5月最後の週末、土曜日は運動会の予定だったのですが、あいにくの雨、予備日の日曜日も…でした☂
5月は下旬ともなると、雨が多いのですよね。昨年は、途中からというか、ほぼ終了の時点で降ってきてしまったもののなんとか無事(でも、天気がくずれてきたので、親の競技やお昼を飛ばして、終了後にお弁当)。
わが子は、小学校の途中から日本生活となったので、今回が2回めの運動会なのですが、5月の運動会、毎年、こんな感じのパターンが多いそうです。

五月雨は、旧暦5月ベースだったりしますが、今年は、もうすでに関東地方、東海地方も梅雨入りしましたね。この開催か否かはっきりしない、スケジュールが読みにくい感じも、ある意味、五月雨式な感じ。

よく知られている季節の雨、由来というか語源のようなものもよく語られていますが、こういうのもあったのですね。
「「さみだれ」の「さ」は田植えの古語で、古来の田植えの時期(現代の農法よりやや遅く6月ごろ)を意味し、「早苗(さなえ)」「五月(さつき)」の「さ」と同語源。「みだれ」は「水垂れ」で雨の意」
日本語は、いろんなものが掛かった言葉なぼで、どの説が正しいとかいうより、いろんな説を楽しむのがまた、いとをかしですね。

大滝詠一:五月雨(1972年)シングルバージョン、「空飛ぶくじら」のB面
作詞・作曲:大瀧詠一
飴売りでございます。シングル・ヴァージョンよいですよね。いとお菓子



大滝詠一:五月雨(1977年)
まさに五月雨らしい、「五月雨」



TOKYO’S COOLEST COMBO:SAMIDARE
アルバム「クール・クラブ・カレンダー 」(199年2)収録 VIBRATIONS au GO GO クール・クラブ・ソングブック - Tokyo's Coolest Combo
小西康陽さん関連の。すてきなカヴァー多いですね。なんだか晴れそうな五月雨。



給食の都合などで、本日、月曜日は、代休。あしたは、天気になるといいなあとお祈りです(-人-)
組体操競技にかなり気合入っているようで、今年の運動会は、いつになくはりきっています。
ハッピーエンドな延期になりますように、こちらも、「あしたてんきになれ」。

はっぴいえんど:あしたてんきになれ(1971年)
作詞:松本隆、作曲:細野晴臣



以前に書いた「マキシマム マキシマム・ホット (アルバム)」に収録されている「ふけもしない口笛ひゅうひゅう」してる少女っぽいカヴァーも大好きです。(ちなみにうちの少年は、かなり口笛がうまい)

あしたてんきになれ マキシマム (コジマ・タエコ、ヨーコ 姉妹) (1975年) あしたてんきになれ - マキシマム・ホット
プロデュース:ミッキー・カーチス、アレンジ:深町純 演奏:大村憲司、小原礼、村岡建、村上"ポンタ"秀一、浜口茂外也



別曲ですが、佐藤公彦 (ケメ)の「明日天気になあれ」もよいですよね。
自己過去もの:佐藤公彦 (ケメ) 明日天気になあれ

[春の運動会]
運動会、秋から春への移行は、1990年代後半あたりから2000年代に入りかなり多くなったようですが、個人的には運動会は秋の方がよいなぁと思ってます。わたしが小学生のころは、5月は「スポーツ大会」といってドッジボールなど、運動会は、「秋の大運動会」と題されていてもちろん秋でありました。
この秋から春になった件や場所取りのこと、お弁当タイムのことなど、自分としては、「ちょっとどうなのかなぁ…」といろんな考えや思いもあり。この変化は、ある意味、現代社会を象徴しているような、でも適してるようで、実は適してないんじゃないか、などということよく感じます。
昨日は、TwitterでもそんなことTweetしてたり、またそれに関する反応などもいただいたりいたしました。
Twilog:2011年05月29日(日)

(投稿:日本 2011年5月30日、ハワイ 5月29日)

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「金毘羅船船、追い手に 帆かけてシュラシュシュシュ~♪」こどもの頃から、よく口ずさんでいる民謡お座敷唄。先日も、散歩中になんとなく、頭の中で、この『金毘羅船船』が。「ふねふね」と「シュラシュシュシュ~」の部分が特に好きだったりします。でも、よく口ずさんでいる割に、一番以外の歌詞を知らず、「~いちどまわれば♪」(←この部分もかなり好き:D)の後は、また「金毘羅船船♪」にもどってしまいます。

歌詞などもちゃんと調べてみよう、と思い動画検索。正統派なものからいろいろなヴァージョンがあったのですが、とっても気になるものをみつけました。

出遭ったのは『金毘羅船船』の英語ヴァージョン!
きっと、この辺りを追求されている方はご存知なのかもしれませんが、ここからいろいろと学んだこともあったので。メモφ(._.*)

Pinky & Fellas:Konpira Fune Fune(1970年)
歌詞は、別れの切なさとどこまでも探しにいくよ、というようなラブソング。
"I find a way to follow you~ I find you Shu Shu~♪"



男:キミガドコニイテモ キト サガスヨ
女:What does it mean?
男:It means I find you no matter where you are
女:アイシテル~ Does that mean I love you?
男:ソウダ アイシテル I love you Shu Shu

「シュラシュシュシュシュ」の「シュシュ」が名前になっているのですね:)

こちらは、『Manchester and Liverpool(マンチェスターとリバプール)』(今回は動画へリンクで)となったピンキー&フェラスのもの。日本グラモフォン(現ポリドール)から発売された『ウオータールー・ロード』という東京ヤングメイツ公演の来日記念アルバムのラストナンバーとして収録。
(日本グラモフォン前撮影の雰囲気がよいですね。アルバムのジャケット写真やそのほかピンキー&フェラス情報はこちら。この方たちも日本でのヒット組、らしいです。
Yesterday's Pop Club:ピンキーとフェラスの「マンチェスターとリバプール」

そして、関連でみつけたのが、こちらでした!
ファーラウトの『Shu-Shu(シュシュ)』。

ファーラウト:シュ・シュ(shu-shu)(197?年)
イントロのギターが、すごく、かっこいいいですね!!お座敷ナンバーらしく大正琴的な音も使われています。



こちらも歌詞は同じですけれど(「ハァ~ ♥」というのも同じくあり)、台詞のパートがちょっとだけちがいますね。
男:キミワ ドコニイルンダ キット サガスヨ I find you no matter where you are.
女:アイシテル~ Does that mean I love you?
男:ソウナンダヨ!ア、アイシテルヨ I love you Shu-Shu~

宮下フミオさん率いる、ファーラウト、日本のプログレバンド。たしかに、アルバム『日本人』があったり、のちにファー・イースト・ファミリー・バンドで東洋的世界へは向っていますが、こういった意味での東洋ナンバーもあったのですね。

こちらは、発売年がわからないながらも、カヴァーなんだろうなとは思っていたのですが、コメントに「ミッキー・カーチスもカヴァー」とあったので、ミッキー・カーチスさんヴァージョンについても調べてみました。

ミッキー・カーチス:シュシュ(1969年)
動画、音源、などはなかったのですが、おそらく、歌詞は一緒。
みると「海外発売シングル」となっています。海外進出をめざし、ロンドンへ行っていた時代の作品なのですね、きっと。発売年は昭和44年となっています。ということは、1969年。
情報はこちらから↓
モンドなリゾート・エキゾ・ジャズ・ロック・バンド:ミッキー・カーチスとザ・サムライズ
あのピンキー&フェラスは、1970年なので、それより前。ということは、英語で歌うという試みは、ミッキー・カーチスさんからなのしょうか。掲載されていたコメントには
「ワウワウギターを中心としたポップな演奏で能天気さが漂うが、GSと言うよりは完全にニューロックバンドの音。終奏には大正琴も挿入され、エキゾを狙う。全体に英詩だが、間奏で英語と日本語で台詞のやり取りが入るのもエキゾの狙いだろう。ファーラウトの演奏がリード楽器を除けばかなり忠実なリテイクだったことが判る」と。そして、ファーラウトのものは、このヴァージョンをベースにしてるそうです。
やっぱり、ミッキー・カーチスさんは、ただ者ではないですね…
(ミッキー・カーチスさん、この頃、ロンドンでは「ソーラン節」も演奏しているらしいです)

このあたりの動き、ずっと気になりつつ、まだ入手していない「JAPROCKSAMPLER ジャップ・ロック・サンプラー -戦後、日本人がどのようにして独自の音楽を模索してきたか-」や「ジャパニーズ・ロック・インタビュー集~時代を築いた20人の言葉~
なども読まなくては、と思ってます。

と、英語版が中心になりましたが、『金毘羅船船』のオリジナル歌詞と遊び方も学習してみました。
歌詞はいくつかヴァージョンもあるようですが、こちら。二番からは、「キララララ~♪」なのですね

金毘羅船々
追風(おいて)に帆かけてシュラシュシュシュ
まわれば四国は 讃州那珂の郡(ごおり)
象頭山(ぞうずさん)金毘羅大権現(だいごんげん)
いちどまわれば

金毘羅み山の
青葉のかげから キララララ
金の御幣(ごへい)の 光がチョイさしゃ
海山雲霧(うみやまくもきり)晴れわたる
いちどまわれば

金毘羅石段
桜の真盛り(まさかり) キララララ
振袖島田が サッと上る
裾には降りくる花の雲
いちどまわれば

金毘羅船船遊び方:
芸者遊び 金比羅船船 2011/1 赤坂料亭にて game with geisya girl



楽しそう、やってみたい~♪

こちらは浅草ですが、「とらとら・金毘羅船船などで芸者と遊んだり、踊りをご堪能下さい」とあるツアーなんかもちょっとチェックしてみました。
旅の発見:江戸趣味プラン 芸者遊び・踊りコース(体験プログラム)

とっても長くなってしまいましたが
おまけ:
エノケンの『金比羅船々』もよいですね!アレンジがすてき!!

榎本健一:金比羅船々




(投稿:日本 2011年5月26日、ハワイ 5月25日)

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こちらには『シュシュ』入ってないようです(念のため)

昨日は、ひさしぶりのちょっと遠出の育自・共育系アウトドアアクティビティ、奥多摩でニジマス釣り。大丹波川国際虹ます釣場というところへ行ってきました。
大丹波川国際虹ます釣場サイト

通でなくてもできるところってないかなぁと思ってさがして行ってみたのですが、初心者でも手ぶらで(軍手はもっていきました。実は、魚とか餌の虫を触るのがあまり得意でないのでw)行っても楽しめる自然の釣堀みたいな感じののところがあるのですね。
日本の渓流、そこで釣りをしてみたい、というのは、ハワイにいたときからのこどもの夢。やっと念願の。
こちらの釣り場、魚は、川を泳いでいるのですが、一日に2回、放流されます(放流直後がやはり一番釣れますね)。食材の準備などしてれば、バーベキューも楽しめるようで、みなさん、そんな感じで楽しんでました。

準備不足なため、バーベキューはできなかったのですが、受付となりの食堂で、釣った魚を塩焼きしてもらい、釣れたてニジマスの味も堪能。けっこうたくさん釣れたので持ち帰りも(最後の方は大丈夫そうなお魚は釣ってすぐ逃がしてあげました)。

ニジマス釣り写真:
自然が豊かで、それだけでも十分なぐらい。初心者ではあるのですが、なぜか、割と釣れるタチなので、すこし流れの変化もあり、大人多めの「一般中流エリア」という場所で。ちょうどそろそろ引きあげようと思った頃に雨ふりとなりましたけれど、お天気もよくさわやかな五月の休日。とっても楽しかったです。



大丹波川国際虹ます釣場は、1956年(昭和31年)にスタートし、当時は近くに米軍の基地があり、外人客が多かったので「国際」というのだそうです。そういえば、受付周り、古い感じの案内板は全部英語でも表示でした。これ、写真撮りたかったのですが、雨が降ってきたので、帰りはその案内板のあたりに人がたくさんいて、じゃまになるかなぁと思いあきらめました…(また今度じっくり)。奥多摩って以前よりとってもアクセスがよいですね(以前ってすごく前)。周辺にもよいところがたくさんありそうなので、今度は、1泊ぐらいの泊まりで出かけてみたいです。

ニジマス釣り、ということで、学校の音楽の授業でもおなじみのシューベルトの「鱒」。
この曲を初めて意識して聴いたのは、多分、給食の時間の放送か何かでしょうか。とってもきれいなメロディーだなぁと。

そのときに聴いたのは、ピアノ五重奏でしたけれど、きょうは、歌曲の方中心で。

Elisabeth Schwarzkopf:Schubert: "Die Forelle (the Trout 鱒)



『鱒』は、1817年、シューベルトが、20才のときに作曲した作品。この歌曲の2年後には、同じメロディーをもちいたピアノ五重奏も。

水の中に現れては消える鱒をイメージモチーフとしながら、歌詞は「ずる賢い漁師が罠を使って魚を釣り上げるさまを歌ったもの」なのだそうです。比喩というか、諷喩、アレゴリーとしては、「男はこのようにして女をたぶらかすものだから、若いお嬢さんは気をつけなさい」という意味なのだとか。

日本語詞としては、堀内敬三氏のものが有名でしょうか。原語の歌詞を短くまとめた形となっているようですが、もともと長いものをこのようにまとめてしまうのは、さすがですね。
Wikipedia:鱒:原詩全文



訳詞:堀内敬三

清き流れを光り映えて
鱒は走れり征矢のごとく
暫したたずみわれ眺めぬ
輝く水に躍る姿 輝く水に躍る姿
岸に覗う魚釣人
巧みこらして思案なせど
水の清きに影は著し
糸を入るれど魚かからず
糸を入るれど魚かからず
心あせりて痴れ者
矢庭に川水をかき濁しつ
竿打ち込めば鱒は釣り上れり
惨しとわれは憤れど 惨しとわれは憤れど

日本語訳詞の歌曲というのは、好きだったりします。ありそうなのに、日本語ヴァージョンの動画みつかりませんでした。


[堀内敬三氏]
以前に、『若き血』についえて書いたときには、藤山一郎さんフォーカスで、堀内氏のこの点には触れなかったのですが、MIT(マサチューセッツ工科大)修士なのですよね。そして、神田区鍛冶町出身(神田しかも鍛冶町は、個人的にわりと反応なのですよね)。浅田飴三男。音楽之友社(スタート時日本音楽雑誌株式会社)も設立。
その他、いろいろと書き出すときりがないくらい好きなワークや反応しどころがたくさんなお方です。
Wikipedia:堀内敬三

おまけ:
パロディものらしきものと説明があるのですが、歌詞がわからないので…
コメントの方もわかりません。今度、Google翻訳で軽くみてみましょうかと思います。

Jules de Corte - Die Forelle (parodie op Schubert's die Forelle)(1957)



(投稿:日本 2011年5月23日、ハワイ 5月22日)

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コーヒー・タイムに、時折、コーヒーにちなんだ曲などを選んで聴いてみたりするのですが、先日は、テレビのBGMなどでもおなじみの『Percolator Twist(パーコレーター・ツイスト)』を。

Billy Joe And The Checkmates:Perculator(1961年)



この曲、『Percolator Twist』、または『Percolator』、Billy Joe & the Checkmates以外にもさまざまな方がカヴァーしているのですね。そして、調べてみると曲についてもくわしく知らなかったことがいろいろあり、日本語で書かれたものもネット上にはあまり多くなかったので、ちょとまとめメモ _φ(..*)

Billy Joe & the Checkmates(ビリー・ジョー&ザ・チェックメイツ)なのですが、ビリー・ジョーって存在しない、というか、DOREレーベルのオーナーであるルウ・ベデル(ご本名自体もいろんなスペリングが…Lou (またはLew) Bedel、Louis Bideu)の企画ものというような感じなのですね。
もともとは、アメリカのコーヒーのメーカー、Maxwell House(マックスウェルハウス)のCM用の曲だったのだそう。

日本では、昭和40年代、50年代によくテレビ番組のBGMに使われてましたよね。
「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」では、放送局別のスポットローカルCM枠において流されるフィラーとして流れてたのですね。あとは、「欽ちゃんのドンとやってみよう!­」内のコーナー「テレ画」で使われてたという(鶴光ANNフィラー1のコメントからの情報など)。

そうそう、そのイメージです。

レコード発売は、1961年のようですが、1962年にかけてヒット。チャート最高では10位に。その後、さまざまなアーティストもカヴァー。

Billy Joe & the Checkmatesと同年、カヴァーというか競作なのでしょうか。あのEarl Palmer(アール・パーマー)も。

Earl Palmer:Percolator Twist
このヴァージョン好きです。ジャケットがたまらなくかわいいですね:D



Earl Palmerのもの、たしかにドラムがきいてますね。
こちらの曲は、やはりカヴァーされる方の楽器持ち味、際立ちによってちょっとしたちがいがあるのもおもしろいですね。

The Ventures:Percolator(1965年(たぶん))
ちゃんと、ベンチャーズ・サウンド~



Hot Butter - Percolator(1973年)
ホット・バターらしくMOOG~♪モーグ味あふれた。



Les Guitares Du Diable - Percolator
こちらは、ポトポト音もギター。そして、やっぱりなんとなくフレンチ。



ふだんは、コーヒーは手で注いでドリップ方式ですが(以前はコーヒーメーカー)、パーコレーターもかわいいデザインのものが多くてよいですよね。味は、やっぱりドリップのがよいかなぁと思うのですが、アウトドア気分だったりもして。
ひさしぶりに森の中や山で、パーコレーターで淹れたコーヒー飲んでみたいです:)

(投稿:日本 2011年5月21日、ハワイ 5月20日)

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昨日は、電話帳からの気になり、小学生の頃から数十年というものについて、書いてみたりしたので、同時期から気になっているもうひとつの「わたしの人生の中で、解決しておきたい小さなこと」。

こちらも、こどもだったゆえにメモなどとっておかなかったので、詳細がわからず。
でも、当時、どうしても、見に行ってみたい、この絵をみながらお湯につかってみたい、と思った、銭湯のペンキ絵。

1978年、BOSTON(ボストン)の『Don't Look Back』が大ヒット。わたくし、当時10才。

音楽雑誌(もしかするとテレビかも)で取り上げられ、都内(多分)の○○湯に、ボストンの『Don't Look Back』アルバムのジャケットのペンキ絵が!とレポート取材。

その銭湯のペンキ絵、アルバム・ジャケットの見開き、そのものでした。
ジャケットのオリジナル・イラストは、GARY NORMAN。このアルバムは、音だけでなく、このギターUFOのイラストがとっても素晴らしかったのですよね。草原にクリスタル(氷柱?)というのも。
(ジャケ写、ささっと撮ったので、あんまりきれいに撮影できてません…)



たしか、そこの銭湯の息子さん、というか次期店主がロック好きだったとか、そんな感じでだったと思うのですが、どうしても行ってみたいと思いつつ、小学生だったので、遠方の銭湯まで出向く、という行動力がなく、そのまま見送ってしまったのです。これ、いまだに後悔してます。そして、銭湯のなど長き未解決問題のひとつ。

同ペンキ絵はなくとも(あったらとんでもなく嬉しいでけど、おそらく、そこまで、同じ絵柄をキープしてるとは思えず)、せめて、どこの銭湯だったのか、いまもその銭湯はあるのか、ということが知りたいのです。

もし、どなたか、ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてくださいませ。

定期的に聴きたくなる大好きな曲、聴くたびに(もしくはUFO系のこと考えるとき)、いつもこのひっかかりをなんとかしたい!とも…。

Boston:Don't Look Back
ギター、いつ聴いてもかっこゆす~



せっかくなので、ジャケット観賞とともに、小学生当時あまり気にしていなかったことチェック。


あらためて、知る:
「No Synthesizers Used. No Computers Used」
さまざまな音源を何重にも重ねた多重録音ながらも、リズムボックスすら一切使用せず、曲のテンポは全て「手拍子」で測り、、膨大な時間と労力を費やしたミックス作業の産物だったのですね。シンセサイザーやコンピュータ使用せず。
(レコーディングのものの演奏は、実はほとんどトムだったというのはきいてた気がします。トムはMITなのですね、しかも、ギターは大学のときからと、そんなに早くなく。ピアノは小さな頃からだったそうですが)
このことは、有名だったようですが、こどもだったので、お風呂屋さんのペンキ絵は気になっても、その辺りは気にしてなかったようです。当時から多重録音にはかなりやられていたのですが。

そして、あらためて、なぜ、この銭湯のペンキ絵がそこまで気になってるのか考えてみたのですが、もとから、ペンキ絵が好きだったというのもきっとあるのですよね。

いまは、銭湯も少なくなり、ペンキ絵の職人さんも、わずかなのですよね。そんなことを心の中で、さみしいなあとか思ってたりするのですが、活気あるイベントも行われてきたりしているのですね。

吉祥寺・弁天湯のライブ・イベント「風呂ロック」:
こちらも銭湯経営者の孫さんからスタートしたものなのですね。やはり風呂屋と音楽シーンは密接なのですね。(現在は、震災の影響もあり、風呂ロックイベントは休止しているようです)

銭湯絵師、中島盛夫さんオフィシャルページ
数少なくなってしまった銭湯絵師の中島さん。

そのもとで修行されている女性、田中さんという方もいらっしゃり。



この動画中に銭湯の件数推移があるのですが、『Don't Look Back』の1978年ごろでも、都内の銭湯、2000軒以上あったんですよね。わたしも、家風呂があっても、よく祖母に連れてたり、遊び感覚で姉や友だちと銭湯に行っておりました(育った場所柄というのもあるかもですけれど)。

現在住んでる辺りにはなんとか残ってるところもあり、数軒、行ってみたことはあるのですけれど、すこし範囲を広げて、銭湯巡りもしてみたいところです。

(投稿:日本 2011年5月20日、ハワイ 5月19日)

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きょうは、朝の宣言どおり、来月の転居にむけ、引っ越し屋さんに電話したり、実際に見積もりにきてもらったりしました。

朝のひと言と曲:
☀GOOD MORNING ☀ おはようございます!! Gong – Eat That Phone Book Coda (◎_◎) 引っ越し屋さんとか、電話したりしてみること ♫

Gong:Eat That Phone Book Coda(1973年)
"What are we gonna do mate?"
"Eat the phone book"



どちらかというと一日の終わりごろに聴く曲なのかとも思いますが、はちゃめちゃな歌詞と独特のサウンドが、電話かけなきゃ、ということなど、なんとなく気分で。
歌詞:Gong:Eat That Phone Book Coda
いろんな比喩ありだったり、ライミングや語呂など。

一部はこちら

at the end of the day
when theres nothing left more to play
and yr all alone
'cept for radio gernome
here's yr angels egg for breakfast in the morning

こちらの『Eat That Phone Book Coda』が収録されているのは、GONGの1973年のアルバム『Angeles Egg(エンジェルス・エッグ)』。ラジオ・グノーム三部作(ほか『フライング・ティーポット』、『ユー』)の真ん中のアルバム。「ラジオ・グノームとは、ゴング惑星からフライング・ティーポットに乗ってやってきた宇宙人であり、テレパシーによって交信しあい、受信できる能力をもつ地球人に向けて海賊ラジオ放送を行っているという」設定。ラジオ・グノーム聴いてみたいものです:)

GONG、おもしろいですよね。デヴィッド・アレンを中心にフランスで結成されたプログレッシブ、サイケデリック・ロック・バンド。英米ではスペース・ロックというジャンルで括られる、そうですが。
Wikipedia:Gong

ラジオ・グノーム三部作の登場人物
ミスター・T・ビーイング : ノルウェイからやってきたエジプト人の学者
フレッド・ザ・フィッシュ : 古いティーラベルのコレクター
バナナ・アナンダ : ヒンドゥー教の賢者でビール・ヨガ行者
オクターブ博士 : 惑星ゴングの賢い導師
英雄ゼロ : この物語の主人公で真のヒーロー
魔女ヨニ : 優しい魔女
キャプテン・カプリコーン : ゴング・バンドのリーダー
ポット・ヘッド・ピクシーズ : 母なる惑星からやってきたポット頭の妖精
娼婦 : 星の水晶城に住む高貴な尼。若くて新鮮だが経験豊富
月の女神セレーヌ : 全てのものの母
鍵の魔術師 : 惑星ゴングの8人の神のうちの一人

曲やストーリーについてはこちらが詳しく
黒鯛はチヌ?:GONG : ANGELS EGG
黒鯛はチヌ?:GONG : FLYING TEAPOT

で、電話に戻り、というか、電話帳。
いまは、あまり使わないのですけれど、根本的には電話帳が大好きで、こどもの頃、よく、パラパラとめくって、だんだん真剣に、という感じで、電話帳をよく読んで(?)ました。
個人名の方は、単純に、自分と同じ苗字は東京にいくつあるのか?などという程度ですが、職業別電話帳、お店の名前などみるのが大好きで。その中でも、とりわけ好きだったのが、喫茶店の名まえをながめること。場所なんかもチェックしながら。

そんなお店にひとつで、いまだ忘れられない名まえのお店があるのです。
以前にもTwitterでそんなTweetをしたことありで。
2010年2月8日:電話帳関係のTweet
「複葉機、という言葉でふとよみがえった記憶。小学校たしか高学年のころ、電話帳で喫茶店の名前をながめるという自分の中でのブームがありました。なぜか。その中に「赤い骸骨と複葉機」という喫茶店の名前があったことを思い出した」(←これ、「と」が「は」なのはあとで訂正したのですけど…)

「赤い骸骨は複葉機」、ずっとずっと、何十年も経っているのに気になっていて、一種、「わたしの人生の中で、解決しておきたい小さなこと」というような事柄のひとつなのです。「あのお店はどこにあったののかなぁ」とか「どんなお店だったのかなぁ」とか、定期的に思い出す未解決な思い、きょうも『Eat That Phone Book Coda』聴いたので、再びこのことが気になって。

ふとぐぐってみたら、びっくり!ありました!
デニム中毒者のたわごと:ミュージシャンのお客さま^^
1970年代の原宿、千駄ヶ谷あたりのことを書いてらっしゃるようなのですが
そういえば、他にもランチタイムになると利用させてもらったカフェで、
「そういえば、他にもランチタイムになると利用させてもらったカフェで、『赤い骸骨は複葉機に乗ってマリリンモンローのところへ飛んでゆく』という名前の店があって、ボクの長いタイトル好きのルーツは、もしかしたらこのカフェの影響にあるのかもしれませんね(笑)」
と。わ~っ!びっくり、うれしい、「赤い骸骨は複葉機」:D

店名、どうやら、電話帳には省略されて掲載されていたようですね(それとも、わたしの読みもれの可能性もなきにしもあらずですが、何度もみていたお店なので、省略説と考えます)。正式な名まえは、「赤い骸骨は複葉機に乗ってマリリンモンローのところへ飛んでゆく」。
原宿、千駄ヶ谷あたりにあったのですね。そういえば、そんな住所だったような気もしてきました…。

しかも、なんだか書いてある内容もかなり惹かれます、「とりわけcharさん、原田真二くん」、わたしにとっても「とりわけ」で、SHOGUNも、つのだ☆ひろさん(ボンバーヘッド時代)、ほかの方々もなのですが、「ミュージシャンのお客さま^^」。
質問とかしようかなぁと思うのですが、コメントの書き方がわかりません(いまひとつ他のブログサービスなどに慣れていないため、テクニカリーに)。
それにしても、数十年来の「赤い骸骨は複葉機」、話題にしている方がいただけでうれしいです。

先ほどこちらをみつけ、PHONE BOOKにはじまり、PHONE BOOKに終わった、という日でした☎
(あとは、なんだかけっこう忙しかったです)

(投稿:日本 2011年5月19日、ハワイ 5月18日)

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加山雄三さんのアルバムでちょっと気になっていたもの、先日、入手しました。「後で買う」的にカートに入ったままの作品もいろいろあるのですが、この度は、『TRIP OF DAVID』を。


探すといろいろと情報が多い方なのに、『TRIP OF DAVID』、なぜか、CDでの再発時のコメントや情報などがあまりなく、「ナイトクラブを彷彿とさせる」というようなコメントものが多く。でも、このアルバム、それだけでは、ないような気がしたですよね。試聴してみたところ、演奏の感じがとても気になり。洋楽カヴァー曲の選曲、演奏や曲調、なんだか職人的な人たちが絡んでそうな予感で…。

これにより、いろんな「知りたし!」な事柄が。「後で買う」を追い抜いての入手となったのでした。
「知りたし!」だったこと:
- 演奏陣はだれなのか?
- アレンジは?
- 『TRIP OF DAVID』、なんでデイヴィッド?

などなど。

加山雄三:マイ・スウィート・ロード(My Sweet Lord)



そんな経緯で入手した訳なのですが、輸入盤的で、ライナーノーツがなく、「なぜDAVIDなのか?」というナゾは残りつつ(英名でデイヴィッドと呼ばれてるとか?ちがうかな)、他の知りたことは解決。

洋楽カヴァー集で、弾厚作オリジナルがない、加山雄三さんが歌手的であり、ギターなどもなく、という辺りが多分、ファンとしては、すこしつらいところなのかもしれません。これは、わからなくありません。

たしかに、このアルバムが製作・発売された頃は、パシフィック・ホテル茅ヶ崎が倒産(前年)、「若大将シリーズ」も終了、加山雄三さんの試練のときで、ナイトクラブ、キャバレーなども回っていた頃ではあるのですが
(あくまでも想像)この洋楽カヴァーというコンセプトは、ナイトクラブ的というより、むしろ、日本のタレントを海外へ、というナベプロ戦略的なもののような気がするのですよね。そして、加山雄三さんの魅力は、その引き出しの多さということで。加山雄三さん、カヴァー・アルバムは、6枚出されてますが、こちらは第一弾だったようです。

アレンジは東海林修さんでホーン系、ベースなんかが、きいたサウンド。演奏などのよさや職人的な音は、まさに納得という感じの方々。制作・演奏陣の情報など、すでに、というところもありますが、あらためて。
(アルバムでの情報がローマ字表記だったので漢字まちがってたらすみません)

ディレクター:渋谷森久渋谷さんは、東芝レコード(のちの東芝EMI)でクレージーキャッツや越路吹雪さんなど手がけ、その後、劇団四季の音楽監督を始め、オープン前からの東京ディズニーランドの全てのショーのプロデュースもされてた方なのですね(このアルバム以前も多分かかわってらした)。

プロデューシング・マネージャー:はったひで(すみません漢字がわからず)
レコーディング・エンジニア:JACK ALMAN
アレンジ・指揮:東海林修
演奏:東海林修&CPC(Central Produce Company)←このCPC(Central Produce Company)は
トランペット、フリューゲルホルン:ドン・レーダー
 秋吉敏子さんなどとも活動されていたジャズ・トランペッター
 Don Rader - Jazz Legend
テナー・サックス、フルート:岡崎広志
 歌えるサックス奏者として有名な。原信夫とシャープ&フラッツ、小原重徳とブルーコーツでも活動されてましたが、同時に伊集加代子さんらとフォーシンガーズもで、「11PM」スキャットでも
 岡崎愛詩(岡崎広志)プロフィール
バリトン・サックス:砂原俊三
 ナイアガラ関連の方々はじめとし、数々のレコーディングに参加されていておなじみの。もとは、宮間利之とニューハードなのですよね、たしか。
トロンボーン:片岡輝彦
 原信夫とシャープ&フラッツ、小原重徳とブルーコーツを経て。その後は宮間利之とニューハードでリード・トロンボーン。息子さんの片岡雄三さんも、宮間利之とニューハード。
ベース:江藤勲
 江藤勲さんは、俳優、江藤潤さんおお兄様なのですね。津々美洋とオールスター・ワゴンからブルー・コメッツに。独特のミュート・ベース奏法。成毛滋さん談で(下記から転載) 「あの頃グループ・サウンズは200以上あったんですけれど、そのほとんどのレコードを、7、8人で弾いているんです。 どのバンドでも弾いているのは同じ。 ドラムは石川晶さん、田畑貞一さん、ベースは江藤勲さん、ギターは水谷公生か僕が一番多かった。 オルガンはミッキー吉野、柳田ヒロ」と語ってらっしゃているほど、数々のレコーディングに参加。「ヘアー」の日本公演でも演奏。
日本ロック名鑑:江藤勲
ピアノ、ハモンド・オルガン:飯吉馨
 赤い鳥やガロでおなじみ、アルファ的なピアノの。飯吉馨とザ・ウィップとしても活動され。飯吉馨さんから学ばれた方による「この一瞬の響きに―ピアニスト飯吉馨から学んだこと」という本もあるのですね。アレンジャーとしてのワークもありますね。
ドラムス:のむらげん
情報がわたしのおよぶ範囲ではないのですが、いままで、聴いてきたものやこれから聴くものなど、気にしていきたいと思います。

収録曲:
選曲もオーソドックスな良ナンバーから、当時の思想、流行を映しだしたものまで。ミュージカル「ヘアー」の『AQUARIUS(輝く星座)』があったりするところもよいです。
1. ラブ・ミー・トゥナイト LOVE ME TONIGHT
2. この胸のときめきを YOU DON'T HAVE TO SAY YOU LOVE ME
3. ハワイの結婚の歌 HAWAIIAN WEDDING SONG
4. 雨にぬれても RAIN DROPS KEEP FALLIN' ON MY HEAD
5. マイ・スウィート・ロード MY SWEET LORD
6. 恋にしびれて ALL SHOOK UP
7. 慕情 LOVE IS A MANY SPLENDORED THING
8. スピニング・ホイール SPINNING WHEEL
9. デライラ DELILAH
10. モア MORE
11. 最後の恋 I'LL NEVER FALL IN LOVE AGAIN
12. 輝く星座 AQUARIUS


(投稿:日本 2011年5月17日、ハワイ 5月16日)

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いままでも何度か、こちらで触れているカセットマガジン、TRA。
ピテカン/TRA関連
どの号も自分の中では、思い入れがある中、Vol.4 "COMICS" 、この号は、コミック・漫画という視覚と物語への感銘、英語やフランス語だけでない多言語への関心、音やその中に込められたメッセージ、感覚的ものに加えて、そこから広がる新たな興味など、あらゆる意味で刺激をうけた、思い入れの強いものでした。

ことあるごとに、あの黄色い表紙のコミックの号と再会したい、と思い、伝えたりしてきたのですが、先日、ついに、その音にまた出会うことができました(涙、涙の再会級)。

この号の中でも、特に夢中になった、ロシア語の朗読とMUTE BEAT(ミュート・ビート)のサウンドでくり広げられた冒険物語、山川惣治氏の「少年タイガー」でした。

TRA SPECIAL COMICS [TRA-S04] (1984年)
新しくもあり、懐かしくもあった印象は、幼い頃にみていた紙芝居とまさに似たような感覚だったのです。当時、山川惣治さんがもともとは紙芝居からその世界を切り開いていったということは知らずに。
(こどもの頃の紙芝居:一般的な紙芝居世代ではないのですけれど、昭和50年代はじめくらいまで生家近くのお寺の側には紙芝居のおじさんきてました)





TRAのコミック・スペシャルへの思い出をきっかけとして、いままで、断片的、部分的にしか触れていなかった、山川惣治さんの作品、また、その軌跡、生涯について、さらに知りたくなり、まずは、入門的に「山川惣治―「少年王者」「少年ケニヤ」の絵物語作家 (らんぷの本)」を手に取り、読んでみることにしました。



この本では、山川惣治さんの代表的作品「少年王者」、「少年ケニア」、「少年タイガー」などの冒険活劇的世界、そのほかのさまざまな作品が紹介され、また、その生涯、インタビューなどの抜粋も。

わたしが、リアルタイムで出会い、目にしたものは「十三妹」(1983年~、これも存在を知ってたぐらい)とビックリハウス(1982年)あたりでしょうか。

絵物語という、山川惣治さんならではのジャンル、その世界、のちの漫画家やイラストレーターの方々への影響(これは自分の推測、想像含む)、また、その人や生涯へと、さらに興味と関心をもつこととなりました。

その代表的な作品たちには、冒険と勇気溢れる世界は、山川フォーマットともいえるであろう、親と生き別れた少年が密林でたくましく成長、動物たちからも信頼をよせられる若き王者となるという、パターンがあるのですが、これは、山川惣治さんご自身の夢でるとともに、戦前、戦後(戦中作品はまた若干異なるものの)と少年たちの夢であり希望の源(そのままではなくとも人生にも置き換えられることは多々あり)。

印象に残ったことや学んだことは、作品、ひととなり、人生すべてにおいて書ききれないほど、ではありますが、エピソードなどのいくつかをこちらに。

[作品・作風・影響]
戦前、少年読み物は小説に挿絵が一般的であたなか、紙芝居という経験から絵物語というジャンルに発展。これは、山川惣治作品によって確立されたジャンルといえる。

漫画への影響。絵物語が登場するまでの漫画は、滑稽なストーリーや風刺などが中心であり、絵のタッチもシンプル。山川作品によって劇画的なジャンルが生まれる。

レコード紙芝居。1930年代、紙芝居からの影響を受け、語りと伴奏が録音されたレコード紙芝居が企画される。初期はリーガルレコード、後期は大日本画劇とコラボでキングレコードが発売。ラジオ紙芝居というものもあった。
レコードとハガキファイの絵がついたもの。原画・作、山川惣治の「爆弾サーカス」、「勇犬、軍人号」などもその中に。

代表作品は、メディアをかえ、さまざまな形でリメイクをさえる。「少年ケニア」は、オリジナル開始は昭和20年代だったにもかかわらず、ラジオ、テレビ、映画となり昭和50年代後半に角川でまた出版される(←企画者の山川作品への愛情、また山川氏への敬意に起因するものが大)

すい子(熱にうなされ病んだ)を抱きかかえるシーン。少年物で、男の子が女の子を抱きかかえたのは「少年王者」がはじめて。新聞にたたかれる。

「おもしろ文庫」、「おもしろブック」ほか。集英社は、山川惣治作品「少年王者」で大きな出版社となった。
この「おもしろ~」は
「おもしろ倶楽部」:ノックノック(NOK)・ニューおもしろ倶楽部 サディスティックス出演 
「ロックおもしロック」:ロックおもしロック
なんかとも通じるものが。

山川作品の中の少女たち。初期は、すい子のようにか弱いが、のちは、ケートのように、自らも闘い力及ばぬ場面では助けを求め、最後の十三妹は超人の強さをもつ。ヒロインたちは、時代とともに強くなる。

たくさんの冒険ものや未開の地の作品を書くも、海外旅行は72才。初めてケニアへ。

[生涯・人となり]
本所の製版所での修行時代を経て、22才で紙芝居の制作、貸元「山川美術社」設立へ。のち、そうじ映画社に発展

もともとはファミリーでのバックグラウンドであった菓子屋をはじめようとしていた(山川家は福島の大きな菓子屋であったが事業に失敗し、惣治、2才で上京。本所で育つ。兄と菓子屋をはじめようとした際も事業協力者に裏切られ資金を失う)

戦中に戦争協力思想のある作品などもあったため、戦後すぐには出版界には復帰できなかったが、単行本の挿絵などを経て、また絵物語としての作品が復活。

関東大震災(子供の頃)、戦災では大きな被害をうける(成功したものの)。山川美術社、そうじ映画社と、さまざまな試みと挑戦ののち、タイガー書房というみずからの出版社をもつが倒産。

山手にドルフィンを開店。アメリカ風メニューと眺望で人気店となりユーミンの『海を見ていた午後』にも歌われるが手形詐欺にあう。

※この数々の事業の困難でも、必ず出版社、企画者などのサポートを得る。敬意、愛情、支持。
1992年、84才でお亡くなりになる最後まで、絵の依頼も受けている。最後の依頼者は、山川惣治さんから多大な影響を受けたという横尾忠則さん。

家族による話。本人が漫画のよう。
-ガードレールをまたごうとして「あれ?お父さんがいない。どこだ?」と探すと、ガードレールの向こうに転んで倒れている。
-自転車に乗って川にそのまま飛び込む。
-自転車に乗ってペンキ屋に突っ込む。ペンキだらけになる
-孫との散歩。駅までお使いにいくのにへんな道ばかり通る。いろいろなところをよじのぼったりしながら。

山川惣治さんの人生も波乱万丈、その冒険を乗り越えるある種飄々とした身軽さを常にもっていたような印象も。

きっかけでもある再会、これからも山川惣治さん作品、気にします。さらに、深く触れることができるといいなぁと。

(投稿:日本 2011年5月16日、ハワイ 5月15日)

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気になっていたグループ、最近の調べものは、ザ・クレッシェンドス。アメリカでも同名グループが存在しますが、1960年代に活躍したシンガポールのコーラス・グループの方で♪

このザ・クレッシェンドス(The Crescendos)、はじめて出会ったのは、ちょうど一年ほど前、自分の中でなんとなく、ずっと気にしている曲のひとつ、『ブンガワン・ソロ(Bengawan Solo/ 美はしの河)』のいろんなヴァージョンを探していた際。

『ブンガワン・ソロ』のすてきなバリエーションはたくさんあるのですが、はじめてザ・クレッシェンドスのこの曲を耳にしたとき
「わぁ~、このグループ、メンバーがなんだかとっても音楽をたのしんでるぅ♪」
と感じたのです。ポップなドゥワップ調アレンジでありながらオリジナルへの敬意も感じられる、すてきなコーラスワーク。

The Crescendos:Bengawan Solo
いつ聴いてもよい~♪
ジャケットもすてきで、お写真の初々しさも、なんとも。



「初々しい」という言葉は、その若さをたたえる意味で、なのですが、クレシェンドズは、学校が終わったあとの余暇・趣味は音楽というレイモンド・ホー、ジョン・チー、レスリー・チアという3人の高校生が集まり結成。ラジオ番組、タレント・ラインに応募、出演してみよう、ということになり、何かかけているなぁと考えたボーイズは、スーザン・リム(レスリーの妹のともだち、当時13歳)を勧誘、というのが、このグループの始まり。

1962年のタレント・ラインにエントリー。1位とはならなかったものの、当時、シンガポールには珍しかったというコーラスのスタイル、3人のボーイズに紅一点のスーザンというグループの構成などが受け入られて、またたく間に人気者に。
1963年フィリップス・レーベルからリリースされたシングル『Mr. Twister』と『Frankie』は、12,000枚を売り上げて、トップセールスに。

The Crescendos:Mr. Twister(1963)(←埋め込みできず、リンク)

The Crescendos:Frankie



シンガポール国内でのコニー・フランシスのヴァージョンより多かったとか。フィリップスからリリースというのもシンガポールのグループとしては、初だったそうです。
そのあたりのお話は、こちらローカルのテレビ番組からのクリップでも。

The Crescendos (Singapore) - Tribute, Part 2 of 3(←インタビュー動画とトリビュート映像)。
ちなみに、こちらでのまとめは、このビデオやザ・クレッシェンドスの動画にあるコメントからです。

その後、4枚のシングルをリリース。『The Boy Next Door』は、フィリップスのインターナショナル・チャートでは、2位に。

The Crescendos:The Boy Next Door(←埋め込みできず、リンク)

それにしても、かわいい光景が浮かぶ歌です~:)
動画、左からジョン・チー(JOHN CHEE)、スーザン・リム(SUSAN LIM)、レスリー・チア(LESLIE CHIA)、前方がレイモンド・ホー(RAYMOND HO)

のち、グループには、ベースにイスラエル・リム(ISRAEL LIM)とドラムスとしてピーター・ソー(PETER SOH)が加入。
そして、とってもチャーミングなスーザンは、シンガポール生まれでポップ・ミュージック・シーンを飾った最初のボーカリストともいえるアイドル的な存在に。
1967年には大学に入学し、キャンパス・ライフも謳歌。たくさんの友だちにかこまれ、充実した日々。

1970年2月、若く、才能に溢れ、幸せいっぱいだったスーザン(当時22才)に、マレーシアのカママンで悲劇が。卒論も提出した後のバケーションで、大波(津波級)にさらわれ、周囲の数人も。一緒に居た恋人の遺体はみつかったものの、スーザンの遺体はみつからないまま。1982年にはシンガポールのミュージック・シーンに功績を残したひと、として、故人へのアワードが送られたそうです。

Susan Lim & Thunderbirds:With Every Little Star
こちらは、ザ・クレッシェンドスとしてではなく、スーザンのソロとして出された4曲いりの『SUE』に収録。




音楽面、グループでの活動に再びもどりますが、先の『Bengawalon Solo』をはじめ、時代にあった表現でありながら、幅広い層に親しまれるナンバーを歌っていたのも特徴的ですね。

The Crescendos:Waktu Fajar



ザ・クレッシェンドス、ナンバーの数々
(↓この形式だと、埋め込みできない分は飛んじゃうんでしょうかね。念のためリンクも↑)



[アジアやいろんなお国の方々]
ファビュラス・エコーズ/ ソサエティー・オブ・セブン (フィリピン、香港、ハワイ)
なんかも以前書いてみましたが、日本語の資料、あまりないようなので、少しづつ、亜モノ、アジア方面の方の気になりも、調べていきたいと思います。

(投稿:日本 2011年5月14日、ハワイ 5月13日)

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今週も何かしたかなぁという間にあっという間にすぎ、もう週末となってしまいました。

わたし自身も、周囲も、今回のいろんな世間の件では、時代の波にのってしまっており、毎日なんだか、やることあり。

今週は、いろんな書類を揃えたり、オフィスの片付け。仕事上連絡しなきゃいけないかなぁと思うひとにもメールや電話(でも、あっ、忘れてたということもあり、逆に相手先から別の方に連絡がいって、連絡もらっちゃたり…。すみません、な…)。
仕事は、半分弱ぐらいにはなったので、もうすこし時間はできるかなぁと思っていたのですが、プライベートでもいままで放っておいたことで片付けないと、なことなども、けっこうあったりします。
朝、一日の予定を立てても飛びこみで諸用があったりで、変更したり。

でも、どれも、すこしづつではありながら、一応動いていたり、それなりの準備など進んではいます。
楽しい手続きも進展。どうにか、新居も希望のところに決まりそう:)
(これも、なんだか動きまわったりしている理由のひとつ)

『Busy Doin' Nothin'』な日々。

もうちょっとお出かけしたりしたいなぁ、とか(用事の合間、ご近所寄り道、遠回り系散歩を展開する時間は前よりできました♪)、会いたかったひとたちにも連絡しようと思いながら…もうすこし経ったら、ペースをつくって、そんな時間もできるのでしょうか。

このところ、陽気もこんな感じ。

The Beach Boys:Busy Doin' Nothin'
1968年のアルバム『Friedns』に収録



Friends プレイリスト

ザ・ビーチ・ボーイズのアルバム『Friedns』、20代の頃、バイト先でよく聴いてました。CDやテープ(まだお店にテープデッキがあった…)は、持ち寄りか会社が用意。多分、これは、会社のか、ほかのショップのひとのだったような。

代官山同潤会アパートもなくなって、お店もなくなちゃっって。いまはない森永ベーカリーのパンでお昼とか懐かしく。
たまに入っていた、郵便局近くの漫画がおいてある喫茶店はまだあるのでしょうか。
あの頃の代官山のこと、そのまんまな感じで書いてあるようなブログ、回想などをみつけるとつい見入ってしまいます。帰国してから、まだ一回もゆっくりいってないので、まだ残ってるお店もあるので、近々、代官山にも出かけてみたいと思います。

(投稿:日本 2011年5月14日、ハワイ 5月13日)

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1年弱ほど前、関連動画などふらふらと、たどりついたカレッジ・フォーク・グループ、Junk Fellows(ジャンク・フェローズ)。偶然に耳にしたこともあり、名前が思い出せなくて、でも、ずっと頭の片隅で気になっていた方々。先日、思い立って、再検索、どうやってたどりついたんだっけ?などと思い出してみて、また、聴くことができました。

Junk Fellowsは、1967年から1971年に、大阪シティ・ジュビリーのメンバーでもあり、当時、活発だった関西フォーク・シーンで活動。
Wikipedia:関西フォーク

フォーク・シーンとはいっても、Junk Fellowのレパートリーは、幅広かったようですね。コーラス・ワークがすばらしく、そのアレンジもボイス・クオリティにも、オリジナリティというものを感じます。
このアマチュア・カレッジ・グループであるJunk Fellowを知ることとなったのは、こちらがきっかけでした。

The Junk Fellows:Sergio Mendes & Brasil '66:The Joker (Cover)
朝日放送第一スタジオでの録音



The Junk Fellows:PPM:I Dig Rock'n Roll Music(Cover)
朝日放送第一スタジオでの録音



ポップス、ボサノヴァ、フォーク・ロックなどを中心にカヴァーからオリジナルまで。こちらの動画には、レコーディングの風景、当時の活動のお写真。

Junk Fellows:Peter and Gordon:A World Without Love(Cover)



Junk Fellows:A lonely journey (一人ぽっちの旅路)



今回のサーチでは、いろんな曲を聴くことができたのですが、動画のアップ主、ueno12132000さん(和田さん)は、メンバーだった方。いまでも、メンバーの方は、音楽を続けられていたりするようです。

Junk Fellows:Try To Remember:
「私が18歳のころに作った歌です。もう42年も前ですね。この曲を聴くと当時のことを思い出します」というコメントが。きっと、とてもすてきな絆のあるグループだったのですね。



こちらは、1970年8月の解散フェアウェル・コンサート、豊中市民会館でのライブ音源。オープニング・ナンバー。「レッツゴー、ジャンク・フェローズ♪」

The Junk Fellows:Sergio Mendes & Brasil 66 - Mas Que Nada (Cover)



Junk Fellows 再生リスト

「L'Amour Est Bleu (恋は水色)」もよいですよ。
12弦ギター、コーラス、など、とても。

ueno12132000さんチャンネル

(投稿:日本 2011年5月10日、ハワイ 5月9日)

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きょうは、午後の小おでかけ、三越に仮面ライダー展を見に行ってきました。ゴールデンウィーク最後の日とあって、思ってた以上のけっこうな人手。展示は、大きなスペースではないものの、石ノ森章太郎氏による原画や名シーンの写真展示、歴代ライダーの等身大立像展示は圧巻でした。また、仮面ライダーの思い出があるクリエーターの方々による「MY仮面ライダー」と題したトリビュート的イラストの展示などがすばらしく、ほんとは、もうちょっとじっくりみたいなぁという感じだったのですが、ちびっこたちも多く、彼らにあまり邪魔をしない程度にはゆっくりまわることができました。

会場内は、基本撮影禁止なのですが、立体像などは撮影可。全部の仮面ライダーをおさめることはできなかったのですが、できる範囲で撮影(最近のものは、一緒に撮影したいちびっこたちが多そうだったので、省略)

仮面ライダー展:



そして、本日、もうひとつのお目当ては、「三越」そのもの。こどもの頃の思い出いっぱいのデパート。ちょっと離れた駐車場から、送迎車で行くプロセスやら何やらなのですが(きょうは電車だったので、それは無し)、やはりなんといっても、その建物のディテールのクラシックな美しさ。小さな頃から建物好きだったので、いろいろな好きポイントが記憶にも。そんな全部をまわることや撮影することはできなかったのですが、すこし写真に収めてみました。中央吹き抜けの吉祥天女様(佐藤玄々氏製作)は、やはりいつみてもすてきですね。天井や手すり含め、あのつくり、空間そのものがとても好きなのです。



三越といえば、以前に、提供番組「レディース4」に関しては、高崎一郎さんのことも含め菊池ひみこさんによるテーマ・ミュージックなども書いているのですが
レディース4 テーマ ほか 菊池ひみこ
一度はまとめなくては、と思っていた、三越と音楽について今後の課題も含め簡単に。

三越少年音楽隊:
まずは、やはり三越と音楽といえば、「三越少年音楽隊」。
三越の歴史は、1673年に三井高利が江戸本町一丁目に呉服店「越後屋」を開業したことからはじまりますが、デパートとしては、「デパートメントストア宣言」を標榜した、1904年がスタートといえるかと。その後、食堂が開設されたり、1914年には、ルネッサンス式の日本橋本店が落成。日本初のエレベーターなどいろんな初めてがある三越ですが、この間にスタートした文化面では、三越少年音楽隊があげられると思います。三越少年音楽隊は、1909年(明治42)に東京と大阪で組織され、西洋音楽の黎明期に、交響楽や吹奏楽の発展において多きな意味をもつものだったようです。1926年には活動が休止となってしまったようですが、ニットー・レコードでのレコーディングもあり、少年音楽隊の指導には、帝国海軍軍楽隊や東京音楽学校から講師を迎えるといった本格的なもの。三越の名物ともなっていたのだそうです。
有名な方では、田谷力三さんや佐野鋤さん、なども。
(佐野鋤さんに関しては、以前もこちらで書いてます「佐野鋤 1940年代 ジャズ・アレンジ民謡 (日本ジャズの誕生シリーズ)」)


ほかにもいろいろ、手書きメモをとってたはずなのですけれど…。
(百貨店では高島屋も音楽隊を。英ハロッズなんかからの発想などもあるのしょうか)

以前、たしか、この三越少年音楽隊による『お江戸日本橋』が視聴できたと思うのですけれど、今回の検索ではみつかりませんでした。今後、他のレコーディング曲も含め機会があったら聴いてみたいということで、宿題。


三越新社歌 若い生命:
もうひとつは、社歌。藤山一郎さんと織井茂子さんよる『三越新社歌 若い生命』というものがあるとのことで、これも、ぜひ、聴いてみたいのです。こちらは、ブログに書かれている方がいらっしゃいました(櫻井とありますが、たぶん織井)。昭和47年(1972年)の録音だそうです。B面の『メインストリート』もかなり興味深いです。作曲、古関裕而さんなんですね。ますます。作詞は藤浦洸さん。
(前に、たしか、オークションに出てたんですけどね…。やはり、めぐり会いですね。いつか…)
SOULOG:三越伊勢丹グループ その2(←ジャケ写もあり)

そして、本日、Twitterでの投稿から、すばらしき憧れ音源所有という。
それは、岡村みどりさん(Mint-leeさん)でした。ソノシートのコレクターでもあられるみんとりさんは、なんと、1960年の三越創立50周年にあたる吉祥天女様設置記念のソノシートをお持ちなのだそうです。

さまざまな文化活動も展開してきた企業である三越、ほかにも、音楽関連はありそうなので、これからも気にしてはいきたいと思います。

おまけ:お江戸日本橋
『お江戸日本橋』は、開店時にパイプオルガンで演奏される曲でもあり、三越のテーマ的存在でもあり、きょうは、ちゃんと日本橋も渡りましたよ、ということで。
関連ともいえる佐野鋤さんアレンジの『お江戸日本橋』。
編曲:佐野鋤
演奏:ビクター・スヰンガーズ
これ、前にもポストしてますが、大好きなアレンジなのです。『お江戸日本橋』のジャズ仕立てや軽音楽調などに目覚めさせてくれたのは、このヴァージョンといっても過言はないかもしれません。



関連ではないですが。中村八大ジャズ・トリオによる、こちらもかっこいい『お江戸日本橋』。



(投稿:日本 2011年5月8日、ハワイ 5月7日)

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昨日、別のピアノ曲のメロディーを思い出そうとしていたのですが、この曲が頭の中で連続再生でしたので、「太田胃散」のプレリュード、ショパンの前奏曲第7番イ長調。



「ありがとう、いい薬です」と共に長年にわたり太田胃散のトレードマーク的に使われているおなじみクラシック曲。「イ長」と「胃腸」をかけたというエピソードもあったりするようですね(そうであるとかそうでないとか、いろいろと。広報によると単なる偶然と)。
そして、この曲は、日本のみでなく、同社海外用CMでも。

太田胃散CM 中国語吹替版:



日本の外での長い生活から戻った後でも、かわらずCMに使われていて、さまざまなことが目まぐるしく変わっていく中で、かわらないっていいなぁと、なんだか、ほっとした気持ちにさせてくれました。

高島礼子さん(2010年10月~)
ケイヒ、ウイキョウ、ニクズク、チョウジ、チンピ、ゲンチアナ、ニガキ末、生薬のよさを生かしました。スーッとしましょう。ありがとう、いい薬です



この度調べていて、少々気になるプレスリリースをみつけました。2011年4月28日付のものなのですが、
「株式会社太田胃散(本社:東京都文京区 社長:太田美明)は、新CMキャラクターに本仮屋ユイカさんを起用した「太田漢方胃腸薬II」の新CMを2011年5月9日(月)より全国で放映いたします。…(略)様々な職業の女性が、日々抱えるストレスに負けずに前を向いて歩いていく姿がとても力強く、元気を与えてくれるCMです。
なお、太田胃散では、長きにわたりショパンの「前奏曲(プレリュード)第7番イ長調」をTV-CMのテーマソングとしておりましたが、今回は「癒し」ではなく、ストレスに負けない「元気」を世の女性たちに与えるために、ストレスを抱えた女性への応援歌としてオリジナルテーマソングを制作いたしました」
とオリジナルソング起用の発表が。
PR TIMES:【太田漢方胃腸薬Ⅱ】新CMキャラクターに本仮屋ユイカさん起用!爽やかなOL姿で『ストレスによる胃の不調』に悩む日本の女性を応援

ショパンの前奏曲第7番イ長調は、太田胃散のみでなく、株式会社太田胃散のさまざまな製品に使われていただけにちょっとびっくり。
さっそく株式会社太田胃散の企業サイトを確認。
どうやら、他の製品には、そのまま使われているようで、これからは、製品ごとの差別化を図っていこうということなのかなぁとまずは解釈しています。
株式会社太田胃散:CM紹介

「さまざまな生活のシーンで日本人の胃腸を支え続けて~総合百三十余年、生薬の恵みが生きている。ありがとう、いい薬です」
とある太田胃散、せっかくなので、サイトにあった社史も拝見してみました。社名は、創立時は、雪湖堂だったのですね。太田とは、創業者である太田信義氏の名前から。その後も太田ファミリーにより経営されているようですが、ある時期までは、初代の名前も襲名制だったようで、興味深いです。
株式会社太田胃散:会社紹介:社史

ほんとは、ショパンの前奏曲第7番イ長調が、いつから使われていたのか、ということが知りたかったのですけれど、そちらは、今後の課題にすることにいたします。

現在、CMに出演しているのは、高島礼子さん(太田胃散)、本仮屋ユイカさん(太田漢方胃腸薬Ⅱ)、内山理名さん(太田胃散<A錠剤>)さん。
過去には、前田武彦さん、川谷拓三さん、宍戸錠さん、加藤芳郎さん(このあたりまで、記憶の中で色濃く、太田胃散のイメージです)、仲本工事さん、若村麻由美さん、鈴木蘭々さん、渡辺いっけいさん、さとう珠緒さん。ごく最近までで、優香さん、中井美穂さん、長嶋一茂さん、南野陽子さん。
参考:Wikipedia:太田胃散

株式会社太田胃散CMいろいろ(比較的最近のものが多いしょうか)
この辺りも、みてみると、しっかり覚えてますね。
198?年:



1991年:



お酒を飲んでて、世の中がぐるぐる回りはじめたら…
AMラジオCM ニッポン放送 1995年:



さとう珠緒&長嶋一茂:太田胃散A錠剤 ほか太田胃散、太田胃散分包 2002年



南野陽子:太田漢方胃腸薬Ⅱ 「いろんなストレス」篇



太田胃散 チュアブルNEO CM オフィス篇:




(投稿:日本 2011年5月8日、ハワイ 5月7日)

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最近、よくお茶してます。
実家系のこと、いつもならわたしが出向くところなのですが、先日は、父が会いにきてくれるとのことで、どこか、近くでお茶をしようと。車をとめることができて、ゆっくりできるところはないかなぁと考え、お天気もよかったので、明治記念館に行ってきました。

こちらの本館の建物は、明治14年に赤坂仮御所の別殿「御会食所」として建てられたというものだそうで、車寄せや建物内の雰囲気なども、よいのですが、お庭から眺める本館はなんとも美しく。せっかくなので、お庭散歩も。さざれ石なんかもあったりします。



ふだんから、父とはわりとよく話をするのですが、あまり特別にふたりで外で会うということはなかったのですけれど、こういう時間はよいですね。

この日のイメージは、モーツァルトのピアノソナタ第11番イ長調でしょうか。第3楽章は「トルコ行進曲」として有名ですが、主題がさまざまなバリエーションでくり返す第1楽章なイメージの日でした(なんとなく)。

この曲で好きなヴァージョンは、どれかなぁと聴きくらべてみたところ、ヴァルター・ギーゼキングのタッチが装飾的な感じがせず、シンプルなのに情感があり。速さもこのくらいのテンポが好きなのです。

モーツァルト:ピアノソナタ第11番イ長調, 第1楽章: Piano Sonata No. 11(Andante grazioso)
演奏:ヴァルター・ギーゼキング レコーディング:1953年



相変わらず、ピアニストの名前とかくわしくないのですが、「飾らない」とかいいましたが、ヴァルター・ギーゼキング氏はすごい方なのですね。
いつものごとくクラシック101的自分メモです_φ(..)

ヴァルター・ヴィルヘルム・ギーゼキング:
ドイツのピアニストであり(アマチュアの蝶類研究者でもあるとか)、「世界で初めて「ピアノのために書かれた作品を全て演奏できる」という特技をトレードマークにした」。没後半世紀たっても語りつがれるピアニストで、譜面を検討し、その演奏をイメージしてから、曲を完璧に弾きこなすのだそう。楽曲構造に対する明快な洞察力をもつと同時に本能的で直感的でもあったとのこと。
Wikipeia:ヴァルター・ギーゼキング

(さっきこの曲のメロディー思い出そうとして、なんか別の曲にすりかわってしまったのですが、そちらはまた別に)

(投稿:日本 2011年5月7日、ハワイ 5月6日)

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昨日は、ブルースでなくMint-Leeな、みんとりさん、こと、岡村みどりさんに初めてお会いいたしました。

みんとりさん、まずは、岡村みどりさんプロフィール
マニュアル・オブ・エラーズ/マヌエラ:プロダクション&アーティスト:岡村みどり
「キチントさん、キチントさん、キチント、キチント、キチントさん♪」をはじめとして、数々のCM音楽を手がけ、映画やNHK番組にも曲提供をなさっている方で、コンスタンス・タワーズ、そしてSpace Ponchという活動もされていて、去る3月11日には、Out One Discから『ブルースでなく(Mint-Lee)』というアルバムをリリースされ、とってもとってもすごい方なのですが、Twitterでは、ハワイ話やら(ハワイ好きとおっしゃる方はたくさんいて、それぞれに好きポイントもいろいろだと思うのですが、みんとりさんのハワイは、わたしの好きなハワイと一致するものがとても多く…)、その他、お話をさせていただいているのですが、直接お会いしてお話したいこともたくさんあったので、お時間をいただいたのでした:D

岡村みどりさんのつくり出す音は、遊園地のようであり、夢のアニメーションのようでもあり、お菓子工場をも思い浮かばせるような、大好きなサウンド。先日、リリースされたアルバムの帯の「「レイミンスコット?」オモシロイ。」との細野晴臣さんコメントな…実際に、『RAYMINT SCOTT』という曲もありですが、レイモンド・スコット的な世界のように(その他にも音楽家にちなんだ曲もあるのですが)、楽しくて実験的で、ポップだけどクラシックのようでもあり。

(『ブルースでなくMint-lee』、音はもちろん、盤やジャケットの細部までこだわりのトータル作品。現在、生産のプロセスの都合で入手は困難となっているということですが、稼動次第、ということで、いち早くと願っております)


岡村みどりさんご自身も、とっても夢のある方というかドリーミーな世界に住んでおられて。

提供曲のCMなどもさがしたのですが、検索不足でしたので、Space Ponchライブ

Space Ponch live - Nylon 100°C 30th Birthday



そして、岡村みどりさんのサウンドをわたし的イメージでいうと…

浮遊する感覚やミクロコスモス的音から感じるイメージは、たんぽぽの綿毛のようでもあり。着地する地点にはあらたな発見が待っているような。



細野さん監修のレイモンド・スコットのトリビュートなども参加する予定もあるそうで楽しみです。

Raymond Scott:Portifino



みんとりさんとお茶:
伺ったお店は、向島、見番通りと桜橋通りの角、「季節の生ジュースとくるみパンの店」という「カド」さん。
Verita:下町の喫茶店で心と体に栄養を 向島「カド」(なぎら健壱さんナビゲート)
カウンター上の透かし彫りやテーブルのトールペイント、シャンデリアも懐かしい感じのくつろぎ空間。タツノオトシゴの彫り物もとてもかわいくて。いただいたのは、イチゴの生ジュースとくりみパンのサンドイッチ。とってもおいしかったです。

From 向島(みんとりさん)


みんとりさんには、お話だけでなく、ハワイ日系文化関連のお宝もみせていただき、とても楽しい時間をすごさせていただきました。気になっていたメータースタンプ・コレクション(すみません勝手に掲載)や、なんとフローティー・ペンのお話までも(好きとかいって名称も知らなかったわたしです)、クラシック音楽的プリキュアの世界などもうかがったのでした。
撮影および所蔵:岡村みどりさん



フローティー・ペン


帰りは、アルバムのジャケットの撮影地である牛嶋神社や旧水戸藩の屋敷庭であったという墨田公園も案内していただき本所吾妻橋駅まで一緒にお散歩していただきました。見番通りの説明やおいしい洋食処も。



(投稿:日本 2011年5月7日、ハワイ 5月6日)

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本日、5月5日は、こどもの日、ということであり、何かこどもの日らしいものをと思い、ちょうど、いま読んでいる大正時代の少年期が舞台な、マイ・ホームタウンの街関連本にも、少年雑誌「日本少年」のことなどを目にしたので、ずっと延ばし延ばしになってしまっていたプロジェクト、あがた森魚さんの『日本少年‐ヂパング・ボーイ』(1976年)をふつうに聴けるように変換などしてみました。
雑誌:日本少年:参考

いくつかの曲は、動画などにもあったのですが、どうしても聴きたいものがなかったりということもあってだったのですが、このアルバム、トラックごとに区切るのはむずかしいところも多いです。
少年が夢の世界にむかうまでの教室の音、物語の中での波やカモメの音なども曲と曲の間にあり、すべてが流れとなって。
やっぱり、このアルバムは、物語を読むように(実際、歌詞とともに、物語も一緒についているので)聴くべきものだとあらためて。2枚組みなので、たっぷり時間をとって、じっくりながらものんびりと。
(入手当時も、すでに後追いででしたが、よくボケッ~と、でも謎解きのように聴いてました。きょうは、なんだか、分割したりで落ち着けず、あらためて、ゆっくり聴きなおしたいです)

あがた森魚:夢みるスクールデイ・一~二
詞・曲:あがた森魚、編曲:ムーンライダース(「ス」です)
ドンダンドン♪ドリーム・デイ~



あがた森魚:薄荷糖の夏
詞・曲:あがた森魚、編曲:ハリイ・ホウソン
コーラス:ヘルプ・ミー・ロン・ロン・コーラス 
(フィル・スペクタ-へ捧げるダドロンロン♪)



あがた森魚:つめたく冷やして
詞・曲:あがた森魚、編曲:ハリイ・ホウソン
コーラス:香港赤色ジョダネアーズ
(Don't Be Cruel♪)



読物「日本少年」的世界、山田長政にネモ船長、マドロス、七つの海、冒険劇に武勇伝、そんな世界を巡る一大絵巻物語。
「少年は決して悪い子では無ひのです。が、勉強が嫌いで居眠りしてはシンドバットに成った夢をみてゐたり、目が覚めては教室の外の磯辺を視つめては、気は授業の上の空で、遠い南の島々を遠足します」

ラストナンバーの『別れの軍楽隊(蛍の光)』の後には、細野さんに向けたメッセージ。
「サヨナラ……ボン・ボヤージ……泰安洋行 At Yokohama Meriken Harbor from Mario To Harry Horson」
その後には「アガタ少年へ」という細野晴臣さんのメッセージがつづきます。
「(略)……チャンプの国で再会しましょう!おやすみ。」

参加ミュージシャンは書ききれないほど。敬称は略して。
細野晴臣、ムーンライダース(鈴木慶一、鈴木博文、かしぶち哲郎、岡田徹、武川雅寛、椎名和夫)、矢野誠、鈴木茂、矢野顕子、大貫妙子、山下達郎、南佳孝、西岡恭蔵、土井正二郎、島村英司、駒沢宏季、平野融、六川正彦、石谷貴美子、長門芳郎、茂木素子、三浦光紀、本多信介、大竹守、羽鳥幸次などなど

細野さんはアレンジの際は、ハリイ・ホウソンだけでなく、キャプテン・ホウソンだったりラヂヲ・ホウソンだったり。ムーンライダースもときんはサーフムーンライダース。コーラスは、ヘルプ・ミー・ロン・ロン・コーラスだったり、香港赤色ジョダネアーズであったり、火の玉ボーイズ&ガールズ、ブルーハ聖歌隊、などなどと、遊び心を感じるレコーディングの雰囲気、当時の空気が伝わるよう。

ライブなどでは歌ってたりしますけれど、あがたさんの『リラのホテル』、『つめたく冷やして』などレコーディングでのものはひさしぶりに聴きました。


ヂパング・ボーイ/夢みるスクールデイ・1/夢みるスクールデイ・2/薄荷糖の夏/航海・1/リラのホテル/航海・2

函館ハーバー猫町ホーボー/函館ハーバーセンチメント/航海・3/つめたく冷やして/山田長政/航海・4/ウェディングソング/ゴーヂャス・ナイト

ヴヰクトリアルの夜/沙漠典(さぼてん)ボリボリ/溺れろ伊達野郎(だんでい)/航海・5/ラ・クカラーチャ(墨国(メキシコ)民謡)/航海・6

洋蔵爺のこと/最后の航海(7回目の航海)/ノオチラス艦長ネモ/採光∞無限/夢みるスクールデイ・3/日本少年/別れの軍楽隊(蛍の光)

(投稿:日本 2011年5月5日、ハワイ 5月4日)

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