きょうは、昭和ジャズ歌謡、日系二世女性歌手であるベティ稲田さんについて調べてみました。ベティ稲田さんは、アメリカ合衆国、カリフォルニア州生まれの日系二世。フロリダにも住んでいたことがあったようです。昭和8年、20歳のときに、日本へ。日本を拠点に活動を始めたきっかけは、昨日も触れた川畑文子さんへの憧れ。

動画の画像、1935年の「花形流行歌手名鑑」よると、幼いころから、ナイトクラブなどにも出演とのことですので、来日したときはすでに、歌手、エンターテナーとしてのキャリアは長く積んでいたようですね。

来日間もない、1934年の作品、『君なき日』(Hummin to Myself)奥山靉日本語詞、サミー・ファイン作曲、C・ラプハム編曲



こちらも奥山靉さん日本語詞、ミルトン・エイガー作曲で『ハッピー・デイズ』(Happy Days Are Here Again)



『闇夜に口笛吹いて』(Whistling in the Dark)。D・スッセ作曲、日本語詞は、サトウ・ハチローさんなんですね。



ベティさん、ジャズもさることながら、ハワイアン、そしてフラの才能も。ディック・ミネさんの満州慰問公演にも同行。どのぐらいの間かわからないのですが、ディック・ミネさんと結婚されてたのだとか。そして、日系二世であるバッキー白片さん、そしてアロハ・ハワイアンズと活動。日本のハワイアン黎明期を語るには欠かせないひとなのですね。

警察に睨まれながらも、舞台でフラダンスを踊り、「フラはハワイの伝統舞踊よ。英米のダンスじゃないわ」と憲兵を説得したという話も残っているそうです。

『島の唄』(野川香文作詩・キング作曲・紙恭輔編曲) 



わたしも大好きなチャールズ・キング作曲のハワイアンの名曲、『Na Lei O Hawaii』、『島の唄』という日本語タイトルで歌ってらっしゃいました。映画「踊り子日記」の主題歌となったそう。

『夢の島よ』(Hawaiian) 。こちらもハワイアン。



こちらのオリジナルは、ちょっとすぐピンと来ないのですが、ハリウッド系のハワイアンなんでしょうか。(歌詞に「アレコキ」と頻繁にでてきますが、曲の『Alekoki』とはちょっと違うようです。それとも、ハワイアンにたまにありがちな、メロディーが違うバージョンなのでしょうか...)

戦中、そして戦後も、日本で芸能活動を続けたそうです。こちらは1950年の作品。
『チュー・チュー・チュー』(Sioux City Sue)



ベティ稲田さん、もっとたくさんの曲を聴いてみたい。そして、いろいろおもしろいお話もあるようなので、これからもう少し調べていきないなぁと思ってます。

昭和戦前ジャズ歌謡再生リスト

参考にさせていただいたブログ:
Royal Hawaii:戦前のハワイアンアイドル、ベティ稲田
NJAHSのカレンダーから:ベティー・イナダ

(投稿:日本 2010年3月24日、ハワイ 3月23日)


にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 音楽ブログ 思い出の曲へ
にほんブログ村

0 コメント