YMOの『中国女(La Femme Chinoise)』は、『東風(Tong Poo)』、『Mad Pierrot』とならびゴダール3部作と呼ばれてますね。ジャン=リュック・ゴダールの『中国女(La Chinoise)』(1967年)にちなんだ曲。邦題は映画のタイトルと同じなのですが、「La Femme Chinoise」というタイトルは、映画の原題である「La Chinoise」と異なるところが興味深いです。そんなことも気になってたので、『中国女(La Chinoise)』をみたくなり、きょうは家で映画観賞(初めてみたのは相当前で、きょうは2回目)。

フランスの五月革命などにも関わる当時の全世界的な学生運動がテーマになったような作品です。ベトナム戦争なども。主演はアンヌ・ヴィアゼムスキー、ジャン=ピエール・レオも出演。作品の中には、北京放送を聴いているシーンなどもあり(フランス語でも放送されてたんですね)、『プチ・リーヴル・ルージュ』(「The Little Red Book/小さな赤い本」)やマオイズムを歌った『Mao Mao』という曲とともに記憶の中に残ってました。この時期のゴダール特有の「革命」と「破滅」なのですが、『気狂いピエロ』同様、映画全体を通して使われる色の美しさがとても印象的。



映画の方も観たし、YMOの『中国女(La Femme Chinoise)』(作詞:クリス・モスデル、作曲:高橋幸宏作曲、)について書いてみようと思って、きょうは聴き流すのではなく、あらためてちゃんと聴いてみました。この曲、2つの映画にちなんでるのですね!ゴダールだけだと思ってました。もうすでになじんでしまっている曲なので、気づかなかったのですが、詞の中に登場しているのは、先日、松任谷由実さん、 松任谷正隆さん『ホンコン・ナイト・サイト/ Hong King Night Sight』でもふれた『スージー・ウォンの世界(The World Of Suzie Wong)』のスージーではないですか!くわしいファンの方にはいまさらってことなのかもしれませんが、知識なく、聴いてて気づいたので、楽しい発見でした。まだまだ発見はつづく、です。



久しぶりに、ちょっと難しいの観たので頭を酷使してしまったのでしょうか、映画『中国女(La Femme Chinoise)』の最後の「始まりの終わり」という文字を観たら、きゅうに眠くなっちゃいました。

過去に書いた関連もの
松任谷由実/ 松任谷正隆 ホンコン・ナイト・サイト/ Hong King Night Sight (映画と音楽) http://cm-song-movie.blogspot.com/2010/01/hong-king-night-sight.html
映画 気狂いピエロ ジャン=リュック・ゴダール監督 (Pierrot Le Fou)/ YMO Mad Pierrot http://cm-song-movie.blogspot.com/2009/10/pierrot-le-fou.html

(投稿:日本 2010年1月24日、ハワイ 1月23日)


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ラッパー一発ぶっぱなせ~
ラッパー一発ぶっぱなせ~
ぼくらはおへそに力を込めて
大きなラッパを吹き鳴らせ
パパ、ママ、先生聞こえたか~
ラッパー一発ぶっぱなせ~
丸大ウィンナー

曲のタイトルは『ラッパ一発』、CMソングの大家である伊藤アキラさん作詞、作曲は越部信義さん、歌っているのは山崎功さんと劇団こまどりのみなさんです。

小学校高学年から高校生のころにかけて放送されていた丸大ウィンナーのCM、こどもたちがのびのびと遊ぶ光景とパワフルな唄が印象的でした。正式な放送年は覚えていなかったのですが、1979年、1982年、1983年、1984年とあるので、ずいぶん長いシリーズ作品だったということがわかります。

あらためてみてみたら、わたしの好きな要素が満載ということに気づきました!

ロケ地はハワイ!草原の向こうにかすかに見える山並みはオアフ島中部あたりもしくはウィンドワード・サイドの牧場(クアロア・ランチかも)、こども達が水遊び編は遠方にみえる岬(島のようにみえますが岬です)、川のようなシーンもあることからカイルアではないかと思われます。そして、大きなボールを転がす編はもしかしてゴルフコースかもしれません。

[CMとハワイ]
ハワイ・ロケのCM、化粧品関係が多いのですが、食品や飲料のCMもとっても多いのです。やしの木やビーチなどが写っていてあきらかにハワイ、というものも多いのですが、中には、どこかの家の庭であったり草原であったり、直接ハワイと結びつかないものも(オフィス街のCMなのにハワイで撮影というものも)。この丸大ウィンナーも、水遊び編以外はそのパターンかな。

ハワイでCM撮影を行う理由(確認した訳ではないのですけれど、傾向をみていて)。
 - 夏CMの撮影時期(日本は冬、遅くとも春)
 - いきいきした表情の外人こどもモデル(ハーフ含む):実は現地スタッフのこどもやその友だちが出演というケースが多いです。
- 最大の理由は、写りこむ空気。ぬけるような空の青さとまばゆいばかりの日差し。

きょうは終日、ハワイ関連のイベント。午前中は、テレビやCMなどの撮影に関するセミナーがあり、久しぶりにハワイのメディア・コーディネーターさんたちともお会いすることができました。楽しい方ばかり。その中には、わたしの憧れの女性も。メディア・コーディネーター第一号、1976年にハワイでの撮影コーディネーションというお仕事を始められた方。昨年70歳、いまでもハワイでの撮影に携わってらっしゃいます。いままでに紹介したハワイ関連のCMも彼女なしにはありえなかったものも多いかと。きっと、この丸大ウィンナーもそうだと思います。(セミナーの途中でその方がコーディネートした過去CMの上映があると聞き、わくわくしていたのですが、機材の調子が悪くみれず。帰宅してからCM鑑賞していて偶然発見 :) 曲のタイトル、伊藤アキラさんの作品ということもわかっってかなりうれしいです。)

(投稿:日本 2010年1月29日、ハワイ 1月28日)

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きょうは、作詞・訳詞家の岩谷時子さんと越路吹雪さんの関係について。そして、岩谷さん訳詞の越路吹雪さんの唄を集めてみました。岩谷さんの存在を意識し始めたのは、すてきだなと思うちょっと古めの洋楽ポップスの訳詞が岩谷さんによるものがけっこう多かったからなのです。作詞でもすてきなナンバーもたくさん手がけ、そのジャンルは実に広く、アニメソングなども。昨年は文化功労者にも選ばれたのですね。

越路吹雪さんと岩谷時子さんのご友情、よく知られているようですが、わたしが知ったのは、作詞・作曲のワークを調べ始めたごく最近のことでした。

越路さんと岩谷さんとの友情は、かなり古く越路吹雪さんが15歳のときからということですが、岩谷さん、作詞・訳詞家でありながら、越路吹雪さんのマネージャーをなさって。あくまでも支えたかったからという姿勢で、マネージメント料なども一切受け取ってらっしゃらなかったそうです。越路吹雪さんにはそれだけのすばらしさがあったということもあり、お二人の厚い友情ゆえかと。

越路さん関連のドラマなどでも、ストーリーに組み込まれていたはずなのですが、そのころはあまり詞が誰の手によるかということ等も含めて調べたりすること、あまり気していなかったのかもしれません。祖母がすきだったので、レコードも所有。CDももっているので、自分でもよく聴いていたのですが...。

岩谷さんの『愛の賛歌(Hymne à l'amour)』(作詞エディット・ピアフ、作曲マルグリット・モノー)に関しては、フランスのオリジナル・ヴァージョンと内容が異なる訳など、美輪明宏さんのNHK人間講座「美輪明宏愛と美の法則」にご出演されたときにも語ってらっしゃるそうです。(Wikipedia:岩谷時子で調べたりしました)

いつまでもお元気でいて欲しいです。越路吹雪さんも天国でそう思ってらっしゃると思います。

『サン・トワ・マミー(Sans toi mamie)』(作詞・作曲:サルヴァト-レ・アダモ)



『夢の中に君がいる』(作詞・作曲:サルヴァト-レ・アダモ)



『ろくでなし(Mauvais Garcon) (作詞・作曲:サルヴァト-レ・アダモ)~ラストはわたしに(Save The Last Dance For Me)(作詞・作曲:ドク・ポーマス&モート・シューマン)



過去の岩谷時子さんもの
加山雄三/ アグネス・ラム アロハ・レイ http://cm-song-movie.blogspot.com/2010/01/blog-post_05.html
メロンの気持ち Corazon de Melon (DE MELON/ 森山加代子/ ゴールデンハーフ/ ローズマリー・クルーニー)http://cm-song-movie.blogspot.com/2009/12/corazon-de-melonde-melon.html

越路吹雪さん、すてきです。最後のバンド紹介かなりかっこいい!

(投稿:日本 2010年1月28日、ハワイ 1月27日)


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久世光彦さんの「ジュリー観」を感じることができる沢田研二さん主演のドラマ『悪魔のようなあいつ』(1975年)、いま、とても視てみたい作品のひとつ。遅い時間に放送されていたのか、当時視ていないのです。その後、再放送もされていません。気にはなっていたのですが、調べていくうちに...楽曲のすばらしさはもちろん、いろいろな意味でかなり惹かれてしまってます。

ドラマ『悪魔のようなあいつ』シーン(編集)。曲は同題オープニングと『時の過ぎゆくままに』



久世光彦さんがプロデュース、長谷川和彦さん(Twitterもなさっていらっしゃいますよね@goji52)が脚本を手がけ、阿久悠さん原作、上村一夫さん作画の三億円強奪事件をテーマとした漫画をドラマ化したものなのですね。

気になってしまったひとつの理由は久世さんによるこのドラマの企画書。沢田研二さんというを日蝕を作り上げるという内容で、久世さんのジュリー観、すごいです。



大ヒットとなった『時のすぎゆくままに』は、このドラマのテーマ、作詞は阿久悠さん、作曲は大野克夫さんなのですが、この曲、久世さんが阿久悠に依頼し、詞が先に書かれ、大野克夫さん、加瀬邦彦さん、 井上堯之さん、井上忠夫さん、都倉俊一さん、荒木一郎さんが曲を競作し、その中から久世さんの判断で大野さんのものが選ばれたのですね。当時は、曲が先というケースが多かったそうで、こういうケースはとても珍しいことだそうです。(参考:Wikipedeiat:時のすぎゆくままに

オープニングで使われている井上堯之バンドの『悪魔のようなあいつ』(作曲・編曲:大野克夫)もすごくいいですね。切なく明るく、終末感を感じるというか。なんと言っていいのかなぁ。上手い言葉がみつかりませんが。

[「東京人」9月号]
「東京人」9月号「向田邦子 久世光彦 特集:昭和の東京」(バックナンバー)、最近買い求めたものですが、きょう読み終えました。向田さんと久世さんの追い求めていた世界をのぞくことができる、何度も読み返したくなるようなすばらしい特集です。お二人にゆかりがある作品は、また書いてみたいのですが、きょうは特集では取り上げられてはいない(向田さんが関わっていないので)久世さんプロデュースの作品がとても気になっていたので。お二人の特集、読後なのですけれど。

過去に書いた向田邦子さんと久世光彦さんに関連するもの:
ドラマ 寺内貫太郎一家/ 寺内貫太郎一家 2 オープニング/ 劇中歌
http://cm-song-movie.blogspot.com/2009/11/2.html
ドラマ 時間ですよ/ 時間ですよ昭和元年 オープニング/ 劇中歌
http://cm-song-movie.blogspot.com/2009/11/blog-post_22.html

(投稿:日本 2010年1月27日、ハワイ 1月26日)


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昨日にひきつづき映画と音楽なのですが、きょうは『ホンコン・ナイト・サイト:Hong Kong Night Sight』、松任谷由実さんのアルバム『水の中のASIAへ』(1981年)に収録されているもの。わたしが初めて香港に行ったは、このアルバムを聴いたちょっと後のこと。この曲を聴いてジャンクの群れがみたくなって、お願いして父の仕事旅行にくっついて出かけたのでした。



この曲、オリジナルは松任谷正隆さん。ティン・パン・アレー(Tin Pan Alley)の『Yellow Magic Carnival』、そして松任谷正隆さんのソロ・アルバム『夜の旅人』(1977年)に収録されています。



翼の横急ぐ夕陽とランデブー
雲も海も紅に染めあげ
夕陽はまたBOMBAYへと向う
(コーラス:西をめざして~)
丸い窓に額よせさよなら
(さよなら)
旋回してく入り江には
ジャンクの群れゆったり浮かぶ
(略)

心やさし彼女の名はスージー・ウォン
裾の割れた絹の服が光る
身の上など話さなくていいさ
(哀しいきのう)
裏町へと帰る影追わない
(追わない)
夜明けになれば枯れる露草ほど
月の光に可憐に咲く
...

乾杯には深い色の葡萄酒(プートンチュ)
星も街も逆さまに映って
気まぐれだよ写真に撮ったのは
(絵葉書のように)
残したって同じ夜は来ない
(来ない)

この歌詞の中にでてくるスージー・ウォンは、1960年の映画『The World Of Suzie Wong』のスージー・ウォン。ウィリアム・ホールデン(William Holden)、ナンシー・クワン(Nancy Kwan)出演、 監督はリチャード・クワイン(Richard Quine)



裏町の女性が外国人と 出会って幸せになるという内容ということだけはしってるのですけど、こちらも歌では知っているのにまだ観たことがありません。音楽もすてきなので、観てみたいと思ってます。

追:『ホンコン・ナイト・サイト:Hong King Night Sight』、イントロ部分の水の音、ユーミンのヴァージョンの機内アナウンス、そして歌詞の中で、葡萄酒を「プートンチュ」といっているところなどのディテールが大好き。

(投稿:日本 2010年1月25日、ハワイ 1月24日)

追記:
その後、『スージー・ウォンの世界』観賞し、そこから、またさらにさらにと。ここからのつながりや興味は広がっております。いろいろと


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映画音楽は大好きなのですが、映画に関連する音楽というのも。特に、何気なく聴いてしまうと気づかなそうなものは、ミュージシャンの方々の好きなものが見えてきたり、謎解きみたいで楽しいです。

きょうは、細野晴臣さんの『ハリケーン・ドロシー』。先日、Blip.fmでドロシー・ラムーアを聴いて、ちょっとまとめてみたいなと思いました(シンプルですけど)。

細野晴臣さんの『ハリケーン・ドロシー』、アルバム『トロピカル・ダンディー(Tropical Dandy)』(1975年)に収録。



君の瞳はカリブの風~

その唇はアラブの闇夜~

ボレロ、ボレロ、ララルラ
踊る、ボレロ、ララルラ、ラ~ルララルラ
...
ルラルラリラー

『ハリケーン・ドロシー』は、映画『ハリケーン(Harricane)』にも出演するドロシー・ラムーア(Dorothy Lamour)さんへのトリビュート的な曲。

先日、Blip.fmでBlipがあったドロシー・ラムーア(Dorothy Lamour)の『The Moon Of Manakoora』(1943年)。



映画『ハリケーン』のトレイラー。出演: ジョン・ホール, ドロシー・ラムーア, レイモンド・マッセイ, ジョン・キャラダイン, メアリー・アスター。監督: ジョン・フォード, スチュアート・ヘイスラー。



細野さんに戻り、こちらはライブ映像です。Haruomi Hosono & Tin Pan Alley - Hurricane Dorothy。



ほかにもいろいろありそうなので、これからも時折まとめてみたいと思ってます。

[ハパ・ハオレやエキゾティカ]
エキゾチカなサウンドとの出会いは間違いなく細野晴臣さんとおして。YMOからたどり、それぞれのというか特に細野さんのでしょうか、YMO以前のワークをたどったりしていたころに聴いた細野晴臣さんの『トロピカル・ダンディー』(1975年)、アルバム全部をまた聴きたいなぁと思ってます。中学生のころにレンタルレコード屋さんで借りたので、いまは手元になし。

先日、とあるところから細野晴臣さんの『ハリケーン・ドロシー』を入手して以来、『トロピカル・ダンディー』聴きたい病が高まっているのですが、そんな折に、ちょうど『The Moon Of Manakoora』を聴いたので、『ハリケーン』も観たくなっちゃいました。観ないといけませんね。

年末調整ででる還付金から少しだけ自分の趣味に。『トロピカル・ダンディー』、CD数枚購入を検討しているうちのひとつ。

(投稿:日本 2010年1月24日、ハワイ 1月23日)


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TwitterのTLでみかけた日経ビジネス・オンライン:超ビジネス書レビューで紹介されている本『星をつくった男阿久悠と、その時代』、読んでみようと思っています。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20100118/212294/

もともとは広告代理店出身で、放送作家などを経て、作詞業へという阿久悠さん、生涯、作詞した曲は5,000曲以上。1970年代中心に、三木たかしさんとのコンビで、ヒット曲をどんどん送り出し、この曲も、あの曲もというぐらい。

「あっ、これもそうだった」という中で、わたしが大好きな曲は、『シャム猫を抱いて』。ちょうど、そろそろとも思っていたところ。

阿久悠さんが、まだ作詞家として活動をされてから間もないときの作品で、作曲は三木たかしさん。この時代、1960年代後半を感じさせるボッサな感じでありながら、いま聴いてもとってもすてきな曲です。高見弘さんのアレンジがスタイリッシュですばらしく特にイントロ、何度聴いても文句なしにかっこいい!

和製ボサノヴァ究極のナンバーといわれDJの方々からもあつい支持を得ているというのも納得です。渚ようこさんがカヴァーしたりしているようですね。

ほんと、なんでこんなに、おしゃれなんでしょう。朝丘ルリ子さんのイメージにもぴったり。
収録されているアルバムのジャケット、デザインは横尾忠則さんです。

ラーララララーラ
ララララーラララーララ
ばら色の夜はシャム猫を
抱きしめてひとり待つのね ♪

[本]
読みたい本、読む予定本がたまってしまっています。でも、この本はお仕事用としても、というか、仕事モードで読もうと思ってます。いまのところ。
最近気づいたのですが、どうも日本語で読むほうがペースがスローなようです。それだけ細かく読んじゃうからなのでしょうか。本のタイプにもよりますけど、好きなことについてあいてある本だとメモなどもとりたくなってしまいますから。

(投稿:日本 2010年1月23日、ハワイ 1月22日)


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1月22日はジャズの日だそうです。JAZZ DAY実行委員会という老舗ジャズクラブ「バードランド」、「サテンドール」、「オールオブミークラブ」オーナーの集まりで制定した日本だけのジャズ記念日。

Ja (January) + 22 (zz) = Jazz ということのようです。

ジャズは名曲多しですが、ジャズの日ですから『ジャズる心(Le Coeur Qui Jazze)』(1963年)。邦題の「ジャズる」という響きがすばらしいのですよね。最近は、「ググる」も含め「XXる」ってよく耳にしますが、このあたりが原点なのでしょうか。これに限らず、昔は洋楽には邦題がつくことがほとんどでしたが、いい意味でハッとさせられるものが多いです。

『ジャズる心(Le Coeur Qui Jazze)』、とってもおしゃれなサウンド。正にこのころのジャズらしく、ボーカルの入り方のタイミング、「間」がかなりかっこよくジャズってます。

そして、『ジャズ・ア・ゴーゴー(Jazz à Gogo)』。大人ぶったようなかわいさのスキャットが、フランス・ギャルです。



それにしても、フランス・ギャルはもちろんですが、このころのポップスでジャジーなナンバーはいいですね。

ともに作詞は、 ロバート・ギャル(Robert Gall、お父様)、作曲・編曲はアラン・ゴラゲール(Alain Goraguer)。

(投稿:日本 2010年1月22日、ハワイ 1月21日)


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きょうはちょっと忙しい一日だったので、お昼は簡単にカップヌードル。でも、ちょっとスペシャルなKEIO DREAMS、慶應ペンマークのロゴ入りです。このカップヌードル、日清食品でつくられていてる通常のカップヌードルと味は同じなのですが、非売品(ちょっと玉子が多めでふんわりしている気がしましたが、これは最近の改良によるものですよね)。いただきものです。




そして、まだ食べたことがありませんが、ギンビスのたべっこ動物にも慶應ヴァージョンありです。箱のふた裏には『若き血』の歌詞が。 http://ameblo.jp/jinbochocurry/entry-10373892072.html

どうも愛校心あふれるOBのかたがつくったりされてるようですね。

若き血に燃ゆる者
光輝みてる我等
希望の明星仰ぎて茲に~♪

応援歌ですので、特に時代は問わないのですが、慶應卒業生にとっては懐かしい唄ということで『若き血』。『丘を越えて』や『青い山脈』で有名な歌手、藤山一郎さん、大学は芸大(東京芸術大学、旧東京音楽学校)ですが、幼稚舎から普通部と、慶應に通ってらっしゃいました。この『若き血』(作詞・作曲、堀内敬三さん)がつくられた1927年(昭和2年)に、藤山一郎さんは慶應生であり、学生でありながら歌唱指導にあたったそうです。

そして、『三色旗の下に』作曲は藤山一郎さん(作詞は藤浦洸さん)。応援歌を作曲というのも、愛校心のあらわれですよね。この2曲を歌ったレコードを昭和15年(1941年)に発売したそうです。

慶應大学出身の有名人は多いですが、その中でミュージシャンも少なくありません。大学を中退されている方も含みますが、加山雄三さん、近田春夫さん、竹内まりやさん、成毛滋さん、松任谷正隆さん、松本隆 さんなど。先日、ふれたザ・フィンガーズも結成時はメンバー全員慶應のバンドでした(ザ・フィンガーズ、失われた世界)。

ほかにもさまざまな分野に慶應出身の方はいらしゃいますね。
慶應義塾大学の人物一覧:Wikipedia

(投稿:日本 2010年1月22日、ハワイ 1月21日)


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きょうラジオを聴いていてフランス・ギャル(France Gall)の『涙のシャンソン日記(Attends où va-ten)』が流れてきました。この曲で思い出すCMは、ホンダ、バラード・スポーツCR-X。

ちょっとチェックしてみたWikipediaには、このCMの放送、1996年とあったのですが、はっきり「1985年」とは覚えておりませんが、1985年説が正しいですよね、車種からしても。

YouTubeの詳細部分に「 映像はアラン・レネ監督の「去年マリエンバートで」を明らかに意 識している。この映画の男の名前はXだった。(ちなみに女はA)」と。わたしが、「去年マリエンバートで」をリバイバル上映で観たのは高校生のころ。そして、CMみたときに同じように感じたのですよね。

「去年マリエンバートで(L'annee derniere a Marienbad )」



『涙のシャンソン日記(Attends où va-ten)』、作詞・作曲ともにセルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg)、アレンジはアラン・ゴラゲール(Alain Goraguer)。このアレンジがまたとってもおしゃれで、せつなく、スタイリッシュなかっこよさ。フランス・ギャルの歌い放つような、飾らないボーカルがもついい意味でのちょっと危うい感じが、好きだったりします。



フランス・ギャル、意識して聴くようになったきっかけは、もしかして、このホンダのCMからかもしれない、とあらためて。(『夢見るシャンソン人形(Poupée de cire poupée de son)』などは、それ以前にも聴いたことはあったし、ポップでかわいい曲だなとは思っていたのですけど。)普段も、YouTubeでおすすめされたり、Blip.fmなどでも、聴く機会はあったりするのですが、ラジオからふと流れてくるといろんなことを思い出したりするものです。ちょうど2日前ぐらいから、フランスものをよく聴いていたころのことや友だちのことなど、ちょっとだけ考えたりしてたせいもあるのかな。

※ホンダ・バラード CR-X:サロン・ミュージック(1984年)について書いてます。どうもCR-XのCM音楽にはだいぶ影響されていた、というかかなり好みだったようです。
ホンダ バラード CR-X  サロン・ミュージック (Salon Music) 
http://cm-song-movie.blogspot.com/2009/09/cr-x-salon-music.html

(投稿:日本 2010年1月21日、ハワイ 1月20日)

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こどもの頃、大好きなコマーシャルだったCMソング、『リリック』。1977年の明治製菓のホワイトチョコレートのコマーシャルで流れていたもの。唄は、ゴダイゴ。森下愛子さんが出演していたというのは、本日の気づき。

このCM、ブログを書きはじめる前から、よく探していたもののひとつ。みつからないので、なかばあきらめかけ、長いこと検索していなかったのです。本日、ちょっと探してみたら、あっさりと。久しぶりに映像とともに曲を聴くことができました :)

Lyric and girls are sweet together~♪
「女の子ってとてもリリックなの、男にはわかんないの」

nonno(ノンノ)とか読んでそうな女の子をターゲット(anan(アンアン)ではない気がします、なんとなく)、そして「ちょっと」新しいおしゃれさんな感じ、そしてこの曲『リリック』、商品の「リリック」のイメージにぴったり。水色の電話が、懐かしい&かわいいです。

ゴダイゴといえば、「西遊記」の『ガンダーラ』、や『モンキー・マジック』、ユニセフ国際児童年『ビューティフル・ネーム』、映画の『銀河鉄道999』などのテーマ曲ですが、それ以前、CMソングをよく歌ってました。なんとなく、わたしのイメージするアメリカ西海岸の香りがする映像やサウンドのCM作品が多く、当時はそういった感じにもとっても憧れていたので、とっても気になっていたのです。まだ、テレビにも出ていないときだったので、どんなひとたちなんだろうと思っていたら、ある日レコード屋さんで『CMソング・グラフィティ・ゴダイゴ・スーパーヒッツ』をみつけ、即おねだり購入。このアルバム、MyファーストCMアルバムでした。(もちろん現在も所有)

小学生だったので、レコーディングの背景などは全く知らなかったのですが、いろいろと権利もあったようで、当時はCMソングをレコード化することは難しかったんですね。シングルは何枚か出ていたようなのですが、アルバム化できたのは、大瀧詠一氏『NIAGARA CM SPECIAL Vol.1』のセールスなどの影響もあったとか。(Wikipedia:ゴダイゴ

[ホワイトチョコレート:リリック]
ホワイトチョコレートの商品、最近ちょっと少ないのかなという気もします。北海道のおみやげなんかでは定番ですが。ホワイトチョコレート、甘さだけがめだってしまうものも多いなか、この「リリック」、甘さもほどよく気に入ってました。ウエハースが甘さをやわらげ、食感にポイントを。

このころ、他社でもホワイトチョコレートのちょっと似た感じの商品がちらほらと。わたしの記憶によると、その前はホワイトチョコレートの商品、そんなに多くはなかったような気がします。ちょっとしたホワイトチョコレート・ブームだったのでしょうか。

(投稿:日本 2010年1月20日、ハワイ 1月19日)

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先日、NHKBS2で放送された「MASTER TAPE~荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る~」、予想していた以上にすばらしい番組でした。

ティン・パン・アレーのメンバーとマスターテープを聴きながらそれぞれの曲や松任谷正隆さんとのエピソード、ユーミンのファースト・アルバムである『ひこうき雲』にいたるまでのストーリーも聞くことができ、いままで知らなかったことも。

ユーミンはGS(グループサウンズ)、特にザ・フィンガーズの大ファンだったのですね。「ユーミン」というすてきな愛称も、追っかけをしていたザ・フィンガーズのシー.ユー.チェン(C.U.チェン)さんからつけてもらったなど。(このお話、自叙伝『ルージュの伝言』くわしく書いてあるそうです。だいぶ前に読んだのであまり覚えていないのですけれど)

ザ・フィンガーズの曲聴いたことがなかったので、まだ数曲ですが、聴いてみました。なかでもラストシングル『失われた世界』(1969年)が、とってもすてき!



ブリティッシュ・サウンドが好きだったユーミンが、ティン・パン・アレーに初めは違和感があった。ティン・パン・アレーはアメリカ的だったから、という話も、ザ・フィンガーズを聴いてなんとなくわかる気がしました。

ザ・フィンガーズのメンバーは、成毛滋さん(リード)、高橋信之(リズム)、シー・ユー・チェンさん(ベース)、蓮見不二男さん(キーボード)、松本宏三さん(ドラムス)、クロード芹沢(ボーカル)。

高橋信之さんは高橋幸宏さんのお兄様ですね。アマチュア時代は、成毛滋さんの早弾きギターを中心としたインストゥルメンタルが多かったようですが、このメンバーになり、プロとなってからは、クリーム、ジミヘン、バニラ・ファッジ、ゼッペリンなどの影響を受けたサウンドに。

『失われた世界』、山上路夫さんの詞、シー・ユー・チェンさんのメロディー、ハープシコードとオルガンが効いた葵まさひこさんのアレンジも、かなり好きな感じの世界。

「MASTER TAPE~荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る~」、もう一度視たいなぁと思っていたのですが、来月、再放送の予定があるそうです。(http://www.nhk.or.jp/fm-blog/050/33586.html

参考:
THE FINGERS BIOGRAPHY http://60spunk.m78.com/fingersbio.html
Wikipedia: ザ・フィンガーズ

(投稿:日本 2010年1月19日、ハワイ 1月18日)


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浅川マキさんが他界されたという訃報。お亡くなりになったのは、昨日、1月17日。ライ名古屋でのライブ最終日だったそうです。この悲しい知らせは、ネットニュースより先に、Twitterで知りました。

みなさんが思い出の曲としてあげているもの、『夜が明けたら』、『かもめ』などのほか、さまざまでしたが、浅川さんが日本語詩書かれた『朝日のあたる家-The House of the Rising Sun』、ちあきなおみさんが歌う『朝日のあたる家(朝日楼)』を。



このほかにも、『暗い日曜日(Szomorú vasárnap, Gloomy Sunday, Sombre Dimanche)』や『マイ・マン(My Man)』の日本語詩を手がけてらっしゃいます。

そのプロセスにおいての、一貫したこだわり。文章を訳す過程でも共感する部分、見習いたい部分がたくさん。(参照:Wikipedia:浅川マキ「浅川マキの『作品』に対する姿勢」

こちらは、浅川マキさん、ご本人が歌う『朝日のあたる家(朝日楼)』



寺山修司さんとの活動、独自のジャズやブルースの世界でしられた浅川さんは、山下洋輔さんや坂田明さん、坂本龍一さんなど、多くミュージシャンとの作品を残し、交流をお持ちになられてました。

山下洋輔談:(Asahi.com:歌手の浅川マキさん急死 「かもめ」「夜が明けたら」より
詩と音楽をあれほど完璧(かんぺき)に自分の中で一体化させて表現した人はいない。あの魔力に取り付かれると他の歌手が聞けなくなる。

浅川さん、生前のインタビューでおしゃっていたそうです:
「浅川マキの世界」に入ってるインタビュー 「一番好きな死に方ってどんなの?」「 やっば、寝たまま死にたいね」 「香水つけとく?」「 つけとく。」(@gsusumu)

ご冥福をお祈りいたします。R.I.P安らかにお眠りください。

(投稿:日本 2010年1月18日、ハワイ 1月17日)


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ザ・タイガース時代からの長年のファンの方は、当然のようにご存知なのでしょうが、ジュリーが1970年代半ばから後半にかけて(1975年~1978年)、フランスをはじめとし、ヨーロッパの国々でシングルやアルバムをリリースをしていたということを1、2ヶ月前に知りました。それ以来、ジュリーのフランスでリリースされた曲の数々がとても気になっています。



『MON AMOURE JE VIENS DU BOUT DU MONDE(恋人よ、世界の果てから僕は来た)』(作詞:G.Sinoue、作曲:G.Costa)がフランスに進出の第一弾。この曲の日本語版は、フランスでの発売より数ヶ月あとのこと、歌詞も山上路夫さんによる訳だったようです。映像は、PVといってよいのだと思うのですが、曲どおり日本からきたということをかなり強調したつくりに。

この海外進出は、「世界で活躍するスター」としての日本へのアピールだったようですが、仏ヒットチャートでトップ1(第1週)を取り、フランスのゴールデンディスク賞も受賞。ティーン雑誌の日本特集にもとりあげられていたようです。(沢田研二はかつて、おフランスでもアイドルだった:http://www.excite.co.jp/News/bit/00091152685040.html

こちらは日本での『巴里にひとり』。夜のヒットスタジオ出演時のものですね。一度めの結婚(元ザ・ピーナッツの伊藤エミさんと)の直後だったようで、電報のお祝いも。



ジュリー最大のヒット曲『時の過ぎいくままに』のちょっと前のことなのですね。

『ITSUMI(いづみ)』。この曲は、のちに香港の歌手、林子祥(ジョージ・ラム)さんが『澤田研二』というタイトルでカヴァーしています。歌詞はジュリーを賞賛するものだそうです。(林子祥(ジョージ・ラム)さんの『ITSUMI』はこちら



『Juliana』、ちょっとポップな感じで、先の2曲とは違った感じ。ハンドクラップやコーラスの感じが好き。3枚めのシングル『Attends-moi』のB面だったようです。



『Attends-moi』はYouTubeでごらんください。
http://www.youtube.com/watch?v=cly7QcMY_cM

『MA GEISHA DE FRANCE』は、タイトルからするとフランスの芸者のという意味のようですが。日本だからという感なのでしょう。



こちらの5曲は、英語、日本語の数曲とともに『KENJI SAWADA(Paris, London, Tokyo)』というアルバムに収録されているようです。

フランスでの4枚めのシングル『ELLE』。フランス語がわからないのが残念なのですが、歌詞の中に「ノスタルジー」とかあるので、思い出を歌ったラブソングのようですね。



5枚めのシングルとなった『Julie Love』は、ポップな感じで、かなり気に入ってます。画像は少しみづらいのですが、感謝です。フランス語でのほかのシングル曲は、ベルギーやオランダでも発売されていたようですが、こちらはフランスのみでリリース。



小学生だったわたしが、「ジュリーってかっこいい!」と思うようになったのは、『勝手にしやがれ』あたりから。そして、その後のザ・ベスト・テンなどの邦楽ランキング系の歌番組での活躍を通して、「見せる・魅せる」ジュリー時代という感じが中心。それ以前の活動は、テレビの特集などでを通してしっていたのですが、フランスでの活躍、もっと知りたい感じです。

参考:Wikipedia:沢田研二 くわしいディスコグラフィーが掲載されています。

(投稿:日本 2010年1月17日、ハワイ 1月16日)


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1960~70年代前半、外国人歌手が自らの楽曲ときにはカヴァー曲をさらに日本語で歌っていたりするのが本当にたくさんありますね。アンディ・ウィリアムスさん(Andy Williams)もそんな中のひとり。日本語で『ある愛の詩(カヴァー)』や『ゴッドファーザー~愛のテーマ』を歌ってらっしゃいます。

それより以前、1969年に、日本語で歌っていたのが、味の素のCMソング。わたしは、当時、小さすぎてこのCMをみることができなかったのですが。小林亜星さん作詞・作曲の「マイファミリー味の素~♪」、本当のタイトルは『いつでもどこでも』。
いつでもどこでも忘れないあのころ
明日もかわらないマイファミリー味の素~♪

2曲めは、とってもハッピーになる『Let 's dance』(作詞:羽柴秀彦さん、作曲:小林亜星さん)。カタコト的発音がいい感じです。3曲めの『すてきなそらを』、(作詞:さのただしさん、作曲:小林亜星さん)歌詞、曲、アレンジ、すべてがすごくわたし好み、です。

外国人が歌う日本語の唄って、外国人が日本語を話してくれてうれしくなったときのような感覚と同じく、聴いててなんだかうれしくなりますね。これらの曲を収録したEPは当時、プレゼントにもなってたようですね。近年、CDとなって一度リリース。

アンディ・ウィリアムスさん、アメリカで人気だったテレビ番組『アンディ・ウィリアムス・ショー』は、NHKで放送されたこともあり、日本人にとってもなじみ深いかたです。1991年には紅白歌合戦にも出演していたのですね。(その頃、ちょうど紅白とかあまり視ていなかったので...見逃してます)。

味の素が、アンデイ・ウィリアムスを起用したきっかけはいろいろあるのでしょうが、「世界の」イメージをアピールするには、ぴったりだったのではないかと思います。

味の素のCMは、テレビ放送初期から世界を意識した感じ。



(投稿:日本 2010年1月16日、ハワイ 1月15日)

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キューピー3分クッキングのときに放送されていた、キューピー・マヨネーズ・アメリカンのCM、音楽と映像、ナレーション、すべてがかっこよく、とても印象に残っています。サンドイッチには、マヨネーズ、というアメリカンなスタイルを直接説明することなく、みせてくれました。



「わたしの最初の写真は、父の腕に中でこの店の前で撮られている。あの頃、だれかがカメラを買うと、まずダイナーの前で写真を撮った」。サンドイッチ・アメリカン、キューピー・マヨネーズ・アメリカン(1987年)、コネチカット州のコリンズ・ダイナー。

曲は、キャシー・リンデン(Kathy Linden)の『Goobye Jimmy Goodbye』(1959年)、哀しく、すてきで、懐かしい曲。



「透きとおる空気の中に、マックス・グリルは、ジョン・ベイダーの、あのスーパーリアリズムの絵と同じ色彩だった。窓からカウンターまで、斜めの陽がさしこんでおり、車の音が途絶えると、1940年代がそこにあった。サンドイッチ・アメリカン、キューピー・マヨネーズ・アメリカン」(1987年)、ニュー・ジャージー州のマックス・グリルというダイナー。

曲はハリー・ニルソン(Harry Nilsson)の『Many Rivers To Cross』。ジョン・レノン(John Lennon)との共作『Pussy Cats』というアルバムに入っている一曲。



「16歳の秋、トルーマン・カポーティ「ティファニーで朝食を」を読んだ。その日から僕の胸に、ホリー・ゴライトリーという女性が棲みついた。彼女は痩せて、あごがとがり、キュウリとマヨネーズのサンドイッチを細い指でつまんでいた。ティファニーで昼食を。キューピー・アメリカン・マヨネーズ」(1988年) 。

曲は、『Moon River』、ボッサでジャズ的なアレンジがすてきなナンシー・ウィルソン(Nancy Wilson)のヴァージョンです。


きょう、オフィスの近く、図書館がある区民センターで、広告業界就活フェアやってました。来春入社のための就職活動も、そろそろスタートなのでしょうか。ちょっと興味があってという学生もいるだろうし、なんとなくそういう業界に憧れてるというひとや広告大好きというひともいるのだろうなぁ、と思いながらみてました。彼ら、彼女らの思い出に残る大好きなCM、知りたいなぁ。

(投稿:日本 2010年1月15日、ハワイ 1月14日)

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本日、バンダイと明治製菓のコラボで、「チョコレートを∞に“パキッ”と折れる!『∞(むげん)チョコレート』が1月30日に発売というニュースを目にしました。ちょうど昨日、明治チョコレートのCM:ザ・タイガース編について書いたのですが、懐かしい明治の定番チョコレートのCMをさらに。

お菓子のCMというと女性アイドルが多かったりしますが、明治の定番チョコレート、男性アイドルの出演が中心です。

野口五郎さん熱唱編、「いい歌と、いいチョコレート。いつも青春と一緒です」、曲は『歌がある限り』(作詞:山上路夫さん、作曲:東海林修さん)。野口五郎さんが明治デラックスのCMに出演していたのは1975年から1978年まで。



そして、ハイミルク(Hi-Milk)のCMは、あいざき進也さんでした。CMはちょっとみつからず、残念。シリーズものでは、『愛の誕生日』(作詞:岡田冨美子さん、作曲がすぎやまこういちさん)などが使われてました。(『愛の誕生日』はYouTubeでhttp://www.youtube.com/watch?v=8xTGITuNtiQ

懸賞で「あるまじろ」が当たるというものがあって、とっても、とっても欲しかったんですよね。カナダの思い出というキャンペーンでは、オリジナルレコード「進也のひとり旅/おき手紙」ほかが当たるというものも。(こちらのサイトにプレゼント画像と内容などがありました。http://aizaki_shinya.tripod.com/works/himilk.htm


デビュー曲の『気になる17才』も使われていたはず。作詞は安井かずみさん、作曲・編曲は穂口雄右さんです。



あとは、80年代には少年隊。この頃は定番チョコレート、買わなくなってしまったせいでしょうか。パッケージ、このCMみて、あぁ、そういえばこういうパッケージもあったなって思い出しました。「Oh, My デラ、デラ、デラ♪」、曲は、正統派CM系。



おなじみの「チョッコレート、チョッコレート♪」、中森明菜さん(1986年)。



株式会社バンダイ:プレスリリース『∞(むげん)チョコレート』 http://www.bandai.co.jp/releases/J2010011401.html

(投稿:日本 2010年1月14日、ハワイ 1月13日)


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「チョッコレート。チョッコレート。チョコレートは明治♪」でおなじみの明治チョコレートのCMソングを始めに歌ったのは、ザ・タイガースだったんですね。つい最近知りました。昭和42年(1967年)、ザ・タイガースが、明治のチョコレートCMに出演。そのCM用に、いずみたくさんにより作詞・作曲されたとのだそうです。

翌年には、『明治チョコレート・テーマ』とともに明治デラックスミルクチョコレートのCMソング『いとしのデラ』(作詞:山上路夫さん、作曲:すぎやまこういちさん)が収録されたザ・タイガースのソノシート・プレゼントキャンペーン実施。こちらがキャンペーンのソノシート、トークも楽しめます。



戦後、贅沢な嗜好品だったチョコレートが、経済の発展とともにヤングをターゲットとしたお菓子にということで、ザ・タイガースがイメージ・キャラクターとして抜擢されたそうです(くわしくは、関連リンク「60年代通信」ご覧ください)。

CMソングがフルコーラスつくられたりするようになったのは、いつごろからなんだろう、そしていつから少なくなってしまったんだろう、とよく疑問に思っていて、これは今後も課題なのですが、始まりは、この辺りからなのでしょうか。

明治デラックスチョコレート、ザ・タイガース出演CM。『いとしのデラ』とともに。ジュリー、スウィートな感じです。ザ・タイガース主演映画『ザ・タイガース 華やかなる招待』の雰囲気ともちょっと似たつくり。(この映画に関しては、今度また)



ココナッツ・チョコレートのCMソング、かなりカッコイイ!!CM動画ではないのですがポスター?雑誌広告?画像があります。この曲の作詞、作曲は、わたしなりに現在調査中。



この「ココナッツ、ココナッツ、ココナッツ...」を聴いていたら、ザ・タイガースではないのですが、『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』収録の『ココナッツ'76』が聴きたくなり、寒い冬ですが電車の中、iPhoneで聴いてます。

明治製菓:明治製菓のあゆみ http://www.meiji.co.jp/corp/history/index.html
60年代通信 http://www31.ocn.ne.jp/~goodold60net/htm_fils/gs/tgrs_mij.htm
Wikipedia:明治製菓 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E8%A3%BD%E8%8F%93

(投稿:日本 2010年1月13日、ハワイ 1月12日)


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一週間ほど前、ハワイを旅立つ際に、最後に、美空ひばりさんのハワイ初公演の画像とともに、ひばりさんの『アロハ・オエ』を聴きました。『アロハ・オエ(Aloha 'Oe)』、ハワイといえばこの曲を思い出すという方も多い、ハワイ王国最後の女王となった第8代女王リリウオカラニによってつくられた名曲です。



美空ひばりさんの『アロハ・オエ』、アルバム『ひばり世界をうたう(HIBARI SINGS FOLK SONGS AROUND THE WORLD)』に収録。映像は、ひばりさんが13歳のとき、昭和25年(1950年)5月のハワイ初公演の画像を集めて編集されたもの。

ハワイで初公演について少し。
美空ひばりさん、日本人としてアメリカで公演を行ったのは、第二次世界大戦後初めてだそうです。日本人がアメリカへの観光渡航を許可される、ずっと以前のこと。アメリカ本土も含むアメリカ巡業の一環として行われたこの公演、当時の日系人社会では、とても大きな出来事だったようで、日系人史の資料などでもよく目にします。帰国後、8月には浅草国際劇場で、「ハワイ・アメリカ珍道中」公演も。当時、アメリカ日系人社会にとってだけではなく、日本でも特別なことだったのではないでしょう。美空ひばりさんのアメリカ初公演に関しての本も出版されているようですね。

ハワイでの公演の売り上げは、日系2世米国人部隊、第100大隊(第二次世界大戦ヨーロッパ戦線に出向いた日系人部隊)の記念館設立に寄付。

この映像の中で、ひばりさんが、抱いている人形はQ子ちゃん。フラ・ガールのスタイルがかわいいですね。ワイキキ・ビーチには、まだハワイ伝説のサーファー、デューク・カハナモクゆかりのカヌー・クラブがあり、飛行機の側での写真のレイ、いまでは、あまり見かけないダブル・カーネーションが1950年代的です。

1950年には、岡晴夫さんと共演の映画『憧れのハワイ航路』も公開されています。



『アロハ・オエ』の他にも、『バイバイ・ハワイ』などハワイにちなんだ曲を歌ってらしたり、その後もハワイ公演、数回なさっていました。

[美空ひばりさん、CLUB 100 Veterans:、第100大隊記念館]
きょうは、わたしのTRAVATAR、リンリンも磯子にいたようです。
http://twitter.com/MugichaGozen/status/7621218986

美空ひばりさん、祖母が大ファンだったので、よくレコードかけてあげてました(祖母は操作がわからず)。小さい頃は、よくひばりさんのこどもの頃の感じを真似ては、祖母に披露したり。20代の頃、アルバイト、正社員と、勤めていた会社はひばり邸のすぐ近く。アルバイト初勤務の挨拶に行った日、ひばりさんが他界されてすぐのことだったので、ひばり邸に報道陣が集まっていたのをよく覚えています。

第100大隊記念館、わたし個人的にもとてもなじみがあり、真向かいのコンドミニアムに6年ほど住み、ハワイに住む前も何度か滞在していた場所なのです。いまでも、日系人社会(最近移り住んだ人たちではなく)、特に年配の方々には、この記念館の存在は重要な意味をもっています(注:博物館という訳ではなく集会ホールのようなもの)。わたしが、こどもの頃から縁あってお世話になっている方も、第100大隊にいらした訳ではないのですが、戦後、日本とアメリカに関わる仕事をしていたりしたこともあり、この「CLUB 100 Veterans」には特別な思いをもってらっしゃいました。

参考にさせていただいたサイト:
美空ひばり公式ウェブサイト http://www.misorahibari.com/
ハワイの玉ちゃん http://01670167.blog74.fc2.com/blog-entry-542.html

(投稿:日本 2010年1月11日、ハワイ 1月12日)


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昨日、11pmがらみの動画を視ていたからでしょうか、三経ロンドン・グループのキャバレー・ロンドンのCMをもう一度視てみたくなりました。

ロンドン、ロンドン、ロンドン
楽しいロンドン、愉快なロンドン
ロンド~ン、ロンドン

ロゴの女の子も、このCMも楽しそうだなぁとは思っていたのですが、幼いころ住んでいた街の国鉄(JR)の駅近くにロンドンがあり(ハワイもありました)、お店の前を通るとイケない感じがしてました。当時のキャバレー界トラベル戦争だったのでしょうか。「皆様のレジャーに奉仕する」ということですが、レジャーというのも旅を連想させます。

この忘れられないCM、どなたが作詞、作曲なさったのかとても知りたいところ。

ロンドン・グループ、全国展開のチェーンだと思っていたのですが、関西の方にはあまりなじみがないようですね。関西での11pm枠、どんなCMが放送されていたのでしょうか。

[ロンドン行きたい]
ハワイもいいけど、ロンドンも!イギリスには、長期でも滞在したことがあるのですが、もう長いこと行ってません。若いころのように気ままにという訳にはいきませんが、こどもも大きくなってきたので、一緒に行っても、そろそろ楽しめるかな。ロンドン行きたいです。

(投稿:日本 2010年1月10日、ハワイ 1月9日)


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YMOのフジ・カセットテープCM、テレビはもちろん、ラジオ、そしてポスター・雑誌を含め、とても印象に残っているシリーズ広告です。音楽、ビジュアル、コピーが商品コンセプトにぴったりで、しかもYMO自体のイメージ打ち出し効果もあったという理想的なモデルだと思います。

まずは、テレビCM。「テクノポリスの感性工場」編と「テクノポリス25時」編は、ステレオタイプ的な日本人像を強調、そして東京タワーに光る環。サウンドはもちろんですが、この日本人ネスは、YMOが海外で人気となった大きな要素のひとつ。いままで海外志向だった若者たちの文化にとても大きな変化をもたらしたYMOならではのCMです。



カセットテープのCMということで、ラジオCMにも趣向をこらしていました。「音楽は磁性紀に入った」編は、細野晴臣さん、高橋幸宏さん、坂本龍一さんのトークの音の立体感が特徴。そして、このCM用につくられたサウンドについての談話というのもとてもユニークです。わたしが、大好きだったのは、「音楽は増殖をはじめた」編。こちらはサウンドのつくられる過程について細野晴臣さんが解説、そして「~増殖する音楽に君のカセットは対応できるだろうか。~DR、ER、UR、SR、DR、ER、UR、SR...」という終わり方が。

「音楽は磁性紀に入った」編



「音楽は増殖をはじめた」編



こちらの動画は、11pmの水曜イレブンでのYMO特集なのですが、音楽、音楽戦略、広告宣伝活動も含む興味深いトークが満載。話の内容から、おそらく1981年放送。YMOメンバーの出演は細野さんのみですが、11pm勢、司会進行の愛川欽也さん、今野雄二さん、かたせ梨乃さん、サンディーさん、ゲストとして、川添象郎さん、糸井重里さん、上條喬久さん、小島正彦さん(富士フィルム)が出演なさっています。(※ CMについての話は5:35あたりから)



川添さんのお話もおもしろいですし、糸井さんの「YMOは力道山的魅力」というコメントも、まさにという感じです。こうやって、もう一度見直すと、最先端広告を最先端技術のカセットテープに、というコンセプトで制作された広告それぞれのアートワークとコピーがすばらしいです!

「音楽は増殖をはじめた」アルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』の麻雀牌をカセットテープに
「音楽はいつも先兵だ」カセットで増殖していくイメージ
「音楽は磁性紀に入った」楽器から蓄音機、そして磁性紀。次世紀にもかけているのでしょう
「音楽は104番目の元素だ」音楽を名称のない104番目の元素にたとえて。
「世紀末か新時代か」21世紀までという20年分のカレンダー(もう21世紀になってしまってますね、早い)
「感覚で音楽を」こちらもコピーが韻を

イビサ、このころからテクノ土壌だったんですね。あらためて気づきました。いまのイビサのサウンドは、またさらに異なっていますが。

[ブログ更新]
基本的に一日一投稿目標ですが、どうもこのところ寝てしまって一日抜けて、その次の日に2つ書いてのくり返し。夜10以降ぐらいにならないと時間がつくれないというのも要因ですが、一日おきに時差による疲れがやってくるのかな。夏に日本に引っ越してきたときも、そうだった気が。

(投稿:日本 2010年1月9日、ハワイ 1月8日)


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「ノックノック・ニューおもしろ倶楽部」、1970年代後半の今野雄二さん司会、田辺エージェンシー制作で放送されていた深夜番組(火曜日 0:10〜0:40放送)。構成は景山民夫さんだったとか。「ノックノック」とは、オープニング・タイトルで「N.O.K」となっているので、どうやらノック=N.O.Kで、ニュー、おもしろ、倶楽部(CLUBとつづらないよううでK)の略のようですね。(※ 動画すべて長めで、ちょっと長編です。)

オンタイムで視たことはなかったのですが、この一週間ほどかけて視聴。サディスティックス、サディスティック・ミカ・バンド解散直後とアルバム発売前後の放送分があり、とても興味深いです。

先の動画は、1976年9月25日放送の番組、冒頭部分から『Wa-Kah! Chiko:Time To Noodle』。高中正義さん(ギター)、高橋幸宏さん(ドラムス)、後藤次利さん(ベース)、今井裕さん(キーボード)によって1976年に結成されたサディスティックス特集ということで、ゲストとして、パーカッションに斉藤ノブさん、ボーカルにTan Tanさん、サックスにジェイクさんも迎え、ライブはもちろんインタビューなども。サディスティックス、特にボーカルをもたないというバンドだと思っていたのですが、当初はボーカルをもつという考えもあったのですね。「ギンギンにロックじゃない」、「味のある」という感じで。



この頃、高中正義さんは、すでにソロ・アルバムをだしていたということもあり、高中さんのアルバム『セイシェルズ』から『Oh Tengo Suerte』(作詞:高橋幸宏さん、作曲:高中正義さん)。このアルバム、わたしもよく聴いていた1枚で、ボーカル部分、歌って、とく真似したりしていたんですけど、このライブはもちろん、アルバムでもTAN TAN(大空はるみ)さんだったんですよね。当時、TAN TANさんってどんなひとなんだろうと思っていたことなど、また最近、いろいろと思い出してきました。



今野雄二さん、サディスティック・ミカ・バンド時代に詞を提供しているということもあり、サディスティック・ミカ・バンドのアルバム『HOT MENU』から『ヘーイごきげんはいかが(HI!! JACK)』(作曲、加藤和彦さん、作詞、今野雄二さん)をサディスティックス演奏で。



この後、サディスティックスは、4ヶ月かけてアルバム『Sadistics』を収録、1977年6月い発表。高橋幸宏さんが“海賊”というイメージを決め、A面はそのテーマにそったつくりに。この発売の際も「ノックノック・ニューおもしろ倶楽部」に出演なさったようですね。番組内で制作エピソードなども語られています。

アルバム『Sadistics』からRajieさんボーカル参加の『The Tokyo Taste』(作詞:高橋幸宏さん、Chris Mosdellさん、作曲:後藤次利さん)。



番組最後には、メンバーのそれまでの経歴などをしることができるメンバー紹介、アルバム『Sadistics』制作エピソードなど。最後の曲は、アルバムからではなく、高中正義さんの『Ready to Fly』。



この番組動画をみつけたのは、サディスティックスやRajieさん関連でなのですが、そもそもは、アルバム『Sadistics』でもあり、そのきっかけとなったのは、紹介いただいた一曲、『Far Away(熱い風)』。TAN TANさんのボーカルがとってもすてきで、最近とても気にいってます。今井裕さんのクロスオーバーなナンバー。



(投稿:日本 2010年1月9日、ハワイ 1月8日)


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ハワイとゆかりのあるシンガーということで、先日サンディーさんのサンディー&サンセッツ(Sandii & The Sunsetz)での活動について書いたのですが、きょうは、ソロ時代の曲について書こうかなぁと朝から思っていたら、ちょうどルパンの愛車、FIAT500に関連するイベントのニュースもあったようですね(ほんとは昨夜書くつもりだったのですが)。

モンキー・パンチさん原作のアニメ『ルパン三世』といえば、大野雄二さんが手がける、その音楽のかっこよさでも知られていますが、テレビ第2シリーズのエンディング『ラブ・スコール』は(同シリーズ、エンディング数曲あり)、ルパン・サウンド・ファンの中でも評価が高い一曲。槇小奈帆さん作詞、大野雄二さん作曲/編曲、1979年の作品で、サンディさんが、サンドラ・ホーンという名で歌ってらっしゃいます。

そのほかにも、サンディーさん、過去のソロ時代にはいくつかのラストネームで活動。
サンディー&ザ・サンセッツの少し前、『ラブ・スコール』の少し後の1980年には、SANdiiとして『EATING PLEASURE』(細野晴臣さんプロデュース)をリリース。こちらは同アルバム収録、『ALIVE』。



1978年には、アガサ・クリスティの映画『ナイル殺人事件』のテーマ曲日本版『ミステリー・ナイル』をサンディー・オニールという名前で。この映画、わたしも観にいったので、よく覚えています。ボード・ゲームももってました。(監督:ジョン・ギラーミン、音楽: ニーノ・ロータ(テーマ曲は別))



サンディー・オニール時代はディスコっぽいアレンジの『ヘイ! キング・コング』も。



1976年には、『グッドバイ・モーニング』でポプコン(ポピュラーソングコンテスト)グランプリと世界歌謡祭グランプリ最優秀歌唱賞を受賞しています。庄野真代さん作詞、なかじかおる/ 中島薫さん作曲のこのちょっとせつない曲は、作詞者である、庄野真代さんのほか、宇徳敬子さんやルカス・ぺルマンさんなどもカヴァーされていますが、オリジナルはサンディーさんです。
『Goodbye morning(グッドバイ・モーニング)』(YouTubeでご覧いただけます)

『くちづけは許して』はサンディー・アイという名前でグラビアなどの活動もされていたころのもの。多分、デビュー曲だと思います。



関連自己ポスト:
サンディー&ザ・サンセッツ(Sandii & The Sunsetz):Sticky Music/ 開けゴマ(2009年12月21日投稿)
ルパン三世主題歌2(ルパン三世エンディング)(2009年6月12日投稿)

(投稿:日本 2010年1月7日、ハワイ 1月6日)


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旅行というには、長めの滞在。「あ~し~た~か~える~」なので、きょうは、『アロハ・レイ』。

昭和41年(1966年)リリース、加山雄三さんのシングル『お嫁においでよ』のB面、そして同年発売のアルバム、「加山雄三ハワイの休日」に収録されている『アロハ・レイ』。さまざまな出会いと別れがあるハワイらしい一曲ですね。作詞は、岩谷時子さん、 作曲、弾厚作さん。映画『歌う若大将』の挿入歌でもあります。

この『アロハ・レイ』、ハワイが生んだアイドル、アグネス・ラムさんも歌っています。メロディーは同じく、歌詞はことなり、オリジナル版が「旅立つ僕」であるのに対し、こちらは「見送るワタシ」という内容。ただ単に女の子こヴァージョンになったというだけでないところが、アンサー・ソング的とも(厳密な意味でにいうとちがうかなとも思いますが)。作詞は、同じく岩谷時子さん。アグネス・ラムさんの声と日本語の発音が、旅人を見送るロコガール的で、この曲にぴったり。ベスト・アルバムに収録されています。(アグネス・ラムさんは昭和56年(1981年)、『帰ってきた若大将』にゲスト出演も)



[オリジナル]

瞳ぬらして、「好き」とひと言
泳いでいった可愛い娘
明日帰る僕と
別れの口づけしよう
アロハ・レイ

優しく夜ごと、花の香りを
残していった可愛い娘
また逢おうね
君を愛したあの浜辺で
アロハ・レイ

明日帰る僕と
別れの口づけしよう
アロハ・レイ



[アグネス・ラムさんヴァージョン]

あつい瞳で好きとひと言
泳いでいった男の子
ワタシも好き
別れの朝は口づけしよう
アロハ・レイ

夜ごときれいな花束おいて
愛していた男の子
また逢おうね
別れの朝は口づけしよう
アロハ・レイ

忘れないわ
別れの朝は口づけしよう
アロハ・レイ

[ハワイ滞在]
明日の朝、日本に帰ります。
来る前は、今回のステイにいろいろな思いもあったのですが、こちらでの日々は、数ヶ月前とちょっと勝手がちがうものの、どこかに長く居て留守にしていた場所に戻ってきたような感覚。街のようすは、やや変化がありつつも、ハワイの日常はかわりなく、温暖な気候と自然。一日に、いろいろなことができてしまいます。

よくハワイアン・タイム、ハワイのひとは時間にややルーズ、と言われますが(自分たちでも言ってます)、急がなくてもいろんなことができてしまうせいもあるのかも知れません。

あさってから、きちんとしたスケジュールでの仕事開始。東京生活にもどります。

(投稿:日本 2010年1月5日、ハワイ 1月4日)

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