本日、関東地方は雪もちらつく冷たい雨でしたが、先週金曜日、2月25日には春一番も吹き、春はすぐそこですね。春一番が沈丁花の香りを運んできました。



数日たって、遅れての記しではありますけれど、あの日はなんだか春一番が吹く気がしていたので(先週は、あたたかだったので、予想範疇だったかとは思いますけれど)、こちらにも。予想的中ということで、山口美央子さんの『恋は春感』。


『恋は春感』は、1983年春のコーセー化粧品CMソングでした。

山口美央子:恋は春感(1983年)
作詞・作曲:山口美央子、編曲:後藤次利



四季のある日本ならでは、やはり化粧品CMソングは、季節を感じさせますね。
化粧品CMソングといえば、資生堂VSカネボウというイメージがありますが、1980年代に入り、少しづつ、コーセー化粧品がちょっと変化球的なアプローチで入りこんできていた気がします。
この変化球的なアプローチは、CMソングだけではなく商品にも。

1983年コーセー化粧品、春のCM「春感口紅」:
モデル、マリアンヌ他



ブラックもありというこのカラー・バリエーションは、マリー・クワントあたりの影響も感じるロンドン・カラー。1980年代初頭ならでは。資生堂もパーキー・ジーンのPICOなどでは出てたと思いますけれど、メインのラインでこのカラーを打ち出してきていることに、コーセーのこの当時の方向性を感じます。

この曲をちょっと前に思い出してから、山口美央子さんのことなどが気になっていたので、この機会に。

『恋は春感』も収録の山口美央子さんのアルバム『月姫』は、当時、購入ではなく、レコード・レンタルで借りたものをテープにとり、よく聴いていました。彼女ならでは、そして、当時ならではの「和」な雰囲気が好きでした。
『恋は春感』は後藤次利さんアレンジのですが、その他は、全曲、土屋昌巳さんアレンジ。プロデュースは立川直樹さん(立川さんは、加藤和彦さんとのワークもあったりしますね。大空はるみさんのアルバム「VIVA」なども同年、加藤和彦さんと一緒に:WORKS~立川直樹全仕事~

このアルバム『月姫』や山口美央子さんに関しては、とてもくわしくまとめてらっしゃる方がいらっしゃいました。
歌謡曲の砦:山口美央子 全アルバムレビュー 
歌謡曲の砦:山口美央子『月姫』:まさしく、埋もれた名盤
わたしの印象も少し加えさせていただくと、シンセサイザーふんだんなテクノさもありながら、ところどころロックなギター・フレーズがあるところが、まさに土屋昌巳さんのサウンドを反映している感じですが、山口美央子さんのヴォイスはけだるい雰囲気をもちながらもどこかポップな声質でもあり。
アルバムのタイトルにある『月姫』が物語るような和の世界とともに、大小の宇宙感のような音の広がりももったアルバムでした。
このアルバム、CD化されていないのは、残念ですね。とても、完成度が高い作品だったと思うのです。

山口美央子:アルバム:月姫(再生リスト)



この後、ベスト・アルバムはリリースされているようですが、作品としてのアルバムは、この『月姫』が最後だったのですね。
ファーストの『夢飛行』も井上鑑さんとのワークで、よい作品でした(2枚目の『Nirvana』は当時も聴かなかったのです)。
1980年代後半以降は、作曲家としてのワークに。岡田有希子さん、今井美樹さん、高井麻巳子さん、CoCo、鈴木雅之さん、やしきたかじんさんなどへの楽曲提供されてるのですね。

[コーセー化粧品の変化球]
ポータブル・ロックの『春して、恋して、見つめて、キスして』も春うららで、化粧品CMソングとしては、ぴったりではあるのですけれど変化球的かもしれません。

「ミスティフェイス」な1986年のコーセー春のCMソング:
春して、恋して、見つめて、キスして:
作詞:鈴木さえ子、鈴木慶一、作曲:鈴木さえ子、編曲:鈴木さえ子



(投稿:日本 2011年2月28日、ハワイ 2011年2月27日)


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今週末は、裏磐梯の桧原湖に行ってきました。会津磐梯山といえば、やっぱり民謡会津磐梯山。こどもの頃から「エンヤー♪」という歌いだしや「小原庄助さん、何で身上潰した。朝寝朝酒朝湯が大好きでそれで身上潰した。ハーモットモダーモットモダ」などが大好きで、とってもなじみがある民謡でした、なぜか。
(おばあちゃんが町会の旅行で買ってきてくれた小原庄助さん人形がきっかけだったのかなとも)

テレビCMの「清酒・会津ほまれ」も懐かしく。これ、何かの番組と番組の間に必ずやってたような覚えがあるのですけれど、そこまでは、ちょっと思い出せません。でも、とても印象に残ってるCMなのですよね。


会津生まれでもないこどもでも知っていた、このポピュラーな民謡『会津磐梯山』について、ちょっと昔の録音などチェックしながら、どのように全国的に知られるようになったのかを調べてみました。

「会津磐梯山」は、会津民謡「玄如節」からの派生なのですね。1934年(昭和9年)に小唄勝太郎さんの録音されたものが人気に。「おはら庄助さん なんで身上つぶした」というお囃子もこちらからだったのですね。
情報:会津の歴史(戊辰戦争以外):民謡「会津磐梯山」

小唄勝太郎:端唄・会津磐梯山
演奏:ビクター管弦楽団(三味線入)ビクター 53155-A(1934年)



やっぱり、勝太郎さんはすごいですね。お座敷ものをレコーディングされるまでになったのも、その後
、お座敷系がジャンルとして創作されるようになるのも、この方の当時のポピュラリティーありきという気がします。

1950年(昭和25年)には親善使節として日本の芸能人として戦後初めて、渡辺はま子さん、三味線けい子さんらと渡米し、ハワイ、ロサンゼルス、サンフランシスコと、現地の日系人コミュニティーなどにも訪れたそうですが、世界といえば、こんな作品があったのですね。

勝太郎さん歌唱では、ベルリン・オリンピック・ヴァージョンというものが存在!!

エンヤー♪行けよベルリン、心が躍る~…遠く離れたドイツの空に~
みせてやりたや、独国人に~陸上日本の心意気~♪

小唄勝太郎:端唄・会津磐梯山:ベルリン・オリンピック・ヴァージョン(1936年)
演奏:ビクター管弦楽団
歌詞がひじょうに興味深いですね。あのベルリン・オリンピックだということも含め、背景などいろいろとほかにも調べてみたいなという感じです。提供者に大感謝です。



ほかにも、この頃のものかと思われるものには、魅力的なヴァージョンがありますね。
ふと聴いてみて、いいなあと思ったもの、レーベルをよくみてみたら、"Itsuro Hattori"と書いてあります。
レイモンド服部さんによるアレンジですね。やっぱり、ちょっとルンバ的なリズムも織り込まれ、スウィンギーでもあり。

AIZU BANDAI-SAN/ 会津磐梯山
演奏:コロンビア・ダンス・オーケストラ
録音年は、ちょっと調査不足で、まだ不明です。ぜひ調べたいところです。



鈴木正夫さんによるものもビクター。おそらく昭和10年代の録音ですね。



フルのヴァージョンは、なんと三十番まであるという「会津磐梯山」、創作ヴァージョンもありますね。

日活映画「赤い夕陽の渡り鳥」主題歌である『アキラの会津磐梯山』。
劇中登場する大坂志郎さん扮する事業家の邸宅から望む会津磐梯山は、まさに、この度訪れた裏磐梯だそうです。
情報:栄光のマイトガイ・旭:赤い夕陽の渡り鳥のロケ地を訪ねて
実は、映画をまだ観たことがないので、今度チェックしたいと思います。


小林旭・スリーキャッツ:アキラの会津磐梯山(1960年)
作詩:西沢 爽 補作曲・編曲:浜口庫之助 
チョ、チョチョチョ♪イヤー♪(エンヤーなのだとは思うのですが)



[念願のワカサギ釣り~裏磐梯の魅力を知る]

「凍った湖の上で釣りしたい」というたってのリクエストにより、実行にいたった裏磐梯行き。氷の丸い穴から釣り糸たれて釣りしたいという、このこどもの願いは、ハワイに住んでいたときからなのですが、なかなか実行にいたらず、なんだか春の予感がしてきたということで4、5日ほど前にあわててアレンジ。

あまり知識なく、まずは、どこでできるのかをネットでサーチ。裏磐梯の桧原湖がワカサギ釣りのメッカだということ。ほんとは深夜バスを利用して1.5日調に行こうと思ったのですが、予約もいっぱい。ちょっと不安ともなう中、冬仕様でもないマイ・カーで。夜明け前に出発、春一番の影響もあり、強風、そしてかなりのロングドライブでした。関東では春一番でしたが、福島はまだ寒いですよね。案の定、道路凍結(凍結路面での走行、初めてでしたが、こんな感触なのかぁと学び。スロー走行でなんとか走りきれました。いまのタイヤはきっと優秀なんですね。でも、次はちゃんと準備します)、その後は、冬期通行止めの方面に湖反対周りしちゃったりと、ハプニングもあったのですが、ちょと泣きはいりつつw、予定より大幅に遅れてようやく到着~。
そこに広がっていたのは、全面凍って真っ白な湖にカラフルなテントがたくさん:) とっても楽しいわくわくする光景。やっぱり、来てよかった~、と:D
(写真ではわかりにくいかもしれませんが、なんだかかわいいのです、テントやドーム船。)



今回のテーマは、ワカサギ釣りということで、あまりくわしく裏磐梯については調べていなかったのですが、自然いっぱいのとてもよいところですね。ぜひ、あらためて計画して、初夏、そしてできれば来冬も訪れたいです。

ワカサギ釣りの成果は…といったところ、でも、雪の中でアイスクリームをつくったり、ウサギやキツネの足跡たどって朝の散歩も楽しく。
来年、冬にいくときには、やっぱりこの季節、春ちょっと前がいいかなと。スノーシューでの野歩きなども楽しんでみたいです。
旅のようすはTwilogでも
Twilog:2011年2月26日
Twilog:2011年2月27日
朝、車の中で前夜に置きっぱなしだった手袋凍ってましたけれど、東京へ帰る日は暖かで、こちらにも春が少しづつやってきているようでした。
旅の写真、スライドにしてみました(道中PAなどでの写真含む)。
写真:裏磐梯


(投稿:日本 2011年2月27日、ハワイ 2011年2月26日)


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小林啓子さん、1977年のアルバム『ちょっと気分をかえて』、かなり前にオーダーしていたものが、やっと手元にまいりました。いつから待っていたかというと、このアルバム、加藤和彦さんの『気分をかえてもう一度』が収録されているということで、一周忌である去年の秋、10月16日に、Amazonでポチッたのでした。

その後、もう少々お待ちください状態がずっと続き、こんなに待つんだったら、ほかで探した方がよいかなぁと思いつつ、ずっと、ずっと待ち続け。すると、先日、「申し訳ございません…」という、入荷見込みなしのメール。「え~っ」。だったら…と。
でも、ちょうどよいタイミングで出品されていたので即行動。

このアルバム『ちょっと気分をかえて』は、それ以前にも、なんとなく行動に踏切らなかった自分がいて。

情報としてみていたときから、わくわくしてしまう要素いっぱいだったのですが、オーダー自体、この存在を知ってから、少したってのアクション。その時点で、もうすでに、もうちょっと早く入手していれば、と思っていたぐらいなので、ほんとにほんとに、長い経過のもと、やっと聴くことができた作品なのです。
(またくもって入手困難という訳ではないと思うのですけれどね)

前置きが長くなってしまいましたが、期待していた以上にすてきな作品!もうすでに、くり返し聴いてます♪
すべての曲がすばらしく、シティポップ期のサウンドのよいところばかりを盛り込んだようなものばかり。制作にたずさわっている方も、参加ミュージシャンも豪華。

気分を出してもう一度:
作詞:安井かずみ、作曲:加藤和彦、編曲:高橋信
We can dance♪ We can dance, dance, dance♪のイントロ、すでに、まいってしまいます。
いままでも、加藤和彦さんのものはもちろん、RAJIEさん、立木リサさんと今野雄二さんデュエット、野宮真貴さんとクレイジーケンバンド横山剣さんデュエットなどもある安井かずみさん、加藤和彦さんの曲。
気分を出してもう一度(←過去に書いたもの)
アレンジ、そしてボーカリストちがいで、また、すてきな作品に。それぞれの『気分を出してもう一度』ですね。名曲であるからこそ!『ちょっと気分をかえて』というアルバムの一曲めにふさわしく。



ちょうどそんな風の中:
作詞・作曲・編曲:高橋幸宏
「ちょうどそんな~、ちょうどすてきな~」まるでMagicです。

ショートカット:
作詞:高橋幸宏、作曲・編曲:高橋信之
高橋ブラザーズによるライトに切なく。小林啓子さんのボイスとRajieさんのコーラスが。

その人は誰......:
作詞:鳥居幹雄、作曲:加藤和彦、編曲:高橋信之
詞、曲、アレンジ、ボイスが奏でるやさしくすてきな世界。風のようなお話ですが
三点リーダが2つというのも



木蓮:
作詞:竜真知子、作曲・編曲:高橋信之
白い雪の降る午後にわたしは生まれたそうです~♪歌詞には12月とあって
小林啓子さんは12月生まれでした。

このかるい感じが好きなんです:
作詞:高橋幸宏、作曲・編曲:今井裕
今井裕さんメロディ、アレンジすてきな作品!ユキヒロさんの詞も。「このかるい感じが好きなんです」ですね:) LPとしてはB面1曲め。ふさわしい感じ、ですね



さよなら列車:
作詞:高橋幸宏、作曲・編曲:高橋信之
BUZZの『レクヰエム・ザ・シティ』に収録されている曲の小林啓子さんヴァージョン。BUZZは、この『ちょっと気分をかえて』でコーラス参加もしています。

ふしぎな日:
作詞:松山猛、作曲:加藤和彦、編曲:高橋信之
加藤和彦さんソロ『スーパー・カズ』でおなじみの名曲。こちらもカヴァーが数ヴァージョンありますね。

比叡おろし:
作詞・作曲:松岡正剛、編曲:高橋信之
こちらは少しトーンがちがいますけれど、小林啓子さん1970年シングル(「比叡おろし/恋人中心世界 」)にもある若き時代の代表曲ということでの収録なのでしょうね。

レイルウェイ・ララバイ:
作詞:山川啓介、作曲・編曲:高橋信之
1977年の国鉄のCMキャンペーンソングだったのですね。なんか、BUZZが歌っても似合いそうな気がします。



最後に豪華な参加陣をリストします。

アレンジ&レコーディング・プロデューサーは、当時、ご主人であった高橋信之さん。
参加陣営には、高橋信之さんつながり、そして高橋幸宏さんつながりといった感じでブラザーズの交流関係がうかがえますね。

キーボード:今井裕
ギター:吉川忠英、笛吹利明
Eギター:松木恒秀
ベース:後藤次利
ドラムス:高橋幸宏
パーカッション:斉藤ノブ
コーラス:BUZZ、今井裕、高橋信行、高橋幸宏、RAJIE

詞、曲では、加藤和彦さん作品も安井かずみさんとのコンビもの含め3曲。

とてもすてきなアルバムです♪

(投稿:日本 2011年2月25日、ハワイ 2011年2月24日)


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先週は、平日の夜も連日、映画を観たりしてすごし、先日、ハワイ関連の「若大将シリーズ」などもみたりしたのですが、ずっと観たいと思いながら、なんとなく、観ることができなかった「ホノカア・ボーイ」観ました。

2009年公開の作品なのですけれど、懐かしく、新しくもある「ホノカア・ボーイ」、2009年3月14日公開という最近の作品ですが、日系二世やハワイと関係があるので、こちらでも。

観ることができなかったというのは、公開時期にちょうど、日本に帰国したばかりでバタバタしていたというのもあるのですけれど、別の意味でも、まだ観ることができなかったというのが本音だったかもしれません。心の準備というか。
いろいろな思い出のつまった場所、自分で感じていたハワイ、そんな感じで観せてくれる映画だと気づいていたから、なおさらという感じなのでした。ある意味、自分の思いともかぶるような…

その後、ようやく観れるかなぁと思いつつあったままきちんとした形で観ることができず、時間が過ぎてしまっていたのです。

ホノカアボーイ:予告編
取り残されて野生化した砂糖キビの匂い…
夏の終わりに淋しくなる理由がわかった。



「ホノカアボーイ」、すてきな映画ですね。カメラワーク、音、日本人である玲雄の目からみるハワイ、マリヒニ(ハワイ外のひと)からみたという目でのハワイでありながらリアルなハワイであったり、時には、住む人の目からみたハワイより、よりほんとうのハワイがみえてくることがあるのですよね。そして、ある部分での感じ方は、しっかりとロコ目線、特に日系二世の方たちの飄々しているようで深さを。

音、音楽、絵、映像。そして、ハワイのふつうの日。なんだか、ちょっと前まであったのに、どこかに置いてきてしまったような。



監督の真田敦さんは、数々のCM作品を手がけ、映画では、いぬのえいが「ねえ、マリモ」(2004年)も。
そして、さきの映像にあったように、サウンド&ミュージックがすてきなのもこの映画のすばらしいところ。音楽監修は、桑原茂一さんですしね:)
劇中で流れる青柳拓次さん、阿部海太郎さんのミュージックもすてきなのですよね。小泉今日子さんが歌う、高崎卓馬さん作詞、斉藤和義が作曲・編曲の『虹が消えるまで』もよいですね。

映画、観たばかりですけれど、映像を思い出しながら、サントラ聴きたくなります。
ホノカアの街のように、甘い、砂糖キビの香りの風が吹いてきそうです。

月夜の虹、ハワイで生活していましたけれど、まだ、ムーンボウ、みたことがありません。いつか、みたいと。
そして、住んでいたときとも、またちがう、いまのように2~3週間という感じで訪れるのでもない滞在、のんびり、ぼーっとしにハワイへ行きたいです。

原作、「ホノカア・ボーイ」を書かれたのは、吉田カバンからの流れでなじみのあるポータークラシックのチーフディレクターである吉田玲雄さん。写真家として活躍、そして、ライターとしても。そんな玲雄さんのハワイでのハワイ滞在体験をつづったエッセイがもととなっています。
本の方も読みたくなりましたので、近いうちに。

「ホノカア・ボーイ」観たら、ハワイで学生のときによく手にとっては、読んでいた、ローカル文学作品にも似たような感覚がして、また、ハワイの現代文学なども、読みかえしたくなりました。

メーキング・オブ的映像では、俳優さんの紹介、映画の撮影過程、ホノカアについてなど。約3ヶ月かけて撮影されたのですね。
ハワイのヘアカット、まさにこんな感じです^^



出演そのほかは以下の方々。
吉田玲雄さんも出演されてます。そして長谷川潤さんはニューハンプシャー生まれではありますが、ハワイ島ヒロ育ちで、ロコ・ガールですからね。ほんと、ハワイには、あんな感じのくり返しのカップル、典型というか。玲雄(岡田将生さん)とカオル(蒼井優さん)も旅で訪れている方ではみかけそうな展開ですね。ブログ女も。

レオ - 岡田将生/ビー - 倍賞千恵子/マライア - 長谷川潤/トム - 吉田玲雄/みずえ - 正司照枝/コイチ - 喜味こいし/バズ - Chaz Mann/ジェームス - Tom Suzuki/コイチ妻 - 披岸喜美子/ブログ女 - 古川りか、小林由梨、岡田茉奈/医師 - 松尾諭/ケンちゃん - 吉田克幸/ウクレレ少年 - John Ehrenberg/カオル - 蒼井優/チャコ - 深津絵里/エデリ - 松坂慶子

(吉田玲雄さん、仕事の関係で、ずっとずっとと前に何度かおみかけしたことがあるのですが(注:知り合いではありません)、そのころはまだ、玲雄さんは高校生か卒業したばかりぐらいでした。月日が流れるのは早いですね)

最後に、コイチさん役の喜味こいしさん、先月1月23日にお亡くなりになったのですね。
あらためて、ご冥福をお祈りいたします。
この映画では、すてきな演技をみせていただきました。
なとりの珍味のCMが思い出です。

(投稿:日本 2011年2月25日、ハワイ 2011年2月24日)


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昨日からのつづきで、ハワイの日系二世オーケストラ、HAWAII SHOCHIKU ORCHESTRA(ハワイ・ショーチク・オーケストラ/ ハワイ松竹オーケストラ)。

まずは、当時のハワイの日系二世ミュージックを少し。日系オーケストラやジャズの活動は、1930年代あたりからはじまり、戦後、1940年代後半から1950年代にかけて、バンドの数も一気に増え、黄金期には、ハワイだけで、50近くのジャズ・オーケストラが存在。そして、音楽だけではなく、エンターテイメントもともなう見せるスタイルというスタイルが確立していったようです。

CLUB NISEI ORCHESTRAと人気を二分していた、HAWAII SHOCHIKU ORCHESTRAの特徴は、昨日も触れましたが、沖縄民謡もてがけたということであったり、オリジナル曲は、日本でも人気となったのですね。
そのステージは、3時間におよび、バラエティーに富んだもの。子どもたちによるパフォーマンスやマジック、寸劇、コメディーなども、というスタイルだったとのこと。

メンバーは、フランシス・ザナミとマサジ・ウエハラを中心に、グレイス・アメミヤ、ハルオ・アオヤギ、タカシ・フジカワ、チヨコ・イダ、ヒロシ・クマガイ、サダメ・ミヤズ、ノブオ・ニシモト、グラディス・オモト、テッド・シマブクロ(←CLUB NISEI ORCHETSRAのテッドさん?多分、そうですね)、ナオユキ・タカオカ、ドリス・タケタ。
脱線:フランシス・ザナミさんは、LOVE'S BAKERY で働いていたということにかなり反応。
LOVE'S BALERY

今回、購入したCDは『PARADISE HONOLULU パラダイス・ホノルル』。収録曲は以下に。いろんなメンバーが歌っているのも、SHOCHIKUならではなのですね、きっと。

そのほかに、CDとして在庫がなかったものはAmazonのMP3で数曲、購入してみました。
沖縄民謡の『Asatoya Yunta (Song of Asatoya)』と『Ame no Hi Romance (Rainy-Day Romance)』など。

『雨の日ロマンス』は、チヨコ・イダさんの歌うナンバー。とってもすてきです。
よくさがしてみたら、こちらにもありました:)
HAWAII SHOCHIKUが!しかもこの曲とは!
「新宿 雨のゴールデン街」と題されたすてきな映像。

Hawaii Shochiku Orchestra:Ame no hi Romance (Rainy-Day Romance)
歌唱:チヨコ・イダ



+++++++++++++++++

PARADISE HONOLULU パラダイス・ホノルル:収録曲
*=日本曲その他カヴァー

1. Paradaisu Honoruru(Paradise Honolulu)
歌唱:ノブオ・ニシモト、グレイス・アメミヤ
作詞・作曲:レイモンド服部
ハワイ的要素がたっぷりながら、日本情緒たっぷりな。

2. Asataro Zange
歌唱:タカシ・フジカワ
3. AJA Koshin Kyoku
歌唱:ナオユキ・タカオカ
米本土とハワイ出身者で編成された日系二世部隊、第442連隊戦闘団を称えた曲。
4. Ikoku No Oka *
歌唱:ハルオ・アオヤギ
5. Kosame No Oka*
歌唱:チヨコ・イダ
6. Hoshi Kage No Komichi*
歌唱:テッド・シマブクロ、グレイス・アメミヤ
このヴァージョン、すごくすてきです!!
7. Asu No Kadode
歌唱:テッド・シマブクロ
8. Jonetsu Musume*
歌唱:チヨコ・イダ
9. Ie Rai Shan*
歌唱:チヨコ・イダ
10. Tsubaki Saku Shima*
歌唱:チヨミ・フルカワ
11. Kagoshima Ohara Bushi*
歌唱:チヨミ・フルカワ、カツオ・アラカキ
12. Waikiki No Yoru
歌唱:チヨミ・フルカワ、カツオ・アラカキ
灰田晴彦さんも歌ってらっしゃいますね。オリジナルはハワイなのでしょうか。
13. Koyoi Mo Oka De
歌唱:テッド・シマブクロ
作:レイモンド服部
ロマンチックなワイキキの夜の歌。
14. Aoi Sanmyaku*
歌唱:ヒロシ・クマガイ
15. Hoshi Furu Nagisa
作:レイモンド服部
歌唱:タカシ・フジカワ
その名のとおり星の渚の。
16. Hawai Butai
歌唱:ハルオ・アオヤギ、タカシ・フジカワ
ハワイの日系二世部隊、第100歩兵部隊に捧ぐマーチ
17. Honoruru No Lei Uri Musume
歌唱:グレイス・アメミヤ、チヨコ・イダ
作:レイモンド服部
こちらもすてきなナンバー。レイ売り娘を歌ったもの。
18. Itoshi No Kadode
歌唱:チヨミ・フルカワ
作曲:フランシス・ザナミ
完全、HAWAII SHOCHIKU ORCHESTRA オリジナル。ヨーロッパ戦線へ向う兵士の気持ちを歌ったもの。
19. Kyo Ware Ren Ai Su
歌唱:テッド・シマブクロ
竹山逸郎さんでヒットとなったこの曲、作はテッド・シマブクロ(?)なのですか?解説が時折わかりづらく…
20. Gunjin Hanayome
歌唱:トオル・ミヤカワ、グレイス・アメミヤ
戦後、ハワイに嫁いだ戦争花嫁を歌ったもの。希望に満ちたアメリカの生活という。

(投稿:日本 2011年2月23日、ハワイ 2011年2月22日)


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本日、ちょうど、外出予定もあったので、青山のTAMBOURINE GALLERY(タンバリン・ギャラリー)での「ハワイ日系二世の記憶」写真展に行ってきました。この写真展は、主催の松元裕之さんという方が現在制作されているドキュメンタリー映画の一環ともいえるようなもので、約25人の日系二世の方の若い頃のお写真と現在の写真、そこに「NISEI」としての思い出やエピソードなどが添えてありました。
TAMBOURINE GALLERY:松元裕之『ハワイ日系二世の記憶』写真展

わたしも、すこし前に、こどものころからずっとお世話になっていた日系二世の知人を亡くし、この10年ほどで変わってきている、この世代の方の残してきたものをなんらかの形で残していかなくてはいけないなぁと、このところ、特に感じています。

つい、先日、入手した日系二世もの、まだこちらにまとめていなかったので、本日は、HAWAII SHOCHIKU ORCHESTR(ハワイ・ショーチク・オーケストラ/ ハワイ松竹オーケストラ)について書いてみることに。

HAWAII SHOCHIKU ORCHESTRAは、1940年代、ハワイの日系音楽シーンで大活躍したオーケストラ。以前にも書いたCLUB NISEI ORCHESTRA と人気を二分していたというたいへんにポピュラーな方たちだったそうです。

Hawaii Shochiku Orchestra:Paradise Honolulu
作曲:レイモンド服部



レコーディングは、正確な年号はわからないのですけれど、主に1947年から1950年にかけて多くが行われたようです。CLUB NISEI ORCHESTRAが、アメリカ的なものに日本文化をさせていたのに対し、このHAWAII SHOCHIKU ORCHESTRAはどちらかというと日本の曲をアメリカ的な手段でというような『安里屋ユンタ』など、琉球民謡を積極的に演奏したのも、特徴だったそうです。

中心メンバーは、フランシス・ザナミさんとマサジ・ウエハラさん、沖縄系日系二世。現在もホノルルのダイアモンドヘッド近くにある町、カイムキにある楽器屋さんHarry's Music Storeのオーナー、ハリー・吉岡さんもこのSHOCHIKUのトランペッターだったでのですね!(ハワイのスクールチルドレン、音楽やってる子たちにもおなじみの楽器屋さん。たて笛とかそんな感じのものもおいてます)

さきほど、レコーディングに関しては1940年代後半とあげていますが、フランシス・ザナミさんとマサジ・ウエハラさん二人がなんらかの形で音楽にたずさわっていたのは、1930年代から。
前身は、SMILE CAFE ORCHESTRA、もともとは、URUMA ONGAKUDANからスタート。

レイモンド服部氏との交流も深かったようで、先の『Paradise Honolulu パラダイス・ホノルル』のほか、『Honolulu Lei Selling Girl ホノルルのレイ売り娘』(なんか英題が直訳すぎて不思議な感じw)なども。
そのほか、レイモンド服部氏作曲以外にも、SHOCHIKUの特徴としては、ハワイ・オリジナルの日本語曲を数多く演奏していることも、あげられますね。
日系アメリカ大隊である第100大隊のマーチ『Hawaii Battalion ハワイ部隊』や『War Bride 軍人花嫁』など、時代を反映した曲を演奏していることも特徴です。

CLUB NISEI ORCHESTRAもそうですが、オーケストラ・シーンでの女性の活躍も興味ありです。SHOCHIKUには、CLUB GINZA GIRLSもかかせないようですし。



このあたりの音源、最近、すこしづつCD化されてきているようですね。レコードという形でも残っていないものがあったりするので、これは、音楽のみでなく、日系二世の軌跡を伝えるためにもよろこばしいことではないかなぁと思っています:)

アメリカのもの、ライナーノーツなど資料があまり十分でないことが多いのですけれど、このCDは珍しくくわしい情報が。せっかくなので、明日はもう少し、くわしい変遷と曲について、書いてみようと思います。

(投稿:日本 2011年2月22日、ハワイ 2011年2月21日)


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つづけて観賞は「若大将」シリーズは、「南太平洋の若大将」。大好きなシーン、曲などありながら、いまだ観ていなかった作品でした。いいですね!!もっと早く観ておくべきでした!
ハワイのみならず、タヒチまで、足をのばすストーリー展開。まさに海外旅行、南の島への憧れ、「世界の翼」パンナム協賛ならではの世界。

ストーリー:
青大将が所属するレスリング部のパーティーに出席した柔道部主将である若大将の「僕は練習航海でいったハワイでとても美しいお嬢さんに会いました。この歌はその人の印象をテーマにして作曲したものです」がキーとなるストーリー。くわしくはWikipeia:ストーリー
お互いに好きなのに、すれちがってしまう心の描写は若大将フォーマットのひとつの要素なのだと思いますが、この「南太平洋の若大将」はいつもよりさらにという感じですね。海外ロケはもちろん、日本武道館を使っての撮影も豪華です。

「南太平洋の若大将」、予告編というか、シーン動画があったのですけれど、なくなちゃったみたいですね。若大将と由美子の東芝楽器店内シーン、曲、ダンス、すべてが大好きだったのですけれど…。この映画、ほかもシーンのバックの曲がいいので、完全サントラ欲しいです。音楽監修は、広瀬健次郎さんではなく、加山雄三(弾厚作)さんご本人と、森岡賢一郎さん。森岡賢一郎さん、いいですね「宇宙からのメッセージ」なども手がけてらっしゃる。

若大将シリーズ第10弾。1967年7月公開。
監督:古沢憲吾、製作総指揮:清水雅、製作:藤本真澄、神谷一夫、脚本:田波靖男、音楽:弾厚作、森岡賢一郎

キャスト:
田沼雄一(若大将、京南大学柔道部、主将):加山雄三
仁科澄子(化粧品会社宣伝課勤務):星由里子
石山新次郎(青大将、京南大学、レスリング部員):田中邦衛
江口敏:江原達怡
田沼久太郎(「田能久」の当主):有島一郎
田沼りき(若大将祖母):飯田蝶子
田沼照子(若大将妹):中真千子
有田由美子(ホノルル日本料理店京屋の娘):前田美波里
有田日出造(ホノルル日本料理店京屋経営者):左卜全
有田ゆき子(ホノルル日本料理店京屋女将):坪内美詠子
高石教授:北龍二
松浦先輩:桐野洋雄
花谷:荒木保夫
堀田:草川直也
房子:浦山珠実
吉江:谷和子
大崎悦:松原光子
実況アナウンサー(広川アナウンサー):渡辺謙太郎(TBSアナウンサー)
キティ:リンダ・ポプスティ
デイニイ:ダイアン・ワーラー

今回も気になりやロケ地(推測含む)などについてメモしてみました。

気づき、ロケ地、その他のメモ:
-かなり多くのロケ地におよぶため、まずは簡単に。浅草寺前、赤坂プリンスホテル旧館、赤坂プリンスホテル・プール、日大二高、首都高速1号羽田線、羽田空港、二重橋前、銀座4丁目交差点、靖国神社、国立競技場、数寄屋橋東芝銀座ビル(楽器店)、東京タワー、江ノ島マリンランド、ホノルル空港、ヒルトン・ハワイアン・ビレッジ、ワイキキ沖、カウアイサーフ、ハナペペ渓谷、モロカイ島ヒプアプ滝、タヒチ空港、パペーテ、ライアテア島、首都高速4号新宿線、パンナム東京支店(三菱商事別館)、日比谷公園、日本武道館(こちらはWikipedia:南太平洋の若大将:ロケ地からの情報)

とざっとあげましたが、細かい部分、いろいろ気になり、推測ありです。

-古屋の営む日本料理店「京屋」は実際にあった「京や」。観光客にもなじみ、地元ロコは接待やファミリー行事に利用という少しごちそう系な日本料理レストランでした。2007年3月に閉店。
07年03月に閉店した ワイキキ 和食 レストラン 京や
-古屋の住む家はマキキ・ハイツからマウナラニ・ハイツあたりのどこか高台。一昔前の典型的な日系人の邸宅らしいインテリア

というあたりは『ハワイの若大将」同様なのですが。まず、映画の進行と順番をあわせの気づきメモ。

-有田ファミリー、ハワイより来日でのシーンより。銀座森永製菓の広告塔(映画とはずれますが、音楽の教科書「キラキラ星」の挿絵にあったという記憶が鮮明なため同様な記憶求む!東京タワーも描かれてました)
-有田ファミリー、ハワイより来日でのシーンより。東京タワーでの展開が予測できすぎで「若大将シリーズ」らしくほほえましい
-京屋女将、有田ゆき子「日本人であんまり英語が上手なのもキザよね」と。「田能久」の当主、田沼久太郎、「キングス・イングリッシュ」を「キングコング・イングリッシュ」と。
-同時上映「その人は昔」
-江ノ島マリンランド。さくらカラーのチンパンジー。水産大学に通う若大将、夢がイルカやクジラを放し飼いにする「海の牧場」。すてきな夢
-京屋と田能久のコラボ

ハワイのシーン、道から見える光景、変化しているようでありながら、いまだ健在なものも。

-ニミッツ・ハイウエイ沿いの自動車屋。ポリネシアン・ハレな様式。現存
-アラモアナ・ブルバード沿い。オシポフ設計、IBMビルディング(ドライブシーンでちらりと)。近いうちに、なくなってしまうかも

From Hawaii Winter 2009-2010

-タンタラスの丘
-カウアイ島(当時、日本ではカワイ島という呼び方が浸透)のロケ:カウアイ島のビーチという設定のシーン、一部はオアフ島カイルア・ビーチな様子。でも、椰子林はカイルアもしくはカウアイ島カウアイ・サーフあたり
-ヘリコプターからの光景は、ハワイ全島のシーニックな場所を撮ったBロール(資料映像)だと思われ、いろいろな島の光景が(上記ロケ地参照)
-スミちゃんと青大将のシーン「コカ・コーラ」と注文(「アルプスの若大将」ではまだCM出演していなかったのでペプシの自販がバックにあったものの、この時期はスポンサーを考えて、固有名詞で)

タヒチ:
-若大将、柔道整体の知識と経験を活かす。こどもの脱臼治療
-ライアテア島、行きたし!です
-前田美波里とのダイビングシーンのインスト曲がすごくすてき!「若大将シリーズ / 京南大学編その3 (CD-EXTRA)」には収録されてるようす
-前田美波里ソロの「忘れないで」(オリジナル、中尾ミエ。作詞:安井かずみ、作曲:宮川泰)。若大将シリーズで、加山雄三以外の「ソロ」ははじめて。踊りも最高です

挿入歌:
きわめて素晴らしいです!!完全サントラが欲しいところ。歌ものも良曲ばかり。動画にはあまりアップがないのが残念。

加山雄三:タヒチの夕陽 「南太平洋の若大将」主題曲 
作曲:弾厚作、編曲:森岡賢一郎
夢に広がるインストゥルメンタル曲。南の島的要素と冒険活劇要素
かなり耳に馴れたメロディーと思ったら「クイズ・ドレミファドン」のチャレンジクイズのBGMでもあったのですね。そういえば!です



加山雄三:君のために 
作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作、編曲:森岡賢一郎
B面『信じてくれよ』は日比谷公園シーン。切ない心のすれちがい。ないのが残念です。もちろん『君のために』ももすてきな挿入曲、江の島マリンランドでのシーンとエンディング



加山雄三:島の朝 
作詞・作曲:弾厚作
ライアテア島の朝。この曲、大好き。



このストーリーのキーともなる「あの娘に」 がないのはとても残念です。
「アロハ・ワヒネ」も希望でした。
そして、前田美波里さんの「忘れさせて」、また聴きたいです。オリジナルは中尾ミエさんヴァージョン。「忘れさせて」は、若大将シリーズではめずらしく、岩谷時子さんでも、弾厚作さん(加山雄三さん)でもない、安井かずみさん曲。
でも、動画では、前田美波里さん、中尾ミエさんのもありませんでした。残念

(投稿:日本 2011年2月20日、ハワイ 2011年2月19日)

すごくすてきだなぁと思っていた挿入歌、『A Samba』、アルバム『太陽の恋』に収録されているのですね!

加山雄三:A Samba




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映画って観だすと、なんだか、続けて観てしまいます。中でも、ハマリだすとハマッてしまうものあるのですよね。先週の「アルプスの若大将」、「エレキの若大将」に続き今週もみてしまいました、「若大将シリーズ」。

まずは、「ハワイの若大将」。
若大将シリーズの第4弾、1963年8月11日公開。監督:福田純、製作総指揮:清水雅、製作補:森岩雄、企画:藤本真澄、脚本:笠原良三、田波靖男、音楽:広瀬健次郎、撮影:内海正治、西垣六郎、美術:竹中和雄、スチール:秦大三、岩井隆志、プロデューサー:角田健一郎

ハワイ、海、ヨットということで、当時の日本人、憧れの一作ではなかったのではないかと思います。以前にふれたことがありますが、日本から海外への自由渡航が始まったのは、昭和1964年(昭和39年)、この映画の公開は、まさに観光目的での海外旅行自由化前夜の作品なのですよね(参考:1963年、昭和38年4月1日以降は現金とトラベラーズチェックによる年間総額外貨500ドル以内の職業や会社などの都合による渡航が一般化されたが、これも旅行代理店を介して逐一認可。観光旅行として自由に外国へ旅行できるようになったのは翌1964年、昭和39年4月1日以降)。
サントリー トリスでハワイ 「トリスを飲んでハワイへ行こう」 (1961年):海外旅行自由化について以前書いたもの

ストーリー:
家業、田能久での牛肉と馬肉のすり替え事件と青大将カンニングによる停学処分が原因で、ハワイに行くことになった若大将、というスタート。あらすじはこちらのブログにくわしく。
昭和の郷愁 yuri_anne003のぶろぐ:ハワイの若大将

まさに典型的な若大将パターンのフォーマットですね。
アラッポ・カーロの備忘録:ハワイの若大将

「唄って、踊って、ゴキゲンで、ブルーハワイで青春爆発。Young Guy In Hawaii
風薫るワイキキの浜辺にささやく甘い恋。若さでハッスル、友情でハッスル、恋してハッスル。
青春のすべてを賭けてしぶきを蹴ちらせ!パンチのきいたハワイの若大将」

ハワイの若大将:当時の予告編



キャスト:
田沼雄一(京南大学、ヨット部員):加山雄三
中里澄子(化粧品会社宣伝課勤務):星由里子
石山新次郎(青大将):田中邦衛
江口敏:二瓶正也
平岩:中丸忠雄
赤塚:堺左千夫
田沼久太郎(「田能久」の当主):有島一郎
田沼りき(若大将祖母):飯田蝶子
田沼照子(若大将妹):中真千子
常吉:藤木悠
古屋老人(日本料理京屋経営):左卜全
英子:柳川慶子
上田(ホノルルで化粧品店経営):上原謙
ジェーン上田(上田の娘):ハヌナ節子
戸井田教授:平田昭彦

今回も気になりやロケ地(推測含む)などについてメモしてみました。
気づき、ロケ地、その他のメモ:
-併映は、怪奇特撮映画『マタンゴ』。ヨットつながりか
-海外旅行自由化前年作品とあり、ハワイを感じさせるシーニック・スポットのシーンも多く、撮影協力は、パン・アメリカン航空。
-祖母、田沼りきはオリンピックにそなえ、英会話にはげむ
-若大将、デパートでの配送員。デパートは小田急デパート
-ホノルル空港でみえるタクシーの案内サインは「Charley's Taxi」のもの。
-パスポート、現金などをなくし、訪れる日本領事館は、ヌウアヌ実在の日本領事館(日系人はヌアヌと発音することが多い)
-「ホノルルの人口は30万」という台詞あり。現在は約90万
-古屋の営む日本料理店「京屋」は実際にあった「京や」。観光客にもなじみ、地元ロコは接待やファミリー行事に利用という少しごちそう系な日本料理レストランでした。2007年3月に閉店。
07年03月に閉店した ワイキキ 和食 レストラン 京や
195年代、1960年代は、米本土からの観光客はハワイで日本を感じるという傾向もあったので、そういった形でスタートしたのではないでしょうか。わたしも、1974年に初めて家族と訪れたハワイ旅行では、滞在中何度か。
-ホテル協力は、ヒルトン・ハワイアン・ヴィレッジ
-古屋の住む家はマキキ・ハイツからマウナラニ・ハイツあたりのどこか高台。かなり日本趣味ですが、強調でなく、ちょっと前の典型的な日系人の邸宅らしいインテリア
-ドライブコース:ワイキキ→ハナウマ過ぎたモロカイ・ルックアウト、ラナイ・ルックアウトあたり→パリ・ハイウェイ下り(タウンからカイルア方面)。コース的には島の反対側に向う2つのことなるルートの代表的なドライブコース(流れとしては逆になるというという感じです)
-「江口」という役は、江原達怡さんのことが多いのですが、こちらでは二瓶正也さんが江口役

それにしても、左卜全さんの日系人役は多少オーヴァーな面もありますが、まさにあんな感じです。よくとらえられてますね。
あらためて感心してしまうのが上原謙さんの在外日本人らしい日本語です。ここは英語になるよね!という部分がみごとに英語。これは、かなりとらえてますね。日本語が堪能な日系人のそれとも似ています。わたしも、ときどきこんな話し方であったりします。ジェーン上田役のハヌナ節子さん、いいですね。最近の世代にはこのように話す若者はいませんが、いまの60アップあたりの日本語を話す日系人の典型的な感じです。ハヌナ節子さんは、日系人役として、「社長外遊記」、「続社長外遊記」にも出演されてるのですね。

挿入歌:
こちらも、またはずれのない良曲ばかりですね。お決まりのパーティーシーンのミュージックもゴキゲン!いいですね。
この「ハワイの若大将」、映画はもちろん曲もすばらしいのですが、ちょっとしたBGMもいいのですよね。「若大将シリーズ / 京南大学編その2」にはそのあたりも収録されているのでしょうか。

加山雄三:恋は赤いバラ~「DEDICATED」:
作詞:岩谷時子 作曲:弾 厚作 編曲:森岡賢一郎
ストーリーをもりたててくれるすてきな曲ですね。



日本語ヴァージョン:



加山雄三、星由里子、田中邦衛、清水由記:ラブリー・フラ・ガール
作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作
岩谷時子&弾厚作コンビによる実質的第1作なのですね!この曲のシーン、大好きです。ハワイ語の使い方もいいですね。
陽に焼けた腕組ながら口ずさむナ・レオ・ハワイ(=ハワイの声)
"Mai poina 'oe ia'u"は、「Don't forget me」、「わたしを忘れないで」



加山雄三:ハワイの若大将:主題歌
作詞:岩谷時子、作曲:広瀬健次郎、唄:加山雄三



加山雄三:HONKY TONK PARTY
作詞・作曲:弾厚作、唄:加山雄三
京南大ヨット部主催のダンスパーティ曲

加山雄三:SWEETEST OF ALL
ポリネシアン・ショーでの曲

(投稿:日本 2011年2月19日、ハワイ 2011年2月18日)


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アストラッド・ジルベルトの『And Roses And Roses』、とっても、とっても大好きな曲。そして、2月になると再生率がとっても高くなる曲でもあります。
2月は、寒さがつらい時期でもありますが、この曲を聴いてやってるくる春を思うと心弾みます。
そして、以前にも書いたのですが、2月は、春につづき「ROSE」のイメージあり。そんなROSEをテーマにした曲の中でも、一番好きな曲なのです。
(『君は薔薇より美しい』とはまた別に。こちらも一番なのですけれどw)



バレンタインがあったり、お誕生日だったり、なんとなく楽しいイベントも多く(実際はふつうな1日なのですが雰囲気が好きなのでしょうね)、この曲を聴くとプレゼントをもらっているようで。ロマンティックでありながら、どこか調子はずれな感じもあるストーリーがまさにボッサな感じ。この少し調子はずれというのが、大好きな理由のひとつかもしれません。

聴いてると自分も幸せな気分になりいつもニコニコ。ハッピーにさせてくれる曲なのですが、ずっとずっと長い間、歌詞でどうしてもきき取りづらい箇所が一箇所あったのです。
iPhoneで聴いている曲をTweetしたりするのに使っているTuneWikiというサービスでは、歌詞をみることができたりするのですけれど、どうもこの歌詞がいつも聴いてるヴァージョンとちがい。

TuneWiki:And Roses And Roses Lyrics - Astrud Gilberto

それでも、自主投稿だったりすので、間違ってるのかなぁぐらいにしか思ってなかったのですが、やっと、やっと気づきました。

どうしても、その箇所が知りたくてウェブ検索したところ、上位に出てくるものにはアンディ・ウィリアムス(Andy Williams)の…と。
えっ、もしかして、これっていろんな人が歌っているの?と(聴きはじめてから、いったいどれだけの年月がたっているのやら)。

多分、歌詞検索に多くでる、男性シンガーたちのヴァージョンの歌詞のほうがオリジナルなのですよね。
アンディ・ウィリアムスのほか、マット・モンロー(Matt Monro)も歌ってました。

Matt Monro - And Roses And Roses



歌詞、よく探してみたところ、アストラッド・ジルベルトのヴァージョンもあり、その1ラインの歌詞も判明。
「Shall I fall or shall I let it be?」だったのですね!
「shall I let it be?」というのはきき取れていたのですけれど、彼女独特の発音でどうもその前がクリアじゃなかったのです(また、そこがアストラッド・ジルベルトの好きなところでもあるのですけれど)。「シャラララ~、shall I let it be?」と歌ってるのかななどとも思ったりもしていた時期もあるのですが、どうも「or」が聞こえるので。流れとしては、とても納得なので、なんで気づかなかったのかなと。

せっかくなので、その不明だった点も含め、男性シンガー・ヴァージョンとのちがいをみてみました。
A)=アストラッド・ジルベルト編
M)=男性シンガー編

A)
Everday he sent a little present
Just to let me know how very much he cared
Wrote a little love note with each present
But to fall in love had me a little scared

M)
Every day I sent another present
Just to let her know how very much I care
I wrote a little love note with each present
But it didn't seem to get me anywhere

A)
My poor weary heart was so uncertain
Shall I fall or shall I let it be?
Then he sent a dozen yellow roses and
That somehow just turned the trick for me

M)
My poor worried heart was almost certain
That this love affair would never be
Then I sent a dozen yellow roses and
From that moment she belonged to me

どちらの節も大体は同じなのですが、最後の1ラインが異なり、ここがまた、単純な入れ替えでないところがよいなぁと思い、どちらのヴァージョンも好きになりました。

この後の部分はほぼ同じで、「I」と「he」、「her」と「me」というちがい。

ずっと長く聴いている曲でも、知らないことってたくさんですね。むしろ、そういう曲の方が細かいことを知らなかったりするのかも知れません。

作詞は、レイ・ギルバート(Ray Gilbert)、そして、作曲はドリヴァル・カイミ(Dorival Caymm)でした。
レイ・ギルバートは、「Zip-a-Dee-Doo-Dah」の他、たくさんの名曲を残してます。
ドリヴァルは、ジョアン・ジルベルトも崇拝する作曲家。バイーヤの象徴。ジョアン・ジルベルトでおなじみだった「Rosa Morena」、「Doralice」、「Samba de Minha Terra」、「Saudade da Bahia」なども、トリヴァルのものなのですね。

この辺、持っているのが輸入盤だったりすることもあり、意外と情報、もれています、の自分でした。

昨日は、お誕生日にいただいた曲をまとめてみましたが、メッセージもまとめたかったので、本日実行。まずは、トゥギャッターでまとめてみました(途中からは自分からのリプライははじいてしまいましたが、ところどころ入れてみながら)
2.15.2011

(投稿:日本 2011年2月16日、ハワイ 2011年2月15日)


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昨日の夜、降っていた雪はやみ、大雪というまでにはなりませんでしたね。きょう、2月15日は誕生日。昨夜の雪でこどものから誕生日というとずっと聞かされてきた話を思い出しです。わたしの生まれた日は、東京は17年ぶりの大雪、なんだかとても大変だったそうです。

もしかして、何かその日の天気について書いてあるものはないかなぁと調べたところありました。しかも、写真入り。あらためて、こんな感じだったのかぁと見入ってしまいます。

東京の雪:東京地方に暴風雪警報:
「国鉄(現JR)や私鉄は各地で不通となり、乗客を乗せた列車の立ち往生が続出したほか、航空機のダイヤの混乱、主要道路の交通マヒ、停電、電話の不通などが相次ぎました。この大雪による積雪量は東京で23cmに達し、一日の積雪量としては昭和26年2月14日~15日の積雪33cm以来の大雪となりました」

さきにリンクしたサイトには、雪化粧をした丸の内街、カンテラをもって線路の点検をする国鉄係員、飛行機もみえぬ羽田空港、東急玉川線三軒茶屋付近線路まわりを雪かき(ページ下の方)など、交通関係のもののほか、かまくらをつくって遊ぶこどもたち、国会議事堂の前でスキー(ページ下の方)というほのぼのとしたものも:D 時代を感じます。

誕生日というと、わが家では、この大雪とお腹の中であばれすぎたためへその緒がからまり、帝王切開をするしかなかった、まったく生まれるときからほんとに手がかかって、という話がつきもので。

こどもの頃聞かされた話や天気のことなど考えていたら、ほかにどんなことがあったのか気になってきました。いまは、自分の生まれた日の新聞をみることができたり、プリントできたりするサービスもありますね。でも、手元にもないので、自分の関心事、音楽のことで何か知ることはできるかなと考えて。
「15日」というのはキリのよい日、そうだ、この日に発売されたレコードってあるはず、と思って検索。きちんとした資料をたぐればもっとみつかると思うのですが、いくつかの情報をさがすことができました。

スウィング・ウエストの『ストップ・ザ・ミュージック』、テリーズの『二人だけの恋』などが発売。
スウィング・ウエスト
堀威夫さん(ホリプロ創業者)をリーダーとし、佐川ミツオさん(満男)、守屋浩さん、湯原昌幸さん、田邊昭知さん(のち田辺エージェンシー代表取締役社長)、梁瀬トオルさんなどがいらした実力派グループ。結成は古く、1957年。当初はロカビリー、1960年代中期にエレキバンド、さらにグループ・サウンズのスタイルとなり1966年にレコードデビュー。

ストップ・ザ・ミュージック(1968年2月15日発売)
作曲・作詞:WESTLAKE CLIVE&SUBOTSKY MILTON、編曲:植田嘉靖、訳詞:こうじはるか
スウェーデンのバンド Lenne & The Lee Kings のカバー。ソロは湯原昌幸さん。
埋め込みできませんでしたのでリンク
Stop The Music:THE SWING WEST~ANGELS~THE TEMPTERS(動画・曲)
スウィング・ウエストからアイドルグループ、エンジェルズ、テンプターズのヴァージョンが続きます。
B面は、オランダのWilly & His Giantsのカヴァー『心のときめき』作詞・作曲:Trad、訳詞:こうじはるか

テリーズ
こちらも実力派なGSバンド。バンド名は寺内タケシさんのニックネームより。作編曲は、寺内タケシさんやバニーズの面々が担当していたという弟分バンドだったのですね。残念ながら動画みつからず。
二人だけの恋(1968年2月15日発売)
作詞:ささきひろと、作曲:荻野達也、編曲:寺内タケシ
B面は『恋する星空』作詞:竹内伸光 作曲・編曲:寺内タケシ

オリコン情報もみつかりました!

1968年(昭和43年)2月15日付け:オリコン・ランキング
1位 帰って来たヨッパライ ザ・フォーク・クルセダーズ
作詞者松山猛、作曲:加藤和彦
ここで加藤和彦さんと接点があるのはうれしいです。1967年12月25日。
ちょうどこちらもあらためてと思っていたところです。



映画予告編:
監督:大島渚、脚本:田村孟佐々木守、足立正生、大島渚。出演者:佐藤慶(青年)、渡辺文雄(毒虫)、緑魔子(ネエちゃん)、殿山泰司(煙草屋の老婆)、小松方正(漁師)、戸浦六宏(警官)など。フォーク・クルセダーズのメンバー、北山修、加藤和彦、端田宣彦も出演。


2位 乙女の祈り 黛ジュン(なぜかカラオケものしかありませんでした)

3位 虹色の湖 中村晃子
作詞:横井弘、作曲:小川寛興 
幸せが~住むという虹色の湖~。いいですね虹色の湖、行ってみたいです。
映像は同年の映画「進め!ジャガーズ敵前上陸」より
バレンタイン・デーに関するやりとりあり。これは、バレンタイン定着説のひとつにも。
日本のバレンタインデーの起源



3位 君だけに愛を ザ・タイガース
作詞:橋本淳、作曲:すぎやまこういち、編曲:すぎやまこういち
しびれます。この頃ってダンスのシーンはマストですね。
TBS系「歌のグランプリ」(1968年)より


5位 ケメ子の唄 ザ・ダーツ
作詞・作曲:馬場祥弘、編曲:浜口庫之助
オリコンの最高は2位だったようですが、関連楽曲も多い、社会的流行歌ですね。
映画「思い出の指輪」(1968年)より


6位 ラブユー東京 黒沢明とロス・プリモス
作詞:上原尚、作曲:中川博之
こちらの歌詞にも、虹、でてきますね。やはり「虹」はこの時代のキーワード。森聖二さんは、昨年、他界なさってしまいました。


7位 マサチューセッツ ビー・ジーズ
洋楽からのオリコン10位内入り。ビー・ジーズ、日本での支持はこの頃から高かったのですね。


8位 こころの虹 ジャッキー吉川とブルーコメッツ
作詞:橋本淳、作曲:井上忠夫
こちらも虹。でも、なんとなく切ないものが多いですね。


9位 むらさきの夜明け 美空ひばり
作詞:吉岡治 作曲:原信夫
こちら大好き曲!そういえば、この頃は「夜明け」なども多かったのかもしれませんね。


10位 命かれても 森進一
作詞:鳥井実 作曲:彩木雅夫
森進一さん、わたしの遊具を入れるチェスとにはレコード屋さんでもらった大きな似顔絵シール貼っていたのですよね。


なんだか、2月15日付け:オリコン・ランキングもの、聴いてはもちろん、映像も好みなものがたくさんです。ダンス入りも多く。映画も観てみたい作品ばかり。
誕生日から、ほかにもいろんなことを知ることができそう。

[2011年2月15日]
きょうに日付がかわるとほぼ同時にTwitterでとってもサプライズなお誕生日ソングをいただきました。
覚えていていただいて、ほんとにびっくり!とってもうれしかったです。
今年は、明確には表のTweetでは誕生日のこと書かなかったのですが、リプライのやりとりなどで察していただき、たくさんの方からバースデー・プレゼントのミュージックをいたきました。
心からありがとうございました。とってもうれしいプレゼント:D
すてきな1年をすごせそうな楽しい気分の1日になりました。

メッセージもあとでまとめたいとおもっているのですけれど。ちょっと方法研究します。
本日、いただいた曲のプレイリストを作ってみました。

Birthday Song(ケロロ軍曹)鈴木さえこ/ The Innocence Mission Happy Birthday/Happy Birthday to You!!! Chipmunks/ Happy Birthday Song Japanese version The Gun and Doll Show(Girls)/ Happy Birthday Altered Images/ Birthday Song CAROLE KING/ 赤いレイ 大橋節夫とハニー・アイランダース/ Happy Birthday The Beatles/ Happy Birthday Stevie Wonder



お誕生日ディナー?は自宅にて。外注。ピッツァ、サルヴァトーレの気になっていた生ハムピッツァ

ç��ã��ã� ã�¨ã��ã�«ã�¡ã�¸ã�£ã�¼ã��ã��ã�«ã��ã�³ã�©ã��ã��ã��ã��ã... on Twitpic

シャンペインはカービィ・ガムのソーダとりんご、ミックスで:D
���������� on Twitpic

この1年の心がまえなども、したためていこうかなぁと思いつつ、近いうちに。

(投稿:日本 2011年2月15日、ハワイ 2011年2月14日)


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本日は、バレンタイン・デーですね。Happy Valentine's Day♥ ということで、チョコレートもの。
以前にみつけて気になっていたCM、歌、CM出演者、グラフィックなどすべて好みなので、こちらにまとめてみることにしました。



不二家ルックチョコレート(1970年)

ドラマチックなオープニングと「ルック!!」という歌いだし、布施明さんのすばらしい歌声、いかしたサウンド、すてきなコーラス、サイケな映像、すべてにグッときます。
コピー:中司和彦(元博報堂クリエーター。このCM時は多分在籍ですね)
音楽:すぎやまこういち
歌:布施明
イラストレーション:田名網敬一(あらためていいですね)
モデル:ティナ・ラッツ(ティナさんすてきですよね。資生堂の「サクセスサクセス」も)
プロデューサー:かわせたけし
情報はこちらから
渦マキ忍法帖:続・不二家LOOKチョコ

布施明さんは不二家「メロディ」の歌も歌ってたようです。

布施明:メロディの歌(不二家チョコレートソング ソノシート)
こちらすごくいい詞、曲ですよね。作詞、作曲はどなたなのでしょうか。
夢、涙、花、喜び、虹、空、星、
愛をわけあい、歌をわけあい、いつもメロディ~、みんなでわけよう♪
不二家のチョコレート!



不二家ルックチョコレートにもどります。
田名網敬一さんではこれ以前にウォーカー・ブラザーズのものがあり、外タレ出演ものでは、かなり先駆けだったのですね。

田名網敬一さんシリーズでは初期、ウォーカー・ブラザーズ
Scott Walker Sez: Look Chocolate (Eat A Chocolate)(1968年)



昭和30年代生まれに贈るオンラインマガジン:ビューティフルネーム:ルックチョコレート/1962の情報によよると、不二家ルック・チョコレートがアラモードになったのは、このウォーカーブラザーズのCMが流れ始めた1968年頃からで、それを機に粒タイプになったそうです。
オリジナル発売、1962年からアラモード発売、1968年までのネーミングに関する「ルック」という言葉の時代感もかなり同意です。レナウン・ルック、JTBルックなど。
(ルック・アラモード発売でやっと生まれたばかりなのでリアルタイムではないですが、そのあたりはのちのち感じてました。アラモードに関しても、プリン・アラモードとかこの頃でしょうね)

こちらには、ウォーカー・ブラザース効果で不二家のチョコレートをせっせと買ったという方のエピソードも
スコット・ウォーカー Scott 音楽のみなもと:Happy Valentine Day
このエピソードには身に覚えあり。小学生の頃の思い出。
そういえば、マッキントッシュのキットカット、販売は不二家でした。

Bay City Rollers:I dig Kit Kat(1977年)



CM映像はこちら
Kit Kat...BAY CITY ROLLERS(CM動画)

[バレンタイン]
きょうは家の近くのチョコレートも評判なパティスリー ラ・ヴィ・ドゥースでオランジェットというチョコレートを買いました。案の定、こどもにはおとなっぽすぎで、「ニガッ」と。でも、ちゃんと食べられそうな焼き菓子系ケーキも買っておきました。

(投稿:日本 2011年2月14日、ハワイ 2011年2月13日)


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ちょっと前にテスコのギターについて気になりさっとなまとめ、そして先日は「エレキの若大将」を観たり。エレキ・サウンドはもともと好きだったりするのですが、日本のエレキ、楽器もサウンドも、あらためて自分の中での気になりごとであったりします。

そんな中、グヤトーン(Guyatone)も気になってます。
オフィシャルサイトでは当時のカタログのギャラリーがあるのですね。見入ってしまいます。
Guyatone Catalog Gallery
http://www.guyatone.jp/sub_menu/catalog.htm

初期にはだれが使っていたのかなと調べたりしてみました。
成毛滋さん、そうでした。絶対いままでにも、そんな感じの話、目にしたり、耳にしたりしていたのに、いままでそこまで把握しきれていなかったのでしょうね。

成毛さんのギター信念は、「高くていいのは当たり前、安くていいのが素晴らしい」。ご自分でもかなり早い時期から日本人にあるものなどを基本とし、改造したりして、使ってらしたのですよね。
「高い物より安い物」、「有名ブランドより無名ブランド」、「本物より○○もどき」
安価で性能は高く。手のサイズが小さい日本人には、ナローネック、スリムネック、ミディアムスケールを採用すべきなどと、ギターを弾きこなした方ならではの。

もっとも、このポリシーは高校生のときから。
高校2年生の時、国内の当時まだ無名ブランドであったグヤトーンのモデルを手に入れ、自分にあわせて改造。雰囲気は、フェンダー・ストラトキャスターに似せて、そのギターを「ウソラトキャスター」と。
ネーミングセンスもバツグンなのですよね。
ほかにも、「イッケンバッカー(リッケンバッカー風)」や「ニテレキャスター(フェンダーのテレキャスター風」など改造ギターに命名。

そして、1966年5月、ザ・フィンガーズはフジTVの「勝ち抜きエレキ合戦」に出場。4週勝ち抜いてグランド・チャンピオンになり、6月の「歴代グランド・チャンピオン大会」でも優勝。
(こちらの話など…ザ・フィンガーズに関しては、とてもくわしく書いてらっしゃる方がいらして、何か知りたいなというときにはこちらのサイトを拝見しています)

THE FINGERS BIOGRAPHY  
ザ・フィンガース時代含め当時の高校生音楽シーン、バンド話なども。

ザ・フィンガースは「勝ち抜きエレキ合戦」にはT.I.C.を代表として出場したのですね。ザ・フィンガーズの優勝は、T.I.Cをも有名にしたそうですね。
T.I.C.とは、ザ・フィンガーズが所属し、三笠宮や都倉俊一さん、小松久さんもいたオーガニゼーション
(T.I.C.についてももう少し調べたりしたいです)

先日、その当時のテレビ出演映像をみつけたのですがなくなっちゃったみたいですね。みつけて、見ることができただけでも幸せだとは思っておりますが、もう一度みたいです。

ザ・フィンガーズに関しては「ザ・フィンガーズ 失われた世界」として、以前も書いているのですが、動画状況に変化があったようなので再び。

メンバー変遷:
1期:成毛滋、高橋信之、斉藤茂一、朝吹誠、三野村清雄
2期:成毛滋、高橋信之、斉藤茂一、朝吹誠、
3期:成毛滋、高橋信之、関口恵一、高須研一郎
4期:成毛滋、高橋信之、関口恵一、高須研一郎、蓮見不二男(クリストファー・リン)
5期:成毛滋、高橋信之、シー・ユー・チェン、松本宏三、クロード芹沢

2期、3期のころには、その後メンバーになるザ・ヴィンディケイターズの関口恵一さん、ザ・コミックス、ザ・プラネット、ザ・ルーレッのメンバーも助っ人として参加。ブッダズ・ナルスィッスィのドラムの高橋幸宏さんも、信之さんの弟ということでヘルプ参加。

その後…

ザ・フィンガーズ:ツィゴイネルワイゼン(1968年)



エレキ合戦での優勝でプロデビューとなったようなザ・フィンガーズなのに成毛さんは事務所にギターを弾く事を禁じられてしまったのですね。もっとGSっぽく、そして、国際的なメンバーの雰囲気からもっとちがうサウンドとルックスもという感じで、オルガンを弾くようにと。

そのコンセプトもいまひとつ。

1969年1月には、日劇ウェスタンカーニバルに「その他大勢」で出演だったそうです。1969年6月、解散が決定
解散が決まっても既に入っていた仕事。
残務整理をする事にり、もう解散するんだからということで、成毛滋さんはギターを弾けるようになり、「ジャズ喫茶の第三ステージは「ヴァニラ・クリーム」と称してギターを持ち、シー・ユー、松本と3人、高橋とクロードはタンバリンとマラカス­専従。成毛さんは、右手でオルガン、左手でギターを弾いて演奏した」とあります(すごすぎます!)

これがそのころですね。かっこいいです!!

VANILLA CREAM(THE FINGERS):CONFUSION(1969年)
                       


「皮肉なもので、急に客が増え始め~シー・ユーには「追っかけ」が。GSの人気投票は圏外の200位以下から17位まで上がり、ジャズ喫茶で共演したバンドの反応は“アレッ、成毛君ギターも弾けるの‥?”と言った」 だったそうです。
ユーミンのザ・フィンガーズ、シー・ユー熱はこの頃ですね。でも、ユーミンはほかのファンの娘より断然近かった。

というのが、グヤトーンも成毛滋さん、近日の気になりごとでした。また別の形で書くと思いますが。
グレコも書かないと。

「成毛君ギターも弾けるの‥?」って。

成毛滋のGreco ロック・ギター・メソッド! :



[ザ・フィンガーズとの出会い]
ザ・フィンガーズに関心をもったのは、ユーミンからで、昨年のNHKBS2「MASTER TAPE~荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る~」視聴後に。でも、思えば、きっともっともっと前に一度、関心を高橋幸宏さんから高橋信之さん(お兄様)にも興味をもち、そのときにも絶対少し気になってたはずなのですけれど、当時は中学生でしたし、いまのようにネットもなくでした。
それを考えるといまってすごい時代ですね。

ザ・フィンガーズは、メジャーでデビューしてからは思うようなレコード販売成績は残せずメンバーの意向とも異なったりですが、いろいろな方の活動、ムーブメントではかなりその礎のような存在でもあるバンドですよね。
ユーミンもユキヒロさんも、そのほか大勢の方に関わっていて、書ききれませんが。
メンバー蓮見不二男さんの作詞活動も。そしたらつのだ☆ひろさんの「メリージェーン」だって。

楽曲、まとめて聴きたいと思ってさがしてみたところ、『サウンド・オブ・ザ・フィンガーズ(紙ジャケット仕様)』はCDで購入できるのですね。
ただし、メンバーとしては、当時はこの感じの音には満足していたのかはいろいろと。
ほかのものも聴きたいなあと思ってます。

大好きな曲『失われた世界』はこのCDにも入ってません。いまは動画がないようで、残念。
この曲、ほんとに大好きなのですけれどね…(この曲もメンバー的にはいろいろあったのかな)

(投稿:日本 2011年2月13日、ハワイ 2011年2月12日)

そうそう、近田春夫さんのはじめてラジオ局来訪も成毛滋さんとでしたね。「東京人3月号」にも。
アラッポ・カーロの備忘録:東京人 2011年 03月号 「青春のラジオ深夜放送」

(投稿:日本 2011年2月14日、ハワイ 2011年2月13日)


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きょう、TwitterのTL上ですてきな写真がめぐってきました。
Tumblrでリブログしようかと思うぐらい気になってしまったのですが、なぜかできなくて、ちょうど気になっていた曲もあるので、こちらに。

ジェーン・バーキン(Jane Birkin)とセルジュ・ゲンスブール(Serge Gainsbourg)来日での街歩き写真。
suicideblondeという方のTumblrで相当なリブログ数。
何をしても絵になる二人の銀ブラ。場所は、銀座松坂屋あたりですよね:)
suicideblondさんのTumblirページ:リブログ数のすごさも、このステキさでは納得です。

http://suicideblonde.tumblr.com/post/2168555039/jane-birkin-and-serge-gainsbourg-janes-outfit-is

via @kikue33333333 (KIKUEさんのRTでした)



ジェーン・バーキンのファッションもかわいく、ステキ。
これ、何年ぐらいのものでしょう。ジェーンまだ20代はじめ、セルジュ40代はじめぐらい(なんか若い。ほぼ結婚したときぐらいかな)?

この来日写真には、ジェーン・バーキンの気になり日本製品ソング『KAWASAKI』を。

Jane Birkin:Kawasaki(1973年)



『KAWASAKI』はジェーン・バーキンのファースト・アルバム『Di Doo Dah』に入っている曲。
このアルバムは、かなり昔に借りたので、現在所有してません。所有のベストにも『KAWASAKI』は入ってないのですよね。
歌詞の内容、要約されたものは目にするのですが、細かくはどんな意味なのだろうと、いまだに気になってます。
Google翻訳も前に試してみたのですけれどいまひとつ歌詞の訳となると。

KAWASAKIのバイクで彼と走る週末、というような内容なのですよね(?)

それにしても韻のふみ方がすてきな曲ですね。その韻「que」が彼女の歌唱をさらに魅力的に。

Sur ma mécanique orange l'aiquille indique 200 l'allure est fantastique
Je fonce d'autant que je fais partie d'un gang de banlieu c'est de viser BANG!

Une belle mécanique c'est deux kawazakis week end de tout mon coeur je l'applique.
Si un gars du gang la touche je luis flanque vite fait une paire de gifle BANG

Réflexes mécaniques de justesse j'évite quelques pilones électriques.
Ma machine tangue dangereusement manque de chance un pneu éclatey a BANG.

Sous ma mécanique, je suis prise de panique, je sens que ça tourne au tragique,
J'ai là sur la langue un gout d'risque et de sang et mon coeur qui fait BANG.


(投稿:日本 2011年2月12日、ハワイ 2011年2月11日)


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惣領泰則さんのことについて知りたくなっていったのは、やまがたすみこさんがきっかけでした。
TINNAやステージ101などでも惣領泰則さんも意識して活動をみてみましたが
TINNA (ティナ) MONDAY MORNING RAIN
ステージ101 ファースト/ 赤い屋根の家 (アルバム)

惣領泰則さん関連は、ジム・ロック・シンガーズ時代も含めまだまだいろいろと聴いてみたいものはたくさん。そんな中、シングアウト(樋口康雄さん=PICO石川セリさんも)、ステージ101の後のアメリカ活動、MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤーレコード社)時代のBROWN RICE!ついに聴くことができたので、活動も少し調べてみました。

すりいこおど-1970年代周辺の日本のフォーク&ロック:ブラウン・ライス「旅の終りに」(1975.7 EXPRESS ETP-72073)
シングアウト時代から詳しく、わかりやすくまとまっていてとても参考になりました。深く感謝です。
敬意を表しつつ、ブラウン・ライス関連部分を転載させていただきます。

1971年3月、樋口康雄を除いて、シングアウトはヤング101を卒業。惣領泰則はベースの金田一昌吾、ボーカルの池田美和(よしかず)・国立音楽大学に入学したばかりのキーボード兼ボーカル吉原智子、ボーカルの浜芳江の5人でブラウン・ライスを結成

1971年5月、アメリカMGMレコードの社長、マイク・カーヴが来日。ブラウン・ライスはオーディションを受け合格。7月に本契約。

1971年8月~9月、渡米、著名アレンジャー、ドン・コスタが指導。惣領泰則はアレンジを。ロスのクラブ"Bombey Bicycle"に定期出演、ハリウッドのMGMスタジオでドン・コスタ6曲をレコーディング、『ON THE ROAD SIDE』。
(「五つの赤い風船がハリウッドのRCAスタジオで録音するのが72年3月、五輪真弓がカリフォルニア録音するのが72年6月、はっぴいえんどがロス録音するのが72年10月のことだ。
同じ71年にはフラワートラヴェリンバンドもカナダに渡っている」←こちらの情報も年代整理に感動!以前に書いた五輪真弓:五輪真弓 初期の活動:海外レコーディング先駆者ともリンクしてきました!)

Brown Rice:Tears Never Care Who Cry Them(1971年)
作:惣領泰則、Mack David & Mike Curb
編曲:Don Costa

こちらは、英日両語なのですね。



A面は、こちら『On The Roadside』
Brown Rice:On The Roadside(1971年)



1972年1月からオリジナル曲レコーディング(「6月にはメンバーの浜芳江ががロサンゼルスの通りで交通事故に遭い亡くなっている」そうだったのですね。あらためて合掌させていただきます)

1972年10月には日系三世の高橋真理子をメンバーに加えて活動を再開、日本に戻ってレコーディング←ここで高橋真里子さんなのですね。

1973年5月、MGMレコードの社長マイク・カーヴの要請で再度渡米、日本人として初めて米ユニオンのライセンス(労働許可)を取得。ポール・ウィリアムスの『I'll Never Had It So Good』をレコーディングし発売。スマッシュヒット。

Brown Rice:I Never Had It So Good(1973年シングル)
作詞・作曲:Roger Nichols & Paul Williams
いいですね。聴き入ります。詞、曲もすばらしく。



B面はこちら
Brown Rice:Find Me, Find Me(1973年シングル)
作詞:Norman Welch、作曲:惣領泰則
この曲、とってもすてきです!感動しました。歌詞もメロディーも。やっぱり惣領泰則さんってすごいです。



1973年7月、全米各地・ベネズエラ・カナダ・メキシコをツアー

1973年9月にはなんとポール・マッカートニーから「COUNTRY DREAMER」というオリジナル曲をプレゼントされMGMから発売、日本でも阿久悠の詞をつけて「カントリー・ドリーマー」として発売

こちらですね。
Brown Rice:Country Dreamer(1973年)



Brown Rice:Country Dreamer 日本語ヴァージョン(1973年)



1974年、渡米してきたドラムスの市原康、キーボードの江夏健二(現在名ウォン・ウィンツァイ)がメンバーに

1974年2月、イギリス人歌手エンゲルベルト・フンパーディンクに認められ、全米30週間におよぶツアーのオープニングアクトを契約。
「計70万人を動員。ロサンジェルスではフランクザッパ、WARと共にコンサートを公演している」←この辺りも思ってた以上。すごかったのですね、BROWN RICE。

その後、ラスベガスに一軒家を購入。自分達の手で3ヶ月がかりでスタジオに改造、日本の音楽関係者のツアーが組まれる、などあったそうです。
このお話はなんとなく知ってました「活躍の代償に待っていたのは、高額な税金だった。ついには活動中止を余儀無くされてしまう」。アメリカも税金かなり…。
1974年10月、その自分達のスタジオでオリジナル曲のレコーディング、アルバム『旅の終りに』の制作開始

象徴的なアルバムのタイトルですね。

1974年12月にそのテープをもって、帰国。日系三世の高橋真理子はアメリカに残った。

1975年4月、アルバム『旅の終りに』が制作され、7月をもって、解散。こうして3年半に及んだブラウン・ライスのアメリカンドリームは終りを告げる。

Brown Rice:U.S.A. #1
作詞・作曲:惣領泰則(1975年)



♪何もかも捨ててアメリカに来た
この広い国を端から端まで
なにもかもわからずチンプンカンプン
青いバスを買い、楽器をつめこんだ

ところがこの国はむずかしい国で
歌を歌うにもお許しが必要
そこで困った、どうしようかなぁ
あきらめてお家に帰ろうかなぁ

それでもどうにか許可をもらって
この広い国で歌いはじめた
睫毛の凍るカナダの山奥からサボテンのメキシコまで
もう何度も往復をしたから
そろそろ様子を知らせよか~

うれしいじゃないか、すばらしいことさ
どこへ行っても拍手はやまず
うれしいじゃないか、すばらしいことさ
どんな人間も歌を愛する~♪

再度、情報に感謝いたします!
すりいこおど-1970年代周辺の日本のフォーク&ロック:ブラウン・ライス「旅の終りに」(1975.7 EXPRESS ETP-72073)

[U.S.A. #1]
わたしは、アメリカでも島に住んでいたので広い国すべてを知りませんが、『U.S.A. #1』なんかいろいろと感じる部分があります。

ブラウン・ハウスの作品、もちろん事情としてもむずかしいのでしょうが、もちろんアルバム再発願います!心から。

(投稿:日本 2011年2月12日、ハワイ 2011年2月11日)


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本日の天候は雪☃ DVD観賞日和ということで、昨日の『アルプスの若大将』に引き続き、ちょっと気になりどころを考えたり、メモしたりしながら『エレキの若大将』を。
昨日分:映画 アルプスの若大将

若さあふれる感じ、音楽、カルチャーはもちろん、衣装もカラフルで、色の感じがかなりに効いてますね。オープニング、文句なしかっこいいです!

エレキの若大将:当時の予告編
こちらの予告編もオープニング映像からスタート。



この『エレキの若大将』加山雄三さん主演、東宝製作、若大将シリーズの第6作。公開は1965年12月9日。
監督:岩内克己、製作総指揮:清水雅、製作:藤本真澄、脚本:田波靖男、音楽:広瀬健次郎、撮影:西垣六郎、編集:黒岩義民

ストーリーはこちらにリンクさせていただいて
ストーリー(Wikipedia:エレキの若大将)
象徴でもある「勝ち抜きエレキ合戦」をはじめ、カルチャー的なものがまさに凝縮されてますね。
その中での特別出演的な方もすばらしく。
内田裕也さんがエレキ合戦の番組司会だったり、寺内タケシさんがキーとなる「そば屋の隆」だったり、ジェリー藤尾さんの役柄もストーリー的にもキャラ的にもかなり。おばあちゃんのダンス、よいですね。のちに加山雄三夫人となる松本めぐみさんがガールズバンド、アイビー・シスターズのメンバーとして出演。
ホイチョイの馬場さんが細かいコメントしているDVDものもあるのですね。寺内タケシとブルージーンズのことなど、そのあたりのDVDコメンタリーなどに関してはこちらで拝見いたしました。

アラッポ・カーロの備忘録:エレキの若大将

「若大将、やってますね」~「一度、弾いてみたかったんすけどね。そば屋の出前もちじゃね」と、出前にきたそば屋の隆。
はじめてにしては上手すぎます(若大将シリーズは設定など細かいのにこのような矛盾があるところもまたよしで)。



若大将のバンド、ヤングビーツ、エレキ合戦出場シーン。司会、内田裕也さん



キャスト:
田沼雄一(京南大学経済学部、アメラグ部員):加山雄三
星山澄子(リート楽器店勤務):星由里子
石山新次郎(青大将、アメラグ部員):田中邦衛
江口(アメラグ部マネージャー):江原達怡
田沼久太郎(「田能久」の当主):有島一郎
田沼りき(若大将祖母):飯田蝶子
田沼照子(若大将妹、洋裁学校学生):中真千子
そば屋の隆:寺内タケシ
松原路子(クラブ・レジャー事業経営者の娘):北あけみ
赤田(バンド、ザ・シャークス):ジェリー藤尾
井沢:黒沢年男
仁科:二瓶正也
規子(アイビー・シスターズ):松本めぐみ
松原路子の父(クラブ・レジャー事業経営者):上原謙
石原和子(女性審査員):久慈あさみ
番組司会者:内田裕也

そして、今回も気になりやロケ地(推測含む)などについてメモ。
気づき、ロケ地、その他のメモ:
-登場バンド:石山新次郎とヤングビーツ(青大将の名が付く若大将のバンド)、ザ・シャークス(ジェリー藤尾さんバンド)、アイビーシスターズ(リート楽器店にも訪れるガールズバンド)
-映画劇中の楽器はテスコ/ TEISCO。一部除く(テスコのギターに関しては先日も書いてみました→テスコのギター
-オープニングのタイトル、中盤からの日光での演奏シーンからは、同作品の撮影に間に合わせる為に製作されたというヤマハSG-5「ブルージーンズカスタム」の試作品を使用
-ザ・ベンチャーズのノーキー・エドワーズからプレゼントされたモズライト・ベンチャーズモデル(1964年製)を使用
-どんちゃん騒ぎシーン。お座敷においてあるアンプもテスコ(こういうどんちゃん騒ぎっていまはなさそうですね。バカ騒ぎともまた違う感じな)
-ガールズバンド、アイビー・シスターズの登場は発想もよし。衣装もかわいいです。アイビー・シスターズの勝ち抜きエレキ合戦シーンの映像が動画でないのが残念。予告編の2:08あたりにちらりと同じ衣装で登場
-ロケ地:日大文理学部、中禅寺湖、日光レークサイドホテル、戦場ヶ原、日比谷公園
-路子の父経営ラウンジクラブ、クラブF&Fのつくりがよい感じ
-リート楽器店:推測ですが銀座ファイブ内という設定のような気も。お店の向かいにはレナウンのショップ
-衣装協力:VAN
-同年新春東宝8大作:「エレキの若大将」、「怪獣大戦」、「社長旅行記」、「100発100中」、「喜劇駅前弁天」、「馬鹿と鋏」、
「無責任清水港」、「暴れ豪右衛門」。「怪獣大戦」は同時上映。

挿入歌:
最後になりましたが、言うまでもなく、すばらしい歌の数々。

加山雄三:君といつまでも 
作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作(加山雄三)、編曲:森岡賢一郎
戦場ヶ原での澄子とのシーン



加山雄三:夜空の星
作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作(加山雄三)、編曲:寺内タケシ、演奏:寺内タケシとブルージーンズ
エレキ合戦のシーンと日光でのシーンに使用。田能久再建のきっかけにも。



加山雄三とザ・ランチャーズ:ブラック・サンド・ビーチ
作曲:弾厚作
エレキ合戦のシーン



加山雄三:ランニング・ドンキー(インストルメンタル版)
作曲:弾厚作
アメラグ部の特訓&試合のシーン



ウイリアムテル序曲(エレキ・アレンジ):
『夜空の星』とのコラボで、オープニング&試合のシーンに

金髪のジェニー(エレキ・アレンジ):
エレキ合戦シーン(余談:わたしの父のお気に入り曲なため、得点高し)
ドナウ川のさざ波(エレキ・アレンジ):
若大将&ブルージーンズが演奏。これ、すごく印象的でした

その他、映画全体のサウンドがすばらしくオルガン効きまくりなサウンド、ジャズっぽい『春よ来い』(青大将と澄子のシーン)もよいですね。

シリーズの中でもお気に入り作品とあげられることも多い『エレキの若大将』、パチンコ版でもいろいろなモチーフ、ギミックにも使われてますね。フラッシュギターも出現



(投稿:日本 2011年2月11日、ハワイ 2011年2月10日)


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ちょっと風邪モードに入っています。どうも、こういうモードのときは映画とか観たくなるもので、昨夜は、ひさしぶりに『アルプスの若大将』を観ました。若大将シリーズ映画は、テンポもいいし、さわやかで、やっぱりいいです。加山雄三さんもつくづくかっこよく、音楽も、ですね。

アルプスの若大将:当時の予告編(1966年)



「鋭鋒マッターホルンを背に白銀を蹴散らし、若さとエネルギーをぶっつける!魅力の若大将
唄いまくる、新しい曲、魅惑の歌
スイス、イタリア、オーストリア、ヨーロッパ縦断ロケ
再会に心ときめく二人
唄え!踊れ!青春!爽快!痛快!躍動!
ありったけの力を爆発させ、素晴らしい妙技にすべてを魅了する」

まさにです。

『アルプスの若大将』は、東宝製作、若大将シリーズの第7弾。1966年5月28日公開。
監督:古沢憲吾、製作総指揮:清水雅、製作:藤本真澄、脚本:田波靖男、音楽:広瀬健次郎
ストーリー(Wikipedia:アルプスの若大将)
キャスト:
田沼雄一(若大将、京南大学建築学部、スキー部):加山雄三
岸澄子(パン・アメリカン航空勤務、ローマ事務所・東京事務所):星由里子
石山新次郎(青大将):田中邦衛
江口敏(スキー部マネージャー):江原達怡
田沼久太郎(「田能久」の当主):有島一郎
田沼りき(若大将祖母):飯田蝶子
田沼照子(若大将妹):中真千子
リシェンヌ(青大将パリでナンパ、田沼家にホームステイ):イーデス・ハンソン
清水知子:若林映子
赤田:荒木保夫
特別出演:トニー・ザイラー
特別出演:デビッド・ジョーンズ(パン・アメリカン航空極東地区広報支配人)
苗場スキー場所属のプロスキーヤー:ジャニーヌ・モンテラン
苗場スキー場所属のプロスキーヤー:井上恵三
苗場スキー場所属のプロスキーヤー:園部勝

澄子の星由里子さん、若大将シリーズではおなじみですが、清楚で現代的、女らしさもあり気が強いというキャラは若大将にふさわしいですね。フライトアテンダントが何故オフィスにいることも多いのに、ホテルなどしかるべきところでは、偶然あうというのは?という細かい部分は別として、航空業界役もぴったり。

ひさしぶりに観たといっても、よく考えるといままで、若大将シリーズは、テレビで放送されたときなどもちょっととびとびでだったり、ハワイにいたときもレンタルで観てるのですが、用事しながらなどだったので、じっくり観るといろいろな気づきがありますね。という訳で、あらためての気づきなど。

気づき、その他のメモ:
-同時上映の谷啓主演『クレージーだよ奇想天外』もヒロインも星由里子さん。脚本も本作と同じく田波靖男。
-英語タイトルは『It Started in the Alps』
-新し物好きで作品によって、いろいろなものに凝っている若大将祖母、田沼りき(飯田蝶子)さんは、『007』を例え話で出している
-劇中、澄子の上司としての出演の他、テレビで放送されている相撲表彰シーンにデビッド・ジョーンズ。若大将祖母、日本語、日本が板についてきたことを指摘(これ、うちのおばあちゃんもよく言ってました)
デビッド・ジョーンズ氏、昭和36年の5月からこの賞を贈っているとのこと。
映画のもではありませんが、昭和60年初場所の優勝表彰式。千代の富士へ。



-ロケ地:ツェルマット、ウィーン ・インターコンチネンタルホテル前、ローマ、浅草(田能久=今半別館や道)。苗場スキー場(当時、苗場国際スキー場)、よみうりランド(エバースノースキー場、部活草スキー)、三菱商事本社ビル(パンナム東京支店)、東京プリンスホテル(この他、青大将運転、道路での看板も)、上野駅、日本大学文理学部(京南大学)
-協賛:パン・アメリカン航空、苗場国際スキー場
-衣装協力:東レ
-当時、東京プリンスの前にはFIATショールームがあった
-ホテルの電話ベル音が気になる未来系(SFまたはウルトラマン系)
-終盤、苗場スキー場で開催される大会、滑る・飛ぶシーンはスタント無し
(俳優デビュー前の1959年・1960年の国民体育大会(国体)にスキーで出場)

その他にもいろいろありそうですが、また今度観るときに。

挿入歌:
最後になりましたが、言うまでもなく、すばらしい歌の数々。

君といつまでも:
作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作(加山雄三)、編曲:森岡賢一郎
ホテルにて、絵画と鏡。途中のセリフについて、青大将に突っ込まれる。



蒼い星くず:
作詞:岩谷時子、作曲:弾厚作(加山雄三)、編曲:森岡賢一郎、
演奏:寺内タケシとブルージーンズ
苗場のホテルでブルージーンズをバックに歌う。



夕陽は赤く:
作詞:岩谷時子、作・編曲:弾厚作(加山雄三)、演奏:加山雄三とザ・ランチャーズ
田能久での久太郎と着物姿リシェンヌとのシーン。



ブライト・ホーン:
イタリアでの雄一と澄子のデートのシーン。
作詞:岩谷時子、作・編曲:弾厚作(加山雄三)



走れドンキー/ランニング・ドンキー:
スキー部のコンパで唄われる。
作詞:安井かずみ、作・編曲:弾厚作(加山雄三)
歌詞つきヴァージョンのものはさがせなかったのですが、作詞、安井かずみさんだったのですね。先の予告編映像の1:35あたりから一部入ってます
歌詞
曲のみ(第6弾『エレキの若大将』使用)


モンテ・ローザ:
モンテ・ローザをバックに雄一が歌う。

クレイジー・ドライビング(インストルメンタル):
「蒼い星くず」に続いて苗場のホテルのシーンで。

(投稿:日本 2011年2月10日、ハワイ 2011年2月9日)


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雑誌「東京人 2011年 03月号」青春のラジオ深夜放送特集、買いました。すこしづつ読んでます。

このところちょっと購入してなかったのですけれど(1年ぐらい?電車通勤でなくなったせいもあり…)、「東京人」いい雑誌ですよね。先日、Twitterでの情報で、今回は深夜放送特集ということで、やっぱりよい特集組んでくれるなぁと、つくづく。

この特集、いろいろな深夜ラジオ番組、そしていろいろな方の思いが溢れてますね。
その中の近田春夫さんのラジオへの思いのページ「ロックは闇夜に封切られた。」をアラッポ・カーロさんがまとめ、気になり、感想などをつづってらっしゃいましたが、「東京人」の深夜放送特集、読む者にも思い出やさまざまな影響をかんがえさせてくれます。
アラッポ・カーロの備忘録:東京人 2011年 03月号 「青春のラジオ深夜放送」

わた自身の音楽的影響も、やっぱりなんといってもラジオ。姉が勉強しながら聴いているものを一緒に聴いていたりした小学生の頃。勉強部屋、寝る部屋、広げてつなげた同室だったので、よく小学生が聴く時間ではないものも聴いていたり。
ラジオは、憧れであり、ひっそり聴く中での小さなレジスタンスのようなものも感じさせてくれるところが、いまでも大好きです。その共犯感も。
ラジオ番組(←まだまだ記してるものは少ないですけれど自己のラジオ番組カテ)
自分がリアルタイムで聴いていたものももちろんですが、その歴史・変遷や伝説の番組などもいろいろ知りたいのと思っているので、こちらの号は永久保存版です。

そんな中で、もっと知りたいなぁと思っていた、「FM25時:きまぐれ飛行船」について山崎幸一さんが語ってらっしゃいました。

「FM25時:きまぐれ飛行船」は1974年から1988年、FM東京(現・TOKYO FM)で放送されていた番組。片岡義男さんも好きだったので何度かは聴いていた記憶もあるのですが、語りも落ち着いたおとななスタイルの番組でしたね。
オープニングは、エタ・ベイカーの『ワン・ダイム・ブルース』。

Etta Baker with Taj Mahal:One Dime Blues:



わたしが、聴いたのは、片岡義男さんのお相手は、温水ゆかりさんだった時代でしたが、その前に片岡さんと一緒にこの番組パーソナリティをし、そして不思議な気持ちを人々に残して去ってしまった安田南さん、とっても惹かれます。
ジャズ、そのほかのジャンルも独自のスタイルで樋口康雄さん(Pico)関連であらためて知り、惹かれはじめたのは最近のことですが、すてきなお姉さまという感じで、姐さん、ネエサンかな、ともあれ好きです。

「FM25時:きまぐれ飛行船」をテープで残してくださっている方のおかげで、安田南さん時代の番組の雰囲気を感じることができるのは、ほんとにありがたいこと。
エンディングの「眠れ、悪い子たち」がいいですね。

FM25時 きまぐれ飛行船 エンディング(片岡義男・安田南)
「眠れ、悪い子たち」もラストに。



番組、とおしで聴きたいので、再生リストにしてみました。



「1978年のある夜、それがふと消える。なんの予兆も説明もないま安田南だけが番組から謎の失踪を遂げてしまうのだ」(東京人3月号:41ページ:山崎浩一)。ふと、消えてしまった安田南さん、その理由やその後、くわしいことは知らないのですが、もっともっとその歌を聴いてみたいなと思う方。

『Lydia』いいですね。

安田南:オー・マイ・リディア(Oh My Lidia):
作詞:安田南、作曲:タケカワ・ユキヒデ



『みなみの30歳宣言』(晶文社、1977年)も、縁あってさがせたら読んでみたいのです。

中津川フォークジャンボリー、黒テント、チェーン・スモーカーだった南さんのブルース「プカプカ」など、いろんな話を残したまま「南もどこかで聴いてるかな」と片岡義男さんも、ふと、おっしゃってたそうですけれど、ほんと、いろんな方に安田南流な印象を残したまま消えてしまったのでしょうね。

ディランⅡ西岡恭蔵:プカプカ:
俺のあん娘はたばこが好きでいつもプカプカプカ
身体に悪いから止めなって言ってもいつもプカプカプカ
遠い空から降ってくるっていう幸せってやつがあたいにわかるまで
あたいたばこ止めないわプカプカプカプカプカ



安田南さんについては、またあらためて書こうと思いまってます。

(投稿:日本 2011年2月8日、ハワイ 2011年2月7日)


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