江利チエミさんの『旅立つ朝』、歌手生活20周年である1971年5月(昭和46年)にリリースされた、このところのお気に入りです。
旅立つ朝:作詞:保富康午、作曲:村井邦彦
この曲を知ったきっかけは、いつものことながらのYouTubeでのサーチだったのですが、聴いた瞬間になんてすてき!と。村井邦彦さん作曲のものは好きな作品が多い中、この曲は、さらにサウンドが大好き要素たくさんで、かなり気になり。
ちょっと調べてみたところ、ドラムスはなんとハル・ブレイン(Hal Blaine)だったのでした。アレンジは、ジミー・ハスケル(Jimmy Haskell)とダンヒル系サウンドの方々。そして、歌唱トレイナーは、フィフス・ディメンション(Fifth Dimension)のアレンジなども手がけるカール・ジョーンズ(Carl Johnes)、ロサンジェルスで録音されたものだということで、確かに好きなサウンドなはずなのでした。
でも、この曲のよさは、そのサウンドだけではないのですよね。ベースとなっている村井さんの曲と何といっても保富康午さんの詞がすばらしいのです。
この世には、ピンク色のおやすみの日があるものさ~ ♪
そよ風が、心に吹くすてきな朝がきっとくる
みんな~生きてるのさ、そうだよ~
この世には、ブルーな日があんまり多くなりすぎた~
さあ行こう、昨日の家に鍵を下ろして旅立とう~
江利チエミさん、この時期、デビュー20周年を迎えながらもとってもたいへんな時期だったんですね。ファンの方のブログ(その他情報もこちらから江利チエミファンのひとりごと:続・あの歌 (5)旅立つ朝(あした)/(6)明日に生きる女)やWikipedia:江利チエミであらためて知りました。
1967年(昭和42年)に声帯を痛め、1969年(昭和44年)には、「紅白に出場して欲しい歌手」上位三名に入りながらも、「歌唱力が落ちたから」と落選。このレコードリリースの前年には、紅白復帰出場には、決まりながらも自ら辞退(この辞退は、紅白史上初めてのことだったのですね。「かわいそうだ」とうちの祖母もあとあとまで、こういったことでの紅白批難はたまにしておりました)。同じ年には、自宅の火事も。
そして、『旅立つ朝』が発売された1971年(昭和46年)には、ほんとうにお辛かっただろうなぁと思ういろいろなことがあり。
1982年(昭和57年)に、お若くして45歳でお亡くなりに。いつも明るい方だったとうイメージですが、江利チエミさんの人生は45年と短いながらも、とてもとてもいろいろなことを経験され。
東京、下谷生まれで生家は、ご近所だったということもあり(交流があった訳ではないのですけれど)、祖母はチエミさんの歌のことはもちろんですが、そのほかの面でもいつも応援してました。
(「三人娘」では、祖母は江利チエミさんと美空ひばりさん贔屓、母は雪村いづみさん好きでした)
この曲、『旅立つ朝』は、そんな江利チエミさんだからこその歌という気がします
(B面『明日に生きる女』は、オンライン・レコード・ショップ「LoveshopRecord」でちょっと聴くことができました。こちらもとってもいい曲ですね)。
(投稿:日本 2010年6月27日、ハワイ 6月26日)
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