前田憲男さん関連の楽曲サーチをしていて気づいたのですが、しばたはつみさんも、ミシェル・フュガンさん(MICHEL FUGAIN)の『CHANTE COMME SI TU DEVAIS MOURIR DEMAIN』カヴァーしていたのですね、『私の彼』。ちょうど10日ほど前の6月21日にとりあげたサーカスの同曲カヴァー『愛で殺したい』をとりあげたところですが、それよりは3年ほど前、1975年(昭和50年)5月発売された『濡れた情熱』のB面です。

前田憲男さんがアレンジを手がけ、日本語詞は、なかにし礼さん。詞は、サーカスの『愛で殺したい』と同じなかにし礼さんですが、タイトル含め、内容がことなります。



しばたはつみさん、やっぱりかっこいい!!
ラーラーラー ♪
ラーラーラー
ラーラーラー
ラーラーラーー ♪

はつみさんの声、この曲の伸びる感じラテンな感じにぴったり。
それにしても、この曲、歌詞がすごいですね。

背の高さも歩き方も背広も
私の趣味じゃないけど
愛しているわ
車もない、お金も力もない
いい男でもないけど
愛しているわ
(※このあたりまでは、まぁとして)

私の彼はくちづけがうまい~

けんかすると顔がはれあがるほど
私を強くぶつけど
愛しているわ 
(※「顔がはれあがるほど私を強くぶつけど」ってなんかラテンな世界では、ありえそうな感じだとは思うのですが、かなり典型的なDVパターン…すごいです)

まさに、ドラマ仕立てな、なかにし礼、日本語詞ワールド的な。
でも、この曲、『私の彼』いいですね~。
ジャケットのデザインも。

オリジナル、歌詞、今度調べてみます _φ(..)
Michel Fugain - Chante comme si tu devais mourir demain



(投稿:日本 2010年6月30日、ハワイ 6月29日)

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本日、仕事でみえたお客様にちょっとうれしいものをいただきました:)HINT MINT(ヒントミント)、クラシックでカラフルな色合いの缶入り、ハリウッド・セレブなどにも人気のちょっとおしゃれなミントです。限定のアーティストパッケージなどもあり、コレクターもいるようですね。このミント、パッケージもさることながら、"HINT"と"MINT"の韻をふんだネーミングもかわいいのです。
HINT MINT | ヒントミント 日本版オフィシャルサイト
「ヒント・ミント」というこのスタイリッシュなネーミング、どうも耳慣れた響き…そうか「ヒントでピント」!と気づきですw

「ヒントでピント」は、象印提供のクイズ番組。1979年3月4日(昭和54年)から1994年9月25日(平成6年)まで、毎週日曜日の夜に、テレビ朝日で放送されていた長寿番組です。司会は、土居まさるさん。あらためて「ヒント・ミント」からの「ヒント」つながりで考えてみると、この番組名なかなかすごいです(正式な番組名は「象印クイズ ヒントでピント」のようです)。そして、すばらしいのは、番組タイトルだけではなく、ミュージック。

クイズ番組のテーマは、すてき曲が多いのですが、こちらもですね。
作曲は前田憲男さん。前田さん所有の大型シンセサイザー「ROLAND SYSTEM-700」で製作、演奏されたものだそう。



電子的な音が効き効きで、バックにかすかに聴こえる「ヒーヨー、ヒーヨー」という音が、ちょっとあせりまざりつつ考える感じにまさにふさわしい、という感じです。

番組内容や出演者については、「Wikipedia:象印クイズ ヒントでピント」にレギュラー出演者含めかなりくわしく。男性チーム、女性チームに分かれ対抗形式でという進行でした。

歴代キャプテン
男性軍キャプテン
初代:笹沢左保(1979年 - 1980年)
2代:山藤章二(1980年 - 1982年)
3代:小林亜星(1982年 - 1984年9月)
4代:浅井慎平(1984年10月 - 1994年9月)

女性軍キャプテン
初代:小山内美江子(1979年)
2代:江利チエミ(1979年 - 1982年)
3代:佐良直美(1982年)
4代:中島梓(1982年 - 1983年)
5代:楠田枝里子(1983年 - 1984年)
6代:中島梓(1984年 - 1986年)
7代:山内美郷(1986年7月 - 1994年9月)

江利チエミさんはこの番組キャプテンだった時期にお亡くなりになったのでしたね。佐良直美さんもキャプテンをされてました。

こちらは、エンディングで。懐かしい3代目キャプテン小林亜星さん時代。女性軍キャプテンは5代目楠田枝里子さん。



第700回記念より オープニングテクニカル:
このプレゼント時のミュージックもでしょうか。



[前田憲男さん]
もとは、ビッグバンド系ダブル・ピーツ・ファイブ、そしてウィンドブレーカーズとからのすてきなジャズ・メン。ミュージシャンとして、そして作曲や編曲も幅広く。手がけてらっしゃる作品、演奏で参加の作品なども、とても多く、大好きな曲もたくさんあります。前田さんアレンジのものには、やはりなんとなく同じ香りがあり。わたしの好みサウンドを作ってくださるミュージシャンのひとりだったりします。

(投稿:日本 2010年6月30日、ハワイ 6月29日)


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先日、取り上げた雪村いづみさんのアルバム『スーパー・ジェネレーション』、明日、手元に届きます。とっても楽しみ♪
このところ、美空ひばりさん、江利チエミさんなどについても触れているので、きょうは、雪村いづみさんのデビュー年の曲を中心に、当時の人気や雪村いづみさんの魅力などについて。

思い出のワルツ TILL I WALTZ AGAIN WITH YOU:
昭和28年6月、大阪朝日講堂で行われたジャズコンサートのライブ録音。デビュー2~3ヶ月後だそうです。演奏、多忠修とゲイスターズ。
雪村いづみさん、英語での歌唱の発音すばらしいですね。この曲、聴くたびに思います。やはり、ダンスホール「フロリダ」などできたえた実力でしょうか。



『思い出のワルツ TILL I WALTZ AGAIN WITH YOU』は、雪村いづみさんのデビュー曲。発売直後から大ヒットとなり、戦後最短でスターに。「世紀に一人のシンデレラ」と呼ばれたそうですね。その後、同じ年である江利チエミさん、美空ひばりさんと共に「三人娘」と呼ばれ、映画などにも出演。幅広い人気を獲得されたようですが、雪村いづみさんは、三人娘の中でもとりわけ、ジュニア世代の少女たちに人気が高かったよう。中原淳一さんに見いだされ、ファッションモデルとして、少女雑誌「ジュニアそれいゆ」や「装苑」などのファッション誌、雑誌の表紙やグラビアなどでも活躍し、ファッショニスタだった、わたしの母にとってもかなり憧れだったようです。

そんな、少女たち憧れのシンデレラにまさにふさわしいなぁと思うのが、ディズニー曲のカヴァー。雪村いづみさん初期のもので、わたしも大好きです。どちらの演奏もビクター・オール・スターズ、アレンジは、多忠修さん。1953年(昭和28年)収録の78rpm(このレコードは現在かなり人気のようですね)。

夢はわが心の願ひ A DREAM IS A WISH YOUR HEART MAKES:
「シンデレラ(シンデレラ姫)」でおなじみのテーマ曲。「世紀に一人のシンデレラ」雪村いづみさんにとってもふさわしいナンバーではないかと思うのです。いろいろな事情で運命の変化も経験したデビューまでの道のりもかさなるものがあるような。



不思議の国のアリス ALICE IN WONDERLAND:
楽しいナンバー。井田誠一さん手がける、日本語詞のひびきが大好きです:)



夢の中のプリンス:
こちらは、何年か後の1958年の作品ですが、少女的な雰囲気の雪村さんならではではないかというもの。当時の皇太子殿下、今上陛下のイメージソングなんですね。皇太子殿下ご成婚の慶祝ムードの中、ラジオやテレビでくり返し流れていたそうです。



[思い出のワルツ TILL I WALTZ AGAIN WITH YOU]
江利チエミさんのファンの方のブログで、「そうだなんだぁ」というエピソードを先日拝見しました。
江利チエミファンのひとりごと ウスクダラ の和訳、その解釈について(あえて掲載)

雪村いづみさんは、ビクターからデビュー。ビクターは、雪村いづみさんのデビュー曲を何にしようかと検討していた際に、江利チエミさんが所属するキング・レコードのディレクターが米ツアーとハワイでのボーカルレッスンを済ませて帰国後に歌うはずだった『TILL I WALTZ AGAIN WITH YOU』を、その予定にもかかわらず雪村いづみさんに勧めたそう。
そのお礼として、ビクターが『ウスクダラ』を江利チエミさんに提案(アーサー・キットはRCAからこの『ウスクダラ Uskudara Giderken』でデビューしていたため。)、RCAと日本ビクターはライセンス契約があるビクターが、キングの歌手であるチエミさんが『ウスクダラ』を歌うことを可能にしたのでだとか。「アーサー・キットのムードは黒っぽいチエミにいい!」と。

その後、江利チエミさんも『思い出のワルツ TILL I WALTZ AGAIN WITH YOU』を歌い、雪村いづみさんも『ウシュカ・ダラ(ウスクダラ)』を歌ってらっしゃいますね。

(投稿:日本 2010年6月29日、ハワイ 6月28日)

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ジャズ関係のサーチをしていたところ、たどりついた動画、KOREAの方らしい「Seung-Hee Choi」さんというシンガー。とっても気になったので詳しい情報をみてみたところ、Seung-Hee Choiさんは、なんと、あの伝説の舞姫、崔承喜(さい しょうき、チェ・スンヒ 최승희)でした!偶然の発見に感動、なのですが、実は名前と日本でも活躍した舞踏家だったということ意外知らなかったので、きょうはもう少し調べ、関連映像で、1930年代、日韓併合時代のジャズの作品も関連で聴くことができましたので、これからの課題として、こちらに。

崔承喜:Seung-Hee Choi - A Garden In Italy (1936)



그대 그립다 君戀しI Miss You (1933):
佐々紅華さん作の名曲、『君戀し(君恋し)』歌うは、女優、Bok, Hye-suk(チョソングル、漢字表記などわからないです)。演奏は、日本のコロンビア・オーケストラ、日本コロンビア・レコードで1933年に録音されたもののようです。日本コロンビア・オーケストラながら、この中では一番、韓流なアレンジのような気がします。最後には二村定一さん歌唱による日本語オリジナルものも(オリジナル、正確にいうと、佐々紅華さん作詞、高井ルビーさん歌唱の大正時代ものですが、代表的ヒットは時雨音羽作詞の二村定一さんのものですね)。



청춘의 밤 The Night of Youth (1933):
歌、Choi,Myoung-Ju (최명주)、作曲、Yun, Young-Hu (윤영후)。1933年に韓国で作曲された初のジャズソング。Choi,Myoung-Juさんは、平壌で妓生(キーセン、芸者さん)をされていた方。



Sing Sing Sing (1939):
歌、アレンジともにMokinn Son。演奏、リーガル・オーケストラ、1939年、ソウルのリーガル・レコード録音。



楽曲それぞれについて書かれたブログがあるようなのですが、ハングルわからないので後ほど翻訳ツールで調べてみようかなぁとも。

[崔承喜]
崔承喜さん、1911年11月24日に、京城(ソウル)の両班(ヤンバン、韓国史劇知識でしかないのですが、高麗、李氏朝鮮王朝時代の官僚・支配階級ですね)の家に生まれる。裕福な家庭で、良家の子女として育ったようですが、日本占領の影響下、家の様子もだいぶ変化。とび級をするほど優秀な方だったので、学校の支援などもあり、日本への留学やソウルの師範学校へ進めるほどであったにもかかわらず、まだ年齢に満たないという理由で留保されている16歳のときに出会ったのが、舞踊団の公演でソウルにきていた石井漠さん。その後、石井漠さんに師事し、

16歳のときソウル公演に来ていたモダンダンスの石井漠に師事し、内地、日本本土へ。舞踏で独自のスタイルを築き、その美しさから化粧品や百貨店の広告でのモデルともなり、雑誌の企画で日本を代表する美人の一人に選ばれ、ファッションリーダーに。ピカソやジャン・コクトー、川端康成等多くの文化人にも支持されたとか(このあたりの情報はWikipedia:崔承喜より)。

戦時中は日本人として支那戦線の日本軍へ慰問団の一員として慰問活動などを行っていたものの、アメリカ西海岸での公演では、朝鮮独立運動家から日本語読みの名前で活動していることを理由に批判されたりもしたようです。そんな中、「カップ(朝鮮プロレタリア芸術同盟)」活動をする早稲田大学に留学中だった青年と出会い結婚。独立派支援活動にかかわったとのことから日本政府からは反体制派の一人とみなされるように。

戦後は夫と共に北朝鮮に移り、舞踊研究所を設立。その後、1951年、周恩来の支持で北京に舞踊訓練班を設立し、多くの生徒を指導。 1967年には「ブルジョワおよび修正主義分子」とし北朝鮮から粛清され、以降夫の安漠・娘の安聖姫とともに消息不明に。

2003年2月9日に、1969年に亡くなったこと、遺体が愛国烈士陵に葬られ墓碑に「舞踊家同盟中央委員会委員長、人民俳優」と刻まれていることが公式筋より公表され、「人民俳優」として名誉回復されたことが明らかとなったとか。ただし、失脚理由や死因は公式発表されておらず、公式発表の没年月日なども、未だに疑問がもたれているそうです。

出演映画:
半島の舞姫(1936年、新興キネマ製作、監督今日出海)
大金剛の譜(1938年、日活製作)
伝説の舞姫 崔承喜 金梅子が追う民族の心(2000年) - 崔承喜の生涯を追ったドキュメンタリー映画。

(投稿:日本 2010年6月28日、ハワイ 6月27日)

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江利チエミさんの『旅立つ朝』、歌手生活20周年である1971年5月(昭和46年)にリリースされた、このところのお気に入りです。

旅立つ朝:作詞:保富康午、作曲:村井邦彦



この曲を知ったきっかけは、いつものことながらのYouTubeでのサーチだったのですが、聴いた瞬間になんてすてき!と。村井邦彦さん作曲のものは好きな作品が多い中、この曲は、さらにサウンドが大好き要素たくさんで、かなり気になり。

ちょっと調べてみたところ、ドラムスはなんとハル・ブレイン(Hal Blaine)だったのでした。アレンジは、ジミー・ハスケル(Jimmy Haskell)とダンヒル系サウンドの方々。そして、歌唱トレイナーは、フィフス・ディメンション(Fifth Dimension)のアレンジなども手がけるカール・ジョーンズ(Carl Johnes)、ロサンジェルスで録音されたものだということで、確かに好きなサウンドなはずなのでした。

でも、この曲のよさは、そのサウンドだけではないのですよね。ベースとなっている村井さんの曲と何といっても保富康午さんの詞がすばらしいのです。

この世には、ピンク色のおやすみの日があるものさ~ ♪
そよ風が、心に吹くすてきな朝がきっとくる

みんな~生きてるのさ、そうだよ~

この世には、ブルーな日があんまり多くなりすぎた~
さあ行こう、昨日の家に鍵を下ろして旅立とう~

江利チエミさん、この時期、デビュー20周年を迎えながらもとってもたいへんな時期だったんですね。ファンの方のブログ(その他情報もこちらから江利チエミファンのひとりごと:続・あの歌 (5)旅立つ朝(あした)/(6)明日に生きる女)やWikipedia:江利チエミであらためて知りました。

1967年(昭和42年)に声帯を痛め、1969年(昭和44年)には、「紅白に出場して欲しい歌手」上位三名に入りながらも、「歌唱力が落ちたから」と落選。このレコードリリースの前年には、紅白復帰出場には、決まりながらも自ら辞退(この辞退は、紅白史上初めてのことだったのですね。「かわいそうだ」とうちの祖母もあとあとまで、こういったことでの紅白批難はたまにしておりました)。同じ年には、自宅の火事も。
そして、『旅立つ朝』が発売された1971年(昭和46年)には、ほんとうにお辛かっただろうなぁと思ういろいろなことがあり。

1982年(昭和57年)に、お若くして45歳でお亡くなりに。いつも明るい方だったとうイメージですが、江利チエミさんの人生は45年と短いながらも、とてもとてもいろいろなことを経験され。
東京、下谷生まれで生家は、ご近所だったということもあり(交流があった訳ではないのですけれど)、祖母はチエミさんの歌のことはもちろんですが、そのほかの面でもいつも応援してました。
(「三人娘」では、祖母は江利チエミさんと美空ひばりさん贔屓、母は雪村いづみさん好きでした)

この曲、『旅立つ朝』は、そんな江利チエミさんだからこその歌という気がします
(B面『明日に生きる女』は、オンライン・レコード・ショップ「LoveshopRecord」でちょっと聴くことができました。こちらもとってもいい曲ですね)。

(投稿:日本 2010年6月27日、ハワイ 6月26日)

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昨年の今日、2009年6月26日(米現地時間6月25日)は、アメリカのエンターテイメント・シーンの象徴ともいえるおふたりが他界された悲しい日でした。1970年代の米テレビ界のアイコンとも言えるファラ・フォーセット(Farrah Fawcett)が長い闘病生活の末に亡くなったというニュースに続き、この日のお昼時(ハワイ時間)に入ったニュース、マイケルの死は、まったくもって信じることができないものでした。

Breaking News Farrah Fawcett dies at 62



Michael Jackson Died! FOX NEWS! NEW REPORT



この日は、わたくしもちょっとした急用があり、マイケルのニュースの直後に仕事早退。なんか、いろんなことがあり過ぎてちょっと具合が悪くなってしまうぐらいのショックな1日だったのでありました(この日のことは1年前のことなのになんだかとっても遠い昔のような気も)。

JACKSON 5やJACKSONSも含めMJで、好きな曲はたくさんあるのですが、わたしの中の思い出のマイケル・ジャクソン(MICHAEL JACKSON)は、やはりSUZUKI(スズキ)のスクーター、『LOVE』のCMにつきるのです。

このコマーシャルは、ブログを始めて1週間ごろ、MJが亡くなる1ヶ月ほど前の2009年5月24日にもとり上げているのですが(スズキLOVE マイケル・ジャクソン (MICHAEL JACKSON))、別のヴァージョン、そしてスズキLOVEのCMメイキング・オブものも合わせて再度(当時は、まだ、かなり手探りでブログを投稿していたため、複数動画ポスト、リンクの仕方その他いまひとつわからずでしたので)。

Making of The Suzuki Commercial:
スズキが提供して製作して作られた番組のようですね、「このところ『LOVE』がすっかりお気に入りと。この番組でもあるように、このころのマイケル魅力は、ちょっと照れた笑顔:)当時、23歳だったんですね、いまから18年前、そんな前かぁとつくづくです。



スズキ『LOVE』CM:「オフ・ザ・ウォール "Off The Wall"」ヴァージョン



スズキ『LOVE』CM:「今夜はドントストップ "Don't Stop 'Til You Get Enough"」 ヴァージョン



アルバム『OFF THE WALL』はマイケルの初ソロ・アルバムということもあるのですが、わたしが初めて手にしたMJ関連のものだったということもあり、この頃の印象がやっぱり一番深いのです。その後のプロの道をどんどん究めていったMJもですけれど、この頃のMJ、好きです。

[我が子と唯一の共通音楽?]
日本での6月25日だった昨夜は、ちょっと疲れてしまい、早くに眠ってしまったのですが、日テレで「独占!仰天スクープ マイケル・ジャクソン最後の真実」というMJ特集番組を視ました。普段は、食事中にはテレビを視ない決まりにしているのですが、昨夜は例外でw。意外だったのは、うちの子、わたし以上にとっても真剣に視ていたこと。映画『THIS IS IT』も一緒に観賞、こどもはこども声ものが好きということで、JACKSON 5、マイケルものを好んでいるのは知っていましたが、すごく真剣に興味を持って視ていたよう。1年前は、まだアメリカに住んでいたということもあり、マイケル他界のニュースは、学校でも連日話題となっていたということもあるのでしょう。うちの子の中でのMJ像、はじめはゴシップで話題になるような印象の方が強かったようなのですが、この1年で大きく変化したようです。
東京ディズニーランドでの期間限定『キャプテンEO』復活、いよいよもうすぐですね。帰国してから、まだ行ってないし、近々TDLとTDS、泊りで行ってみようかなぁとも思ってます♪
東京ディズニーランド、14年ぶりに『キャプテンEO』期間限定復活~7月から1年間



(投稿:日本 2010年6月26日、ハワイ 6月25日)


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きょう、6月24日は「林檎忌・麦の日」、美空ひばりさんのご命日でした(1937-1989)。「林檎忌」とは、ヒット曲『リンゴ追分』に、そして「麦の日」とはお名前である「ひばり」が好きな麦畑にちなんで名づけられた日なんだそうですね(Wikipedia:6月24日:記念日・年中行事

12歳で天才少女歌手としてデビューした昭和を代表する歌手だった美空ひばりさん、1989年の今日、お亡くなりに。なんか「昭和」という時代とともに去っていってしまわれたという感がありますよね。大学卒業後も働くこととなったひばりさん邸の近くの会社へのアルバイトの採用がちょうど決まったころで、通りかかると報道陣がたくさんいたのをよく覚えています。

いままでも何度か、ふれているのですが、きょうは、ちょうど、『シャープス&フラッツ物語-原信夫の歩んだ戦後とジャズ-』を手にしたので、知りたかったことのひとつである、美空ひばりさんと原信夫とシャープス・アンド・フラッツ(#&♭)との出会いについての章を読んでみました(順番どおりではなく、いっきにひばりの章を)。原信夫とシャープス・アンド・フラッツはひばりさんの専属バンドのような時期があったのですが、それ以前はおもに江利チエミさんとのお仕事が多く、ひばりさんと出会ったのも江利チエミさんのラジオ番組での収録だとか。
『日和下駄』の伴奏をしていたときに、演奏をストップし歌に入るブレイクでのみごとなタメと節まわしにジャズを感じ、原信夫さんはその感覚がずっと忘れられなかったそうです。

日和下駄(こちらの演奏はシャープス・アンド・フラッツではなく)


その後、1961年(昭和36年)に美空ひばりさん初のジャズ・オンリーのアルバム『ひばりとシャープ 虹の彼方』を収録。ひばりさんがジャズをすべて日本語で歌うという、このアイデアは、高島忠夫さんと江利チエミさんとのものだったんですね。水島哲さんがてがける日本語詞もとってもすてきです。ひばりさんのジャズ、すべてすてきなのですが、きょうは、こちらのアルバムからの曲を聴いてみました。

Cry Me A River "クライ・ミー・ア・リバー"



Mack the Knife "匕首(あいくち)マック"



Cucurrucucu Paloma "ククルクク・パローマ"



Love Letters "ラブ・レター"



Over The Rainbow "虹の彼方に"



その後も、ナット・キング・コールゆかりのジャズやスタンダード・ナンバー『ひばり世界をうたう』などもシャープス・アンド・フラッツとレコーディングされてますが、このあたりのカヴァー曲のレコーディングに関しては、ひばりさん「やりましょうか」といって1曲終わるとすぐ次へとまったく間違えずに歌いあげ、録り直しもほとんどなくレコーディングを終わらせてしまうのだとか。プロの方々、いろいろなレコーディングスタイルがあり、それがひばり流だそうです。

ひばりさんは、わたしの祖母が大好きだったので、こどもの頃からよく聴いてはいたのですが、同じものを聴いていたことが多く(少女歌手時代のものをよく。祖母のことですからレコードを何枚も所有していたという訳ではなく、4枚組みのベストレコードをよくくり返しセットしてあげたものでした)。ひばりさんのジャズは、いいですね、つくづく。

それにしても、他界されたの、52歳ってお若かったなぁ。わたしは、またその年には達しってはいませんが、いまの自分と同じ年ぐらいのときのひばりさんとかのこと思っても、大人というか大きいというか(もちろんスターだからというのはあると思うのですが…)。そういえば、こどもの頃のころ、自分の眉があまり好きではありませんでしたが、「ひばりみたいな眉だからいい」と納得いくようないかないような言い聞かせをされていました、「お嬢」とかいわれてたりしたことも思い出しw。

いままでの美空ひばりさんもの:
美空ひばり むらさきの夜明け/ 真っ赤な太陽(2010年5月13日)
美空ひばり 素敵なランデブー(2010年2月26日)
美空ひばり アロハ・オエ(2010年1月11日)

いままでの原信夫さんもの
原信夫 meets 山本邦山 アルバム 日本のニュー・ジャズ (New Jazz in Japan)(2010年5月12日)
ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー 
(投稿:日本 2010年6月24日、ハワイ 6月23日)

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きょうは、雪村いづみさんのアルバム『スーパー・ジェネレイション』から、数曲聴いてみました。このアルバム、雪村いづみさんが服部良一さんのナンバーを歌い、演奏とアレンジはすべてティンパン・アレー(キャラメル・ママ時代なのでしょうかちょうどバンド名を変更した前後ですね。松任谷正隆さん、鈴木茂さん、細野晴臣さん、林立夫さん)というもの。ノスタルジックでかつ新しいサウンドがすてきです。

一杯のコーヒーから ('74): 作詞:藤浦洸、作曲:服部良一



『一杯のコーヒーから』は、いつもちょっと聴いてみたいなぁと思う曲があるとかならずたどりつくzenzokasaiさんコレクションから。この曲は何度か聴いているのですけれど、他の曲もあらためて聴いてみて、服部良一さん、雪村いづみさん、ティンパン・アレー、とすべての方々の魅力を再認識です。
胸の振り子:作詞:サトウハチロー、作曲:服部良一
映画「見たり聞いたりためしたり」の主題歌



アルバム、『スーパー・ジェネレイション』は、懐かしいナンバーをニューアレンジというものですが、『昔のあなた』は、このアルバムのために服部良一さんが書きおろした曲なのですね。このたび、初めて知りました。
昔のあなた "Nostalgia"(曲は途中まで):作詞:山上路夫、作曲:服部良一



ティンパン・アレーが関わっていること、そして評価も高いことなどから、このアルバムいつか入手しないといけないなぁと思っているもの一枚だったのですが、こうして聴いてみて、入手への優先順位がアップ。1974年のアルバムですが、いま、さらに新鮮な感じです。
雪村いづみさん、先日レコ部でかかった『747 ウィンド・フライト』が収録されているアルバム『セピア・メモリー』もすごく欲しいのですが…(やや入手困難なのですよね、『セピア・メモリー』、CDで再販希望です!)。

(投稿:日本 2010年6月22日、ハワイ 6月21日)

追記:
アルバム、『スーパー・ジェネレイション』聴いてみました。先の記事にもあるようにすでに数曲聴いていたものの、そのすばらしさに感動です。雪村いづみさんの解釈はもちろん、ティンパン・アレーのアレンジや演奏がすばらしいです!!そして、何より、服部良一さんの世界、そのすばらしさをつくづくと感じたのでした。

その中1曲、『銀座カンカン娘』にはすばらしさにショックさえうけました。アレンジが新しいというだけではないのですよね。



さらに、このアルバムは参加されているメンバーがすべてにおいてすばらしいですね。
そして、この頃の、NHKで放送された雪村いづみさん、服部良一さん、キャラメル・ママの貴重なライブの貴重な映像もあったとは!!かかわった方々についての情報があり、制作時の雰囲気もなんとなく目に浮かびます。
アラッポ・カーロの備忘録:スーパー・ジェネレイション / キャラメル・ママ 雪村いづみ
にライブ映像も含め、参加メンバーなどの情報などくわしく:)

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きょうは夏至。一年中で一番昼が長く夜が短い日ですね。なんとなく『Mr.サマータイム』を聴きたくなりました。1978年(昭和53年)カネボウ夏キャンペーンソングでもあったこの曲、歌っているのはサーカス、大ヒットでした。

サーカス:Mr.サマータイム



カネボウのCM映像あるかなぁと探してみたのですが、みつかりませんでした…残念。モデルは服部まこ(服部真湖)で、かなり印象に。もっとよく探せばいつかみつかるでしょうか。

『Mr.サマータイム』、昭和50年代を代表する曲のひとつ。サーカスといえば、この曲というイメージ。
当時、まだ小さかったので、作曲は誰、作詞は誰などと気にせず今日まできてしまったのですが、この曲、シャンソンのカヴァーだったのですね。

オリジナルは、作詞ピエール・ドラノエ(PIERRE DELANOE)、作曲がミシェル・フュガン(MICHEL FUGAIN)。歌っているのもミシェル・フュガンさん(サーカス・ヴァージョンの日本語詞は竜真知子さん)。



以前、桑原茂一さんのPIRATE RADIOで聴いて「ステキ!」と思った『愛で殺したい』もこのピエール・ドラノエ(PIERRE DELANOE)/ ミシェル・フュガン(MICHEL FUGAIN)ものだったんですね(放送回の曲目はアラッポ・カーロの備忘録
InterFM「桑原茂一のPIRATE RADIO」#PIRATE14 黒い歌謡曲#3
を参考にさせていただきました)。

愛で殺したい~アムール:2曲つづけて
『愛で殺したい』はサーカスの3枚目のシングル



日本語詞は、なかにし礼さん。原語がわからないので、あくまで想像ですが、きっと訳詞というだけではないオリジナルな世界もあるのでしょうね、なかにし礼さんですし。
アレンジがまたすばらしいです!前面にはでてこないギターの音もすばらしく。
レコーディング・ヴァージョン『愛で殺したい』はこちらからYouTubeでご覧いただけます

オリジナル、ミシェル・フュガンさん(MICHEL FUGAIN)『CHANTE COMME SI TU DEVAIS MOURIR DEMAIN』



『CHANTE COMME SI TU DEVAIS MOURIR DEMAIN』は、ヨーロッパでもきっとヒットしたんですね。ミシェル・フュガンさんが歌うドイツ語ヴァージョンもありました。
Als ginge morgen deine Welt zugrund' (CHANTE COMME SI TU DEVAIS MOURIR DEMAIN)

[サーカス]
サーカスは、大人なコーラスサウンドがほんとすてきです。
男性2人と女性2人というユニットは当時珍しかったんですね。そして、サーカスのなによりユニークなところは3人姉弟と従姉ファミリーであるということ、メンバーは叶正子さん、叶高 さん、叶央介さん、卯月節子さん(現在は3人姉弟と次男、央介さんの奥様)。
でも、『Mr.サマータイム』レコーディングでの男性ヴォーカルは別の方だったとか。デビューメンバーだったすが健さんと茂村泰彦さんでしょうか。それとも別の方?

(投稿:日本 2010年6月21日、ハワイ 6月20日)

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PINK MARTINI(ピンク・マティーニ)ってわりと最近知ったのですが、とっても気に入ってます。きっかけは、由紀さおりさんの『タヤ・タン』をカヴァーしていると知ったことからでした。

Pink Martini:Taya Tan:アルバム『Hey Eugene』より



由紀さおり:タヤ・タン
作詞:山上路夫/作曲:いずみたく
由紀さおりの第2弾シングル「天使のスキャット」のB面に収録(1969年7月1日発売)



わたし~はギターなの、あなた~が弾くワタシ♪がすてきな『タヤ・タン』ですが、日本の歌のカヴァー、そしてハッとするすてきな曲選び。さらなるすてきな日本曲カヴァーということで、PINK MARTINIにすっかり興味を持ってしまったのはこちら『KIKUCHIYO TO MOHSHIMASU』。

Pink Martini:Kikuchiyo To Mohshimasu:アルバム『Hang on Little Tomato』より



『菊千代と申します』は、和田弘とマヒナスターズの、昭和38年の曲(オリジナルは、動画みつからず、うちの多くはないマヒナスターズのコレクションもチェックしましたが、なし)。
レコーディングには、和田さんもスチールギターで参加しているんですね。2003年、レコーディング時、PINK MARTINIは、そのために来日し、日本で録音したそうです。その際には歌唱というか発音の特訓も。
この曲のカヴァーを決めたきっかけは、ヴォーカル、Timothy Nishimoto(ティモシー・ニシモトさん)が、アメリカの中古レコード店でマヒナのアルバム『魅惑のコーラス17集』を見つけたことから。和田弘さんのスチールギターと日本情緒がとっても気に入ったことだったそうです(ZAKZAK:マヒナスターズ、米バンド異色カバーで“復活”より)。

そして、まだまだあります、すてき選曲。映画『黒蜥蜴』、印象的な丸山明宏(美輪明宏)さんの『SONG OF BLACK LIZARD (黒蜥蜴の歌)』!
1997年のデビューアルバムに収録されているというところが、なんかすごいなぁと思います。
Song of the black lizard:アルバム『Sympathique』より



『黒蜥蜴の歌』、今回調べてていて知ったのですが、作詞・作曲も美輪さんなんですね!日本のオリジナル曲でも新たな発見あり。歌は、2:40あたりから



PINK MARTINI(ピンク・マティーニ)、1994年にオレゴン・ポートランドで結成の十数名のリトルオーケストラ。アルバム・デビューは1997年。その後3枚、そしてこの春4枚目のアルバム『SPLENDER IN THE GRASS』がリリースされています。この4枚目が日本ではデビュー盤ということでボーナストラックとして、国内盤には、先の3曲も収録されているんですね。もちろん懐かしの和ものカヴァーばかりしている訳ではなく、他もかなり好みな曲たちをカヴァー、オリジナルもとってもよいです。
PINK MARTINIウェブサイト

きょうは日曜日なのでニューアルバム『SPLENDOR IN THE GRASS』から『SUNDAY TABLE』を。すてきな朝の曲。



やっぱりこういうのはライブで聴きたいなぁと思って来日情報をチェックしたら、今年の3月に来日してたんですね。Billboard東京でライブを。ゲストで由紀さおりさんも出演を!わたしの中では、この辺り、日系つながりとも(ハワイでは由紀さおりさんって日系の方に人気あったり。ティモシーさん日系ですし)



行きたかったなぁ。まぁ、夜のお出かけなので,ちょっと無理だったかもしれませんが。まったく都合つけられない訳ではないし、次の機会には行きたいと思います。ハワイでっていうのもいいかも♪

(投稿:日本 2010年6月20日、ハワイ 6月19日)

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6月17日木曜日、深夜のレコ部 #recobu 常盤響さん(@HIBIKITOKIWA) の選曲はいつもすばらしく、そして必ずハッとさせる1曲がありますね。この日のそんな1曲は、中井貴一さんのアルバム『プライベート・シアター』から。安井かずみさん作詞、加藤和彦さん作曲もの『中古のジャガー・君とアネモネ』でした。

Owly Images
写真はアラッポ・カーロの備忘録のアラッポさんのレコ部中の
佐田啓二の息子 http://ow.ly/i/274A (#recobu live at http://ustre.am/eY0r )
というTweetからお借りいたしました。

アルバム『プライベート・シアター』は、以前に加藤和彦さん提供曲のディスコグラフィーでみかけ気になっていたものでした。とはいっても加藤和彦さんがかかわってらっしゃるものは数しれず、気になりつつも全部は覚えきれないので、そのままになっていたのものです。
ですが、レコ部で思いだし。「あれ、この曲何?なんか加藤和彦さんっぽい!そういえば…」という感じで、至急本棚に手を伸ばし、KAWADE夢ムックの『文藝別冊 加藤和彦 あの素晴しい音をもう一度』チェック!「やっぱり」の展開でした。
実際に聴いてみての感想は、中井貴一さんの声も「キャフェ」という言い方もとっても雰囲気にあってました。聴く前はどんな感じかなぁと思っていたのですが(余談:中井貴一さん、動画のコメントとかみるとけっこうあれなんですけど、ご近所に住んでいたことがあり、何度もお見かけ。すてきな方です)。
『中古のジャガー・君とアネモネ』はみつからなかったのですが、アルバム収録曲をもっと聴いてみたくなり、さっそく。

リタ・デ・ジャネイロ
歌:中井貴一/作詞:安井かずみ/作曲:加藤和彦



君はトロピカル
歌:中井貴一/作詞:安井かずみ/作曲:加藤和彦



俺だけのマドンナ(こちらからYouTubeで視聴いただけます)
歌:中井貴一/作詞:安井かずみ/作曲:加藤和彦/編曲:国吉良一

このアルバム『プライベート・シアター』がリリースされたのは、1985年この頃って俳優さんが歌もうたうっていう動きが活発でしたね。
『俺だけのマドンナ』、『二人だけのラブコールc/w 君はトロピカル』などシングルもあり。
加藤和彦さん、中井貴一さんへの提供曲は、そのほか『中古のジャガー君とアネモネ』、『俺たちのLOVE SONG』、『思い出のアンティックチェア』。
ひとつ前のアルバム『蒼い素描 (デッサン)』にも『あの頃、青春のど真ん中』という曲を提供。加藤和彦さんでということをふまえると、ちょっとタイトルからは、どんな感じか想像がつかず、こちらも聴いてみたいところ。いつか聴いてみたいリスト、やっぱり作成するべきかな。

CDは現在販売されていないようですが、アルバム『蒼い素描 (デッサン)』、『Blue Shade』、『Kiichi Nakai Special Edition』がmp3で購入可能。アルバム『プライベート・シアター』はないようですが(残念…こちらは全曲聴きたいのです)、『Kiichi Nakai Special Edition』というベストに数曲収録されているようです。
蒼い素描(デッサン) Kiichi Nakai Special Edition

「あっ、そういえば!」と、音楽出版社からの『加藤和彦読本(CDジャーナル・ムック)』、もうすぐ発売なことに気づき、予約完了!
いままでの数冊もいろんな情報を参考にさせていただいき、CD購入意欲もそそられたり、今度のものはプロデュースものなどの情報も多くなるのでしょうか。またまた、欲しいアルバムとか増えそうな予感w

(投稿:日本 2010年6月19日、ハワイ 6月18日)

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早いもので、もう一週間。先週の土曜日は、生まれ育った町である根岸・下谷界隈を散策。いろいろと変わってしまったものや失くなってしまったもありましたが、とっても懐かしく、よいひと時をすごすことができました。このあたりは、江戸の昔から神社仏閣も多く、お寺や神社で遊んだ記憶はしっかりと、そこにまつわる言い伝えなど、こどもの頃のことってよく覚えていますね。

そんなマイホームタウンの唄は、なんといっても日本テレビ、その後テレビ朝日でも放送されていた『伝七捕物帳』の主題歌『江戸の花』!作詞は千家和也さん、作曲は吉田正さん、橋幸夫さんがお歌いになってらっしゃいます。

フルコーラスのヴァージョン、YouTubeにはなくずっと探していたのです。どっかにないかなぁと探していたところ、先日、意外なところで発見でした。



灯~りまたた~く黒門町に
御用、御用の声がする~
だてにゃささない角帯の
房はむらさきこの十手~
遠~く下谷の、遠~く下谷のえ~、え~え鐘が鳴る~

黒門町(町名としてはすでにありませんが、学校の名前などにもしっかり残っていたり、現在の場所では上野あたり。親分は黒門町のひとですので)で始まる1番は、下谷の鐘の音。2番、3番にはそれぞれ「墨田の川花火」「赤い夜桜上野山」が。


この『江戸の花』は、『伝七捕物帳』第1話から第160話までずっとエンディングで使われきたものなのですが、第26話からはオープニングにも使われ、OP・EDともに伝七といったらこちら(でも、なぜか時代劇コレクションCDなどにはあまり入っていなにのです)。

このドラマ、中村梅之助さんが主演で、1973年1から1977年まで日本テレビ、その後6ヶ月ほどは、テレビ朝日で放送され、いつもおじいちゃんと一緒に視ていた思い出jの時代劇です。歌も大好きでいたうも歌ってました。そして、何より好きだったのが親指と人差し指での〆締め、「ヨヨヨイ、ヨヨヨイ、ヨヨヨイ、ヨイ」伝七親分が「めでてぇな」と言い、仲間たちが「へい!」という各エピソード最後のシーン。テレビの前で、いつも合わせてました。
こちらがそのシーン



それにしても、これがニコニコ動画にあるとは思いませんでした。
YouTubeでもご覧になることはできるのですが、残念ながら埋めこみ不可。
「ヨヨヨイ、ヨヨヨイ、ヨヨヨイ、ヨイ」お決まりのしめは1:15あたりから、その後『江戸の花』続きます。
伝七捕物帳・第103話「花の錦の三姉妹」エンディング

[根岸・下谷]
こどもの頃の思い出の味で、ハワイにいるころから夢見ていたにこごりのおいしいおでんだね屋さん、和泉屋さんは数年前おじいちゃんがお亡くなりお店を閉じてしまったそうです。手描きろうそくの吉田商店、提灯の五十嵐商店にはがんばって伝統を伝えていって欲しいところです。
その周辺の2年ほど前の風景を記載しているブログ、歴史と文化の薫る街角:明治の残る台東区根岸みつけましたが、またさらに変わっているような。
建物は残っているもののお店は廃業しているところも多く、こどもの頃とはすっかり変わっていました。金杉通りは奥州街道裏道、その後の通称電車通り、都電も通るにぎやかなずいぶんと栄えていた場所なのですが。
金杉通り
記念写真といえばここ!だった、タイル壁に赤い屋根と白く塗られた窓枠が印象的な矢島写真館は、しっかりその佇まいを残していたのがとってもうれしかったです。
まだ、残っているこどもの頃の思い出の場所、全部訪ねることはできませんでしたが、少しだけ。

手児奈せんべい
ここんちのおかあさんに「あそこはまだあるよ。あそこはもう閉めちゃったよ」などいろいろと情報いただきました。おせんべいの味かわらず、おいしかったです:)
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よくこちらで遊ばせていただきました。下谷、三島神社。
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まったくかわりなくおいしかった香味屋の海老グラタン。やっぱりコレ!
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デミ旨し、ハンバーグ。でも、タンシチューも食べておきたかった…
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香味屋、お値段はけっしてお手ごろという訳ではありませんが、大正14年創業、根岸・下谷で消えていくものが多い中味は昔のまま丁寧に作っていますね。おいしかったです。
レストラン香味屋(KAMIYA)

まぁ、一番ショックだったのは、自分の家が(もう駐車場にしていたのですが)、突然マンションに変わっていたことで、「え~???何も聞いてない~」、昨夜、父に訊ねてみました。家の脇の思い出の石畳の路地も私道でしたので、マンションの一部になってしまったようです。なんか淋しいですけど

(投稿:日本 2010年6月18日、ハワイ 6月17日)


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The J's With Jamieの『YOSHIKO』、やっぱりいつ聴いてもいいですね~。曲にあわせていっしょに歌いたいなぁと思い、今夜は歌詞をわたしの聴こえるとおりにちょっとディクってみました(ちなみに、つづりは、完全にローマ字というわけではなく、アメリカ人が書くとすると、というようなすこしカタコト調な表記にしております)。



Watakshi wa anata no aishimas
(Yotchan Baby)
Dokoikno ikimasho YOSHIKO x2
If you don't speak any Japanese
WATASHI a/i ANATA you AISHIMAS means I Love You
I love this girl name(d) YOSHIKO
I wonder where she go
(Dokoikuno)
*Watakshi=ややワタキシ、またはワタタシ
*Dokoikno=歌詞の中ではドコイキノにやや近い。合いの手は「ドコイクノ」で
*Yotchan Baby=ヨッチャンベイビー、ところどころヨッシャンベイビー

など、「らしく」のポイントもいくつかあるものの、この曲、カタコト日本語具合はもちろんのこと、すべてがすばらしいですよね!YOSHIKO熱、Twitterでフォローさせていただいている @pakuchan1964 さん中心に感染させていただき、初めて聴いてから約2ヶ月ほどたつと思うのですが、音も、何度聴いても好みに豪華です。

The J's With Jamie、この曲を聴くまでまったく知らずで、アルバムは2枚のみなもののアメリカではコマーシャルのジングルなどでおなじみのグループなのですね。1964年にはグラミーの新人賞候補にも(こちら→FREE ALBUMS GALORE:The J’s with Jamie - The Remarkable J’s with Jamieでしりました)。

この曲を聴くときは、このYOSHIKOって誰なんだろうといろいろイメージしてみたりするのですが、わたしの中で「YOSHIKO」ときいてはじめに浮かんだのは、なぜか久我美子さんだったのですよね。その後、久我美子さんについていろいろ調べるうちになんだかとっても興味をもち、そして、以前よりさらに好きになっちゃいました。

「また逢う日まで」有名なガラス越しのキスシーン:久我美子、岡田英次



久我美子さんメモ:
東京市牛込に生まれ
村上天皇まで遡る村上源氏の流れを汲む華族の家柄
「戦後の華族制度廃止で実家の経済状況を憂慮した美子が職につきたいという一心からの応募だったが、実家からは「体面を汚す」と猛反対された。結局美子が「久我(こが)」姓を名乗らないことと、住所を親類宅に移すことという条件で芸能活動を許された。漢字は同じでも本名「こがはるこ」が芸名「くがよしこ」と異なるのはこのためである」だそうです。
お亡くなりになってしまった平田昭彦さんとの仲の良さは有名でした。平田さん、いわゆるこの頃の芸能人というイメージとは少しことなっていたこと方だったということも心許せたわけのひとつなのではという気がします(Wikipedia:久我美子)。
岸恵子さん、有馬稲子さんとの「にんじんくらぶ」、アプレガールなどなど。

久我美子さんへの深まる興味は、華族への思いもあり。戦後の華族制度廃止、小説などの題材にもありますが、人生が大きく変わった方いらっしゃいますよね。(小説ではないですが、『キャンティ物語 (幻冬舎文庫)』にも)。
久我美子さんご出身地でもある牛込、昔は華族の住まいも多かったところ。現在、跡地は、○○倶楽部、○○荘などという企業のクラブハウスになっていたり高層ではないマンションになっていたり、家主が維持されているものでも昔の建物もほとんど残っていません。いくつかは残っており、現在はレストランとして使われている小笠原伯爵邸なんかも、すてきです。あまりにも夕暮れの佇まいがすてきだったので、昨日撮影。
レストラン:小笠原伯爵邸


そして、久我美子さんは、1940年代~50年代の八重歯ガールでもありますね:)
以前に目にした「八重ガ~八重歯ガールのすべて~」でなるほど!と思った八重歯考も
興味をもつきっかけだったり。

「日本人の八重歯好きは…江戸時代くらいまで遡るのではないか、という説があります。これは、高貴な身分の人は小さいころからやわらかいものばかり食べていてアゴが細くなり八重歯になったため、それに対する憧れが生じたのではないかという説…」この章、谷崎潤一郎の1930年の随筆「懶惰(らんだ)の説」からの引用などもあり、なかなかおもしろいです(八重ガ~八重歯ガールのすべて~:八重歯の歴史をもう少し振り返る
「八重歯=高貴な身分」→久我美子、しかも八重歯を売りにしていたわけない→そして、久我さんの八重歯ってきちんとした感じ(ちょっとその後のアイドルとかともちがう八重歯並び)→なんか公家感に納得、確実な根拠は特にないそうですが。

(投稿:日本 2010年6月17日、ハワイ 6月16日)

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常盤響さんの(@HIBIKITOKIWA) 深夜のレコ部 #recobu いつも楽しませていただいてます。すばらしい選曲で、最後まで聴いていたいのですがウィークデーはなかなかそういう訳にはいかず、かといって、さぁ寝ようと区切りをつけるのはとってもむずかしいのですよね。
昨夜もまさにそんな感じで「そろそろ寝なくちゃ」といろいろ片付けていた午前2時すぎぐらい、この曲『夜明けのマイウェイ』が…夜明けには早かったけれど、一日の終わりにふさわしいすてきな曲。それから、また少し聴いてしまいましたw。



悲しみをいくつか~ 乗りこえてきました~
ふり返るわたしの背中に
まだ雨が光ってます~♪

でも夜はもうじき明けていきます
いままでとちがう朝が
ガラスのようなまぶしい朝が
芽生えはじめています~♪

『夜明けのマイウェイ』は、PALが歌うドラマ『ちょっとマイウェイ』のテーマソング、荒木一郎さん作詞・作曲でドラマ放送当時も大好きな曲でした。ドラマも大好きだったのに、なぜかすっかり忘れてしまっていました。思い出させていただき、とってもうれしく、『ちょっとマイウェイ』また視くて仕方ありません。この感激は、数あるレコ部での感激もののなかでもひときわだったりしてます。

ちょっとマイウェイOP:1979年11月10日(土)2 第5話「南代官山戦争」



桃井かおりさんの「なんなのこれ、ねぇちょっと、なんなのなんなのこれ!」懐かしいです。
『ちょっとマイウェイ』は、日本テレビで、1979年10月13日から1980年3月29日まで放送。南代官山にあるレストラン“ひまわり亭”が舞台(「南代官山」っていう架空さ加減がまたいいですよね。町名としてはほんとにありそうな感じです)、桃井かおりさん、研ナオコさん、緒形拳さん、八千草薫さん、結城美栄子さん、犬塚弘さん、赤塚真人さん、神田正輝さん、秋野太作さん、岸本加世子さん、左時枝さん、峰竜太さんが出演。

PALの挿入歌がなんともいえず、よかったんですよね。
YouTubeでお楽しみください。
レストランということからのイメージ
カリフォルニア・グレープフルーツ,フレッシュ・オレンジ・ジュース
灯りを消して
大好きでした。

音楽、荒木一郎さんが手がけてらっしゃったのですね。最近、ちょうど再認識中だったので、ドラマと音楽、うれしい再会。
このところ、再認識的気になりということで、荒木一郎さんものは、チェックしていたりしていたのですが、きょうまで気づきませんでした。雰囲気また少しちがって、すてきです。

荒木一郎さんが歌う『夜明けのマイウエイ』




(投稿:日本 2010年6月16日、ハワイ 6月15日)


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YMO『以心電信~YOU'VE GOT TO HELP YOURSELF』、大好きな曲のひとつです。

(こちら音はライブからですね。シングル・ヴァージョン、YouTubeで)


この曲、散開(解散)前にイエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra)として、メンバー三人が同時にスタジオで録音した最後の曲だったんですね。「世界コミュニケーション年(WCY)」のテーマ曲ということでもありました。
(とこのあたりの情報は「Wikipedia:以心電信(YMO)」からなのですが。YMOメンバーのみなさん、テーマに対する反応がなかなかw)

「サウンド・ストリート」(1983.03.08)でオンエアされたもの。以前にこの曲がふと聴きたくなったときに偶然みつけることができました。
YOU'VE GOT TO HELP YOURSELF (歌詞ちがいのヴァージョン):
「七つのボタンをはずしメガネをとって苦しいベルトをゆるめたら♪」
「上手な化粧をおとし髪をなおして鏡の中で笑ってみたら♪」
(正式レコーディングの歌詞はこちら→
YOU'VE GOT TO HELP YOURSELF/以心電信:1983年 作詞:細野晴臣、ピーター・バラカン 作曲:坂本龍一、高橋幸宏)



「夜のヒットスタジオ」出演映像。いつも思うのですが、夜ヒットものは充実してますね。うれしい再会というものが多いです。



散開Live映像もありました。



See how the world goes round
You've got to help yourself
See how the world goes round
Then you help someone else

『以心電信』、定期的に聴きたくなるのですが、自然に、自然に、でいいのだ~、そして、You've got help yoursef= I've got help myself 自分!となんとなく再確認。いつの自分にも効きます。

それで、きょうはなぜ『以心電信~YOU'VE GOT TO HELP YOURSELF』かというのが、最後になってしまいましたが、ラジオで耳にし、これ誰?と思ったらKEANEというイギリスのバンドでした。新しいアルバム『ザ・ナイト・トレイン-夜行列車-(NIGHT TRAIN)』にカヴァーが入ってるんですね。オリジナルのよさを生かしつつ。
KEANも3人のユニット、メンバーは、ティム・ライス=オクスリー、トム・チャップリン 、リチャード・ヒューズ(Tim Rice-Oxley, Tom Chaplin, Richard Hughes)。フィーチャリング「Tigarah」とありますが、どなたなのでしょう。まだ、あまり詳しく調べてないので「Tigarah」については宿題に:)
KEANのサイト

Keane - Ishin Denshin (You've Got to Help Yourself)




(投稿:日本 2010年6月15日、ハワイ 6月14日)

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各地方から梅雨入りの便りもあり、関東地方も秒読みかなぁと思っていたら、本日発表があったようですね。
梅雨入り:関東甲信、東北南部も

ちょっとうっとおしい感もありますが、せっかくなので雨の季節も楽しみたいと思います。
きょうは、雨の月曜日。ウィークデーの朝は、あまりPC立ち上げないのですが、せっかくの雨の月曜日w、今朝は最近お気に入りのTINNA(ティナ)の『MONDAY MORNING RAIN』を聴いてみました。





TINNAは1979年にデビューしたデュオ、メンバーは惣領智子さんと高橋真里子さん。惣領泰則さんのバンド、Brown Riceのヴォーカリストだったふたり、とってもさわやかな歌声とシティポップ系のサウンドがいいですね。ファンの方や当時聴いていた方には、「最近」というのも変化もしれませんが、わたしがTinnaのサウンドに触れたのはほんのちょっと前なのです。

『LONG DISTANCE』、『童夢』、『MONDAY MORNING RAIN』、『1999/TINNA』などアルバムの数も少なくないのですが、CDとして現在販売されているものないようですね。一曲、一曲きちんと聴いてみたいので…再販希望!です。

『MONDAY MORNING RAIN』は、TBS系TV「おはよう 700」キャラバンIIの「700DAYS THE WORLD」テーマソングでもあったのですね。
雨の月曜日。今朝聴いたさわやかな歌声とサウンドのおかげで、梅雨の一日めちょっと楽しくすごすことができました。

Tinna、すてきな曲がたくさんあるので、またいろいろと。

(投稿:日本 2010年6月14日、ハワイ 6月13日)

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『日本ジャズの誕生』を読んでの気になりびと佐野鋤さん、昨日はジャズ・アレンジの民謡を聴いてみたのですが、きょうは、佐野鋤さんが日本に持ち込み、その後も多くの方に歌われている歌『ブンガワンソロ Bengawan Solo』を聞いてみました。

『ブンガワンソロ』は、インドネシアのグサン・マルトハルノさんという方が歌っていたクロンチョン(インドネシアの演歌・歌謡曲)。佐野鋤さんは、昭和17年に慰問団としてシンガポールとインドネシアに行ったときにこの曲に出会い、日本帰国後に慰問旅行報告コンサートで披露したのだそうです。その後、レコードもリリース、コンサートではグレン・ミラー・スタイルだったそうですが、こちらは、クロンチョン的な音も残しつつ、軽吹奏楽スタイル。探してみたら音源がありました。タイトルは、『美はしの河』というものだったようですね。



こちらは、オリジナル録音ではないのですが、原曲の作曲者であるグサン・マルトハルノ歌唱によるレコーディング。この曲は、ジャワ島中部を流れ川「ブンガワンソロ」を歌ったもの。1940年に作曲されたそうです。グサン・マルトハルノさん、1917年生まれ、ついこの間、今年の5月20日にお亡くなりになったそうです。すてきな曲に感謝し、ご冥福をお祈りいたします(クロンチョン系のCD、なぜか2枚ほど所有してるのですが、また聴きたくなってきました)。



代表的なヴァージョンとしてしられている、こちらは、松田トシさんによる『ブンガワンソロ』。日本語詞も自らてがけたそうです。歌手としてこの唄を歌ったのは、一部では松田トシさんが最初と知られていたりもするそうですが、昭和22年収録。瀬川昌久さん著『日本ジャズの誕生』によると、大橋節夫さんや他にもハワイアン系の方が先に吹き込んだものもあるそうです。
松田トシさんのものは、1949年の黒澤明監督『野良犬』の中でも使われているようですね。



こちらは、渡辺はま子さんのヴァージョンで、日本語詞、坂口淳さん、アレンジ佐野鋤さん。



そして、その後もいろいろな方に歌われてきたようですね。全部ではないのですが、印象的なものを数曲あげてみました。

小林旭さんで『アキラのブンガワンソロ』。やっぱり「アキラの」ですね。「ブンガワンソロ~、ソロソ、ソロソロソロ~、ソロソロ♪」、楽しい南国の恋を歌ったヴァージョン。映画『波涛を越える渡り鳥』(昭和36年)での挿入歌だったのですね。



ライブでは、小川美潮さんも歌ってますね。
「仙波清彦とはにわオールスターズ イン・コンサート」より、1991年5月21日 芝メルパルク・ホール

(ライブ動画はなくなってしまったようでなので、こちら補充)



こちらは、歌詞なしのインストゥルメンタル。好きな音要素たっぷり、ベースの感じも、いいです♪
オリエンタル・オーケストラ、アルバム『支那の夜/ 蘇州夜曲 ~ベスト・オブ・チャイナ・ムード』より



[番外:海外編]
佐野鋤さんが日本に持ち込んだ『ブンガワンソロ』というテーマからははずれてしまいますが、とってもすてきな海外ヴァージョンを知りました。中国語によるものなどたくさんあるのですが、ポップな感じのものをいくつか。あまりにも好きな感じなので、「番外:海外編」ということで。

シンガポールのバンド、The Crescendosによる『Bengawan Solo』。1960年代のもの。



Anneke Gronlohさんはマレーシアの人気歌手のようですね。こちらも1960年代です。



なんか探してたらすごいことになってきたので、こちらはまた別に収集することにしたいと思います。というわけで、近いうちに「つづく…」です。

(投稿:日本 2010年6月14日、ハワイ 6月13日)

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このところ、瀬川昌久さんと大谷能生さん共著の『日本ジャズの誕生』を読んでいます。対談形式の指南書的構成で、とりあげている楽曲のデータなども記されているので、読みながらその音源を捜し、そしてそこから関連でおもしろいものをみつけ、また本で調べてというような感じで、またもや、読み進み具合がかなりゆっくり。すでに知っていたことも、またさらに、そして新しく知ることはたくさん。

とっても楽しい解説で気になりどころ満載のこちらの本での気になり人のひとりは、作曲家、編曲家、そして、クラリネット・サックス奏者、指揮者でもある佐野鋤さん。

1923年に17歳で三越少年音楽隊に入団(お姉さまが三越に勤められていたこから、鋤さんも三越に就職、その後すぐ音楽隊に)。いくつかの楽団を経て、バンドマンとして活躍。その後ユニオン楽団で新しく入ってきた服部良一さんとの出会いから編曲家、作曲家としての活躍がはじまったと言ってもよいようですね。街の中から生まれる「書生節」から日本のティンパンアレイへと、プロ作詞、作曲の時代へというころ、服部良一さんがエマヌエル・メッテルに師事していたことを知ったユニオン楽団リーダーの菊池博の提案により、音楽理論や作編曲の勉強会が設けられた「響友会」に参加。課題曲を決めてジャズ風にアレンジをするなどという宿題もよくあったそうです。

そんなトレーニングをつまれてきたからこそのすばらしさを感じる佐野鋤アレンジ曲、1940年代ぐらいのものをいくつか聴いてみました。



こちらのとってもかっこいいアレンジの『佐渡おけさ』は、1942年(昭和17年)、編曲:佐野鋤、演奏:ビクター・スヰンガーズ(日本ビクター軽音楽団)というものですが、ピアノ、そして4サックス、5ブラスの音すばらしいですよね!!

本『日本ジャズの誕生』にも、「このバンドは民謡集がいいですよ…戦後のバンドみたいな」とあるように、ほんと民謡アレンジすばらしいです。ジャズで民謡ってけっこう多いと思うのですが、このあたりがスタートだったんでしょうか。

同じく佐野鋤さんアレンジの『お江戸日本橋』。この曲、ジャズのアレンジ多いと思うのですが、このかっこよさは、ジャズ・アレンジ民謡初期のものながら、後の作品もなかなかかなわないのではと思ってしまうぐらいです。
イントロがたまりません!そして、飛び込んでくる感じのそれぞれのパート・ソロがとってもすてき。



収録年はわからないのですが、『炭坑節』。こちらは「ビクター管弦樂団」そして「V-40461」となってますが、さきほどの2曲は、「ビクター・スヰンガーズ」で「V-40494」、番号からこちらの方が先に録音されたものでしょうか。収録年って、こんな感じの判断ということであってるのかな、まだまだ勉強不足、知識不足。
こちらも、かなりかっこいいです。戦後の音っぽい感じですが、多分昭和10年代なのですよね、きっと。



佐野鋤さん、かなり気になっているので、多分これからもこちらに登場となると思います。息子さんの佐野博美さんの本、『佐野鋤・音楽とその生涯―昭和の民衆音楽と共に生き抜いた人生』も興味あり。
部分的に「Wikipedia:佐野鋤」からの情報によると牛込出身とのこと。ご近所さん系でもあり。

(投稿:日本 2010年6月13日、ハワイ 6月12日)

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