安田南さんのエッセイ集『みなみの三十歳宣言』読後のこと、先日のつづきです。

本もずっと気になりつつやっと読んだという感じですが、歌、ずっと、よいなぁ、好きだなぁ、と思いながら、じぶんでは、きちんと安田南さんとしてのアルバムを持っていなく。

安田南の文章を読んで、やっぱり、アルバム、ぜんぶ聴きたいなぁという気分につくづくなりました。先日も書いたのですけど、彼女の文章と歌にはおなじ空気が流れているからなのだと。

『みなみの三十歳宣言』にある、いくつかのエッセイで語っている、歌とご自身のこと。幾度かおなじように書かれてるいつか歌うことをやめてしまうかもという。この本のいちばんはじめにある『わたしの教室はジャズ喫茶だった』(オリジナル掲載:大和書房<風をつれて地球を歩け> 76.2.25:『みなみの三十歳宣言』p.15)の中でも。

「わたし-職業欄に書きこむ必要があるときは、やっぱり「歌手」だろうなぁ。…唄うことは商売以前に好きでるというのが唯一の最大の理由ではあるが、明日声がまったく出なくなったとしても構わない。一回一回が勝負で、性格から言っても気を抜いたり手を抜いたりはできないし、そのつどわたしなりに懸命にやっている。だからこそかえって逆に唄えなくなることに未練がないし、或る日唄うのを自らやめようとするかもしれない自分を予感するのに何の抵抗もない。」

これは、1976年ですけど、もっと前、1973年の文章『NEXT FIRE! 』(オリジナル掲載:<ワンダーランド> 73.9:『みなみの三十歳宣言』p.33)でも。

「わたしがうた唄いであることを思い出していただきたい。唄うことが好きだったし、依然すきだからそうしている。しかし唄えなくなる日がいつかきっと来ることを、わたしは容易に信じられる。それはたぶん、わたしがこれから唄い手として、わたしにとっての黄金時代、わたしにとっての全盛期を迎えるに違いないという予感をもっているからだ。傲慢ではまく、わたしにはその手応えがある。そしてだからこそ、わたしには唄えない日が来ることを思わずにはいられない。
…わたしは、ヒロインとしての神話も伝説もいらない。エゴイスティックに言ってしまえば、それはわたしだけに感じられる、唄い手としてのわたしの最も輝ける季節であると言ってもいかもしれない。そしてそれはどんなに輝こうと、ひとの長い一生の中では、ほんの短いものでしかないことも知っている。輝きのあとに何が来るかを知っている。
…わたしの方から見切りをつけるしかない…」

「或る日唄うのを自らやめようとするかもしれない」という自分の予感っていつからあったのでしょう。1973年といえば、まだレコードも出していないころ(たしか文中のどこかでもそんなこと言ってたかな)。

もっとも、安田南さんは、レコード出す前からずっと歌っていたし、ライブでもその歌声を聴くためにひとが集まるようなひとだったのだそうだし。高校生のころからも、歌う場所をさがしてはクラブでも歌っていたそうなので、シンガーとしては、もうその時点で10年近く(以上、たぶん)歌ってきているので、あれなのです。

なので、「或る日」いなくなってしまったのは、その「自らやめようと」したときなのかなぁ、などと、考えてみたり。

安田南の歌の魅力はなんだろう、ということをあらためて考えたり。
よく、圧倒的であり、男からみた女としても、魅力もこめてかなわないなぁというイメージということが話されていたりしますけど。そこにあるのは、不安定さのようなオーラなどもあるのでしょけど、歌っているときとのギャップみたいなものもありますよね。
あと、彼女の歌声のどこかに、大人でありながらも、どこか置いてきてしまったあどけなさやいろんな意味でのかわいさのようなものを回顧しているような、というものも感じ。
(それは、ひととしてもだと思うのですけどね。これは、本人も『書きたがり屋の多いこと』という文章でいってることと、たまに話すこども時代の話やお母様とのやりとりでみえる、本人思うところの自分みたいなものや。『MINAMI BLUE』という文章にもあるように、ぜんぶがなのでしょう、「わたしにはわたしのジャズがある。そしてわたしの歌を唄うことができる。これは真実である…何かに渇えていなければわたしはジャズなどやらなかったろう…」という)

それぞれのアルバム収録曲は、ぜんぶじゃないけど聴いたことありつつも、やっぱりじぶんでちゃんと入手して、アルバム、ぜんぶ聴きたくなりました。

4枚のアルバム、1974年『South(“Yasuda Minami Live at The ROB-ROY”)』、1975年『Sunny』、1977年『Some Feeling』、1977年『Moritat(お定のモリタート)』のうち、どれから聴くのがよいかなぁと(いちどに全部入手できないお財布事情がせつないです…)。安田南さんのこと気になったきっかけでもあるのは、中平卓馬氏撮影のジャケットもとても印象的な『Some Feeling』なのですけど、あらためて聴きには、『South』から、順番にと、思っています。(『モリタート』のことは、すでに『South』の解説時点で書かれてるのに、最後になってしまったのも…です。黒テントでの、女優として、歌手として演ってたものからの。レコーディング歌手であるまえに、すでに歌わなくなるときのこと語ってたり、ある意味では、レコードは、彼女を追う、あと、あとですね。)。

現在も、CDは販売されてますけど、7月には、すこしお手ごろな盤での『South』、発売されますね。


『South』、ライブでの歌唱での空気と青山ロブロイという意味でもよいですよね(青山ロブロイに関しては、ちかく、こちらもやっとで、本でも読んでみようと)。
演奏は、山本剛トリオで(山本剛(p)、福井五十雄(b)、小原哲次郎(dr)、大友義雄(as))。

安田南:イエス・サー・ザッツ・マイ・ベイビー
この動画、解説も掲載されてて、よいですね。安田南さんが有名という有名ではなく(当時)ともどれだけライブで人気であったかとか、中村誠一さんがなんでここに参加してないかとかちょっとしたエピソードとか。瀬川先生(瀬川昌久氏)が、どんな風に評してたか、など:)(「お行儀のわるい」というちょっと愛情もこもったような評、表現にあたたかさ感じます。やはり瀬川先生も、安田南さんのどこかにひそんだあどけなさをみていたのではないかなぁとか)
もちろん、歌と演奏はいうまでもなく。



安田南:バイ・バイ・ブラックバード
これ、とても、ライブの雰囲気を感じますね☆
途中で、ドヴォルザーク『ユーモレスク』がとびこんでくるピアノのアレンジが大好きです。そして、そこでのスキャットも。安田南さんのあどけなさとでもいうような独特の雰囲気にぴったりだなぁと。



以上、当時をまったく知らないわたしが、歌声や文章からの印象や推測なども含み、です。
安田南さんがどういうひとだったかということは、かなりくわしいブログがあり。
トントン雑記貼:安田南がいた時代(1)(~(4)までありますね)

(投稿:日本 2012年6月15日、ハワイ 6月14日)

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