ザ・タイガース時代からの長年のファンの方は、当然のようにご存知なのでしょうが、ジュリーが1970年代半ばから後半にかけて(1975年~1978年)、フランスをはじめとし、ヨーロッパの国々でシングルやアルバムをリリースをしていたということを1、2ヶ月前に知りました。それ以来、ジュリーのフランスでリリースされた曲の数々がとても気になっています。
『MON AMOURE JE VIENS DU BOUT DU MONDE(恋人よ、世界の果てから僕は来た)』(作詞:G.Sinoue、作曲:G.Costa)がフランスに進出の第一弾。この曲の日本語版は、フランスでの発売より数ヶ月あとのこと、歌詞も山上路夫さんによる訳だったようです。映像は、PVといってよいのだと思うのですが、曲どおり日本からきたということをかなり強調したつくりに。
この海外進出は、「世界で活躍するスター」としての日本へのアピールだったようですが、仏ヒットチャートでトップ1(第1週)を取り、フランスのゴールデンディスク賞も受賞。ティーン雑誌の日本特集にもとりあげられていたようです。(沢田研二はかつて、おフランスでもアイドルだった:http://www.excite.co.jp/News/bit/00091152685040.html)
こちらは日本での『巴里にひとり』。夜のヒットスタジオ出演時のものですね。一度めの結婚(元ザ・ピーナッツの伊藤エミさんと)の直後だったようで、電報のお祝いも。
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ジュリー最大のヒット曲『時の過ぎいくままに』のちょっと前のことなのですね。
『ITSUMI(いづみ)』。この曲は、のちに香港の歌手、林子祥(ジョージ・ラム)さんが『澤田研二』というタイトルでカヴァーしています。歌詞はジュリーを賞賛するものだそうです。(林子祥(ジョージ・ラム)さんの『ITSUMI』はこちら)
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『Juliana』、ちょっとポップな感じで、先の2曲とは違った感じ。ハンドクラップやコーラスの感じが好き。3枚めのシングル『Attends-moi』のB面だったようです。
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『Attends-moi』はYouTubeでごらんください。
http://www.youtube.com/watch?v=cly7QcMY_cM
『MA GEISHA DE FRANCE』は、タイトルからするとフランスの芸者のという意味のようですが。日本だからという感なのでしょう。
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こちらの5曲は、英語、日本語の数曲とともに『KENJI SAWADA(Paris, London, Tokyo)』というアルバムに収録されているようです。
フランスでの4枚めのシングル『ELLE』。フランス語がわからないのが残念なのですが、歌詞の中に「ノスタルジー」とかあるので、思い出を歌ったラブソングのようですね。
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5枚めのシングルとなった『Julie Love』は、ポップな感じで、かなり気に入ってます。画像は少しみづらいのですが、感謝です。フランス語でのほかのシングル曲は、ベルギーやオランダでも発売されていたようですが、こちらはフランスのみでリリース。
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小学生だったわたしが、「ジュリーってかっこいい!」と思うようになったのは、『勝手にしやがれ』あたりから。そして、その後のザ・ベスト・テンなどの邦楽ランキング系の歌番組での活躍を通して、「見せる・魅せる」ジュリー時代という感じが中心。それ以前の活動は、テレビの特集などでを通してしっていたのですが、フランスでの活躍、もっと知りたい感じです。
参考:Wikipedia:沢田研二 くわしいディスコグラフィーが掲載されています。
(投稿:日本 2010年1月17日、ハワイ 1月16日)
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