ハワイ滞在6日目、本日は、ひさしぶり、ほぼ1年ぶりにゴルフを楽しんでまいりました。という訳でCARAVANの『GOLF GIRL』。
この曲、ちょっと前に@HIBIKITOKIWA(常盤響さん)のレコ部でもかかっていて、そういえば、スポーツを題材にした曲はいろいろあれど、ゴルフもの、そういえば珍しい、とあらためて思ってたのでした。

CARAVAN:GOLF GIRL(1971年)



歌詞は、カンタベリー系独特な韻と言葉のリズム、遊びがかもしだす、なんとも不思議で幻想的な世界。
GOLF GIRL:歌詞

CARAVAN(キャラヴァン)、サウンド的には、かなり好みで、独特の世界観が好きだったりするのですけれど、カンタベリー・サウンド自体(さきにもカンタベリー系とかいっておきながら)、きちんと把握していなかったりするので学習。

CARAVANは、ロバート・ワイアットもいたWILD FLOWERS(ワイルド・フラワーズ)から派生し、SOFT MACHINE(ソフト・マシーン)と同様、カンタベリー・サウンドでは、かなり要な方たちなのですね。1971年のアルバム『In The Land Of Grey And Pink(グレイとピンクの地)』、よいですよね(これ、日本の再販CDにはボーナストラックが入ってるのですね。欲しいかも)。
すばらしきサウンド、他のムーブメントにも共通していたりする点ではありますが、CARAVANは、メンバーもかなり入れかわりが多かったようですが、この時期のメンバーはリチャード・シンクレア(Richard Sinclair)、デヴィッド・シンクレア(David Sinclair)、パイ・ヘイスティングス(Pye Hastings)、リチャード・コフラン(Richard Coughlan)。ジミー・ヘイスティングス(Jimmy Hastings)の名前もレコーディングにはあるようですが、参加という感じだったのでしょうか、BBCの番組出演映像には、4人のみ。

BBCの番組出演映像:曲は同じく『GOLF GIRL』



よいですね~。かっこいいです!

[ゴルフ]
私的に日本ではやらないけど、ハワイではやる、もののひとつがゴルフ。
(音楽好きとゴルフはあまりイメージにはあわないような気も、ですけどw)
きょうは、ひさしぶりに朝からよい天気。「ハワイ行ったらゴルフしたい」は、こどものたってのリクエスト(どうでもいいことですが:D こどもゴルフにはちょっと独特イメージがありますが、わが子、そういう感じではありません)。手ごろなムニシパル・コース(市営パブリック・コース)とも思ったのですが、せっかくの旅行的滞在ということで、タートル・ベイ・リゾートのゴルフコースでプレイ。午後1時半以降からの終わらなかったら仕方ないけどな時間を当日予約(いまだ税金はらってるので住民的料金で)。
日本では、まったく練習してませんが、こどもの飛距離がアップしててびっくりです(そんな予感はしてましたけど)。いい当たりのときは、なかなかで。差が縮まりつつ。
わたしも、ゴルフ、1年ぶりなので、どうかなぁと思ってましたが、ゴルフってある程度までやってるとひさしぶりでもけっこうできるものなのですね。ぎっくり腰から、まだ約1ヶ月、ちょっと不安もありましたが、むしろよいストレッチになったような。このコース、風が要。いいショットがでたときは、気持ちよいです。

変化:進化:
カフク(タートルベイのある辺り)に風力発電のタービンが何基も登場してました。
ã�«ã��ã�¯ã�«é¢¨å��ç�ºé�»ã�®é¢¨è»�ã��ç�»å ´ã��ã�¦ã�¾ã��ã��ã��ã... on Twitpic
いままで、マウイ島ではみたことがあったのですけど、オアフでは初ですね、多分。風の強いハワイでは、風力発電はもっととり入れられて欲しいです(場所や予算の問題もあるでしょうけど)

(投稿:日本 2010年12月31日、ハワイ 12月30日)


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なんだか連続となってますが、先日、購入したCLUB NISEI ORCHESTRAのアルバムに収録されていて、大好きになってしまった気になり曲、『GOMEN NASAI』を放っておくことができず、ちょっと調べてみました。

お気に入りのCLUB NISEI ORCHESTRA(クラブ・ニセイ・オーケストラ)ヴァージョン



アレンジや日本語・英語ミックスというせいもあると思うのですが、それだけでの理由とも思えない感じで、どことなく『JAPANESE RUMBA』(昨日書いた)に通じるものがあるなぁと思ったら、作曲者は、同じく服部レイモンド(服部逸郎、RAYMOND HATTORI)だったのですね。

そして、『JAPANESE RUMBA』同様、いろいろな方が歌っていたのですね。どなたが一番先にに歌ったのか、など気になることは残しつつ、ちょっと興味深いこともみつけたので、聴き比べをしつつ、メモです。

YouTubeには、ハリー・ベラフォンテ(HARRY BELAFONTE)のヴァージョン、スリム・ゲイラード(SLIM GAILLARD)がありました。

Harry Belafonte:Gomen Nasai (Forgive Me)



Slim Gaillard:Gomennasai



エディ・ハワード(EDDY HOWARD)
Gomen Nasai (Forgive Me)
マーガレット・ホワイティング(Margaret Whiting)& ジミー・ウェイクリー(Jimmy Wakely)
Gomen-Nasai (Forgive Me)
などもありました。

ハリー・べラフォンテ、スリム・ゲイラードのヴァージョンでは、ドラが使われていますが、エディ・ハワードやマーガレット・ホワイティングとジミー・ウェイクリーのヴァージョンは、曲の内容にあわせたしっとりしたアレンジ。
レコーディングに関しては、収録年別に集めた楽曲集からの推測ではありますが。スリム・ゲイラードが1952年、エディ・ハワードのものが1952年か1953年。ハリー・べラフォンテのものは、もう少し後だと思われます。マーガレット・ホワイティングとジミー・ウェイクリーのものもはっきりとは時期がわからないのですが、活躍期からたどってみても、おそらく1950年代のいつかでしょう。

そんなサーチをしていたら、シートミュージック(楽譜)の情報がみつかりました。こういうときは、シートミュージックからの情報というのは、とっても役立つのですね!(必ずしもシートミュージックがみつかるとは限りませんが…)

GOMEN NASAI (Forgive Me)
作詞:ベネディクト・メイヤース(Benedict Mayers)
作曲:服部レイモンド(Raymond Hattori)
Copyright:Walt Disney Music (1951年)
ピアノ、ウクレレ演奏用、歌詞つき

演奏楽器にウクレレがあるところからも、やはり服部レイモンド氏のハワイ関係がうかがえますね。
版権がウォルト・ディズニー・ミュージックというところも興味深く、この『GOMEN NASAI』や『JAPANESE RUMBA』のような海外を主眼とした曲の海外の出版権などはどのようになっていたのかも気になります。
日本では日本コロンビアの作曲者ということだったようですけれど、レコード会社からの契約だったのでしょうか。

さておき、このすてきな『GOMEN NASAI(FORGIVE ME)』、今後も気にしていく課題曲になりました。
それにしても、日本曲のカヴァーということで海外で歌われたのではなく、一作曲家として、海外でうける作品を送り出していたこと、すごいなぁと、あらためて。

(投稿:日本 2010年12月30日、ハワイ 12月29日)


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昨日は、CLUB NISEI ORCHESTRA(クラブ・ニセイ・オーケストラ) について、ざっとではありますが、まとめてみましたので、本日は、続きです。CLUB NISEI ORCHESTRAについては、ネットなどでも、不思議な日本語ソング系で話題にはされているのですが、もう少し、知りたいなぁという部分も多い、わたしとしては、いまだクリアになってない部分も多いです。

購入したCDのライナーノーツも、情報は少なめ。その中では、メンバーの名前辺りが手がかりになりそうな。そして、やはりキーとなるのは、多くのひとびとがカヴァーする代表曲『JAPANESE RUMBA(ジャパニーズ・ルンバ)』なのでしょう。まだまだ、不十分なのですが、ちょっと気づいたことがありますので、メモ。

CLUB NISEI ORCHESTRA:JAPANESE RUMBA



こちらは、CD化もされているアルバム『Sayonara - Farewell Tokyo』やコンピレーション・アルバム『Hawaiian Nisei Songs - A Musical Cocktail Of Japanese American Songs In 1950's Hawaii』にも収録されており、CLUB NISEI ORCHESTRAのものとしては一番多く聴かれているヴァージョン。
さまざまなアーティストによるカヴァーもここから派生しているのだと思われます。

そして、『JAPANESE RUMBA』、最初のレコーディングは、多分こちらなのでしょう。

ジャパニーズ・ルンバ 資料音源:
作詞:J・ミラー(Jerry F. Miller)、作曲:服部レイモンド。昭和二十六年。B面は「アリランの唄」­。



日本語で「東京レコード」となっていますが、「PACIFIC BUREAU OF NEW MUSICAL STUDY」とあり、MADE IN U.S.A。こちらの歌唱は、NOBORU NISHIMOTO(ノボル・ニシモト)とGEORGE SHIMABUKURO(ジョージ・シマブクロ)。こちらも資料音源とあって、知る人は知っているという存在。レコーディングは、CLUB NISEI ORCHESTRAの活躍が1950年代中心ということを考えても、おそらく先ということで、同曲ながら、まったく別の存在だといままで思っていたのですが、歌唱にあたっているジョージ・シマブクロは、CLUB NISEIのメンバーでもあるのですね。
(昨日投稿分にメンバーあり:CLUB NISEI ORCHESTRA

作曲者である服部レイモンドこと服部逸郎さんは、日本コロンビア入社前、戦前にハワイへ音楽留学にも行ってますし(1934年(昭和9年)帰国)、その辺りの関係も気になりです。

それはさておき、オリエンタル・エキゾチックなこの曲は、ハワイのみならず、親しまれ、テレビ女優でもあるジェーン&オードリー・メドーズにもカヴァーされています(余談:この姉妹、生まれはCHINAなのですね)。

Jane and Audrey Meadows with the Hugo Winterhalter Orchestra:MAMBO JAPANESE RUMBA
1950年代前半、ビクターS盤シリーズ
オハヨガザイマス♪



そして、戦後のオリエンタル・ブームののち、近年もさまざまな方にカヴァーされてます。そのきっかけを作ったのは、やはり細野晴臣さんではないでしょうか。YMO世代では、こちらが初めて聴いたヴァージョンという方も多いことかと思います。

細野晴臣:ジャパニーズ・ルンバ:
アルバム『はらいそ』(1978年)収録。
当時、あまり気にしてなくて、最近、そうだったのかぁとの気づき。歌唱は、ムッシュ(かまやつひろし)のお父様、ティーブ釜萢さんなのですよね。やっぱり、英語が母語、日本語もCHOTTOな方が歌うのが様になります。



細野晴臣さん、久保田麻琴さん、たしかハワイでのレコーディングの際に、CLUB NISEI ORCHESTRAのレコードと出会った、とかいう話も聴いたことがります。
自己もの参考:細野晴臣さん、久保田麻琴さん関連ハワイ・レコーディング:
久保田麻琴と夕焼け楽団 ハワイ・チャンプルー (アルバム)
鈴木茂 LAGOON ラグーン (アルバム)

ディック・リーもアルバム『エイジア・メイジア』でカヴァーしてますね。

そして、アジア、
マレーシアでは、Kenny Tehさんという方が振り付けのこのダンス、けっこう踊られてるみたいですね。YouTubeにいろいろありました。
曲は、テイ・トウワ(TOWA TEI)のセニョール・ココナッツREMIXヴァージョンで。



[日系二世]
英語でも「NISEI」という言葉は定着しているほど、日系人、特に日系二世の方々が残した形跡は、とても大きいですよね。ハワイでも二世社会を舞台とした小説などもけっこうあったりするのですが、アメリカと日本へのプライド、そしてさまざまな思いをもちながら独自の文化をつくりあげた世代でもあります。
そんな二世の方々も、いまでは、ハワイにも少なくなりました。
そして、二世が愛したお店、場所も変化しています。
日系レコード店、外間ミュージックもなくなってしまいました。

わたしが、お世話になっていた父の友人も、そんな二世。
先日、その息子である現在LAにいるハワイ兄からひさしぶりにメールが。
メールの様子がなんとなく、気になるなぁと思いつつ、こちらハワイから返事を出しました。
そして、このCLUB NISEI ORCHESTRAのCDを手にした昨日、就寝前のメールのチェックで、ハワイ兄からの返信。
恩人でもあるそのおじさまが、11月末に永眠されたことを知らされました。
体調をくずしていることは知っていたのですけれど、去年、ハワイに来たときは、治療もあるので、少し気を使ってしまい、遊びに訪ねなかったのです。
すごく悔やまれます。
一緒に時間をすごすことで、たくさん、いろんなことを知ることができた大切な方でした。

(投稿:日本 2010年12月29日、ハワイ 12月28日)

昨夜、沖縄の"公民館的コミュニケーションバー"、"大人専門夜間保育所"「南国の夜」でレコ部部長、常盤響さん出張でおこなわれた「出張レコ部」でさらなる『JAPANESE RUMBA』のヴァージョンに出会いました。
「オハヨウギザイマス」:D

「パピサン、マミサン、ベビサン~♪」

TWIN TUNES:THE JAPANESE RHUMBA(1955年)



(動画検索に限らず、「ジャパニーズ・ルンバ」、「JAPANESE RUMBA」、「JAPANESE RHUMBA」でさがしてみるのがコツなのですね)

(追加投稿:日本 2011年1月25日、ハワイ 1月24日)


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早いもので、ハワイ3日目。今回のハワイ滞在は、もちろんバケーションなのですが、相変わらずの諸々整理や会計系の処理というのも課題のひとつ。そこに、仕事もちょっと。本日は、月曜日ということで、そんな用事を。あまりゆっくりぶらぶらできる時間はなかったのですが、出先のアラモアナセンター、白木屋に10分ほど立ち寄り。そのついでにちょこっとブックオフ(ハワイにもあるのです。白木屋内)へ。海外にある日本系商品が揃うデパートということで、CDなども安いとは言えないのですが、たまに掘り出しものがあるので、そんな香り漂うコーナーを超速で物色。

演歌コーナーからはずれ(演歌とJ-POPが人気コーナー)、落語ものなどあるあたりに雅楽のCDやら琴など日本のインストゥルメンタルなどある、そのまたはずれに、『MODERN SONGS OF JAPAN』とか『JAPAN CALLING』などちょっと気になるタイトル発見。手にとってみたらジャケットがすてき!アーティストは?と思ってみたら小さな字の説明書きのこところ「CLUB NISEI」の文字が。値段をみたところ、なかなかのお値打ち品(値札が3回ぐらい重ね貼りされていて少しづつお安く)。

これは、連れて帰るべきでしょう…と、CLUB NISEI ORCHESTRA(クラブ・ニセイ・オーケストラ)の『MODERN SONGS OF JAPAN』買いました(この辺りはほんとはアナログが感じですけどね)。

収録曲は、日本の曲のカヴァーも多く、アレンジもストレートな感じのものもあるのですが、1曲目の『GOMEN-NASAI』よいです!!

CLUB NISEI ORCHESTRA:GOMEN-NASAI:
「GOMEN-NASAI~、I'm so sorry, gomen-nasai, I'm so sorry I made you cry~♪」
ちょっと切ない歌詞がこの時代らしく。サウンドは、CLUB NISEI ORHESTRAといえばあの曲!の『JAPANESE RUMBA』とも通じる部分もあり。→と思ったら、作曲は、服部レイモンドさんだったのですね。



CLUB NISEI ORCHESTRA、その名のとおりハワイ日系2世によって編成されたグループ。第2次世界大戦1950年を中心に活躍し、自分たちのルーツでもある日本の曲などもとり入れながら、二世ならではのサウンド、世界を表現してますね。

メンバー:
ボブ・コジマ、アリス・コジマ(アイコ・ビンゴ)、ハロルド・ササハラ、ヘンリー・タマナハ、ロナルド・キハラ、ジェイムス・オトイデ、ボロ・シラカタ、スパーキー・イワモト、ヘンリー・ハヤセ、クラレンス・ハヤセ、マリ・ミナミ、ハルエ・ミナミ、アルマ・シマブクロ、テッド・シマブクロ、ジョージ・シマブクロ、サダメ・ミヤズ、ハリー・トミタ、ジョージ・チネ、イツオ・トクナガ、エロル・ナカオ、エド・マツシダ、レイモンド・ナカソネ

メンバー、女性も多めなのは、けっこう特徴的かなと。沖縄系の方が多そうで、ハワイにいるとこの辺りすごくよく耳にする名前です。同じ姓の方も多く、兄弟とか姉妹のような感じも見受けられますね。

代表曲は、やっぱりこちらでしょうか。

JAPANESE RUMBA:
作詞:J・ミラー(Jerry F. Miller)、作曲:服部レイモンド



CLUB NISEI ORCHESTRAの曲は、YouTubeなどでも聴いたりしていたのですが、このライナーノートを読んだりメンバーをたどり、なるほどとということもあったので、さっそくこちらに書いてみることにしました。
つづきは、『JAPANESE RUMBA』でも。

(投稿:日本 2010年12月28日、ハワイ 12月27日)


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クリスマスにハワイにやってきました。
Let's get away from sleigh bells, let's get away from snow
Let's make a break some Christmas, Dear, I know the place to go
(略)
How'd ya like to spend the holiday away across the sea?
あたたかなクリスマスというのは寒い場所に住むひとたちにとっては、夢でもあるのですよね。
そんな夢が歌われているのは、この曲でしょうか『クリスマス・アイランド(CHRISTMAS ISLAND)』アンドリュー・シスターズが歌い、その後もたくさんのアーティストがカヴァーするクリスマス・クラシックのひとつ。
Andrew Sisters & Guy Lombardo Orch. - Christmas Island (1946)



クリスマス島がテーマの曲ですが、サウンドのイメージといい、ここで歌われているのは、クリスマス島よりハワイっぽい感じですよね。

How'd ya like to hang a stocking on a great big coconut tree?
ココナッツ・ツリーにクリスマス靴下をさげて
Wait for Santa to sail in with your presents in a canoe.
サンタがプレゼントをのせてカヌーでやってくるのを待とう

ハワイではこんな演出もあったりします。

多くのヴァージョンがありますけど、アメリカで1950年代から放送された人気番組でもおなじみ、シャンパン・ミュージックの王様ローレンス・ウェルクのヴァージョンもすてきです。

Lawrence Welk - Christmas Island



こちらは番組から。
The Lawrence Welk Show: Christmas Island



Bob Atcher & The Dinning Sisters - Christmas Island
先日紹介のULTRA LOUNGEシリーズ『CHRISTMAS COCKTAILS』にも収録。このヴァージョン、すてきです。




Jimmy Buffet - Christmas Island
アメリカでは、ジミー・バフェットのカヴァー・ヴァージョンがポピュラーみたいですね。特に50才~60才ぐらいのひと。最近はフード・ビジネス、ビーチ・ライフスタイルなビジネスでも活躍する実業家でもあり、ワイキキにレストランも出してます。



Leon Redbone - Christmas Island
オールド・タイムのグッド・ミュージックをカヴァーするレオン・レッドボーンのヴァージョンもありました。



[約2日、長いクリスマス]
昨日、日本を12月25日の21:30に出発、本日ハワイに12月25日の朝9:30着と、とっても長いクリスマスを過ごすことができました。いつも終わってしまうのが寂しなぁと思うクリスマスを丸2日弱楽しめたというのは、こどもにとっては、とってもうれしいことだったようです。わたしは、といえば、きょうこちらに着いてからは、ほとんどのお店が営業してないのでセブンイレブンで飲み物など調達、バーガー・キングでWHOPPER JR. こどもは、おともだちのところに遊びに行ってしまったので、その後、くたびれてほとんど寝ちゃってたのですが、やっぱり長いクリスマスはうれしいものです。

こども小4、サンタさんに関する質問から、そろそろ気づいているのかなぁと思うこともあるのですが、まだ、サンタ・クロースのことは信じてるようで、「クリスマスのマジックだから」とか言ったりしてるのですよね。ほんとは、包装紙もかえなくちゃとか思いつつ、なぜか、ママからのプレゼントとサンタからのプレゼントの包装紙が同じだったりするのですけれど。

世界の中でも、日本はクリスマスが早く訪れる地、ハワイは、逆でクリスマスが遅くやってくる地ということで、空港でサンタをみながら「日付変更線こえたら帰っていくサンタが空からみえるかもね」なんていう話もしながら、飛行機にのったのでした:D 「空からサンタさんみてみたい」とか「でも、みちゃったら、クリスマスのマジックがこなくなるから、早く寝ちゃおう」とか、まだまだかわいいところも。

ã��ã�¼ã��ã�£ã�³ã�°â�ª ã��ã�£ã�¦ã��ã�¾ï½�ã��(^-^)/ 空ã��ã��ã�... on Twitpic

ハワイに到着し、家についたら、思いがけなく、サンタさんからのプレゼントもありました(家をみてもらってる同級生のお母さんからw)

é£�è¡�æ©�ã��ã��ã�¯è¦�ã��ã�ªã��ã�£ã��ã��ã�©ã��ã��ã�¯ã�¤ã�«ã��ã... on Twitpic

わたしとしては、いつかオーロラをみながらのクリスマスを迎えてみたいのですけれど。

(投稿:日本 2010年12月26日、ハワイ 12月25日)


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今週に入り、遅ればせながら、クリスマス・モードへのスイッチが入ってきたところ。
先日、YENレーベルのクリスマス・アルバム『WE WISH YOU A MERRY CHRISTMAS』についてとり上げてみましたが、クリスマスといえば、ムーンライダーズです。

クリスマスを歌ったものけっこうあるのですよね。ムーンライダーズは、キーワード的テーマがあるようなところがありますが、クリスマスもそうなのかもしれません。

銀紙の星飾り:
作詞:高橋修、作曲:鈴木慶一、編曲:ムーンライダーズ
YENレーベル『WE WISH YOU A MERRY CHRISTMAS』(1983年)に収録。
12月に入るとどうしても唱えてしまいます「メリクルラバラルリーア」♪



スプーン一杯のクリスマス:
作詞:鈴木博文、作曲・編曲:かしぶち哲郎
歌・演奏:鈴木慶一、岡田徹、武川雅寛、かしぶち哲郎、白井良明、鈴木博文、山口美和子、飯村直子、北田かおる
『Bizarre Music For You』(1996年)に収録。
このアルバム、参加ミュージシャンもいいですよね(どれもですけどね)



最後の木の実:
作詞:鈴木博文、作曲・編曲:武川雅寛
『ムーンライダーズの夜』(1995年)に収録。
「ジングルジャングル鳴り響くからっぽの部屋の暖炉には僕の幽霊がほらサンタクロースにほら変装して待っている」♪
こちらも12月になるとつぶやいてしまいます。



ほかにもあったような気がします。でも、夜も更かししてるとサンタクロースが来ないかもしれないので、宿題にしておきます。

ムーンライダーズ、クリスマスといえば、1990年代に入ってからのものも多いですが、高校生の頃には、水族館レーベルのミュージシャンが集まったクリスマス・ライブに行ったなぁと回想。場所はどこだったでしょうか、その辺りの記憶があいまいです。青山のスパイラルだったかなぁ。
水族館レーベルものもおさらいしたいです。

(投稿:日本 2010年12月24日、ハワイ 12月23日)


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きょうは、年内の最終出勤日ということで(明日から有給休暇)、年内にやらなくてはいけないことをじっくり仕上げて大掃除、と思っていたのですが、クリスマス・イブながらバタバタな一日。 届け物などあったので、車でお出かけしたものの日中は都内いたるところ渋滞。ちょっと余裕なしなモードだったのですが、途中で立ち寄った酒屋さんでクリスマスのスイッチ、オンさせていただきました。

心弾むクリスマス・サウンドが店内に!マンボなクリスマス!

やっぱりマンボはいいですね:) あのリズム、サウンド、ほんと、ワクワクしてきます。
そうこれこそ、今年はクリスマスになったらこんなの聴こう~、と思ってたサウンドだったのです。ここ数ヶ月の忙しさで、今年のクリスマス・テーマをすっかり忘れておりました(おしゃれな酒屋さんではなく、普通の酒屋さんだったところがまたイカシテマス)。

マンボ、チャチャ、エキゾティカ系のクリスマス、ULTRA LOUNGE シリーズのクリスマス・アルバム、『Christmas Cocktails』と『Christmas Cocktails Part2』、すっかり買い遅れてました。届くころには、クリスマス終わってしまうのですが、次のクリスマスのために、来年を待たず、即購入!

オーセンティックなクリスマス・ソングながらすべてすてきなラウンジ・サウンド。ほんと、この時代の音はいいですね。どれも良曲ですが、特に気に入ってしまったものを数曲こちらに。

Billy May - Rudolph, The Red-Nosed Reindeer Mambo:



Capitol Studio Orchestra - Cha-Cha All The Way:



Eddie Dunstedter - Let It Snow! / Rudolph, The Red-Nosed Reindeer



Bob Atcher & The Dinning Sisters - Christmas Island



Martin Denny - Exotic Night



[おまけ]
アメリカではクリスマスに毎年必ずテレビで放送される子供時代のクリスマス思い出定番のホリデークラシック「Rudolph the Red-Nosed Reindeer(ルドルフ 赤鼻のトナカイ)」(1963年)の映像にビリー・メイ(Billy May)の『Rudolph, The Red-Nosed Reindeer Mambo』あわせたとってもかわいいヴァージョンもみつけてしまいました。サウンド、それぞれのキャラクターの動きがぴったりで、この映像、相当に気に入ってしましました(埋め込みできないのでYouTubeへのリンクです)
Rudolph the Red-Nosed Reindeer Mambo
動画作成者の作品への思い、トリビュートの心意気を感じます。

(投稿:日本 2010年12月24日、ハワイ 12月23日)


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きょうは、天皇誕生日。今上天皇明仁さまは、今年で77歳、喜寿を迎えられたのですね。激動の昭和時代に少青年期をすごされ、また、皇太子時代には、いろいろな初めてを皇室にもたらされた方でもあります。昭和8年生まれということで、わたくしの父とも同じ年、もちろんお立場はちがいますが、同じ時代を生き、過去にはちょうど同時期に同じように体調をくずされたこともあって、よく重ねあわせて拝見することも。本日の誕生日会見もお元気で、ご自身のこと、ご家族、時勢などしっかりと受け止めお話されているのが、とても印象的でした。

ご専門でらっしゃる魚類の研究においては、少年時代に絶滅を危惧された思い出があり、一度は絶滅したと思われていたクニマスの西湖での再発見をお喜びになっているお話は、興味深く、京都大学中坊徹次教授、「さかなクン」や他の研究者の研究への感謝の意をのべられていたのは、親しみをもって拝聴させていただきました。

ANNニュース・チャンネル(2010年12月23日)より。
クニマスのお話は3:50あたりから。



つづくコメントからはじまるクニマスつづき。



日本魚類学会。さかなクン、天皇陛下に会う
FNNニュース(2009年10月20日)



魚を愛するひとの思いがとげたクニマス再発見。つかった。この発­見をしたのは、お魚タレントで東京海洋大学客員准教授のさかなクン、喜びをもたらす。
FNNニュース(2010年12月15日)



このクニマス関連「さかなクン」のコメントもですが、先にも触れさせていただいたよう、今上天皇からは、天皇としての公務はもちろん、皇室初めての試み、国民とその生活への思いを感じます。そんな陛下は、親しみをもてるようなエピソードも多く、気になったものをこちらに。

天皇陛下にまつわるエピソード:個人的に気になりなものも(Wikipedia:明仁

ある意味断髪:
慣例に従い、女児に近い格好で育てられていたが、学習院初等科入学に際し、おかっぱに伸ばしていた髪を無断で刈られ数日間塞ぎ込んだ。その後、「これからは、黙ってこんなことはしないでね」と精一杯の抗議をした。
:) かわいらしいです。

チャブ:
学習院初等科時代に、色黒だったことから蚊取り線香の素焼きの香炉を想起させたため「チャブ」と学友たちによってつけられた愛称が伝わる。
:) なんか親しみ感じてしまいます。

思春期の悩み:
思春期には思い悩むことも多く、「世襲はつらいね」などと漏らしたことを学友がのちに明かしている。またそうした辛いときに両親である天皇皇后と別々に暮らさざるを得なかった体験が、後に子供たちを手元で育てることを決意させたともいう。

今上天皇明仁さま、ご誕生の折には、第5子にして初の皇子誕生とあって、国民的な祝福を受け、歌がささげられ、その他にも、多くの歌に歌われる方でもあります。
77歳のお誕生日をお祝いして、そんな歌をちょっと集めてみました(かなり、ひっぱってしまいましたが)。
説明は各動画者のコメントを参考にさせていただきました。

皇太子さまお生まれなった:
明仁さまご誕生を祝して昭和9年(1934年)に作られた作品。
謹作:北原白秋、謹曲:中山晋平、謹唱:平山美代子・高山得子・松本俊枝
ビクター
北原白秋は他にも幼少時代の親王を称える歌「継宮さま」を作詞しているそうです。



可愛いい皇子さま:
ご誕生の翌年、昭和9年(1934年)の作品。
謹作:西條八十、謹曲:中山晋平、謹唱:平井英子・本多信子・平山美代子



夢の中のプリンス:雪村いづみ
こちらは、以前に雪村いづみさんについて書いたときにも紹介したましたが、1958年の作品。
今上天皇の皇太子時代のテーマソング。
皇太子殿下ご成婚の慶祝ムードの中、ラジオやテレビでくり返し流れていたそうです。
雪村いづみ 思い出のワルツ/ ディズニー曲カヴァー/ 夢の中のプリンス



祝典行進曲:
作曲:團伊玖磨
昭和34(1959)年4月10日の皇太子殿下(今上天皇陛下)のご成婚を祝して、朝­日新聞社と東芝レコード会社が委嘱したコンサート・マーチで。その年の全日本吹奏楽コ­ンクールの課題曲(高校の部)にも採用。昭和39年の東京オリンピック­入場行進にも演奏(古関裕而作曲のオリンピック・マーチの後、5曲目に演奏。指揮/松­本秀喜)され、国内はもとより国外でも盛んに演奏される日本を代表する名行進曲。



陛下がもたらした革新は、なにより民間人である美智子さまとご結婚されたことですね。

美智子さまとのご結婚:
1957年(昭和32年)8月19日、避暑で訪れた軽井沢のテニストーナメントで正田美智子と出会う。テニスを通して交際を深めた。宮内庁職員の作品展に「女ともだち」と題した彼女の写真を出品した。しかし彼女が資産家の令嬢とはいえ皇族・華族出身ではないためお妃候補としてマークされることはなかった。徐々に皇太子が積極的に美智子との結婚を考えていると判ると、皇室内外から猛反対を受けた常磐会(学習院女子部の同窓会)会長松平信子ら旧華族の女性たちの反発も強く、信子に対しては昭和天皇自ら了承を求めてようやく決着したとも言われる。最終的に1958年(昭和33年)11月27日、結婚が皇室会議において満場一致で可決された。
1959年(昭和34年)1月14日に納采の儀が、同年4月10日に結婚の儀が執り行われた。明治以降では初の民間出身の皇太子妃であり、また結婚に至る過程が報道されたこともあって、市民からは熱烈に歓迎され、国民的な「ミッチー・ブーム」が興る。成婚のパレードは盛大に行なわれ、国民の心からの祝福を受けた。2人の成婚の様子を見るために、当時高価であったテレビも普及し始めた。
:) 皇族と平民の結婚ということにおいてのみではなく、平民に希望を与えるような事件であったかと。

太陽の花:EXILE
天皇陛下御即位20年奉祝曲 
作詞:秋元康、作曲:岩代太郎 



こんなものをみつけました。

皇室レコード・浩宮さま声のアルバム:女性自身付録
陛下ものではないのですが、美智子さま・華子さま貴子さま甯子さま、現皇太子殿下のお声を収録した別冊女性自身秋の特別号付録のソノシート。



いまでも女性週刊誌「女性自身」では皇室の話題はよくとりあげられていますね。
余談:同じ光文社から発行されている「JJ」は女性自身の頭文字です(全然関係ないですけどw)

天皇として、琉歌を詠んだのも初めてだそうです。

琉歌を詠んだ初めての天皇:
かつて琉球王国を征服した島津家(越前島津家・重富島津家当主・薩摩藩国父島津久光、明治維新後玉里島津家当主として10万石、華族令において公爵、島津久光公爵家初代当主)の血を引いていることから、沖縄への思いは深く、琉歌を幾つか詠んでいる。琉歌を詠んだ天皇は史上初めてである。


(投稿:日本 2010年12月23日、ハワイ 12月22日)


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クリスマス、そしてハワイ行きも近いというのに、その辺りとはまったく関係ないのですが、シュキ、先日からいろいろと、かなり気になってます。シュキとは、1970年代にアビバ・パスさんとのデュオ、シュキ&アビバで活躍したシュキ・レヴィさんです。

シュキ&アビバ(SHUKI & AVIVA):愛情の花咲く樹/ LOVE IS LIKE(1973年)
作詞:阿久悠、作曲:シュキ・レヴィ
1973年のシングル。B面は、『旅はふたりで/IT'S TOO LATE TO BE KIND』(作詞:阿久悠、作曲:シュキ・レヴィ)



「た」行での子音の発音が、なかなかに外人さんしてますが、かなりきれいな日本語ですね。出だしの部分などを聴いているかぎりでは、なんだか、普通に日本語がしゃべれそうな感じさえ。

シュキ&アビバ『愛情の花咲く樹』、なかなかのヒットだったようですが、当時は小さなこどもだったので、リアルタイムの記憶はまったくなく、気になりだしたのはYouTubeで偶然たどりついたことがきっかけ。
シュキ&アビバは、『ナオミの夢/ ANI HOLEM AL NAOMI』のヘドバとダビデと同じく、イスラエル出身。東京国際歌謡音楽祭(世界歌謡祭)に出場してるあたりも共通だったりします。

ちょっと脱線ですが、東京国際歌謡音楽祭、あらためてみると豪華な陣営ですね(この辺も、他の回含めいろいろ調査してみたいです)。
第4回世界歌謡祭:World Popular Song Festival in Tokyo '73
テーマ:Mother,It's a Song
音楽プロデュ-サ-:三保 敬太郎、佐藤允彦、木田高介、ミッキー・カーチス
司会:坂本 九、シリア・ポール(Celia Paul)
演奏バンド:原信夫とシャープス&フラッツ、新音楽協会
コーラス:シンガーズスリー(F)、ウィルビーズ(F)、男声:ロイヤル・ナッツ(M)、ハニー・ナイツ(M)

シュキ&アビバのエントリーは、『Love is Like(愛情の花咲く樹)』。シュキ&アビバとしては、アビバさんがフランスということもあり、フランスでの活動が中心だったようですが、イギリスからのエントリーとなっています。結果は、グランプリではなく入賞歌唱賞。

シュキ&アビバ、イスラエルではじめてロック・グループを結成したという経歴のシュキ・レヴィさんがフランス人女優であるアビバさんと活動は、ミュージカル『ヘアー』がきっかけだったそう。わたしとしては、ここで、再び反応です。やはり当時、このミュージカルのパワーはすごかったのですね。共演からその後に結びつくところとか、いままで『ヘアー』に関してはいろいろと書いてますけど、このミュージカルに出演するという自体、思想、志向、指向、その他さまざまなものが関連してるということでもありますね。

そして、シュキ・レヴィさん発見は、このシュキ&アビバでの活動以外にも、作曲家として大活躍をされてた方だと、はじめて知りました。伊藤咲子さんの『ひまわり娘』は、シュキ・レヴィの作曲だったのですね。
あんなになじみがある曲だったのに作曲家知らずだったことに気づきました。

伊藤咲子:ひまわり娘:
作詞: 阿久悠、作曲:シュキ・レヴィ、編曲: ケン・ギブソン
1974年、伊藤咲子さんのファースト・シングル。そして代表曲でもあるヒット。



この他にも伊藤咲子さんには数曲の楽曲を提供。作詞はすべて阿久悠さん。
伊藤咲子:オレンジの涙
作詞: 阿久悠、作曲:シュキ・レヴィ、編曲: ケン・ギブソン
『ひまわり娘』のB面



伊藤咲子:夢みる頃
作詞: 阿久悠、作曲:シュキ・レヴィ、編曲: ケン・ギブソン
こちらは、同年の2枚目シングルです。



伊藤咲子:愛情の花咲く樹
シュキ&アビバの『愛情の花咲く樹』、伊藤咲子さんも歌ってたんですね。



その後は、活動の拠点をアメリカに移し、テレビドラマのテーマ曲、映画などの音楽、映画監督、脚本家もなさったりで、1990年代にはハイム・サバンと共に映画やテレビの制作会社サバン・エンターテイメントを設立、『マスクド・ライダー』(=仮面ライダー)や『パワーレンジャー』(=戦隊系シリーズ)などのテレビシリーズを制作(のち、ウォルト・ディズニー・カンパニーが買収)。アメリカ版の科学忍者隊ガッチャマン系の音楽も手がけてたようですね。
世界で最も多くテレビ番組テーマ曲を作曲したひと、でもあるそうです。

Shuki Levy:オフィシャルサイト(英語)

[イスラエルのひと、日本での活動]
この他にも、同時期には、ノアムの『彼が帰る日』(作詞: ミッシェル・ジュールダン、シュキ・レヴィ、編曲: ロジェ・ルーベ )の作曲を。こちら探してみたのですが、ちょっとみつからず。
で、ノアムがちょっと気になりました。
イスラエル出身のノアム、当時一種のジャンルでもあった(?)、「外人少年シンガー」として、日本でもアルバムを1枚リリース。
こちらは、シュキの曲ではないのですが。
埋め込みできないので、YouTubeにリンクです。
花のようなリサ(日本語)(Quand on a vingt ans) - ノアム(Noam) - en japonais
作詞:H.Saban、訳詞:さいとう大三、作曲:G.Koren
幸せを僕に描いて(日本語)(Dessine-moi le bonheur) - ノアム(Noam) - en japonais
作詞・作曲:H.Saban、訳詞:さいとう大三

日本で活躍したイスラエルのシンガー、ヘドバとダビデだけではなかったのですね。

(投稿:日本 2010年12月22日、ハワイ 12月21日)


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体調こわして家にこもりっぱなしだったのクリスマス前の週末、昨日は、ずっと聴きたかったクリスマス・アルバムをようやくアナログからデジタルに変換。オーディオ環境整っていた一昨年までは、そのままレコードで聴けてたのですが、今の環境ではデジタルにしておかないとやはり気軽に聴けないのですよね(それもままならなかった昨年よりはかなりの進歩ということで)。

クリスマス・アルバムは、アナログ、CD含め数枚もっているものの、お気に入りの1枚というか、思い入れのある1枚というと、やはりリアル・タイムでこのムーブメントを感じていたYENレーベル、1983年の『We Wish You A Merry Christmas』なのです。井上嗣也さんデザインのジャケット、お星様の絵もかわいいですね。

『We Wish You A Merry Christmas』は、YENレーベルのアルバムではありますが、参加アーティストは、細野晴臣さん、越美晴さん、高橋幸宏さん、立花ハジメさん、戸川純さん、上野耕路さん、ムーンライダース(当時ジャパンレコード)、大貫妙子さん(当時RVC/ DEARHEART)、伊藤銀次さん(ポリスター)、ピエール・バルー(日本コロンビア)と、レーベルをこえての面々というところも当時としては珍しかったのではないのでしょうか。
アルバムのプロデュースは、高橋幸宏さんとお兄さまである高橋信之さん。

昨日は、変換しながら(CDでも発売はされてるのですけれどね)、じっくり聴きましたけど、ほんといいアルバムですね。
クリスマス・アルバムとうと定番のクリスマスソングをアレンジしたものが多い中、このアルバムは、それぞれのアーティストのオリジナル。しかも、別のアルバムに収められているものはあまりなく、30年近くたったいまでも日本のクリスマス・アルバムの中では最高級と言ってもいいのではないかなぁと思っています。
(もちろん、おなじみのナンバーは、アレンジを楽しめたりほのぼのしていて、それはそれで好きなのですけど)

We Wish You A Merry Christmas:曲目

SIDE A:
1. 25 Dec.1983 細野晴臣 作曲・編曲:細野晴臣
クリスマスの朝、目覚めて聴きたい感じです。



2. 銀紙の星飾り ムーンライダーズ 作詞:高橋修、作曲:鈴木慶一、編曲:ムーンライダーズ
ムーンライダーズもクリスマス関連の曲はいくつかありますよね。その中でも、この曲は楽しくて大好きです。当時、このアルバムのみの収録でしたが、その後『アンソロジー 1976-1996』(1998)にも収録されてましたね。
メリクルラバラルリア~、メリー・クリスマス、メリー・クリスマス♪

3. Belle Tristesse 妙なる悲しみ 越美晴 作詞・作曲:越美晴、編曲:細野晴臣
清らかで、哀しいメロディーがすてきな曲。12月の空、天使が舞い降りてきそうです。
これ、聴いてたら越美晴さんモード入ってきて、もっといろいろ聴きたくなってしまいました(さかのぼったもの含め。今度まとめてみたいところです)。

4. Prelude et Choral 上野耕路 作曲・編曲:上野耕路
クラシック要素感じるインストゥルメンタル作品。上野さんらしい音ってあるんですよね。こちらもまさにそんな感じを受けます。

5. 降誕節 戸川純 編曲:国本佳宏
清く、そして幻想的なアレンジがすてきな1曲。こちらは、アルバムとはちょっとちがいますけれど、2005年、わりと最近のライブ・ヴァージョン。



SIDE B:
6. Ce jour la……(あの日) ピエール・バルー 作詞:ピエール・バルー(Pierre Barouh)、作曲:加藤和彦、編曲:清水信之
そうでしたね。この曲は、加藤和彦さん作曲なのでした。いま、こうして聴いてもすごくすてきです。こちらは少しアレンジが異なる1984年のピエール・バルー『Sierras』より。
Pierre Barouh - Ce Jour-La. (あの日)(埋め込みできないのでYouTubeリンクです)

7. 祈り 大貫妙子 作詞・作曲:大貫妙子、編曲:細野晴臣
こちらもYouTubeのリンクで。まさに聖なる祈り、こちらも天使が舞い降りてきそうな。
祈り

8. ほこりだらけのクリスマス・ツリー 伊藤銀次 作詞・作曲・編曲:伊藤銀次
どうかなぁ、あるかなぁと思ったら、今年のクリスマス・セッションの予告動画(でも終わっちゃたんですけど)であがってました。
目黒でこんなすてきなイベントがあったのですね。
弦楽四重奏と様々­なジャンルの音楽アーティストの競演。2010年12月8日(水) 東京・目黒「ブルースアレイ」



9. WHITE AND WHITE  立花ハジメ 作曲:立花ハジメ、編曲:ロビン・トンプソン(Robin Thompson)
立花ハジメさんスイッチも入りました。所有は全部アナログですが、少しづつでも変換していきたいところです。ハジメさんの曲の完成度って、クラシック的な要素もあって、なんかすごいのですよね。すごいお方です。



10. ドアを開ければ…… 高橋幸宏 作詞・作曲・編曲:高橋幸宏
「ドアを開ければ赤いリボンの夢がそのままにそこにあった…ドアを開ければ 夢がそのままに」。うちのお子様は、どうなのでしょうか。今年あたりは、そろそろ気づいているのかな、という感じも。いろんな意味、日本らしい感じになってきてますから。でも、窓には、外から読めるようにサンタ・クロース宛の手紙を貼ってます。

今年は、12月25日に日本を出発し、ハワイへ(土曜日にやっとチケット確約)。ということで、なんとクリスマスが2日楽しめるという思いがけぬプランにはしゃいでます。なんか、得した気分でうれしいようで:D

クリスマス・アルバムからは、番外ですが…
賛美歌といえば、YENレーベルの『YEN卒業記念アルバム
』に入ってたこちらがありました!!!
すごく久しぶりに聴くことができて、大感激!!
映像もすばらしいですね。

また会う日まで(賛美歌405番)God Be With You Till We Meet Again





(投稿:日本 2010年12月20日、ハワイ 12月19日)


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いよいよクリスマスもあと1週間となりました。今年は、なんとなく歳末ムードにかけた日々を送っているので、ホリデー気分を感じられるようなものを探してみたところ、まさにホリデー・シーズン、パーティー・モードというものを。

サルソウル・オーケストラの『CHRISTMAS JOLLIES』楽しいですね:)

Salsoul Orchestra:Christmas Medley



1976年にヴィンセント・モンタナ・ジュニア(VINCENT MONTANA JR.)のプロデュースでリリースされたもの。クリスマスはもちろん、ちゃんと『New Year's Medley』といった新年ものもあり。
わたしとしては、このニューイヤーズものがかなりお気に入り。大晦日から元日に移りつついく瞬間に、ディスコな年越えという感じで聴きたいなぁという感じです♪

Salsoul Orchestra:New Year's Medley



1. The Little Drummer Boy
2. Medley: Christmas Medley: Joy To The World/Deck The Halls/O Come All Ye Faithful/Jingle Bells/Hark! the Herald Angels Sing/Santa Claus Is Coming To Town/The Christmas Song/White Christmas/Rudolph the Red-Nosed Reindeer/I'll Be Home For Christmas...
3. Medley: New Year's Medley: Auld Lang Salsoul/I'm Looking Over a Four Leaf Clover/Alabama Jubilee/Oh, Dem Golden Slippers/God Bless America
4. Sleigh Ride
5. There's Someone Who's Knocking
6. Christmas Time
7. Merry Christmas All
8. Silent Night
9. Medley: New Year's/Americana Suite

このアルバム、1992年にはトム・モールトン(TOM MOULTON)によってリミックスされたヴァージョン『Swingin With Santa』というものもでているそうです。



そして、さらに、チャイニーズ・ヴァージョンもみつけてしまいました。
制作背景はどうなのでしょう。「粵語改編版於1978年在香港再推出」ということで、この広東語ヴァージョンは1978年に香港でリリースされたようですね。

新年頌(The Salsoul Orchestra - New Year's Medley1978年)- 仙杜拉+原素樂隊
歌うは仙杜拉(シン・トゥーラー)と原素樂隊



ディスコなホリデー、いいですね。あまり作品数としては、CDではあまり多くはないというコメントも目にしましたが、なかなかいい作品ありそうです。70年代ディスコものは、やっぱり、ウキウキ気分になれます。この他にも、いろいろと探してみたいなぁと。

[サルソウル・オーケストラ:番組BGM]
サルソウル・オーケストラいですね。『恋のタンジェリン』のイメージが強いです。何かの番組のBGMにも使われてたような気がします。なんでしたっけ、思い出せません。

THE SALSOUL ORCHESTRA:TANGERIN~サルソウル・オーケストラ~タンジェリン



アメリカ横断ウルトラ・クイズかなぁとも思ったのですが、使われていたことは間違えないのでしたが、こちらでしたね。

第7回アメリカ横断ウルトラクイズ(ルート紹介)





サルソウル・オーケストラとは、70年代ディスコ・サウンドでかなり肝であるフィリー・サウンド、サルソウル・レーベルのオーケストレーション集団。サルソウルは1974年に設立、MFSBから派生したオーケストラを擁するサウンドが特徴。サルソウルの語源はサルサ+ソウル、だそうです。
ヴィンセント・モンタナ・ジュニアは、MFSBのメンバーであり、サルソウル・オーケストラでは指揮をつとめる中心的人物。
と、サルソウルのメモでした。

(投稿:日本 2010年12月19日、ハワイ 12月18日)


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昨日のジョン山崎さんからの流れでCHAR(チャー)やリューベンあたりの映像を探して視てました。CHARは、ロックなひとでありながら、当時からいろいろな番組に出演していたということもあり、けっこう懐かしい映像などあるんですよね。これは、きょうに限らず時折楽しんでいたりするのですが:D

本日、みつけたのは、まさに音楽な番組映像です。
ジョン山崎さんかなぁというような映像も。
(もっとよく探せばあるんでしょうけど。嬉し、好みでというとで)
リューベン(辻野リューベン)がギターでドラムスがCHARというすてきな映像!曲は『SO FAR SO GOOD』
埋め込みできないので、YouTubeへのリンクですが

リューベン&Char
いいですね~。
そして、この映像、もしかしてあの伝説番組では?と
「わぁー、これがあったですか!!!」というものをみつけてしまいました。
いろんな意味で貴重ですね!



これは!という感じの豪華ものです
 - 東京12チャネル(テレビ東京)で放送されていた「ロックおもしロック」最終回。司会、近田春夫さん。ミッキー吉野さん出演
 - 続くは森永「小枝」のCM。そうですね、CHAR出てましたよね!

こんなのもありました

ロックおもしロック~ Char with ゴダイゴ



あの「ロックおもしロック」の映像があったとは、感動です!
ちょっと探してみたら、やはり皆の心に残る名音楽番組、思い出をブログに記していらっしゃる方がけっこういらっしゃいました。
当時、中学生、高校生だった方が多いのではないかと。勝ち抜きバンド合戦的なので、ちょっと自分もかぶせて、そして、憧れてしまうような、かっこいい兄貴的バンドがたくさんゲスト出演されてましたから。
アルはソングライター:君は『ロックおもしロック』を知っているか?
JBT's BLOG:ロックおもしロック
マスコミクラブ:ロックおもしロック
僕らの過ごした渋谷 70~80年代の音楽と読書、時々手品:「ロックおもしロック」は、本当に面白かった

わたしの思い出は、といえば、当時、日曜日の午前中は中学受験の進学教室に通っていた小学生だったので、すごく視たかったのに、特別スケジュールでお休みとかのときとか、たまにしか視れないちょっと幻というか夢の番組であったのでした。
やっと視れましたw

GRECOが提供だったのですね。
ということで
和田アキラ GRECO CM / GO-SERIES VERSION:
音のみ



なんか、嬉しい映像発見で、心晴れ晴れです。

(投稿:日本 2010年12月16日、ハワイ 12月15日)


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以前から、かっこいいなぁと思って、ずっとずっと気になっていたジョン山崎&スクールバンド、まだこちらに残していなかったので、また、ちょっと調べてみました。

あらためて、かっこいいですね~。フュージョン的な面ももちながら、ロックですし、いろいろな要素が感じられる、まさにクロスオーヴァーなサウンドがすばらしいです。

ジョン山崎&スクールバンド:SO LONG



『SO LONG』は、ジョン山崎&スクールバンドのファースト・アルバム『アワ・ベスト・ソングス・ナウ(OUR BEST SONGS NOW)』からの曲。
スクールバンドに関する情報、ネット上あまり多くはないのですけれど、アルバムは、セカンド・アルバムである『セミ・ファイナル(SEMI FINAL)』もCDになっているんですね。
かなり、よさそうですね。どちらも聴いてみたいです。

「フュージョン的な」という表現をしましたが、メンバーは、ボーカル&キーボードにジョン山崎さん、ギターがマシュー・ザルウスキーさん、このお2人バンブーからの流れなんですね(バンブー:大村憲司、小原礼、今井裕、ジョン山崎、浜口茂外也、マーティン・ウィルウェバー、林立夫、村上秀一。一方は「カミーノ」に行くわけですね)。その他のメンバーは、ベースが高橋ゲタ夫さん、ドラムスが古田たかしさんということで、サウンドのレベルの高さ、センスの良さに納得。

リーダーであるジョン山崎さんは、ゴールデン・カップス後期中の後期メンバーでもあり、ルイズルイス加部さんとルームというバンドを組んだり、エディ藩さんとも一緒に活動したり。そんな流れもあり、その後は、CHAR(チャー)のバックなどにも参加されてたんですね。以前に書いて鈴木茂さんのハワイ録音のアルバム『LAGOON』や四人囃子『ゴールデン・ピクニック』にも参加。よくお名前は目にすることがあり、ジョン山崎さんは、ほんとずっと気になっていて、この『LAGOON』について書いたときにも、さらにジョン山崎さんについてもと思っていたのですが、そのままになってしまって…。

ハワイ、つながっていたのですね!
ジョン山崎さん、いろいろなミュージシャンとの交流もあったようですが、1979年に音楽活動を休止し、ハワイで大学に。その後は、ハワイで牧師さんをされているとのこと。チャーチは、アロハ・バイブル・チャーチ。
(ハワイ、チャーチといえば、一時期、ゴダイゴだった現在牧師のスティーブ・フォックスさんもハワイのチャーチにいらっしゃいました)。

ハワイに渡った後も、浅野孝己さん(元ゴダイゴ。元チャコとヘルスエンジェルスでもあります)日本のミュージシャンの方たちともゲスト参加などで時折活動されているのですね。
(ミッキー吉野さん関係で、それ以前にもゴダイゴのメンバーとは、セッションとかあったらしく)。

年末、ハワイに行ったときに、この時代、この辺りにくわしそうな誰かに聴いてみよう、という宿題もできました(そろそろ、決まりそうですが、高い年末の航空券、少しでもセーブしたいので、予約を2つかけてて空席待ちだったり、まだ日程が…。先日、やっと予約行動に踏み切ったというギリギリさなので)。

(投稿:日本 2010年12月15日、ハワイ 12月14日)


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パイシス(Les PISCES)、最近知ったデュオですが(といっても活動は現在ではないです)、いいですね。
メンバーは、元カーナビーツ2代目ボーカルストのポール岡田(長岡和彦)さんと武蔵野音大出身のジャズ系アーティストの寺門ユキさん。アルファ・ミュージック、村­井邦彦と川添象郎のプロデュースのもと結成されたデュオ。所属事務所は田辺エージェンシーだったそうです。調べてみると、まさに好きな感じで、ふと惹かれたのも無理はない、という。
デビュー曲は『悲しみのティ・パーティ』という曲だそうですが、B面がI Cugini Di Campagnaのカヴァー、『ANIMA MIA アニマ ミア』。

パイシス:アニマ ミア(1975年)
オリジナル:I Cugini Di Campagn
編曲:深町純



寺門ユキさんとポール岡田さんのボイス、すてきですね。
この曲、深町純さんのアレンジということでたどりついたものなのですが、なんだか普通じゃない音をしてるなぁと思ったらギターは高中正義さん、ドラムスは原田祐臣さんなんですね。キーボードはもちろんアレンジを手
がけている深町純さん。
演奏が相当に豪華なの理由のひとつ、当初、この曲はA面に予定されていたのだとか。B面となった経緯はちょっとわからないのですが、パイシス、アルファならではのサウンドの豪華さはこの後も続くようで、1976年にリリースされたセカンドシングルもまたすばらしいものだったのですね。

パイシス:恋人と来ないで(1976年):
作詞・作曲:荒井由実(松任谷由実)、編曲:松任谷正隆



「シクスティーズの、ほこりにまみれたSP盤を聴くと、なぜか甘くせつない気分になります。ポールとポーラならぬ、ポールとユキ。パイシスの、初夏の風のようなハーモニーにひかれて、私はそんな歌を書いてみました。 -ユーミン-」。
『恋人とこないで』、はユーミンの『サーフ&スノー』(1980年)に収録され、岡田真澄さんとのデュエットでおなじみの曲ですが、もともとは、パイシスのために書かれたものだったのですね。ユーミンのコンセプトは当時のポップ・デュオ「ダニー&マリー・オズモンズ」だったとか。まったく知りませんでした。
ユーミンは、この年、1976年に松任谷正隆さんと結婚されたのですが、この曲を書いたときは、まだ荒井由実。パイシスのものには、作詞・作曲は荒井由実となってるようです。
そして、こちらには、コーラスとしてハイファイセット(Hi-Fi Set)も参加。

[いろいろつながってゆくのですね、いつもながら]
ポール岡田さん、というか、長岡和彦さんは、この後はシンガーとしての道ではなく、音楽プロデューサー、ディレクターとして活躍、化粧品キャンペーン音楽のプロデュースで、多数のヒット曲を生み出した方なのですね。1978年、広告代理店に入社。最初に手掛けた仕事はカネボウ化粧品の1978年夏のキャンペーン・ソングのプロデュース。当時、アルファ・レコードの新人だった、サーカスを起用し『Mr.サマータイム』が大ヒット。

CM音楽プロデュース作品(Wikipedia:ポール岡田):
 サーカス「Mr.サマータイム」
 甲斐バンド「ビューティフル・エネルギー」
 山下久美子「赤道小町ドキッ!」(ACC CM音楽部門秀作賞受賞)
 イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)「君に、胸キュン。」(ACC CM音楽部門秀作賞受賞)
 中原めいこ「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね」
 吉川晃司「憎まれそうなNEW FACE」
 中村あゆみ「ちょっとや そっとじゃ Can't Get Love」
 浅香唯「C-Girl」
 浜田麻里「Return to Myself 〜 しない、しないナツ」
 B'z「LADY NAVIGATION」
 ピチカート・ファイヴ「スゥイート・ソウル・レヴュー」
CMプランナーとしても、セルジオ・メンデス&ブラジル77(オーディコロン)、シルヴィ・ヴァルタン(コカ・コーラ・ライト)などの海外の音楽アーティスト出演CMも制作。

まさに、化粧品CM黄金時代のワーク、仕掛け人でらしたのですね。
パイシスから、ここまで広がると思っていなかったので、かなり感動なのですが、さらに、わたしとしては、という活動があったようです。

それは、川添象郎さんの初の大仕事であったともいえる日本初ロック・ミュージカル「ヘアー」!
出演していたのですね(「ヘアー」自体、日本では川添さん、と知る前からのキーなのですが)。
寺田稔さん、加橋かつみさん、深水龍作さん、小坂忠さん、堀内麻九さん、大野真澄さん、萩かづこ(安藤和津)さん、シー・ユー・チェンなどと共に参加、とあり。
(えっ、萩かづこさん=安藤和津さん、だったの?ということも、脱線ながら、そしていまさらながら気づきです)
ポール岡田さんは、ウーフ役を大野真澄とダブルキャストで演じてらしたんですね。

現在は、歌ってらっしゃらないのかと思ったら…
幻の「ロリエ」ポール岡田:
元カーナビーツの2代目ボーカリスト・ポール岡田が、GSキャンディーズ時代の幻の名曲「ロリエ」を40年振りに歌った2009­年のLIVE映像。



2009年には、ポール岡田名義でセミ・ドキュメンタリー小説「HAIR 1969 輝きの瞬間」も出版。こちら本もひじょうに興味あり。

パイシス、ポール岡田さん、ますます、気になります。

(投稿:日本 2010年12月13日、ハワイ 12月12日)


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本日は、深町純さんのソロ2枚目のアルバム、1972年にリリースされた『HELLO! 深町純Ⅱ』について。自分の記録ちょっとみてみたら、ファースト・アルバム『ある若者の肖像』について、ちょうどひと月前に書いていたのですね。その間に、思ってもみなかった、深町純さん他界という悲しいニュースもあり…。

深町純 ある若者の肖像 (アルバム) レコード業界事情
という感じで、ファースト・アルバム『ある若者の肖像』についてでは、そのすばらしいサウンドと深町純さんが自らのサイトで語られていたレコード業界の事情のようなことも触れてみたのですが、あらためてご本人の言葉をふり返りながら聴くと、深町さんの作品からは、いろいろなものがみえてくるのですね。「そうだったんだ」という発見も多いです。

『HELLO! 深町純Ⅱ』でも、ライナーノーツなどから(2007年に限定で再発CD)、新たなというか、さらなる世界も感じ取ることができました。こちらも、1枚目に続き、ボーカル作品。ファーストが、すべてが自作だったのに対し、こちらは、詞においては、加藤登紀子さん、伊藤アキラさんの提供ものもあり。

収録曲:
1. 小さな子供達への唄
作詞・作曲・編曲:深町純
2.わらべ唄
作詞・作曲・編曲:深町純
3.僕は君のもの
作詞・作曲・編曲:深町純
こちらはシングルでも発売。アルバム2曲目のB面は『わらべ唄』

4.想い出の部屋
作詞・作曲・編曲:深町純
5.カラリン
作詞:加藤登紀子、作曲・編曲:深町純
6.俺らのあの娘
作詞・作曲・編曲:深町純
7.朝 昼 晩
作詞・作曲・編曲:深町純
深町純さんらしさを感じるサウンドとやさしい歌詞がいいですね。

8.ジャガイモとエプロン
作詞:伊藤アキラ、作曲・編曲:深町純
9.愛の唄
むちゃく性高、作曲・編曲:深町純
10.道
作詞・作曲・編曲:深町純

のちに日本のミュージック・シーンではなくてはならない人となった深町純さんですが、デビュー当時は、ライブ活動もあまりなく、ギターでの弾き語りが主流だった中、ピアノで歌ういうスタイルは、まだ少し珍しかったそうです。「歌う」、そう、ファーストでもそうですが、初期は深町純さんは、歌で自らの世界を表現。
わたしは、深町純さんを聴き始めたのが、いわゆるフュージョン時代だったのですが、もともとは、歌というものへのこだわりをもってらした、ということだったのですね。

『HELLO! 深町純Ⅱ』は、ボーカル作品としては、最後のもの。前作よりさらに日常の世界や愛を歌ったものが多いのですが、そのあたりのこと、矢野礁平さんによるCDライナーノーツから興味深いコメントもみられました。
当時、深町さんは、「このアルバムが駄目だと(売れないと)、自分が唄を歌う事が出来なくなってしまうと感じてた」と。「少しでも多くの人たちに自分たちの新しい唄を聴いてもらいたくて、より一般的な詞の内容を提示したのかも知れない」とも。
「僕は今まで、ずっと言い続けてきたけれど、音楽は全部歌なんだと思う。フュージョンで唄のないものをやったり、ピアノを弾いてきたりした訳だけれど、音楽家が一番やりたいことは唄を歌うことなんだと思う」と。

たしかに『ある若者の肖像』でも「僕の唄う歌が、聞く人の心の中に、少しでも想い出を作り出したら、それは素晴らしいことだと思います。喜びも悲しみも受け入れられないコンクリート・ジャングルの中に生活している僕らにとって写真やテープレコーダーに残すことの出来ないなつかしい日々、心のふるさとを捜したい。そして何かを愛したい気持ちが、僕の歌への情熱かも知れません」と書かれています。

深町純さんは、歌を通じての表現者だったのですね。その後、ボーカル作品はなく、流れやサウンドでの並はずれたワークで音のひとという印象があったのですが。きっとそのサウンドの中で、「歌っていた」のですね、きっと。

そう考えると、最近の、亀淵友香さんとのワーク(ご自身は演奏だったりしますけど)、そして、何より、それが現れていたのが、11月24日にアルバム『garden』を発売したユニット「僕らのしぜんの冒険」(ヒカシューのドラマー・佐藤正治さん、深町純さん、BARBEE BOYSのKONTAさん)での活動が、その「歌う」だったのかも知れないなぁとか。

(投稿:日本 2010年12月12日、ハワイ 12月11日)


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バタバタとした日々が続き、余裕がなかったせいか、今年は、いまだ、12月というのが信じられない感じ。この感覚は何なんだろうと。通勤も徒歩、あまり街に出ないせいもあるのでしょうか(仕事では、外に行ったりすることも少なくないのですけれど…)。巷では、忘年会などのシーズンなのですよね。


新橋のSLもクリスマスな歳末仕様

わたくしも、忘年会ではないのですが、先日、プロジェクトのお疲れ様会に参加。新橋の「スパイスハウス PEPE」さんで、おいしいお料理とひさしぶりにお酒を飲みながらの楽しい時間をすごしました。先月終えたイベントは、プロジェクトの集大成的なものだったこともありますが、最後まで二転三転でw その上、一日にいくつものイベントをという、なかなかのものだったでした~。
一緒にイベントを作り上げていただいた皆様には、ほんと、言葉ではいいつくせないほどの感謝。
急な変更などもあり、現場でさえもという、音楽でいえばインプロビゼーションができないと対応できないというシーンも多かったにもかかわらず、成功することができました。慣れない申請なども、思えば、貴重な経験。
会社のメンバーのみでなく、いろいろな分野でのプロの方々とご一緒でき、学んだことも多く、とてもよい経験をさせていただいたなぁと。
お疲れ様会では、プロジェクト中とはちがう普通のお話もえきて。音楽とか、音楽とか…音楽とかw(基本、頭の中は実はほとんど…ふだん、職場には音楽の話ができる方があまりいませんので…)、いわゆる無礼講という感じでしょうかね。ほんと楽しかったです。

いただいたマシュマロも美味、カワユし:D

ブールミッシュのギモーヴ。カラフル、いろんなフルーツの味

という訳で、お疲れ様会に行く道すがらにも聴いていた、赤い鳥の『パーティーへおいでよ』。

赤い鳥:パーティーへおいでよ
作詞・作曲:大村憲司



ワイン片手に集まろうみんなのいるところ
どんな人でもかまわない
おいでよ、ぼくらのパーティーへ~♪

(「明日の朝が来れば~」からのくだりはちょっと寂しいですけれど)

この曲、『パーティーへおいでよ』は、大村憲司さん、村上ポンタ秀一さんが参加されていた、赤い鳥中期、1972年のアルバム『パーティー』に収録されてるもの。
イントロから、ギターがきいた大村憲司さん度たっぷりの曲。
ボーカルも大村憲司さん:)
山本潤子さん、平山泰代さんのコーラスの感じもかっこいいです。


[赤い鳥、7人編成時代]
赤い鳥に関しては、以前にも書いていますが
赤い鳥 英語曲・海外レコーディング
赤い鳥 書簡集 (アルバム)
リアルタイムではないので、くわしい訳ではなく、このお2人がいらしたころも方向性などでいろいろとあったようですが、サウンドや活動としては、新しさが加わり、グループの持ち味を生かしながら音楽的に広がりをみせてくれていた時期なのではないかなぁと思うのです(赤い鳥初期からの当時のファンの方からはいろんな評があるみたいですね)。
大村憲司さんは、山本潤子さんの素晴らしい声に魅了され、バックで弾きたくて赤い鳥に加入した、というエピソードもあるのですよね。
わたくし、後追いリスナーとしては、この辺り、7人時代、中期の作品も、またちがった音楽性が魅力と思えるのです。

7人編成時代のアルバム『パーティー』には、その後、平山泰代さん&後藤悦治郎さんご夫妻デュオ名ともなる代表曲のひとつ『紙風船』も収録されてます。

アルバム『パーティー』収録曲:
1. 特急列車~サザン・スペシャル
2. 二人
作詞:大川茂 作曲:山本俊彦
シングル発売1972年7月。シングルでボーカルが大川さんって珍しいです。

3. 白い墓
4. 茶色のはっぱ
5. 私はペンキ屋になるだろう
6. パーティーへおいでよ
7. 小鳩たちの家
8. こわれた世界
9. 鬼憂
10. 鳥のように
11. 紙風船
作詞:黒田三郎、作曲:後藤悦治郎
シングルは、1973年5月発売。前半とはまったくちがった後半のコーラスの感じ、好きです。こどもコーラス。この転調でも、大村憲司さんのギター、ポイントですね。聴かせてくれます。


(投稿:日本 2010年12月11 日、ハワイ 12月10日)


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