昨夜、眠る前に初めて出会った曲、『モッカラ・ゴーゴー』、朝一番で聴き、外出先では頭の中で再生。きょうは、一日中、この曲が。



アザブデ マチヂュハ ミツコ ♪
カラギツ レニテラ ミツコ
セマレチ パハペテ Mmm
ゴーゴーゴー

ナマラミ メルツム ポルシェ
カザデヤ ジュラニム ポルシェ
ヤムヤムヤムヤムヤムヤムヤムヤム(x2)
ラーラァララーァラーラー
ラーラァアラーァラーラー
Yeah~

アリハテ ジムカナ ミツコ
ダリヤテ ミヤナグ ミツコ
サハキシ カラハシュ Mmm
ゴーゴーゴー

ミナミヤ キタラニ ハイポン
マオネマ ルビスル ハイポン
ラーラァアラーァラーラー
ラーラァララーァラーラー ♪

ちょっとがんばってディクテーションしてみましたw(言語の記録実習とか思い出しです)。あってるかどうかわかりませんが‥。ハナモゲラ語とかみたいな感じでしょうか。何かの法則がありそうですねぇ。(一応、言語学専門でしたが、内容および意味解析のためには、まだもう少しユニットごとにじっくりみてみないとわかりません)。

歌っているのは、沢知美さん。作曲は佐藤勝さん、作詞はあの谷川俊太郎さんなのですね!
(谷川俊太郎さんが詩作をはじめたのは1948年。幅広く、そして多くの作品を。歌の詞もいろいろと。谷川俊太郎さんの手がけた歌、またいろいろと集めたいとは思います)。

沢知美さんが歌う『モッカラ・ゴーゴー』、早がわりシーンは映画『100発100中 黄金の眼』(1968年)からで、第二ヒロイン的存在「ミツコ」。Mr.ストーンフェラーっていう名前もいいですね(演じているのはアンドリュー・ヒューズさんという方けっこういろいろ出演)。

かなり気になる映画、『100発100中 黄金の眼』と『100発100中』、ちょっと調べてみました。

『100発100中 黄金の眼』は、宝田明さんがアンドリュー星野として、登場するアクションもの。前田美波里さんがヒロイン、ルビー役で出演。シナリオは『KEY HUNTER キイハンター』の原作者でもある都筑道夫さん、小川英さん、監督である福田純さんの三人が共同でシナリオを執筆というものだそうです(福田純さんは、ゴジラ・シリーズや『ハワイの若大将』も監督されてますね)。

アンドリュー星野の活躍シリーズ第一作は『100発100中』(1965年)。こちらは、都筑道夫さんと岡本喜八監督が脚本を手がけ福田純さんが監督として撮りあげた、というものだそう。

『100発100中』主題歌:布施明さん



この映画、2作、いろいろ調べていたら、とっても観たくなりました。ルパン的要素がたっぷりなんですね(ルパンの源という説も)!かなり好みな感じです。こちらにくわしい情報が。

100発100中:
「100発100中」の男! 君はアンドリュー星野を知っているか?~ 「007/サンダーボール作戦」と「リオの男」、そして「ルパン三世」! ~
映画瓦版:100発100中(1995/02/04 大井武蔵野館)
100発100中 黄金の眼:
祝・DVD化! 100発100中・黄金の眼 アンドリュー星野、登場!
手塚部長刑事に聞く『100発100中 黄金の眼』


久美かおりさんが歌う『100発100中 黄金の眼』の主題歌『ゴールデンアイ』も聴いてみたいなぁと。作詞:谷川俊太郎さん、作曲:佐藤勝さんで、スキャット系らしく、かなりよさそうな感じが。映画を観たら聴けますね。
(『100発100中』、『100発100中 黄金の眼』ともにミュージックかなりようさそうです。『モッカラ・ゴーゴー』残念ながら沢知美さんのCD『 人の気も知らないで』には収録されてませんし、映画のサントラCDとかあったらなぁ。)

(投稿:日本 2010年4月29日、ハワイ 4月28日)


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1980年代半ばのウーパールーパー、大ブーム、この日清焼きそばUFOのCMがきっかけでした。

ポプパ(ボクは)
ウポポ(U.F.O.の)
パイポ(愛の)
ピパペプ(使者です)

あい、あい、あい、ボクはウーパールーパー
U.F.O.からやってきたんだ ♪



CMソングを歌っているのはパピ、尾崎亜美さん。「パピ」はパピ語で「亜美」ですね、多分。フルコーラスはこちら。

パピ(尾崎亜美)- ウーパー・ダンシング/ Wuper Dancing(作詞/ 作曲/ 編曲:尾崎亜美)



愛されてると知ってる ♪
いつでもあなたどこかでみてる
そんな誰かの視線
感じたことがきっとあるでしょ
(略)
あいあいあい
ボクはウーパールーパー
アンテナ、ピコピコリンだ(「U.F.O.からやってきたんだ」ではなく)
あいあいあい
お目にかかれてとてもうれピー(*)

ウーパールーパー心が踊るよ
ウーパールーパー連れてってパラダイス
(略)
あいあいあい
ボクはウーパールーパー
あいあいあい
ウーパールーパー笑顔がチャームポイント
ウーパールーパー仲間に入れてよみんなおいでよ ♪

「お目にかかれてとてもうれピー」(*)
「うれピー」とはまさにのりピー語のCommon フレーズです。
のりピー語のルーツはパピ語なんでしょうか!?

のりピー語講座

Wikipediaによると酒井法子さん、デビュー当時のニックネームはのりっぺ、とのこと。
「…キャッチフレーズは「おきゃんなレディ」。デビュー当時のニックネームは「のりっぺ」(福岡での中学生時代のニックネーム)だったが、デビューしてしばらく経ってから「のりピー」と名乗り出す。同時に「ヤッピー」「いただきマンモス」「うれピー」といった、「のりピー語」を流行させた。…」(Wikipedia:酒井法子:来歴より)

日清焼きそばUFOのCMおよびWuper Dancingは、これよりちょっと前なのですよね。

[ウーパールーパー]
日清焼きそばCM、大好きだったのですが、尾崎亜美さんが歌ってるということ知りませんでした。CMソングをたくさん歌ってらっしゃる藤本房子さんあたりだと思っていたのです(先日、藤本さんについて調べていて偶然知りました)。
パピとしてのシングル『Wuper Dancing』(1985、ポニーキャニオン)、B面はパピ語での『Wuper Dancing』。歌詞がパピ語だそうです。パピ語ヴァージョン聴いてみたい!「AMII CM NETWORK」に『Wuper Dancing』は収録されていますが、パピ語ヴァージョンは当時のシングルのみのようですね。あらためて聴き直してみて、パピ語とのりピー語との関連性や言語体系なども調べてみたいところです。

ウーパールーパー、大好きでした。たしか、サンシャイン水族館へ初めて行ったのはウーパールーパーを見に。いまも好きなので、たまに見に行くこともありますが、見に行く場所は、実家近くのペットショップ。
���������欲����� on Twitpic
こどもがとっても飼いたがってるのですが..
ネコちゃんがいるのでちょっと無理ですね。わたしも飼いたいですけど。
ウーパールーパーの飼い方:
http://allabout.co.jp/pet/reptiles/closeup/CU20060720A/index.htm

(投稿:日本 2010年4月28日、ハワイ 4月27日)


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Twitter、利用している方とても多くなっていますね。この方も利用していたんだと知ることも多く。ヒカシューの巻上公一さんも。いままで知らなかったので、最近始められたのかなぁと思ったのですが、2009年7月末からでした。ヒカシューのアカウントもあるんですね。
巻上公一さん:
http://twitter.com/MAKIBRI
ヒカシュー:
http://twitter.com/HIKASHU

きょうは、ヒカシューがCMソングを歌っていた洗えるおもちゃ「ふろっぺ」のCMを。
オンエア当時、かなり気になっていたこのCM、YouTubeでは定期的にチェックしていたのですがみつからず、「みたい、みたい、聴きたい、聴きたい」と日々思っておりました。ある日、ニコ動にあるということをTwitterで教えていただき(みつかってすぐにとり上げたかったのですが、毎日、毎日、こちらに書きながら調べたいことやら、その日に気になったものなど多く、本日、やっとです:D

フロッペ CM(3:00あたりから。そのほかにも懐かしいものいろいろと。【懐かCM】1983年-1985年のCMというところをクリックしてください。)



こころ~、青空♪
あたまニコニコふろっぺ
洗えるぬいぐるみ、ふろっぺ~♪

ふろっぺのCMは、多分、あまり多くは放送されていなかったのですよね。みるのはいつも時間帯もきまっていて、夕方遅め、ご飯前というような感じだったことがしっかりと記憶に。前後番組の記憶はたしかではなかったのですが、「うる星やつら」と「機動戦士ガンダム(再放送)」内のCMだったのですね。

洗えるぬいぐるみ、いまでは、そんなに珍しくないですが、当時は新しいコンセプト!(「ムニュムニュ」というものもありました。)当時、もう高校生ぐらいでしたが、買おうかなぁとかなり真剣に検討。「ふろっぺ」、ヒカシューが歌っていたということと、かなり欲しかったということで思い出の商品、そしてCMです。

巻上さん、Twitterでフォローさせていただきましたが、アカウントをTL拝見して、いきなり気になりコメントが。

もっくん(本木雅弘)が「20世紀の終りに」を歌っているのは知っていたが、映像をはじめてみた。

20世紀の終りに 本木雅弘:わたしも、初めて拝見しました。



20世紀の終わりに ヒカシュー(1979):



(投稿:日本 2010年4月27日、ハワイ 4月26日)


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以前、触れたHOLD UP(アルバム『島まで10マイル』)、情報少ない中、いろいろとたどっていくキーでもあったのが、紀の国屋バンド。文字での情報しか知ることがなく、ずっと聴いてみたいなぁと思っていたのですが、数日前にやっと聴くことができました。学生でありながらもかなり評価されてたんですよね。

紀の国屋バンド、メンバーは大学つながり。作曲家、編曲家である清水信之さんやチャクラの横沢龍太郎さん、マック清水さん、高橋昌子さんなども在籍していたグループです。
高崎昌子:ボーカル
川辺ハルト:リードギター、ボーカル、コーラス、MOOG(一部)
市崎元輝:ギター、コーラス
盛山キンタ:ベース
横沢龍太郎:ドラムス
清水信之:キーボード
マック清水:パーカッション
(参考にさせていただいたのはこちら。曲目リストなども)

(その後、清水信之さんと横沢龍太郎さんはHOLD UP)

1979年に『SWEET SENSATION』というアルバムを一枚リリース。ほとんどの曲がバンドメンバーによって書かれていますが、今回聴いてみたのは、大貫妙子さんの(作詞、作曲も)『MIGNONNE(ミニヨン)』(1978年)に収録されている『4:00 A.M.』。

AM4:00 - 紀の国屋バンド:タイトル、なぜか表記が『AM4:00』



高橋昌子さんのボーカル、すごくいいですね。大貫妙子さんとは、また違ったパワフルさとソウル感が。アレンジは、両者シティポップな。

4:00A.M. - 大貫妙子さん:坂本龍一さん編曲



紀の国屋バンド、『SWEET SENSATION』全曲聴いてみたいのですが、レコードで探さないとなりませんね。一曲だけ、風の街人たちへ LIGHT MELLOW~City Breeze from East~UNIVERSAL MUSIC Editionというコンピレーション・アルバムに収録されているみたいです。

最近、Ustreamなど盛んになり、夜にチェックしたいものが充実で(充実しすぎ?)、こちらも書いたり、家の片付け、洗濯(おやすみモードにしていますw)など並行でしていると午前4:00になってしまったりすることも...。

[YouTube]
YouTubeで楽しみにさせていただいているzenzokasaiさん、すてきな曲をアップしてくれています。聴いいてみたいなぁと思ってサーチすると偶然たどりつくことも多く(しかも他になし)、また、逆にそこから広がったり。すばらしすぎます!動画のワークもすてきで。
たまにアップされる古民家の写真も。

(投稿:日本 2010年4月26日、ハワイ 4月25日)


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先日、『ある日突然』の英語ヴァージョン『LOOK OUT AT THE RAIN』を聴いてみたトワ・エ・モア、いろいろ調べていて知ったのですが、札幌オリンピックのテーマソングでヒットとなった『虹と雪のバラード』のオリジナルは、トワ・エ・モアだけではなく複数アーティストの競作だったのですね。

いまは、春、冬季オリンピックが終了してからも大分経ってしまいましたが、『虹と雪のバラード』を聴いてみました。

トワ・エ・モワ:虹と雪のバラード:『札幌オリンピック・開会式』1972年



『虹と雪のバラード』、作詞は河邨文一郎さん、作曲は村井邦彦さん。1971年3月からNHK『みんなのうた』の「札幌五輪のうた」のコーナーで流され(ずい分と早くからだったんですね。やはり初めて日本そしてアジアで開催された冬季オリンピックだったからでしょうか)、開催時にかけ大ヒット。

トワ・エ・モワのほかには、黛ジュンさん、菅原洋一さん、ピンキーとキラーズ、佐良直美さんも、この歌を。そして、同じくナベプロのジャッキー吉川とブルーコメッツも歌ってらしたんですね。人気と売上はトワ・エ・モワが一番となったようですが。

ジャッキー吉川とブルー・コメッツ:虹と雪のバラード



同じ事務所ということでは、カヴァーで布施明さん、天地真理さんも。

布施明:虹と雪のバラード



天地真理:虹と雪のバラード



[競作そしてナベプロ]
競作という話題、以前、『スクスク(SUCU SUCU)』でもとりあげてみましたが、1960~70年代にはけっこうあったんですよね。『SUCU SUCU』でもナベプロ所属のザ・ピーナッツのものが大ヒット勝利。この当時のナベプロはやっぱりすごいですね。『虹と雪のバラード』ではトワ・エ・モワが一番のヒット。最近、あらためて、昭和30年代~40年代のナベプロが気になっています。関連の本でも読んでみたいなぁとも。
芸能王国渡辺プロの真実。―渡辺晋との軌跡
「芸能ビジネス」を創った男 ナベプロとその時代

(投稿:日本 2010年4月25日、ハワイ 4月24日)


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きょうは、ひさしぶりに水族館。海もみたかったので、横浜・八景島シーパラダイスに行ってきました。以前訪れたのはできたばかりの頃なので、15年ぶりぐらいでしょうか。きょうは、快晴とまではいかなかったのですが、このところ雨続きのお天気とはかわり、お出かけ日和となってくれました。

シーパラダイスができたのは1993年、もう17年。シーパラダイスの完成は、バブルがはじけてしまったあとですが、八景島の開発自体は西武グループ全盛のころの計画でした。複合型レジャー施設ということで、いろいろと乗り物などもありますが、ここで一番楽しいのはやはり水族館でしょうか。そして、海の動物たちのショーは、かなりレベルが高いのではないかと思います。

横浜・八景島シーパラダイス:動画でシーパラをもっと楽しもう

水族館といえば、鈴木慶一さん(ムーンライダーズ)が中心となった水族館レーベル。わたしが、この水族館レーベルの中で最も数多くのライブに行き、レコードもほとんど所有しているのはリアルフィッシュ(Real Fish)。京都旅行と当地でのライブが重なったときには、旅先でもライブに♪

楽しい休日、そして遊園地なイメージもある『恋はビーチパラソル』大好きでした。
『恋はビーチパラソル』、海で「恋」なところがシーパラダイス的。15周年の際に、キャッチフレーズを『恋する遊び島』から『海はともだち』にかわったようですが。
(オープン当初は、どちらかというとデートスポット的要素が強かったシーパラダイス。そのころの20代もいまや30~40才台。そして、新しい水族館やデートスポット的施設もその後たくさん。バブルのころとは違いつつも、日本は新しいものがどんどんできていくところですね)。

Real Fish - 恋はビーチパラソル(Beach Parasol)



リアルフィッシュ:
バンド・メンバー(敬称略)
REALFISH [1981-1987]
矢口博康 サックス
戸田誠司 ギター、コンピューター
福原まり キーボード
美尾浩乃 ヴァイオリン
渡辺等  ベース、ボーカル
友田真吾 ドラム

再結成ではないのですが、最近のリアルフィッシュなうれしい映像。

福原まり, 矢口博康, 戸田誠司 - Parade :
2009年7月5日に南青山マンダラでのビッグフィッシュライブ vol.7ライブ映像。リアルフィッシュのボックスセット発売記念ライブということでリアルフィッシュの『パレード』。



[水族館]
水族館は大好き。最近、引越しでかなりバタバタ。ちょっとお出かけ不足だったので、きょうのお出かけは、かなり気分転換になりました。日本にきてから、一番多く行っている施設は水族館かもしれません。東京および東京近郊の水族館はぜひ制覇したいところです。(東京のことなら何でもという感じだった、わたしも、長年の留守でかなり浦島太郎状態w。新しめのところには、うとくなり、東京および近郊のガイドブックとか必要かも知れません)。

きょうの写真一部:
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こんな水槽があるリビングルームがいいなぁ。水族館みたいな家い住みたいです。

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ふつうのイルカよりゆったりなシロイルカ、なごみます。

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高いところから遠くの景色をみるのも気持ちいいですね。真近も。湾岸の景色はジオラマのよう。

捕獲
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(投稿:日本 2010年4月24日、ハワイ 4月23日)


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きょう、朝から雨でした。昨日とはうってかわって、気温も低く、夕方はかなり寒く感じるぐらい。4月なのに...。そんな、雨の日の終わりには、せめてお気に入りの「雨」の曲でも聴いて。

トワ・エ・モワの『LOOK OUT AT THE RAIN』、初めて聴いたのは、2か月ほど前。このところ気に入ってます。 アレンジもすてき。



この『LOOK OUT AT THE RAIN』、トワ・エ・モワのデビュー曲『或る日突然』(1969年5月)の英語版。オリジナルの作詞は山上路夫さん、作曲は村井邦彦さん。英語ヴァージョンの詞はR.Oliverさん、編曲は森岡賢一郎さん。

 I look at the rain thinking of another day~♪
 Well, there'll be tomorrow
 And will I find my way
 Will I open my eyes
 Will I look at your smile
 Will I be with you for more just awhile
  (略)
 Now, look out at the rain thinking of another day
 Just hold it like a dream
 Knowing you I found a way
 Now you know
 Now you see
 Hold it close and feel free
 So I greet the sun always love each day~♪
 (ちょっとききとりづらいところがあるのですが、こんな感じでしょうか)

ある日突然 (1969年)



『Look Out at The Rain』は、『トワ・エ・モワ イン U.S.A.』(1970年12月)というアルバムの中の一曲。ロサンジェルスで収録されたもの。動画はみつからなかったのですが、『WHERE ARE YOU』 (「空よ」英語盤:作詞・作曲:難波寛臣さん、英語詞:R.Oliver、編曲:小谷充さん)、『ONE TIME』(「初恋の人に似ている」英語盤、作詞:北山修さん、作曲:加藤和彦さん、英語詞:R.Oliver、編曲:青木望さん)もあるそうです。こちらもよさそう♪ (曲目リストなど掲載してらっしゃる→君と僕とトワ・エ・モワと春の子供達

聴いてみたいなぁと思ってさがしてみたところ、未収録だった曲も加えた『トワ・エ・モワ・イン・U.S.A.(紙ジャケット仕様)』、限定CDとして再販されてるんですね。

[トワ・エ・モワ]
山室英美子(白鳥恵美子)さんと、芥川澄夫さんのデュオ、トワ・エ・モア、当時、小さかったものの、特集番組などで知った口ずさめる曲も多いです。でも、結成ストーリーなどは知らずで。トワ・エ・モアのおふたりは、はじめから一緒という訳ではなく、ナベプロ(渡辺プロ)の意向で、歌手志望だったふたりがデュオとなったのですね。ひとりづつでは、ということでデュオにということだったそうですが、トワ・エ・モワ、まさに、このふたりでなくてはという感じです。

山室英美子さんは、元スクールメイツ。松竹映画『ドリフターズですよ!前進前進また前進』や、植木等主演映画『日本一の男の中の男』に平山三紀さんと一緒に出演したシーンがあるとか(Wikipedia:白鳥英美子)。

(投稿:日本 2010年4月22日、ハワイ 4月21日)


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先日みかけた、発売39年目となるチェルシー、チョコレートが4月20日に新発売というニュース。
「チェルシー」が初の板チョコ化、濃厚なバターとチョコのハーモニー

今朝、コンビ二にてチェルシー、板チョコ発見、早速食べてみました。

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ミルク味のチョコレートにバタースコッチ風味のクリームをサンド。クリーミーでなかなかおいしかったです。

チェルシーといえば、数多くのミュージシャンによって歌われてきた、、安井かずみさんが作詞、小林亜星さんが作曲の『チェルシーのうた』。(以前に書いてますが『明治 チェルシーの唄 メドレー』


(歌唱はシモンズ、ガロ、ペドロ&カプリシャス、南 沙織、サーカス、八神純子、あみん、大貫妙子、アグネス・チャン、蒲原史子、有澤圭子、シーナ(シーナ&ザ・ロケッツ)、PUFFY、小野貴子&宮内美恵、上原多香子(敬称略)))

小林亜星さんによる『チェルシーの唄』についてのエピソードなどもあるチェルシーのサイトをチェックしてみたところ、新商品と39周年のを記念してということなのでしょうか、スペシャル・コンテンツというものがありました。

チェルシーオリジナルThanksメールを送ろう」というもの。「なつかしい人に出逢っ~たような やさしいたよりが~ いま届いた~♪」というチェルシーにぴったりですね。
そのほか、「チェルシーの唄 Every Little Thing ver.着うた」などが当たる「チェルシー×ELT 39th Thank You プロジェクト」(~9月30日)も実施してるようですね。

きょうは、みんなで分けて食べたので、味見程度で少しだけ。今度は、一枚全部!とも思いましたが、チェルシーは、やっぱり「あなたに~もわけてあげたい♪」、こどもと一緒に食べようと思います :)

明治チェルシーCM、「アナタニモ、チェルシー、アゲタイ」(うた、アグネス・チャン)



(投稿:日本 2010年4月21日、ハワイ 4月20日)


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きのうの雨も止み、今朝は青空広がり、暖かいよい天気。
『雨上がりのサンバ』を聴きたくなり、Blip.fmで、出勤前にBlip。爽やかな一日を迎えることができました。

い~つの間にか雨が上がった

青い空が
サパドゥパヤパドゥパパヤ
サパドゥパヤパドゥパパヤ
のぞいてる~

あな~たに会いに行きたい~のよ
きれいな虹がある間に
キラキラ光る歩道の上に
二人の影が並んでうつるの

とび~らを開けて飛び出すのよ
並木の緑がみんな~
キラキラ光って歌っているわ
そよ風吹いてるなかを

『雨上がりのサンバ』、森山良子さんのシングル『小さな貝がら』のB面として、1968年5月にリリース。作詞は山上路夫さん、作曲は村井邦彦さん。
「サパドゥパヤパドゥパパヤ♪」というスキャットがすてきな一曲。
和製ボッサの名曲のひとつとしてあげられることも多いようですね。

森山良子さんのお父様、森山久さんは日系2世のジャズ・トランペッター、ムッシュ(かまやつひろしさん)のお父様であるティーブ・釜萢さんとは日本ジャズのパイオニア同士としてのご友人であり義兄弟。 
かまやつひろしさんと森山さんは、お母様同士が姉妹で、いとこ同士というのは、つい最近知ったのですが、そのお母様も浅田陽子というジャズ・シンガーだったのですね。

そんなご両親の影響を受け、森山良子さんが、歌手になろうと決めたのは、とても幼いころだったそうですね。お父様の教えは、英語も日本語でも『美しく発音する』だったとか。

娘さんである奈央さんも直太朗さんもミュージシャン。(奈央さんは1999年から2005年まで、Petty Bookaの2代目Pettyだったのですね!そして、おぎやはぎの小木博明さんとご結婚)
直太朗さんの活動のことはすごく詳しい訳ではないものの、存じてましたが、奈央さんのこの辺りのご活動は今日はじめて知りました
ミュージシャン・ファミリー、音楽家族ですね。
昨年、誕生されたというお孫さんもミュージシャンになるんでしょうか。

[今年初めての夏日]
きょうは東京で初の「夏日」、全国で初の「真夏日」と観測され、初夏を感じさせるあたたかい一日でした。
http://tenki.jp/forecaster/diary/detail-2067.html
このお天気はつかの間。午後からすでに曇っていたのですが、さきほどは雨。あしたは、気温もさがるようです。「春の三日の天気なし」とはいいますが、四月も、もう下旬。せめて気温だけでも、もう少し安定して欲しいものです。

(投稿:日本 2010年4月21日、ハワイ 4月20日)


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今夜の桑原茂一さんのPIRATE RADIO #PIRATE16 では、一ヶ月ほど前に行われた公開イベントでのヒロ杉山さん×中西俊夫さんのTシャツとデザイン・ワークのトーク、そしてMELONやWATERMELON、PLASTICSなどの中西俊夫さんのミュージック・ワークも聴くことができました。

メロン、ウォーターメロン、プラスチックスと新しいコンセプトで、常にわくわくさせてくれていた、中西俊夫さんですが、REMIXの世界『TOSHIO NAKANISHI HOMEWORK』は、いまでもとっても思い出に残るワーク!カセット・マガジンTRA SPECIALのVOL.3として出された作品、当時、まだ新しかったREMIX、しかも日本のアニメソングや歌謡曲もとりいれてというのが、ほんとに新鮮で、何度も、何度もくり返し、通学電車の中で聴いてました。オリジナルのフォームもカセットテープなため、現在所有していないのがほんとに残念で仕方ありません。と思っていたのですが、ちょうど、一ヶ月前のイベントとほぼ同時にこちらが。細かくディテールでの感想などもあるのですが、コメントは少なめに(書きだしたら、かなりエンドレスですw)。

A1. DON'T STOP A2. DON'T YOU LIKE A BLOWJOB



この『HOMEWORK』と出会ったのは、1983年、高校生にのころ。ちょうど同じ時期に、マルコム・マクラーレンの『DUCK ROCK』もリリースされ、TRAを通じて藤原ヒロシさんを知り、なにかが大きく変わるんだと感じ取ることができた年でした。

まさに、このあたりのムーブメントがなければ、いまの音楽シーンも全くちがうものになっていただろうという、ある意味すごいときだったのかも知れません。


A3. TWANKY~A4. AUTOMAN



『AUTOMAN』、キャノンの「オートマン」という機種のCMにもなってました。すっごくかっこよかったのですけれど、CM映像みつからず orz

A5. Q ~ A6. CAN'T STOP IT ~ A7.SPY オバQ音頭はうちにもあり(今も)



B1.SONG FOR BRIGHTTE BARDOT



B2.SEXANOVA B3.RAIN 3:49 B4.PURE INNOCENT 『RAIN』と『PURE INNOCENT』はかなり好きで。



B5.NEVADA



[オリジナリティー]
デザイン・ワークでのトークでは、コンピュータ時代とオリジナリティーの話などにもなりましたが、中西俊夫さん、いつも新しいものを発信してくれながらも、「らしさ」が必ず。デザイン・ワークにも変わらない何かが。

(投稿:日本 2010年4月20日、ハワイ 4月19日)


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昨日、藤本房子さんが歌う「ありあけのハーバー」CMを探してみたのですが、残念ながらみつかりませんでしたので、別のCMを。藤本房子さんといえば、数多くのアニメ・ソングやCMソングを歌ってらっしゃいますが、CMソングは数知れず。
すべてを一回でカヴァーすることは、ちょっと無理なので、きょうは、味覚糖(UHA味覚糖)とカバヤのCMをもう一度みてみました。
ちょうどこのCMのころは、自分でお菓子を買ってもよい年頃になってきたころ。小学生のときの塾、中学の電車通学のおともにいつも。

味覚糖の「さくらんぼの詩」~カバヤ「ジューシー」



さくらんぼ、さくらんぼさくらんぼのうた~あ♪
「さくらんぼの詩」好きでした。アメリカではお菓子といえばチェリーフレーバーが多いのですが、日本ではさくらんぼものは多くないような。「さくらんぼの詩」、いまでも販売、いまや、かなりのロングラン商品ですが、当時は新発売。ごぶさたでしたが、急に味わいたくなったので、明日、買ってみようかな。
(味覚糖、いつのまにかUHA味覚糖という社名になっていたのですが、どんな意味だろうといつも思ってました。
UHAとはユニーク・ヒューマン・アドベンチャーの略だったのですね。
UHA味覚:企業理念:
http://www.uha-mikakuto.co.jp/company/index_03.html


カバヤ~ヤ、カバヤヤ、カバドンドン、ジューシー、ジューシー、君のくち~びる、カバヤ!ジューーーC~♪
こちらもかなりのロングラン。親子2代、いまは、こどもからもらうことが多くなった「ジューC」は今年で45周年、わたしより先輩です。
カバヤ、ジューC:
http://www.kabaya.co.jp/juuc/index.html

カバヤ「ジューシー」ハワイ編(多分)
ロケ地は、いったいどこだろう、と、かなりくり返しみてみたのですが、さすがにわからず。これから調査したいと思っております。



カバヤ「マスカット・キャンディー」
太郎さんと花子さんは結婚できるでしょうか。小さな恋人、カバヤのマスカットキャンディー。かなりマスカットらしい味がするこのキャンディー、当時、このフルーティーな感じは、ちょっと珍しかったかも。こちらも今でも続くロングラン。



こうしてみてみると、どれも印象的なものばかり。ロングランの要素には、味はもちろんのこと、藤本さんの歌うCMソングにもあったような気がします。

味覚糖「なないろ」(CM前に一瞬、見栄晴くんが)
こちらは、あまりかっていませんでしたが、うちおばあちゃんが好きそうな。「純露」路線ですね。たまに欲しくなる感じです。こちらは、現在、販売されていないのですが。



キャンディーCM、続けてみてたら、ほかにもいろんなキャンディー買いたくなってきてしましました。ちょっとハマッてしまいそうな予感.. :D

[ジューC番外編]
手塚治虫さんご本人出演の「ジャングル大帝、カバヤ・ジューシー・ダブル」。こちらは、藤本房子さんのものではないのですが、こういうのまた販売してくれないでしょうか。



(投稿:日本 2010年4月18日、ハワイ 4月17日)


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本日、横浜銘菓、「ありあけのハーバー」を十数年ぶりに食べてみました。「ハーバー」といえば、こどものころによくみたコマーシャル「ありあけのハーバー♪」が思い出。

このCMソングも作詞、作曲は小林阿星さんなんですね!編曲は筒井広志さん(CMソング・アンソロジーには収録されてないよう)。こどものときによく視ていたものは藤本房子さんが歌っていたもの、夕方のこどもアニメ番組(テレビ朝日らしいです)のときにオンエアされてました。
ヴァージョンはかわっていますが、現在、放送中のCMはありあけのサイトでご覧いただけます。歌は同じ「ありあけのハーバー~♪」。いまはコーラスになってますね。

http://www.ariakeharbour.com/cm/index.html

ハワイにいたときもときおり思い出していた、「ハーバー」、1999年からの2年間、幻の銘菓となっていたのですね。有明製菓株式会社がなくなってしまい、元従業員や市民による復活運動の結果、町田市の洋菓子会社が商権を引き継ぐ形で、2001年に復活したのですね。現在は、株式会社ありあけとなり、本社も横浜市中区に(Wikipedia:ありあけのハーバー

2009年の横浜開港150周年を機にパッケージも一新。アンクル・トリスのイラストでおなじみの柳原良平さんが、新しいパッケージのイラストを。

ハーバー、オリジナル・フレーバー:
この船は、2009年3月に横浜に初入港したクイーンメリー2だそうです。

夕飯のあとなので、お腹いっぱいで、一個しか食べることができず、きょういただいてみたのは、こちらの新製品「黒船ハーバー」。チョコレート・フレーバー。オリジナルの雰囲気も残しつつ、しっかりチョコレート味、おいしかったです。

黒船ハーバー(チョコレート・フレーバー):
パッケージのイラストは、150年前日本へやってきたアメリカの蒸気船"ポーハタン"にペルリ(ペリー)提督。 横浜港沖には他に蒸気船"サスケハナ"、"ミシシッピ"の二隻に帆装軍艦六隻が碇泊したそうです。

昔のハーバーのデザイン、星、花、気球というモチーフも好きでした。


[横浜はまた今度]
ハーバーは食べたのですが、横浜に行った訳ではなく、横浜出身、在住の旧友からのお土産。わたしがハーバー、ハーバーと言っているのを覚えていたらしく。
横浜まで足をのばそうかという話もしていたのですが、渋谷でランチのあとは、一緒に勤務していた会社あたり、東山・青葉台、そして等々力、自由が丘、田園調布など、車でぐるぐる、ぶらぶら。何だか時間がどんどん過ぎて、ただただ、ぐるぐる、ぶらぶら、昔からいつもです。

柳原良平さん関連過去記事:
サントリー (寿屋) アンクルトリスのトリス・ウィスキー CM
http://cm-song-movie.blogspot.com/2010/03/cm_15.html
サントリー トリスでハワイ 「トリスを飲んでハワイへ行こう」 (1961年)
http://cm-song-movie.blogspot.com/2009/10/1961.html

(投稿:日本 2010年4月17日、ハワイ 4月16日)


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昨日は、ご近所、旧・四谷区にある荒木町について触れてみましたが、靖国通りを境にし、住処は旧・牛込区。全国的にも知名度がある牛込郵便局もあるところ。(参考:東京旧行政地区15区

牛込が、全国的に知られる所以は、河田町にあったフジテレビ。番組宛ての郵便物の宛先は「東京都牛込局区内フジテレビ」でした。
(他のテレビ局の番組の宛先も○○局区内というのが多いはずですが、たしかに「牛込局区内」というフレーズはどうも心に刻まれています。)

きょうは、現在の所在地、お台場に移転する以前のフジテレビ、ちょっと懐かしい朝の放送開始および深夜の終了をみてみました。

フジテレビ オープニング 。1959年3月1日から1966年3月のもの。



クロージング:『愛のメッセージ』。箱根彫刻の森美術館はこのイメージが。



バックに流れる曲、『愛のメッセージ』、阿久悠さんが作詞、都倉俊一さんが作曲したフジテレビのテーマソング。1978年4月~1981年3月の間は放送オープニング、1978年4月~1984年3月の間は放送クロージングにも流され、『FNS歌謡祭』など特別番組のエンディング・ミュージックにも。(映像は「夜のヒットスタジオ」で参考)



オープニング、クロージング:『I・愛・eye』1979年4月 ~1986年3月31日。いろんなパターンで変化していく「8」がとっても印象的でした。



1997年3月10日、フジテレビ河田町最後の日:最終エンディング。かなり見入ってしましました。



放送局のオープニングやエンディング、女性の声でのコールサインがかなり好きです。フジテレビはJOCX-TV。

東京のテレビ局、1990年代半ばあたりから次々移転。そのままの場所にあるのはいまやNHKぐらいでしょうか。フジテレビがお台場に移ったのは1997年ですが、移転構想が生まれたのは、ノリにノッていた1980年代半ばごろだったんですね(Wikipedia:フジテレビ、お台場移転の経緯)。フジテレビに近い麹町にあった日本テレビもいまは汐留(日本テレビの放送終了「鳩の休日」は、こちら)。
テレビの思い出は、80年代までのイメージが濃く、1998年から日本を留守にしていたので、テレビ局、いまだ旧所在地のイメージがぬけません。テレビ放送の変遷などについてさらっと読みたくなり、2月1日のテレビ放送記念日に際し、書かれた記事、「東京のテレビ、過去・現在・未来」をみつけ、読んでみました。(東建月報2010年2月号、『東京人』副編集長、鈴木伸子さん筆)

[フジテレビ河田町時代の名残]
いまでは跡地は高層マンションになっており、公園などもあるので通りぬけられるようになってます。フジテレビがあったときは、局にいくには、短くはあるもののとても急な念仏坂という石段をのぼっていかなくてはなりませんでした。この念仏坂、商店街の途中にあり、いまでも坂のふもとの道案内は昔のまま(普段の買い物はこのあたり、こどもの通学路でもあり、いつも気になってます)。



(投稿:日本 2010年4月15日、ハワイ 4月14日)


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昨日は、郵便局などによりながらお昼休みにオフィスの近くを散策。店の前を時折通るので、見慣れてきていたのですが、初めてみた時からずっと気になっていた「ねこや」さんの看板を写真におさめてみました。



ねこの表情がなんともいえなくごきげんな感じなので、Twitterにポストしたところ予想外にコメント、Retweetあり。「ねこや」さん、荒木町近く、四谷三丁目の表通りにある三味線屋専門店なのです。

小路をちょっと入ると、いまは多くの飲食店が立ち並び、かつては花街だった荒木町、四谷三丁目新宿通り沿いにはビルに混じって、三味線屋さん、履物屋さん、きもの屋さんなどが。

現在、東京の花街(三業地)で残っているのは6ヶ所ですが、戦前には東京23区のうち、21区に花街があったそうですね。荒木町もそのひとつ。最盛期には芸妓学校などもあったようです。四谷荒木車力門会の歴史散策ページでは、昔の芸妓学校の生徒さんが描いた絵とともに近隣の歴史を紹介しています。

どこの街が舞台かはわからないのですが、花街、三味線ということで、ちょっと前に知った曲、『三味線クンパルシータ』を思い出しました。歌っているのは岩本きよみさん、作詞は宇野美樹、作曲は望月弘さん。



三味のおさらい踊りの稽古抜けてこっそりジャズ喫茶
デートはいつもの午后三時、貴方も大好き私も好きよMmmm...
クンパルシータはまだかしら

飲めや歌えのあのお座敷じゃ云えなかったのこの想い
あの晩貴方のお名指しで、ほろよい機嫌の私がひいたMm...
クンパルシータは始まるわ

逢えばこの恋打ち明けようと思うそばから口ごもる
それでいいのよふたりして楽しいひととき過ごせるならばMm... Ah
クンパルシータは素敵だわ

この曲に出会ったとき、そして今回も、岩本きよみさん、少し調べてみたのですが、どんな歌手だったかという情報があまりみつからないのですが、気になっています。昭和31年、32年とテイチクから数曲リリースなさってるようですね。ポリドールから昭和35年に発売された『三味線クンパルシータ』以降、活動はなさっていないのでしょうか。戦後流行歌一覧に載っているのはここまででした。

S 31.8 島のむすめはうぶなのよ (作詞:萩原四郎、作曲:倉若晴生)
S 32.2 十九の春のプレゼント  (作詞:清水みのる、作曲:大久保徳二郎)
S 32.2 新婚さん (作詞:高月ことば、作曲:村沢良介)
S 32.12 三味線横丁  (作詞:門井八郎、作曲:下川博省)
S 35.1 三味線クンパルシータ (作詞:宇野美樹、作曲:望月弘)

[旧・四谷区、牛込区]
東京で昔ながらの町名が残っている場所としては神田あたりが有名ですが、新宿区も旧・四谷区、牛込区だったあたりは、「丁目」がなくたくさんの町の名前が残っています。町ごとにそれぞれ雰囲気があり、散策するのも楽しいエリア。新しい住まいは、旧・牛込区。近いながらもオフィスは旧・四谷区です。界隈の町の名前、そして歴史をこれから調べていきたいなぁと思っています(ご近所の方とお話すると、そういった名称を知っていること前提で話が進むということもあり、要学習)。このあたり坂もとっても多いのすが、こちらも覚えていかなくては、です。場所をたずねたりすると会話によく名前が..。たずねなくてはいけないぐらいなので、坂の名前もよくは知らないのですけど。もともと、そういったことを知るのは大好きなので、覚えるのも楽しみではあります:)

(投稿: 日本 4月14日、ハワイ4月13日) 


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本日、4月13日は「喫茶店の日」だそうです。「喫茶店の日」とは、日本初の喫茶店「可否茶館」が、1888年(明治21年)4月13日、東京・下谷区上野西黒門町(いまの上野広小路あたり)にオープンしたことにちなんだもの。

この「可否茶館」を開いたのは鄭永慶氏。外務省・大蔵省に勤めたこともある、英語・フランス語・中国語に堪能で、西洋文化の見識もあった方。鹿鳴館文化とは異なるアメリカのコーヒーハウスのような庶民が自由に交流できる文化サロンをというコンセプトだったとか。
 
コーヒーは一杯一銭五厘。洋館2階建ての店舗には、ビリヤード、トランプ、クリケット、碁、将棋と遊具をそろえ、、国内外の新聞・雑誌、各種の書籍・書画を閲覧できるようにまでなっていたとか。更衣室・化粧室・シャワーまで完備してたそうです(「倉敷珈琲物語」:第27話
「-可否茶館-日本最初の本格的珈琲店」
)。しかし、時代の先端を行きすぎたということもあるのでしょうが、4年ほどで閉店。鄭氏は、その後アメリカ、シアトルに渡り、若くしてシアトルで亡くなりに。

いまでは跡地に記念碑があり、鄭氏のご親戚の方が記念碑設立祝賀会などの模様を記録されています。http://www.villa-randt.com/cafeshop1.html

ちょっとではありますが、さらに調べてみたところ、可否茶館については、珈琲文化学会常任理事も務められる星田宏司さんという方が、『日本最初の喫茶店―『可否茶館』の歴史』
という本を記されてるみたいです。読んでみたい!

そんな「喫茶店の日」に聴きたい一曲は、可否茶館からずっと後の作品ですが『一杯のコーヒーから』。



昭和14年(1939年)リリースの懐かしい流行歌。この当時のコーヒー一杯の価格は15銭。よく祖母が口ずさんでいたので、小さいころから親しんでいる唄です。作詞は、藤浦洸さん、作曲、服部良一さん、歌は霧島昇さんとミス・コロムビア。

きょう初めてしったのですが、『一杯のコーヒーから』、当初『一杯のビールから』になるはずだったそうですね。服部良一さんがお酒好きなビール党だったので、ビールの唄をということだったのでしょうか。けれど、藤浦洸さんはお酒が飲めない方でコーヒー好きだったそうです。それで、『一杯のコーヒーから』に直してしまったと(Wikipedia:一杯のコーヒーから

(投稿: 日本 4月13日、ハワイ4月12日) 


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