本日、ちょうど、外出予定もあったので、青山のTAMBOURINE GALLERY(タンバリン・ギャラリー)での「ハワイ日系二世の記憶」写真展に行ってきました。この写真展は、主催の松元裕之さんという方が現在制作されているドキュメンタリー映画の一環ともいえるようなもので、約25人の日系二世の方の若い頃のお写真と現在の写真、そこに「NISEI」としての思い出やエピソードなどが添えてありました。
TAMBOURINE GALLERY:松元裕之『ハワイ日系二世の記憶』写真展

わたしも、すこし前に、こどものころからずっとお世話になっていた日系二世の知人を亡くし、この10年ほどで変わってきている、この世代の方の残してきたものをなんらかの形で残していかなくてはいけないなぁと、このところ、特に感じています。

つい、先日、入手した日系二世もの、まだこちらにまとめていなかったので、本日は、HAWAII SHOCHIKU ORCHESTR(ハワイ・ショーチク・オーケストラ/ ハワイ松竹オーケストラ)について書いてみることに。

HAWAII SHOCHIKU ORCHESTRAは、1940年代、ハワイの日系音楽シーンで大活躍したオーケストラ。以前にも書いたCLUB NISEI ORCHESTRA と人気を二分していたというたいへんにポピュラーな方たちだったそうです。

Hawaii Shochiku Orchestra:Paradise Honolulu
作曲:レイモンド服部



レコーディングは、正確な年号はわからないのですけれど、主に1947年から1950年にかけて多くが行われたようです。CLUB NISEI ORCHESTRAが、アメリカ的なものに日本文化をさせていたのに対し、このHAWAII SHOCHIKU ORCHESTRAはどちらかというと日本の曲をアメリカ的な手段でというような『安里屋ユンタ』など、琉球民謡を積極的に演奏したのも、特徴だったそうです。

中心メンバーは、フランシス・ザナミさんとマサジ・ウエハラさん、沖縄系日系二世。現在もホノルルのダイアモンドヘッド近くにある町、カイムキにある楽器屋さんHarry's Music Storeのオーナー、ハリー・吉岡さんもこのSHOCHIKUのトランペッターだったでのですね!(ハワイのスクールチルドレン、音楽やってる子たちにもおなじみの楽器屋さん。たて笛とかそんな感じのものもおいてます)

さきほど、レコーディングに関しては1940年代後半とあげていますが、フランシス・ザナミさんとマサジ・ウエハラさん二人がなんらかの形で音楽にたずさわっていたのは、1930年代から。
前身は、SMILE CAFE ORCHESTRA、もともとは、URUMA ONGAKUDANからスタート。

レイモンド服部氏との交流も深かったようで、先の『Paradise Honolulu パラダイス・ホノルル』のほか、『Honolulu Lei Selling Girl ホノルルのレイ売り娘』(なんか英題が直訳すぎて不思議な感じw)なども。
そのほか、レイモンド服部氏作曲以外にも、SHOCHIKUの特徴としては、ハワイ・オリジナルの日本語曲を数多く演奏していることも、あげられますね。
日系アメリカ大隊である第100大隊のマーチ『Hawaii Battalion ハワイ部隊』や『War Bride 軍人花嫁』など、時代を反映した曲を演奏していることも特徴です。

CLUB NISEI ORCHESTRAもそうですが、オーケストラ・シーンでの女性の活躍も興味ありです。SHOCHIKUには、CLUB GINZA GIRLSもかかせないようですし。



このあたりの音源、最近、すこしづつCD化されてきているようですね。レコードという形でも残っていないものがあったりするので、これは、音楽のみでなく、日系二世の軌跡を伝えるためにもよろこばしいことではないかなぁと思っています:)

アメリカのもの、ライナーノーツなど資料があまり十分でないことが多いのですけれど、このCDは珍しくくわしい情報が。せっかくなので、明日はもう少し、くわしい変遷と曲について、書いてみようと思います。

(投稿:日本 2011年2月22日、ハワイ 2011年2月21日)


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