一月のTV AGE講座「ヒットメーカーが語る作品誕生秘話」、ずっとずっと楽しみにしていた平岡精二さんについて、でした。

平岡精二さんの作品、演奏は大好きで、書きたいこともいろいろあるのですが、なんだか、一度にまとめて書くことできませんね。今回の講座でも、いろいろと新たな気づきもあったのですけど。。

ジャズでのヴィブラフォン演奏家としてはもちろん、音楽作家(作詞、作曲)として、ほんとうにすばらしい、曲、詩の世界なのですよね。


平岡精二さん、なかなかまとまった作品集などがないので、講座では、なかなかふだん聴くことができない作品や聴くことはできても、CD化されていないもの、など、いろいろを聴きながら、平岡精二さんのことについてのお話うかがいました。

なので、平岡作品のどこがすきなのかなどを考えてみたりしながら、自分の中でのお気に入りと、これから、すぐに、さらに聴きたいものなどを。こちらに。

お気に入り:
平岡精二さんご自身が歌ってらっしゃる「ようこちゃん」大好きです。



収録は、『平岡精二~ナイトクラブの片隅で~
大好きなのに、このアルバム、もっていません。すでにプレミアなどついてしまってるようで、そうでない形での出会いを待っていましたけど、まだ、さがせば、なんとかふつうの価格でも入手できそうですね。
平岡精二さん、ご自身が歌うもの、とても好きなので、やっぱり、これ欲しいです。



平岡作品のよさ、ほんとうにいろいろあるのですけど、どこが好きかということ。ほかにも、あると思うのですけれど、その作品すべてに、わたしがひかれているのは、こんなこと。
-詩情的でありながら、題材などがとても具体的で、ひとつの曲の中に短いながらも登場人物が目に浮かぶ、物語があること
-詩、曲(メロディ)、そして、その演奏にも、すこしさみしげなご自身の心を感じられるようなところ。歌声も

平岡作品に魅了されるきっかけとなったもの:

とても好きになったきっかけはダークダックスへの提供曲からでした。
ダークダックスのメンバーも、平岡精二さんへの思いはふかいのですよね。。

ダークダックス:手紙(1963年)
この曲、はじめて聴いたときも、とてもよいなぁと思ったのですけど、聴けば聴くほど、なのですよね。
「何度も何度もためらったあと」なのに「あわてながら、この手紙を書いた」ということなど
遠慮がちな想いもありながら、「手紙を読んでくれたらすぐに」気持ちを知らせてということも



この曲、『ダークダックス大全』に収録されているのですけど、ダークダックスのこの作品集、濱田高志さんがまとめられたものなのですが、とてもよいのですよね。
平岡精二/ 山下毅雄/ 中村八大 作品 ほか ダークダックス大全 (アルバム)

この曲に対する思いなども、とても共感(恐縮ですけど)するものがあり、濱田氏のそのワークへの敬意も、あらためてです。



「野良猫」もとてもよい曲ですよね。ここでの演奏の音も。

ダークダックス:野良猫(1965年)



今回の講座で聴いて大好きになった曲:
スリーグレイセスの『二人の色』。
なんともいえなくよい曲ですね。とても具体的なイメージと詩情あふれる、とてもすてきな歌。
動画などはないのですけど。『スリー・グレイセス~山のロザリア~』に収録(こちらで試聴できますね。この作品集も濱田さんのワーク)



あらためて:
あらためて、やっぱり、『爪』と『あいつ』はいいですねぇ。。
ペギー葉山さんは、爪かみのくせがあったのですね。
テレビでのこの映像、お話と、このときのペギーさんのうた、じんとくるものがあります。
小さなこどものころに、聴いて、なぜか、涙した『学生時代』ももちろん。



平岡精二:あいつ(1970年)
こちらも、ご自身のセルフカヴァー『ナイトクラブの片隅で』より




インストゥルメンタルでの演奏もの:

ヴィブラフォン奏者としての演奏でも、その音色はとても独特で。聴くと、その音は、平岡精二さんの音かなぁ、と、なぜかわかるのですよね。
昭和ジャズ大全~幻の名盤・秘蔵盤~』にも4曲収録されているアルバム『あいつ』、そして『SEIJI HIRAOKA and His INVENTIVE SOUNDS』、やっぱりアルバムとして、ほしいです。。

ハワイにいたときのこと:
平岡精二さん、半年ほど、ハワイにいらしたことがあり、そのときにハーブ・オータさんとともに演奏やアルバムを収録されていますね。わたしも、一枚はもっているのですけど(こちら、平岡精二さん作曲「NAMIDA (The Tears)」という曲あり)。(このアルバムのことは前にも書いてますので、リンク。SEIJI HIRAOKA and His INVENTIVE SOUNDS



参加クレジットが掲載されてあったり、なかったりもするのですけれど(当時はそのあたり厳密ではなかったりするのですよね)、ほかにも数枚あるのですよね、そんなハワイでの作品も地道に集めていけたらなぁと思っているのです。


と、なんだか、ばらばらとしてしまっているのですが、さらに、今回の講座からは、関連、またそれ以外でも、すでにいろいろとふくらみもあるので、また、追って、です。

講座のこと:

参加、ご一緒させていただいてるアラッポさん、『謎の女 B』や、講座のまとめ、されてます。
アラッポ・カーロの備忘録:TV AGE講座 「平岡精二の世界」

いつも、すばらしい、この講座、講師をつとめられている、というか、こんなすばらしい機会をくださっている濱田高志氏にはとても感謝で。

TV AGE講座「ヒットメーカーが語る作品誕生秘話」は、毎月第4土曜日(ごくまれに、ときに変更)、池袋コミュニティカレッジで開催です。
TV AGE講座「ヒットメーカーが語る作品誕生秘話」

「てりとりぃ」も週刊もはじまり。
週刊てりとりぃ

(投稿:日本 2012年1月30日、ハワイ 1月29日)

にほんブログ村 音楽ブログへ



ちょっと気になっていたジャズ・コンピのシリーズ、『須永辰男緒の夜ジャズ』聴いてみました。VOL.8の「Jazz Allnighters~No.8~キング編」というもの。

とてもセンスのよく、すてきなコンピですね。選曲もちろん。

なのですが、こちら、ちょっとレアなのかなぁと思う音源もあり、自分の知らなかったアーティストとの出会いとしても、すばらしいコンピ作品ですね(もちろん、「レア」ということだけを、というものではないのですよ)☆

きょうは、そんな一曲からで、これから、ますます知りたくなったアーティスト、またその関連の世界のことなどすこし。

Ake Persson:Nassi Goreng(1959年)

Ake Persson(ほんとは「A」のうえにマルがつきます)の『Nassi Goreng』。
まず、「ナシゴレン」という、タイトルをみたときにとっても気になり(あのナシゴレンでしょうか、この楽曲のくわしい説明はなかったのですけど)、曲を聴いて、アフロキューバンな、そのかっこよさにかなりまいってしまいました。



Ake Persson(「オキ・ペルソン」と読むのですね)、1950年代から活躍したスウェーデンのトロンボーン・プレイヤー。
40歳代で、と、若くしておなくなりになってしまったようですが、ストックホルムのジャズ・シーンにかかせないジャズマンだったということは、この1曲からだけでうかがえますね。

オキ・ぺルソン、アーティストとしての略歴や詳しくは、こちら
catfishrecords * 寺島レコード・インポート:AKE PERSSON オキ・ペルソン / THE GREAT グレイト

オキ・ぺルソン、もっともっと聴きたくなってしまいました。

そして、気になりつつも、そのままで、動画でふと出会い、よいなぁと思うぐらいだったスウェーデンのモダン・ジャズ、とっても興味がわいてきています。特に、1950年代、60年代。誘い(いざない)、導かれつつあり。

オキ・ぺルソンともアルバムを出しているラース・ガリン(Lars Gullin)もそのひとり(この方、チェット・ベイカーとのアルバムもあったりしますね)。これから、ゆっくりと、ではありますが、ちょっとはまっていきそうな予感。

あと、ジャズ・レーベルとしては、「メトロノーム」というものが代表的だったりするのですね。ちょっとかなり豪華なセットですけど、これ、聴いてみたいです。
ジャズ・イン・スウェーデン:1949-1961(ライノ・プレミアム・エディション)


まだまだ情報が自分の中でも消化しきれていないのですけど、課題ということで、このまま記しておくことにしたのです。


(投稿:日本 2012年1月27日、ハワイ 1月26日)

にほんブログ村 音楽ブログへ



『ティファニーで朝食を(Breakfast At Tiffany's)』観賞のつづき。この映画でのヘンリー・マンシーニ音楽のいろいろを :)

『ムーン・リヴァー(Moon River)』とストーリーとの関連などについては、先の投稿になんとなくのまとめをいたしましたので、こちらでは、そのほかの曲などを。順不同ですが、映像があるものはシーンもふくめ。

好きなシーンと音楽はいろいろとあるのですけれど
まずは、陽気でハチャメチャなパーティーのシーン(この作品もですが、どうも映画のパーティー・シーン、好きなのですよね)



Henry Mancini"Tiffany's" Score:"Loose Caboose (Party Scene Five)" ~ "Next Morning"
こちらはフルトラックで、というか、曲としてのサントラなヴァージョンで『Loose Caboose』



この時代らしいラテンやラウンジなムード漂うナンバーはほかにも。

そして、このシーンの曲もすばらしいのですよねぇ。動画は映像ではなく、画像編集ですが、ポール「フレッド」が電話を借りにくるシーンでの。レコードから流れる曲、『Sally's Tomato』。そして、ホーリーが窓からこっそり逃げるシーンの『Moon River Cha Cha』

Henry Mancini RARE "Tiffany's" Score: 'Sally's Tomato (Holly's Phonograph)' / 'Moon River Cha Cha (Holly's Intruder)'



こちらもよいですね。ソフトにおさえたコーラスがすてき☆

Henry ManciniLatin:Golightly



シーンといえば、ふたりでおもちゃのお面を、というシーンもあったりする、オードリー・ヘップバーンがオレンジ色のコートを着た一連のシーンも大好きです。なかにきている対照的におさえたカラーのウールのワンピースも。

そして、おそらく、そのあたりのシーンで使われるはずではなかったのかなぁと想像、没カットの曲。遊園地サウンドっぽくて、こちらもとっても楽しいですね。



Henry Mancini & His Orchestra:Mr. Yunioshi
ミスター・ユニヨシのテーマ。



ミスター・ユニヨシ映像さがしきれなかったのですが…アメリカ社会におけるステレオタイプな日本人像(黒ぶちの眼鏡、出っ歯、低身長など)として、この人物描写は、一部のコミュニティで差別であるとう批判もうけてるようで。ハワイの日系のひとは、自らそれをパロディにし、じぶんたちで笑っちゃったりしますけれどね。やはり、どういう立場か、ということで、そのような意見があるのも。
です…が、ミスター・ユニヨシ、登場人物としてかかせないと思います…

再生リストにいれることができない曲もありましたが、つくってみました。

Breakfast At Tiffany's:サントラ再生リスト




(投稿:日本 2012年1月24日、ハワイ 1月23日)

にほんブログ村 音楽ブログへ



週末のDVD観賞、『ティファニーで朝食を(Breakfast At Tiffany's)』を。テーマである『Moon River』は、こちらのオリジナルや他のカヴァーもふくめいろいろと、ときおり、聴いているのですけれど、考えてみると、映画を観るのは、十数年ぶりで。


でも、ふしぎにそんな十数年ぶりという、感じはせずの、すてきな作品との慣れ親しんだ再会。
その「ひさしぶりでない」感は、ふだんはあわないのに会うとひさしぶりな感じのしない気のおけない仲よしとあったときのそれに近いような。

いつも、『Moon River』を聴いてるから、写真などでファッションやメーキャップふくめ目にしているから、というのもあるのですけれど、それだけでない何かなのですよね。



『ティファニーで朝食を』は、名作映画であり、映画を観たことがないひとでもそのタイトルは知っているという作品。
この予告編映像の

Audrey as Holly: "Won't You Join Me?"
Naration: "Yes, Join Audrey Hepburn as you've never seen it before…"

という紹介のとおり、オードリー・ヘップバーンの届ける世界。ストーリー以外にも、オードリーのイメージにはかかせないジヴァンシーのファッションやジュエラーとしてのティファニーのイメージ、演ずるホーリーのちょっと風変わりなライフスタイルもみどころなステキ作品でもあり。

監督:ブレイク・エドワーズ、脚本:ジョージ・アクセルロッド、原作:トルーマン・カポーティ、製作:マーティン・ジュロー、リチャード・シェファード
出演:オードリー・ヘップバーン、ジョージ・ペパード、パトリシア・ニール
音楽:ヘンリー・マンシーニ
配給:パラマウント映画
米公開:1961年10月5日、日本公開:1961年11月8日

そして、この映画のもうひとつの魅力は、ヘンリー・マンシーニによる音楽。デスネ。
こちらの作品の音楽については、いろいろ書きたいので、まずは『ムーン・リヴァー(Moon River)』、そしてほかは「つづき」にしようと思います。

Breakfast at Tiffany's Opening Scene:



ヘンリー・マンシーニ作曲、ジョニー・マーサー作詞、この映画のテーマである『ムーン・リヴァー(Moon River)』は、映画音楽をとびこえたスタンダードともなり、さまざまなカヴァーも(よいもの多いので、カヴァーもいつかとりあげたいです)。

オードリーがギターを弾きながら、自ら歌うこのシーンもとても印象的ですね。ふだんみせるホーリーの表情とちょっとちがった。
スウェットシャツにジーンズ。



この曲は、ヘンリー・マンシーニが、音域がせまく音とりがちょっと不安定なヘップバーンのために、1オクターブ内、白鍵の音のみでつくったというもの。
親しみやすさと美しさを同時にもったメロディーは、ほんとうにすばらしく。

それでも、パラマウント映画の社長(当時就任したばかりの方だそうですが…)は、歌のシーンはカットした方がよいと言ったというエピソードなども知られており

歌詞の訳のことなども、ブログなどで書かれている方も多いので、今回は私的解釈とのことなど。

この1シーンは、ホーリーを描くのにとてもだいじなものですよね。今回、つくづく思いました。

さきにも、ふれましたが、この映画、ひさしぶりにみたものでありながら、自分の中では定番的作品なのでストーリーにもなじんでいるのですが、今回はあらためて、兄フレッドの存在の大きさが気になりました。

フレッドは、ジョージ・ペパード演ずるポールのこともフレッドに似ているということで「フレッド」と呼んでいたり、フレッドの死をきいたときの傷心は、ホーリーの素顔を知るだいじな存在。

あらためて、『ムーンリヴァー』の歌詞にある"My huckleberry friend"のことを思うのです。
歌詞:
Reel Classics >Films > Movies > Breakfast at Tiffany's (1961)

"huckleberry friend"である"Moon River"こそが心を許せるホーリーのほんとうのおともだち。

あくまでも想像ではありますけれど、"Moon River"は幻のおともだちではありながらも、ホーリーのよき兄フレッドもまた、そんな心のおともだちを映すような存在でもあったのではないかと。
ほんとうの自分がわからなくなったときには、きっといつも話しかけていたのではないかなぁと。
(じっさいには側にいず、思い出からさらに心の中でつねにそばにいるがために美化というかさらにかかせぬひととなり、なくてはならない存在になっていたのではないかとも…)。

このシーンで着ているスウェットシャツも、兄フレッドのだったりするのでは?などと思ってみたりするのでした :)

最後には、"huckleberry friend"である"Moon River"は、きっと「フレッド」なポールとなり、幻のような心のおともだちではなくなったのでしょうけれど。



「ティファニーで朝食を」いろいろ:
映画『ティファニーで朝食を』(Breakfast at Tiffany's)の原作は、1958年出版トルーマン・カポーティの小説。いままであまり、この原作を意識していなかったのですが、ニューヨークを舞台に、自由奔放に生きる女性主人公という設定は同じながら、その内容はかなりことなるようですね。
村上春樹さんが翻訳をてがけているこちらの本での『ティファニーで朝食を
』も、読んでみたいです。



ほかいろいろメモφ(.. )
Wikipedia:ティファニーで朝食をを参考にしながら

映画作品の中で、ポールは、なんとなくである作家トルーマン・カポーティともすこしかぶっているような。
小説の『ティファニーで朝食を』は掲載予定であった女性誌『ハーパーズ・バザール』から掲載を拒否され、1958年に『エクスフィア』に発表されたものだったのですね。

映画化に際し、カポーティは、マリリン・モンローを主役にすえることを条件に了承。オファーを受けたモンローは、娼婦役を演じることが女優としてのキャリアにマイナスになると考え、出演を断ったのだとか(セックスシンボルと呼ばれることに強い抵抗を感じていたモンローは、これ以上、イメージが固定化することを嫌ったとされる)。

脚本も、急きょヘップバーンの魅力が生かされるように書き直された。

音楽同様、そのほかもつづきで…

(投稿:日本 2012年1月23日、ハワイ 1月22日)

にほんブログ村 音楽ブログへ



このところ、さむい冬のアクティビティとしてDVDでの映画観賞しております。
先日は、「若大将シリーズ」でまだ観ていなかった『リオの若大将』を観賞いたしました。
(アラッポ・カーロさんの観賞報告を拝見で、みたくなっちゃったのでした)
アラッポ・カーロの備忘録:リオの若大将

「若大将シリーズ」観賞記録として自分の中での慣例となっている、気になりどころ、その他のメモ  φ(..*)
(加山雄三さん関連、気がつけばけっこう書いてきているので、タグもつくってみました「加山雄三・若大将」)


リオの若大将:当時の予告編




『リオの若大将』は若大将シリーズ第12作、公開は1968年7月13日。大学生としてのシリーズはこれが最後となる作品なのですね。
監督:岩内克己、製作総指揮:清水雅、製作:藤本真澄、脚本:田波靖男、音楽:服部克久、撮影:斎藤孝雄、編集:小川信夫

ストーリーはこちらのリンクで
ストーリー(Wikipedia:リオの若大将

キャスト:
田沼雄一(京南大学経済学部、フェンシング部員、ランチャーズ):加山雄三
押田澄子(東京極東観光):星由里子
石山新次郎(青大将、):田中邦衛
江口敏(ランチャーズのメンバー(劇中)、照子の恋人):江原達怡
田沼久太郎(「田能久」の当主):有島一郎
田沼りき(若大将祖母):飯田蝶子
田沼照子(若大将妹):中真千子

谷村江美子(ブラジル工場長の娘、ガールズバンドのボーカル):中尾ミエ
北川(ランチャーズ):喜多嶋瑛
田島(ランチャーズ):喜多嶋修
渡(ランチャーズ):渡辺有三
大宅(ランチャーズ):大矢茂
宇野(ブラジルの日系権力者):左卜全
宇野一郎 :久保明
石山剛造 :中村伸郎
平山博士 :宮口精二(特別出演)
豪海 :今東光(特別出演)
バンド合戦司会者:内田裕也

もちろん、という感じで音楽要素はふんだんに。ブラジルを舞台としたストーリーだけに、サンバやボサノヴァは、若大将楽曲そして現地のひとびとを描く大切な要素ともなっていますね。
若大将シリーズ映画は、そのときの流行を織り込むというのが、ひとつの特徴だと思うのですが、こちらの『リオの若大将』も、もれなく、当時のトレンドがたっぷりと織り込まれています。

いままでのシリーズからの応用的な部分としては、若大将と澄ちゃんの恋愛フォーマット原型をのこしつつもアプローチのちがい、また妹の照子と江口の恋の大きな進展というものがみられ。その舞台であるブラジル的要素もその影響として大きいそう(DVD特典映像「狸穴の若大将」、アラッポ・カーロの備忘録:リオの若大将より)。そして、大学シリーズ最後ということもあるのでしょうね。

そのあたりも含めの気づき、ロケ地、その他のメモ:

-音楽:この作品、中尾ミエさんはかなり重要な登場人物ということで、中尾ミエさんのボーカルは生かされていますが、同時に、ランチャーズの出番も。バンド合戦、旅先での演奏という展開は、『エレキの若大将』でもみられるものの、ランチャーズのメンバーにも台詞がともなうシーンが多い。
-ロケ観光地PR&パンナム協力:若大将シリーズ海外ロケ編でおなじみとなっているパンナムが現地ロケへの協力。ブラジルはリオデジャネイロが舞台となるこの作品では、観光スポットの多くは、若大将雄一と現地に住んでいた経験もある江美子(中尾ミエ)のリオめぐりという形で紹介。
-服部克久さんの音楽演出:この作品観賞につき、Twitterで、ゲイリー芦屋さんから同シーンへのコメントいただきました:) 「大好きな映画です。中尾ミエと雄三がリオデジャネイロ観光する場面の服部克久の音楽がもろマンシーニタッチでそこだけ録音してよく聴いてました。最高っす!」やはりさすがな言及ですね!たしかにです、このシーンの音楽すてき。
-石川播磨重工業協力:若大将の学生としての研修、就職希望先として登場。現地の働くひとシーン、および、そのひとびとが音楽を楽しむシーンよいですねぇ。
-小西六協力:試験準備として悦子のノートをコピーするコピーセンター。コピーは店員がとり、お茶を飲みながら(ダンスも楽しめる)待つというスタイル。いいですねぇ。。当時、アンテナショップ的に実際に存在したのでしょうか?(ちょっと調べてみているのですけれど、まだ調査中)
-8ミリ編集。いかにも若大将が好きそうな趣味ですね。逆になってるシーンがあったりするのも、すこしそそっかしさもある若大将的で細かいながらよい演出。

-予告編での作品紹介コピー:作品紹介の一部コピーに、をつくづくと感じました。「"ボイン"と闘う青大将」、「最高にハレンチ」。
「ボイン」、「ハレンチ」、このふたつの言葉は、まさに1968年。いまではなかなかきかれなくなった言葉ですが。
語源など、あらためて:
ボイン - 語源由来辞典「ボインは、1960年代後半、日本テレビの深夜番組「11PM」で、司会の大橋巨泉が朝丘雪路をからかって言った言葉が広まった ... 」、「11PM」からの言葉カルチャーなのですね。。つくづくと当時の大橋巨泉さんの影響などもかみしめです。
ハレンチ - 日本語俗語辞書「…カタカナ表記のハレンチの場合、イカす、カッコイイ、ニクい、サイコーといった意味でも使われた…」
ザ・フォーク・クルセダーズのアルバム「ハレンチ」収録曲でもある「帰って来たヨッパライ」はが1967年の末のことであり、曲のヒットは、1968年。永井豪さん「ハレンチ学園」連載開始が1968年。
(わたくしが生まれたのは1968年。生まれた日のオリコン第一位も同曲です。1968年2月15日 いろいろ

-ブラジル影響:おまけ特典映像としての「狸穴の若大将」で岩内監督もふれている、この作品へのブラジル影響、恋愛の展開などあり。性格は、ほどよくキャリア的、ちょっと勝気なところもありながら基本的に芯はコンサバな感じが、おなじみキャラクター、マドンナ澄ちゃんでありますが、若大将への気持ちも他の作品より本人に対してもストレートですね。
そして、その若干のちがいを感じたのは、ファッションだったりするのですが、そんな影響もあるのかも、と、いつもより、かなりカラーがヴィヴィッドです。

ーそのほか:若大将シリーズでは、個人的に江口(江原達怡)は気になりであり、なかなかにひいきな登場人物なのですけれど、さらに登場シーンは多くはないのですが悦子(松原光子)もだったりします。

挿入歌:
またもや、長くなり、最後になりましたが、言うまでもなく、すばらしい歌の数々。

加山雄三:ある日渚に(主題歌、映画新曲)
作詞・作曲:弾 厚作 編曲:森岡賢一郎
リオのホテルでのランチャーズ演奏シーンおよびエンディング



ランチャーズ(加山雄三):シェリー
作詞・作曲:弾厚作
雄一&ザ・ランチャーズと中尾ミエが演奏



加山雄三:ロンリー・ナイト・カミング
作詞:岩谷時子・弾 厚作 作曲:弾 厚作 編曲:森岡賢一郎



中尾ミエ:恋のシャロック
作詞:松原智津子 補作詞:安井かずみ 作曲:新居一芳
「シャロックNo.1」は、映画には使われてませんでしたが、とてもよいので2曲ぐみのものを



そのほか、ランチャーズ「ナイト・メアー」(大学対抗バンド合戦:ステージの演出もこっている)、中尾ミエ「恋のさだめ」(大学対抗バンド合戦:ステージ演出でのポスターのイラストがイカシテル、かつガールズバンドらしくかわいい)


(投稿:日本 2012年1月22日、ハワイ 1月21日)

にほんブログ村 音楽ブログへ



先日、電車で外出の際に、わが町のフリーマガジン『牛込柳町界隈(今昔)』の最新号を駅で入手。このコミュニティマガジン、「読物」調で、特集も地域に関係し、かなりトピックをしぼった内容でとてもおもしろく、毎回発行をたのしみにしている愛読誌のひとつなのです(タウン誌といっても広告やクーポンばかりというものでなく、スタッフの方の町に対する愛を感じるような「牛込を愛するひとの為のコミュニティマガジン」(このコピーどおり)なのです。大江戸線の牛込柳町駅、若松河田駅、牛込神楽坂駅、そして地域界隈のお店などにおいてあり、年4回発行)。

特に歴史探訪という特集ページがおもしろく、毎回2つづつという充実ぶり(全15ページぐらいのものなので、その中のかなりをしめてます)。今回は、「歴史探訪」第二特集および「歴史こぼれ話」というページにも、島村抱月、松井須磨子のことなどがあり、いままでは点として知っていた場所もなんとなく線となりとても興味深く。また、よく知られているエピソード、島村抱月旧居、芸術座跡地など以外の細かい場所や作品も並列して書かれているところが、さらなる興味へといざなってくれたり、脱線させてくれたりで楽しませてくれます。
(これは道に立っている新宿区の文化財説明も同様で前後関係わかりやすい説明です。音楽・文芸・演劇関係とくに。なので、よく足をとめては見入ってしまします)。

坪内逍遥の文芸協会演劇研究所跡も含め、島村抱月旧居、芸術座跡地、松井須磨子の墓のある多聞院などはこちらにも散歩ガイドが。
東京紅団:松井須磨子を歩く:島村抱月旧居、芸術座跡地

松井須磨子さんに関しては、くわしくは
Wikipedia:松井須磨子にも。

そして、このブログの内容も、直接その特集「歴史探訪」とは関係していないのですけれど。

坪内逍遥の文芸協会演劇研究所の第一期生であり、その後、文芸協会を離れ島村抱月と松井須磨子は神楽坂に芸術座をおこしますが、この演劇研究所第一期生ということもあり、とらえ方にもよるのですが、近代演劇という意味では女優第一号ともいえる方。

やはり、なにごとかが「初め」であるといろいろなものが、「初」なものですね。

帝国劇場で初演し、須磨子が一躍大スターとなった劇「復活」(トルストイ原作、島村抱月訳・脚本)では、その中で歌った『カチューシャの唄(復活唱歌)』が大ヒット。当時で2万枚以上売り上げたという情報もみかけましたので、これはすごいヒットですよね。
コロムビア創立100周年記念企画 伝説を聴く』でも1曲目に収録(2曲目も須磨子曲)。
(ちなみに、この企画CD「東洋のマタハリ」と呼ばれた女スパイ「川島芳子」の歌唱など、という説明もよいですね)

復活唱歌(カチューシャの唄) ~松井須磨子~
1915年(大正4年)録音
作詞:島村抱月、作曲:中山晋平
レコーディングは、大正4年ですが、1914年(大正3年)の作品。



ということで、松井須磨子の第一号、「初」は
-近代演劇女優
-歌う女優

流行歌のはしりのひとつ、ともいわれているこの曲、劇場には歌詞が貼られ、歌お目当てのお客さんもいたとか。

そして、『カチューシャの唄』は「日本初のCMソング(おそらく)」でもあるのですよね :)
堀越嘉太郎商店のホーカー液という化粧品の広告に
アラッポ・カーロの備忘録:日本初のCMソング(おそらく) 「カチューシャの唄」

なのですが、まだ知らなかった歌に関する「初」をこのたびの調べで知りました。

1917年(大正6年)に発売したレコード『今度生まれたら』は、その歌詞の内容で、日本における発禁レコード第1号となってしまったのだと。作詞は、北原白秋(発禁曲、作詞家第一号ともなるのですね)。こちらも中山晋平の作曲。

芸術座劇「生ける屍」の劇中かなのですが、この頃になると、松井須磨子ほか出演者の歌はかかせぬものとなっていったそうで。

今度生まれたら 松井須磨子 (芸術座劇「生ける屍」)
1917年(大正6年)ニッポノホンレコード 2530



ちょっと滑稽な歌詞で、さほどと思ったのですが、
「歌詞の中にある「かわい女子(おなご)と寝て暮らそ」の部分が当時の文部省により猥褻扱いされ…」(Wikipedia:松井須磨子より)
が、いけなかったそうです。
「かわい女子(おなご)を置きざりに」
は、ではないところがまた…ある意味当時らしいですね。

「今度生まれたら」歌詞
d-score 楽譜 - 今度生まれたら ---- 北原白秋/中山晋平

劇「生ける屍」(トルストイ原作)では、ほかに『にくいあん畜生』と『さすらいの唄』も歌われています。

おまけ:
そして、あの名曲『ゴンドラの唄』は、芸術座第5回公演『その前夜』(ツルゲーネフ原作)からのものなのですね。
ゴンドラの唄 松井須磨子
作詞:吉井勇、作曲中山晋平



(投稿:日本 2012年1月18日、ハワイ 1月17日)

にほんブログ村 音楽ブログへ



ここしばらく、リチャード・ロジャース作曲作品を気にしはじめ、オスカー・ハマースタイン二世とのワークということで、再度気になった名作ミュージカル作品およびその映画の数々をひと月ほど前に
Rodgers and Hammerstein Sound Of Music ほか
として、まとめてみたということもあり、先日、映画『サウンド・オブ・ミュージック』をDVD観賞いたしました。

こどもの頃から深く印象に残る思い出作品であるにもかかわらず、その音楽関連の作家を意識したのは最近で、『サウンド・オブ・ミュージック』は、すべての曲、1曲ごとにとりあげることができるぐらいすばらしいのですが、こんなおなじみの歌まで、リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の作品だったのかぁ、と気づいたのが『ドレミのうた』。あまりにも、こども歌としてなじんでいる作品なので、ずっとナーサリーライム (Nursery Rhymes)的なものだと思っていたのでした。

オリジナル・ヴァージョンは『サウンド・オブ・ミュージック(Sound Of Music)』(1965年)から。

The Sound of Music - Do Re Mi
ここからトラップ・ファミリーの兄弟姉妹たちが音楽に親しむことになるというシーンであり、あらためて、とてもだいじな歌ですよね。



今回、特に関心をもっているのは、日本版がどのようにできたのか、などだったりするので、そのあたりを中心に。『ドレミのうた』についてのいろいろをこちらにまとめてみることに。
(情報はWikipedia:ドレミのうたを参考にさせていただいたりしています)

おなじみの『ドレミのうた』はこちら。
「ド」はドーナツのド、「レ」はレモンのレ、「ミ」はみんなのミ、「ファ」はファイトのファ……

こちら、訳詞というか日本語詞を手がけたのは、ペギー葉山さんなのですよね。

この『ドレミのうた』はペギー葉山さんのシングルとして、1961年(昭和36年)に録音、リリース。
1962年(昭和37年)にはNHK「みんなのうた」で放送。1964年(昭和39年)には、NHK「歌のメリーゴーランド」のペギー葉山特集でも。
(参考:懐かしのテレビラジオ録音コレクション「うたのメリーゴーラウンド」資料集歌のメリーゴーランド:ペギー葉山特集書きおこし)。

ドレミのうた/東京放送児童合唱団 〔朝日ソノラマ版〕



ここで、映画『サウンド・オブ・ミュージック』は1965年公開作品なので、日本語ヴァージョンが一般的になったのは、この映画のまえ、ブロードウェイでミュージカルとして上演されていたころなのですね(ブロードウェイ初演、1959年)。

ペギー葉山さんが「1960年(昭和35年)にロサンゼルスで開催された日米修好100年祭に招待された直後にブロードウェイに立ち寄り、そこで見た『サウンド・オブ・ミュージック』に感銘を受け、劇場の売店で譜面を購入し日本に持ち帰った。」そして、日本語詞をつけたものがこの『ドレミのうた』だったのですね。

英語では
Doe, a deer, a female deer/ Ray, a drop of golden sun/ Me, a name I call myself/ Far, a long, long way to run……
ですが日本語のおなじみヴァージョン
「ド」はドーナツのド、「レ」はレモンのレ、「ミ」はみんなのミ、「ファ」はファイトのファ……
日本の言葉であうものをあてはめた、とても親しみやすい詞ですよね。
(ちなみに日本語での「シ」は音名としてはイタリア式で、英語では「ティ」)

音楽の教科書にも掲載されている、この『ドレミのうた』ですが、同時期にレコードとして発売されたものではいくつかのヴァージョンがあるのですね。ド」の比較で。
こちらに詳しい歌詞も
アッと!乱だム:3つの「ドレミの歌」

動画、音源などはさがせなかったのですが

宮城まり子さん版(1963年)岩谷時子さんによる日本語詞
ド:甘いドロップ

九重佑三子さん版(1965年)萩原芳子さんによる日本語詞
ド:どこまでも
このヴァージョン、どこでかはわからないのですが、こどものころに聴いた記憶があります。もちろん、どなたが歌ったヴァージョンかは知らなかったのですが、いつも歌っているものとちがう、ということで、印象にのこっているのです。
こちらはAmazonにmp3あり。
ドレミのうた(映画「サウンド・オブ・ミュージック」)


日本で、ミュージカルとして上演されたのは1965年(昭和40年)。この際は、さまざまな舞台音楽監督をされていた滝弘太郎氏による日本語詞が使われたのですね。これには、ストーリーの背景にあったものを、という意向などがあったようで。
1992年(平成4年)からの日本公演では、宮本亜門による新たな日本語詞が使われているのだそうです。

2007年からの劇団スイセイ・ミュージカルによる、『サウンド・オブ・ミュージック』では、ペギー葉山が修道院長役で出演され、はじめてペギーさんヴァージョンが歌われ、2010年の劇団四季上演でも同様に。

ジュリー・アンドリュースも、1977年の来日コンサートではペギー葉山さんヴァージョンを歌われたそうで、こちらも聴いてみたいです。

(投稿:日本 2012年1月16日、ハワイ 1月15日)

にほんブログ村 音楽ブログへ



3泊4日でスキーと観光、はじめての北海道旅行にいってまいりました。冬の北海道、とても寒いけれど、雪の世界はなんともすてきで。札幌滞在であちこちぶらぶらと、お散歩的なものやきれいなもの、おいしいもの、たくさん。そして、もちろん、音楽の発見や再認識などもありましたので、こちらの音楽ブログではそのあたりも思い出メモφ(.. )

一日目は午後半ばから札幌市内観光。雪がかなり降っていたのでゆるめに。札幌時計台やテレビ塔を見学。

北海道一日目:写真スライドショー


札幌時計台といえば、札幌のランドマークということで、時計台が使われているレコードジャケットや時計台が歌詞に登場する歌など音楽関連展示もあり。開拓時代の面影をのこす建物としての魅力はもちろん、気軽な見学スポットとして楽しめました(大人200円、小・中学生無料と拝観料も良心的)。
ようこそさっぽろトップページ 〉札幌の観光名所 〉札幌市時計台(旧札幌農学校演武場)〈国指定重要文化財〉

From 北海道 2012 冬 Day 1
From 北海道 2012 冬 Day 1

その中で、かなり惹かれた展示あり。
1923年、大正12年に高階哲夫によって作詞、作曲されたという歌、『時計台の鐘』に関するもの。時計台が歌われた歌としては、かなりはじめのものなのだと思います。

From 北海道 2012 冬 Day 1
From 北海道 2012 冬 Day 1

時計台の鐘:
作詞・作曲:高階哲夫、歌:相沢ます子(高階ます子)

こちら映像も展示のものからですね。なんともおだやかな、とてもすてきな曲でした。



時計台の 鐘が鳴る 
大空遠く ほのぼのと 静かに夜は 明けて来た 
ポプラの梢に 日は照り出して きれいな朝に なりました 
時計台の 鐘が鳴る

時計台の 鐘が鳴る 
アカシヤの木に 日は落ちて 静かに街も 暮れてゆく 
山の牧場の 羊の群も 黙ってお家へ 帰るだろう
時計台の 鐘が鳴る

東京音楽学校出身の新進バイオリニストだった高階哲夫が、アルト歌手の相沢ます子(旧姓)と共に、ます子の故郷の札幌で演奏会を開いたそう(演奏会は北海タイムス新聞 で酷評されたそうなのですが)、その時に友人と巡った札幌の風景を東京にもどり、曲にしたのが『時計台の鐘』なのだそうです。その後、何度かの手直しを経て1927年(昭和2年)に楽譜が出版されたという。初レコード化は、昭和6年4月に、高階氏のピアノで夫人のます子さんが独唱して録音。

ボニー・ジャックスの「20世紀の愛唱歌 Vol.1-昭和のあけぼの
」などにも収録。また「時計台の鐘」の知られざる誕生物語はCDつきの本にもなってるのですね、「響け「時計台の鐘」

高階哲夫さんのこと、もうすこし知りたくなりました。
時勢のことあり、氏がてがけた曲には軍国的なものもあったようですね。

高階哲夫:
本名は高階哲応。富山県滑川市出身、明治29年(1896年)3月5日生、昭和20年(1945年)4月17日没。初期は小田進吾という名で活動もされていたようです。
d-score:高階哲夫のワーク一覧


(投稿:日本 2012年1月10日、ハワイ 1月9日)

にほんブログ村 音楽ブログへ



2012年、はじめの満月は1月9日なので、まだ数日先ですが、つい先日より気になりとなったフルムーン・ソング『Full Moon and Empty Arms』 ♫

いまちょっと気になっているアルバム、カテリーナ・ヴァレンテ(Caterina Valente)の『Classics With a Chaser Werner Müller Orchestra』(こちらについては、また、のちにふれると思います)をチェックしていたりして、出会った曲。

Caterina Valente:Full Moon and Empty Arms(1960年)



きょうは、この曲について調べたことや聴いてみたいくつかのヴァージョンなどを。

『Full Moon and Empty Arms』、作詞、編曲は、Buddy KayeとTed Mossman。
(以前にとりあげた「英雄ポロネーズ」ベースの『Till The End Of Time 時の終わりまで』(1945年作)のコンビ)

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(Piano Concerto No. 2)をもとにした1945年の作品。同年に、フランク・シナトラによって録音されポピュラーになったというクラシック曲アダプテーションのポピュラーミュージック。

Frank Sinatra:Full Moon and Empty Arms



このヴァージョンを聴いたら、あぁ、そういえば前にも聴いたことあるという感じだったです。

邦題は『寂しい私』、「満月の夜、会いたいひとはそばにいない。次の満月の夜はともにすごせるよう、月にお願い」という、美しいメロディーにのせた、ロマンチックでセンチメンタルな詞も印象的なすてき曲。

Full moon and empty arms
The moon is there for us to share, but where are you?
A night like this could weave a memory
And every kiss could start a dream for two

Full moon and empty arms
Tonight I'll use the magic moon to wish upon
And next full moon, if my one wish comes true
My empty arms will be filled with you

The Norman Luboff Choir:Full Moon and Empty Arms



と、こちらのコーラス・ヴァージョンもとてもすてきなのですが。

この曲、ジャズ・アレンジのインスト、とてもよいものが多いですね。歌のヴァージョンとは、またちょっとちがった感じで。これをきっかけに、さらに聴いてみたいなぁ、という気になりアーティストも、また増えました :)

Erroll Garner:Full Moon And Empty Arms
このレコーディングのヴァージョンがそのものなのかはちょっとわからないのですが、エロル・ルイ・ガーナーの同曲初録音は1946年。



Freddie Hubbard:Full Moon And Empty Arms(1962年)
フレディ・ハバード、かっこいいですね。。



Carmell Jones:Full Moon And Empty Arms(1961年)



ほかにもたくさんすてきなヴァージョンあり。
ということで再生リストをつくってみました。



(投稿:日本 2012年1月4日、ハワイ 1月3日)

にほんブログ村 音楽ブログへ




もうひとつの暮らし的ブログの方では、年末年始のことなど書いてみたのですけれど、こちら音楽ブログでも新春ということで、ちょっと日本の音楽、ということを考えてみたことを。

『越天楽』、とくにお正月のものにかぎられたというわけではないのですが、日本を感じ、そしてめでたさを感じる雅楽の演目。

宮内庁式部職楽部:越天楽



越天楽そのものについては、ここでは、Wikipediaにある解説などを流用させていただきますが

Wikipedia:越天楽
「原曲は中国・前漢の皇帝文帝の作品と伝えられている。しかし高祖・劉邦の軍師張良の作曲であるという説や、日本での作曲である説などもあり、実際の所はよくわかっていない。また、現在伝わっている平調越天楽は、旋律が他の唐楽に比べ独特であること等から、原曲ではなく、盤渉調に渡されていた(別の調子に合わせて編曲された)ものを、原曲が絶えたため平調に渡しなおされたものであるともいわれている。

近衛秀麿による管弦楽編曲版(1931年)も有名で、レオポルド・ストコフスキーによっても度々取り上げられた。
松平頼則作曲の『盤渉調越天楽の主題によるピアノと管弦楽のための主題と変奏』(1951年)は、平調とは異なる盤渉調の越天楽のメロディを採用しつつ、十二音技法やブギウギとの融合も試みており、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮とイヴォンヌ・ロリオの独奏で演奏されるなど世界的に評価されている。
伊福部昭にも『交響舞楽「越天楽」』と題したオーケストラによるバレエ音楽があるが、これは創作的意図で書かれた独自の作品である」

と(特に後半に)あるように、日本の音楽として、近代の早い時期から海外でも注目されているものなのですよね。

近衛秀麿による管弦楽編曲版:
演奏:東京都交響楽団、指揮:沼尻竜典



そんなこともあり、自分の中で『越天楽』は、ジャズ・アレンジそのほかいろいろと気になっている作品なのです。

動画にはないのですけれど、原信夫とシャープス&フラッツのニューポートジャズフェスティバル(1967年)での演奏や小原重徳とブルーコーツ(1978年)の演奏を耳にしたのが、そんなきっかけのはじまり。
(原信夫とシャープス&フラッツのものは、「ニューポートのシャープス・アンド・フラッツ」で試聴もできますね)



そして、最近になってようやく気づいたのは、ザ・スパイダースはメジャー・デビューの1965年に、2枚目のシングルとして、この曲を「越天楽ゴーゴー」としてリリースしているのですよね。

ザ・スパイダース:越天楽ゴーゴー(1965年11月15日)




日本のビッグバンドとして初めてニューポートジャズフェスティバルにのりこんだ原信夫とシャープス&フラッツしかり、洋楽を取り入れ消化し、個性を確立していったザ・スパイダースしかり。1960年代の時代の風ということもあるのですが…
(これは、1931年の近衛秀麿版もふくめです)

『越天楽』いろいろを聴き、また、その試みのことを考えるにあたり、いつも思うのは、世界の中の日本、ということなのです。トーキョー・サウンド、ジャパン・サウンド(あえてジャパニーズ・サウンドではないのです、ここでは)。

世界的に評価されるということは、やはり日本を知ることであり、そして、日本を知るためにも世界を知ることが必要なのではないかと。

つねづね思っていることであり、これからも、日本の音楽シーンについて、と、ずっと考えることなのですけれど、いま、またあらためて、これからの日本のことも考えながら年のはじめに、なのでした。

最後に
今様の詞は、日本の四季を謡ったものとなっていますね。やはり日本の四季、そのうつろいは美しいものなのです。。。

春のやよいの あけぼのに 四方の山べを 見わたせば
花盛りかも しら雲の かからぬ峰こそ なかりけれ

花たちばなも 匂うなり軒のあやめも 薫るなり 
夕暮さまの さみだれに 山ほととぎす 名乗るなり

秋の初めに なりぬれば ことしも半ばは 過ぎにけり
わがよ更けゆく 月影の かたぶく見るこそ あわれなれ

冬の夜寒の 朝ぼらけ ちぎりし山路は 雪ふかし
心のあとは つかねども 思いやるこそ あわれなれ




(投稿:日本 2012年1月3日、ハワイ 1月2日)

にほんブログ村 音楽ブログへ