昨日は、皇居周辺の桜散歩おでかけについてでしたが
白木秀雄クインテットとスリー琴ガールズ SAKURA SAKURA(皇居周辺桜散歩)
北の丸公園の東京国立近代美術館で現在開催中の「生誕100年:岡本太郎展」にもいってきました。
岡本太郎さんといえば、こどもの頃からその存在を知っている芸術家。つくづくすごいなぁと思うのは、こどもでも(わたしだけではなく)、名前を知っていたとうことにとどまらず、「岡本太郎っぽい」という感じで、その作風もみんなが知っていたということ。ほんとうに日本を代表する芸術家、そして、二十世紀を代表する芸術家のひとりなのではないかと思うのです。
太郎さんの作品は、大好きで、まだ数は多くはないものの、街でみかける岡本太郎さん作品なども機会あれば写真におさめています(パブリックアートの意義についても、まとめてみたいのですが、また今度にでも)。
岡本太郎さんが生きていた時代に生まれていたこと、こどもという多感な時期にその作品に触れていたこと、そして、そんな、こどもの頃からなじみがあった岡本太郎さんの作品をわが子とみることができるということは、とてもうれしく思います。
作品やワークに関してはいうまでもなく、なので、みどころ、展示作品などはオフィシャルサイトのリンクを貼らせていただきます。
生誕100年:岡本太郎展:みどころ
生誕100年:岡本太郎展:展示作品リスト
この生誕100周年展、こどもの入場にあたっては、岡本太郎展こどもセルフガイドというもをいただけるのですね。そちらのガイドをみながら、どの作品が好きか、どんな感じがするか、など話しながらまわってみました。
こどもセルフガイドは、自分で好きな作品のまとめをできたり、太郎さんの特徴的な「顔」をテーマにした彫刻作品ではどの顔が好きかなど、とても楽しいつくりになっているのですが、その中に、わかりやすいく、ちゃんと、メッセージがあるのですね。
例えば、「燃える人」(1955年)では、「この絵をみて、どんな感じがする?」という問いと作品の説明。
「…この作品が描かれる前年に、南太平洋で操業していたマグロ漁船第五福竜丸が、アメリカの水爆実験で被爆するという事件が起こりました。「原子爆弾にさらされた人間」をテーマにするこの作品には…」など。
「明日の神話」下絵(壁画は渋谷駅に)では、「見つけてみよう!」とあり「ほのおふいてもえあがるガイコツ」、「マグロを引っぱる船」などの例のあと、自分で言葉を書き込むようにキノコ雲、炎、悲劇のひとびと、乗り越えていこうとする人間の力の象徴のようなモチーフが。
岡本太郎さんは、ベトナム戦争への抗議広告もしかり、つねにアートにメッセージをこめて送り出していたのですよね。
生誕100年:岡本太郎展:みどころ:戦争との対決
あの代表作でもある大阪万博(日本万国博覧会)の太陽には、過去、現在、未来と、いろいろなメッセージがあるということ、あらためてなのでした。
日本万国博 太陽の塔 テーマ館:
石坂浩二さんの解説ナレーションとともに。
日本万国博の記録(1970)
企業の品評会に終わらせず、人々の祭典にしたいと、太郎さんがねがった万博、「巨大な祭り」
わたしは、当時2才ぐらいだったのですが、ありがたいことに、万博に連れていってもらえたのです。
ただ幼かったので、はっきりとした記憶はもちろんなく、写真や親からあぁだったこうだったという話から自分の記憶になったようなものなのですが…。
親や姉から聞かされる話では、なんでも、「太陽の塔」の中の展示では、わたし、とっても泣いていたそうです。この話は、親から「せっかく…」という話でよくでてくるのですが…。
そうなのです、「とってもこわかった」のですね、きっと。泣くほど。それは、ある種、正しい(?)感情、感想だったのではないかと、いまはなんとなく。
「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」と謳った岡本太郎さんの生きざま、NHKで放送されたドラマ「TAROの塔」でやこの展覧会、いまおこっていること、いろいろなこととあわせてみて、そんな風に思ったりするのです。
生誕100年:岡本太郎展:みどころ:「きれい」な芸術との対決
『壁を破る言葉』岡本太郎:
芸術とは、まさにそうなのでしょうね。そして、わたしの現在までにいたる物事の考え方は、日々の生活だけではなく、アート(音楽ふくむ)であったり、さまざまなものを通して、感じて、できあがったものなのでしょうね(万博の記憶はそこまで明確かどうか…?ですが)。わが子も、きっとそうして、おとなになっていくのですね。
この展覧会では、「どの作品がすきだった?」とたずねたら、「美女と野獣」、「樹人」、「作家」、「駄々っ子」だといってました。
[音楽関連、その他、ちょっとした気になる岡本太郎さんもの]
以前から、大好きな曲、ユキとヒデの「スノー・ドルフィン・サンバ」。題字が岡本太郎さんだったこと気になってました。芸術に関する著書が多い中、「岡本太郎の挑戦するスキー―白い世界に燃える歓び (1977年)」というものがあるのですね。太郎さんは、スキーがお好きだったんですね。
当時流行していた白いスキー板と白いウェアに対抗して、カラフルなデザインの板とウェアを作ったりしていたそうです。
ユキとヒデ:スノー・ドルフィン・サンバ
作詞:作詞中村小太郎、作曲・編曲: 渡辺貞夫、題字:岡本太郎
(これ、前にもスキーに行ったときの日記に使わせてもらってます)
40後半で初めてスキーに挑戦したそうですが、こんな名言もあるようです。
岡本太郎スキーで骨折時「僕がコケたんじゃ無い!地球が僕の周り2回転半したんだ!
だから 大丈夫か?地球!と地面をパンパンしてやったンだ!」
その他、レコード題字ものは、シーザー武志さんの「シーザー」があるようです。
清野茂樹:【格闘レコード研究】シーザー武志のミニアルバム「シーザー」
太郎さん、ボクシングもお好きだったとか。戦う感じ、立ち向かっていく感じでしょうか。
今回、おみやげにアートピースコレクションを買うのを楽しみにしていたのですけど、売り切れでした。残念…。特設ショップでもこれから入荷の予定もあるとか。
カプセル「生誕100年 岡本太郎展」会場限定 岡本太郎 アートピースコレクション 全8種セット
でも、お茶碗買いました~:D
ほんとは、時計も欲しかったのですけれどね、お値段が…で。
思ったこと、感じたこと、すべてはまとめられないので、つづき、また書くと思います。
(投稿:日本 2011年4月10日、ハワイ 4月9日)
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