昨日、3月28日、東京で桜ソメイヨシノの開花宣言。
春、ことに、桜の季節はなんだか、昭和ジャズ歌謡な気分です。

去年も同じぐらいの季節に書いてることからも
川畑文子 (日系二世:昭和ジャズ歌謡)(投稿:2010年3月23日)
ベティ稲田 (日系二世:昭和ジャズ歌謡)(投稿:2010年3月24日)
チェリー・ミヤノ/ ヘレン隅田  (日系二世:昭和ジャズ歌謡)(投稿:2010年3月25日)

わたしの中では、昭和ジャズ歌謡=春、なのですね。
自分でもっている昭和ジャズ歌謡系以外でもちょっと聴きたくなり、ふらふらとしていたら、とても気になりな『ダイナ』をみつけてしましました。

Margaret Yuki:DINAH(1936年、昭和11年)



オ人形ダイナ:
唄とタップ:マーガレット・ユキ
演奏:コロムビア・ジャズ・バンド

作詞:藤浦洸
作曲:Harry Akst
編曲:仁木他喜雄 

ママ、ママ、ママ

ダイナ、わたしのお人形
空色のおめめ
かわいいエクボ(そうでしょ)

ダイナ、わたしはママよ
だっこしてあげましょ
わたしのダイナ

そっとベッドに寝せてやれば
おねね、すねておねねします

ダイナ、どんなかわいい
夢をみるのでしょ
わたしのダイナ

ダイナおめめをさませば
にっこり笑って
眠そうなお声(そうでしょ)

ママ、ママと泣くのよ
だっこしてあげましょう
わたしのダイナ

ママとおんもにでましょ
おんもはきれな
花が咲いています

ダイナ、わたしのおやつ
半分あげましょ
わたしのダイナ

歌っているのは、マーガレット・ユキちゃん、8歳の少女歌手なのですね。
調べてみたところ、「マーガレット・ユキちゃんを追いかける」というディスコグラフィーを中心とした貴重な資料を拝見することができました!

マーガレツト・ユキちやん

マーガレット・ユキは、昭和初期、吉本の舞台で活躍し、「日本のシャーリー・テンプル」ともいわれ、タップを織り込んだステージ、その愛くるしさで、人気に。ジャズ童謡ともいえるようなジャンルのスタートをきった少女歌手だったのですね。

さきのサイトの方のもので、マーガレット・ユキちゃんの写真やさらにくわしい情報を知ることができました。
マーガレツト・ユキちやん★続報★

マーガレット・ユキちゃん、その名前、こどもといってもちょっと独特な発音など、気になっていたのですが、やはり!
「昭和三年十二月英京ロンドンに生る」だそうで、日系二世歌手なのですね。

このマーガレット・ユキちゃんから、ニラ・ハマダやミミー宮島と、コロムビアのジャズ童謡という路線が展開されていくそうです。原曲からの訳詞にとどまらずこどもらしい歌詞に置きかえられたりしているところも興味深いなぁと思っていたところ、またタイムリーなことに、瀬川昌久さん監修でのSP盤復刻シリーズで『オ人形ダイナ~戦前童謡・ジャズとタップ~』というCDが近日発売されるのですね(2011年4月4日予定だそう。あと1週間ぐらい)。
収録曲、歌手、演奏などのリストもこちらに。
ブリッジのSP盤復刻シリーズ - BRIDGE INC.

日系二世、ハーフ、天才少女歌手、タップということもあり、とっても気になっているのです、なメモでした φ(..)

そして、仁木他喜雄さんのことも気にしてます。いつか、まとめてみたい方。

過去の自己記事、少女歌手もの:
少女歌手では澤村美司子なども
天才少女歌手 澤村美司子

(投稿:日本 2011年3月29日、ハワイ 3月28日)

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きょうは、青い空が広がる晴れやかなよい天気でした。そんな天気のせいか、午後中、楽しげな懐かしの曲が頭の中をぐるぐると。でも、どうしても細かい歌詞や曲名が思い出せません。

夕方までずっと、という感じだったので、どうしても、気になって、ふとTwitterで
「さっきから頭の中で流れている(曲)、中途半端にしか思い出せなく、ひじょうにはがゆい。音楽の副教材、歌唱本に入ってる山系の感じ」と、何気なく。

すると、何人の方から、ヒントがあったらわかるかも、という反応。
ポイントでもあり、キーとなるであろう部分を返したところ、さっそくお目当ての歌が。
みなさん、いろいろご存知ですね。調べてくださったりで。ほんとに感謝です。

そこで、いただいたもの、どれもさがしていた曲に間違えないなく。でも、いろいろとヴァリエーションがあるのですね。原曲はこちら。ドイツ民謡の『Horch was kommt von draußen 'rein』。

Theo Adam:Horch was kommt von draussen rein



曲探しで、ポイントとなったのは、特徴的な山唄感ありの「ホラヒヤッホー」
(自分の記憶の中では、「ハレヒヤッホー」または「ハイレヒヤッホー」だったかなと思ってましたw)

動画でマチコ・ロワイヤルさんからいただいたのは、こちらでした。

ポータブル電蓄と拡声器 ♪口笛吹いて 学校放送



曲名は『口笛ふいて』。

口笛ふいて:
くちぶえふいて ホラヒ ホラホ
てをとりゆこう ホラヒヤッホー

あおぞらにむかい ホラヒ ホラホ
こえたかくうたおう ホラヒヤッホー

そして、同じものでも別の歌詞で『この山光る』というものがあるよと昭和の窓辺さんから。

この山光る:
このやま ひかる ホラヒ ホラヒ
あのやま わらう ホラヒヤッホー
どこまでもはれて ホラヒ ホラホ
いいひだね きょうは ホラヒヤッホー

「いい日だね きょうは ホラヒヤッホー」という歌詞もすてき、山登りにでかけたくなりますね。

でも、山ではあるのですが、わたしの頭にあった(完全ではなかったのですけれど)ものとは、やっぱり少しちがうのですね。
ラベンダー(happymusiclover)さんから歌詞でいただいたものが、どうも、そのものずばり!なようでした。

「タイトル出て来ませんが(^^;)(階名)♪ドレミファソラソ ファレシ ソミド (歌詞)♪こだまはかえる ホラヒ ヤッホー」、「歌い出しは「白雲流れ」だったかな。♪ラーラードーシラ ソーミーソーからコーラスでした。前半スタッカート、後半はレガート」

まちがえなし!「こだま」、「白雲」そんな感じの山のモチーフ。

ということで、調べてみたところ、串田孫一さん訳詞のヴァージョン『夏の山』、だということがわかりました!

夏の山:
青空の風、ホラヒーホラホー
白雲流れ、ホラヒーヤッホー
尾根道伝い、ホラヒーホラホー
心がはずむ、ホラヒーヤッホー

岩山に立ち、ホラヒーホラホー
喜びの声、ホラヒーヤッホー
緑の谷で、ホラヒーホラホー
こだまが呼んだ、ホラヒーヤッホー

midomi:chinjuhさん
夏の山:童謡・唱歌(ドイツ民謡)(←こちらで聴かせていただきました)

わたしが歌っていたのは、小学校の音楽お副教材、遠足に行くときもっていったりする歌集からだったのですが、1963年(昭和38年)8-9月期には「みんなのうた」でも放送されていたようですね。
「夏の山を登る映像は、後年発売されたDVDに残っています」と。
懐かしのみんなのうた3
NHK「みんなのうた」のリクエスト・ページにも当時の映像の画像がありました。
NHK みんなのうた - 夏の山 - 東京放送児童合唱団

どのヴァージョンに親しんでいるのか、というのもさぐってみるとおもしろそうです。世代もあるでしょうし、学校使っていた歌集、そのほかいろんなちがいもみえてきそう。

[串田孫一]
また、さらに気になったのが、訳詞の串田孫一さん。串田孫一さんは、詩人、哲学者、随筆家であり登山家でもあった方なのですね(Wikipedia:串田孫一
関心空間:串田孫一

この『夏の山』のほかにも、懐かしくなじみのある歌がありました。
『燃えろよ燃えろ』もフランス民謡を串田孫一さんの訳したものだったのですね。
別ヴァージョンの『一日の終わり (星影冴やかに)』とともにおなじみのキャンプにはかかせない曲。

星影さやかに~燃えろよ燃えろ 小鳩くるみ・田中星児 他(ステレオ)
こちらは同局別ヴァージョンつづけて



山こそ我が家』もドイツ民謡の串田孫一さん訳詞。

ダークダックス、皇室などから、山の歌はもちろん、山登り、スキーなど、山関連もちょっと気になっています。中学、高校のイメージとかも懐かしく。そういえば、おとなになってからも、実はヒマラヤを観に、ネパール行ったりはしたのですけれど。

[外国民謡ポップ]
原曲のドイツ民謡『Horch was kommt von draußen rein von』にもどりますが、ポップな気になるヴァージョンをみつけました:)
民謡ポップもおもしろいジャンルですね。このマヌエラさんは、当時の人気歌手のよう。ちょっと気にしてみようと思っています。

Manuela:Horch was kommt von draußen rein von(1963)




(投稿:日本 2011年3月28日、ハワイ 3月27日)


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東日本大震災から、はや2週間をすぎ、被災者の方たちの救済に全力をそそがなければいけないという状況の中、原発事故関連の問題はいろいろと。
2週間すぎと、半月ともいえますが、この問題は、まだしばらく続いていくと思われます。

テレビなどでは、ひとりひとりができることをと呼びかけ、みんなで協力しあってできること、それぞれが実行しています。
この「いまできること」から、「次にできること」なども、自然の力を使ったクリーン・エネルギーなどに関することを中心にネット上では、活発な議論が。海外での例やいま研究されていることなども眼にし、いままで自分が考えていた他にも学びや発見がある毎日。

そんな気分の毎日、いますごく聴いてみたいアルバムがあるので、こちらに。
リリースされたのは、1994年ということで、ちょっと前(といっても15年以上近くですねw)
「新しい燃料です」と銘打った
ヤン富田・アストロ・エイジ・スティール・オーケストラ(ASTRO AGE STEEL ORCHESTRA)のアルバム『HAPPY LIVING』。

スティール・ドラムのもつ、さわやかでかつあたたかみのあるアナログ的な音にアストロ・エイジ的な未来感。
これからは、アナログな感じで、且つ、未来に向けた、「新しい燃料」、エネルギー源考え、「ハッピー・リビング」が訪れるように。

ASTRO AGE STEEL ORCHESTRA(Yann Tomita):Flying Saucer At Big Country



ASTRO AGE STEEL ORCHESTRA(Yann Tomita):Little Girl Lost-And-Found



ASTRO AGE STEEL ORCHESTRA:Love In Gas Music



DOOPEESのアルバム『DOOPEE TIME』に収録のアストロ・エイジ・スティール・オーケストラによる『LOOK FOR A STAR』すごくよいですね---☆

ASTRO AGE STEEL ORCHESTRA:Look For A Star





[原子力エネルギーというものについてなど]
日本は、原子力、核兵器としての被曝を2度、水爆実験による第5福竜丸の被曝もあり、今回の原発事故による作業員の方々などの被曝と4度目。原子力の平和利用といわれた原発について、過去の歴史についても振り返ってみたりしてます。
原子力に代わる新しいエネルギーの導入に関しては、技術的なことと同時に、それ以外の力も動かさねばならず、国民の体制への参加など、その方法も、考えていかなくてはいけませんね。
こちらの映像において、だれがどうだったなどということも話されているようですが、過去においては、イデオロギーと一緒に考えられていたことも大きな要因。導入の仕組み含め、だれがどうということ事態、いまだひきずっているような気もして、そろそろ、その辺りも変わるべきかと。

原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~(NHK:現代史スクープドキュメント)
こちらも偶然ではあると思うのですが放送は1994年。



原子力、核などに関しては、まったく意識していなかった訳ではなく、この動画にもある過去にビキニ環礁で行われた「ブラボー作戦」に関しては、以前、というか数週間前3月1日に書いたばかりだったのですが…。
SALON MUSIC PARADISE LOST (ビキニ・デーにあたり)
こどもの頃にもよく、雨にぬれちゃいけないとか、FALL OUTなど放射能のことは話題になっていた世代の最後の方にいた訳rですが、そんなことを本当に、こういう形で考える日がやってくるとは、思っていなかった自分もいたりします。

みな、自分たちが選んでしまったといっていたりもしますけど、確実に賛成したというひとは多くないはず。過去をふりかえってもそうとも言えないのですよね。これからは、着実にきちんと考えていかなくてはいけないのだと思うと同時に、システム、かえなくちゃいけないんだなぁなどとも思っています。

そういえば、Twitter上などでも、よくヤマト、コスモクリーナー関連の発言、目にしまするたびに、こちら思い出しです。以前からずっと気になっていたのですけれど、なかなか対応策がみえない今、「遊歩計 宇宙戦艦ヤマト~歩いてイスカンダルへ~
使ってみようかとも。イスカンダルを目指して願いをこめて、とか。そんなこと考えて、ちょっと気を紛らわしたり。

From 気になるもの、好きなもの、いろいろ


本日、2011年3月27日、東日本大震災による原発事故関連の動き
nikkansports.com:東日本大震災:27日の動き(ソース:共同通信)より

【20:31】東京電力は27日、福島第1原発2号機のタービン建屋地下の放射性物質の濃度が、通常の原子炉の水の約1000万倍だったとした分析結果について、別の放射性物質を見ていた可能性があることし再測定したが、測定結果に変更はないとした。

※この測定結果誤ってたそうですね。10万倍だそう。単位がかなりちがいますけど(修正発表後追記)

【16:35】枝野幸男官房長官は27日午後の記者会見で、福島第1原発2号機のタービン建屋地下の水から高濃度の放射性物質が検出されたことについて「原因究明と水を早く別のところに移すように指示している」と述べた。東日本大震災の復興財源を確保するための増税実施の可能性については「どういうビジョンで復興するかの方向性固めを先行させるべきで、財源問題に言及するタイミングではない」と述べた。

【16:23】東京都水道局は27日、乳児の基準を超える値が22日に出た金町浄水場の放射性ヨウ素が、27日は検出されなかったと発表した。

【15:46】共同通信の全国電話世論調査で、東日本大震災の被災者支援での政府対応について「評価する」が57・9%となり、「評価しない」の39・2%を上回った。内閣支持率は28・3%で、先月中旬の前回調査から8・4 ポイント上昇した。復興財源のための増税については「賛成」とする回答が67・5%となり、「反対」の29・4%を上回った。

【15:17】放射線医学総合研究所は27日、福島第1原発3号機で被ばくした作業員3人が、28日午後にも退院するとの見通しを明らかにした。

【13:08】東京電力によると、福島第1原発7 件2号機でたまった水から検出された放射性物質の濃度は、通常の原子炉の水の約1000万倍。

※この測定結果誤ってたそうですね。10万倍だそう。単位がかなりちがいますけど(修正発表後追記)

【12:15】原子力安全・保安院によると、福島第1原発2号機のたまり水に含まれるヨウ素134の濃度は、1立方センチ当たり約29億ベクレルと、極めて高い。

【11:28】原子力安全・保安院によると、福島第1原発の放水口付近で26日に採取した海水から、法令で定める濃度限度の約1850倍の放射性ヨウ素が検出された。25日に採取した海水は約1250倍で、濃度はさらに上昇した。

【11:24】原子力安全・保安院によると、2号機の水には半減期が短い放射性物質が含まれ、原子炉の水の可能性が高いという。

【11:24】経済産業省原子力安全・保安院は27日、福島第1原発7 件2号機のタービン建屋でたまっていた水は、表面の放射線量が毎時1シーベルト以上で、高濃度の放射性物質が含まれるとの分析結果を明らかにした。

(投稿:日本 2011年3月27日、ハワイ 3月26日)


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ひと月前の裏磐梯旅行以来、ずっと観たいなぁと思っていた『赤い夕陽の渡り鳥』、やっと観賞。ふだん利用しているレンタル店になく、他店からのリクエスト、数週間して入荷、観賞からも数日たってしまいましたけれど、こちらに。

この映画『赤い夕陽の渡り鳥』、小林旭さん主演の「渡り鳥シリーズ」第4作。福島県、裏磐梯、吾妻山周辺が舞台。上映は1960年7月。

映画上映の前年、1959年(昭和34年)に開通した「磐梯吾妻スカイライン」の1960年代的観光地を感じさせる作品。そんなタイアップ的要素もある中、事業家と自治体、開発をめぐる利権などがストーのベースとなっているところがとても興味深いです。

DVDにあった予告編の映像では「長期ロケーション」とあるのですが、撮影は5月下旬からで、クランクインからクランクアップまでも、たしか3週間ほど(撮影はほとんど現地で行われているので、たしかに当時は長期ロケなのででしょう)、当時の映画の製作スピードの早さをつくづく感じ。

監督:斎藤武市、企画:児井英生、原作:原健三郎、脚本:山崎巌、大川久男、撮影:高村倉太郎、美術:中村公彦、編集:近藤光雄、音楽: 小杉太一郎

出演:小林旭、浅丘ルリ子、宍戸錠、近藤宏、楠侑子、白木マリ、大坂志郎、深江章喜、河上信夫、青木富夫 、神山勝、紀原耕、阪井幸一郎、黒田剛、瀬山孝司、島津雅彦、村瀬辰也

予告編の動画はなかったのですが、劇中での小林旭さん演ずる滝伸次の歌唱シーンと感動のラストシーンがありました。

赤い夕陽の渡り鳥:アキラの会津磐梯山:クラブでのシーン
このシーンの前の踊り子さんのシーンもかなりよい感じなのですが、動画はありませんでした。そこから、ゴロツキによる踊り子へのちょっかい、伸次(小林旭)の制裁、このシーンへとつながります。


 
おなじみの福島民謡『会津磐梯山』のアキラ節。歌詞は、民謡のオリジナルとちょっとことなりますね。
なんでも「アキラの… 」が付けられた最初のシングル盤は「アキラの会津磐梯山」と「アキラのツーレロ節」(1960.7.2発売)なのだそうです(情報:「アキラの…」かんむりの謎
(余談:こどもの頃から、民謡『会津磐梯山』って好きだったのですが、「磐梯山」を「番台さん」と勘違いしており、祖母に教えてもらった思い出あり)

アキラの会津磐梯山:
作詩:西沢爽 補作曲・編曲:浜口庫之助



赤い夕陽の渡り鳥:
感動のラストシーン。
4:00あたりからはじまる、渡り鳥シリーズ・テーマ曲でもある『ギターを持った渡り鳥』、「海を流れて」ではなく「雲の谷間をどこへゆく」と歌詞が内容にそってかえられているというのも内容にあった演出ですね。



西部劇的な演出は、ラストシーンにもたっぷりですが、劇中全般にわたり感じられますね。牧場の若者たちの歌い踊るシーン、衣装などにも感じられます。そして、この映画中で、かかせないのがハジキのマサ(政)!宍戸錠さんの役柄がすてきです。子役、島津雅彦くんも印象的(子役へのきっかけは、映画の鹿児島ロケで撮影隊に花束を進呈するポジションになったことからだそうです。たくさんの映画に出演してますね)。
映画劇中で登場する裏磐梯高原ホテルにもぜひ一度宿泊してみたいです。

渡り鳥シリーズ、ロケ地も研究をかさねているファンが多いですね。
情報:栄光のマイトガイ・旭:赤い夕陽の渡り鳥のロケ地を訪ねて

シーンとあわせて動画にてロケ地来訪を記している方もいらっしゃるようです。




ひと月ほど前の裏磐梯旅行記:
民謡 会津磐梯山 レコーディング初期などいろいろ (裏磐梯旅行)
裏磐梯旅行:写真



このたびの震災で、同じ福島県の海側である浜通り地区がたいへんな被害を受けています。心からお見舞いを申し上げるとともに、県内、他の地区でも被害はあり、さまざまな影響がでていますね。
昨年はいわきにも訪れ、先月は裏磐梯へ、と福島の魅力を再認識したばかりでした。
風評はもちろんいけませんが、実際にいろいろな産業にその被害はおよんでいます。できるだけの支援といち早い復興をお祈りします。
東京でもできるだけ、福島の方を迎え入れる体制を整えたいです。自宅近隣の公共施設では、平常運営を変更し、被災者の受け入れを開始しているよう。
(わたしの父は戦中、福島に学童疎開をし、福島の農家にお世話になり地元の学校にいっていたそうです)

(投稿:日本 2011年3月27日、ハワイ 3月26日)


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週末は、長かった時間をリセットするため、そしてこれからつづいていくだろうことにも向えるように、ちょっと充電モード。
海を見に、城ヶ島(三浦)に行ってきました。

いまは、すこし状況はもどっているようですが、ガソリン節約時のドライブ。そして、海、ということもあり、ちょっと迷いつつも、なんだか、自分にとって必要な気がしたので(近所での日常利用は、あれから控えてます。そして、ブログ上では、車種変更について、書くチャンスがなかったのですが、いろんな理由からだいぶ前に切り替え。現在所有は軽なので、燃費よいので、まだ、半分ぐらいあり)。

3連休の土曜日ではあったのですが、城ヶ島はひっそり。干物屋さんやお土産もの屋さん、お店もほとんどしまっていて、人影もまばら。

バスターミナルのあたりから、海に向う道沿いに、一軒あいていたので、お土産買いながら、お店のお兄さんとちょっとおしゃべり。やっぱり、あの辺りは、ドライブのひとが多いので、すっかりお客さんもすくないんですよ、と。先日の忘れられない日の話なども。

そして、さらに細くなる道では、猫さんが。人恋しかったのでしょうか。ずっと一緒についてきてくれました。





この日の海はとても風が強く(南西の風かな)



風と人も少ないので遊覧船もおやすみ(ただ海をみたかっただけなので、今回は、乗るつもりはなかったのですけれど。「遊び船」というのがよいですね)



とぼとぼと歩いていて、頭の中に流れてきたのは、『瞳をとじて』。

荒井由実:瞳を閉じて(1974年) 
作詞・作曲:荒井由実

風がやんだら~、沖まで船を出そう
手紙を入れたガラス瓶をもって
遠いところへいった友だちに
潮騒の音がもう一度とどくように…



この曲、いまの季節らしいエピソードがありますね。

エピソード:
1974年(昭和49年)に長崎県立五島高等学校奈留分校(現・長崎県立奈留高等学校)の女子生徒が奈留分校に合った校歌を作ってほしいと『オールナイトニッポン』の「あなただけのイメージソングを作ります」のコーナーに投書。
当初加藤和彦さんによって曲が作られ番組でもオンエアされたものの、届けられるはずであった録音テープが行方不明に。かわりにユーミンの『瞳を閉じて』が贈られ、その後、学校の愛唱歌として制定されているそうです。1988年には、卒業生の寄付で、歌詞を刻んだ歌碑が建てられ、その除幕式にはユーミンも出席(動画にも新聞記事が)。

三浦、城ヶ島の写真
潮風が強く、白んでいたので、富士山はみえませんでした。



海はいろんな顔をもっていますね。
先日の津波では大きな被害もあり、心が痛みますが、いろんなものを洗い流してくれる気がします。
ハワイでは、海のそばでの暮らしがあって、毎日、そばにあったので、やっぱり、ときおり海を見たくなります。

(投稿:日本 2011年3月23日、ハワイ 3月22日)


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きょうは、ほぼ1週間ぶりにオフィスでの仕事に復帰。
この週末はリフレッシュ、ということで、いつもは出勤の祝日もPTOをとり充電(←週末も充実だったのでまとめたいです。のちに)。まだまだ、いろんなことは続いてますけれど、新しい週のスタート!
そんな朝の気分はなんだろうと、今朝は、出勤前にこの曲、映像でチャージしてみました。

「MARY TYLER MOORE SHOW(メアリー・タイラー・ムーア・ショー)」のテーマソング『LOVE IS ALL AROUD』。

Mary Tyler Moore Show Opening:Love Is All Around
歌・作詞:ソニー・カーティス(Sonny Curtis)、作曲:パトリック・ウィリアムス(Patrick Williams)※一部、ポール・ウィリアムス(Paul Williams)となっているものもあり。



「MARY TYLER MOORE SHOW(メアリー・タイラー・ムーア・ショー)」は、アメリカで1970年代に大人気だったドラマ。まだ、わたしが、アメリカに移り住みはじめたばかりの頃、ひたすらみていた懐かしのドラマ枠「Nick at Nite」で再放送されていたのです(スペルはあえて"Nite"。日本では米ものこども系とて"Nickelodeon"は知られているようですね)。

エンターテイメントとしての楽しみ、そして「アメリカでみんなが知ってるものは知っておこう」土台づくりとしてみていたもの。1970年代のアメリカを反映した国民的ドラマ。
内容は、コメディタッチ。当時のアメリカの転換をいろいろと映しだしているものとしてもおもしろいドラマでした。そもそもテレビ局のセクレタリー志望として就職面接に行ったメアリーが、アソシエート・プロデューサーとして採用、そしてプロデューサーになるというキャリアな展開。周囲の登場人物やストーリーにも、社会的転換期の要素がいろいろ映しだされているものとして、米ドラマ史的には代表的作品のひとつなのでしょうね。

毎回のエピソードはもちろん楽しんでいたのですが、何より大好きだったのが、何気ない日常のシーン、その中でのよろこび、みているだけで、笑顔になれて、元気になれる、このオープニング映像とテーマ『LOVE IS ALL AROUND』でした。

Mary Tyler Moore Show Opening:Love Is All Around(First Season)
個人的になじみがあるのは先のものなのですが、こちらのファースト・シーズンの映像もよいです。



この度知りましたが、オープニングの帽子をなげるシーンは、やっぱり多くのひとの心に刻まれているようで、ロケ地のミネアポリスの交差点には、このシーンをかたどった銅像も(ぜひ、一度おとずれてみたい)。


大好きな『LOVE IS ALL AROUD』、オープニング映像のものだと曲としては、ちょっと物足りない感もあるので、一度、聴いてみたいと思っていたフルヴァージョンを探してみました。
先ほどの映像の説明にも簡単に記しましたが、歌っているのは、ザ・クリケッツのメンバーだったソニー・カーティス。バディ・ホリーのお亡くなりになったあと、ボーカルとリードギターをついだ方でもありますね。

Love Is All Around(Mary Tyler Moore Show Theme Song):
シングル・ヴァージョン



Who can turn the world on with her smile?
Who can take a nothing day, and suddenly make it all seem worthwhile?
Well it's you girl, and you should know it
With each glance and every little movement you show it

Love is all around, no need to waste it
You can have a town, why don't you take it
You're gonna make it after all
You're gonna make it after all

How will you make it on your own?
This world is awfully big, girl this time you're all alone
But it's time you started living
It's time you let someone else do some giving

Love is all around, no need to waste it
You can have a town, why don't you take it
You're gonna make it after all
You're gonna make it after all

『Love Is All Around』、いまはまさに"This world is awfully big"ですが、"girl this time you're all alone" ではなく、みんなで、同時に、ひとりひとりでもあり、"You're gonna make it after all"からさらに、"We're gonna make it after all" きっとなんかなる、きっとなんとかできる、という気分。(いまだ余震にもかなりびくびくですけれどw)


とてもすてきなこの歌、ドラマでのみなじんでいたのですが、ジョーン・ジェットのカヴァーもあったのですね。けっこう、いろんな方が歌っているのかも。

Joan Jett:Love is All Around



メアリー・タイラー・ムーア:
アメリカを代表するコメディはじめ幅広い演技の女優さん。アカデミー主演女優賞ノミネートのほか、7度のエミー賞受賞。
『メアリー・タイラー・ムーア・ショウ』(1970年 - 1977年)以前には、自身の出世作となったコメディ番組『ディック・ヴァン・ダイク・ショウ』(1961年 - 1966年)でディック・ヴァン・ダイクとともに主演。
映画出演、ロバート・レッドフォード初監督作品『普通の人々』(1980年)。
女優業のみならず精力的なチャリティー活動家、政治運動家としての顔も持ち、糖尿病や動物の権利保護といった分野に力を注ぐ。

"You Wonderful You" - Dick van Dyke and Mary Tyler Moore



(投稿:日本 2011年3月22日、ハワイ 3月21日)

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追記:
本日、東京の浄水場から乳児の基準値2倍を超す放射性ヨウ素検出された、というニュースがありました。
いたたまれぬ、ニュース。これが、昨日、一昨日の原発事故後のファースト・レインによる一時的なことであることを祈ります。

これは、事故後、もしかして起こってしまうかも、とも思っていたことです。これから、さらに、また何かあるかもしれません。同時に、泣き寝入りという訳でなく、みんなで考えて何とかしなくてはいけませんね。
絶対になんとかなる、と信じています。なので、追記として、このところ、原発事故から、ずっと考えていたことをさらに強く、わたしなりに考えてみたこと。

ソーラー発電:
もうすでに夏の電力不足が話題に。日本の近年の気候からすると、かなりきびしいことになりそうです。節電はもちろん大事、このままある程度つづけていく必要はあると思いつつ、それだけでいいのかなと。
夏という以前に生産業ふくめ多大な影響がでてくることに間違いなく、他の電力供給方法を考える必要があるのではないのでしょうか。
みんなで節電して電力消費量の減少が図れたのです。電力の供給も同じことでは?
こんな時期なのに、なぜこのことがあまり話題にのぼらないのか、よくわからないのですけれど、太陽熱をつかった発電、ひじょうに有効です。全部をまかなえるかどうかという問題ではなく、すこしでも、自然からのクリーンエネルギーを使っていくという方向で考えてはどうなのでしょうか。
日本では、電力会社の経営のため、政治的なこと、各家庭の設置負担などの理由があるのかよくわかりませんが、それなら電力会社から貸し出すような形にするなど、方法はないのでしょうか。政府からの補助金、税金控除なども。
コストも重要なのは、わかりますが、安全な生活それが一番尊いもののように感じるのですけれど。

"Gonna make it after all"

水の放射能除去の方法を研究開発:
これは、あまりくわしくないので、わからないのですけれど、何とかして放射能を除去するような手段はみつからないかと。きっと、すでにあるのではないかと思うのですが、それが実用にいたらないのであれば、それを実用可能なものにしたいです。水、空気、すべてはあらゆるものにつながっています。きっとこれから、いろいろなバランスくずしてしまうことになりかねません。


『Love Is All Around』、サミー・デイビスJRのヴァージョンみつけました :)

SAMMY DAVIS JR:LOVE IS ALL AROUND



フランスで放送されていたもののオープニングも♪

Mary Tyler Moore Theme in French season 2



(追加投稿:日本 2011年3月23日、ハワイ 3月22日)


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東北地方太平洋沖地震から一週間がたちました。午後2時46分より、数分遅れてしまいましたが、黙祷をささげ、それから、この間に起こったこと、感じたこと、考えたこと、などいろいろとふり返ってみました。

最初の揺れは激しく、マグニチュードは9.0、三陸沖震源地に近い宮城県では、震度7、東京でも震度5強、約2.5分ずれで福島県沖震源地、それから約30分後、次にやってきた大きな揺れは、震源地を別とした強い揺れ、茨城県沖でM7.4、茨城県鉾田で震度6弱、震度5弱というものでした。
この地震により、最大10メートル以上という大津波。
日本気象協会:地震情報(震源地・各地の震度):2011年3月11日14時46分
日本気象協会:地震情報(震源地・各地の震度):2011年3月11日15時15分
Livedoor:津波情報
あらためて、地震情報のページをみて、いかに日本中が揺れたのかと。

もっとも大きな被害をも受けた地域のみなさまには、あらためて、心からお見舞い、命をおとされた方にはご冥福をお祈りします。

いままでに、その後の余震は小さなものを含めると500以上、震源地もさまざま(これも気象庁のでざっと数えました)。
またあらためて同日の自己Tweet:
Twilog:2011年03月11日(金)
3月11日は、まったく日常とはちがう一日でしたが、この時点では、まったく現在のような状況は予想していませんでした。

きょうまでのあいだには、原発事故、電力、燃料などエネルギーの供給不足、さまざまなことがおき、事態も情報も二転三転。緊急時の安全とは?などいろいろと考える時を過ごしました。

原発事故経緯タイムライン・リンク:
MSN産経ニュース:福島第1原発 炉心溶融をめぐる経緯
2011年3月11日3月12日3月13日3月14日3月15日3月16日3月17日3月18日

一週間がたち、いま一番に願うことは、被災者の方々の援助がすすむこと。せっかく避難できた方々です。食料はじめ、健康や衛生管理がもっとすすんでくれればよいと心から。

その他に関しては、まったくの日常を取り戻すために極度の無理をするより、すこしづつできることをし、平和な日々をと願うばかりです。さまざまな形でのストレスがでてくるころ、見聞きすることも多いような気がするので(自分もかな)。

いろんな思いをこめて、細野晴臣さんの『ウォーリー・ビーズ』。ひとつ、ふたつ、数えて。
そして、もうすぐ満月ですね。

細野晴臣:ウォーリー・ビーズ
作詞、作曲、編曲:細野晴臣
1978年、アルバム『はらいそ』より。歌詞、ミュージシャンなどレコーディング情報は下記。
(「Worry Beads」はお数珠)



行こう、帰ろうよ、月の砂漠へ
胸に植えろよ、月の種子を

百と八つの悩みの種
ひとつ、ふたつ、数えるだけ
ホラ、身体が軽くて 
どこでも行ける、思えば今すぐ

行こう、帰ろうよ、月の砂漠へ
胸に植えろよ、月の種子を

Count-a Worry Beads
月光浴びて、種を数え、息を呑めば
ホラ、胸に月の砂漠が 
広がっていく、そしたら、今すぐ

Om Nama Chandraya
Shonti Shonti Chandraya

行こう、帰ろうよ、月の砂漠へ
胸に植えろよ、月の種子を

ひとつ目はね、あの子のため
ふたつ目はね、この子のため
ホラ、皆、解きほぐされ 
どこでも行ける、思えば、今すぐ

Om Nama Chandraya
Shonti Shonti Chandraya

百と八つの悩みの種
ひとつ、ふたつ、数えるだけ

Om Nama Chandraya
Shonti Shonti Chandraya

参加ミュージシャン:
MR.YT Unofficial Home Page:細野晴臣(ハリー・ホソノ&イエロー・マジック・バンド): はらいそよりの情報)
ドラムス:林立夫、ベース、ギター、ピアノ、シンセサイザー、ボーカル:細野晴臣、キーボード:佐藤博、パーカッション:斉藤ノブ、ヴァイオリン:武川雅寛、バックアップ・ボーカル:大貫妙子、あがた森魚、TOKYO SHYNESS BOYS

[お墓参り、お数珠ともちょっと関連]
実家より電話で、お寺から檀家それぞれに状況確認をしてくださいとの連絡が入ったそうなので、昨日は、お墓参りに行ってきました。うちは特にかわりなく、でも、影響があったところもあるようでした。お彼岸なので、また、こどもつれて今週末にはご先祖さまにご挨拶。お墓参りに行ってきます。

小さな木で小鳥がないてました。
小鳥の声。ちょっと強く吹いていた風音も(音)


[在宅で気になったこと]
ここ数日、在宅で仕事をしていて、再開しはじめたワイドショーなどニュース以外のテレビ番組を目にすることも多く、現時点で身近に感じていることで、メディアのとりあげで気になることなど。

買だめ:一部食品、生活用品:
特に買いこんではいませんが、乾電池はチェックしたところ予備がなかったので、地震の翌日に単三、単一を購入。量はふつう。米は、あと数日分しかないので調整。パスタ、うどん、そうめん、そば、はそれぞれ、1~2回の食事程度が、常備ものとしてすでにありなので、1週間ぐらいはなんとか。トイレットペーパーは、とりあえずたりてます。こどもの大好物である牛乳、卵などはふだんも冷蔵庫からかかしたことはないのですが、仕方なし。
ただ、買い物に出かけて、近隣では、まわりのひとがカゴに入れているものをみても、個人差はあるものの、ほとんどのひとは買い占めているという気配は感じられません。長蛇の列は体験なし。でも、上記商品は不足してますね。
世間では、買占めなどといわれていますが、一定のものが、さまざまな理由で入荷されていないという状況もあるので、メディアでひとびとに控えましょうとうながすのは、よいのですが、すでにみんなも承知している部分もあるので、妙にうったえかけて、逆にあおらなくてもいいのではというように感じ始めたりしています。それよりは、これで対応してはどうですか?とか、これも主食になりますよ、などという提案をしてはどうかと思ったり。

ガソリン:
これは、自分では車はレジャー利用または電車より車で行ってしまった方が近いという近隣がほとんどなので、ひかえており、特に長蛇の列は体験していないのですが、仕事に必要な方は大変ですね。でも、実際、個人、一般家庭でも生活に、かかせないという方も多く、なんとか解決をのぞみます。対応策は練られているようですね。

退避:
これは、周囲が日々どんな生活を送っているか。ファミリーなのか個人なのか、などで考え方もさまざま。周囲の例では、職場では1名が沖縄に。アメリカ人、日本人(選択により)ですし、ほぼファミリーとよい方が軍関係だったりもするので、ということもあり。同じマンションでも、外国からの方は、もうすでに日曜日、月曜日あたりには。身近な周囲の例では、職場またはそれぞれの属する国のアドバイスによる個々の判断で。
ワイドショーでは、しきりに、これは外国人のことだから、日本人で首都圏をベースに生活している人には必要ない、というようなことを呼びかけていました。
わたし、個人的にいえば、現状、移動パニックというほどの状態でなければ(通常とちがう形で混雑はあるようですが)、その方が安心であるのなら、退避する方の選択はそれはそれとして受けとめています(もちろん、受け入れ地域の方が迷惑を感じるほどの規模になったら別です)。
関東以西にもともと実家があったり、それぞれ、条件もちがいますし。危険にさらされていないとしても、なんらかのストレスにさらされていたり、小さなこどもがいたり、病気がちなひと、お年寄り、みな一様ではないのです。
多分、いまの状況では、大移動という規模のものはないと思うので、あまり、メディア、特にワイドショーなどで、「まったく必要ありません」というような言い方はして欲しくないと思っています。
その言いきかせによる心配ごとは、移動する方が、罪悪感のようなものを感じてしまったり、戻ってきたときに、迎える側も「逃げた」というような反応をすること。特にこれは、学校などでも、違和感をもたれる対象になりかねなく。また、そのことを躊躇して踏み切れな方も少なくないような気がするので。

その他でも、学校(個別というよりは自治体や教育委員会でしょうか)での緊急時の策もその場の対応は徹底されていますが、今後のためにも、このようなあいまいな状況時の対策は、検討していくべき課題はあると思います。授業という面ではひとりの教師がクラスを教えることはできますが、命を守るという点では状況によりけり(完全にできてないという意味ではないです)。緊急時は基本的には、指示をまもりつつも、状況や情報を判断し、小さなユニットから。家族の指針も決めていくべきなのでしょうね。

この状況下で、自分自身、周囲も含め、ひとびとの反応はさまざま、対応、決断もいろいろです。悩みやいきどおりはすこしでも少ない方がいいのです。
認める気持ち、許す気持ちをわすれないようにしたいと思います(あっ、でも、国民の安全とか。大きな単位の件などは別。これから、システム構築、安全管理、などなど、日本を思うからこその気持ちです)

身近に思うことについてなど、なんだか長くなってしまいました。まとまりもなく…

(投稿:日本 2011年3月18日、ハワイ 3月17日)


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きょうは、自宅でのお仕事でした。もう、あの地震から6日目なのですね。

なんだか、時が経つのが、とても長いような気がしたり、短いような気もしたり。

被災者の方々、救助、緊急対応にあたられているみなさんに比べれば、多少の不自由はさていおき、日々の生活ができているのは、ありがたいことです。

とは、思えども、余震もつづき、震源地もいろいろ、さまざまなことが(さまざまというか…原発です、要は)、まだまだはっきりせずで、天気に例えれば、曇り空、といった感じなのかなぁと。
もちろん、暗い気持ちというわけではないのですけれど。

午後、ふと空を見上げたら、雲のない真っ青な空が広がっていました。この曲、『On A Clear Day You Can See Forever 晴れた日に永遠がみえる』が浮かんだので。

がんばっている日本中のみんなに、すてきなご褒美、晴れわたった青い空がおとずれるといいなぁと願いながら。

On a clear day
Rise and look around you
And you'll see who you are
On a clear day
How it will astound you
That the glow of your being outshines every star
You'll feel part of every mountain, sea and shore
You can hear from far and hear a world you've never heard before
On a clear day, on a clear day,
You can see forever, and ever, and ever more

ブロードウェイ・ミュージカルやバーブラ・ストライサンド主演の映画『晴れた日に永遠が見える(On A Clear Day You Can See Forever)』(1970年)でポピュラー。

曲としても、さまざまなボーカル、インストゥルメンタルのヴァージョンがありますね。
作詞:Alan Jay Lerner、作曲:Burton Lane

大好きな曲なので、いろいろなカヴァーを集めてみました。すてきなヴァージョンがたくさん。

動画だけでも、思った以上にたくさんあり、再生リストをつくってみました。
とってもたくさん。アーティスト名などは、まだ、まとめてないので…あとで追加 φ(・・*)

On A Clear Day You Can See Forever (Instrumental) :




On A Clear Day You Can See Forever (Vocal) :




実はまだ、映画などは、観たことがありません。近いうちに観なくては、です。
他の曲もすてきですね。

Hurry, It's Lovely Here~Go To Sleep~On A Clear Day You Will See Forever



(投稿:日本 2011年3月16日、ハワイ 3月15日)

再生リスト:アーティスト:インストゥルメンタル編:
George Shearing, Dick Delany, Tony Hatch, Toots Thielemans, Johnny Smith, Howard Roberts, Mantovani And His Orchestra, Bill Evans, Sonny Criss, Was A Bee And Mario Biondi, Hussein Boon, George Shearing, Water Melon Group, Frank Pourcel, David Jones, Dan Gibson, Eddie Palmieri And Cal Tjader, Ted Taylor Music

再生リスト:アーティスト:ボーカル編:
Johnny Mathis, Andy Williams & Nancy Wilson, Andy Williams, The Peddlers, Barbra Streisand, Rita Reys, Frank Sinatra, Robert Goulet, John Cullum, Cleo Laine, Steve Lawrence, Matt Monro, Steve Lawrence (TV Live), Sarah Voughan, Montefiori Cocktail, Shirley Bassey, Glenn Miller, Gabrielle Goodman, 弘田三枝子

(追加投稿:日本 2011年3月17日、ハワイ 3月16日)


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「スウィングル・シンガーズとバッハの対話」つづき。

バロックのもつ構成美、その真に流れるメロディ。装飾ともなる和音のパートひとつひとつは、それぞれの役割もち、即興性もあり。数多くの転調、その後にくる新しい調べ。

大地震から数日、予期していなかった数々の事象、いま流れいる「時」、これから先のわたしたち、それぞれの役目、求められているもの、しなやかな即興のような臨機応変さなどを考えながら
スウィングル・シスターズのスキャットのやさしさとバッハの美しい調べに身をまかせてます。

昨日は、最近入手した企画アルバム『Aria - The Swingle Singers Meets J.S. Bach (G線上のアリア~スウィングル・シンガーズとバッハの対話)』について、ざっとまとめてみたのですが、本日も関連で。
昨日分:スウィングル・シンガーズとバッハの対話

この収録されている最初のナンバー、アルバム名の一部ともなっている『G線上のアリア』、バッハ作品の中でも好きな作品でも大好きな曲のひとつ。
そして、このスウィングル・シンガーズのヴァージョン、記憶が正しければ、モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)関連のナンバーとして聴いたのが、そもそも、スウィングル・シンガーズとの出会いだったかもしれません。

Swingle Singers & The Modern Jazz Quartet:Air For G String
バッハ、管弦楽組曲第3番 ニ長調 BWV1068 「G線上のアリア」
あらためて、じっくり聴いてみて、美しさ、かっこよさに心うばわれます。



もともとは、スウィングル・シンガーズとモダン・ジャズ・カルテットの『ヴァンドーム』というアルバムに収録されているものですね。

この度、聴いている『Aria - The Swingle Singers Meets J.S. Bach (G線上のアリア~スウィングル・シンガーズとバッハの対話)』、ラストも、スウィングル・シンガーズとモダン・ジャズ・カルテットの作品となっています。

Swingle Singers & The Modern Jazz Quartet:Ricercare a 6 from "Musikalisches Opfer" BWV 1079
バッハ、「音楽の捧げもの」BWV 1079 六声のリチェルカーレ



スウィングル・シンガーズとモダン・ジャズ・カルテット作品、先のアルバムの中でも、光っている、という感じをうけました。

もともとのバロックのもつ即興性という面もさらに活かされてるのだなと、つくづく。
もっとも、即興のように感じさせつつも、スキャット・ボーカルもあたかも楽器がするように構成させ、MJQのスタイルも、共通するものがあるのでしょうね。

スウィングル・シンガーズとモダン・ジャズ・カルテッのアルバム『ヴァンドーム』、通しで聴いたことがないので、とっても聴いてみたくなってます。
『ヴァンドーム』より、バッハでないナンバーを。

MJQ and THE SWINGLE SINGERS:VENDOME



ファースト・アルバム『ジャズ・セバスチャン・バッハ』(1963年)の数年後につくられたものですが、アメリカ出身のワード・スウィングルがパリで結成したスウィングル・シンガーズに、またアメリカのMJQと組むことで、アメリカのモダンとフランスのエスプリがブレンドされていますね。

そして、このコンビネーションこそが、大人なコーヒーのイメージでもあるような。
ネッスル(現・ネスレ) CM ネスカフェ・ゴールドブレンド←伊集加代子さんによるスキャットが印象的な『目覚め - ネスカフェ・ゴールドブレンドのテーマ』について以前、CM出演者の変遷もふくめたまとめたもの
M.J.Q.の『Softly, As In A Morning Sunrise 朝日のようにさわやかに』もコーヒーのイメージで、CMにも使われていたような記憶があるのですけれど、はっきりと思い出せないのです。いつも聴きながらなんだったけなぁと考えてます…

Twilog:2011年3月15日

(投稿:日本 2011年3月15日、ハワイ 3月14日)

スウィングル・シンガーズさんたちも日本のために祈ってくださっているようです。感謝 (-人-)
Twitterのメッセージ、そのまま載せさせていただきます。

"Sending all our love and prayers to all who have been affected by the earthquake and tsunami. #prayforjapan" リンク

@swinglesingers 2011年3月13日より

スウィングル・シンガーズ公式サイト:http://www.swinglesingers.com

(追加投稿:日本 2011年3月16日、ハワイ 3月15日)


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あの日から数日たち、新しい週がはじまりました。いまは、できることをすこしづつ、しなくていいことはしない、状況がかわることは、さまざまなことが起こる中、当たり前、流れに身をまかせ、祈りの気持ちをこめながら、その中で着実にこなしていきたいです。

きょうの午後は、先週入手したものの、まだ、ゆっくりと聴いていなかった、スウィングル・シンガーズ(The Swingle Singers)のアルバム『Aria - The Swingle Singers Meets J.S. Bach (G線上のアリア~スウィングル・シンガーズとバッハの対話)』を聴いてみました。

こんなときは、やさしいスキャット、バッハのナンバー、身、耳をまかせるのもよいですね。

このアルバムも、先日書いた『魅惑のヒット・アルバム 第15集 ゴールデン・ヒットパレード (アルバム)』と同様、思っていた以上のボーナスがあるアルバムでした。



日本語フォントのためか、なんか、さりげなく、すごい感じのジャケットです

1977年に編集されたという、このアルバムは、『ジャズ・セバスチャン・バッハ』(1963年)でデビューし、クラシックとスキャット、ジャズという、当時、ほかにはない新しい境地をひらいたスウィングル・シンガーズの企画もの。スウィングル・シンガーズは以前から気にしており、しかもお手ごろ、ということで、買い求めた、このアルバム、すでに発売されたアルバムからバッハ・ナンバーを抜粋というベストのような感じなのですが、各曲のあとには原曲を同時に味わえるというものだったのでした。すごく、よい企画。

ライナーノーツには、グループ創立者であるウォード・スウィングルについて、スキャットの変遷についての記述などもあり。いろいろな発見も。メンバーのクリスチャンヌ・ルグランは、ミッシェル・ルグランのお姉さまでもありますね。


The Original Swingle Singers 1968 ~ Bach's Prelude & Fugue No. 1 in C Major
よいですね~。「平均律クラヴィア曲集」第1巻は、「アヴェ・マリア」の詞をのせたものも好きです



J. S. Bach - Fugue for organ in G Minor BWV 578
こちらは収録されてませんでしたが、代表的なナンバー。



ちょっと気が早いですけれど、今年のクリスマスには、こちらを聴くことができればいいなと思っています。



祈りと感謝をこめて。

Twilog:2011年3月14日

(投稿:日本 2011年3月14日、ハワイ 3月13日)

スウィングル・シンガーズさんたちも日本のために祈ってくださっているようです。感謝 (-人-)
Twitterのメッセージ、そのまま載せさせていただきます。

"Sending all our love and prayers to all who have been affected by the earthquake and tsunami. #prayforjapan" リンク

@swinglesingers 2011年3月13日より

スウィングル・シンガーズ公式サイト:http://www.swinglesingers.com

(追加投稿:日本 2011年3月16日、ハワイ 3月15日)



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今朝は、昨日ほどではないのですが、いつもより、すこし早めに目が覚め、二度寝でもと思ったのですが、そのまま起床。コーヒーを淹れ、すこしくつろぎ、バッハのカンタータ第140番 "Wachet auf, ruft uns die Stimme(目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声)"を目覚めの曲として聴いてみました。

J.S. Bach: "Wachet auf, ruft uns die Stimme" BWV 645:
目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声:



Puppet singing Wachet Auf, Ruft Uns Die Stimme - Sissel
人形(パペットによる)、目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声:




3月11日の東北地方太平洋沖地震、東日本広域におきた大地震からまる2日以上たち、明日からは新しい週がはじまります。

まだ、大きな規模の余震の可能性はぬぐえないものの、あの日のいたるところでの大きな揺れを思えば、だいぶ静かなときをすごせるようになりました。

きょう、鈴木慶一さんのTweetで「体力、理力、寛容、冷静を持ち続け大量の服を着込んで私は仕事再開しようと思う。k1」とあったのですが、いま直接の被災地にいないわたしたちにできることは、危機感はもちつつ、まさにこのひとことにつきるなぁという感じです。

自衛隊による救助作業が続く中、各国から支援と復旧作業のため緊急救助隊も到着し、日本国内、海外でも寄付がよせられ、あらたな救助も進んだという一日でした。
そんな中、原発では予想をこえる事態を迎え、周辺住民の方々も不安なお気持ちですごしかと思います。

わたしは、原子力の危険さについての意識は、ふだんももってはいるのですが、いままで、それを周囲にかたったり、すこしブログで触れることはあっても、何か特別なことをしてきた訳ではありません。
いま、原発事故に関しては、だれを責めるというより、東工大文化人類学准教授、上田紀行氏のこの言葉を支持したいと思います。
(略)…責任はそれを容認してきた私のような国民ひとりひとりにある。」(全文はリンク参照で)

いろいろな意見も多いですが、実際、そのエネルギーに頼って生活をしてきていたのです明日からは計画停電に入ります。
わたしの住んでいるエリアは、まずの計画停電区域には入っていませんが、節電をつとめすこしでも協力をできればと思っています。
信号なども含めた停電はハワイでは多く、長時間の停電生活にはかなり慣れているのですが、日本ではまた勝手がちがいますよね。しかも、今回は時間の長さというより期間も長く。
これは、エネルギーの維持として、受けとめて取り組むしかないですね(ほんと、そんな意味でも区域外、気がひけます…)


実際に被災しているわけではないので、わたしが言うのも何かと思いますが、困難を切り抜けたひとたちは、強いです。事件的なことでのトラウマと災害でのトラウマということは、ちがう面もあり、だれも自然を責めることはできません。
報道の批判などもありますが、細かい部分は別として、事実を把握していくことは、被災者の方ものぞんでいることはあるのです。あんな中を生きたんだ、と感じる方もいらっしゃると思います。
ただし、避難所でのテレビの数は限られているので、必ずしも、選べる状況なのかわかりませんが、ひと段落した地点で、ほかの選択肢を作ってあげることは必要だったかもしれません。
ただ、メディアもモラルうんぬん、ということだけを考えてではないと思います。

むしろ、これからは、その後の対応、環境をすこしでもよいものにしていくということを考えていきたいです。

支援のシステム構築、被災者のメンタルケア、いち早い仮設住宅の建設、そのほか、これを機にいろいろと取り組んでいくことはあり。
余震の緊急警報、どきどきしてしまうものではありましたが、あんなにわかるのだなぁと感心をも覚えました。もちろん、その後すぐにくるので、その間にできることは限られていますが、心の準備ができるのと、そうでないのはやっぱりちがいます。

津波含め、こういった地震に関する研究、災害対応システム、レスキュー・システム、メンタルケア、メディカルケア、ももっと進めていく課題もあるでしょうし、そういった研究をしたい、と思ってくれる次の世代も育ってくれるとよいと思うのです。

この規模の緊急事態での日本に住む人たちの行動など、評価されていますが、まだ「これから」ということもたくさん。今後の緊急事態への教訓としても。
被災した方々はもちろん、国全体としてもあんな困難に比べればというバネに
そして、いろいろなことに気づき、「目覚め」になるよう願いたいと思います。

この地震での被害者、お亡くなりになった方の確認数は増えています。心よりご冥福をお祈りいたします。そして、被災者への祈り、救援活動、緊急対応に取り組まれている方へ敬意を表します。

[地震後初の数時間おでかけ]
きょうは、昨日返さなくてはいけなかったDVDを返しに、ふだんであれば、車ででかける西早稲田・東新宿まで歩いていってみました(住宅地に比べ夜間人口少ないせいか、近くにレンタル屋さんがありません)。

帰りは、すこし足をのばして、電車で神楽坂へ。
せっかくなので毘沙門天、善国寺におまいり。本来、七福神では「勝負」の毘沙門天ですが、「善国」ということもあり。

苺ロールケーキと神楽坂名物でもるペコちゃん焼き、五十番の中華まん、アルページュでチーズを買いました。


Twilog:2011年3月13日

(投稿:日本 2011年3月13日、ハワイ 3月12日)


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昨日、3月11日午後2時46分ごろ、観測史上最大のM8.8 の地震が東北地方太平洋沖で発生しました。宮城、岩手、青森を中心に、想像を上回る大きな津波の被害もありました。

その後、茨城、福島、長野、新潟ほかにも群馬、栃木、秋田沖、関連はわかりませんが、岐阜県、新島・神津島近海、千葉沖、神奈川、東京湾、など日本列島のいわるところを震源に、地震が続いています。

ブログは、事態がおさまってからと思いましたが、自己メモとしても、行動や現在の状況を記しておこうと思い。

3月11日(金) 午後2時46分ごろ 東北地方太平洋沖 M8.8

ゆれてる…かなり
14:47:47

きょうはかえる。でも、まだひとり外出先からもどらない…
14:59:49

お留守番の小さな子どもたち、泣いてた。近所のひとたちで様子みに。よい処
15:02:26

オフィス、電子レンジついらく
15:09:20

2011年3月11日(金)15時15分 茨城県沖 M7.4

またきた!もうすぐ家
15:16:46

となりの家、塀が崩れてる
posted at 15:19:14


合流地点になかなかこないと思ったら、学校メール、まだ下校待機らしいので迎えに
15:40:23

学校一斉メールでの、連絡は下校状況把握に非常に助かりました。

大きな地震が発生しました。校庭に避難しております。15:45分過ぎまで待機します。お子さんのお迎えお願いします。

学校ではレベル1の対応が必要と判断。保護者引き取り下校を行う。
なるべく保護者の迎お願いします。

地震発生。学校ではレベル1の対応が必要と判断。保護者引き取り下校を行っています。。
保護者が迎えに来るまで学校に待機させています。保護者の引き取りがない児童は17:00より教員が付き添って下校します。

※親御さんがかならずしも家にいないかたもいるので、以下のような対応になりました。

保護者引き取り下校を行っています。保護者が迎えに来るまで学校に待機していましたが、家に大人がいると確認できた人のみ下校しています。

※「家に大人がいると確認できた人のみ」というのは大事ですね。

学校のメール・システムは「まちCOMI」というものを使っています。
http://machicomi.jp/

東京では、昨夜、多くの帰宅難民。
わたしも、これが昨年のいまだったら、とてもじゃないけれど、普通に歩いては帰れないという長距離通勤者だったので、いまの状況を感謝するとともに、すべてを近くしてよかったなぁ、帰れないひとたち、それを待ってるひとたち、不安だろうなぁと感じていました。

まる1日すぎた現在、関東近県では、通常とはことなるものの交通機関もだいぶ再開、町では、こちらも平常どおりとはいきませんが、お店もあいています。
正直、なぜこんな日常があるのかは不思議なぐらいで、日本のすごさを感じます。

ただし、まったく何がおこるかわからない状況がつづいてますね。
電気だけでなく、ガス、水道、その他エネルギー、セーブできるものは、なるべくセーブして、無駄使いをしないようにしたいと思います。

いまも余震がつづき、3月12日午後3時すぎには、福島で直下型の大きな揺れが。
原発は緊急事態に。とても心配な状態になっています。

まず、はじめに福島の地震がきたのは、おそらく昨日のこのときだと思いますが

緊急地震速報、予想。またくるかもだそう。今度は福島県
17:44:19

この後、たしか政府の原発に関する緊急会議もありました。

なるべく動かず、必要なものをそろえ、すぐ避難できるように備えます。

高いところにあるものは、すべて低い場所に。
炊事などでガスを使った後はすぐに元栓をしめる(火事怖いです)。
懐中電灯、避難もの、ラジオ用意。
できるかぎりひとりでいない。周りのひとに声をかける。(電話による連絡は必ずしもとれなかったりするので、いま側にいたり、声をかけあえる方と)
そのほかにもいろいろありますけど

この大地震の状態がおさまった後に、これからするべきこと。

緊急時の対応、連絡方法、行動の再検討、強化。
原子力エネルギーについて再考。
地震・津波のさらなる研究
そのほか、たくさんありますね。いろいろ考えていきたいです。

お亡くなりになった方、現在、救出を待っている方、まだ行方がわからない方、不負傷した方、そのほか、数えきれないぐらい多くの方が地震での被害・困難にあっています。

命を落とされた方々のには心からご冥福をお祈りし、被災、生存されている方の無事を祈り、
いま、できることを考え、冷静に行動しなくては、なりませんね。そして、万が一にそなえたいと思います。

もうすぐ、また夜がやってきました。心をしずめ、休養とれるときにとってそなえます。

Raymond Lefèvre - Aria(幻想のアリア)



茨城でおきた地震の震源地に近い鉾田は、去年潮干狩りにでかけたところでした。
2010年05月15日(土) 潮干狩り(Twilog)
日立へも秋には旅に
2010年11月07日(日)
2010年11月07日(土)

Twilog:2011年3月11日
Twilog:2011年3月12日

(投稿:日本 2011年3月12日、ハワイ 3月11日)


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最近、入手した『魅惑のヒット・アルバム 第15集 ゴールデン・ヒットパレード』(1970年、国際情報社)、おなじみサウンドを歌謡オーケストラ・スタイルのインストゥルメンタルでというものなのですが、先日もちょっと触れたのですが、さまざまな分野の方の音楽に向けたエッセイやコメントなど読み物も掲載したレコード・ブック・スタイルのとてもおもしろい企画のアルバムでした。
魅惑のヒット・アルバム 第15集 ゴールデン・ヒットパレード (アルバム)(先日分)

この読み物の部分は、収録曲やそのオリジナルを歌う歌手に関する説明などもあるのですが、掲載されているエッセイは、直接的には関係のない音楽に関するカジュアルなスタイルのものが中心。コーヒーでも飲みながら息抜きに目を通すといった感のライトな感じなのです。ライトとは、言っても、とても興味深いものが多く、せっかくなので、こちらでも _φ( ..)メモ

まず最初に目についた、増淵健さんによるものを。
この増淵健さんのエッセイ、「魅惑のヒット・アルバム集」での連載らしく、ゲバゲバ・ジョッキーというコーナーになっていました(もう、「ゲバゲバ」からして、相当に気になり)。
タイトルは「大当りおまじないソング」というもの(「おまじない」というのも、またさらに…)

From 魅惑のヒット・アルバム 15


当時ヒットした日本でのおまじないソングの話からスタートし、アメリカでのおまじないソングの大ヒットについて触れているもので、このアメリカでの実例が、ディズニーもので、大好きな、元気をくれるおまじないソングに関するものだったので、なんだかうれしくなってしましました :)

わたしにとって、定期的に観なくてはいけない作品のひとつである「メリー・ポピンズ」(持ってるのがUS版のDVDなのが…)からの「幸せをよぶ」おまじないソング、『スーパーカリフラジリスティックエクスピアドーシャス(Supercalifragilisticexpialidocious)』!

Mary Poppins(1964年)
Supercalifragilisticexpialidocious:



とっても楽しい気分にさせてくれこの歌、きらいな人、いないでしょうね。聴いてるだけで、スマイルです。
作はシャーマン・ブラザーズ(ロバート・シャーマンとリチャード・シャーマン兄弟)。
ストーリーはおなじみだとは思いますが、東風にのってやってくるメリー・ポピンズは、みんなをハッピーにしてくれますね。
ストーリー

ディズニーによる映画「メリー・ポピンズ」は、最高に楽しいミュージカル。1964年のアカデミー賞で部門も含め5つのタイトルを受賞、ジュリー・アンドリュースは一躍大スターに。ディック・ヴァン・ダイクもすてきですね。

『スーパーカリフラジリスティックエクスピアドーシャス』だけでなく、『チム・チム・チェリー』、『ステップ・イン・タイム』、おやすみ前の『ステイ・アウェイク』も大好きな曲がたくさん。

この「メリー・ポピンズ」のおまじないソング『スーパーカリフラジリスティックエクスピアドーシャス』がおこした大当りの奇跡は、その後におこったのですね。サントラの売り上げはものすごい勢い。さらには、ディズニーのいままでの他作品のサントラも、いっきに売れ出したそうです。

いままで、レコードの売り上げとか、ということはいままでまったく知らなかったのですが、ディズニーの中でも、レコード部門というのは、それまでは、ちょっと肩身のせまい思いをしていたそうです。
メリー・ポピンズは、このレコード部門にも幸せを運んできてくれたのですね。この年のディズニーのレコード売り上げは、年間で800万ドルにもおよんだそうです。当時の金額ですから、ものすごいセールスですね。そして、これはアメリカだけの数字なので、世界中ということだと、いったいどのくらいなのでしょう。

もともとディズニーには、おまじないソング、不思議な言葉の歌は多いですよね。日本語でもおなじみ。詞、アレンジともにヴァージョンもいろいろあったり、映画以外でも歌われているものばかり。

おとなもこどもも同じ楽しいときはもちろん、かなしいときやつらいとき、口ずさみたくなるのがしあわせを運んでくれるおまじないソング :D

「白雪姫」の『ハイホー』:

Heigh-Ho - Snow White and the Seven Dwarfs(1937)



シンデレラの『ビビディ・バディ・ブー』:

Bibbidi-Bobbidi-Boo:Cinderella (1950)



ビビディ・バビディ・ブー:東京放送児童合唱団
東京マイスタージンガーとバックのサウンドが気になります。



「ソング・オブ・サウス(南部の歌)」の『ジッパ・ディー・ドゥー・ダー(Zip-A-Dee-Doo-Dah)』
Zip-A-Dee-Doo-Dah:Song Of South (1946)



みんなが大好きな曲ということで、カヴァーもさまざまなヴァリエーション。テレビのライブ映像でとてもすてきなものがありました。
Alan Price, Georgie Fame & Thelma Houston - Zip-a-Dee-Doo-Dah(1969)



ジャクソン5のヴァージョンもよいですよね~♪
The Jackson 5 - Zip-a-Dee-Doo-Dah



「最高にしあわせ」の『バイ・ヤン・パン・パン 』:

Bye-Um-Pum-Pum:The Happiest Millionaire(1968)



レコーディング・ヴァージョン



増淵健さんいわく、こういった曲を織り込むことそのものが、ディズニー自身のおまじないだったのではないかと。きっとそうですね。大当たりおまじないというだけでなく。

Supercalifragilisticexpialidocious♪
とっても楽しいテレビ放送ものみつけました:D

アンディー・ウィリアムス・ショーに出演のジュリー・アンドリュースとオズモンド・ブラザーズ
Julie Andrews and the Osmond Brothers:Supercalifragilisticexpialidocious
Andy Williams Show from November 30, 1964.



(投稿:日本 2011年3月10日、ハワイ 3月9日)

『Zip-A-Dee Doo-Dah』こちらのヴァージョンもよいですね。

BOB B SOXX & THE BLUE JEANS Zip-A-Dee Doo-Dah NOV '62



(投稿:日本 2011年4月3日、ハワイ 4月2日)



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「越路吹雪さんのアルバム『一寸おたずねします』、CD再販希望の1枚です」と書いて数ヶ月、希望しつつもいろいろな事情を考えCD再販の見込みはないだろうなぁ、機会があれば、ぜひアナログ盤で、と思っていた1枚。ついに、入手しました!

昨日も書いたのですが、常に心の中では、レコード探しをしているのですが、実際にゆっくりレコード屋さんをめぐったりする機会があまりありません。でも、これが、あれば、即欲しいというような何枚かはいつも念頭にあるのですよね。

レコード買いは基本、何気なく買う安レコ中心なので、きちんとしたUSEDレコードや廃盤もの、実のところ、価格のことなどもわからないのです。
先日、ふと思い立って、ブログやTwitterでいつもレコード情報を拝見している大阪・難波の中古レコ屋Record Shop NAKA 2号店さん ( @nakareco2 )にアルバム『一寸おたずねします』ってどのくらいの目安でいたらよいのでしょう、と一寸おたずねしてみたのです。
すると、なんと、現在、在庫にあるとおっしゃって!わぁ~、これは、その1枚、わたしを待っていたのかも、と、購入意思決定。

RecordShop NAKA2号店さんはいつも入荷レコードについて、とても楽しいブログを書いてらっしゃいます。
中古レコ屋のあくび指南~のんびり音を聴きませう

待つこと数日、昨日、届きました!ついにです♪
ジャケット、セーター姿のリラックスした感じの越路吹雪さん、すてきです!


以前に2曲ほど聴いたことがきっかけで、このアルバムへの憧れがつのっていったのですが、やっぱり思っていたとおり、すばらしい作品でした。ほんとに、一寸おたずねしてみてよかったです。
参加ミュージシャン、その他に関しても知りたいことがたくさんだったので、このアルバムの入手はほんとにうれしくて :)

普段は、これから聴いてみたいと思ったもので、後に入手した場合、追記対応なのですが、あまりにもすてきなアルバムでしたので、再度、こちらに。
以前書いたもの:
越路吹雪 アルバム 一寸おたずねします 

このアルバム『一寸おたずねします』は、1977年に旧・東芝EMIから発売されたセルフ・カヴァー集。アレンジは羽田健太郎さんで、参加ミュージシャンもすてきな方ばかり。前回も少し触れていますが、ここに参加ミュージシャンその他の情報も収めたいと思います(敬称略)。

エグゼクティブ・プロデューサー:渋谷森久
全作曲:内藤法美(越路吹雪さんご主人)
作詞:岩谷時子、山口洋子(A-2)、阿久悠(A-4)
アレンジ:羽田健太郎
イラストレーション:松任谷由実
(イラスト、ユーミンというのは入手してから知りました!)
参加ミュージシャン:
キーボード(ピアノ、フェンダー・ローズ・ピアノ、モーグ、シンセサイザー、ハモンド・オルガン):羽田健太郎、ベース:高水健司、後藤次利、武部秀明、ドラムス:田中清司、ギター(エレクトリック/ アコースティック):矢島賢、水谷公生、松木恒秀、笛吹利明、パーカッション:斉藤ノブ、トランペット:羽鳥公次グループ、トロンボーン:新井秀治グループ、ホルン:沖田晏宏(ユーミンなどの作品にも参加)、フルート:衛藤幸雄、相馬充、バイヴ、ブロッケン:金山功、コルネット、バイオリン:堀口博雄、ハープ:山川恵子、ストリングス:西谷昭グループ、コーラス:タイム・ファイブ、フィーリング・フリー

収録曲:
A面
1. 一寸おたずねします
歌詞中にある「19のわたし」を回想させるようなエンディングの賛美歌オルガンが美しい
2. 誰もいない海
曲、そのものがすばらしいのですが、シティポップ的ライトなサウンドが、切なさを誘います。この曲、そのものに関しても以前書いたものあり。
誰もいない海 数々のヴァージョン

3. 白い旅
新しいサウンドとドラマチックな歌唱の融合
4. 洒落にしましょう
タイム・ファイブのコーラスが、コーちゃんをやさしく、さらに引き立ててます
5. イカルスの星
ギター、水谷さんでしょうか、最高ですね。キーボードも「歌謡プログレッシヴ・フュージョン」というコメントもありました。

6 ひとりぼっちの愛の泉
ボッサな雰囲気と女性コーラスらしいフィーリング・フリーのパヤパヤがすてき

B面:
1. 嘘
オープニング、そしてバックで静かにささやくダバダなコーラスがいいですね。タイム・ファイブとフィーリング・フリー
2.ボラ・ボラ・アイランド
この曲、タイトルからしてもとても聴いてみたかったもの。すてきです!途中からのトロピカル・タッチ、キーボードも冴え
3.アマリア
越路吹雪さんらしさを生かしながら、ふんだんなシンセ
4.別れて愛が
ドラマチックな美しいピアノの音色。ベースの入り方がかなりよいです
5. 愛のバラード
こちらもピアノ美しく、エンディングにふさわしい曲。越路吹雪さんの姿をも思い、思わず涙がでそう

感想、表現力乏しいのがなんとも…なのですが、アルバム、全般に越路吹雪さんのドラマチックさ、フュージョン&プログレの要素も含みながらもシティポップ・タッチであるライトさ、ブラス、ストリングのあたたかみを感じるすてきな作品。

1970年代半ば前後は、こういった、ベテランと新しいサウンド、ブラス大御所との出会いといったような作品が多く、すばらしいものが多いですね。出会いは特定の曲であったりするのですが、アルバムとしてトータルな作品コンセプトを感じるので、これからも、そんなアルバムはぜひ聴いていきたいなぁと思っています。

(投稿:日本 2011年3月9日、ハワイ 3月8日)


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また、本日も週末のおでかけ関連。日曜日のレコード屋さんでの収穫ものを。普段なかなかゆっくりレコードを探すことができないのですが、せっかくのひとり歩き、御茶ノ水・神保町あたりということで、ちょっとぶらぶらとレコードをみてみました。
レコード探しは、ジャケットをみてるだけでも楽しいですよね
ミュージシャンもちろんなお気に入りジャケット:




ただし、現実的には、レコード探しと言っても、あまり高価なものは購入しないので、決定ラインは500円以内、しかも、数もしぼってという感じです。

そんな中、ちょっとすてきなレコードに出会ってしまいました。
カヴァーもの中心のインストゥルメンタル「魅惑のヒット・アルバム~ゴールデン・ヒットパレード」というもの。購入にいたった理由は、当時の日本の歌謡曲系にもたずさわっていた戦後ジャズの方々の演奏であり、収録曲のいい意味でのランダムさがかなり気になり。シリーズもののようで、数枚あったのですが、その中で第15集というものを買い求めてみました。

ジャケットは、こういったシリーズにありがちな美しい外国人女性もの。中の写真も充実です。
家に帰って、さっそく聴きながら、ゆっくりみてみたところ、それだけではなく、なんだかとってもユニークなシリーズだということが判明。

国際情報社というところが発売元なのですが、このシリーズ、ただのレコードではなく、レコード・ブックというか、レコード・マガジンというようなスタイルのものだったのです!
音楽関係以外の分野の方もエッセイやコメントをよせていて、読みものも多く、とても興味深い内容。美人グラビアとはまたちがった感じのポップな挿絵イラストもよしです。
この辺りの細かい内容やそこからの気づきに関しては、後日、また、触れていきたいと思います。

写真一部をこちらに。



サウンドに関しては、先にも書いたように、当時、センスと実力で人気があったジャズメンの方々、率いるバンド・グループ、そして、企画製作もとである東芝のオーケストラなどの演奏。曲は、当時の歌謡ヒット曲。

一番のお気に入りは、ジミー竹内とエキサイターズが演奏する「別れのサンバ」。

別れのサンバ:
長谷川きよしさんオリジナルのカヴァー。ドラムがすばらしい~、さすが、ジミー竹内さん!
そして、フルートがなんとも美しいのです。



偶然の産物:
こちらは、回転数誤ってでとってしまったもの。なんとなく、グルービーで今っぽいサウンドに仕上がってます。このヴァージョンもちょっと気に入ってしまってます。



このシリーズ、ほかにもまだ数枚あったので、次回行ったときにもしあったら、ほかのも買っちゃうかもという予感。来週、また近辺に用事があるのですよね… :D

アルバム「魅惑のヒット・アルバム~ゴールデン・ヒットパレード 15」収録曲、演奏メンバーその他:
(英語では"Charming Hit Album"となっています。ここで"Charming"という言葉を使っているところも気になり)

監修:油井正一、中村八大、奥田宗宏

A面:
1.恋ひとすじ
和田弘と東芝レコーディング・オーケストラ
2.女のブルース
奥田宗宏とブルー・スカイ・オーケストラ
3.国際線待合室
東芝ゴールデン・サウンズ・オーケストラ
4.私が死んだら
横内章次とブルー・ドリーマー
5.恋人
岡ひろしとヴェルベット・サウンズ
6.別れのサンバ
ジミー竹内とエキサイターズ

B面:
7.白い蝶のサンバ
東芝ゴールデン・サウンズ・オーケストラ
8.恋狂い
和田弘と東芝レコーディング・オーケストラ
9.逢わずに愛して
岡ひろしとヴェルベット・サウンズ
10.白い色は恋人の色
ポップス・フィルハーモニック
11.愛の美学
横内章次とブルー・ドリーマー
12.ドリフのほんとにほんとにご苦労さん
奥田宗宏とブルー・スカイ・オーケストラ

(投稿:日本 2011年3月7日、ハワイ 2011年3月6日)


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週末のおでかけ関連からの気になり。一昨日、土曜日には、お天気もよく公園日和。車で通りがかりでいつも気になり、いつか行ってみようと思っていた飛鳥山公園に行ってきました。
気になっていた点はいくつかあるのですが、太政官布達によって、上野・芝・浅草・深川とともに日本最初の公園に指定されたこと、そして、渋沢栄一氏の旧邸 「曖依村荘」に隣接し、渋沢栄一史料館があるということも。
(ほかにふたつ博物館もあり、そちらはまた行けるように3ヶ月有効の通し券を購入。また今度。北区飛鳥山博物館では、なんかおもしろそうな展示も予定されてます。ノスタルジア・駅弁掛け紙コレクション 3/19〜5/8

という訳で、今回は公園での遊びのほかは、渋沢栄一関連中心でした。土曜日は、現存している「晩香廬」と「青淵文庫」の開放日ということで、そちらも見学。大正期のモダンを取り入れたすてきな建築物でした。



史料館での展示物、青淵文庫のヒーターなど、気になるものはたくさんあったのですが、晩香廬でみた一枚の写真がとても気になり。
洋風茶室として建設された晩香廬、渋沢栄一氏はゲストを迎えるレセプション・ルームとして使用されていたものとあって、さまざまな賓客の写真が展示されていました。政財界を中心とした各国の方々の写真の中、なんだか、とても目をひく写真が一枚。デニショーン舞踊団来日の際、というものでした。
こちらのブログによると大正14年(1925年)に来日公演をしているのでそのときのものなのでしょうね。
『デニショウン大舞踊団』 帝国劇場 (1925.9)
『デニショウン大舞踊団演目解説』 宝塚大劇場 (1925.10)

デニショーン舞踊団という名前は目にしたことがあったのですが、あまり知識なく。デニショーン舞踊団とは、20世紀初めに活躍を始めた、テッド・ショーン(Ted Shawn)とルース・セント・デニス(Ruth St.Denis)夫妻、二人のファミリー・ネームを組み合わせた名で、舞踏学校および舞踊集団。ヨーロッパでは、ニジンスキーなどが活躍する時代のアメリカでの前衛。モダンダンスの礎となった方々、およびグループなのですね。

この映像は、どこかでみたことがあったのですが(舞踊関係のテレビでしょうか)、デニショーン舞踊団(踊り:テッド・ショーン)の代表的なもののひとつでもあるのですね。

Ted Shawn's Cosmic Dance of Siva



そして、このデニショーン舞踊団について調べていた際に、ひとりの日本人の名前をみつけました。新村英一氏(ニムラ・エイイチ、Yeichi Nimura)。ニムラ舞踊賞という賞もあり、舞踊の世界では、知られる方のようですが、一般的には、その功績に対して、あまり語られていない方のひとりではないでしょうか。
長野県の上諏訪出身ということもあり、諏訪市のサイトなどで、その功績や生涯について知ることとなりました。
長野県諏訪市:ニムラ舞踊賞:ニムラ エイイチ・・・長野県諏訪で生まれた舞踊家の生涯とその軌跡

新村英一さんのダンスは拝見したことがないのですが、写真からでもすばらしいダンサーだったということがうかがえます。

新村英一の功績:年譜
1918年 21才で単身渡米。舞踊家をこころざし、セントデニス、テッド・ショーンらに学ぶ。
1925年 ニューヨークのカーネギーホールでデビュー(デニショーン舞踊団)。
1930年 ニューヨークで発表会、舞踊における東洋と西洋の融合を果たす。
1932年~後の妻リサン・ケイを相手にヨーロッパ各地やカナダ、全米で巡回公演、各地で熱烈な支持を受ける。
1940年~ニューヨークの名門カーネギーホールに総合的な舞踊学校「バレエ・アート・ニムラスタジオ」を開き、ユル・ブリナーやジーン・アーサーなど多くの俊秀を送出。

1979年(昭和54年)に亡くなるまで、一度も日本に帰国しなかったそうですが、、宝塚歌劇団や歌舞伎のアメリカ公演、諏訪地方の精密機械業のアメリカ進出にも尽力。長年の日米交流の功績から、1969年には、勲六等瑞宝章を受章されているそうです。

何より、新村英一氏の生涯においての舞踊への情熱はもちろんのこと、日本とアメリカ、東洋と西洋、過去と未来感。共感ももちながら、深く感銘を受けます。

諏訪の由緒ある商家に生まれたエイイチ氏は、家業の状況の変化などもあり、15歳で、東京へ。その後、21歳で渡米。1918年のこと。いろいろな職業をしつつ、ダンスホールへ毎晩通い、その踊りは、ダンサーからも褒められるほどのエレガントさだったとか。その後、ニューヨークで知り合った日本人俳優から、劇に代役で出演という知らせを受け、本格的な舞踊の道へ。そして、1925年のカーネギーホール、デニショーン舞踊団公演でのデビュー。その後も、いくつもの大舞台を踏み、ニムラの名は舞踊家で揺るぎのないものになっていきました。専門誌ダンス・マガジンには「サムライ・ダンサー、ニムラ」と題した評伝が掲載され、イギリスやドイツの雑誌にも記事が載るようになったそうでう。

「サムライ・ダンサー、ニムラ」いいですね。

やはり日本からでると身にしみるというか、切実に思うのですが、国を出てこそ、自分の生い立ち、その文化が、大事になってくること、武器というか、アピールになるということは感じます。ただ、懐かしむということではなく、自分のベースとなり、必要とされる部分でもあり。

ニムラ・エイイチ氏は、日本人ならではの個性を生かし、東洋と西洋、過去と未来を大切にされた方。
自伝にあるという、「東洋と西洋の理想と技術を融合し、芸術的で哲学的、東洋的で西洋的な、古くして近代的な舞踊の形式作りあげる。これが新しい世界のための適切な舞踊だと信じている。過去のものを慈しみ、現在の信念を大切に、未来への大きな希望を育て上げるものだからである」という言葉。

イギリスでの第一回国際夏期舞踊学校の教師、ヨーロッパ、アメリカでの巡演、世界各地で高い評価を受け、20ヶ国を巡り、王立や国立のオペラハウスなどで公演を行ったそう。

その後、創設した「バレエ・アート・ニムラ・スタジオ」では、先にも触れましたが、ジーン・アーサーやユル・ブリナーも学んだのですね。
ユル・ブリンナーは、「王様と私」で大成功したとき、「それは、あのときニムラから受けたインスピレーションによるものだ。」と語ったと。

王様と私(The King And I):ユル・ブリンナーとデボラ・カー
The King and I:Yul Brynner Deborah Kerr(1956年)



初めてしりました:
ユル・ブリンナーは、当初はサハリン生まれのスイス人と日本人のハーフと称していたのですね。
そのあたりにもニムラ氏のイメージなどあったのでしょうか。いろいろな背景もあって、実際にはスイスとモンゴルの血を引く父親と、ユダヤ系ロシア人の母親の間にウラジオストックで生まれたということを変えていたのでしょうけれど、「日本」というは、そんな感じもしなくはありません。
自分にできたイメージを生かしたという姿勢も、そのニムラから受けたインスピレーション、という語りに関連していたりするような気さえ。

新村英一氏のことば:
そのほかにも、まさに、という言葉があるので、そのまま転載させていただきます。

「舞踊を生みだすのは、もちろん、頭のなかでだが、私の場合、それはスタジオばかりとは限らない。霊感はいつ、どこでも湧いてくる。いなか道をゆっくり歩いているときでも、都会の大通りをいそいで歩いているときでも、時にはゴルフをしているときでも、湧いてくる」

「あなたの仕事には、どれだけ伝統が受け継がれているかと、よくアメリカ人に聞かれる。私の舞踊はとくに伝統にはもとづいていない。伝統的なものがあるように思えるのは、私の心が日本人だからで、それこそ、私が祖先から受け継いだものだからである」

ジェリー伊藤さんのお父様、伊藤道郎さんもですが、この当時、日本人ダンサーが海外で活躍していたということは、ほんとに、ごく最近知ったので、この時代の一連のムーブメントとともに、さらなる興味がふくらむばかりです… :D


(投稿:日本 2011年3月7日、ハワイ 2011年3月6日)


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