惣領泰則さんのことについて知りたくなっていったのは、やまがたすみこさんがきっかけでした。
TINNAやステージ101などでも惣領泰則さんも意識して活動をみてみましたが
TINNA (ティナ) MONDAY MORNING RAIN
ステージ101 ファースト/ 赤い屋根の家 (アルバム)

惣領泰則さん関連は、ジム・ロック・シンガーズ時代も含めまだまだいろいろと聴いてみたいものはたくさん。そんな中、シングアウト(樋口康雄さん=PICO石川セリさんも)、ステージ101の後のアメリカ活動、MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤーレコード社)時代のBROWN RICE!ついに聴くことができたので、活動も少し調べてみました。

すりいこおど-1970年代周辺の日本のフォーク&ロック:ブラウン・ライス「旅の終りに」(1975.7 EXPRESS ETP-72073)
シングアウト時代から詳しく、わかりやすくまとまっていてとても参考になりました。深く感謝です。
敬意を表しつつ、ブラウン・ライス関連部分を転載させていただきます。

1971年3月、樋口康雄を除いて、シングアウトはヤング101を卒業。惣領泰則はベースの金田一昌吾、ボーカルの池田美和(よしかず)・国立音楽大学に入学したばかりのキーボード兼ボーカル吉原智子、ボーカルの浜芳江の5人でブラウン・ライスを結成

1971年5月、アメリカMGMレコードの社長、マイク・カーヴが来日。ブラウン・ライスはオーディションを受け合格。7月に本契約。

1971年8月~9月、渡米、著名アレンジャー、ドン・コスタが指導。惣領泰則はアレンジを。ロスのクラブ"Bombey Bicycle"に定期出演、ハリウッドのMGMスタジオでドン・コスタ6曲をレコーディング、『ON THE ROAD SIDE』。
(「五つの赤い風船がハリウッドのRCAスタジオで録音するのが72年3月、五輪真弓がカリフォルニア録音するのが72年6月、はっぴいえんどがロス録音するのが72年10月のことだ。
同じ71年にはフラワートラヴェリンバンドもカナダに渡っている」←こちらの情報も年代整理に感動!以前に書いた五輪真弓:五輪真弓 初期の活動:海外レコーディング先駆者ともリンクしてきました!)

Brown Rice:Tears Never Care Who Cry Them(1971年)
作:惣領泰則、Mack David & Mike Curb
編曲:Don Costa

こちらは、英日両語なのですね。



A面は、こちら『On The Roadside』
Brown Rice:On The Roadside(1971年)



1972年1月からオリジナル曲レコーディング(「6月にはメンバーの浜芳江ががロサンゼルスの通りで交通事故に遭い亡くなっている」そうだったのですね。あらためて合掌させていただきます)

1972年10月には日系三世の高橋真理子をメンバーに加えて活動を再開、日本に戻ってレコーディング←ここで高橋真里子さんなのですね。

1973年5月、MGMレコードの社長マイク・カーヴの要請で再度渡米、日本人として初めて米ユニオンのライセンス(労働許可)を取得。ポール・ウィリアムスの『I'll Never Had It So Good』をレコーディングし発売。スマッシュヒット。

Brown Rice:I Never Had It So Good(1973年シングル)
作詞・作曲:Roger Nichols & Paul Williams
いいですね。聴き入ります。詞、曲もすばらしく。



B面はこちら
Brown Rice:Find Me, Find Me(1973年シングル)
作詞:Norman Welch、作曲:惣領泰則
この曲、とってもすてきです!感動しました。歌詞もメロディーも。やっぱり惣領泰則さんってすごいです。



1973年7月、全米各地・ベネズエラ・カナダ・メキシコをツアー

1973年9月にはなんとポール・マッカートニーから「COUNTRY DREAMER」というオリジナル曲をプレゼントされMGMから発売、日本でも阿久悠の詞をつけて「カントリー・ドリーマー」として発売

こちらですね。
Brown Rice:Country Dreamer(1973年)



Brown Rice:Country Dreamer 日本語ヴァージョン(1973年)



1974年、渡米してきたドラムスの市原康、キーボードの江夏健二(現在名ウォン・ウィンツァイ)がメンバーに

1974年2月、イギリス人歌手エンゲルベルト・フンパーディンクに認められ、全米30週間におよぶツアーのオープニングアクトを契約。
「計70万人を動員。ロサンジェルスではフランクザッパ、WARと共にコンサートを公演している」←この辺りも思ってた以上。すごかったのですね、BROWN RICE。

その後、ラスベガスに一軒家を購入。自分達の手で3ヶ月がかりでスタジオに改造、日本の音楽関係者のツアーが組まれる、などあったそうです。
このお話はなんとなく知ってました「活躍の代償に待っていたのは、高額な税金だった。ついには活動中止を余儀無くされてしまう」。アメリカも税金かなり…。
1974年10月、その自分達のスタジオでオリジナル曲のレコーディング、アルバム『旅の終りに』の制作開始

象徴的なアルバムのタイトルですね。

1974年12月にそのテープをもって、帰国。日系三世の高橋真理子はアメリカに残った。

1975年4月、アルバム『旅の終りに』が制作され、7月をもって、解散。こうして3年半に及んだブラウン・ライスのアメリカンドリームは終りを告げる。

Brown Rice:U.S.A. #1
作詞・作曲:惣領泰則(1975年)



♪何もかも捨ててアメリカに来た
この広い国を端から端まで
なにもかもわからずチンプンカンプン
青いバスを買い、楽器をつめこんだ

ところがこの国はむずかしい国で
歌を歌うにもお許しが必要
そこで困った、どうしようかなぁ
あきらめてお家に帰ろうかなぁ

それでもどうにか許可をもらって
この広い国で歌いはじめた
睫毛の凍るカナダの山奥からサボテンのメキシコまで
もう何度も往復をしたから
そろそろ様子を知らせよか~

うれしいじゃないか、すばらしいことさ
どこへ行っても拍手はやまず
うれしいじゃないか、すばらしいことさ
どんな人間も歌を愛する~♪

再度、情報に感謝いたします!
すりいこおど-1970年代周辺の日本のフォーク&ロック:ブラウン・ライス「旅の終りに」(1975.7 EXPRESS ETP-72073)

[U.S.A. #1]
わたしは、アメリカでも島に住んでいたので広い国すべてを知りませんが、『U.S.A. #1』なんかいろいろと感じる部分があります。

ブラウン・ハウスの作品、もちろん事情としてもむずかしいのでしょうが、もちろんアルバム再発願います!心から。

(投稿:日本 2011年2月12日、ハワイ 2011年2月11日)


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