昭和のレビュー史を語るになくてはならない存在である、ムーランルージュ新宿座。
昨日、歴史を語るドキュメンタリー映画『ムーランルージュの青春』を新宿、K'sシネマ観てきました。

これから全国各地で上映も予定されているようです。
「ムーランルージュの青春」オフィシャルサイト

ムーランルージュ新宿座は、1931年(昭和6年)の開館から、1951年(昭和26年)5月の閉館まで、多くの俳優、劇作家、歌手を輩出し、歌と踊りとバラエティの文化を築いてきた殿堂。

このドキュメンタリー、もともとは、ムーラン出身の方々のコメントや画像をもとに当時のムーランの様子をたどるというもの。



多くの方々がすでに他界されてはいるのですが、まだご存命の方々からの貴重なコメントは、いまだからこそ、というときですね。

トップスターだった明日待子さん(現在は、北海道で日舞の名取となり五條珠淑さんとして、活躍)や同じくトップスターだった小柳ナナ子さんのお嬢様、奈良典子さん(後期子役として舞台に出演)をはじめとし、さまざまな方のインタビューなどから、当時のムーラン文化を伺い知ることができました。

レビューの内容は、歌とダンスはもちろんのこと、浅草とはまたことなる流れと特徴をもち、文芸部が中心となった軽演劇や、世相を反映した日替わりの哲学講座というショートプログラムもあったそうです。

あった場所は、東京市淀橋区角筈、いまの新宿3丁目「新宿国際会館ビル新宿国際劇場ビル」のあたり。
(旧町名:余談:角筈の町名はいまはありませんが、区の行政区分というか図書館の名前などに残っています)


ほんとに数多くの方々が関わってらしたので、語るべきことは多いのですけれど、それぞれのご活躍をちょっとここで一度に全部まとめることはむずかしく。

プログラムの内容とあわせて、また折に触れてすこしづつ、たどっていきたいと思います。

プログラム、表紙は、宇野亜喜良さんが描いた明日待子さん
掲載の当時の写真や年表もあり。

From ミュージック・映画・文学関連

From ミュージック・映画・文学関連

ということで、きょうは、まずはで、当時在籍されていたおもな方々のお名前をこちらに。
人気がでてくると引き抜きもあり、在籍年数はまちまちですが、その後、映画の世界などに移った方も、みなここを足がかりに次のステップへと。劇場自体も、またそんな活躍をよろこんで見守っていたそうです。

俳優・歌手:
高輪芳子、有馬是馬、森野鍛冶哉、轟美津子、春日芳子、水町庸子、望月美恵子、明日待子、小柳ナナ子、水島道太郎、武智豊子

左卜全、有島一郎、宮城けんじ、由利徹、三崎千恵子、春日八郎、沢村いき雄、市村俊幸、水谷八重子 (初代)、千石規子(ジャバというニックネームがあったのですね…)、郷宏之 (青木湯之助)、若水ヤエ子 、楠トシエ 、森繁久彌、谷幹一、ハナ肇

と後期の方々は、テレビ時代黎明期の活動にもかかわり、ご活躍された方も多いですね。
大好きな方も多いです。

楠トシエ:りんごの唄 La pomme est un fruit
レビュー的なイメージ




心に残ったエピソード:

明日待子さんは、雑誌モデルやキッコーマン、カゴメ、加美乃素、カルピスの初恋の味の初代モデルとしても活躍というアイドルのはしり。戦時中、出兵前の学生たちの「明日待子、万歳!」という声援をうけ…というエピソードはなんともいえない思い出とのこと。

ムーランには、新宿拠点の方を中心に(新宿近辺は作家の都でもあります)当時の作家や映画監督なども多くおとずれていたそうで、その支持にもさらに関心をいだくこととなりました。

また、かなりの関心事となりつつあるのが、中村公彦さんの足跡。
1950年代、1960年代の松竹、日活での自分の中でとても気になる映画美術をてがけていたことを知り、いま、中村公彦さんのワークについて、もうすこし知りたいなぁと思っているところです。
中村公彦さんが美術を手がけた映画。実にたくさん
中村公彦 (ナカムラキミヒコ):美術
この本も、読んでみたい。



この映画に触れ、以前よりさらにムーランへの興味が深くなり、またまたお題は増えていくのでありました。

(投稿:日本 2011年10月1日、ハワイ 9月30日)

にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 音楽ブログ 思い出の曲へ




0 コメント