もうひとつの暮らし的ブログの方では、年末年始のことなど書いてみたのですけれど、こちら音楽ブログでも新春ということで、ちょっと日本の音楽、ということを考えてみたことを。

『越天楽』、とくにお正月のものにかぎられたというわけではないのですが、日本を感じ、そしてめでたさを感じる雅楽の演目。

宮内庁式部職楽部:越天楽



越天楽そのものについては、ここでは、Wikipediaにある解説などを流用させていただきますが

Wikipedia:越天楽
「原曲は中国・前漢の皇帝文帝の作品と伝えられている。しかし高祖・劉邦の軍師張良の作曲であるという説や、日本での作曲である説などもあり、実際の所はよくわかっていない。また、現在伝わっている平調越天楽は、旋律が他の唐楽に比べ独特であること等から、原曲ではなく、盤渉調に渡されていた(別の調子に合わせて編曲された)ものを、原曲が絶えたため平調に渡しなおされたものであるともいわれている。

近衛秀麿による管弦楽編曲版(1931年)も有名で、レオポルド・ストコフスキーによっても度々取り上げられた。
松平頼則作曲の『盤渉調越天楽の主題によるピアノと管弦楽のための主題と変奏』(1951年)は、平調とは異なる盤渉調の越天楽のメロディを採用しつつ、十二音技法やブギウギとの融合も試みており、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮とイヴォンヌ・ロリオの独奏で演奏されるなど世界的に評価されている。
伊福部昭にも『交響舞楽「越天楽」』と題したオーケストラによるバレエ音楽があるが、これは創作的意図で書かれた独自の作品である」

と(特に後半に)あるように、日本の音楽として、近代の早い時期から海外でも注目されているものなのですよね。

近衛秀麿による管弦楽編曲版:
演奏:東京都交響楽団、指揮:沼尻竜典



そんなこともあり、自分の中で『越天楽』は、ジャズ・アレンジそのほかいろいろと気になっている作品なのです。

動画にはないのですけれど、原信夫とシャープス&フラッツのニューポートジャズフェスティバル(1967年)での演奏や小原重徳とブルーコーツ(1978年)の演奏を耳にしたのが、そんなきっかけのはじまり。
(原信夫とシャープス&フラッツのものは、「ニューポートのシャープス・アンド・フラッツ」で試聴もできますね)



そして、最近になってようやく気づいたのは、ザ・スパイダースはメジャー・デビューの1965年に、2枚目のシングルとして、この曲を「越天楽ゴーゴー」としてリリースしているのですよね。

ザ・スパイダース:越天楽ゴーゴー(1965年11月15日)




日本のビッグバンドとして初めてニューポートジャズフェスティバルにのりこんだ原信夫とシャープス&フラッツしかり、洋楽を取り入れ消化し、個性を確立していったザ・スパイダースしかり。1960年代の時代の風ということもあるのですが…
(これは、1931年の近衛秀麿版もふくめです)

『越天楽』いろいろを聴き、また、その試みのことを考えるにあたり、いつも思うのは、世界の中の日本、ということなのです。トーキョー・サウンド、ジャパン・サウンド(あえてジャパニーズ・サウンドではないのです、ここでは)。

世界的に評価されるということは、やはり日本を知ることであり、そして、日本を知るためにも世界を知ることが必要なのではないかと。

つねづね思っていることであり、これからも、日本の音楽シーンについて、と、ずっと考えることなのですけれど、いま、またあらためて、これからの日本のことも考えながら年のはじめに、なのでした。

最後に
今様の詞は、日本の四季を謡ったものとなっていますね。やはり日本の四季、そのうつろいは美しいものなのです。。。

春のやよいの あけぼのに 四方の山べを 見わたせば
花盛りかも しら雲の かからぬ峰こそ なかりけれ

花たちばなも 匂うなり軒のあやめも 薫るなり 
夕暮さまの さみだれに 山ほととぎす 名乗るなり

秋の初めに なりぬれば ことしも半ばは 過ぎにけり
わがよ更けゆく 月影の かたぶく見るこそ あわれなれ

冬の夜寒の 朝ぼらけ ちぎりし山路は 雪ふかし
心のあとは つかねども 思いやるこそ あわれなれ




(投稿:日本 2012年1月3日、ハワイ 1月2日)

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