このところ、都倉俊一さんのソロ・アルバムを聴いたりしてるのですが(このアルバムについては、あらためて)、そんな関連でサーチをしていて、またもや、そうだったんだぁと気づいたことがあったので、こちらに。
外タレ好きな日本では、1960年代から外国のミュージシャンの日本語レコーディングや来日記念盤レコーディングなどおこなわれてきましたが、1970年代になると、以前にもふれた村井邦彦さんプロジェクトのルネ・シマールなどのように、日本での活動も前提にしたプロジェクトが出てきますね。そんな感じで、ヒット曲メーカーである都倉俊一が手がけていたのが、フィリピンの姉弟シンガー、クリッパー(CLIPPER)。
参考自己もの:ルネ・シマール ミドリ色の屋根 ほか
TwitterのTL上でも何度か話題になっていたりするグループ、楽曲については、とり上げ始めるといろいろとあり、1更新分では書ききれないのですが、当時10才だったウォーレン君の美しい歌声、そしてクリッパーのコーラス・ワークをじっくり聴かせてくれるのは、やはりこの曲『BOY』ではないかと思います。
BOY(1978年)
作詞:島武実、作曲:都倉俊一、編曲:都倉俊一、田辺信一
クリッパー、2枚目のシングル。ダイアナ(長女)15才、デニス(長男)14才、ノエル(次男)13才、ウォーレン(三男)10才、ジョンジョン(四男)9才(公称年齢)
まさに天使的歌声。
日本での活動以前にもフィリピンですでに、音楽活動はしていたらしい彼らですが、日本での活動のために家族揃ってしばらくは東京で生活していたようですね。その様子はこちらのブログなどでもうかがえます。
BOY’S VOICE ~永遠の少年たち~:フィリピンの歌う天使達、クリッパー 第二弾
こちらは、メンバーの男の子たちもすっかり成長した数年後、フィリピン本国でのテレビ放送の映像。
ボーカルはお姉さん、ダイアナ。本国でのグループ名はNAIL-CLIPPER。
『BOY』この名曲は、都倉俊一さん自身もウィンズで、日本語と英語でセルフカヴァーしてますね。
で、この度、はじめて知ったのはこちらでのヴァージョンのことなのですが、『BOY』、詞は日本語が先ですが、あとに作られた英語詞は、なんとジャニス・イアン(JANIS IAN)だったのですね!(わたしは知らなかったので。相変わらずこのパターンは多いですw)。
ウィンズ(WINDS):BOY(1979年):英語ヴァージョン(YouTubeのリンクです)
英作詞:JANIS IAN 作詞:島武実 作曲:都倉俊一 編曲:都倉俊一・田辺信一
ウィンズ(WINDS):BOY(1979年):日本語オリジナル・ヴァージョン(YouTubeのリンクです)
作詞:島武実 作曲:都倉俊一 編曲:都倉俊一・田辺信一
ちょっと調べてみたところ、都倉俊一さんとジャニス・イアンは、仲良しなんですね。その辺りのことは、氏の著書などにも書いてあったりするのかなぁと、この本も読んでみたかったり。
新潮社:あの時マイソング ユアソング:時代と音楽(山上路夫さんによる書評)
[脱線]
成毛滋さんや高橋幸宏さんのお兄様、高橋信之さん、斉藤茂一さんのザ・フィンガーズ、三笠宮(ヒゲの殿下でおなじみ寛仁親王。1975年には、ニッポン放送のオールナイトニッポンのDJも担当)もいらしたアマチュア・バンドのサークル、T.I.C.(Tokyo Instrumental Circle)に所属していた都倉俊一さん、もともとはザ・パニック・メンのボーカリストとしての歌手デビューの方が作曲活動より先だったのですね。その辺りの話なども知りたいのですが、書いてあるのでしょうか。
参考:THE FINGERS BIOGRAPHY
ザ・フィンガーズはユーミンも関連。
ザ・フィンガーズ 失われた世界
(投稿:日本 2010年10月27日、ハワイ 10月26日)
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