先日につづき、赤い鳥のこと。リアルタイムで意識して聴いていたのではないということもあり、赤い鳥、あらためて聴きはじめるまで、それぞれの曲が、グループとしての活動の中でどの時期にリリースされたのかなど、あまり考えずに聴いていました。
すばらしいコーラスワーク、同時期に活動していた関西フォークの方々とは違った音楽性などが認められる中、アマチュア時代の活動を知っている古くからのファンの方には、本来の音楽活動理念への共鳴や支持があったのですね。
赤い鳥について知っているニ、三の事柄
そのあたりが解散にいたる理由ということもあったのだとは思いますが、やはり村井邦彦さんをはじめ、アルファ・ミュージックによるプロデュースがなした「古い枠を知らない若さ」という部分も大きく、そのことが全国で約600回のコンサートを行い、100万人以上の観客を動員したという軌跡へと、多くのひとに向けた活動の中で、本来のメッセージも同時に伝わっていたということもあるのではないかと。
解散より25年ほどたった現在、わたしのような者が再訪しているのも、きっかけは、従来のフォークの方いと違った音楽性とか海外録音への興味とか、そんな要素が多いので(なんかうまく言えませんけれど)。
ただ、あらためて聴きはじめるきっかけのひとつともなった英語曲も、いろいろな部分を踏まえて聴いてみると、ただいいなぁと思って聴いていたのとは別の活動の変化やその意義の変化があるように感じられるので、このところ、その辺りを考えながら聴いてます。きょうはリリース時期も含め、こちらに。
(まだコンプリート・コレクションは入手してないので、ベストなどで聴いた範囲で。曲目リストはかなり長くなってしまいそうなので、参考:懐かしいアナログ盤♪:赤い鳥 全シングル&アルバム)
まずは、英語曲比率の高い初期のアルバム3枚から。
アルバム『FLY WITH THE RED BIRDS』(1970年6月10日):1枚目
第3回ヤマハ、ライト・ミュージック・コンテストの優勝副賞として贈られた「ロンドン見学・記念録音」に、村井邦彦さんが同行し、プロになることを考えていなかったメンバーを説得し、リリースされたという作品、とか。TONY MACAULEの書き下ろしもあり。
プロデュース:JACK WINSLEY、共同プロデュース:ANDREW HEATH、編曲・指揮:JOHN FIDDY 録音:ロンドン、トライデント・スタジオ
THE LAST TRACE OF LOVING HAS GONE:
作詞・作曲:TONY MACAULE、編曲:JOHN FIDDY
このアルバムの英語曲、他には『THE SAME OLD FEELING』(作詞:TONY MACAULE、作曲:JOHN MACLEAD)、『CANDLE IN THE WIND』(作詞:JOHN WISLEY、作曲:BOB SAKER)なども聴きました。オリジナル曲最後の『汽車』、『何かがやってくる』なども英訳のヴァージョン収録。
アルバム『RED BIRDS』(1970年10月5日):2枚目
13曲のうち10曲が英語曲。編曲では、服部克久さんも村井邦彦さんとともにアレンジを手がけ、ファースト・アルバムからわずか4ヶ月で発売されたのですね。このアルバムから、東芝レコード(前作は、日本コロンビアDENONレーベル)。オリジナル曲は日本語、英語曲ではカヴァーのみ。
DO YOU KNOW THE WAY TO SAN JOSE(サン・ホセへの道):
作詞:HAL DAVID、作曲:BURT BACHARACH、編曲:服部克久、村井邦彦
BOTH SIDES NOW(青春の光と影):
作詞・作曲:JONI MICHEL、編曲:服部克久、村井邦彦
当時、世界中の若者たちに支持されていたおなじみのナンバー、比較してなお、コーラスワークの美しさが感じられますね。『I'LL NEVER FALL IN LOVE AGAIN(恋よさようなら)』や『BRIDGE OVER TROUBLED WATER(明日に架ける橋)』、『EL CONDOR PASA (コンドルは飛んで行く)』なども聴いてみました。
WHAT A BEAUTIFUL WORLD(1971月3日5日):3枚目
全てが英語曲というアルバム。オリジナル曲はメンバーによるものではないのですが、ジェリー伊藤さんが書き下ろし、JOHN FIDDY編曲・指揮により、バックトラックをロンドン、エアースタジオ、歌は東京録音。
SWEET MORNING RAIN:
作詞:ジェリー伊藤、作曲:村井邦彦、 編曲:JOHN FIDDY
SUNNY SMILE OF LOVE:
作詞:ジェリー伊藤、作曲:村井邦彦、 編曲:JOHN FIDDY
WHAT A BEAUTIFUL WORLD:
作詞・作曲:PETER D. RASOME、編曲:JOHN FIDDY
同じくPETER D. RASOME作の『LOVE HIM』もすごくいいですよね。
村井邦彦さん言うところの"世界に通用するポップスを作る"という夢が昇華されたようなアルバムですね。サウンド的には、ジェリー伊藤さん、村井邦彦さんによるオリジナル作品を含め、当時のアルファらしさが感じられ、大好きな世界です。反面、『WHAT A BEAUTIFUL WORLD』ではメンバーによるオリジナル曲もなく、かなり色濃く、メンバーの方々の心の葛藤もでてきていたことは事実なのでしょう。
そんなこともあってか、または、第一段階としてのステップたどりついたということか、4枚目のアルバム『竹田の子守唄』(1971年7月25日)は、山上路夫さん&村井邦彦さん作品の他、メンバーによるオリジナルもありの全て日本語。シングルは、『翼をください』とあわせ収録され、100万枚を突破するヒットとなりました。発売数年後だと思いますが、こどもの頃に初めて聴いた赤い鳥の曲は、『竹田の子守唄』や『翼をください』でした(その後、一時期はあまり放送されなかったとか)。
アルバムでは、その後、ライブ盤である5枚目にはカヴァー曲などもありますが、メンバー創作による作品が多くなりますね。大村憲司さん(ギター)、村上秀一さん(ドラムス)も加わり、6枚目の『パーティー』(1972年07月26日)では赤い鳥による新しいサウンドの世界がみられるような気がします。
(※参考の:懐かしいアナログ盤♪:赤い鳥 全シングル&アルバムではライブ盤は~枚目として数えられてないので~枚目にはずれが出てきます。念のため)
メンバーによるメッセージという活動が目立ってきたのかなと思う中、7枚目のアルバム『美しい星』は、再び、山上路夫さん&村井邦彦さんコンビの作品が中心となり、『翼をください』の英語ヴァージョンを含め、2曲の英語曲が収められます。プロデュース側では、このアルバムで、次なる活動の変化というものが検討されていたのですね。
アルバム『美しい星』(1973年1月6日):7枚目
アメリカでレコーディングのアルバム、アレンジはフィフス・ディメンションのアレンジャーでもあるBOB ALCIVAR。『美しい星』や『赤い屋根の家』などの名曲も。『窓に明りがともる時』もいいですね。
I WOULD GIVE YOU ANYTHING~翼をください:
作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦、編曲:BOB ALCIVAR
IT MIGHT AS WELL STAY MONDAT (FROM NOW ON)(月曜はブルーな日):
作詞・作曲:BODIE CHANDLER 、編曲:BOB ALCIVAR
でも、ここでも海外進出というプロデュース側の意図とメンバーの意向に相違が。メンバーの中でも、考え方の違いが明らかになってきたのが、この時期だったようで。「赤い鳥」がさまざまな魅力をもつ表現者であり、創作者でもあったからということがあるのでしょう。
そして、『祈り』、ライブ盤の後、先日触れたアルバム『書簡集』をリリースし、あまり長いというほどでもない活動期間にたくさんの作品を残して解散。
赤い鳥の英語曲、海外録音のすばらしいサウンドは、その後の鑑賞者としては好きなだけにいろいろなくいちがいの種になっていたとは、ちょっと複雑な気持ちもあります。
でも、たしかにコーラスワークの美しさが魅力なのは間違いないものの、シンガーグループではないというのが「赤い鳥」ですからね。
別のブログにあるように…
「目指す音楽について反目や葛藤、確執等々あったかもしれないものの、赤い鳥解散を持って後藤さんと村井さんが決別したわけではないこと。紙ふうせんになっても、プロデューサーは村井さんだった。CBSソニーに移籍するまでその関係は続いていく。きちんとリスペクトしているのだ」というものを拝見し、さらに赤い鳥の活動にぴては「理念」が大切だったのだということはより、感じました。
もうひとつの夕景工房:赤い鳥・紙ふうせん:チェッカーズ=赤い鳥 説!
(アルファの世界進出のサクセスは、その後、YMOにより実現ですね)
(投稿:日本 2010年10月12日、ハワイ 10月11日)
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