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ちょっと時間がたってしまいましたが、おでかけのこと。今週のはじめ、運動会の前倒し代休で学校がお休みだったので、東京おもちゃ美術館にでかけてきました。以前も、こちらのことは、書いたことがあるのですが、小さいこどもからちょっと大きなこどもも、そして、大人も楽しめる、おもちゃの美術館です。
東京おもちゃ美術館:オフィシャルサイト
過去の関連自己もの:タイガー商会 CM 地球ゴマ

この日は、平日ですが運動会代休ということもあり、小学生も多くにぎわってました。いつもより年齢層もちょっと高め(こどもなりに)。廊下や階段も、本当に学校があったときのようで、校舎もなんだかよろこんでいるような気がしました。
(東京おもちゃ美術館は、閉校となってしまった四谷第四小学校の校舎を活用)

ここ、なんだか、夜になったら、『おもちゃのチャチャチャ』のような、おもちゃの世界がくり広げられているような気がします♪

おもちゃのチャチャチャ:
うた:ひばり児童合唱団
作詞:野坂昭如、補作詞:吉岡治補、作曲:越部信義



『おもちゃのチャチャチャ』についてのメモ _φ(._.*)
作詞が野坂昭如さんで、作曲、越部信義というのは知っていたのですが、元々は…というあたり、あらためて知りました。
「元々はフジテレビで放送されていた大人向けの音楽バラエティー『ヤマハ・タイム』で、おもちゃをテーマにした回でコントの合間に使用される挿入歌として三木鶏郎の企画で作られた。番組内で1度使用されるためだけに制作される曲が多数存在し、この曲もその中のひとつであった。
後に吉岡によって歌詞の一部を子供向けに変更され、1962年(昭和37年)8月にNHK総合テレビの幼児音楽番組『うたのえほん』で「今月の歌」として真理ヨシコと中野慶子が1週間交代で毎日歌った。真理が歌うレコードは、1か月に4万枚を売るヒットとなり、1963年(昭和38年)には第5回日本レコード大賞童謡賞を受賞」 (Wikipeida:おもちゃのチャチャチャより)

レコード大賞に「童謡賞」というのがあったのですね。1974年に廃止されたそう。
Wikipedia:日本レコード大賞:過去に存在した各賞

おもちゃのチャチャチャ:
どうようオーケストラ」より
ホーン系の音がよいですね。ちょっとビッグバンドをも思わせる。



東京おもちゃ美術館:写真いろいろ


以前の写真はリンクで
東京おもちゃ美術館:常設と特別展:ロシアのおもちゃたち

前回いったときは、親子ともども地球ゴマにはまってしまったのですが、今回は、「ゲームのへや」のボードゲームをじっくり楽しみました。
伝統遊戯全般におくわしいYSugawara (@ginsho)さんからのおすすめもあり、「どうぶつしょうぎ」に挑戦。


遊び方はわかりやすく、ルールもシンプルなのですが、なかなか手ごたえあります。


こどもは、この「どうぶつしょうぎ」よく知ってるようで、経験者ということもあるのですが、わたくしの方があっさり負けてしまいました。

そして、さらに駒数の多い「おおきな森のどうぶつしょうぎ」を。だいぶ慣れてきたということもあり、よい感じでいったのですが、またしても…。


なんだか、知らないうちに、この手のゲーム、腕をあげてます。きけば、将棋もできるとか。
そういえば、学校のこども広場で将棋教室はあったのでした。たしかにハワイでは、同じような放課後プログラムでチェスなどもやっていたのですが、ここまで強くなっていたとは…
(高学年になったので、最近は、放課後はともだちと郊外で遊ぶことが多くなってしまいましたが…)
以前は、トランプなどもよく一緒にやったりしていたのですけれど、最近あまり。
こういう時間、また見直しで、週に一回ぐらいは、この手のゲームで勝負する時間を復活させたいです。

開催中の企画展示、「スーベニール 人形と玩具~民族それぞれの表情……色彩と造形の魅力~」も気になっていたのですが、あまりにもゲームに夢中になり、時間がなくなってしまったので、今度、またみにいきたいなぁと思ってます。



(投稿:日本 2011年6月2日、ハワイ 6月1日)

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昨日は、ひさしぶりのちょっと遠出の育自・共育系アウトドアアクティビティ、奥多摩でニジマス釣り。大丹波川国際虹ます釣場というところへ行ってきました。
大丹波川国際虹ます釣場サイト

通でなくてもできるところってないかなぁと思ってさがして行ってみたのですが、初心者でも手ぶらで(軍手はもっていきました。実は、魚とか餌の虫を触るのがあまり得意でないのでw)行っても楽しめる自然の釣堀みたいな感じののところがあるのですね。
日本の渓流、そこで釣りをしてみたい、というのは、ハワイにいたときからのこどもの夢。やっと念願の。
こちらの釣り場、魚は、川を泳いでいるのですが、一日に2回、放流されます(放流直後がやはり一番釣れますね)。食材の準備などしてれば、バーベキューも楽しめるようで、みなさん、そんな感じで楽しんでました。

準備不足なため、バーベキューはできなかったのですが、受付となりの食堂で、釣った魚を塩焼きしてもらい、釣れたてニジマスの味も堪能。けっこうたくさん釣れたので持ち帰りも(最後の方は大丈夫そうなお魚は釣ってすぐ逃がしてあげました)。

ニジマス釣り写真:
自然が豊かで、それだけでも十分なぐらい。初心者ではあるのですが、なぜか、割と釣れるタチなので、すこし流れの変化もあり、大人多めの「一般中流エリア」という場所で。ちょうどそろそろ引きあげようと思った頃に雨ふりとなりましたけれど、お天気もよくさわやかな五月の休日。とっても楽しかったです。



大丹波川国際虹ます釣場は、1956年(昭和31年)にスタートし、当時は近くに米軍の基地があり、外人客が多かったので「国際」というのだそうです。そういえば、受付周り、古い感じの案内板は全部英語でも表示でした。これ、写真撮りたかったのですが、雨が降ってきたので、帰りはその案内板のあたりに人がたくさんいて、じゃまになるかなぁと思いあきらめました…(また今度じっくり)。奥多摩って以前よりとってもアクセスがよいですね(以前ってすごく前)。周辺にもよいところがたくさんありそうなので、今度は、1泊ぐらいの泊まりで出かけてみたいです。

ニジマス釣り、ということで、学校の音楽の授業でもおなじみのシューベルトの「鱒」。
この曲を初めて意識して聴いたのは、多分、給食の時間の放送か何かでしょうか。とってもきれいなメロディーだなぁと。

そのときに聴いたのは、ピアノ五重奏でしたけれど、きょうは、歌曲の方中心で。

Elisabeth Schwarzkopf:Schubert: "Die Forelle (the Trout 鱒)



『鱒』は、1817年、シューベルトが、20才のときに作曲した作品。この歌曲の2年後には、同じメロディーをもちいたピアノ五重奏も。

水の中に現れては消える鱒をイメージモチーフとしながら、歌詞は「ずる賢い漁師が罠を使って魚を釣り上げるさまを歌ったもの」なのだそうです。比喩というか、諷喩、アレゴリーとしては、「男はこのようにして女をたぶらかすものだから、若いお嬢さんは気をつけなさい」という意味なのだとか。

日本語詞としては、堀内敬三氏のものが有名でしょうか。原語の歌詞を短くまとめた形となっているようですが、もともと長いものをこのようにまとめてしまうのは、さすがですね。
Wikipedia:鱒:原詩全文



訳詞:堀内敬三

清き流れを光り映えて
鱒は走れり征矢のごとく
暫したたずみわれ眺めぬ
輝く水に躍る姿 輝く水に躍る姿
岸に覗う魚釣人
巧みこらして思案なせど
水の清きに影は著し
糸を入るれど魚かからず
糸を入るれど魚かからず
心あせりて痴れ者
矢庭に川水をかき濁しつ
竿打ち込めば鱒は釣り上れり
惨しとわれは憤れど 惨しとわれは憤れど

日本語訳詞の歌曲というのは、好きだったりします。ありそうなのに、日本語ヴァージョンの動画みつかりませんでした。


[堀内敬三氏]
以前に、『若き血』についえて書いたときには、藤山一郎さんフォーカスで、堀内氏のこの点には触れなかったのですが、MIT(マサチューセッツ工科大)修士なのですよね。そして、神田区鍛冶町出身(神田しかも鍛冶町は、個人的にわりと反応なのですよね)。浅田飴三男。音楽之友社(スタート時日本音楽雑誌株式会社)も設立。
その他、いろいろと書き出すときりがないくらい好きなワークや反応しどころがたくさんなお方です。
Wikipedia:堀内敬三

おまけ:
パロディものらしきものと説明があるのですが、歌詞がわからないので…
コメントの方もわかりません。今度、Google翻訳で軽くみてみましょうかと思います。

Jules de Corte - Die Forelle (parodie op Schubert's die Forelle)(1957)



(投稿:日本 2011年5月23日、ハワイ 5月22日)

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最近、よくお茶してます。
実家系のこと、いつもならわたしが出向くところなのですが、先日は、父が会いにきてくれるとのことで、どこか、近くでお茶をしようと。車をとめることができて、ゆっくりできるところはないかなぁと考え、お天気もよかったので、明治記念館に行ってきました。

こちらの本館の建物は、明治14年に赤坂仮御所の別殿「御会食所」として建てられたというものだそうで、車寄せや建物内の雰囲気なども、よいのですが、お庭から眺める本館はなんとも美しく。せっかくなので、お庭散歩も。さざれ石なんかもあったりします。



ふだんから、父とはわりとよく話をするのですが、あまり特別にふたりで外で会うということはなかったのですけれど、こういう時間はよいですね。

この日のイメージは、モーツァルトのピアノソナタ第11番イ長調でしょうか。第3楽章は「トルコ行進曲」として有名ですが、主題がさまざまなバリエーションでくり返す第1楽章なイメージの日でした(なんとなく)。

この曲で好きなヴァージョンは、どれかなぁと聴きくらべてみたところ、ヴァルター・ギーゼキングのタッチが装飾的な感じがせず、シンプルなのに情感があり。速さもこのくらいのテンポが好きなのです。

モーツァルト:ピアノソナタ第11番イ長調, 第1楽章: Piano Sonata No. 11(Andante grazioso)
演奏:ヴァルター・ギーゼキング レコーディング:1953年



相変わらず、ピアニストの名前とかくわしくないのですが、「飾らない」とかいいましたが、ヴァルター・ギーゼキング氏はすごい方なのですね。
いつものごとくクラシック101的自分メモです_φ(..)

ヴァルター・ヴィルヘルム・ギーゼキング:
ドイツのピアニストであり(アマチュアの蝶類研究者でもあるとか)、「世界で初めて「ピアノのために書かれた作品を全て演奏できる」という特技をトレードマークにした」。没後半世紀たっても語りつがれるピアニストで、譜面を検討し、その演奏をイメージしてから、曲を完璧に弾きこなすのだそう。楽曲構造に対する明快な洞察力をもつと同時に本能的で直感的でもあったとのこと。
Wikipeia:ヴァルター・ギーゼキング

(さっきこの曲のメロディー思い出そうとして、なんか別の曲にすりかわってしまったのですが、そちらはまた別に)

(投稿:日本 2011年5月7日、ハワイ 5月6日)

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昨日は、ブルースでなくMint-Leeな、みんとりさん、こと、岡村みどりさんに初めてお会いいたしました。

みんとりさん、まずは、岡村みどりさんプロフィール
マニュアル・オブ・エラーズ/マヌエラ:プロダクション&アーティスト:岡村みどり
「キチントさん、キチントさん、キチント、キチント、キチントさん♪」をはじめとして、数々のCM音楽を手がけ、映画やNHK番組にも曲提供をなさっている方で、コンスタンス・タワーズ、そしてSpace Ponchという活動もされていて、去る3月11日には、Out One Discから『ブルースでなく(Mint-Lee)』というアルバムをリリースされ、とってもとってもすごい方なのですが、Twitterでは、ハワイ話やら(ハワイ好きとおっしゃる方はたくさんいて、それぞれに好きポイントもいろいろだと思うのですが、みんとりさんのハワイは、わたしの好きなハワイと一致するものがとても多く…)、その他、お話をさせていただいているのですが、直接お会いしてお話したいこともたくさんあったので、お時間をいただいたのでした:D

岡村みどりさんのつくり出す音は、遊園地のようであり、夢のアニメーションのようでもあり、お菓子工場をも思い浮かばせるような、大好きなサウンド。先日、リリースされたアルバムの帯の「「レイミンスコット?」オモシロイ。」との細野晴臣さんコメントな…実際に、『RAYMINT SCOTT』という曲もありですが、レイモンド・スコット的な世界のように(その他にも音楽家にちなんだ曲もあるのですが)、楽しくて実験的で、ポップだけどクラシックのようでもあり。

(『ブルースでなくMint-lee』、音はもちろん、盤やジャケットの細部までこだわりのトータル作品。現在、生産のプロセスの都合で入手は困難となっているということですが、稼動次第、ということで、いち早くと願っております)


岡村みどりさんご自身も、とっても夢のある方というかドリーミーな世界に住んでおられて。

提供曲のCMなどもさがしたのですが、検索不足でしたので、Space Ponchライブ

Space Ponch live - Nylon 100°C 30th Birthday



そして、岡村みどりさんのサウンドをわたし的イメージでいうと…

浮遊する感覚やミクロコスモス的音から感じるイメージは、たんぽぽの綿毛のようでもあり。着地する地点にはあらたな発見が待っているような。



細野さん監修のレイモンド・スコットのトリビュートなども参加する予定もあるそうで楽しみです。

Raymond Scott:Portifino



みんとりさんとお茶:
伺ったお店は、向島、見番通りと桜橋通りの角、「季節の生ジュースとくるみパンの店」という「カド」さん。
Verita:下町の喫茶店で心と体に栄養を 向島「カド」(なぎら健壱さんナビゲート)
カウンター上の透かし彫りやテーブルのトールペイント、シャンデリアも懐かしい感じのくつろぎ空間。タツノオトシゴの彫り物もとてもかわいくて。いただいたのは、イチゴの生ジュースとくりみパンのサンドイッチ。とってもおいしかったです。

From 向島(みんとりさん)


みんとりさんには、お話だけでなく、ハワイ日系文化関連のお宝もみせていただき、とても楽しい時間をすごさせていただきました。気になっていたメータースタンプ・コレクション(すみません勝手に掲載)や、なんとフローティー・ペンのお話までも(好きとかいって名称も知らなかったわたしです)、クラシック音楽的プリキュアの世界などもうかがったのでした。
撮影および所蔵:岡村みどりさん



フローティー・ペン


帰りは、アルバムのジャケットの撮影地である牛嶋神社や旧水戸藩の屋敷庭であったという墨田公園も案内していただき本所吾妻橋駅まで一緒にお散歩していただきました。見番通りの説明やおいしい洋食処も。



(投稿:日本 2011年5月7日、ハワイ 5月6日)

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なんとなくすぎてしまう日々と時間を考えはじめている、きょうこの頃。きょうは、ずっとずっと会いたかった方、ピアノの先生と、「積もり積もって地層になった」時間を経てようやくお会いしました。

ほぼ8年ぶり。ひさしぶりでありながら、一緒にすごした時間が長いせいか、ほんのちょっと会わなかっただけのような。いつも思っているひとだからなのでしょうか。

(3月のあの日以来)いつでも会えるかなぁと、そのままになってしまっている方たちに、すこしづつ会っていこうと、このところ思うようになり
人形の夢と目覚め」で目が覚めた日、「会おう」と決めたので、ほぼ20日で実行。今回は、のばしのばしにしなかったことに、自分でちょっと感心。 

連れていっていただいたのは、「キアズマ珈琲」。いつもはコーヒー派ですけれど、ピアノのお稽古の合間は、紅茶だったので、先生とは、やっぱり紅茶だなぁとか思いながら、佐藤錦のフレーバーティー。やさしいさくらんぼの香りでした。
泉麻人 【東京ふつうの喫茶店】 | キアズマ珈琲(雑司が谷)
「キアズマ」という店名は、山下洋輔のアルバム名に由来してるんですね。「遺伝子の交差」を意味する言葉だという。

あっという間に2時間ぐらい。昔とかわらないような時が流れていきました。
いまは、作曲と音楽史を教えてるそう。あいかわらず、かわいらしく、でもそれだけでなく。ぜんぜんかわってないなぁと。こんな時だから、なおさら会いたくて、お会いしたのですけれど、あまりそういう話はせず、でも、なんとなく、そういった考えもわかりあえるような。
(先生には、おもしろいぐらい、わかられてるというか。姉妹をそれぞれにあった全然方法で教えてくれたにはさすがであり、こまっしゃくれた生意気なわたしをよくおもしろがって教えてくれたなぁと感謝しながら)

お茶のあとは、ふらふらと、バス通りに出るまでを寄り道しながら、散歩。そんな気配がしてすいこまれ、井戸もみつけたり。



うとうとと眠りについていたのですが、早く寝ちすぎたせいかへんな時間におきちゃったので、本日の写真を整理。
なんとなくこんな気分かなぁ、と、ショパンの『Berceuse』、くり返し、くり返し、聴いてます。

先日も思ったことですけれど、同じ曲も奏者によって、さまざまで。アシュケナージ(Ashkenazy)の音、よいです。好きになりました。

Chopin (Berceuse Op.57):
演奏:ウラディーミル・アシュケナージ



こちら、すてきな映像。奏者がわからないのですけれど、どなたでしょう。

タグには「のだめカンタービレ」とあるので、関連CDからでしょうか。観よう観ようと思ってのがしてしまっているので、観なくてはです。好きな曲も、たくさん、とり上げられてるみたいです。『Berceuse』もなのですね(映像は「のだめ」ではありません:D



クラシックとのお付き合いは長いのに、「あいかわらず」、演奏者(指揮者も)、うといです…。
子守唄聴いてたのに、もう朝。

(投稿:日本 2011年4月22日、ハワイ 4月21日)

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昨日は、皇居周辺の桜散歩おでかけについてでしたが
白木秀雄クインテットとスリー琴ガールズ SAKURA SAKURA(皇居周辺桜散歩)
北の丸公園の東京国立近代美術館で現在開催中の「生誕100年:岡本太郎展」にもいってきました。

岡本太郎さんといえば、こどもの頃からその存在を知っている芸術家。つくづくすごいなぁと思うのは、こどもでも(わたしだけではなく)、名前を知っていたとうことにとどまらず、「岡本太郎っぽい」という感じで、その作風もみんなが知っていたということ。ほんとうに日本を代表する芸術家、そして、二十世紀を代表する芸術家のひとりなのではないかと思うのです。
太郎さんの作品は、大好きで、まだ数は多くはないものの、街でみかける岡本太郎さん作品なども機会あれば写真におさめています(パブリックアートの意義についても、まとめてみたいのですが、また今度にでも)。

岡本太郎さんが生きていた時代に生まれていたこと、こどもという多感な時期にその作品に触れていたこと、そして、そんな、こどもの頃からなじみがあった岡本太郎さんの作品をわが子とみることができるということは、とてもうれしく思います。
作品やワークに関してはいうまでもなく、なので、みどころ、展示作品などはオフィシャルサイトのリンクを貼らせていただきます。
生誕100年:岡本太郎展:みどころ
生誕100年:岡本太郎展:展示作品リスト

この生誕100周年展、こどもの入場にあたっては、岡本太郎展こどもセルフガイドというもをいただけるのですね。そちらのガイドをみながら、どの作品が好きか、どんな感じがするか、など話しながらまわってみました。
こどもセルフガイドは、自分で好きな作品のまとめをできたり、太郎さんの特徴的な「顔」をテーマにした彫刻作品ではどの顔が好きかなど、とても楽しいつくりになっているのですが、その中に、わかりやすいく、ちゃんと、メッセージがあるのですね。
例えば、「燃える人」(1955年)では、「この絵をみて、どんな感じがする?」という問いと作品の説明。
「…この作品が描かれる前年に、南太平洋で操業していたマグロ漁船第五福竜丸が、アメリカの水爆実験で被爆するという事件が起こりました。「原子爆弾にさらされた人間」をテーマにするこの作品には…」など。

「明日の神話」下絵(壁画は渋谷駅に)では、「見つけてみよう!」とあり「ほのおふいてもえあがるガイコツ」、「マグロを引っぱる船」などの例のあと、自分で言葉を書き込むようにキノコ雲、炎、悲劇のひとびと、乗り越えていこうとする人間の力の象徴のようなモチーフが。
岡本太郎さんは、ベトナム戦争への抗議広告もしかり、つねにアートにメッセージをこめて送り出していたのですよね。
生誕100年:岡本太郎展:みどころ:戦争との対決

あの代表作でもある大阪万博(日本万国博覧会)の太陽には、過去、現在、未来と、いろいろなメッセージがあるということ、あらためてなのでした。

日本万国博 太陽の塔 テーマ館:
石坂浩二さんの解説ナレーションとともに。



日本万国博の記録(1970)
企業の品評会に終わらせず、人々の祭典にしたいと、太郎さんがねがった万博、「巨大な祭り」



わたしは、当時2才ぐらいだったのですが、ありがたいことに、万博に連れていってもらえたのです。
ただ幼かったので、はっきりとした記憶はもちろんなく、写真や親からあぁだったこうだったという話から自分の記憶になったようなものなのですが…。
親や姉から聞かされる話では、なんでも、「太陽の塔」の中の展示では、わたし、とっても泣いていたそうです。この話は、親から「せっかく…」という話でよくでてくるのですが…。
そうなのです、「とってもこわかった」のですね、きっと。泣くほど。それは、ある種、正しい(?)感情、感想だったのではないかと、いまはなんとなく。
「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」と謳った岡本太郎さんの生きざま、NHKで放送されたドラマ「TAROの塔」でやこの展覧会、いまおこっていること、いろいろなこととあわせてみて、そんな風に思ったりするのです。
生誕100年:岡本太郎展:みどころ:「きれい」な芸術との対決

『壁を破る言葉』岡本太郎:



芸術とは、まさにそうなのでしょうね。そして、わたしの現在までにいたる物事の考え方は、日々の生活だけではなく、アート(音楽ふくむ)であったり、さまざまなものを通して、感じて、できあがったものなのでしょうね(万博の記憶はそこまで明確かどうか…?ですが)。わが子も、きっとそうして、おとなになっていくのですね。

この展覧会では、「どの作品がすきだった?」とたずねたら、「美女と野獣」、「樹人」、「作家」、「駄々っ子」だといってました。

[音楽関連、その他、ちょっとした気になる岡本太郎さんもの]
以前から、大好きな曲、ユキとヒデの「スノー・ドルフィン・サンバ」。題字が岡本太郎さんだったこと気になってました。芸術に関する著書が多い中、「岡本太郎の挑戦するスキー―白い世界に燃える歓び (1977年)」というものがあるのですね。太郎さんは、スキーがお好きだったんですね。
当時流行していた白いスキー板と白いウェアに対抗して、カラフルなデザインの板とウェアを作ったりしていたそうです。

ユキとヒデ:スノー・ドルフィン・サンバ
作詞:作詞中村小太郎、作曲・編曲: 渡辺貞夫、題字:岡本太郎
(これ、前にもスキーに行ったときの日記に使わせてもらってます)


40後半で初めてスキーに挑戦したそうですが、こんな名言もあるようです。
岡本太郎スキーで骨折時「僕がコケたんじゃ無い!地球が僕の周り2回転半したんだ! 
 だから 大丈夫か?地球!と地面をパンパンしてやったンだ!」

その他、レコード題字ものは、シーザー武志さんの「シーザー」があるようです。
清野茂樹:【格闘レコード研究】シーザー武志のミニアルバム「シーザー」
太郎さん、ボクシングもお好きだったとか。戦う感じ、立ち向かっていく感じでしょうか。

今回、おみやげにアートピースコレクションを買うのを楽しみにしていたのですけど、売り切れでした。残念…。特設ショップでもこれから入荷の予定もあるとか。
カプセル「生誕100年 岡本太郎展」会場限定 岡本太郎 アートピースコレクション 全8種セット

でも、お茶碗買いました~:D

ほんとは、時計も欲しかったのですけれどね、お値段が…で。


思ったこと、感じたこと、すべてはまとめられないので、つづき、また書くと思います。

(投稿:日本 2011年4月10日、ハワイ 4月9日)

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きょうは、桜散歩に、ちょっと足をのばしてみようかなぁと思ったのですが、お天気もいまひとつということもあり、電車に乗って数駅の桜名所、皇居周辺に行ってまいりました。
午前中は小雨もぱらついていたのですが、雨もやみ、曇り空ではありましたが、千鳥ヶ淵から、北の丸公園を歩き、桔梗門から大手門へと、美しい桜の花をみながらの散歩を楽しむことができました。花見といえば、晴天が理想ですが、皇居周辺の景色は、なぜかどんな天気でも美しいのですよね。

日本の花、桜、江戸城まわりほんとに美しいです。さまざまなことがおこっている今、なおいっそう、この景色にいろいろな思い。


こんな桜散歩には、やはり『さくらさくら』。
日本人ならだれもが知る、そして海外でも日本の歌として知られる名曲ですね。

1960年後半から1970年代にかけ、東京オリンピック、万博と、世界の日本というコンセプトもともなってか、日本の民謡、ニューアレンジ、すばらしい作品がたくさんありますね。
以前にアラッポカーロさんがご紹介されている
ウェルナー・ミューラー・オーケストラ「郷愁の日本」
など海外のミュージシャン、楽団によるもの。同時に日本のジャズ・ミュージシャンによるものでも
原信夫 meets 山本邦山 アルバム 日本のニュー・ジャズ (New Jazz in Japan)
などすばらしい作品が。原さんも「シャープス&フラッツ物語」で語ってらっしゃいましたが、日本のジャズ・ミュージシャンの海外での活動、ジャズ・フェスティバルなどの参加により、「日本人として世界という土俵で勝負するんは?」という問いをもち、日本を再認識するということがあったようです。
そんな中で生まれた流れが、邦楽とジャズの融合(和ジャズですか?)。

ジャズ・ドラマー、白木秀雄さんも、またその流れのひとりなのでしょう。
ということで、所有の邦楽ジャズものから、白木秀雄クインテットとスリー琴ガールズのアルバム『さくらさくら』。
このアルバムは、1965年にドイツのSABAレーベルによって企画されたアルバムで、白木秀雄クインテットが3人の琴奏者をしたがえ、ベルリンの「アート・フェスティバル」に参加した際、その演奏が好評を博し、滞在中にベルリンのスタジオでそのままレコーディングされたというもの。

SAKURA SAKURA(さくらさくら)



スタートは、琴の音色を生かした日本らしさを打ち出し、1:00あたりからタブラを思わせるようでありながら、どこか和太鼓的でもあり。ワルツなリズムに『TAKE FIVE』あたりをも感じさせるようなジャズへと。そして、メロディをはずしてのドラムソロもまるで、歌っているようなドラミング。その後は、琴とのセッションのような形へ。長い演奏ですが、さまざまな「桜」の表情をみせてくれるようです。

白木秀雄さんは、東京・神田生まれ。アルバムタイトルにもなっている「さくらさくら」をはじめとした日本の曲の数々にオリジナルの「祭りの幻想」なども加わり、幼少のころから神田囃子の太鼓で親しんだ和のリズムに、ドラマーとしての実験、挑戦を取り入れた、まさにそんな心意気だったのでしょうね。

1. さくら さくら
2. よさこい節
3. 山中節
4. 祭りの幻想
5. アローン、アローン・アンド・アローン
6. 諏訪

こちらは、このアルバムより4年早い1961年のアルバム『祭りの幻想』からの『祭りの幻想』。
『さくらさくら』に収録のものとは別アレンジですが、こちらもいいですね。
なんでも、『さくらさくら』のプロデューサー、ヨハヒム・ベーレントは、このアルバムを聴いたのがきっかけでドイツのライヴを思いついたそうです。
やっぱり、世界を知るためにも、日本、そして自分自身をみつめることは大事ですね。いまの日本もそんな感じでしょうか。

IN FIESTA(祭りの幻想):



(投稿:日本 2011年4月9日、ハワイ 4月8日)

きょうも桜散歩いってきました。多摩川方面にいこうかと思ってたのですが、近くの名所、新宿御苑。



(投稿:日本 2011年4月10日、ハワイ 4月9日)

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昨日は、気象庁から東京都心の桜満開発表もあり、盛岡でも初ひばり。すっかり春ですね。

きょうは、この季節を思う曲をどうしても聴きたくて、(ひと月ほど前からずっと聴きたかったのですが、所有がCDではなく、アナログ盤なので、ついのびのびになってました。桜満開とあらばなおさらで、やっと)かしぶち哲郎さん音楽プロデュース、映画「恋する女たち」サウンドスケッチを聴きました。

収録曲、『多佳子のカノン』、特に映画の中では、桜とは関係ないのですが、わたしの中では、桜散歩のイメージ。(10代から20代の途中まで住んでいた、第2のホームタウンは、桜の名所、この季節には街中がピンクに染まり。その頃、この曲『多佳子のカノン』は、なぜか桜散歩していると頭の中に流れてくる曲だったのでした)

多佳子のカノン(Canon de Takako):
作曲・編曲:かしぶち哲郎



映画「恋する女たち」(1986年):
かしぶち哲郎さんが音楽担当ということで、上映時にも観にいきました。この映画も3人の少女が登場するストーリーですが、観賞もともだちと女の子3人で。あれからだいぶ経ってしまったので、いまひとつ、ストーリーが思い出せなくなっていたのですが、サントラ・アルバムでの解説や写真をながめていたら、だんだんと記憶もよみがえってきました。


監督:大森一樹(サントラでは、大森フランソワ一樹とw)
原作:氷室冴子
音楽:かしぶちジョルジュ哲郎
出演:斉藤由貴(吉岡多佳子)、高井麻巳子(江波緑子)、相楽晴子(志摩汀子)、柳葉敏郎(沓掛勝)、菅原薫(神崎基志)、小林聡美(大江絹子)、原田貴和子(吉岡比呂子)
ストーリー

斉藤由貴 映画 予告編
テーマ曲は『MAY』作詞:谷山浩子、作曲:MAYUMI、編曲:武部聡志
予告編映像、「恋する女たち」は4:45あたりまで。「トットちゃんねる」、「「さよなら」の女たち」へと続きます。



この映画、かしぶち哲郎さんのインストゥルメンタル曲がとても美しく、すてきです。

さきの『多佳子のカノン』の他に、それぞれの少女のテーマ『汀子のエチュード』、『緑子のコンチェルト』などクラシック・サイドのかしぶちさんのすばらしさを感じます。
また、ヨーロッパ的でシネマな雰囲気のかしぶち哲郎さんらしさを感じる、『街角のマドモアゼル』も、お気に入りでした。

街角のマドモアゼル:
作曲・編曲:かしぶち哲郎



とそんな中、ひさしぶりに聴いて「あ~っ、そういえば!」と。
マナさんものがあったのですよね。『Candy Love』と『In My Dream -夢見る恋心-』、2曲。

CANDY LOVE:
歌:マナ、作詞:マナ、作曲・編曲:かしぶち哲郎
Be my be my boy~♪ 親しみのある
やっぱりマナさんよいですね:)



主演ということで、斉藤由貴さん曲も(こちらはかしぶち哲郎さん曲ではなく、来生たかおさんで)。

斉藤由貴:追い風のポニーテール
作詞:佐藤純子、作曲:来生たかお、編曲:武部聡志
映画のシーン映像も



かしぶち哲郎さん、つい最近、『かしぶち哲郎 映画音楽集 TETSUROH KASHIBUCHI Musiques De Films』という作品集もリリースされたのですよね。映画音楽、手がけてから、25年間近くになるのですね。

[桜散歩]
いま住んでる近くにも市谷のお堀や新宿御苑と桜の名所はあるのですが、週末散歩をかねたお花見は、やっぱり、第2のホームタウンだった辺り、亀甲山古墳多摩川台公園に出かけようと思ってます。あの辺り、車では通りかかったりしているのですが、、帰国してからまだ一度もゆっくりと散歩できていません。今年こそは、桜の季節にと。
懐かしく、ずっと食べたいなぁな「ローザ」のチョコレートも、営業時間などすでに電話で確認済み:)
ということで、気持ち的には準備万端なのですけど…天気がちょっと心配です…
富士山と桜が一緒に楽しめる多摩川台公園:名所・歴史探訪|語ろ具 ...WEBサライ
桜満開:多摩川台公園~桜坂ほか

このサイトで知ったのですが、福山雅治の『桜坂』って、こちらの「さくら坂」が舞台なのですね!この曲の頃、日本にいなかったということもあるのですが、曲もあまり知らなく、由来もぜんぜん知らなかったのです。
桜坂、新緑の季節も緑が美しく、大好きな坂道でした。よく犬と散歩。切り通しなので、夏も風情あり。

(投稿:日本 2011年4月7日、ハワイ 4月6日)

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ひと月前の裏磐梯旅行以来、ずっと観たいなぁと思っていた『赤い夕陽の渡り鳥』、やっと観賞。ふだん利用しているレンタル店になく、他店からのリクエスト、数週間して入荷、観賞からも数日たってしまいましたけれど、こちらに。

この映画『赤い夕陽の渡り鳥』、小林旭さん主演の「渡り鳥シリーズ」第4作。福島県、裏磐梯、吾妻山周辺が舞台。上映は1960年7月。

映画上映の前年、1959年(昭和34年)に開通した「磐梯吾妻スカイライン」の1960年代的観光地を感じさせる作品。そんなタイアップ的要素もある中、事業家と自治体、開発をめぐる利権などがストーのベースとなっているところがとても興味深いです。

DVDにあった予告編の映像では「長期ロケーション」とあるのですが、撮影は5月下旬からで、クランクインからクランクアップまでも、たしか3週間ほど(撮影はほとんど現地で行われているので、たしかに当時は長期ロケなのででしょう)、当時の映画の製作スピードの早さをつくづく感じ。

監督:斎藤武市、企画:児井英生、原作:原健三郎、脚本:山崎巌、大川久男、撮影:高村倉太郎、美術:中村公彦、編集:近藤光雄、音楽: 小杉太一郎

出演:小林旭、浅丘ルリ子、宍戸錠、近藤宏、楠侑子、白木マリ、大坂志郎、深江章喜、河上信夫、青木富夫 、神山勝、紀原耕、阪井幸一郎、黒田剛、瀬山孝司、島津雅彦、村瀬辰也

予告編の動画はなかったのですが、劇中での小林旭さん演ずる滝伸次の歌唱シーンと感動のラストシーンがありました。

赤い夕陽の渡り鳥:アキラの会津磐梯山:クラブでのシーン
このシーンの前の踊り子さんのシーンもかなりよい感じなのですが、動画はありませんでした。そこから、ゴロツキによる踊り子へのちょっかい、伸次(小林旭)の制裁、このシーンへとつながります。


 
おなじみの福島民謡『会津磐梯山』のアキラ節。歌詞は、民謡のオリジナルとちょっとことなりますね。
なんでも「アキラの… 」が付けられた最初のシングル盤は「アキラの会津磐梯山」と「アキラのツーレロ節」(1960.7.2発売)なのだそうです(情報:「アキラの…」かんむりの謎
(余談:こどもの頃から、民謡『会津磐梯山』って好きだったのですが、「磐梯山」を「番台さん」と勘違いしており、祖母に教えてもらった思い出あり)

アキラの会津磐梯山:
作詩:西沢爽 補作曲・編曲:浜口庫之助



赤い夕陽の渡り鳥:
感動のラストシーン。
4:00あたりからはじまる、渡り鳥シリーズ・テーマ曲でもある『ギターを持った渡り鳥』、「海を流れて」ではなく「雲の谷間をどこへゆく」と歌詞が内容にそってかえられているというのも内容にあった演出ですね。



西部劇的な演出は、ラストシーンにもたっぷりですが、劇中全般にわたり感じられますね。牧場の若者たちの歌い踊るシーン、衣装などにも感じられます。そして、この映画中で、かかせないのがハジキのマサ(政)!宍戸錠さんの役柄がすてきです。子役、島津雅彦くんも印象的(子役へのきっかけは、映画の鹿児島ロケで撮影隊に花束を進呈するポジションになったことからだそうです。たくさんの映画に出演してますね)。
映画劇中で登場する裏磐梯高原ホテルにもぜひ一度宿泊してみたいです。

渡り鳥シリーズ、ロケ地も研究をかさねているファンが多いですね。
情報:栄光のマイトガイ・旭:赤い夕陽の渡り鳥のロケ地を訪ねて

シーンとあわせて動画にてロケ地来訪を記している方もいらっしゃるようです。




ひと月ほど前の裏磐梯旅行記:
民謡 会津磐梯山 レコーディング初期などいろいろ (裏磐梯旅行)
裏磐梯旅行:写真



このたびの震災で、同じ福島県の海側である浜通り地区がたいへんな被害を受けています。心からお見舞いを申し上げるとともに、県内、他の地区でも被害はあり、さまざまな影響がでていますね。
昨年はいわきにも訪れ、先月は裏磐梯へ、と福島の魅力を再認識したばかりでした。
風評はもちろんいけませんが、実際にいろいろな産業にその被害はおよんでいます。できるだけの支援といち早い復興をお祈りします。
東京でもできるだけ、福島の方を迎え入れる体制を整えたいです。自宅近隣の公共施設では、平常運営を変更し、被災者の受け入れを開始しているよう。
(わたしの父は戦中、福島に学童疎開をし、福島の農家にお世話になり地元の学校にいっていたそうです)

(投稿:日本 2011年3月27日、ハワイ 3月26日)


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週末は、長かった時間をリセットするため、そしてこれからつづいていくだろうことにも向えるように、ちょっと充電モード。
海を見に、城ヶ島(三浦)に行ってきました。

いまは、すこし状況はもどっているようですが、ガソリン節約時のドライブ。そして、海、ということもあり、ちょっと迷いつつも、なんだか、自分にとって必要な気がしたので(近所での日常利用は、あれから控えてます。そして、ブログ上では、車種変更について、書くチャンスがなかったのですが、いろんな理由からだいぶ前に切り替え。現在所有は軽なので、燃費よいので、まだ、半分ぐらいあり)。

3連休の土曜日ではあったのですが、城ヶ島はひっそり。干物屋さんやお土産もの屋さん、お店もほとんどしまっていて、人影もまばら。

バスターミナルのあたりから、海に向う道沿いに、一軒あいていたので、お土産買いながら、お店のお兄さんとちょっとおしゃべり。やっぱり、あの辺りは、ドライブのひとが多いので、すっかりお客さんもすくないんですよ、と。先日の忘れられない日の話なども。

そして、さらに細くなる道では、猫さんが。人恋しかったのでしょうか。ずっと一緒についてきてくれました。





この日の海はとても風が強く(南西の風かな)



風と人も少ないので遊覧船もおやすみ(ただ海をみたかっただけなので、今回は、乗るつもりはなかったのですけれど。「遊び船」というのがよいですね)



とぼとぼと歩いていて、頭の中に流れてきたのは、『瞳をとじて』。

荒井由実:瞳を閉じて(1974年) 
作詞・作曲:荒井由実

風がやんだら~、沖まで船を出そう
手紙を入れたガラス瓶をもって
遠いところへいった友だちに
潮騒の音がもう一度とどくように…



この曲、いまの季節らしいエピソードがありますね。

エピソード:
1974年(昭和49年)に長崎県立五島高等学校奈留分校(現・長崎県立奈留高等学校)の女子生徒が奈留分校に合った校歌を作ってほしいと『オールナイトニッポン』の「あなただけのイメージソングを作ります」のコーナーに投書。
当初加藤和彦さんによって曲が作られ番組でもオンエアされたものの、届けられるはずであった録音テープが行方不明に。かわりにユーミンの『瞳を閉じて』が贈られ、その後、学校の愛唱歌として制定されているそうです。1988年には、卒業生の寄付で、歌詞を刻んだ歌碑が建てられ、その除幕式にはユーミンも出席(動画にも新聞記事が)。

三浦、城ヶ島の写真
潮風が強く、白んでいたので、富士山はみえませんでした。



海はいろんな顔をもっていますね。
先日の津波では大きな被害もあり、心が痛みますが、いろんなものを洗い流してくれる気がします。
ハワイでは、海のそばでの暮らしがあって、毎日、そばにあったので、やっぱり、ときおり海を見たくなります。

(投稿:日本 2011年3月23日、ハワイ 3月22日)


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週末のおでかけ関連からの気になり。一昨日、土曜日には、お天気もよく公園日和。車で通りがかりでいつも気になり、いつか行ってみようと思っていた飛鳥山公園に行ってきました。
気になっていた点はいくつかあるのですが、太政官布達によって、上野・芝・浅草・深川とともに日本最初の公園に指定されたこと、そして、渋沢栄一氏の旧邸 「曖依村荘」に隣接し、渋沢栄一史料館があるということも。
(ほかにふたつ博物館もあり、そちらはまた行けるように3ヶ月有効の通し券を購入。また今度。北区飛鳥山博物館では、なんかおもしろそうな展示も予定されてます。ノスタルジア・駅弁掛け紙コレクション 3/19〜5/8

という訳で、今回は公園での遊びのほかは、渋沢栄一関連中心でした。土曜日は、現存している「晩香廬」と「青淵文庫」の開放日ということで、そちらも見学。大正期のモダンを取り入れたすてきな建築物でした。



史料館での展示物、青淵文庫のヒーターなど、気になるものはたくさんあったのですが、晩香廬でみた一枚の写真がとても気になり。
洋風茶室として建設された晩香廬、渋沢栄一氏はゲストを迎えるレセプション・ルームとして使用されていたものとあって、さまざまな賓客の写真が展示されていました。政財界を中心とした各国の方々の写真の中、なんだか、とても目をひく写真が一枚。デニショーン舞踊団来日の際、というものでした。
こちらのブログによると大正14年(1925年)に来日公演をしているのでそのときのものなのでしょうね。
『デニショウン大舞踊団』 帝国劇場 (1925.9)
『デニショウン大舞踊団演目解説』 宝塚大劇場 (1925.10)

デニショーン舞踊団という名前は目にしたことがあったのですが、あまり知識なく。デニショーン舞踊団とは、20世紀初めに活躍を始めた、テッド・ショーン(Ted Shawn)とルース・セント・デニス(Ruth St.Denis)夫妻、二人のファミリー・ネームを組み合わせた名で、舞踏学校および舞踊集団。ヨーロッパでは、ニジンスキーなどが活躍する時代のアメリカでの前衛。モダンダンスの礎となった方々、およびグループなのですね。

この映像は、どこかでみたことがあったのですが(舞踊関係のテレビでしょうか)、デニショーン舞踊団(踊り:テッド・ショーン)の代表的なもののひとつでもあるのですね。

Ted Shawn's Cosmic Dance of Siva



そして、このデニショーン舞踊団について調べていた際に、ひとりの日本人の名前をみつけました。新村英一氏(ニムラ・エイイチ、Yeichi Nimura)。ニムラ舞踊賞という賞もあり、舞踊の世界では、知られる方のようですが、一般的には、その功績に対して、あまり語られていない方のひとりではないでしょうか。
長野県の上諏訪出身ということもあり、諏訪市のサイトなどで、その功績や生涯について知ることとなりました。
長野県諏訪市:ニムラ舞踊賞:ニムラ エイイチ・・・長野県諏訪で生まれた舞踊家の生涯とその軌跡

新村英一さんのダンスは拝見したことがないのですが、写真からでもすばらしいダンサーだったということがうかがえます。

新村英一の功績:年譜
1918年 21才で単身渡米。舞踊家をこころざし、セントデニス、テッド・ショーンらに学ぶ。
1925年 ニューヨークのカーネギーホールでデビュー(デニショーン舞踊団)。
1930年 ニューヨークで発表会、舞踊における東洋と西洋の融合を果たす。
1932年~後の妻リサン・ケイを相手にヨーロッパ各地やカナダ、全米で巡回公演、各地で熱烈な支持を受ける。
1940年~ニューヨークの名門カーネギーホールに総合的な舞踊学校「バレエ・アート・ニムラスタジオ」を開き、ユル・ブリナーやジーン・アーサーなど多くの俊秀を送出。

1979年(昭和54年)に亡くなるまで、一度も日本に帰国しなかったそうですが、、宝塚歌劇団や歌舞伎のアメリカ公演、諏訪地方の精密機械業のアメリカ進出にも尽力。長年の日米交流の功績から、1969年には、勲六等瑞宝章を受章されているそうです。

何より、新村英一氏の生涯においての舞踊への情熱はもちろんのこと、日本とアメリカ、東洋と西洋、過去と未来感。共感ももちながら、深く感銘を受けます。

諏訪の由緒ある商家に生まれたエイイチ氏は、家業の状況の変化などもあり、15歳で、東京へ。その後、21歳で渡米。1918年のこと。いろいろな職業をしつつ、ダンスホールへ毎晩通い、その踊りは、ダンサーからも褒められるほどのエレガントさだったとか。その後、ニューヨークで知り合った日本人俳優から、劇に代役で出演という知らせを受け、本格的な舞踊の道へ。そして、1925年のカーネギーホール、デニショーン舞踊団公演でのデビュー。その後も、いくつもの大舞台を踏み、ニムラの名は舞踊家で揺るぎのないものになっていきました。専門誌ダンス・マガジンには「サムライ・ダンサー、ニムラ」と題した評伝が掲載され、イギリスやドイツの雑誌にも記事が載るようになったそうでう。

「サムライ・ダンサー、ニムラ」いいですね。

やはり日本からでると身にしみるというか、切実に思うのですが、国を出てこそ、自分の生い立ち、その文化が、大事になってくること、武器というか、アピールになるということは感じます。ただ、懐かしむということではなく、自分のベースとなり、必要とされる部分でもあり。

ニムラ・エイイチ氏は、日本人ならではの個性を生かし、東洋と西洋、過去と未来を大切にされた方。
自伝にあるという、「東洋と西洋の理想と技術を融合し、芸術的で哲学的、東洋的で西洋的な、古くして近代的な舞踊の形式作りあげる。これが新しい世界のための適切な舞踊だと信じている。過去のものを慈しみ、現在の信念を大切に、未来への大きな希望を育て上げるものだからである」という言葉。

イギリスでの第一回国際夏期舞踊学校の教師、ヨーロッパ、アメリカでの巡演、世界各地で高い評価を受け、20ヶ国を巡り、王立や国立のオペラハウスなどで公演を行ったそう。

その後、創設した「バレエ・アート・ニムラ・スタジオ」では、先にも触れましたが、ジーン・アーサーやユル・ブリナーも学んだのですね。
ユル・ブリンナーは、「王様と私」で大成功したとき、「それは、あのときニムラから受けたインスピレーションによるものだ。」と語ったと。

王様と私(The King And I):ユル・ブリンナーとデボラ・カー
The King and I:Yul Brynner Deborah Kerr(1956年)



初めてしりました:
ユル・ブリンナーは、当初はサハリン生まれのスイス人と日本人のハーフと称していたのですね。
そのあたりにもニムラ氏のイメージなどあったのでしょうか。いろいろな背景もあって、実際にはスイスとモンゴルの血を引く父親と、ユダヤ系ロシア人の母親の間にウラジオストックで生まれたということを変えていたのでしょうけれど、「日本」というは、そんな感じもしなくはありません。
自分にできたイメージを生かしたという姿勢も、そのニムラから受けたインスピレーション、という語りに関連していたりするような気さえ。

新村英一氏のことば:
そのほかにも、まさに、という言葉があるので、そのまま転載させていただきます。

「舞踊を生みだすのは、もちろん、頭のなかでだが、私の場合、それはスタジオばかりとは限らない。霊感はいつ、どこでも湧いてくる。いなか道をゆっくり歩いているときでも、都会の大通りをいそいで歩いているときでも、時にはゴルフをしているときでも、湧いてくる」

「あなたの仕事には、どれだけ伝統が受け継がれているかと、よくアメリカ人に聞かれる。私の舞踊はとくに伝統にはもとづいていない。伝統的なものがあるように思えるのは、私の心が日本人だからで、それこそ、私が祖先から受け継いだものだからである」

ジェリー伊藤さんのお父様、伊藤道郎さんもですが、この当時、日本人ダンサーが海外で活躍していたということは、ほんとに、ごく最近知ったので、この時代の一連のムーブメントとともに、さらなる興味がふくらむばかりです… :D


(投稿:日本 2011年3月7日、ハワイ 2011年3月6日)


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今週末は、裏磐梯の桧原湖に行ってきました。会津磐梯山といえば、やっぱり民謡会津磐梯山。こどもの頃から「エンヤー♪」という歌いだしや「小原庄助さん、何で身上潰した。朝寝朝酒朝湯が大好きでそれで身上潰した。ハーモットモダーモットモダ」などが大好きで、とってもなじみがある民謡でした、なぜか。
(おばあちゃんが町会の旅行で買ってきてくれた小原庄助さん人形がきっかけだったのかなとも)

テレビCMの「清酒・会津ほまれ」も懐かしく。これ、何かの番組と番組の間に必ずやってたような覚えがあるのですけれど、そこまでは、ちょっと思い出せません。でも、とても印象に残ってるCMなのですよね。


会津生まれでもないこどもでも知っていた、このポピュラーな民謡『会津磐梯山』について、ちょっと昔の録音などチェックしながら、どのように全国的に知られるようになったのかを調べてみました。

「会津磐梯山」は、会津民謡「玄如節」からの派生なのですね。1934年(昭和9年)に小唄勝太郎さんの録音されたものが人気に。「おはら庄助さん なんで身上つぶした」というお囃子もこちらからだったのですね。
情報:会津の歴史(戊辰戦争以外):民謡「会津磐梯山」

小唄勝太郎:端唄・会津磐梯山
演奏:ビクター管弦楽団(三味線入)ビクター 53155-A(1934年)



やっぱり、勝太郎さんはすごいですね。お座敷ものをレコーディングされるまでになったのも、その後
、お座敷系がジャンルとして創作されるようになるのも、この方の当時のポピュラリティーありきという気がします。

1950年(昭和25年)には親善使節として日本の芸能人として戦後初めて、渡辺はま子さん、三味線けい子さんらと渡米し、ハワイ、ロサンゼルス、サンフランシスコと、現地の日系人コミュニティーなどにも訪れたそうですが、世界といえば、こんな作品があったのですね。

勝太郎さん歌唱では、ベルリン・オリンピック・ヴァージョンというものが存在!!

エンヤー♪行けよベルリン、心が躍る~…遠く離れたドイツの空に~
みせてやりたや、独国人に~陸上日本の心意気~♪

小唄勝太郎:端唄・会津磐梯山:ベルリン・オリンピック・ヴァージョン(1936年)
演奏:ビクター管弦楽団
歌詞がひじょうに興味深いですね。あのベルリン・オリンピックだということも含め、背景などいろいろとほかにも調べてみたいなという感じです。提供者に大感謝です。



ほかにも、この頃のものかと思われるものには、魅力的なヴァージョンがありますね。
ふと聴いてみて、いいなあと思ったもの、レーベルをよくみてみたら、"Itsuro Hattori"と書いてあります。
レイモンド服部さんによるアレンジですね。やっぱり、ちょっとルンバ的なリズムも織り込まれ、スウィンギーでもあり。

AIZU BANDAI-SAN/ 会津磐梯山
演奏:コロンビア・ダンス・オーケストラ
録音年は、ちょっと調査不足で、まだ不明です。ぜひ調べたいところです。



鈴木正夫さんによるものもビクター。おそらく昭和10年代の録音ですね。



フルのヴァージョンは、なんと三十番まであるという「会津磐梯山」、創作ヴァージョンもありますね。

日活映画「赤い夕陽の渡り鳥」主題歌である『アキラの会津磐梯山』。
劇中登場する大坂志郎さん扮する事業家の邸宅から望む会津磐梯山は、まさに、この度訪れた裏磐梯だそうです。
情報:栄光のマイトガイ・旭:赤い夕陽の渡り鳥のロケ地を訪ねて
実は、映画をまだ観たことがないので、今度チェックしたいと思います。


小林旭・スリーキャッツ:アキラの会津磐梯山(1960年)
作詩:西沢 爽 補作曲・編曲:浜口庫之助 
チョ、チョチョチョ♪イヤー♪(エンヤーなのだとは思うのですが)



[念願のワカサギ釣り~裏磐梯の魅力を知る]

「凍った湖の上で釣りしたい」というたってのリクエストにより、実行にいたった裏磐梯行き。氷の丸い穴から釣り糸たれて釣りしたいという、このこどもの願いは、ハワイに住んでいたときからなのですが、なかなか実行にいたらず、なんだか春の予感がしてきたということで4、5日ほど前にあわててアレンジ。

あまり知識なく、まずは、どこでできるのかをネットでサーチ。裏磐梯の桧原湖がワカサギ釣りのメッカだということ。ほんとは深夜バスを利用して1.5日調に行こうと思ったのですが、予約もいっぱい。ちょっと不安ともなう中、冬仕様でもないマイ・カーで。夜明け前に出発、春一番の影響もあり、強風、そしてかなりのロングドライブでした。関東では春一番でしたが、福島はまだ寒いですよね。案の定、道路凍結(凍結路面での走行、初めてでしたが、こんな感触なのかぁと学び。スロー走行でなんとか走りきれました。いまのタイヤはきっと優秀なんですね。でも、次はちゃんと準備します)、その後は、冬期通行止めの方面に湖反対周りしちゃったりと、ハプニングもあったのですが、ちょと泣きはいりつつw、予定より大幅に遅れてようやく到着~。
そこに広がっていたのは、全面凍って真っ白な湖にカラフルなテントがたくさん:) とっても楽しいわくわくする光景。やっぱり、来てよかった~、と:D
(写真ではわかりにくいかもしれませんが、なんだかかわいいのです、テントやドーム船。)



今回のテーマは、ワカサギ釣りということで、あまりくわしく裏磐梯については調べていなかったのですが、自然いっぱいのとてもよいところですね。ぜひ、あらためて計画して、初夏、そしてできれば来冬も訪れたいです。

ワカサギ釣りの成果は…といったところ、でも、雪の中でアイスクリームをつくったり、ウサギやキツネの足跡たどって朝の散歩も楽しく。
来年、冬にいくときには、やっぱりこの季節、春ちょっと前がいいかなと。スノーシューでの野歩きなども楽しんでみたいです。
旅のようすはTwilogでも
Twilog:2011年2月26日
Twilog:2011年2月27日
朝、車の中で前夜に置きっぱなしだった手袋凍ってましたけれど、東京へ帰る日は暖かで、こちらにも春が少しづつやってきているようでした。
旅の写真、スライドにしてみました(道中PAなどでの写真含む)。
写真:裏磐梯


(投稿:日本 2011年2月27日、ハワイ 2011年2月26日)


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