つづきで沢井忠夫さん。昨日は、ここ最近聴いてた『琴・セバスチャン・バッハ大全集』についてでしたが、きょうは、その魅力にひきよせられたきっかけアルバムのこと、その他いろいろ。

沢井忠夫さんのお名前、ワークを気にすることとなったのは、いまや人間国宝となられている山本邦山さんのジャズ作品をたどりはじめたことからでした(これはまたさらにたどると原信夫さんのことからなのですけど)。

2年ほど前に出会った、1968年リリースの『琴、尺八、ビッグバンドによるスタンダード・ボッサ』というアルバム。この作品は、そのタイトルが語るように、邦楽器のアンサンブルとビッグバンドのにより奏でられるボサノヴァの世界。宮間利之とニューハードと尺八に山本邦山さん、横山勝也さん、琴に沢井忠夫さんというメンバー。編曲は、ニューハードの山本幸三郎、高見弘さんで、このお二方が、また邦楽サイドのよさとビッグバンドのよさをいかした、なんとも見事なアレンジをされてます。もちろん、邦楽とジャズの融合作品では、この後、洗練されたサウンドも出てきたりだと思うのですけど、歓びとチャレンジの躍動感のようなものを感じるアルバムで。
(アルバム収録曲ぜんぶがというわけではなく、なかには、宮間利之とニューハードのみでのものも)

1曲目、「黒いオルフェ」のテーマでもある『フェリシダージ (悲しみよさようなら)』にすっかりやられ…

Adieu Tristesse (A Felicidade):
演奏:山本邦山、横山勝也、沢井忠夫、宮間利之とニューハード・オーケストラ(この曲の尺八は邦山さんのみかな)
「琴、尺八、ビッグバンドによるスタンダード・ボッサ」 (1968年)



どの曲もすばらしいのですけど、沢井忠夫さんの琴は、『Constant Rain』でも、まことに見事。

沢井さんのいろいろは、オフィシャルサイトのプロフィールや年譜などにもくわしいのですが(年譜のページにあるお写真すべてよいですね。山本邦山さんと腕相撲しているものなど、とても♪)
沢井忠夫記念館:プロフィール/ 年譜

琴は、尺八奏者であるお父様のすすめではじめ、その後。東京藝術大学邦楽科へ。1964年には、山本邦山さんなどと「民族音楽の会」を結成し、ジャンルをとびこえた演奏を邦楽器奏者としてきりひらき、1960年代半ばから1970年代半ばまではジャズ・ミュージシャンとのワークも多く、赤坂ミカドでも演奏されていたとか。「現在の生活に密着した音楽を作らなければならない」お持ちになり、その後は、ご自身で作曲した作品など、純邦楽とも前衛現代音楽のような邦楽ともまたちがった独自の世界を築かれた方ですね。

「いかにも芸術です」というのでもなく、ただの異なる楽器で斬新なことをすればということではない、というのは、ともすればなカヴァー曲ですら、楽しみとスタイルを感じる演奏でうかがえるような。

村岡実・沢井忠夫:男の世界 (MANDOM)
尺八:村岡実、琴:沢井忠夫、編曲:池田孝、UNION ALL STARS (アルバム他曲のスキャット:伊集加代子)



奥様、一恵さんも琴奏者であり(昨日書いたアルバム、琴・セバスチャン・バッハ大全集にも参加)、演奏、創作と、並行して、「沢井箏曲院」「沢井忠夫合奏団」をもち、奏者の指導にもあたり。日本のみならず、海外でも認められる存在に。

わたし、沢井忠夫さんの演奏出会いは、さきのアルバムだったと書きましたが、もっとずっとずっと前であったということに今回気づきました。

そうです、もっとも印象に残る「違いがわかる男」のおひとりでした。
(以前に歴代「違いがわかる男たち(女たち)」のことも書いてたのに…ネッスル(現・ネスレ) CM ネスカフェ・ゴールドブレンド

ネスカフェ ゴールドブレンド 違いのわかる男 沢井忠夫(1985年):
(そういえば、『違いがわかる男のCMソング NESCAFE CM Song Collection』も発売ですね)
当時、このCMみて、わっ、琴かっこよし!あぁ、なんで母は、わたしにお琴習わせてくれなかったんだろう…とかって思っていたのですよね(母は昔の習いごとでの「いちおう師範」、家にはお琴もあって…でも、よく考えれば、そのときからだって遅くはなかったですよね、十代だったし、じゅうぶんに)



ほんとに、日本の音楽の世界、邦楽界をリードされていた方、いまから15年ほど前ですね、1997年に59歳でお亡くなりになったのはすこし早かったのではないかとつくづくです。

(投稿:日本 2012年5月31日、ハワイ 5月30日)

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このところ、気分だなぁと思いながら聴いてた、沢井忠夫さんと山本邦山さん、他による『琴・セバスチャン・バッハ大全集』から、いままでの気になりと往ったり来たり、さらには、幼少とまではいかないのですが、ずっとずっと前の気になりへとつながった、沢井忠夫さん。そんないろいろなあらためて。

まずは、『琴・セバスチャン・バッハ大全集』を。このアルバム、ほんとうにすばらしいですね(いま、こちら書きながら聴いてる、NHK-FM 小西康陽 これからの人生(ゲスト:宮川彬良)でも、ちょうどかかってたりしましたけど)。

邦楽器でのメイン演奏は、琴の沢井忠夫さんと尺八の山本邦山さん。前田憲男さんのアレンジが、またなんともいえずよく。ボッサ的あり、ジャズであり、または、クラシック調を活かしながらエスプリ感じられるものであったり。やはりこのサウンドは、先鋭ジャズ・プレイヤーでの演奏ということもあってのもの。参加ミュージシャンは、ギター中牟礼貞則さん、ドラムス猪俣猛さん、ベース滝本達郎さんで、沢井忠夫さん夫人の一恵さんも琴で。

『琴・セバスチャン・バッハ大全集』は、1970年、1971年に第1集・第2集としてだされたものをまとめられたもの(当時、レコードでも、好評につきということで、1972年に、この2集はまとめられてるのですね)。収録曲いくつか、動画にもあがっていたりするのですけれど、それぞれアレンジの特徴を感じられるものを。

前奏曲第1番(平均律クラヴィーア曲集第1巻より):
これ、琴という楽器の特徴がとてもよく活かされていて、かつ、ボッサなギターがしっくりと。かすかに歌うベースといい。なんともいえず素敵なアレンジで、かなりお気に入りの1曲。そもそも、この曲がアルバムとの出会いでもあり

主よ、人の望みの喜びよ (カンタータ第147番より):
バッハの持ち味であるポリフォニーなサウンドが、ほんとうにバラスよく。琴と尺八はもちろん、こちらもかすかなギターがちょっとリュートのような響きにも聴こえバロック的音モチーフとスタイリッシュなブラシでのジャズドラムが品よく。ちょっとMJQ(モダン・ジャズ・カルテット)の雰囲気なども感じられたり。

シチリアーノ (フルートとハープシコードのためのソナタ第2番変ホ長調より):
こちらは、もとのフルートとハープシコードが尺八とギター、琴となって、シンプルなアレンジがとてもとても美しい作品。

沢井忠夫さんと山本邦山さんは、邦楽器でのジャズ作品でのすばらしいワークが多く、いままでもこのほかのいくつかの作品に触れて、大好きな方たち。おふたりは、1964年には、「民族音楽の会」というものを結成されたり、邦楽界へ新風を送りこんだ方でもありますね。1960年代半ばには、赤坂のレストラン・シアター「MIKADO」でも演奏されていたとは!沢井忠夫さんに関しての細かいこと、いままで気づかなかったこと、ほかにもといろいろなので、明日にでも、またつづきを。

(投稿:日本 2012年5月30日、ハワイ 5月29日)

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楽譜を抱いて』の読後のいろいろつづき。まえにも、そんな風に書いたかと思うのですが、この本、ロミ山田さんの音楽生活、歌人生についてはもちろんのこと、アメリカと日本、ちょっと「アメリカ帰りのバタくさい女」の雰囲気(ご本人談:まわりにいわれていた)をもっていたからこそ体験された機会や当時の雰囲気というものを感じることができるのがまた興味のひとつであります。日本だけでなく、世界全体におこった60年代初期のインターナショナルなムーブメントもまだまだ知らないことがたくさんですね。

小規模な音楽祭としてスタートしたサンレモ音楽祭が数々のスターを生み出し、日本からも伊東ゆかりさんや岸洋子さん、世界各国からの参加者をむかえ最盛期でもあった1960年代はじめ。

そんな動きもあったんだぁと、はじめて知ったのが、RCAビクターがローマで開催したという音楽祭。1965年、その音楽祭に、ロミ山田さんは出場。この音楽祭の意図というかニュアンスとしては、アンチ・サンレモ・フェスティバル的なものだったのですね。ポール・アンカやニール・セダカ、ダリダなどをよんで、国営テレビでも放送。とても盛大なものだったようです。

この音楽祭の映像はさがしきれていないのですけれど、同年のサンレモというとこんな感じですね。大賞は、ボビー・ソロ (Bobby Solo) とザ・ニュー・クリスティー・ミンストレルズ (The New Christy Minstrels) -「Se piangi,se ridi」(邦題:君に涙とほほえみを)。

Sanremo 1965 - 12 Se piangi,se ridi - Bobby Solo

そういう動きなども考えると、サンレモの影響力などわかってはいましたが、やはりイタリアは音楽、殊にポピュラーミュージックでは重要な地であったのですよね、と。平岡精二さん作のロミ山田さんデビュー曲『煙草のけむり』が、日・米・伊で発売されたことなど、この音楽祭に参加する2年前ではありますけれど、イタリア語ヴァージョンに関して、あらためて、なるほどでした。

イタリア語ヴァージョンをふくめ『煙草のけむり』のことは以前にも書いているのですけれど→ロミ山田
本「楽譜を抱いて」にもデビュー曲経緯書かれていて知らなかったこともあったので、再度。

ドラマのタイトルは書いてないのでわからないのですけれど、初めは、日本テレビのドラマの主題歌として番組内で歌っていたものなのですね。「私は番組のなかで毎回、歌っていました」と文中にあるので、出演もされてたのでしょうか。これが評判よく、レコーディングをすることとなり。

「ちょっと火をかして頂けません?」(ライターの音)
「ありがとう」

そうか、だから『ARIGATO』。アメリカ盤のタイトルはここにも由来するのでしょう。

米国でも発売しようということになったのは、滞米中に好意にしてくれていたRCAの偉いひとに報告としてレコードを送ったことからだったとか。日本での音源そのままテンポを早め、ギターをたしたもの、ということで

先日みつけた動画、日本語だけど、前に、TV AGE講座「ヒットメーカーが語る作品誕生秘話:平岡精二さん特集」で聴いたときよりテンポもはやいと思ってたのです。ギターもはいっているしこれはアメリカ盤だったのですね(たしかにあっぷされてる方は日本の方ではないのです)。

Romi Yamada:Arigato

この米国発売があったあと、イタリアのビクターでも『ARIGATO (Non Avere Più Paura)』として発売することとなったということで、日米伊での発売は、同時に決まったものではなかったのですね。レコーディングはローマ。「Non Avere Più Paura」の意味は、「もう恐れないで」。

Romi Yamada:Non Avere Più Paura (1964)
Bonicatti-Latessa/Hiraoka [平岡精二]

日本でのB面である『にくいあなた』の作詞をされたのが、放送作家・脚本家で、その後、結婚することとなった岡田教和さんなのですね(その後、長い生活のあと別になられてます)。
海外盤でのB面などはどうなっていたのしょう。イタリアのものは『L'utimo Giro di Giostra』となってます。アメリカ盤もふくめ、そのあたりも興味。

また、海外の音楽祭のことにもどるのですけれど、1971年には、アテネ国際音楽祭にも出場しているのですね。こちらもやはり、アメリカでの活躍からくる、インターナショナルというイメージがあっての、なのでしょう。
『Her Name Was SAKURA 君の名はさくら』という服部良一さん作詞・作曲(作詞は別名でもある村雨まさを)のもので、服部良一先生からの指名で歌うことになったのだそう。

この曲はレコーディングされなかったようですけど、のちに由紀さおりさんが歌い、レコーディングされてますね。転調の感じがとても服部良一さんらしいです。

由紀さおり:君の名はさくら

(投稿:日本 2012年5月29日、ハワイ 5月28日)

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楽譜を抱いて』の読後気づき感想はまだつづけたいと思いつつも、『支那の夜 (She Ain't Got No Yo-Yo)』絡みでのちょっと脱線。映画の関連もあって、李香蘭(山口淑子さん)のことなどなんとなくいろいろと考えており、いままで、やや気になりつつありながらも、詳しくは知らなかった、川島芳子さんのこと、もっと深く知りたくなってきました。

関連での本など読んだりしてみたいと思ってるのですけど。

本名は愛新覺羅顯㺭(あいしんかくら けんし)。清朝の皇族粛親王の第十四王女として生まれ、川島浪速氏の養女となり日本で暮らした川島芳子さんは、マスコミの話題にものぼるような華とでもいうような魅力をもち、満州国のいろいろ、男装の麗人と呼ばれ、「東洋のマタ・ハリ」、「満洲のジャンヌ・ダルク」とも言われた方ですが、さまざまな才をおもちだったのですよね。

音楽面のこと、いままで、なぜかあまり気にしていなかったのですが、ラジオ番組に出演した際に披露したことがきっかけで、歌手としてもレコーディングをされたり、また、あまり数は多くないものの、作詞家としての側面もあったのですね。

川島芳子:十五夜の娘 (1933年(昭和8年))
蒙古民謡、訳詞:川島芳子、作曲・編曲:杉山長谷夫

この曲、『コロムビア創立100周年記念企画 伝説を聴く』にも収録されてるのですね。この曲では蒙古民謡の訳詞と歌唱を。

東海林太郎さん歌う、『キャラバンの鈴』という曲の作詞も。

東海林太郎:キャラバンの鈴
作詞:川島芳子、作曲:杉山長谷夫

「家あれども帰り得ず 涙あれども語り得ず」という二句を好み、辞世の句には「家あれども帰り得ず 涙あれども語り得ず 法あれども正しきを得ず 冤あれども誰にか訴えん」とのこされたのだとか。

(投稿:日本 2012年5月26日、ハワイ 5月25日)

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ロミ山田さん手記『楽譜を抱いて』読後の気になり。まずはということで。この本を手にとったきっかけともなり、とりわけ知りたいと思っていた滞米時代のエピソードのひとつと、そこからつながり、広がった気になりもの。

アメリカでのミュージカル出演と、それらの大ヒットにまつわる話は、やはりとてもとても興味深いものでした。

その活躍、いろいろなエピソードがあるのですが、デビュー作品である『スージー・ウォンの世界』、その次の出演作品である『フラワー・ドラム・ソング』、ともに初演というわけではなくすでにヒットをしていた作品ではあるのですが、ロミ山田さん出演での「初」というものがブロードウェイ・ミュージカルのラスベガス公演。アメリカのエンターテイメント文化東西の新しいかたちであったのですね。その記録歴なロングラン・ヒット。

当時、アメリカのエンターテイメント界は、東洋ブームというような雰囲気もあり、新聞の演劇評などにとどまらず、メディアへも登場するようになっていったのだとか。ミュージカルへのキャスティングでも、すこしふしぎな英語を話す東洋人らしさは要素のひとつであり、一種のチャームであったと思うのですが、ラスベガス公演中には、地元新聞に「ロミズ・トーク」というコーナーもできたくらいだったそうです。

「ジャック・ベニー・ショー(Jack Benny Program)」へのテレビ出演も。出演は着物で、トンチンカンな質問をし、「日本娘」を困らせる司会者というような紹介から歌へというような展開。

映像とか動画サイトにはないんだろうなぁ、でも、みてみたいなぁと思っていたら…ありました:)
しかも、この本で、ロミさんが語っていたそのもののジャック・ベニー・ショー。

ロミ山田:支那の夜
動画にはくわしい情報がなかったのですが、お着物もヘアーも本での写真とおんなじなので。これですね

一連のテレビ出演のことを語られている中に興味深いことがあり。
ロミ山田さんに関してというだけではなく、アメリカでのジャパン感情報の知識のひとつとして、いろんなことをつなげさせていただくことにもなったなぁが。
それは、当時のアメリカ人が好きな日本の曲についてなのです。

『支那の夜』と『蘇州夜曲』は、「戦争中から海外放送で『China Night』または『China Baby In My Arms』として放送されアメリカ人の愛唱歌となっており、戦後日本に来たアメリカ兵の多くが、このレコードをお土産に買って帰ったのだそうです」(p101「アメリカ人の好きな曲」)ということで、番組からのリクエストで歌ったということで。

なじんでいる曲でも、いまだ知らないことはたくさんあるのだなぁという一例でもあるのですけど、渡辺はま子さんの歌唱で有名な、西條八十氏の作詞、竹岡信幸氏の作曲『支那の夜』(映画、『支那の夜』の主題曲で劇中では、李香蘭(山口淑子さん)が歌唱)。

渡辺はま子:支那の夜(1938年)

李香蘭(山口淑子):映画:支那の夜

いままでとはまたちがった興味がわいてきたので、さらに調べを。
たしかに、『China Night』は、アメリカでは戦地を思うものではあるのですが、郷愁をもって聴かれている曲なのですね。さらには通称もあるそうで、『Shina no Yoru』という響きを英語的にして…『She Ain't Got No Yo-Yo』とも呼ばれてたのですね(これにはさらなる意味もあるとか、ないとか)

1960年代に入っても、アジアを感じさせる曲として根強い人気があったのだろうなあということを思わせるのは、坂本九さんも『SUKIYAKI(上を向いて歩こう)』の米国および世界的ヒット後のアメリカでのシングルが『China Nights (Shina No Yoru)』だったり。こちらは、英語の歌詞もあり、英語の歌詞の方は、なんだか中国と日本の叙情が若干まざったような。

Kyu Sakamoto:China Nights (Shina No Yoru) (1963年)

この歌詞にもあるように、『支那の夜』自体は中国を想う内容でありながらも、やはりアメリカ人には日本を想う曲としてなじんでいたことがわかりますね。『She Ain't Got No Yo-Yo』。

それで、この一連で「あぁ!!」と思ったのが、この曲でした。戦後のなんちゃってオリエンタルな感じの不思議ニホンゴ曲、The Nightcaps (or Nitecaps)の『Bamboo Rock and Roll』。

この曲は、つぼな要素もりだくださんなのですけど、"…She Ain't Got No Yo-Yo…♪"というくだり、気になっていたのですよね。とちょっとした謎解き(?)の一歩ともなり。さらにはちょっとおもしろいGI語辞典みたいなサイトもみつけちゃいました。三沢基地での隠語やスラングまとめたものみたいです。USAFSS Misawa Family - Memories/Misawaese

Bakatare, hi hi~♪ Bakatare, hi hi~♪

The Nightcaps (or Nitecaps)

こんなぐるぐる。
第二次世界大戦にはいろんな思いがありますけれど、戦前・戦中・戦後のこと、独特なアメリカからみたアジア、日本などは永遠のテーマのひとつであります。

(投稿:日本 2012年5月24日、ハワイ 5月23日)

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今年にはいってからの私的気になりびとのひとりであるロミ山田さん。
前にも一度、あまりにも「あわわ…」すごいんだぁという感じで書いたのですけど
ロミ山田

気になりのきっかけは、平岡精二さん提供曲である『煙草のけむり』であったり、さらにはこの曲が日本語だけでなく英語版、イタリア語版でもリリースされていること、さらにさかのぼって、プロフェッショナルとしての音楽・エンターテイメントの世界へのデビューは留学先であったアメリカでのミュージカル作品『スージー・ウォンの世界』、『フラワー・ドラム・ソング』であったこと、日本人でブロードウェイミュージカルで2度主役を演じたひとはいまだロミさんだけであることなど、知れば知るほど関心事項がザクザクであったことから。当然このあたりのことは、いままでもじぶんで気にしてきた興味対象であり、放っておけるはずがなく、さらに知りたく…ということで、ロミ山田さんの著である手記『楽譜を抱いて』を読んでみました。

『楽譜を抱いて』は、2010年に芸能生活50周年を記念して書かれた、誕生からこれまでをつづられたもので、知りたかったことやはじめて知ることなどもいろいろ。掲載されている写真もすてきなものがたくさん。

わくわくと、あっという間に読みきりでした。滞在時代の経験などは、時代はかわれど、共感できることもあり。語り口調でかかれているので、さらっと読めてしまうのですが、そこからさらなる広がりも。せっかくなのでと思い、気になり事項などをまとめたり、さらに調べてみたりしています。こちらにもまとめたいこともたくさん。

でも、あまりにも、ざくざくとで、どこからまとめてよいのやら、という感じなので、まずは、きょうは、この本がどんな本であるのかということを。
ロミ山田さんに対していままでもっていたイメージは、マルチタレント的な、というものだったのですけど、この方は生粋の音楽人なのですね。文中でも「どんな形であっても、自分は一生歌い続けると思ってました」とあるのように、ほんとうに心から歌を愛する方なのですね。

そのときどきの出来事でのチャプターが歌のタイトルでくくられているのも、歌を愛する気持ちが伝わり、とてもユニークで、読みおわったいま、このタイトルをあらためて眺めてみたりしています。

本日は、そんな章ごとのタイトルを、まずはまとめのはじめとして、です。

楽譜を抱いて:ロミ山田

メモリー(Memory):誕生から少女時代(1933~1943年)
愛の喜び(Plaisir d'amor):歌う人生が始まった(1943年)
オー・ホーリー・ナイト(O Holy Night):戦争、終戦、聖心女学院の日々(1944~52年)
歓喜の歌(An die Freude):国立音楽大学時代(1952~56年)
アメリカ(America):留学準備と英語のレッスン(1956年)
ビギン・ザ・ビギン(Begin The Beguine):ボストンの日々(1956~1957年)
マイ・ウェイ(My Way):ちょっとひと休み(1958~60年)
ニューヨーク・ニューヨーク(New York, New York):スカウト(1960年)
シャル・ウィ・ダンス(Shall We Dance):アメリカデビュー(1960年)
一億の奇跡(A Hudred Million Miracles):ラスベガスの日々(1961~1963年)
蘇州夜曲(Soshu Night Serenade):アメリカのテレビショーに出演(1961~1965年)
煙草のけむり(Tabacco no Kemuri):帰国、日本デビュー(1963年~)
ハッピー・トーク(Happy Talk):岡田教和との結婚(1965~89年)
アヴェ・マリア(Ave Maria):わが子、一機(1968~2008年)
アンチェインド・メロディ(Unchained Melody):そして今-楽譜を抱いて(2010年~)

というように、本の構成は年代ごと。わたしのまとめはやや順不同かもしれませんし、そのまま年代追うように、かもしれませんが、アメリカでのテレビショー出演のエピソード、読後にいたっても、直接、間接と、さらなる広がりをいただき、わくわくでしたので。まずじめは、このあたりでしょうか…"She Ain't Got No Yo-Yo" の気になりへと…つづく

ロミ山田:支那の夜 China Night
ジャック・ベニー・ショー出演映像。

(投稿:日本 2012年5月22日、ハワイ 5月21日)

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昨日、昭和の名作映画のひとつである野村浩将監督、田中絹代、上原謙主演の『愛染かつら』を初めて観賞いたしました。いくつかのリメイクなどもありますけれど、今回みたのは、オリジナルの『愛染かつら 総集編(前篇・後篇)』(1938年、1939年公開、松竹製作)。この映画をご覧になった方であったら知ることとは思うのですけれど、「前編・後編」のフィルムが完全な形で存在しないため「総集編」としてまとめられたもの。先日NHKプレミアムの放送シリーズ、「山田洋次が選んだ日本の名作100本~家族編」として放送されていたので録画しておいたのでした。

いままでみたことがなかったとはいえ、語りつがれる名作映画なので、すこしばかりの知識はあり、主演が日本映画黎明期の大スター女優である田中絹代であることや、この映画がいわゆるメロドラマ公式の元となっていること、主題歌である『旅の夜風』の大ヒットなどということは、知っていたのですけれど。今回、はじめて観賞し、それ以上にいろいろとすばらしさの発見あり。思っていた以上に、「楽しめる」作品だということを感じました。

「楽しめる」、そう、この映画楽しめるなのですね。イメージとしては、「しのぶ」ような、きわめて悲恋的要素が強いものとばかり思っていたのですけれど、ストーリーとしても、またさまざまな面で、それ以上。
当時の社会、価値観だけでなく、文化、流行、ファッション、世情をしめすいろいろも想像以上にふんだんにもみこまれていて、シリアス一辺倒かと思いきや、思いのほか、軽いタッチのちょっとコミカルな描写などもあるのですね。かなしく、せつなくみいるというより、わたしは、むしろ、喜怒哀楽いろいろと楽しませてもらったという感じでした。中でも、音楽は、『旅の夜風』の大ヒットというがありますが、それだけではないのですね。劇中、ほかにも音楽的なツボ、壺はたくさんでした。
(じつは、あまりにも気になりどころがたくさんだったので、今朝もまた)

あらすじなどは、すでにみてる方は、でしょうし、これからみることもあろう方は、でもあるので、リンクで。
NHKプレミアム:山田洋次が選んだ日本の名作100本~家族編「愛染かつら 総集編」(製作年 : 1938年 1939年 モノクロ)

こちらには、音楽、そのほかの私的気づきメモなどをしたためておくことにします(かなり多いので、箇条書きスタイル)。

[音楽]

主題歌:旅の夜風
歌:霧島昇 とミス・コロンビア(松原操)
作詞:西城八十、作曲:万城目正

おなじみ、おなじみの『旅の夜風』は、当時としては驚異的な大ヒットという80万枚を超え。映画の大ヒットと曲の大ヒットの相乗効果ともいわれているようですね。

挿入歌:悲しき子守唄」
歌:ミス・コロンビア(松原操)
作詞:西条八十、作曲:竹岡信幸

高石かつ枝(田中絹代)が最後のあたりで歌う曲ですが劇中では、曲名は『母の愛』となっていますね。ストーリーの展開としてもかなり重要な曲。

と、この2曲は『愛染かつら』の主題曲、挿入曲としてレコード化もされているのですが
このほか、わたしがじつは、とっても気になってしまったのは、津村浩三(上原謙)が博士号をとった際に津村病院看護婦主導で催された祝賀会シーンでかつ枝(田中絹代)によって歌われた、ドリゴの『セレナーデ(セレナード)』なのでした。
(このシーンすべてがかなり興味、興味だったので、そのあたりは、あとのストーリー設定でメモります)

この歌唱、なんとかして、もう一度聴きたいです(録画してあるので聴けるのですけれど、所有というか)。そして、さらに、これから調べてみたいもの。残念ながら劇中シーンの動画とかもなく。。こちらには。。なのですけれど、かわりに、時代的に近いアレキザンダー・モギュレゥスキーが日本来日で吹込みをしていったというヴァイオリン独奏ものを(ピアノ伴奏あり)。

セレナーデ(ドリゴ曲)アレキザンダー・モギュレゥスキー

ドリゴ:作曲。戦前来日し、コロムビアにも幾つかの吹き込みをしたモギュレウスキーのもの。昭和六年

かつ枝が歌い、浩三がピアノ伴奏をするドリゴの『セレナーデ』は、ふたりのなれそめであり、ストーリーとしても重要で。
それはもちろんなのですけれど、当時ならではのすこし淡々とした歌い方ともいえるようなこの歌唱がなんとも清らかなイメージでとてもすてきで。そして、何より、この曲の日本語詞の美しさにひかれてしまったのです。
♪淡き光に波路は霞みて、月の汀に漣さゝやく

映画をみおわったあと、気になって気になってしかたなく、いろいろ調べてみたのです。なので、わかったことをこちらにメモ。
 - 原曲は、リチャード・ドリゴ(1846-1930)の「百万長者の道化師」"Les Millions d'Arlequin"(1900)という歌劇の挿入曲。
 - 日本語詞は堀内敬三によるもの。セノオ楽譜(1926年ごろ)(やはりこの方のことばはすてきなのですよね)
 - 日本では女学生の愛唱歌のひとつでもあったようです。歌詞はこちらでみつけることができました。
  にいちゃんの「なつめろダイアリー」:『ドリゴのセレナーデ(堀内敬三訳詩、リチャード・ドリゴ作曲、関屋敏子歌唱)』

このあたりはCDかなにかでコンパイルされていたりするのでしょうか。どうしても古い音源でのいくつかのヴァージョンなどを聴いてみたくて。
国会図書館には、ベルトラメリ能子歌唱・仁木他喜雄編曲によるものや関屋敏子歌唱のもの、また訳詞と歌唱が三浦環によるものなど、いくつか所蔵があるようなので、折をみて聴きにいってみたいとはおもっています。次回の国会図書館行きのひとつの課題として。

また、別の調べで、毛利真人氏によるブログに二村定一もニッポノホンで吹込みをしているとあるので、男性歌唱ものとして、こちらもぜひ聴いてみたいです。
音盤茶話:「二村定一の「ドリゴのセレナーデ」」二村定一

このほかにもストーリーや設定には音楽関連のことがいろいろとあるのですけれど、曲そのものでないので、ストーリー、設定などへまわします。

[ストーリー・台詞など]
フィルムが完全な形で存在しないため急なストーリー展開ややや矛盾的なものもあったりします。また、メロドラマや恋愛のすれちがいフォーマットなどもあるのですけれど、そういういろいろは、こちらのメモには省きます。あくまで、気になりメモ的な。

【田中絹代】 高石かつ枝の身の上話 【愛染かつら】

 - 全体・登場人物:もうすこしやるせない展開なのかとおもっていたのですけれど、かつ枝と浩三のお互いの立場というものがおもな障害なのですね。もちろん、他者の、というのもなくはないですけれど、登場人物が基本、皆、よい方ばかり。現代版とするともっともっとややこしく、しかもみにくくなってしまったりするのような気もするのですが、あくまでも、美しい展開なのですね。
 - 注目人物:未知子役である桑野道子さんすてきですね。ほかの作品もみたくなってきました。そして、このストーリーの中でも、未知子の明るさ、さわやかさ、現代的な気品は、開放的な面をもちつつも、真の奥ゆかしさもある女性。かつ枝と浩三の愛も、ですけど、この映画、さりげなくすばらしいのは、未知子の浩三への深い愛ではないでしょうか。けっして表に出すことのない。むしろ、親が決めたこと的にいいつつもという。
 - ファッション:時代的に、この時代は洋装と和装ととりどりで、そのひとの個性もあり、よい時代(これから、数年でその状況はかわっていくわけですけれど)。かつ枝の和服はかわいらしく、未知子の洋装はとってもモダンで。看護婦さんの制服もよいですね。とてもやわらかでやさしい感じ。
 - 言葉づかい:この時代の映画特有の台詞はあくまでも台詞というのもあるからだとは思うのですけれど、いまはきかれないいろいろがありますね。やや文語的なような表現なども。あとは、関係による言葉のレベルみたいなものですね。敬語のほか、丁寧語がきちんと日常的にある程度したしい間柄でも使われていたという時代。そんな中に、軽いタッチがちゃんと入るのがまたよいのです。娘・敏子が、「ママちゃん」とよぶのも印象的。もちろん、すこしモダンなというのもありますが、やっぱりいつも母子いつもいっしょにすごすのではなく、たまにしかあえない間柄なども呼びかたひとつにもあるのかなぁと。とにかく、「ママちゃん」が好きで好きでしかたないトシちゃん。五歳なのですからそれはそうです。

[お気に入りシーン]
 - 祝賀会シーン:婦長は琵琶が得意。看護婦、皆、芸達者である。
 - 祝賀会シーン:高石かつ枝独唱によるドリゴの『セレナーデ』を看護婦リーダー的な司会・峰沢が紹介。これ、かなりきました、わたしとしては!「高石かつ枝さんの独唱をおとどけします。演奏は、近衛秀麿指揮による新交響楽団、と申し上げたいところですが、無伴奏でおとどけします」(細かい部分は台詞そのものではないかもですけど内容がこんな感じで)…「近衛秀麿指揮による新交響楽団」とはなんとも、まさに、この当時的ではないですか!(もちろんそうではなくなのですけど)これには、ちょっとまいってしまいました(わたし、ただ単に、近衛秀麿好きだったりするのでというのもあるのですが、とてもとても、時代な要素。堀内敬三氏との交流なんかもありますね)。ここで浩三先生(上原謙)が「ではぼくが演奏しましょう」というようなで。たしかにロマンチックな展開でもあります。

 

[ロケ地または設定]
 - 上野公園:はじまりのかつ枝と娘・敏子のシーンは、上野公園の噴水、藤棚(このとき食べているチョコレートは森永でした)
 - 谷中・えいほう寺:台詞の中でなので漢字はわからないのですが、恋人同士がいっしょにふれたら困難をのりこえてもいつかいっしょになれるという「愛染かつら」はストーリーの大事な要素。どこが本当のモデル地かというのは諸説あるようですが、原作者である川口松太郎は、谷中の自性院をもとにしたとも。実際に台詞でもたしかに「谷中の」とあり。江戸時代中期頃から別名を俗に愛染寺といわれていたという、愛染明王のあるお寺
 - 神田:津村病院(特にロケではありませんが、設定で)
 - 麹町:津村宅(特にロケではありませんが、設定で。麹町にまだ邸宅があった時代ということがつくづくです)
 - 新橋:京都往きの汽車はまだ当時は新橋ですね。駅の雰囲気がとてもよいです。アナウンスも。
 - 横浜港:許婚的である未知子(桑野道子)の帰国、旅立ちのシーン。出航の合図が銅鑼なことがとても印象的。
 - 熱海:映画ではゴルフシーンでロケ。浩三の友人の医院が熱海なことがストーリーにも絡みますが、これはセットかな
 - そのほか浜町、山王などもかつ枝の住まいの設定となっている。

[エピソードその他]
 - 「『婦人倶楽部』に連載していた『愛染かつら』の映画化が決まった時、原作者の川口松太郎はこの作品を書く上で西條の『母の愛』という詩からヒントを得たことから、西條が映画の主題歌を手掛けることを要望した」(Wikipedia:愛染かつら
 - デュエットの霧島昇とミス・コロンビアこと松原操が結婚。

(投稿:日本 2012年5月18日、ハワイ 5月17日)

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ただいま大絶賛、そして再認識中なクロード・チアリさんのこと。日本に来る前のお若いころの活躍を中心に。

こどものころにちょうど日本で暮らしはじめたころが話題となり、それからもギター演奏だけでなく、テレビにはCMや番組出演など「ブラウン管」でおなじみの外人さんだったクロード・チアリさん。昨日書いた、『夜霧のしのび逢い La Playa』について調べていたときに、いままで知っているとばかり思っていたことのほかにも、そうだったんだぁということがたくさんあり。日本にくる以前から有名なギタリストであるということは知っていたのですけど、正直おどろき。

まずは、わたしの知ってるクロード・チアリさんはこんな風ということから。

クロード・チアリ:朝もやの渚
ジョニー・ピアソンのヒット曲のカヴァーで、ニッポン放送が日曜日深夜の放送終了時に流れるもの

↑こういった、ちょっとイージーリスニング調の作品の多いギタリストというイメージで。
↓こんなCMなんかにも出演していたり。

ニコニコ海苔(1981年):
このCM、漢字で「蔵上人智有」って書くのがとても印象的だったのですよねぇ:)日本に暮らしはじめたのは1970年代なかばですが、ちょうどこのあたりで帰化されたのですよね。

ヒガシマル ちょっとまつたけ雑炊(1986年)

で、この度、クロード・チアリさんの日本に来る前のこと、もっと知りたいなぁ、と思ったのはこちらの曲をみつけたことがきっかけ。

Claude Ciari, Bernard Gerard and the Batucada's Seven:The Shadow Of Your Smile (1970年)

きかせるギターでありながら、本格的ブラジリアン・テイストもこめつつ、ちょっとビターなジャズ感もあり。ほんとうにすてきですね。いままで聴いてきた『Shadow Of Your Smile いそしぎ』の数々のヴァージョンの中でも、かなりわたし好みです。
このアルバム、欲しいです!

Claude Ciari, Bernard Gerard and the Batucada's Seven:Funky Beat

クロード・チアリさんのこと。来歴、日本で暮らし、帰化したというだけでももともと印象深いかたですが、とてもユニークないろいろなのですね。Wikipediaのことそのまま引用させていただきますが。
「独学でギターを始め、フランスのECOLE GRENIER SUR L'EAU PARIS卒業。パリ証券取引所のコンピューター室に勤務。16歳でロックバンド「レ・シャンピオンズ」結成。ヨーロッパで大人気となり、演奏前の前座はビートルズが務めた。20歳でバンドから独立し、ソロ・アコースティックギタリストとして活動を始める。1964年にギター曲『夜霧のしのび逢い』が世界的にヒットし、「哀愁のギタリスト」として知られる…」

いくつかの「なぬ?」的なことが。パリ証券取引所のコンピューター室に勤務してたということや、なによりロックバンドのメンバーだったこと。しかも、そのバンドはとても人気があったということなどなど。。

さがしてみました、レ・シャンピオンズ(Les Champions)♪

Claude Ciari et les Champions - Loin (1962年)
グリーンスイーブスのカヴァー。よいですねぇ…カヴァーのセンスもすばらしいです。

全世界的なエレキギター・ブームのころのまさに、なのですけれど、「ヨーロッパで大人気となり、演奏前の前座はビートルズが務めた」というあたりなどもさらに気になっていて、おそらく、これは、ジーン・ヴィンセント(GENE VINCENT)がヨーロッパを回ったときのサポートメンバーだったりしたためしょうか。ビートルズのメンバー自体、ジーン・ヴィンセントに影響を受けていたりしていたようですし。とそのあたりは推測なのですけれど、こんなものもみつけたので、でした。

GENE VINCENT & LES CHAMPIONS:ANOTHER SATURDAY NIGHT (SAM COOKE COVER)

そもそも、前にルグランものとして、『風のささやき』のクロード・チアリさんライブ・ヴァージョン聴いたあたりからも、そのサポートメンバーが気になりだったりもしたのですよ。横田年昭とエレヴァシオンだったりして。

クロード・チアリさん、初期中心に、もうちょっといろいろ聴いてみたいです。でも、まずは、アルバムも同名であるClaude Ciari, Bernard Gerard and the Batucada's Sevenが聴いてみたいです。

(さらに:お嬢様、クリステル・チアリさんは声優さんで、多くの鉄道の車内放送の英語のアナウンスなどもされてるのですね。英語番組などにも出演で。存じませんでした。)

(投稿:日本 2012年5月11日、ハワイ 5月10日)

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いまごろ気づくなるほど。先日触れた『黒い傷あとのブルース』などもそうなのですけど、曲をなじみがあるのに、その背景とか知らないものって、きっと、たくさんあるのんだろうなぁと感じ、そんな曲を、です。『夜霧のしのび逢い』。

『夜霧のしのび逢い』は、昭和をふりかえるならいつか書かなくてはいけないと思っていた、あのクロード・チアリさんがギタリストとして知られることとなった曲であり、代表曲であることはなんとなく知っていたのですけれど。
(クロード・チアリさんに関してはさらにまた書きたいのでつづきで。きょうは、この1曲中心に。)

Claude Ciari:La Playa 夜霧のしのび逢い(1964年)

この曲『夜霧のしのび逢い』、原曲タイトルは『La playa』。先にも書いたようにクロード・チアリさんの世界的ヒット曲なのですが、とりわけ日本では多くの方のカヴァーもあり、大ヒットとなり。もともとは、ベルギーのバンド「ロス・マヤス」のリーダー、ジョー・ヴァン・ウェッターという方が作曲したものなのですね。「世界的ヒット」、「とりわけ日本で大ヒット」ということもあってか、背景のいろいろがいままでちゃんと把握できてなかったのだと思うのですが、じぶんなりに興味深い発見もあったりしたので、ここで整理とまとめです。

映画のサントラ?:
動画の画像にもあるように、同名のギリシャ映画『夜霧のしのび逢い』、ここではサウンドトラックとなっていますが、この曲はこの映画のためにつくられた曲という訳ではなく、日本のみ、この曲をサントラとして使用し公開されたのだとか。(Wikipedia:クロード・チアリを参考にしました)。でも、まだきちんとは、確認できてないのです。日本語での映画情報をみると、音楽には作曲者であるヴァン・ウェッターの名前もあるのですけど。ただ、多言語での情報をまださがせてないので、当時はよくそういうこともあったりするので。これも、なかなかに興味深いことのひとつ

フランスでは:
『夜霧のしのび逢い』の原題は『La Playa』というようにスペイン語なのですが(「浜辺」という意味だそうです)、フランスでは『La plage』として、詞つきヴァージョンをマリー・ラフォレ(Marie Laforet)歌っていたのですね。作詞は、ピエール・バルー。なるほど、なるほど(ここでピエール・バルーがでてくるとはで、なんだか、うれしいです)

Marie Laforet:La plage

この方が歌うとすっかりシャンソンですね。また、じぶんが感じていた従来のイメージとはちがって。この雰囲気もとてもよいですよね。

日本では:
岩谷時子さんが映画のイメージをもとに日本語詞を手がけたということで、タイトルも原題とはことなり、そして、フランス語詞のヴァージョンとも別のもの。フランス、日本ともに、どちらも、詞に関しては、訳ではなく、オリジナルといった感じといえますね。

グラシェラ・スサーナ:夜霧のしのび逢い グラシェラ・スサーナさんのヴァージョン、よいですね。
「雨はいつも恋をはこんでくる…♪」からのくだりなど、岩谷時子さんの歌詞もまたひじょうに悲哀のドラマチックさが、ですね。そして、観たことなにのですけど、映画のあらすじなどからも、イメージわきます。

越路吹雪:夜霧のしのび逢い

この、越路吹雪さんのヴァージョンもじつに。歌、アレンジともに、すこしかわいた軽さがまたグラシェラ・スサーナさんとはちがった哀愁表現ですね。

伊東ゆかり:夜霧のしのび逢い

この曲に関しても、まだ宿題的な部分はのこっているのですけど、これから、すこしづつ、こんな感じのたぐりよせもしていきたいなぁと思っています。

(投稿:日本 2012年5月10日、ハワイ 5月9日)

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いままであまりこのあたりは深く聴いてこなかった分野なのですけれど、昨年あたりから、気になりだしはじめ、このところ、本格的に惹かれつつあるのが、歌う夜の音な感じのテナーサックスもの。先日からのつづきで、シル・オースチンとサム・テイラー。

もっと聴きこんでみたいなぁと思っているのが、きっかけともなった官能の音冴えるムード歌謡や和的ニヒルな世界(含む任侠・仁義)を描く演歌など。

もともと、外のひと、ガイジンさんがとらえる日本というのは、自分の中での永遠のこだわりテーマのひとつであるのですが、このところのいろいろのきっかけとなっているのは、『僕らのヒットパレード』(片岡義男・小西 康陽(著))での片岡義男さんのコメントに、さらにひろげてもらってるという感じです(こんなこと言って、わたしエラそう。。ですが、やっぱりわかってるなぁ、この方はという感つくづくです)。

片岡氏が小西氏との対談でふれているそれが、ちょうど、このシル・オースチンとサム・テイラーだったりするのですが、いままでただ気になってるという感じであったことへの背景的解釈がおもしろく、とても反応してしまうのです。

同書の272~273ページあたりに書いてあることから -お買い得シリーズ的企画に多く、営業売り上げの数字の欲しい年末に発売されがちであった(もちろん来日記念企画などもありますけれど、それよりさらに充実した曲数、ラインアップなのですよね)。

なるほど。。と。

昨日のちょっと触れたのですけれど、魅了されてしまうその訳は、それもこれも、やはり、シル・オースチンやサム・テイラーの奏でる音色が、日本人以上になぜか、こんな世界の音にふさわしいのではという気さえしてしまうほど、相性がよいということもあるような、なのです。
黒い歌謡曲に欠かせないサム・テイラー」な感じですね

Sil Austin:Sendo Kouta (1971年)
LP『男の港唄』収録『船頭小唄』
作詞:野口雨情 作曲:中山晋平

シル・オースチンのアルバム『男の港唄』は、そのタイトルどおり、港にちなんだ曲の流れ者的イメージなアルバムなのですね。表記もひらがなで「しる・おーすちん」という徹底ぶり。収録曲は以下のとおり 港がみえる丘/出船/よこはまたそがれ/船頭小唄/おもいでの長崎/ブンガワンソロ/港町ブルース/(この間の2曲わかりません)/島のブルース/長崎から船にのって/ダンチョネ節

『任侠の世界』というアルバムもあったようですね(このアルバムからの曲、レコ部でもかかったことがあったような気も)。

Sil Austin:Kyodai Jingi
LP『任侠の世界』収録『傷だらけの人生』と『兄弟仁義』
作詞:藤田まさと 作曲:吉田正
作詞:星野哲郎 作曲:北原じゅん

この企画にあたった方のアイデアのそもそもが、先の音の質や相性のよさなど含め、とても気になるところです。

そして、先にリンクさせていただいたりもしたサム・テイラーのムード歌謡もよいですね。こちらは、CDでも入手可能なのですね。どうも、当時、日本レコーディングものとしてもアメリカ盤でも発売されていたのだとか。

Sam Taylor:影を慕いて
作詞・作曲:古賀政男

Sam Taylor:誰よりも君を愛す(←埋め込みできないので動画へのリンクです)
  作詞:川内康範 作曲:吉田正

この興味、このあたりをきっかけにムード系再考となるのか、テナー・サックスの世界に入っていくのかは、どうなのでしょうか。われながら、まだわからずなのですけど。さらにいろんなつながりにすでに気づきはじめで、その両方な気がしています。

(投稿:日本 2012年5月9日、ハワイ 5月8日)

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いまごろ気づきました、これって、オリジナルがあったのですね、『黒い傷あとのブルース』。

「オリジナルがあったのですね」という表現もちょっとへんかも知れないのですが、小林旭さんの歌うこの曲、わたしは、てっきり、オリジナルな、日本の曲だとばかり思っていたのでした。

最近、このあたりも気になりだったりし、よい機会なので(←じぶんにとってというだけですが…)、メモメモしておくことにしようと思います。

小林旭:黒い傷あとのブルース
1961年日活映画「黒い傷あとのブルース」主題歌(監督:野村孝、出演:小林旭、吉永小百合ほか)

そうだったのかぁというきっかけは、最近気になりのテナーサックス関連からで(これは、またつづきもなのですが)。

『黒い傷あとのブルース』は、『Broken Promises』というジョン・シャヒテル(John S. Schachtel)作の、当時、アメリカで流行っていたナンバーなのですね。シル・オースチン(Sil Austin)やサム・テイラー(Sam Taylor)など、テナーサックスものが流行っていたという。日本語詞は、水島哲さん。

このあたりが、最近の気になりからのつながりとなって、ぐるっと回ったという感じのいろいろで。

歌は知っているものの、『黒い傷あとのブルース』、まだ観たことないのです。先の映像、何度かくり返しみていて撮影ロケーションもかっこよいし、至急観たくなってきてます。
そもそも、この映画自体、曲『Broken Promises』を使って作ろうという作品だったのですね。
「脚本家の山崎巌が日活宣伝部に誘われて観た、マーロン・ブランドの初監督作品「片目のジャック」(1961)を、当時流行っていた洋楽「黒い傷痕のブルース」を主題歌に書けと命ぜられたのが本作らしい」こちらのサイトで拝見しました↓
幻想館:黒い傷あとのブルース

Sil Autin:Broken Promises

Sam Taylor:Broken Promises

いま、こうして聴いても、まだ日本の曲っぽい感じに聴こえてしかたないのですけれど。。。このお二人、シル・オースチンやサム・テイラーの音色は、日本のやや影のある世界、またはムードな世界ともとても相性よく、そんなイメージもあるからでしょうか。
先日すこし触れたアール・ボスティックなんかもそうなのですけれど、Sultryな官能世界でもあったり、ときには、ピカレスクっぽいようなニヒルに(すこし濃い感じの)やせ我慢的世界でもあったり。ジャズとも言い切れない、独特の「歌う」、「謡う」感じで。
黒い歌謡曲に欠かせないサム・テイラー」にもあるように

そんなテナーの世界も、じぶんの中では、今年強化のお題のひとつになりそうでもあります

さらに:

ファウスト.パペッティ楽団ものやアンリ・ド・パリ楽団ものもよいなぁなどと思いながら、ほかのヴァージョンもさがしていたところ、ちょっと気になるものが。

김치캣, 검은 상처의 부루스 (1964) Broken Promises
この方たち、Kimchi Katsというお名前なのでしょうか

「검은상처의부르스」でサーチすると、ほかの歌手のかたのものでテレビ出演での歌唱映像もでてきたりするので、きっとヒットしたのでしょうね。
動画主のコメントでは、"Broken Promises"のカヴァーで、と書いてあったりしますけれど、どちらかというと、小林旭さんのカヴァーをうけてという感じなのではないかと思います。映画作品もあったのでしょうか。動画の素材画像には、そんな感じのポスターみたいなものもありますね。こちらも気になります。
(1960年代、70年代の韓国ものもいろいろと気になるのあるのですけど、そこまではつめてはまだおらず)

(投稿:日本 2012年5月7日、ハワイ 5月6日)

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先日から読みすすめている『僕らのヒットパレード』(片岡義男/小西康陽(著))から。
読みすすめてるというか…いちど通しでは読了しているのですけど、また気になったことなどを音とともに読みなおしで。

このレコード・エッセイ集を手にとって以来、片岡義男さんの語る、「出会いなおすあの頃の日本」というタイトルのついた文章を何度かくり返し読んでいます。ここに書かれているナンシー梅木さんの作品集『ナンシー梅木 アーリー・デイズ1950~1954』を聴きながら。

この『ナンシー梅木 アーリー・デイズ1950~1954』は、ナンシー梅木さんがまだ日本で活躍していたころにレコーディングされた25曲のうち21曲が収められたものですが、片岡義男さんの語るように、アーリー・デイズとはいっても、「日本での彼女には初めの頃しかない」なのですよね。1950年代前半、日本でも多くの女性ジャズ歌手が活躍されましたが、女性ジャズ歌手がうまれたともいえるし、多くの女性歌手がジャズを歌っていたともいえる時代。そんな中でも、ナンシー梅木さんは、片岡氏にとって、唯一、違和感をおぼえずに英語での歌唱を聴くことができた歌手であると。

また、片岡氏にとって、ナンシー梅木さんそのものが、そのころの日本、オキュパイド・ジャパンの象徴でもあるのだと語られています。彼女の東京への上京、ジャズ歌手としての人気の高まっているときに決めた渡米、MIYOSHI UMEKIとしてのアメリカでの成功。そんな一連の流れが。

片岡氏も象徴的な一曲として選んでいた『I'm Waiting For You』、しみじみとよいですね。『君待てども』、平野愛子さんヒット、東辰三さん作の名曲ですが、英語版であるこちら。ほんとうに

歌いあげるといったようなスタイルではなく、口ずさむようなさらり感がありながらも、しっかりと心にはいってくるこの感じは、まさに、「奥ゆかしさ」、「しとやかさ」のようなものを感じさせながら、外(日本の外という意味での)の世界でもわかる美しさが。いろんなエピソードもあるおちゃめでおもしろい方でもありますけれど、その歌は魔法のよう。

日系移民の祖父をもち、二世であった父、そして、東京生まれながらアメリカでの暮らしもあった片岡氏は、ふたつの国のあいだの感覚をもってたことと思われ(これはその後もずっとですね)、日々感じていたものは独特でもあったと思うのですが、この視点は、なるほど、といった感じです。

そんなことを思いながら、このCDに収められた21曲を、レコーディング年を追ってみたり、ほかにもいろいろと気になり、注力しながら、さらにという感じでくり返し聴いてみました。

歌唱はもちろん、あらためて、演奏も、すべての楽曲においてばらしいですね。レイモンド・コンデ氏率いるゲイ・セプテット、多忠修とゲイスターズ、与田輝雄とシックスレモンズなど。曲、それぞれに感想や想いはあるのですけれど、そのあたりはアルバムでの解説もくわしいので。
ショパンのノクターンがベースとなっている三木鶏郎さん作詞、松井八郎さん編曲の『泣きたいような』も好きな1曲。『今宵夢で(Vaya Con Dios)』も、日本ビクターでの最後のレコーディングであったという背景にふさわしく。

(投稿:日本 2012年5月4日、ハワイ 5月3日)

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