一週間ほど前、ハワイを旅立つ際に、最後に、美空ひばりさんのハワイ初公演の画像とともに、ひばりさんの『アロハ・オエ』を聴きました。『アロハ・オエ(Aloha 'Oe)』、ハワイといえばこの曲を思い出すという方も多い、ハワイ王国最後の女王となった第8代女王リリウオカラニによってつくられた名曲です。



美空ひばりさんの『アロハ・オエ』、アルバム『ひばり世界をうたう(HIBARI SINGS FOLK SONGS AROUND THE WORLD)』に収録。映像は、ひばりさんが13歳のとき、昭和25年(1950年)5月のハワイ初公演の画像を集めて編集されたもの。

ハワイで初公演について少し。
美空ひばりさん、日本人としてアメリカで公演を行ったのは、第二次世界大戦後初めてだそうです。日本人がアメリカへの観光渡航を許可される、ずっと以前のこと。アメリカ本土も含むアメリカ巡業の一環として行われたこの公演、当時の日系人社会では、とても大きな出来事だったようで、日系人史の資料などでもよく目にします。帰国後、8月には浅草国際劇場で、「ハワイ・アメリカ珍道中」公演も。当時、アメリカ日系人社会にとってだけではなく、日本でも特別なことだったのではないでしょう。美空ひばりさんのアメリカ初公演に関しての本も出版されているようですね。

ハワイでの公演の売り上げは、日系2世米国人部隊、第100大隊(第二次世界大戦ヨーロッパ戦線に出向いた日系人部隊)の記念館設立に寄付。

この映像の中で、ひばりさんが、抱いている人形はQ子ちゃん。フラ・ガールのスタイルがかわいいですね。ワイキキ・ビーチには、まだハワイ伝説のサーファー、デューク・カハナモクゆかりのカヌー・クラブがあり、飛行機の側での写真のレイ、いまでは、あまり見かけないダブル・カーネーションが1950年代的です。

1950年には、岡晴夫さんと共演の映画『憧れのハワイ航路』も公開されています。



『アロハ・オエ』の他にも、『バイバイ・ハワイ』などハワイにちなんだ曲を歌ってらしたり、その後もハワイ公演、数回なさっていました。

[美空ひばりさん、CLUB 100 Veterans:、第100大隊記念館]
きょうは、わたしのTRAVATAR、リンリンも磯子にいたようです。
http://twitter.com/MugichaGozen/status/7621218986

美空ひばりさん、祖母が大ファンだったので、よくレコードかけてあげてました(祖母は操作がわからず)。小さい頃は、よくひばりさんのこどもの頃の感じを真似ては、祖母に披露したり。20代の頃、アルバイト、正社員と、勤めていた会社はひばり邸のすぐ近く。アルバイト初勤務の挨拶に行った日、ひばりさんが他界されてすぐのことだったので、ひばり邸に報道陣が集まっていたのをよく覚えています。

第100大隊記念館、わたし個人的にもとてもなじみがあり、真向かいのコンドミニアムに6年ほど住み、ハワイに住む前も何度か滞在していた場所なのです。いまでも、日系人社会(最近移り住んだ人たちではなく)、特に年配の方々には、この記念館の存在は重要な意味をもっています(注:博物館という訳ではなく集会ホールのようなもの)。わたしが、こどもの頃から縁あってお世話になっている方も、第100大隊にいらした訳ではないのですが、戦後、日本とアメリカに関わる仕事をしていたりしたこともあり、この「CLUB 100 Veterans」には特別な思いをもってらっしゃいました。

参考にさせていただいたサイト:
美空ひばり公式ウェブサイト http://www.misorahibari.com/
ハワイの玉ちゃん http://01670167.blog74.fc2.com/blog-entry-542.html

(投稿:日本 2010年1月11日、ハワイ 1月12日)


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