ずっと気になりつつも観賞機会をのがしていた、藤田敏八監督作品『八月の濡れた砂』、ようやく観てきました。
路線移行前、旧体制日活最後の作品だったという『八月の濡れた砂』、ヒューマントラストシネマ有楽町での日活創立100周年記念特別企画「日活映画 100年の青春」では最終日に上映でした。

「日活映画 100年の青春」企画上映、東京はおわりましたが、まだこれから大阪、福岡、横浜、名古屋、札幌などもあるようなのでリンクを↓
「日活映画 100年の青春」公式ページ

電車の遅延もあり、ぎりぎりめの到着で。すでにほぼ満席。
絶対的な支持があり、ネットでも、この映画に関するものは多いという訳ではないのですが、記事のひとつひとつ思い入れ感じます。

公開:1971年8月25日
制作:日活(ダイニチ映配)
監督:藤田敏八
音楽:むつひろし、ペペ
主題歌:石川セリ
メインキャスト:村野武範、広瀬昌助、藤田みどり、テレサ野田

先にも書いたように、あらすじや映像の言わんとするメッセージ、ロケ地ふくめかなり詳しく書いてらっしゃるものもあるのでそちらをリンクさせていただきます。
Songs for 4seasons:藤田敏八監督『八月の濡れた砂』(日活映画)その1
(その4、さらにはロケ地再訪というものもあり↑)

この『八月の濡れた砂』色鮮やかに痛ましい作品だなぁと(「痛ましい」という表現は先のかたのたとえにもあり、まさにです)。

『八月の濡れた砂』は、この時期の藤田敏八さん監督作品にみられる70年代前半の青春の彷徨い、刹那なムードとしらけ感を描きながら、この後の作品『赤い鳥逃げた?』などにも描かれるやるせなさより、もっと直情的な痛ましさ。

八月の濡れた砂(Wet Sand in August):Trailer

象徴的な何かを感ずる表現は、同時期またはすこし前のヌーベル・ヴァーグやアメリカン・ニューシネマなどを連想させるようでありながらも、やはり日本独特の感覚や登場人物たちの心理もあり。

映像、色、音楽、演出の中には強烈なメッセージとともにそのさらに底にあるさりげないメッセーもあるように感じ。そういったいろいろは、感覚としてとらえ、そのままにしておくべきなのか、もっと記号論的にたぐっていくべきなのか…。という意味でも観たあとに心に何か残していく作品ですね。

そのほか、小さな気になりのちりばめられた未解決要素としては
キリスト教というのがそのひとつであり、丘の上の教会や (日本基督教団・葉山教会。聖堂は近年改装され新しい建物となったようです) そこでオルガンを弾き、クリスチャンであった和子(隅田和世)の死がそこに関係するといえばするのかも知れませんが)。海水浴で賑わう海岸をキリスト看板によくあるそれのプラカードをもって歩くひとの映像や。
あれはそこにいた人をとらえ、それを使ったものなのか…。
清(広瀬昌助)の兄の海の家の店先、7UPのケースの中に鳩がいて、さりげなくバックに映るなど。そういった演出なども。

若者的かと思うとはて?というギャップや演出なのかどうなのかという意表をつくようなという感覚は映画全体に流れており、音楽もまたそうではないかと思うのです。

音楽は、むつひろしさんとペペ。
「ぺぺ」としか書いてないのですが、たぶんザ・ハプニングス・フォーのぺぺ吉弘さんですよね。サウンドは、熱い砂や若さを感じさせるグルーヴィーな雰囲気たっぷりのもやリッチライフを描くようなスタイリッシュな避暑地的サウンドであったりなのですが、石川セリさんが歌うテーマ『八月の濡れた砂』(作詞:吉岡オサム、作曲:むつひろし)がどこか、昔ながら感、女の哀しみ的な、サガみたいなものをしょっているようで。この曲は、もちろん、よい曲なのですが。そもそも、この映画、わたしは曲を先に知っていたので、そのときから持っていた疑問ではあったのですけど…
ただ、この映画を実際にみて思ったのは、それもある意味メッセージのひとつなのかなと。この映画での女性の描かれ方って、立場いろいろながら、それぞれがそんな風ですよね。

そのほか、渡辺文雄さん、地井武男さん、原田芳雄さん(みなさん他界されてしまいましたね…:'( )などのサポート的な演技、この時代の雰囲気たっぷりの女優陣やザ・ハーフ・ブリードの演奏もみどころのひとつかと。そして、赤塚真人さんや山谷初男さんの役もスパイスですね。

と、まったくまとまりありませんが、何か

<おまけ>:

「日本初のソフトロック」というキャッチフレーズでのメンバーがハーフというこの時代感にあふれるバンドですよね。ザ・ハーフ・ブリード
ザ・ハーフ・ブリード:不思議な夢(1969)

(投稿:日本 2012年10月7日、ハワイ 10月6日)


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