ちょっと前にテスコのギターについて気になりさっとなまとめ、そして先日は「エレキの若大将」を観たり。エレキ・サウンドはもともと好きだったりするのですが、日本のエレキ、楽器もサウンドも、あらためて自分の中での気になりごとであったりします。

そんな中、グヤトーン(Guyatone)も気になってます。
オフィシャルサイトでは当時のカタログのギャラリーがあるのですね。見入ってしまいます。
Guyatone Catalog Gallery
http://www.guyatone.jp/sub_menu/catalog.htm

初期にはだれが使っていたのかなと調べたりしてみました。
成毛滋さん、そうでした。絶対いままでにも、そんな感じの話、目にしたり、耳にしたりしていたのに、いままでそこまで把握しきれていなかったのでしょうね。

成毛さんのギター信念は、「高くていいのは当たり前、安くていいのが素晴らしい」。ご自分でもかなり早い時期から日本人にあるものなどを基本とし、改造したりして、使ってらしたのですよね。
「高い物より安い物」、「有名ブランドより無名ブランド」、「本物より○○もどき」
安価で性能は高く。手のサイズが小さい日本人には、ナローネック、スリムネック、ミディアムスケールを採用すべきなどと、ギターを弾きこなした方ならではの。

もっとも、このポリシーは高校生のときから。
高校2年生の時、国内の当時まだ無名ブランドであったグヤトーンのモデルを手に入れ、自分にあわせて改造。雰囲気は、フェンダー・ストラトキャスターに似せて、そのギターを「ウソラトキャスター」と。
ネーミングセンスもバツグンなのですよね。
ほかにも、「イッケンバッカー(リッケンバッカー風)」や「ニテレキャスター(フェンダーのテレキャスター風」など改造ギターに命名。

そして、1966年5月、ザ・フィンガーズはフジTVの「勝ち抜きエレキ合戦」に出場。4週勝ち抜いてグランド・チャンピオンになり、6月の「歴代グランド・チャンピオン大会」でも優勝。
(こちらの話など…ザ・フィンガーズに関しては、とてもくわしく書いてらっしゃる方がいらして、何か知りたいなというときにはこちらのサイトを拝見しています)

THE FINGERS BIOGRAPHY  
ザ・フィンガース時代含め当時の高校生音楽シーン、バンド話なども。

ザ・フィンガースは「勝ち抜きエレキ合戦」にはT.I.C.を代表として出場したのですね。ザ・フィンガーズの優勝は、T.I.Cをも有名にしたそうですね。
T.I.C.とは、ザ・フィンガーズが所属し、三笠宮や都倉俊一さん、小松久さんもいたオーガニゼーション
(T.I.C.についてももう少し調べたりしたいです)

先日、その当時のテレビ出演映像をみつけたのですがなくなっちゃったみたいですね。みつけて、見ることができただけでも幸せだとは思っておりますが、もう一度みたいです。

ザ・フィンガーズに関しては「ザ・フィンガーズ 失われた世界」として、以前も書いているのですが、動画状況に変化があったようなので再び。

メンバー変遷:
1期:成毛滋、高橋信之、斉藤茂一、朝吹誠、三野村清雄
2期:成毛滋、高橋信之、斉藤茂一、朝吹誠、
3期:成毛滋、高橋信之、関口恵一、高須研一郎
4期:成毛滋、高橋信之、関口恵一、高須研一郎、蓮見不二男(クリストファー・リン)
5期:成毛滋、高橋信之、シー・ユー・チェン、松本宏三、クロード芹沢

2期、3期のころには、その後メンバーになるザ・ヴィンディケイターズの関口恵一さん、ザ・コミックス、ザ・プラネット、ザ・ルーレッのメンバーも助っ人として参加。ブッダズ・ナルスィッスィのドラムの高橋幸宏さんも、信之さんの弟ということでヘルプ参加。

その後…

ザ・フィンガーズ:ツィゴイネルワイゼン(1968年)



エレキ合戦での優勝でプロデビューとなったようなザ・フィンガーズなのに成毛さんは事務所にギターを弾く事を禁じられてしまったのですね。もっとGSっぽく、そして、国際的なメンバーの雰囲気からもっとちがうサウンドとルックスもという感じで、オルガンを弾くようにと。

そのコンセプトもいまひとつ。

1969年1月には、日劇ウェスタンカーニバルに「その他大勢」で出演だったそうです。1969年6月、解散が決定
解散が決まっても既に入っていた仕事。
残務整理をする事にり、もう解散するんだからということで、成毛滋さんはギターを弾けるようになり、「ジャズ喫茶の第三ステージは「ヴァニラ・クリーム」と称してギターを持ち、シー・ユー、松本と3人、高橋とクロードはタンバリンとマラカス­専従。成毛さんは、右手でオルガン、左手でギターを弾いて演奏した」とあります(すごすぎます!)

これがそのころですね。かっこいいです!!

VANILLA CREAM(THE FINGERS):CONFUSION(1969年)
                       


「皮肉なもので、急に客が増え始め~シー・ユーには「追っかけ」が。GSの人気投票は圏外の200位以下から17位まで上がり、ジャズ喫茶で共演したバンドの反応は“アレッ、成毛君ギターも弾けるの‥?”と言った」 だったそうです。
ユーミンのザ・フィンガーズ、シー・ユー熱はこの頃ですね。でも、ユーミンはほかのファンの娘より断然近かった。

というのが、グヤトーンも成毛滋さん、近日の気になりごとでした。また別の形で書くと思いますが。
グレコも書かないと。

「成毛君ギターも弾けるの‥?」って。

成毛滋のGreco ロック・ギター・メソッド! :



[ザ・フィンガーズとの出会い]
ザ・フィンガーズに関心をもったのは、ユーミンからで、昨年のNHKBS2「MASTER TAPE~荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る~」視聴後に。でも、思えば、きっともっともっと前に一度、関心を高橋幸宏さんから高橋信之さん(お兄様)にも興味をもち、そのときにも絶対少し気になってたはずなのですけれど、当時は中学生でしたし、いまのようにネットもなくでした。
それを考えるといまってすごい時代ですね。

ザ・フィンガーズは、メジャーでデビューしてからは思うようなレコード販売成績は残せずメンバーの意向とも異なったりですが、いろいろな方の活動、ムーブメントではかなりその礎のような存在でもあるバンドですよね。
ユーミンもユキヒロさんも、そのほか大勢の方に関わっていて、書ききれませんが。
メンバー蓮見不二男さんの作詞活動も。そしたらつのだ☆ひろさんの「メリージェーン」だって。

楽曲、まとめて聴きたいと思ってさがしてみたところ、『サウンド・オブ・ザ・フィンガーズ(紙ジャケット仕様)』はCDで購入できるのですね。
ただし、メンバーとしては、当時はこの感じの音には満足していたのかはいろいろと。
ほかのものも聴きたいなあと思ってます。

大好きな曲『失われた世界』はこのCDにも入ってません。いまは動画がないようで、残念。
この曲、ほんとに大好きなのですけれどね…(この曲もメンバー的にはいろいろあったのかな)

(投稿:日本 2011年2月13日、ハワイ 2011年2月12日)

そうそう、近田春夫さんのはじめてラジオ局来訪も成毛滋さんとでしたね。「東京人3月号」にも。
アラッポ・カーロの備忘録:東京人 2011年 03月号 「青春のラジオ深夜放送」

(投稿:日本 2011年2月14日、ハワイ 2011年2月13日)


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