レノン・シスターズ(Lennon Sisters)確かに感じですけど、レターメン(the Lettermen)も歌っているのですね(動画は、見つからず)。

こちらの動画には、いくつかのヴァージョンがまとめられています。オバマ大統領就任の画像とともに。
Ruby and the Romantics (1963), The Earls (1964), Dee Dee Sharp (1963), Bobby Rydell (1963)



他にも、ほんといろいろな方々がカヴァー。1960年代だけでも、想像以上にいろんなヴァージョンが存在。 Fontella Bass、Jerry Butler and Betty Everett、Classics IV、Bobby Darin、Billy Fury、Trini Lopez、Chris Montez、Cliff Richard、Bobby Rydell、the Vibrations、We Five、Nancy Wilsonなどなど。

大好きな曲ですし、どのヴァージョンもすばらしいので、本日は1960年代もの中心で。1970年代ヴァージョン
やちょっと違った感じのヴァージョンは、明日につづく…

(投稿:日本 2011年1月14日、ハワイ 2011年1月13日)

本日、すてきなヴァージョンみつけました:)

Al & Jet Loring:Our Day Will Come



再生リスト、どんどん追加していくといたします♪




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