きょうは、天皇誕生日。今上天皇明仁さまは、今年で77歳、喜寿を迎えられたのですね。激動の昭和時代に少青年期をすごされ、また、皇太子時代には、いろいろな初めてを皇室にもたらされた方でもあります。昭和8年生まれということで、わたくしの父とも同じ年、もちろんお立場はちがいますが、同じ時代を生き、過去にはちょうど同時期に同じように体調をくずされたこともあって、よく重ねあわせて拝見することも。本日の誕生日会見もお元気で、ご自身のこと、ご家族、時勢などしっかりと受け止めお話されているのが、とても印象的でした。
ご専門でらっしゃる魚類の研究においては、少年時代に絶滅を危惧された思い出があり、一度は絶滅したと思われていたクニマスの西湖での再発見をお喜びになっているお話は、興味深く、京都大学中坊徹次教授、「さかなクン」や他の研究者の研究への感謝の意をのべられていたのは、親しみをもって拝聴させていただきました。
ANNニュース・チャンネル(2010年12月23日)より。
クニマスのお話は3:50あたりから。
つづくコメントからはじまるクニマスつづき。
日本魚類学会。さかなクン、天皇陛下に会う
FNNニュース(2009年10月20日)
魚を愛するひとの思いがとげたクニマス再発見。つかった。この発見をしたのは、お魚タレントで東京海洋大学客員准教授のさかなクン、喜びをもたらす。
FNNニュース(2010年12月15日)
このクニマス関連「さかなクン」のコメントもですが、先にも触れさせていただいたよう、今上天皇からは、天皇としての公務はもちろん、皇室初めての試み、国民とその生活への思いを感じます。そんな陛下は、親しみをもてるようなエピソードも多く、気になったものをこちらに。
天皇陛下にまつわるエピソード:個人的に気になりなものも(Wikipedia:明仁)
ある意味断髪:
慣例に従い、女児に近い格好で育てられていたが、学習院初等科入学に際し、おかっぱに伸ばしていた髪を無断で刈られ数日間塞ぎ込んだ。その後、「これからは、黙ってこんなことはしないでね」と精一杯の抗議をした。
:) かわいらしいです。
チャブ:
学習院初等科時代に、色黒だったことから蚊取り線香の素焼きの香炉を想起させたため「チャブ」と学友たちによってつけられた愛称が伝わる。
:) なんか親しみ感じてしまいます。
思春期の悩み:
思春期には思い悩むことも多く、「世襲はつらいね」などと漏らしたことを学友がのちに明かしている。またそうした辛いときに両親である天皇皇后と別々に暮らさざるを得なかった体験が、後に子供たちを手元で育てることを決意させたともいう。
今上天皇明仁さま、ご誕生の折には、第5子にして初の皇子誕生とあって、国民的な祝福を受け、歌がささげられ、その他にも、多くの歌に歌われる方でもあります。
77歳のお誕生日をお祝いして、そんな歌をちょっと集めてみました(かなり、ひっぱってしまいましたが)。
説明は各動画者のコメントを参考にさせていただきました。
皇太子さまお生まれなった:
明仁さまご誕生を祝して昭和9年(1934年)に作られた作品。
謹作:北原白秋、謹曲:中山晋平、謹唱:平山美代子・高山得子・松本俊枝
ビクター
北原白秋は他にも幼少時代の親王を称える歌「継宮さま」を作詞しているそうです。
可愛いい皇子さま:
ご誕生の翌年、昭和9年(1934年)の作品。
謹作:西條八十、謹曲:中山晋平、謹唱:平井英子・本多信子・平山美代子
夢の中のプリンス:雪村いづみ
こちらは、以前に雪村いづみさんについて書いたときにも紹介したましたが、1958年の作品。
今上天皇の皇太子時代のテーマソング。
皇太子殿下ご成婚の慶祝ムードの中、ラジオやテレビでくり返し流れていたそうです。
雪村いづみ 思い出のワルツ/ ディズニー曲カヴァー/ 夢の中のプリンス
祝典行進曲:
作曲:團伊玖磨
昭和34(1959)年4月10日の皇太子殿下(今上天皇陛下)のご成婚を祝して、朝日新聞社と東芝レコード会社が委嘱したコンサート・マーチで。その年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲(高校の部)にも採用。昭和39年の東京オリンピック入場行進にも演奏(古関裕而作曲のオリンピック・マーチの後、5曲目に演奏。指揮/松本秀喜)され、国内はもとより国外でも盛んに演奏される日本を代表する名行進曲。
陛下がもたらした革新は、なにより民間人である美智子さまとご結婚されたことですね。
美智子さまとのご結婚:
1957年(昭和32年)8月19日、避暑で訪れた軽井沢のテニストーナメントで正田美智子と出会う。テニスを通して交際を深めた。宮内庁職員の作品展に「女ともだち」と題した彼女の写真を出品した。しかし彼女が資産家の令嬢とはいえ皇族・華族出身ではないためお妃候補としてマークされることはなかった。徐々に皇太子が積極的に美智子との結婚を考えていると判ると、皇室内外から猛反対を受けた常磐会(学習院女子部の同窓会)会長松平信子ら旧華族の女性たちの反発も強く、信子に対しては昭和天皇自ら了承を求めてようやく決着したとも言われる。最終的に1958年(昭和33年)11月27日、結婚が皇室会議において満場一致で可決された。
1959年(昭和34年)1月14日に納采の儀が、同年4月10日に結婚の儀が執り行われた。明治以降では初の民間出身の皇太子妃であり、また結婚に至る過程が報道されたこともあって、市民からは熱烈に歓迎され、国民的な「ミッチー・ブーム」が興る。成婚のパレードは盛大に行なわれ、国民の心からの祝福を受けた。2人の成婚の様子を見るために、当時高価であったテレビも普及し始めた。
:) 皇族と平民の結婚ということにおいてのみではなく、平民に希望を与えるような事件であったかと。
太陽の花:EXILE
天皇陛下御即位20年奉祝曲
作詞:秋元康、作曲:岩代太郎
こんなものをみつけました。
↓
皇室レコード・浩宮さま声のアルバム:女性自身付録
陛下ものではないのですが、美智子さま・華子さま・貴子さま・甯子さま、現皇太子殿下のお声を収録した別冊女性自身秋の特別号付録のソノシート。
いまでも女性週刊誌「女性自身」では皇室の話題はよくとりあげられていますね。
余談:同じ光文社から発行されている「JJ」は女性自身の頭文字です(全然関係ないですけどw)
天皇として、琉歌を詠んだのも初めてだそうです。
琉歌を詠んだ初めての天皇:
かつて琉球王国を征服した島津家(越前島津家・重富島津家当主・薩摩藩国父島津久光、明治維新後玉里島津家当主として10万石、華族令において公爵、島津久光公爵家初代当主)の血を引いていることから、沖縄への思いは深く、琉歌を幾つか詠んでいる。琉歌を詠んだ天皇は史上初めてである。
(投稿:日本 2010年12月23日、ハワイ 12月22日)
にほんブログ村
にほんブログ村
0 コメント
コメントを投稿