きょう、6月24日は「林檎忌・麦の日」、美空ひばりさんのご命日でした(1937-1989)。「林檎忌」とは、ヒット曲『リンゴ追分』に、そして「麦の日」とはお名前である「ひばり」が好きな麦畑にちなんで名づけられた日なんだそうですね(Wikipedia:6月24日:記念日・年中行事

12歳で天才少女歌手としてデビューした昭和を代表する歌手だった美空ひばりさん、1989年の今日、お亡くなりに。なんか「昭和」という時代とともに去っていってしまわれたという感がありますよね。大学卒業後も働くこととなったひばりさん邸の近くの会社へのアルバイトの採用がちょうど決まったころで、通りかかると報道陣がたくさんいたのをよく覚えています。

いままでも何度か、ふれているのですが、きょうは、ちょうど、『シャープス&フラッツ物語-原信夫の歩んだ戦後とジャズ-』を手にしたので、知りたかったことのひとつである、美空ひばりさんと原信夫とシャープス・アンド・フラッツ(#&♭)との出会いについての章を読んでみました(順番どおりではなく、いっきにひばりの章を)。原信夫とシャープス・アンド・フラッツはひばりさんの専属バンドのような時期があったのですが、それ以前はおもに江利チエミさんとのお仕事が多く、ひばりさんと出会ったのも江利チエミさんのラジオ番組での収録だとか。
『日和下駄』の伴奏をしていたときに、演奏をストップし歌に入るブレイクでのみごとなタメと節まわしにジャズを感じ、原信夫さんはその感覚がずっと忘れられなかったそうです。

日和下駄(こちらの演奏はシャープス・アンド・フラッツではなく)


その後、1961年(昭和36年)に美空ひばりさん初のジャズ・オンリーのアルバム『ひばりとシャープ 虹の彼方』を収録。ひばりさんがジャズをすべて日本語で歌うという、このアイデアは、高島忠夫さんと江利チエミさんとのものだったんですね。水島哲さんがてがける日本語詞もとってもすてきです。ひばりさんのジャズ、すべてすてきなのですが、きょうは、こちらのアルバムからの曲を聴いてみました。

Cry Me A River "クライ・ミー・ア・リバー"



Mack the Knife "匕首(あいくち)マック"



Cucurrucucu Paloma "ククルクク・パローマ"



Love Letters "ラブ・レター"



Over The Rainbow "虹の彼方に"



その後も、ナット・キング・コールゆかりのジャズやスタンダード・ナンバー『ひばり世界をうたう』などもシャープス・アンド・フラッツとレコーディングされてますが、このあたりのカヴァー曲のレコーディングに関しては、ひばりさん「やりましょうか」といって1曲終わるとすぐ次へとまったく間違えずに歌いあげ、録り直しもほとんどなくレコーディングを終わらせてしまうのだとか。プロの方々、いろいろなレコーディングスタイルがあり、それがひばり流だそうです。

ひばりさんは、わたしの祖母が大好きだったので、こどもの頃からよく聴いてはいたのですが、同じものを聴いていたことが多く(少女歌手時代のものをよく。祖母のことですからレコードを何枚も所有していたという訳ではなく、4枚組みのベストレコードをよくくり返しセットしてあげたものでした)。ひばりさんのジャズは、いいですね、つくづく。

それにしても、他界されたの、52歳ってお若かったなぁ。わたしは、またその年には達しってはいませんが、いまの自分と同じ年ぐらいのときのひばりさんとかのこと思っても、大人というか大きいというか(もちろんスターだからというのはあると思うのですが…)。そういえば、こどもの頃のころ、自分の眉があまり好きではありませんでしたが、「ひばりみたいな眉だからいい」と納得いくようないかないような言い聞かせをされていました、「お嬢」とかいわれてたりしたことも思い出しw。

いままでの美空ひばりさんもの:
美空ひばり むらさきの夜明け/ 真っ赤な太陽(2010年5月13日)
美空ひばり 素敵なランデブー(2010年2月26日)
美空ひばり アロハ・オエ(2010年1月11日)

いままでの原信夫さんもの
原信夫 meets 山本邦山 アルバム 日本のニュー・ジャズ (New Jazz in Japan)(2010年5月12日)
ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー 
(投稿:日本 2010年6月24日、ハワイ 6月23日)

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