本日は、すこし気分をかえて、日本のアーティストのハワイ録音ものとして、いつか書こうと思っていた作品を。

桑名晴子さんのデビュー・アルバム、1978年の『MILLION STARS』。こちらは、所有している訳ではなく、ずっと欲しいなぁと思っているもの。

このアルバム、カラパナのマッキー・フェアリーが、一時脱退し、ソロ、自身のバンドへ結成という時期にプロデュースしたもの。マッキー・フェアリーのカヴァーを女性ボーカルですてきにカヴァーしてくれているのですよね。録音もハワイらしく。

You're Young 桑名晴子 (1978年)
ギターかっこいいです。イントロのエレピの音も。



Million Star 桑名晴子 (1978年)
キーボードが、夜空な。



B面は、リトル・フィートのビル・ペインとポール・バレルがバックをつとめ、またちがったテイストに。
こちらも、とってもかっこいいですね。こちらはLA録音。

Vanishing Point 桑名晴子 (1978年)



このアルバム、『あこがれのSUNDOWN』も評価が高いナンバーですが、近年、セルフカヴァーしてらっしゃったのですね。

あこがれのSUN DOWN (1978年)



あこがれのSUN DOWN Volta Masters Remix feat.CLOCK



アルバム『Million Stars』収録曲:

あこがれのサンダウン/ さりげなく過ぎゆく時に/ アイ・リメンバー・ユー/ ユーアー・ヤング/ よそうよ/ ミリオン・スター/ ギヴ・ア・リトル/ 待ち合わせ/ 風の中に/ シュア・シング/ セット・ミー・フリー/ バニシングポイント/ Keyはふたりで/ イージー・トゥ・セイ・グッバイ

このアルバム、すごく欲しいですけれど、一度は、CDで再発されたものの、なんだか、すごいプライスになってしまっているものもみかけたりして…と思ってたのですけれど。
あれっ?ふつうに…。iTunesで。けっこうこういうの気づいてないときあります…

MILLION STARS - 桑名晴子

いま気づいたので、これから、考えたりするところです。

こちら聴いていたら、オリジナルのマッキーのボイスも聴きたくなっちゃいました。

Mackey Feary Band:You're Young



Macky Feary Band:A million stars



カラパナ、そしてマッキー・フェアリー・バンド時代のナンバーもふくめ、いまだその死を惜しまれている方なのですが、彼の一生は、ある意味、ある側面のハワイをそのままに象徴していて、そういう意味でも、なんか、とてもやりきれない気持ちにもなります。1999年、43歳で、亡くなったとき、わたしは、ハワイで暮らしていましたけれど、ショックというより、いろんな意味で、かなしい、なぁと。いまでもです。

(投稿:日本 2011年7月31日、ハワイ 7月30日)

にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 音楽ブログ 思い出の曲へ


昨日のアルバム『Puka Shells』に引きつづき、アーサー・ライマン(Arthur Lyman)。

ネット上の日本語の情報、ディスコグラフィーや作品中心だったので、そのひと自身や活動やそのほかのことについて、すこしまとめてみることにしました(英語でのWikipediaなどを参考にしています)。

"the King of Lounge music"とも知られるアーサー・ライマン、同じ時代に活躍したエキゾティカ・サウンド&ラウンジ・ミュージックでは、マーティン・デニーや レス・バクスターなどがあげられると思うのですが、ライマンのちょっと他とちがう点は、どちらかというと「外からみたハワイ」的なサウンド・カテゴリーの中でのハワイ出身のミュージシャンであるということではないかと思います。

アーサー・ライマン (1932年2月2日~2002年2月24日)は、ハワイ州カウアイ島生まれ、ハワイアンの母をもち、父はハワイアン、フレンチ、ベルギー、チャイニーズなどのミックス。よくハワイでは、カウアイ・ボーイはハンサム、ガールは美人などといわれることもあるのですけれど、血のまざり具合も、そんなカウアイ的なルックスでもありますね。8人兄弟の末っ子として育ち、父の事故での視力喪失で、オアフに移り、マキキに住み、マッキンリー・ハイスクールを卒業(マッキンリー・ハイスクール、公立校ですけれど、いろんな才能を持つ方が多いです、場所がらでしょうか。ホノルルのタウン育ち的なイメージ)。

1950年代には、マリンバの奏者として、マーティン・デニー楽団のメンバーであり、その後、楽団をはなれ、自らがリーダーとなるグループをもち、数々のレコードをリリース。ディスコグラフィーでみるところによると20年ちょっとの間に35枚近く(ここまで数が多いとは知りませんでした)。

アーサー・ライマンのプレイは、ビートやアレンジ、展開に、ジャズらしさをところどころアクセントとして色濃く感じさせる部分があったり、すごく魅力的ですね。初期のアルバム『Leis Of Jazz』など、あらためて、とてもかっこいいです。

Leis Of Jazz - Arthur Lyman



ジャズの要素は、幼いころのエピソードからもうかがえるなぁと。

音楽が大好きで、マリンバや木琴をプレイするようになったアーサーに、お父様は、サポーティブな意味できびしく、ベニー・グッドマンを聴かせ「これがよい音楽だ」と、これにそって演奏してみるように、と、練習の応援をしていたそう。4本のマレットで演奏するテクニックをすぐに身につけ、14歳で、すでにプロとしてグループ、Gadaboutsに参加。カカアコのルロイで演奏。夜はナイトクラブ、昼は学校と、ハードなスケジュールでも音楽をつづけることがとっても楽しかったと。

高校卒業後は、ハレクラニ・ホテルで、デスククラークとして働いていたそうですが、このハレクラニ・ホテルで、マーティン・デニーと出会ったのだそうです。
マーティン・デニーはアーサー・ライマンの演奏を聴いて、惚れ込み、当時のホテルでのお給料より高いギャラをはらうから、ぜひ、一緒にやらないかということで楽団にさそったのだとか。

この後、ハワイアン・ヴィレッジのシェル・バーでの夢のようなライブが展開されていくことに(ハワイアン・ヴィレッジ、現在はヒルトンですが、このストーリーもいつか。ハワイの街開発などもふくめ)。1957年には、マーティン・デニーの『Quiet Village』が大ヒットとなり、アロハシャツ、トロピカル・ドリンク、ティキなど、アメリカン・カルチャー的解釈のポリネシアンのエキゾティカ・ブームに。

その後、アーサー・ライマンは、グループをはなれますが、親しいライバルとして共演したりという円満体制。

レコードのリリースもアクティブであったとともに、ライブ演奏も。金曜日、土曜日には、ニュー・オータニ・カイマナ・ビーチ・ホテルでのライブは、1970年代から1990年代までずっとつづけていたのですね。
他には、Don the Beachcomber's Polynesian Villageやハワイアン・ヴィレッジのThe Shell Bar、Waialae Country Club、イリカイ・ホテルのCanoe Houseで演奏、米本土にもよく演奏ツアーに(これも、いわゆるコンサートではなく、あくまでもラウンジ的に)。

レコーディングは、1950年代後半から1960年代、1970年代を中心に。
ディスコグラフィー
アルバム『Taboo』(1959年)はビルボード6位となり、1年以上チャートイン。

Taboo - The Exotic Sounds of Arthur Lyman - Arthur Lyman



もとはハイチのうたである『Yellow Bird』(1961年)は、ビルボードのアルバム・チャート4位。

Yellow Bird - Arthur Lyman



先日もふれましたが、イージーリスニング系でもおなじみの名曲『Pearly Shells』もすごくよいアレンジ。
この曲が収録されいる同題のアルバムは、ハワイらしいおなじみナンバーが多いですけれど、解釈がとてもすてき。

Pearly Shells - Arthur Lyman



アーサー・ライマンのサウンドは、ラウンジ、エキゾティカということだけでなく、音がほんとに輝いていて、いろいろなものを感じさせてくれますね。ずっと前にも、学校の図書館などでは、音源すこしさぐってたのですけど、あらためて、よいなぁ~と思っています。

[レコードって、のつづき]
直接、アーサー・ライマンに関してのことではないですが、レコードのこと。
今回の滞在では、ビッグアイランドへの旅で、すこしスリフト・ショップやアンティークストアにもひさしぶりにそれなり時間をかけて立ち寄ったりしたので、レコードをちょっと手に取る機会もありました。
そこで感じたことなど。ある町のスリフトストアでは、けっこうよい状態のものが1ドルであり、なんだか、スリフトストアでもホノルルは、ちょっとだけ高くなっちゃってた気がしたけど、まだまだ以前のようなよい感じでも買えるのだなぁとよろこんで(念のため。もともとそんなに多くおいてないです、ふつうになんでもリサイクルのとこなので)。
何枚か買いました。
ただ、レコードのアンティークとしての意味あいってどうなのだろうと、アンティークストアでは同時に感じたり。
アンティークストアでは、ほしいアルバムなどあったのですけど、傷すごくついて、ジャケットも刷れてるのに3、4ドルなどという値段。ほかのアンティーク商品をみると、全般が高いという訳ではなかったりもするので(もちろん、これがですか?という価格設定のものもありますけど、これはつきものなので)、さらに???
レコードって、やっぱり聴けてこそ。そして、そのレコードを聴くプレーヤーというもの現時点での普及などを考えると、コンディションがよくないものがその値段って、なんだか中途半端ではないかなぁと。

CDやmp3などが普及して、レコードはアナログが好きなひとが買うから、すこし高くても買うんじゃない、みたいなのは、すこしがっかりします。

わたしは、一番買ってたのは、こちらに旅行できたり、移り住んだときなど1990年代ですが(それでも枚数買ってませんけれど…)、やっぱりレコードの針の音やかける瞬間が好きだからという理由がメインでしたけど、とり残されたその価格(1ドルとか)に、かわいさや愛しさを感じていたのですよね。

アーサー・ライマンも、ほしいのありました、レコードで。でも、コンディションなど…。もともとひとの手をはなれてたどりついたものなのに…。むしろ、いま2枚組みにして手ごろな価格にして販売されてるCDの方がよほど、よい心を感じたり。

で、やっぱり、ハワイにも以前のように、USEDレコードショップ残っててほしかったなぁなんて思ったり。やっぱり、レコードを好きで売ってる方は、コンディションだって気にしているし、それにひっかからないものは、とてもとても手ごろな価格で販売されてたし。でも、いま、ハワイには、それをほしいひとも多くなくなっちゃたのかなぁとか。
うまく言えないけど、なんか、そのほかも、すこしづつだけど、いろいろと、考えました。

日本は、よいUSEDレコード屋さん、いろんなニーズでありますけれど(ぼんと置いてあるから探してタイプ、ちゃんと揃えてきちんと管理)、買う人もそれに応じてなので、まだ、よいよねぇ、と思ったり。

(投稿:日本 2011年7月30日、ハワイ 7月29日)

にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 音楽ブログ 思い出の曲へ




先日の『PEARLY SHELL』でも、ほんのちょっとだけ触れたアーサー・ライマン(Arthur Lyman)ですが、エキゾティカ・サウンドでおなじみの1950年代後期、1960年代のものとすこしちがった側面もみせてくれるアルバム『Puka Shell』を、この度入手したので、そちらについて。

このアルバム、1975年リリースということで、ディスコグラフィーとしては後期にあたる作品。
アーサー・ライマン、ネット上ではレコードについてというものはけっこうあるのですけれど、全容についての日本語の情報があまり多くはないですね。思っている以上に多くのアルバムをリリースしていたということには、やっと気づきました。「そのひと自身」的には、今度、書くつもりです(できれば明日あたり?)。

1950年代には、マリンバの奏者として、マーティン・デニー楽団のメンバーでもあったアーサー・ライマン、サウンドも、そのときどきの要素を感じるところも、また、よいですね。
エキゾティカの解釈は、「外からみたハワイ」が特徴だったりするので、ハワイ出身であるということも、すこし珍しいかも知れません(他も演奏メンバーにはローカルはいたりしますけれど)。

初期のジャズ・カヴァーとかも、ものすごくよいのですが、この1970年代カラーを感じる『Puka Shell』なんだか、とても新鮮に感じました。

何が、というと、しっかりエキゾティックながら、フォークだったり、サンバだったり、さまざまな要素を感じさせるナンバーもあったり。そして、サウンドももちろんなのですが、女性ボーカル、カピオラニ(Kapiolani)の飾り気のない素直な歌声。すこしぶれたりもするのですけれど、そこが、また、なんとなく、心あたたまるというか。

Arthur Lyman:アルバム『Puka Shells』
Puka Shells - Arthur Lyman

Arthur Lyman:Skybird



Arthur Lyman:Gingele
いろいろな方がカヴァーしているジャズ・サンバなナンバー、『Gingele』。このヴァージョン、すごく好きになってしまいました。マリンバだけでなく、ピアノもすごくよい♪



「心あたたまる」という雰囲気は、その歌声からだけではない、これ何なのかなぁとすこし考えたり。
そして、すこし調べてみたりして、やっとわかりました。
カピオラニ、とあるのは、カピオラニ・ライマン(Kapiolani Lyman)、アーサー・ライマンのお嬢様だったのですね。12、13歳の頃からいっしょにステージに。
Honolulu Star-Bulletin Features:Gentle reminder of passage of time にて知る(Al Naluai没のときの記事ですが、このしばらく後、ライマン氏も…)

たしかに顔、似てます。
このあたたかさは、父が娘をみまもるやさしさのような、親子のつながり、かなと。

ほかにもよい曲たくさんですが、最後に、アルバムでは、最初、タイトルともなってる『Puka Shell』

Arthur Lyman:Puka Shells



収録曲:
1. Puka Shells/ Skybird/ Paoakalani/ Gingele/ My Eyes Adored You/ Legend Of The Rain/ Mystic Island/ Guava Tree/ Adios, Marquita Linda/ Loving Him Was Easier/ Lonely Sky/ Swingers Lullaby

本日は、このアルバムを午前中に聴き、午後にはクローゼットの片づけなどを。
日本に帰って、あれってどうしたかなぁ、と、気になっていたプカシェルのネックレス発見!
アルバム『Puka Shells』効果、プカシェルを運んできてくれたのでしょうか。

残してあった衣装関連の小道具の中から。
きっとハワイ・カテゴリーと自分で判断してここにまとめてたのかも…
(何せ引越し時はばたばたでしたので…)

From Hawaii Summer 2011: Day 18

こちらのプカシェル・ネックレスは、本当の「プカ・シェル」。
ひとつひとつのプカ・シェルは、巻貝が自然に波に流され穴ができたもの(プカはハワイ語で穴という意味)で、けっこう、いまは、ふつうにお店ではあまり売ってなかったりするのです。
(貝をけずって穴をあけてビーズのようにしたフィリピン製のものなどは、お土産物屋さんでも売ってます。これはこれでかわいい)
高価という訳ではないのですけれど、これだけの数、プカのあいた貝も、ハワイのもので、というと、地道につくってるひとにたのんだりするか、自分でつくるとかです。集めやすい時期も決まっているのです。
(大きな波がさったあとのノースショアやウェストサイドでは、それなりに集まります。数を集めるにはカウアイ島もよいみたい)

貝がらが、この小さなプカ・シェルとなるまでのプロセスはこちらが写真入りでわかりやすいです。
プカシェル(こちらは父島のものですね。すこしはマットな質感かな)

幸せを運んでくれるともいわれるプカ・シェルには、この歌のように海が運んでくれる思いを感じます。

このプカ・シェルのネックレスは、10年以上前に、地元の方にいただいたもので、1本きれちゃったときに、もう1本いただきました。
もちろんきれてしまったもの直しました。短くチョーカーみたいになってますけれど、それはそれで、なんかグルービーな感じにも。いまのファッションにもあう感じでもあるような。

往年のサーファー・ファッション時代にも流行しましたけれど。
最近も、日本では、サーファー系芸能人の方層がされてるのですね。

[レコードって、をすこし考えながら]
なんで、年代をすこし幅広めに聴いてみようかとなったのは、レコードなどをすこしみていた際に、ほしいのに、コンディションと価格がすこしどうかなぁと思うようなで、購入しなかったものがいくつか。
(価格といってもそんなではないのですが、要はレコードとは、なぜにリアルタイムは別として、買ったりするようになったのか、など、このことに関しては、自分の中でもいろんな考えがあるので、すこし考えまとめてから、次回にでも)
アーサー・ライマンの作品もその中にはあったのですけれど、フォーマットはレコードに限らず、CDとかiTunesとか、聴きたくなっちゃったのでした。

(投稿:日本 2011年7月29日、ハワイ 7月28日)

にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 音楽ブログ 思い出の曲へ



早いもので、ハワイにきてから、10日以上たち、あとすこしで2週間。ブログもしばらくお休みしてしまっていました。
ハワイにきてからは、CDもリリースし、ご活躍の岡村みどりさんとご一緒し、いろんなところへでかけたり、楽しい時間をすごしてました。ご帰国された昨日あたりから、こちらのふつうの日々。

きょうは、なんだかこどもの頃に初めてきたハワイを思い出し、自分で初めて意識したハワイの曲『PEARLY SHELLS』、いろんなヴァージョンなど聴いてみたりしていました。

インストゥルメンタルでは、このビリー・ヴォーンのヴァージョンがおなじみでしょうか。

Billy Vaughn:Pearly Shells



『PEARLY SHELLS』は、日本でも『真珠貝の歌』として親しまれ、アメリカ本土では、何か知ってるハワイアン・ミュージックは?とたずねたら、ある年代の方は、この曲をあげる方が多いのではないかというくらい幅広く知られ、1960年代には、避暑地ポップス的にも。コニー・フランシス、パット・ブーンと多くのミュージシャンやシンガーがカヴァーしていますね。

Connie Francis:Pearly Shells



Pat Boone:Pearly Shells



Burl Ives:Pearly Shells



この曲、もともとハワイで歌われていた『Pupu a'o Ewa』という唄に、 『PEARLY SHELLS』として、Webley EdwardsがLeon Poberと共に英語の歌詞をつけたもの。
(歌詞の内容は、原曲とはかなりちがっていることもあり、こういったことに関しては、やはり地元でもハワイ原文化をまもる方からは、いろいろと意見があったりするのですが…)

何度も訪れ、住んでいたこの地ですが、いまでもホノルル空港につくと、頭の中には、この曲が流れてくるのです。楽しい夢の島、ハワイを感じ。

Andy Williams & Mary Tyler Moore - Pearly Shells (1965年) 真珠貝の歌
やっぱり、こんなハワイのイメージはすてきです。



1960年代当時のこの曲の流行は、Webley Edwardsが司会をし、1935年から40年近く全米に放送されていたラジオ番組、「Hawaii Calls」の影響もとても大きく。
※Webley Edwards(ウェブリー・エドワーズ)については、またの機会にも書くと思いますが、こちらのブログが詳しいのでリンクさせていただきます。こんにちは、お元気ですか?:ハワイアン「ウイブリー・エドワーズ」(Webley Edwards)

ハワイの方としては、Don Ho(ドン・ホー)も、この番組など通じ全米で有名になったミュージシャン。

Donald O'Connor hosts Hollywood Palace 1/21/67



Don Hoのテレビ・ライブでのコメントには、「ハワイのビートにのせて」とありましたが、そんなアレンジは、こちらの映画『Donovan's Reef』でもですね。歌詞は『Pupu a'o Ewa』のハワイ語のもの。

映画『Donovan's Reef』:
Pearly Shells from Donovan's Reef(1963年)



Arthur Lyman(アーサー・ライマン)のヴァージョン、やっぱりよいです~♪

Arthur Lyman:Paradise & Pearly Shells



日本でも、いろいろとカヴァーがありそうですが、ハワイアン・バンド以外では、近田春夫さんが「スマートなゲートボール」で、すてきなカヴァーをされてますよね。このほかのカヴァーも選曲、アレンジともにすばらしく。

スマートなゲートボール:真珠貝の歌
こちら、アラッポ・カーロさんから以前に教えていただいたのでした:)
アラッポ・カーロの備忘録:スマートなゲートボール
アラッポ・カーロの備忘録:「スマートなゲートボール」とはなんだったのだろう



近年ではこんな感じも。THE ROYAL FINGERSよいですね。

THE ROYAL FINGERS:Pearly Shell Twist



『PEARLY SHELLS』との出会い:
6才のころの初ハワイ、自分へのお土産は、インターナショナル・マーケットで買ってもらったくるくる回るフラドールのオルゴール人形でした。そのオルゴール曲が、『PEARLY SHELLS』。わたしの初ハワイの思い出は、1970年代のことですが、いまもフラドールのミュージックは、この曲ですね。



そして、南の島の切手たちときれいなお花の木箱のバッグ♪
(余談:お花の木箱のバッグ、これがなくしちゃった!と思ったら空港で荷物としてベルトの上をぐるぐる回ってた、というエピソードも懐かしく。大人になるまで所有、その後、姪に進呈)

南の島の切手たち:
いまでも大事にしています。


(投稿:日本 2011年7月24日、ハワイ 7月23日)

にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 音楽ブログ 思い出の曲へ




週末は、花火大会のために久里浜に行ってきたのですが、夕暮れどきの潮風は、やはりよいですね。

太陽燦燦のビーチとはちがうイメージの三浦の海を感じる曲は、
わたしの中で、邦楽海の歌ベスト10の中にも入る、オフコースの『潮の香り』なのです。
(久里浜からだと「向こうのあの灯は葉山の町」は地理的には…ですが、三浦半島ということで)

オフコース:潮の香り
作詞、作曲:鈴木康博



『潮の香り』はオフコースの5枚目のアルバム、19977年9月5日にリリースの『JUNKTION』に収録。
このアルバムからグループ名の表記が「“オフ・コース”から“オフコース”に」という作品で、こ後に5人組のバンドとなるメンバーが全員揃ってのレコーディングというもの。

ここまでのイメージのフォークっぽさと、この後のかなりメジャーになる中間の作品で、シティポップさもほどよく、他の度も作品ともまたちがった雰囲気のとてもすてきなアルバムという印象がとても強く残っています(当時はシティポップという言葉は意識していませんでしたが)。

「アルバムタイトルは“ジャンクション”であるが英語表記は“JUNCTION”(合流点、連絡駅)と“JUNK”(がらくた)をあわせた造語」なのだそう。たしかに、新しい方向性を感じさせる一枚だったのでしょうね。

「それまで」と「これから」の意味でも結果的に「ジャンクション」になったのではないかという気がするのは、アルバムのテイストだけでなく、最高位21位というセールスに関してもだったかもしれませんね。

このアルバム、当時、姉が友だちから借りてきて、それを録って聴いていたので所有していないのですが、さきほど収録曲を再びチェック。
『愛のきざし』もよいですね。

きょうあらためて聴いてみました。
大好きなカテゴリーである蝉声ジャンルでもあります。しかもヒグラシ。星テーマでもあり☆
フルートもすてきで、かなり好きな要素いっぱい、とつくづく。

愛のきざし
作詞、作曲:小田和正



アルバムのコンセプトは「海」的であり、「ひと夏の思い出」をも感じますよね。終わりのイメージである『秋の気配』も含め。

さり気なく夏な、復習したい一枚です。

収録曲
1. INVITATION
2. 思い出を盗んで
3. 愛のきざし
4. 潮の香り
5. 秋の気配
6. 変わってゆく女
7. あなたがいれば
8. 恋人よ そのままで
9. HERO


(花火大会の様子はこちらです)
久里浜ペリー祭の花火大会 (花火前)
久里浜ペリー祭の花火大会 (花火本番) iPhoneでの花火撮影

(投稿:日本 2011年7月11日、ハワイ 7月10日)

にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 音楽ブログ 思い出の曲へ


「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに 使ひけり。名をば、さぬきのみやつことなむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋あ りける。怪しがりて、寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる 人、いとうつくしうてゐたり」

最近の、こどもの古文音読課題は「竹取物語」でした。

きょうは、七夕。天気はあいにく。先ほどは、外にでたら、雨がぱらぱら、と、わずかですが降っていました。でも、きっと天の川の水かさが増してしまうほどではないですよね、と願っています。

昨年は、三輪そうめん山本 CM 七夕ちゃんについて、書いたのですが、本日は、七夕ものではないものの、「天」というと思い出すお話にまつわるCMで、いつもいつもみたいと思うもののいまだ再会ならずというものを。

そのCMは、孔官堂の「かぐや姫」。
「かぐや~ひめ~♪」というサウンドロゴで、お人形のかぐや姫とおじいさんがでてくる、あのCMです。

みたい、みたい、と、探してみるものの、今年もやっぱりみつけることができませんでした。

でも、どうしても、またみたいので、情報だけでもと思い。

孔官堂のサイトを訪れてみました。
すると、あの、かぐや姫!動画ではないですが、ちゃんと、「自然派シリーズ」のページに、画像でいらっしゃいました。
孔官堂:自然派シリーズ
「かぐや姫」は「煙の少ないお線香」そうでした。ゆり、フリージア、ライラック、白檀、レモングラスと、すてきな香り、いろいろですね。

懐かしゅうございます。何年ぶりでしょうか。
相変わらず、かわいらしいお姿。

お人形の製作はどなたの手によるものなのでしょうか。じっとサイトをみていると、孔官堂さんに電話でもして聞いてみようかとも思ってみたり。

お人形の情報は、これからの課題ですが、放送時間、サウンドロゴの情報はたどることができました。

放送時間:
Wikipedia:孔官堂より
1990年代までTBS系で、昼前に放送されていた「JNNニュース」を中心に民放の番組でCMを制作・放映していたこともあるが、現在はしていない。さらに同じく同社が本社を置く大阪市福島区に本社を置く、ナリス化粧品も当社と一緒にJNNニュースのスポンサーを務めていた時期もあった。

そうでした、昼前です。学校休みのときなど、みてました。

サウンドロゴ:
数々のCM音楽、コマーシャルソング、映画、テレビ番組テーマを手がけた宮崎尚志氏のによるもの。
宮崎尚志・主な仕事:CM音楽・コマーシャルソングより
孔官堂のお線香「松竹梅」、「千年香」、「蘭月」のCM。当初はコマソンではなく、竹取物語を題材にした人形アニメに対する映画さながらのサウンドトラックを作っていました。このCMで「かぐや~ひめ~」というサウンドロゴが定着し過ぎたのか、後に中野慶子が歌う「かぐや姫の孔官堂、孔官堂のお線香....」とハッキリ宣言するコマソンが作られています。

調べてみたところ、『懐かしのCMソング大全5』の22曲目に「かぐや姫ソング(孔官堂)」が:D

これは、その中野慶子さんが歌ったというものですね。試聴できました。ちゃんと「かぐや~ひめ~♪」、そして「松竹梅」、「仙年香」「蘭月」も。




そして、先のサイトにて、さらなる気づき。偶然にも、三輪そうめん山本の「みわそうめん、や・ま・も・と♪」も、宮崎尚志さんのワークでした。

他にも大好きだったCMソング、サウンドロゴ作品がたくさんです。
博覧会パビリオンの音楽にも興味あり。

孔官堂「かぐや姫」の思い出により、新たな気づきもあり、さらにあのCMがもう一度みたくなってしまいした。

孔官堂さん、企業サイトにCM動画、アップしてはくれないでしょうか。もしくは、どなたかお持ちの方

(投稿:日本 2011年7月7日、ハワイ 7月6日)

にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 音楽ブログ 思い出の曲へ



ジーン・ビアンコ(Gene Bianco)、動画などを調べていて偶然であったハーピスト。昨夜は、すてきなハープの音色で夢の世界に誘っていただきました。

Gene Bianco: Stairway To The Star



あまりにもすてきなので、どんなミュージシャンなのだろうと調べていたのですが、日本語の情報もあまりなく、英語でも多くはない中、とてもくわしく書いてあるものをみつけたので、そちらを参考にさせていただくことにしました。

SPACEAGEPOP:Gene Bianco
(あとで気づきましたが、この方、動画のアップ者でもありました)

ジーン・ビアンコ、情報のすくなさにかかわらず、とてもすばらしい軌跡を残している方なのですね。RCAをジャズからイージーリスニング(ラウンジ)のフィールドに広げるきっかけともなった方とあります。
(RCAはリーダーズダイジェスト共同でイージーリスニング・レコード・クラブという会員プログラムみたいなものをやっていたのですね)

ジーン・ビアンコは、イタリアのハープ奏者であった祖父の影響でハープを弾き始め、10代のころは、クラシックのハーピストとしてオーケストラとの演奏なども経験し、将来を期待されていたそうなのですが、次第にジャズへの関心と興味を抱き始め、ジャズの世界へ。

ただし、この頃は、ハープでジャズ?というような時代。独自の道を切りひらいていくことに。

ジョージ・シアリングのピアノやボビー・ハケットのコルネットに影響され、その中からヒントを得て、自らハープでのジャズ奏法を探っていったそうです。

たしかに、ジーン・ビアンコのサウンドは、ラウンジてきなドリーミーなキラキラ感とスウィングだけではないジャズのスピリットを思わせるような。ほかにないものを感じますね。

次第にジーン・ビアンコは、ジャズ・ミュージシャンの間でも話題に。ニューヨークのナイトクラブでのソロ演奏をしながら、テレビ番組でのスタジオバンドとしての出演も。デューク・エリントンなど、ジャズの有名どころとの共演、交流をもつようになり、さまざまなジャズ・レコーディングにも参加。

そして、RCAのカムデンから『Stringin' the Standards』と『Harp Skip and Jump!』をリリース。 ソロでも、Mundell Loweなどとの活動であっても、ジーンのハープは、輝きと爽やかさをもった個性ある音色とまるでピアノのようなメロディアスなタッチが特徴。

まさにですね。

1958年にリリースされた『Harp Skip and Jump!>』はひじょうに高い評価を得て、58,000枚というセールスに。

このアルバム、ジャケットもとてもすてき。
動画は数曲あるのですが、アルバムでないかなぁと調べてみたところAmazonのmp3でありました。
(タイトルは同じなのですが、あのすてきジャケではありません)
Harp Skip and Jump!



試聴してみたところ、すべてすてき☆
ハープの繊細さとジャズのフィールが融合したすばらしいサウンドですね。



その後、『The Rainbow Sound of Bianco』というアルバムもリリース。

The Rainbow Sound of (Gene) Bianco, His Harp & Orchestra- September Song (1964)



クリスマスアルバムなんかもあるようですね。ハープでホリデーサウンド、よいですね。

Gene Bianco:Sleigh Ride(1962年)



ジーン・ビアンコの躍動感あふれる歌うハープ、ほかにもレコーディング参加もの含め、これから気にしていきたいと思います:)

(投稿:日本 2011年7月6日、ハワイ 7月5日)

にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 音楽ブログ 思い出の曲へ

きょうは散歩中に百合の花の写真を撮ってみたり。これから、すこしづつユリ写真、増やしていければなと思っているので、ヴァージンVSの名曲、『百合コレクション』。

アルバム、『ラジオシティ・ファンタジー』、『羊ヶ丘デパートメントストア』そのほかのベストにも収録されている、あがた森魚さんらしい、ヴァージンVSの代表曲のひとつではないかと思ってます。そして、大好きな曲のひとつ。

ヴァージンVS:百合コレクション
動画映像は、アイドルマスターもの。



『ラジオシティ・ファンタジー』をはじめヴァージンVSについては、以前にも書いているのですが、やっぱりヴァージンVSの世界、よいです。
以前の:
ヴァージン VS 恋のダイヤモンド (アニメ 街角のメルヘン RADIO CITY FANTASY)
ヴァージンVS (あがた森魚) 探偵同盟 オープニング/ うる星やつら エンディング/ 翔んだカップル エンディング

そして、あがたさん、2007年のアルバム『タルホロジー』で、セルフカヴァーされているのですね。近年の活動を追いきれていないのですが、このアルバム、久保田麻琴さんプロデュースでもあったり、やっぱりちゃんと聴くべきですね。

あがた森魚:百合コレクション



元ちとせさんもカヴァーしてるようです。



最後に、町に咲くユリの百合コレクション。
これからも、すこしづつ、ユリをみかけたら撮っていこうと思います。




(投稿:日本 2011年7月6日、ハワイ 7月5日)

にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 音楽ブログ 思い出の曲へ




先の週末は、ご近所の「薬王寺・柳町七夕まつり」にでかけ、サンバパレードなど楽しんできたのですが
(そのときの様子はこちら)
薬王寺・柳町七夕まつり、サンバで七夕
サンバはやっぱりよいですね。いつの季節もよいですが、特に夏のはじめと夏の終わりに。

なぜ、夏ど真ん中ではないかというと、サンバは、楽しい中になんとなく切なさと寂しさのようなものを感じるからだったりします。

きょうは、そんなサンバの世界を感じることとなったアルバムについて。
ベッチ・カルヴァーリョ(Beth Carvalho)の『Mundo Melhor すばらしき世界』(1976年)

昔から、ボサノヴァはもちろん、ブラジルや中南米、カリブのラテン音楽は大好きだったのですが、サンバをコンピなどではなく、購入したのは、このアルバムが初めてでした。かれこれ、20年前近く前のこと。
このアルバム、何気なく手に取った一枚だったのですが、とてもすばらしいのです。
まさに「Mundo Melhor すばらしき世界」!
「サンバとはかくも甘く切なく純粋な愉楽」という世界をみせてくれます。

動画でも数曲みつかったので、そんな数曲を聴きながら、あらためてライナーノーツなどからこのアルバムと「サンバの母」といわれるベッチ・カルヴァーリョについて。

ベッチ(エリザベス)は、リオ北部ガンボア地区の産院で生まれ、ラランジェイラス地区で育ち、弁護士・税関職員である父と音楽を愛する家庭的な母のもと中流家庭という環境で、バレエを習ったり、音楽に触れて育ったそうです。カトリック大学PUCでは心理学と国際関係学を専攻。こどもの頃からコンテストなどにも出場していたベッチは、大学在学中には、コンサートなどでボサノヴァを歌い出し、1968年には、EMIオデオン専属のソロ歌手に。アンダンサをリリース。

その後、Tapecarレーベルを経て、RCAに移籍。このときも「ボサノヴァの美しき花」と紹介されるのですが、そんな中、ベッチは、後期ボサノヴァの甘すぎる感傷に疑問を抱き、サンバのひとびととの出会いを持つように。ベッチが師と仰ぐのは、ネルソン・カヴァキーニョ。カヴァキーニョとの交流により、サンバの真髄にふれ、サンバこそブラジル音楽であるとして、その生涯をサンバに捧げる決心をしたそうです。
(ここには、ボサノヴァが白人系の中流社会の文化であることと、サンバが黒人社会の「生活」から生まれたものであるということなども関わっています)

ブラジル音楽に詳しい方には、その辺りは周知であるかもしれないのですが、その中で、パゴーチという世界というか空間があるのですね。それは、裏庭でお酒などを飲みながらギターや思い思いの楽器で即興的に奏でられるサンバの愉楽空間だそうで。このパゴーチがまさに「サウダージ」な感じなのでしょうね。
と知ってる言葉で勝手に表現させていただきますが、J-WAVE「サウジサウダージ」でもおなじみの「サウダージ」、思い出と訳されることが多いですが、「「懐かしさ」「郷愁」「もう戻る事の出来ない無邪気で日々の悩みも無く楽しかった幼き頃の日々への想い(この解釈の場合、他言語で「saudade」に該当する用語はまず存在しないと言われている)」なのだそうです(Wikipedia:サウジサウダージ

長くなりましたが、収録曲。

1. 去りし愛へのサンバ Antes Ele do que Eu

このテレビ映像よいですね!(音はレコーディングのものような気もしますけど)



2. あなたが望むなら Se Voce Quiser

3. 陽気になろう Quero Alegria

4. 丘にもどって Volta pro Morro
動画は、アルバム最後の曲『Mundo Melhor』へと続きます。よいつなぎですね。サルゲイロの丘から。



5. 沈黙のバラ As Rosas Nao Falam

6. 我が友カルヴァキーニョ Cavaquinho Camarada
サンバの恩師、カルヴァキーニョのことを歌ったもの。言葉はわからないのですけれど、なんだか、胸の奥がギュ~となります。



7. あなたとどこまでも Te Segura



8. こんな暮らし Salario Minimo

9. 心の楯 Meu Escudo

10. すべては音楽 Divina E a Musica

11. 幸せへの道 Com a Vida que Pediste a Deus

12.すばらしき世界 Mundo Melhor

このアルバム、お気に入りの一枚だったのですが…
それが、2年近く前から捜索しているのですが、なんだかどこかへ行ってしまったのです。今回も捜索にあたってみたのですが、みつからず…
また、ハワイに置きっぱなしなのでしょうか。ライナーノーツはあるのですけれど。
そして、この際、CD買っちゃおうとか思うのですが、このアルバム、アマゾンなどを探してもなかなかみあたりません…。
こちらのブログにも書いてありますが、やっぱり今は、入手できないのでしょうか。そうであれば、再販希望です。
YamaBlog - Brasilian Music Disc Guide:Disk No.520: BETH CARVALHO / Mundo Melhor

それまでは、ベッチの別のアルバム、アナログ盤変換して楽しむことに。

(投稿:日本 2011年7月5日、ハワイ 7月4日)

にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 音楽ブログ 思い出の曲へ